二の丸表御門:広島城跡(2019.06.04)

広島城…戦国時代末期、中国地方に覇を唱えた毛利一門が、本来の本拠地以上に海陸交通の便が良い場所に本拠地を求めて築いたという城…その城下町が現在の広島の礎にもなっている訳だが…

この広島城の天守閣に関して、濠の辺りに足を運んで眺めた記憶は在るのだが、近付いた経過は無かった…そこで「間近に天守閣を眺めよう」と広島城跡に足を運んだが…

↓いきなり、これに圧倒されてしまった…
04-06-2019 Hiroshima (47)
↑随所に掲出されている案内図を頼りに天守閣の在る「本丸」の手前に相当する「二の丸」に至ると、この構造物が迎えてくれた…

これは「二の丸」に築かれた<表御門>と称するモノである…中国地方に覇を唱えた毛利家の本拠地で、江戸時代にも安芸国を広く知行していた浅野家の本拠地だった訳で…「大大名の居城の門」という貫禄十分だ…

広島城に関しては…昭和20年の原爆で街が灰燼に帰してしまうまで、色々な大きな構造物が「江戸時代のまま」に残っていたそうだ…航空機の乗員が上空からの美しい眺めを愛し、広島上空を飛ぶことを楽しみにしていたという話しも何処かで読んだような記憶も在るが…近代の建築技師が建物を実測した研究資料も色々と残っているらしい…

この<表御門>は、様々な研究資料を参考にし、往時の建築技法を推定しながら復元したものであるのだという…

↓門を潜って「二の丸」に入り込み、振り返った眺めだ…
04-06-2019 Hiroshima (49)

「城」は基本的に「防衛拠点」だ…二の丸は?恐らく城に詰める大軍の一部が展開して城を囲む敵方を迎えるべく備える場所なのだろう…そんな様子を想像しながら、この辺りを歩き回った…

「稚内の真夏??」というような、やや暑い程度の好天の中で歩き、汗もかき、日焼けもした…

「勝手知った(つもり!になっている?!)他所」へ…:運行日誌(2019.06.04)

近鉄奈良駅に程近い宿に在る…

阪神の神戸三宮駅で「近鉄奈良行」の“快速急行”なる列車に乗込むと「多少馴染んでいる…」と少し大き目な「安堵感…」を抱き、途中の居眠りも交えて1時間20分程度の乗車…列車の始発から終点までだが…近鉄奈良駅に着いてみれば、「ハッキリとアウェイ」な地域であるにも拘らず、何やら「半ばホーム」と勝手に感じている…

このところ、「何となく関西方面…」という時間を設けている経過の中、何となく奈良に滞在して居心地が好く、自身の中で「奈良の“好感度”が大いに上昇」ということを受けている訳だ…別段、自身は何らかの形で奈良と縁や係わりという程のモノでもない…単純に、休暇の時間を過ごす際に居心地が何となく好いというだけのことだ…

近鉄奈良駅に至った頃…既に「もう少しで日没か?」という時間帯だった…駅の出口から視えるような場所の宿で、素早くチェックインを済ませ、とりあえず居室で寛いだ…ぼんやりとしてしまっていた間に、時間が流れてしまった…そのうち…宿の並びの店で適当に軽い夕食を摂り、居室で飲むモノを求める序に、「(滞在、立寄り地域への)感謝の納税」と勝手に呼んでいるが、煙草も求めた…そして宿の居室に早々と引揚げて、「何時でもお休み頂いて結構です…」という態勢にしてしまった…

広島の宿を出て…駅のロッカーに少し嵩張るバッグと、「暑い…」とずうっと抱えっ放しの「ジャケット兼用な感の厚地のシャツ」とを預けてしまい、身軽になって広島電鉄の1日乗車券を入手した…

広島電鉄…広島の路面電車…加えて専用軌道が敷設されていて、宮島へ向かうことも出来る…これを利用し…厳島神社と広島城、更に原爆ドームに立寄った…立寄った各所のことは、追って別に整理したい…

酷く汗もかいた中…午後に広島駅へ至り、遅めな昼食に<お好み焼き>を確り頂いた…そして東京へ向かうのだという<のぞみ>の自由席に飛び乗った…

実は昨日、新山口から広島へ新幹線で移動する際、乗車券は神戸までということにして、広島・新神戸の自由席特急券も求めてあったのだ…「とりあえず神戸に至る」ということであれば…私の感覚なら「随意に各方向へ動き回ることが出来る」というように感じる訳だ…

その「神戸に至る」という展開の中…「神戸なら…真直ぐ奈良に出る手段も…」と思い至り、奈良に宿を求めた訳だ…

「乗物好き」な部類である私にとっては、「様々な交通手段を駆使した移動」というのも「お楽しみ」である…(世の中には“手段”が“目的”に摩り替わってしまうというような例が多く、それが「世の中を悪くしている!!」と憤りを覚えることも多いのだが…「乗物好き」が「交通手段」を「愉しもう!!」と「半ば目的」にしてしまう程度のことは…然程の害悪でもなかろう…)「お楽しみ」とは言え…今般は…或いは今般“も”ということになろうが…随分と動いた…

今般の経路を振り返ると…稚内→東京→横浜・横須賀→出雲・松江→萩→新山口→広島→神戸→奈良…である…

何か…天候には恵まれている…鏡を何気なく視れば…「赤いお顔の右大臣♪」と『ひな祭り』の歌の一節が頭に浮かんで―頭の中で鳴っているのは、サハリンから稚内にやって来た<ルースキー・テーレム>が歌っていたヴァージョン…―苦笑が漏れる…顔が日焼けした…

こうして「勝手知った(つもり!になっている?!)他所」へ至った訳だ…

<みなとみらい>の夕景…(2019.06.01)

夜行列車に乗車するまでの間…とりあえず横須賀を訪ねてみてから横浜に戻り、少し辺りを散策しながら寛ぐということにした…

↓陽が沈むような按配の時間帯に、桜木町駅に至って辺りを歩き始めると、こういう光景に出くわした…
01-06-2019 Yokohama (5)
↑大きな建物が林立するウォーターフロント…何時の間にか「横浜らしい(?)」という景観になっている<みなとみらい>だ…

橋の上から眺めたのだったが…三脚とカメラを用意している写真愛好家も存外に視掛けた場所だった…

かなり…久し振りに立寄った感の地区だった…

「面白きこともなき世を面白く」(2019.06.03)

↓広島の宿で、求めたばかりの新しいTシャツを広げた…Tシャツの背中…
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↑「面白きこともなき世を面白く」というのは…かの高杉晋作の言葉であるという…

「面白きこともなき世を面白く」というのは?何か「面白くないから自身で面白くしてみよう!」というようにも受け止め得るかもしれないが…寧ろ「気持ちの持ちようで“面白くなき”も“面白く”なるのかもしれない…」ということであるような感だ…

この際…自身としてはどちらでも構わない…何か酷く気に入ってしまった…

↓正面はこういう感じ…指月山が在る萩のイメージ…左側に高杉晋作が佇んでいる…
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萩の<萩博物館>の中に在ったショップで求めた代物…早速、今日から使おう…

動き回っている地区は…20℃を超え、日中は25℃にも届いている感だ…稚内では“夏”という様相だ…

<久坂玄瑞進撃像>:萩(2019.06.03)

↓「戦の支度」という様子の像である…
03-06-2019 Hagi, Yamaguchi pref (82)
↑「進め!」と号令を掛けているような感じだ…

これは…吉田松陰の「憂国の激情」とでもいうようなモノを受継いだ“後継者”という存在感で、彼の妹の夫となったことから“義弟”であった久坂玄瑞の像だ…

像は<蛤御門の変>の際に、長州勢の一翼を率いて戦闘に臨んだ場面をイメージしたのであろう…

↓こういう具合に佇んでいる…
03-06-2019 Hagi, Yamaguchi pref (81)

久坂玄瑞は、思想家、政治家であって…軍事行動の指揮官という感でもなかったのかもしれないが…<蛤御門の変>の際、討死してしまっている…

↓萩への訪問を「後押し」する結果となった、最近読了した小説がこちらである…
>>『風の如く』

<高杉晋作立志像>:萩(2019.06.03)

↓凛々しい青年武士という感の像である…
03-06-2019 Hagi, Yamaguchi pref (47)

「毛利家御用達」で有力だったという商人、菊屋が店と邸宅を構えていたという辺り、<菊屋横丁>に在った家で生まれ育ったという高杉晋作をイメージした像だ…

↓こういう具合に広場に佇んでいる…
03-06-2019 Hagi, Yamaguchi pref (46)

「激動の時代を豪快に駆け抜けた」というイメージの高杉晋作…人気が高い史上の人物であるようだ…

東萩駅に到着した後…松陰神社から<菊屋横丁>まで歩いたが…吉田松陰を慕って<松下村塾>を訪ねていたという高杉晋作が帰宅するような時に歩いたかもしれない経路を歩いてみたことになる…「静か(!?)」な萩の街は、「本当に江戸時代位の街路が殆どそのまま舗装道路化?」というような場所だった…

↓萩への訪問を「後押し」する結果となった、最近読了した小説がこちらである…
>>『風の如く』