広島城…戦国時代末期、中国地方に覇を唱えた毛利一門が、本来の本拠地以上に海陸交通の便が良い場所に本拠地を求めて築いたという城…その城下町が現在の広島の礎にもなっている訳だが…
この広島城の天守閣に関して、濠の辺りに足を運んで眺めた記憶は在るのだが、近付いた経過は無かった…そこで「間近に天守閣を眺めよう」と広島城跡に足を運んだが…
↓いきなり、これに圧倒されてしまった…
↑随所に掲出されている案内図を頼りに天守閣の在る「本丸」の手前に相当する「二の丸」に至ると、この構造物が迎えてくれた…
これは「二の丸」に築かれた<表御門>と称するモノである…中国地方に覇を唱えた毛利家の本拠地で、江戸時代にも安芸国を広く知行していた浅野家の本拠地だった訳で…「大大名の居城の門」という貫禄十分だ…
広島城に関しては…昭和20年の原爆で街が灰燼に帰してしまうまで、色々な大きな構造物が「江戸時代のまま」に残っていたそうだ…航空機の乗員が上空からの美しい眺めを愛し、広島上空を飛ぶことを楽しみにしていたという話しも何処かで読んだような記憶も在るが…近代の建築技師が建物を実測した研究資料も色々と残っているらしい…
この<表御門>は、様々な研究資料を参考にし、往時の建築技法を推定しながら復元したものであるのだという…
↓門を潜って「二の丸」に入り込み、振り返った眺めだ…
「城」は基本的に「防衛拠点」だ…二の丸は?恐らく城に詰める大軍の一部が展開して城を囲む敵方を迎えるべく備える場所なのだろう…そんな様子を想像しながら、この辺りを歩き回った…
「稚内の真夏??」というような、やや暑い程度の好天の中で歩き、汗もかき、日焼けもした…
「勝手知った(つもり!になっている?!)他所」へ…:運行日誌(2019.06.04)
近鉄奈良駅に程近い宿に在る…
阪神の神戸三宮駅で「近鉄奈良行」の“快速急行”なる列車に乗込むと「多少馴染んでいる…」と少し大き目な「安堵感…」を抱き、途中の居眠りも交えて1時間20分程度の乗車…列車の始発から終点までだが…近鉄奈良駅に着いてみれば、「ハッキリとアウェイ」な地域であるにも拘らず、何やら「半ばホーム」と勝手に感じている…
このところ、「何となく関西方面…」という時間を設けている経過の中、何となく奈良に滞在して居心地が好く、自身の中で「奈良の“好感度”が大いに上昇」ということを受けている訳だ…別段、自身は何らかの形で奈良と縁や係わりという程のモノでもない…単純に、休暇の時間を過ごす際に居心地が何となく好いというだけのことだ…
近鉄奈良駅に至った頃…既に「もう少しで日没か?」という時間帯だった…駅の出口から視えるような場所の宿で、素早くチェックインを済ませ、とりあえず居室で寛いだ…ぼんやりとしてしまっていた間に、時間が流れてしまった…そのうち…宿の並びの店で適当に軽い夕食を摂り、居室で飲むモノを求める序に、「(滞在、立寄り地域への)感謝の納税」と勝手に呼んでいるが、煙草も求めた…そして宿の居室に早々と引揚げて、「何時でもお休み頂いて結構です…」という態勢にしてしまった…
広島の宿を出て…駅のロッカーに少し嵩張るバッグと、「暑い…」とずうっと抱えっ放しの「ジャケット兼用な感の厚地のシャツ」とを預けてしまい、身軽になって広島電鉄の1日乗車券を入手した…
広島電鉄…広島の路面電車…加えて専用軌道が敷設されていて、宮島へ向かうことも出来る…これを利用し…厳島神社と広島城、更に原爆ドームに立寄った…立寄った各所のことは、追って別に整理したい…
酷く汗もかいた中…午後に広島駅へ至り、遅めな昼食に<お好み焼き>を確り頂いた…そして東京へ向かうのだという<のぞみ>の自由席に飛び乗った…
実は昨日、新山口から広島へ新幹線で移動する際、乗車券は神戸までということにして、広島・新神戸の自由席特急券も求めてあったのだ…「とりあえず神戸に至る」ということであれば…私の感覚なら「随意に各方向へ動き回ることが出来る」というように感じる訳だ…
その「神戸に至る」という展開の中…「神戸なら…真直ぐ奈良に出る手段も…」と思い至り、奈良に宿を求めた訳だ…
「乗物好き」な部類である私にとっては、「様々な交通手段を駆使した移動」というのも「お楽しみ」である…(世の中には“手段”が“目的”に摩り替わってしまうというような例が多く、それが「世の中を悪くしている!!」と憤りを覚えることも多いのだが…「乗物好き」が「交通手段」を「愉しもう!!」と「半ば目的」にしてしまう程度のことは…然程の害悪でもなかろう…)「お楽しみ」とは言え…今般は…或いは今般“も”ということになろうが…随分と動いた…
今般の経路を振り返ると…稚内→東京→横浜・横須賀→出雲・松江→萩→新山口→広島→神戸→奈良…である…
何か…天候には恵まれている…鏡を何気なく視れば…「赤いお顔の右大臣♪」と『ひな祭り』の歌の一節が頭に浮かんで―頭の中で鳴っているのは、サハリンから稚内にやって来た<ルースキー・テーレム>が歌っていたヴァージョン…―苦笑が漏れる…顔が日焼けした…
こうして「勝手知った(つもり!になっている?!)他所」へ至った訳だ…
阪神の神戸三宮駅で「近鉄奈良行」の“快速急行”なる列車に乗込むと「多少馴染んでいる…」と少し大き目な「安堵感…」を抱き、途中の居眠りも交えて1時間20分程度の乗車…列車の始発から終点までだが…近鉄奈良駅に着いてみれば、「ハッキリとアウェイ」な地域であるにも拘らず、何やら「半ばホーム」と勝手に感じている…
このところ、「何となく関西方面…」という時間を設けている経過の中、何となく奈良に滞在して居心地が好く、自身の中で「奈良の“好感度”が大いに上昇」ということを受けている訳だ…別段、自身は何らかの形で奈良と縁や係わりという程のモノでもない…単純に、休暇の時間を過ごす際に居心地が何となく好いというだけのことだ…
近鉄奈良駅に至った頃…既に「もう少しで日没か?」という時間帯だった…駅の出口から視えるような場所の宿で、素早くチェックインを済ませ、とりあえず居室で寛いだ…ぼんやりとしてしまっていた間に、時間が流れてしまった…そのうち…宿の並びの店で適当に軽い夕食を摂り、居室で飲むモノを求める序に、「(滞在、立寄り地域への)感謝の納税」と勝手に呼んでいるが、煙草も求めた…そして宿の居室に早々と引揚げて、「何時でもお休み頂いて結構です…」という態勢にしてしまった…
広島の宿を出て…駅のロッカーに少し嵩張るバッグと、「暑い…」とずうっと抱えっ放しの「ジャケット兼用な感の厚地のシャツ」とを預けてしまい、身軽になって広島電鉄の1日乗車券を入手した…
広島電鉄…広島の路面電車…加えて専用軌道が敷設されていて、宮島へ向かうことも出来る…これを利用し…厳島神社と広島城、更に原爆ドームに立寄った…立寄った各所のことは、追って別に整理したい…
酷く汗もかいた中…午後に広島駅へ至り、遅めな昼食に<お好み焼き>を確り頂いた…そして東京へ向かうのだという<のぞみ>の自由席に飛び乗った…
実は昨日、新山口から広島へ新幹線で移動する際、乗車券は神戸までということにして、広島・新神戸の自由席特急券も求めてあったのだ…「とりあえず神戸に至る」ということであれば…私の感覚なら「随意に各方向へ動き回ることが出来る」というように感じる訳だ…
その「神戸に至る」という展開の中…「神戸なら…真直ぐ奈良に出る手段も…」と思い至り、奈良に宿を求めた訳だ…
「乗物好き」な部類である私にとっては、「様々な交通手段を駆使した移動」というのも「お楽しみ」である…(世の中には“手段”が“目的”に摩り替わってしまうというような例が多く、それが「世の中を悪くしている!!」と憤りを覚えることも多いのだが…「乗物好き」が「交通手段」を「愉しもう!!」と「半ば目的」にしてしまう程度のことは…然程の害悪でもなかろう…)「お楽しみ」とは言え…今般は…或いは今般“も”ということになろうが…随分と動いた…
今般の経路を振り返ると…稚内→東京→横浜・横須賀→出雲・松江→萩→新山口→広島→神戸→奈良…である…
何か…天候には恵まれている…鏡を何気なく視れば…「赤いお顔の右大臣♪」と『ひな祭り』の歌の一節が頭に浮かんで―頭の中で鳴っているのは、サハリンから稚内にやって来た<ルースキー・テーレム>が歌っていたヴァージョン…―苦笑が漏れる…顔が日焼けした…
こうして「勝手知った(つもり!になっている?!)他所」へ至った訳だ…
<サンライズ出雲>到着:出雲市駅(2019.06.02)
<みなとみらい>の夕景…(2019.06.01)
「面白きこともなき世を面白く」(2019.06.03)
↓広島の宿で、求めたばかりの新しいTシャツを広げた…Tシャツの背中…
↑「面白きこともなき世を面白く」というのは…かの高杉晋作の言葉であるという…
「面白きこともなき世を面白く」というのは?何か「面白くないから自身で面白くしてみよう!」というようにも受け止め得るかもしれないが…寧ろ「気持ちの持ちようで“面白くなき”も“面白く”なるのかもしれない…」ということであるような感だ…
この際…自身としてはどちらでも構わない…何か酷く気に入ってしまった…
↓正面はこういう感じ…指月山が在る萩のイメージ…左側に高杉晋作が佇んでいる…
萩の<萩博物館>の中に在ったショップで求めた代物…早速、今日から使おう…
動き回っている地区は…20℃を超え、日中は25℃にも届いている感だ…稚内では“夏”という様相だ…
↑「面白きこともなき世を面白く」というのは…かの高杉晋作の言葉であるという…
「面白きこともなき世を面白く」というのは?何か「面白くないから自身で面白くしてみよう!」というようにも受け止め得るかもしれないが…寧ろ「気持ちの持ちようで“面白くなき”も“面白く”なるのかもしれない…」ということであるような感だ…
この際…自身としてはどちらでも構わない…何か酷く気に入ってしまった…
↓正面はこういう感じ…指月山が在る萩のイメージ…左側に高杉晋作が佇んでいる…
萩の<萩博物館>の中に在ったショップで求めた代物…早速、今日から使おう…
動き回っている地区は…20℃を超え、日中は25℃にも届いている感だ…稚内では“夏”という様相だ…
<スパイシークランチラテ>…(2019.06.01)
<久坂玄瑞進撃像>:萩(2019.06.03)
↓「戦の支度」という様子の像である…
↑「進め!」と号令を掛けているような感じだ…
これは…吉田松陰の「憂国の激情」とでもいうようなモノを受継いだ“後継者”という存在感で、彼の妹の夫となったことから“義弟”であった久坂玄瑞の像だ…
像は<蛤御門の変>の際に、長州勢の一翼を率いて戦闘に臨んだ場面をイメージしたのであろう…
↓こういう具合に佇んでいる…
久坂玄瑞は、思想家、政治家であって…軍事行動の指揮官という感でもなかったのかもしれないが…<蛤御門の変>の際、討死してしまっている…
↓萩への訪問を「後押し」する結果となった、最近読了した小説がこちらである…
>>『風の如く』
↑「進め!」と号令を掛けているような感じだ…
これは…吉田松陰の「憂国の激情」とでもいうようなモノを受継いだ“後継者”という存在感で、彼の妹の夫となったことから“義弟”であった久坂玄瑞の像だ…
像は<蛤御門の変>の際に、長州勢の一翼を率いて戦闘に臨んだ場面をイメージしたのであろう…
↓こういう具合に佇んでいる…
久坂玄瑞は、思想家、政治家であって…軍事行動の指揮官という感でもなかったのかもしれないが…<蛤御門の変>の際、討死してしまっている…
↓萩への訪問を「後押し」する結果となった、最近読了した小説がこちらである…
>>『風の如く』
<高杉晋作立志像>:萩(2019.06.03)
↓凛々しい青年武士という感の像である…
「毛利家御用達」で有力だったという商人、菊屋が店と邸宅を構えていたという辺り、<菊屋横丁>に在った家で生まれ育ったという高杉晋作をイメージした像だ…
↓こういう具合に広場に佇んでいる…
「激動の時代を豪快に駆け抜けた」というイメージの高杉晋作…人気が高い史上の人物であるようだ…
東萩駅に到着した後…松陰神社から<菊屋横丁>まで歩いたが…吉田松陰を慕って<松下村塾>を訪ねていたという高杉晋作が帰宅するような時に歩いたかもしれない経路を歩いてみたことになる…「静か(!?)」な萩の街は、「本当に江戸時代位の街路が殆どそのまま舗装道路化?」というような場所だった…
↓萩への訪問を「後押し」する結果となった、最近読了した小説がこちらである…
>>『風の如く』
「毛利家御用達」で有力だったという商人、菊屋が店と邸宅を構えていたという辺り、<菊屋横丁>に在った家で生まれ育ったという高杉晋作をイメージした像だ…
↓こういう具合に広場に佇んでいる…
「激動の時代を豪快に駆け抜けた」というイメージの高杉晋作…人気が高い史上の人物であるようだ…
東萩駅に到着した後…松陰神社から<菊屋横丁>まで歩いたが…吉田松陰を慕って<松下村塾>を訪ねていたという高杉晋作が帰宅するような時に歩いたかもしれない経路を歩いてみたことになる…「静か(!?)」な萩の街は、「本当に江戸時代位の街路が殆どそのまま舗装道路化?」というような場所だった…
↓萩への訪問を「後押し」する結果となった、最近読了した小説がこちらである…
>>『風の如く』
松江城天守閣を初めて見上げた…(2019.06.02)
天守閣跡…:萩城(指月城)跡(2019.06.03)
↓「天守閣跡」という場所を眺めに行ってみた…
↓「多少汗ばむ…」という程度の好天だった…
↓脇の方からはこういう具合に見える…
毛利家は中国地方で最大の勢力を誇る大大名だった…思えば…現在の岡山県や鳥取県より西の本州西端部は、かなり広く毛利家の傘下だった訳だ…これが、江戸幕府によって「防長」と呼ばれる長門と周防の知行地だけが認められ、その本拠地として萩に城が築かれた訳だ…
↓近くに残っている、重臣のモノだった長屋に「嘗ての萩城」の模型と明治初期と見受けられる古写真が飾られていた…
指月山周辺の敷地に石垣を築き、城が攻められた時の防衛拠点を山上に設け、他方で敷地に様々な建物を建てている。天守閣も、現在の石垣だけの“跡”の場所に確り建っていた訳だ…
戦国時代末期の「大大名」の頃を想えば、萩城は「かなり縮小」ということになるのだろうが…それでもなかなかに壮大だったように思える…
この種の跡地…ここのような「街の、一寸訪ねられるような場所」に在るのが好ましい…
↓「多少汗ばむ…」という程度の好天だった…
↓脇の方からはこういう具合に見える…
毛利家は中国地方で最大の勢力を誇る大大名だった…思えば…現在の岡山県や鳥取県より西の本州西端部は、かなり広く毛利家の傘下だった訳だ…これが、江戸幕府によって「防長」と呼ばれる長門と周防の知行地だけが認められ、その本拠地として萩に城が築かれた訳だ…
↓近くに残っている、重臣のモノだった長屋に「嘗ての萩城」の模型と明治初期と見受けられる古写真が飾られていた…
指月山周辺の敷地に石垣を築き、城が攻められた時の防衛拠点を山上に設け、他方で敷地に様々な建物を建てている。天守閣も、現在の石垣だけの“跡”の場所に確り建っていた訳だ…
戦国時代末期の「大大名」の頃を想えば、萩城は「かなり縮小」ということになるのだろうが…それでもなかなかに壮大だったように思える…
この種の跡地…ここのような「街の、一寸訪ねられるような場所」に在るのが好ましい…
キハ47:益田駅(2019.06.03)
<スーパーおき>が島根県の西端辺りになる益田駅に着いた後、更に西の山口県へ進む列車までに少し間が在った…
天候も好いので駅前で待っていたが…何やら東萩へ向かう列車が早々とホームに現れて待機していた…ホームで出発を待つことにした…
↓跨線橋から見下ろした感じ…
↓「昭和の車輛」という風格のようなモノが漂う…「昔風?」な「朱色の単色塗装」という車体だ…
↓2輛連結でワンマン運転だ…
↑無人駅が多い区間で、運転士が乗っている1輛目の扉だけが開閉し、2輛目の扉は終点の東萩まで開かない…
↓嘗ては…「普通の列車」はこういう感じだったが…現在では「少数派?」になってしまっているかもしれない…
↓こうやって待機している様子を視ていると…「今日はよろしくお願いします!」と車輛に声を掛けたいような、妙な気分になる…
この種の「昭和の車輛」というモノ…方々で少数派になっている感だが…JR西日本は比較的多く残っているように見える…
天候も好いので駅前で待っていたが…何やら東萩へ向かう列車が早々とホームに現れて待機していた…ホームで出発を待つことにした…
↓跨線橋から見下ろした感じ…
↓「昭和の車輛」という風格のようなモノが漂う…「昔風?」な「朱色の単色塗装」という車体だ…
↓2輛連結でワンマン運転だ…
↑無人駅が多い区間で、運転士が乗っている1輛目の扉だけが開閉し、2輛目の扉は終点の東萩まで開かない…
↓嘗ては…「普通の列車」はこういう感じだったが…現在では「少数派?」になってしまっているかもしれない…
↓こうやって待機している様子を視ていると…「今日はよろしくお願いします!」と車輛に声を掛けたいような、妙な気分になる…
この種の「昭和の車輛」というモノ…方々で少数派になっている感だが…JR西日本は比較的多く残っているように見える…
<スーパーおき>:キハ187系ディーゼルカー:松江駅(2019.06.03)
↓未だ静かな早朝の松江駅にディーゼルカーのエンジン音が近付く…
↓2輛で運行の旨がアナウンスされている…
↑<スーパーおき>は、鳥取や米子から山陰線を進み、松江を経て島根県を横断して益田に至り、そこから山口線に入って新山口に至る…長大な運行区間の列車だ…「おき」は「隠岐」から取った名であるということだ…
↓停止位置に停車した…先頭の1号車は指定席で、後尾の2号車が自由席だ…
キハ187系は“振り子”の方式で、カーブ区間での減速を抑えている構造のディーゼルカーだ…松江・益田間で乗車したが…「北海道内の新しい特急型ディーゼルカーによく似た乗り心地」という感だ…単線区間で、列車行き違いの業務停車がやや目立つというのも、何となく「北海道?」というような気がする…
山陰線は列車運行本数が総じて少ない感では在るが…「西へ進むに連れて列車が少なくなる」というような気もした…出雲市駅の少し先までは電化されていたようだが…何時の間にか非電化区間になり、ディーゼルカーが行き交っていた…
山陰の列車での旅…列車運行本数が少な目で計画を立て悪いことは否定しないが…意外に好い感じだった!!
↓2輛で運行の旨がアナウンスされている…
↑<スーパーおき>は、鳥取や米子から山陰線を進み、松江を経て島根県を横断して益田に至り、そこから山口線に入って新山口に至る…長大な運行区間の列車だ…「おき」は「隠岐」から取った名であるということだ…
↓停止位置に停車した…先頭の1号車は指定席で、後尾の2号車が自由席だ…
キハ187系は“振り子”の方式で、カーブ区間での減速を抑えている構造のディーゼルカーだ…松江・益田間で乗車したが…「北海道内の新しい特急型ディーゼルカーによく似た乗り心地」という感だ…単線区間で、列車行き違いの業務停車がやや目立つというのも、何となく「北海道?」というような気がする…
山陰線は列車運行本数が総じて少ない感では在るが…「西へ進むに連れて列車が少なくなる」というような気もした…出雲市駅の少し先までは電化されていたようだが…何時の間にか非電化区間になり、ディーゼルカーが行き交っていた…
山陰の列車での旅…列車運行本数が少な目で計画を立て悪いことは否定しないが…意外に好い感じだった!!
出雲→石見→長門→周防→安芸…:運行日誌(2019.06.03)
広島の宿に在る…精力的に動いた1日で、何か…「このまま朝までゆったりと…」という感だ…
例によって…「動き過ぎ!?」である…早朝から列車に乗り、島根県を東西に横断して山口県の日本海岸を進み萩を訪ねた…萩で半日強を過ごし、バスターミナルに現れた、「他所からの旅行者にも人気の高速バス」ではない方の「ローカル(!!)な路線バス」で新山口駅―「何処をどういう具合に?」と大きく回り込むというのか、ジグザグに枝道に入るというのか、不慣れな旅行者には判らない経路で、何時の間にか「山口市小郡」という、新山口駅が在るエリアに至った…―へ向かい、そこから新幹線で広島に出てとりあえず休むということにした…
“旧国名”で言うと「出雲→石見→長門→周防→安芸」という具合…島根県から山口県へ向かって、広島県に廻り込んだということになる…
出雲大社に松江城…萩…こういう山陰地方各地というような場所…「えぃ!やっ!!」と気合を入れて、「“打ち込み”である!!進め!!」とでもいうような“勢い”を付けるのでもなければ、なかなか訪ねる機会を設け悪いように思う…今般…「<サンライズ出雲>に乗車が叶った」という僥倖が在って、松江に在った訳だが、色々と考えて萩を訪ねてみることにした…
山陰地方…交通は不便だ…早朝6時台に松江駅を出発すると、約4時間半の移動で東萩駅に着くことが叶う…これを逃すと、萩で過ごす時間が中途半端になってしまう…萩に泊まるのでもなければ、とりあえず新山口駅へバスで出て、そこから動くというのが最も便利と見受けられる…列車で下関等へ向かうのは不可能ではないが、列車の運行がかなり少なく、接続も悪い…
そんな事情で…今日のような動きになったが…萩ではとにかく歩いた…
↓少し前に…「幕末期の長州」に題材を求めた小説を愉しく読了した…
>>『風の如く』
3冊の文庫本から成る作品…或る程度、史実に依拠した内容で、史上の人物を明確にモデルとした劇中人物達が活躍する訳で…「あの件…あれはこういうことになって…」と「全く知らない訳でもない…」という内容が在るのだが…それでも、なかなかに魅力的な造形が施された各劇中人物達のことが気に掛かり、引き込まれてしまった…
その作品に、かの吉田松陰の<松下村塾>が登場するのだが…東萩駅から少し歩くと、<松下村塾>と吉田松陰の家を境内に擁する<松陰神社>が在る…最初にそこを訪ね…作中にも登場した高杉晋作のような、吉田松陰を慕って<松下村塾>に顔を出していた城下の若者達が「自宅等へ引揚げる道筋」という感じで、城下町の側へ歩いて、指月山の辺りに在る萩城の跡にまで…途中で<菊屋>や<萩博物館>に寄りながら歩き…藩政時代には藩校だったという辺りの先に在る<萩バスセンター>と称するターミナルまで…好天で、多少汗もかく中で動き回っていた…多少…顔が日に焼けた…
萩という街…何となく興味が在ったが…偶々、小説の『風の如く』を読了して日が浅かったことから、「山陰地域に在った」という状況と相俟って「訪ねてしまった」ということかもしれない…
相変わらず…出先では色々と写真は撮った…追ってこれらを順次整理しながら「何を視て、何を想った」というようなことも綴ってみたい…
広島へ辿り着いたが…夕刻に街を広く歩き回るというようにはならなかった…宿でゆっくりして、極近所に見付けた店で夜食を摂り…「後は何時でもお休み頂いて結構です…」ということに…してしまった訳だ…
明日の事?明朝に考える…
例によって…「動き過ぎ!?」である…早朝から列車に乗り、島根県を東西に横断して山口県の日本海岸を進み萩を訪ねた…萩で半日強を過ごし、バスターミナルに現れた、「他所からの旅行者にも人気の高速バス」ではない方の「ローカル(!!)な路線バス」で新山口駅―「何処をどういう具合に?」と大きく回り込むというのか、ジグザグに枝道に入るというのか、不慣れな旅行者には判らない経路で、何時の間にか「山口市小郡」という、新山口駅が在るエリアに至った…―へ向かい、そこから新幹線で広島に出てとりあえず休むということにした…
“旧国名”で言うと「出雲→石見→長門→周防→安芸」という具合…島根県から山口県へ向かって、広島県に廻り込んだということになる…
出雲大社に松江城…萩…こういう山陰地方各地というような場所…「えぃ!やっ!!」と気合を入れて、「“打ち込み”である!!進め!!」とでもいうような“勢い”を付けるのでもなければ、なかなか訪ねる機会を設け悪いように思う…今般…「<サンライズ出雲>に乗車が叶った」という僥倖が在って、松江に在った訳だが、色々と考えて萩を訪ねてみることにした…
山陰地方…交通は不便だ…早朝6時台に松江駅を出発すると、約4時間半の移動で東萩駅に着くことが叶う…これを逃すと、萩で過ごす時間が中途半端になってしまう…萩に泊まるのでもなければ、とりあえず新山口駅へバスで出て、そこから動くというのが最も便利と見受けられる…列車で下関等へ向かうのは不可能ではないが、列車の運行がかなり少なく、接続も悪い…
そんな事情で…今日のような動きになったが…萩ではとにかく歩いた…
↓少し前に…「幕末期の長州」に題材を求めた小説を愉しく読了した…
>>『風の如く』
3冊の文庫本から成る作品…或る程度、史実に依拠した内容で、史上の人物を明確にモデルとした劇中人物達が活躍する訳で…「あの件…あれはこういうことになって…」と「全く知らない訳でもない…」という内容が在るのだが…それでも、なかなかに魅力的な造形が施された各劇中人物達のことが気に掛かり、引き込まれてしまった…
その作品に、かの吉田松陰の<松下村塾>が登場するのだが…東萩駅から少し歩くと、<松下村塾>と吉田松陰の家を境内に擁する<松陰神社>が在る…最初にそこを訪ね…作中にも登場した高杉晋作のような、吉田松陰を慕って<松下村塾>に顔を出していた城下の若者達が「自宅等へ引揚げる道筋」という感じで、城下町の側へ歩いて、指月山の辺りに在る萩城の跡にまで…途中で<菊屋>や<萩博物館>に寄りながら歩き…藩政時代には藩校だったという辺りの先に在る<萩バスセンター>と称するターミナルまで…好天で、多少汗もかく中で動き回っていた…多少…顔が日に焼けた…
萩という街…何となく興味が在ったが…偶々、小説の『風の如く』を読了して日が浅かったことから、「山陰地域に在った」という状況と相俟って「訪ねてしまった」ということかもしれない…
相変わらず…出先では色々と写真は撮った…追ってこれらを順次整理しながら「何を視て、何を想った」というようなことも綴ってみたい…
広島へ辿り着いたが…夕刻に街を広く歩き回るというようにはならなかった…宿でゆっくりして、極近所に見付けた店で夜食を摂り…「後は何時でもお休み頂いて結構です…」ということに…してしまった訳だ…
明日の事?明朝に考える…
愛用の「ロシア製」の時計…(2019.06.02)
↓ウラジオストクで入手したロシア製の腕時計を愛用している…
>><Слава>(スラーヴァ)の腕時計(2018.11.10)
大変に気に入っているのだが…レザーのバンドや金具が傷んでしまって、「何処かで何時の間にか落としてしまう??」という状態になっていた…
松江駅のビルで時計を売っていた店で尋ねれば…数分歩いた先の商業施設内に時計店が在り、替えバンド等も売っている専門店だというので足を運んでみた…
↓新しいバンドを購入し、店主氏に取り付けて頂いた…
独特な雰囲気を醸し出す時計になった…「ウラジオストクで入手し…バンドを松江で替えた…」という代物になった…大切に愛用し続けたい…
>><Слава>(スラーヴァ)の腕時計(2018.11.10)
大変に気に入っているのだが…レザーのバンドや金具が傷んでしまって、「何処かで何時の間にか落としてしまう??」という状態になっていた…
松江駅のビルで時計を売っていた店で尋ねれば…数分歩いた先の商業施設内に時計店が在り、替えバンド等も売っている専門店だというので足を運んでみた…
↓新しいバンドを購入し、店主氏に取り付けて頂いた…
独特な雰囲気を醸し出す時計になった…「ウラジオストクで入手し…バンドを松江で替えた…」という代物になった…大切に愛用し続けたい…
<しまね和牛どんぶり>(2019.06.02)
<デハ二50形 52号車>:一畑電車:出雲大社前駅(2019.06.02)
羽田空港のターミナルビル内(2019.06.01)
<HRC YOKOHAMA>(2019.06.01)
川跡駅(かわとえき):一畑電車(いちばたでんしゃ)(2019.06.02)
夜行列車の<サンライズ出雲>で出雲市駅に到着後、近くの一畑電車の駅である<電鉄出雲市駅>へ歩き、<1日乗車券>を求めて電車に乗った…
電鉄出雲駅を発着する列車は、少し先の川跡駅との間を往来している。この川跡駅で、<出雲大社前駅>へ向かう列車、<松江しんじ湖温泉駅>へ向かう列車に乗換えるようになる。電鉄出雲駅から乗った列車が川跡駅に至ると「どなた様も御乗換です」と乗務員がアナウンスしていた…
↓川跡駅の様子だ…
↑左の3番線…電鉄出雲・川跡間を往復している列車だ…右の1番線は松江しんじ湖温泉駅へ向かう…中央の2番線は出雲大社前駅へ向かう…
2輛運行の、タイプが違う車輛による各列車が勢揃い…何となく見栄えが好かった…
↓因みにこの一畑電車の<1日乗車券>である…
電鉄出雲駅を発着する列車は、少し先の川跡駅との間を往来している。この川跡駅で、<出雲大社前駅>へ向かう列車、<松江しんじ湖温泉駅>へ向かう列車に乗換えるようになる。電鉄出雲駅から乗った列車が川跡駅に至ると「どなた様も御乗換です」と乗務員がアナウンスしていた…
↓川跡駅の様子だ…
↑左の3番線…電鉄出雲・川跡間を往復している列車だ…右の1番線は松江しんじ湖温泉駅へ向かう…中央の2番線は出雲大社前駅へ向かう…
2輛運行の、タイプが違う車輛による各列車が勢揃い…何となく見栄えが好かった…
↓因みにこの一畑電車の<1日乗車券>である…
山陰侵入…:運行日誌(2019.06.02)
松江の宿に在る…
考えてみると、島根県に足を踏み入れたのは「初めて」だと思う…「だから?」という話しにもなろうが、何にでも「初めて」は在って、記憶に残る…或いは「記憶に留めたい」という側面も在るのかもしれない…
夜行列車の中で6月2日を迎え、列車が到着してから直ちに動き回り、結局は「松江に泊まって明日以降のことでも考えて備えよう」ということにした訳だ…
昨夜…午後10時台に東京、横浜から西へ進む<サンライズ出雲>に横浜から乗車した…浅いような、深いような、何度も眼が開く、意識が覚めるような車中の睡眠だった…やや窮屈な個室寝台の<ソロ>なるもの…悪くない…計14輛もの長大な編成の列車は東海道線と山陽線を走る…少し明るめになっていた頃に眼を開けるとm大阪、神戸、明石辺りを駆け抜けていたのが判った…岡山で少し長く停まり、前半の7輛を切り離し、それが四国上陸を目指して出発するのを見送ると、残る7輛は山陰地域を目指して伯備線に入る…新見から先は1時間程も停車が無く、米子に至って山陰線に入り込んで、そのまま西へ進み、松江を経て出雲市駅に至る…12時間弱の旅だ…
こういう運行時間の、「本格的!!」な感じがする夜行列車…最後に乗ったのは2012年の<日本海>だった…それ以前は<北斗星>にも乗車した経過が在ったが…時には好いように思った…現在、普通にJRの各駅に開設されている<みどりの窓口>で駅員さんに尋ねて普通に切符を求めて乗車可能な夜行列車は、この<サンライズ>しか動いていない…西日本へ出ようと、「岡山まで<サンライズ>?」と考えたことは少し前にも在ったのだが、人気が高いので寝台は取れずに諦めた…今般は横浜駅で尋ねるとアッサリと取ることが叶ったのだ!!
ただ…これに乗る場合は、稚内から旭川へ向かう列車や札幌へ向かうバスに乗る場面のように「車中での飲物」を乗車前に求めておくというのを忘れない方が好いかもしれない…食堂車や車内販売は皆無だ…それでも飲料の自販機は在るが…
<サンライズ出雲>が到着する出雲市駅…街の中心であるようだが…訪ねてみたかった出雲大社からはやや離れている…「バスを使う」という話しも聞くが…敢えてローカル私鉄の一畑電車を利用してみた。これがなかなかに味わい深い…
一畑電車を利用して出雲大社を訪ね、そこから松江市内に移動し、松江城を訪ねた。松江城を訪ねる直前、駅の待合室でノートパソコンを広げ、ネットで松江の宿を予約したという次第だ…
松江城の天守閣は…「“本物”の迫力」が感じられた…江戸時代の建築がそのまま残って伝えられるという貴重なモノだが、黒い板を外壁に貼った個性的な外観でもある…
その後…レザーの腕時計のバンドが何やら傷み、金具も何時の間にか取れそうな妙な状況になったので…松江駅に近い商業施設を訪ね、テナントの時計店で黒っぽいメタルのバンドを求めて、店主のおっちゃんに着けて頂いた。大事に使おう…時計本体はウラジオストクで求めたロシア製の代物であったりする…
とにかくも…「何時でもお休み頂いて構いません」という状況になろうとしている…明朝も…早くから活動するような感じであろう…
考えてみると、島根県に足を踏み入れたのは「初めて」だと思う…「だから?」という話しにもなろうが、何にでも「初めて」は在って、記憶に残る…或いは「記憶に留めたい」という側面も在るのかもしれない…
夜行列車の中で6月2日を迎え、列車が到着してから直ちに動き回り、結局は「松江に泊まって明日以降のことでも考えて備えよう」ということにした訳だ…
昨夜…午後10時台に東京、横浜から西へ進む<サンライズ出雲>に横浜から乗車した…浅いような、深いような、何度も眼が開く、意識が覚めるような車中の睡眠だった…やや窮屈な個室寝台の<ソロ>なるもの…悪くない…計14輛もの長大な編成の列車は東海道線と山陽線を走る…少し明るめになっていた頃に眼を開けるとm大阪、神戸、明石辺りを駆け抜けていたのが判った…岡山で少し長く停まり、前半の7輛を切り離し、それが四国上陸を目指して出発するのを見送ると、残る7輛は山陰地域を目指して伯備線に入る…新見から先は1時間程も停車が無く、米子に至って山陰線に入り込んで、そのまま西へ進み、松江を経て出雲市駅に至る…12時間弱の旅だ…
こういう運行時間の、「本格的!!」な感じがする夜行列車…最後に乗ったのは2012年の<日本海>だった…それ以前は<北斗星>にも乗車した経過が在ったが…時には好いように思った…現在、普通にJRの各駅に開設されている<みどりの窓口>で駅員さんに尋ねて普通に切符を求めて乗車可能な夜行列車は、この<サンライズ>しか動いていない…西日本へ出ようと、「岡山まで<サンライズ>?」と考えたことは少し前にも在ったのだが、人気が高いので寝台は取れずに諦めた…今般は横浜駅で尋ねるとアッサリと取ることが叶ったのだ!!
ただ…これに乗る場合は、稚内から旭川へ向かう列車や札幌へ向かうバスに乗る場面のように「車中での飲物」を乗車前に求めておくというのを忘れない方が好いかもしれない…食堂車や車内販売は皆無だ…それでも飲料の自販機は在るが…
<サンライズ出雲>が到着する出雲市駅…街の中心であるようだが…訪ねてみたかった出雲大社からはやや離れている…「バスを使う」という話しも聞くが…敢えてローカル私鉄の一畑電車を利用してみた。これがなかなかに味わい深い…
一畑電車を利用して出雲大社を訪ね、そこから松江市内に移動し、松江城を訪ねた。松江城を訪ねる直前、駅の待合室でノートパソコンを広げ、ネットで松江の宿を予約したという次第だ…
松江城の天守閣は…「“本物”の迫力」が感じられた…江戸時代の建築がそのまま残って伝えられるという貴重なモノだが、黒い板を外壁に貼った個性的な外観でもある…
その後…レザーの腕時計のバンドが何やら傷み、金具も何時の間にか取れそうな妙な状況になったので…松江駅に近い商業施設を訪ね、テナントの時計店で黒っぽいメタルのバンドを求めて、店主のおっちゃんに着けて頂いた。大事に使おう…時計本体はウラジオストクで求めたロシア製の代物であったりする…
とにかくも…「何時でもお休み頂いて構いません」という状況になろうとしている…明朝も…早くから活動するような感じであろう…
運行日誌(2019.06.01)
月が改まった日の朝…稚内は雨交じりだった…
>>雨交じりの早朝…:稚内港北防波堤ドーム(2019.06.01)
早朝は湿っていたが、雨が何時の間にか上がり、濡れていた路面も何時の間にか乾いた…「多少…雲は多い…時々陽光も射す…」という程度の天候になった…
ジーンズ穿き…半袖Tシャツ…“ジャケット”兼用という感の厚い生地のシャツ…そんな出で立ちで出発することとした…
稚内駅前からバスに乗車…稚内空港へ至り…羽田空港へ飛んだ…
羽田空港には概ね定刻に着いたが…着陸後に地下の京浜急行の駅へ辿り着くのに30分間を擁した…何やら駐機場のゴチャゴチャした場所に入り、バスで到着ロビーに移動だが…飛行機を滑走路方面へ移動させる場所と、バスが走る箇所が交差していて、無駄に長くバスが停止する…全然進まない!かなり「感じが悪い」と思った…外国から成田空港に着いた場合、預けた荷物を受け取るような面倒が無ければ、入国手続きを経て、地下の鉄道駅に至るまでに30分間も要しない場合が在る…羽田空港は、何かの手続きという程のものは無い。「バス移動」に時間が掛かり過ぎる!!
京浜急行の列車…久し振りに乗車したのだが…とりあえず横浜駅へ…横浜駅で「移動」の段取り…<みどりの窓口>で列車の券を求めようという訳だが…“夜行列車”に乗車出来る!ということになった…土曜日なので売り切れであろうと思いながら尋ねてみると…未だ切符が在ったのだ!!非常に好かった!!
“夜行列車”までの時間を利用し…横須賀に出て<三笠>の外観を眺め…横浜の<赤レンガ倉庫>辺りを散策し…余り歩き過ぎても草臥れるので、カフェで一息入れている…
>>雨交じりの早朝…:稚内港北防波堤ドーム(2019.06.01)
早朝は湿っていたが、雨が何時の間にか上がり、濡れていた路面も何時の間にか乾いた…「多少…雲は多い…時々陽光も射す…」という程度の天候になった…
ジーンズ穿き…半袖Tシャツ…“ジャケット”兼用という感の厚い生地のシャツ…そんな出で立ちで出発することとした…
稚内駅前からバスに乗車…稚内空港へ至り…羽田空港へ飛んだ…
羽田空港には概ね定刻に着いたが…着陸後に地下の京浜急行の駅へ辿り着くのに30分間を擁した…何やら駐機場のゴチャゴチャした場所に入り、バスで到着ロビーに移動だが…飛行機を滑走路方面へ移動させる場所と、バスが走る箇所が交差していて、無駄に長くバスが停止する…全然進まない!かなり「感じが悪い」と思った…外国から成田空港に着いた場合、預けた荷物を受け取るような面倒が無ければ、入国手続きを経て、地下の鉄道駅に至るまでに30分間も要しない場合が在る…羽田空港は、何かの手続きという程のものは無い。「バス移動」に時間が掛かり過ぎる!!
京浜急行の列車…久し振りに乗車したのだが…とりあえず横浜駅へ…横浜駅で「移動」の段取り…<みどりの窓口>で列車の券を求めようという訳だが…“夜行列車”に乗車出来る!ということになった…土曜日なので売り切れであろうと思いながら尋ねてみると…未だ切符が在ったのだ!!非常に好かった!!
“夜行列車”までの時間を利用し…横須賀に出て<三笠>の外観を眺め…横浜の<赤レンガ倉庫>辺りを散策し…余り歩き過ぎても草臥れるので、カフェで一息入れている…
雲に丁寧に包まれた…:上空から望んだ利尻富士(2019.06.01)
223系電車:鳳駅(2019.02.27)
↓和歌山駅から北上していた列車が、堺市内の鳳駅に着いた…下車した…
↑乗車していた列車は左側…何となく身体を伸ばしてホームに佇めば、逆方向の列車も現れた。車輌は同じ223系電車と見受けられる…
↓乗って来た列車は、大阪方面へ更に進む…間も無く発車だ…
↑何となく列車を見送っていた…
↓鳳駅で列車を下りて…大鳥大社を訪ねたのだった…
>>大鳥大社(2019.02.27)
↑乗車していた列車は左側…何となく身体を伸ばしてホームに佇めば、逆方向の列車も現れた。車輌は同じ223系電車と見受けられる…
↓乗って来た列車は、大阪方面へ更に進む…間も無く発車だ…
↑何となく列車を見送っていた…
↓鳳駅で列車を下りて…大鳥大社を訪ねたのだった…
>>大鳥大社(2019.02.27)
雨交じりの早朝…:稚内港北防波堤ドーム(2019.06.01)
何時の間にか月も改まった…「だから?」と思わないでもないが…
前夜は普段より「ほんの少し」だけ遅めに就寝したかもしれなかったが…と言って「早寝」な傾向が変わるのでもなく…日出時刻の前に眼を開けた…
窓から戸外を伺い…「多少雲が多いが…その故に“薄暗い”という程度でもなく…」と中途半端な天候のように思ったが…一寸戸外に出れば、雨交じりだった…
↓「雨交じり」としたが…その辺を一寸歩き回ることに支障も無いと見受けられる状況だったので、この場所に至った…
↑濡れた路面に、未だ“消灯”となっていない灯りと、灯りに浮かぶ稚内港北防波堤ドームの独特な形状が映り込んでいる…
何か…「水上に浮かぶ独特な形状の構造物」というようにも見えた…
↓こういう具合に眺めると、稚内港北防波堤ドームの他、「やや厚目ながら、空に微妙なトーンを描いている雲」の雰囲気も路面に映り込んでいるような気がした…
↓「雨交じり」は写真を撮るには不向き?それは否定し悪いが…それでも「雨交じり」な場面に特有な「面白さ」は在る…
毎日でも眺めるような御近所…それでも視る都度に様子は異なり、写真に収めてみるのが愉しい…
前夜は普段より「ほんの少し」だけ遅めに就寝したかもしれなかったが…と言って「早寝」な傾向が変わるのでもなく…日出時刻の前に眼を開けた…
窓から戸外を伺い…「多少雲が多いが…その故に“薄暗い”という程度でもなく…」と中途半端な天候のように思ったが…一寸戸外に出れば、雨交じりだった…
↓「雨交じり」としたが…その辺を一寸歩き回ることに支障も無いと見受けられる状況だったので、この場所に至った…
↑濡れた路面に、未だ“消灯”となっていない灯りと、灯りに浮かぶ稚内港北防波堤ドームの独特な形状が映り込んでいる…
何か…「水上に浮かぶ独特な形状の構造物」というようにも見えた…
↓こういう具合に眺めると、稚内港北防波堤ドームの他、「やや厚目ながら、空に微妙なトーンを描いている雲」の雰囲気も路面に映り込んでいるような気がした…
↓「雨交じり」は写真を撮るには不向き?それは否定し悪いが…それでも「雨交じり」な場面に特有な「面白さ」は在る…
毎日でも眺めるような御近所…それでも視る都度に様子は異なり、写真に収めてみるのが愉しい…