<ラピート>:なんば駅(2019.06.07)

↓南海なんば駅で、この列車が停車していると…急いでいるとか、酷く込み合っているということでもない限り、一寸近寄って眺めてみたくなる…特段に乗車するでもなくても「一寸視たい…」と思わせてくれる…
07-06-2019 Osaka (18)
↑このなんば駅と関西空港駅との間を往来する特急列車<ラピート>だ…

この独特なデザインの車輌…関西空港が開業した頃に登場しているので、既に相当な事実を経ているが…現在でも「斬新な感じ…」は変わらない…

雨天…:今宮戎神社(2019.06.07)

通天閣の足下辺り…<新世界>と呼ばれるエリアで“串カツ”の店に寄ってみれば、商売繁盛を願う神社の縁起物がさり気なく飾られていた…今宮戎神社のモノだった…

お店の方によれば「この辺で商売やっている者は皆が“えべっさん”に…」ということであったが、通天閣の傍には今宮戎神社に因むらしい「恵美須町」という住所さえ在り、「地域の人達の篤い信心の対象でもある場」という今宮戎神社が酷く気になった…

その今宮戎神社に寄ってみようと考えて休んだ夜の翌朝…辺りは雨だった…多少の雨なら「使っても…濡れてしまう…」と傘は使わないのだが…かなり激しい感じだったので、宿のフロントで売っていた300円の傘を求めて、それを使いながら戸外へ出てみた…

↓雨に負けずに歩き、今宮戎神社に至った…
07-06-2019 Osaka (8)
↑写真に撮って…「降っている雨」が「判る」という程度である…

この時は「防滴仕様」が謳われているでもないX100Fを使った。カメラ全体をスッポリと包むレザーケースに入れた状態で提げて持ち歩き、撮影時に素早く開いて写真を撮る…そういうやり方で写真を撮った…

↓建物の屋根や境内の地面が酷く濡れている…
07-06-2019 Osaka (11)
↑これは偶々在った軒の辺りで撮った画だ…

何となく…「雨にも負けずに、地元の皆さんに愛される“えべっさん”に会いに来ることが叶ったことに感謝…」という気持ちになった…

御霊神社:奈良(2019.06.05)

京終駅の駅前に掲出された案内図を視て、<ならまち>と呼びならわされているエリアを目指した歩いた…

「古くからの住宅街」というような趣な街で、何かの配達のような車輌が停まっていて、ドライバーが作業をしている様子が見受けられた…

↓そういう中、最初は停車中の車輌の陰で判り悪かったが、忽然と鳥居が現れた…
05-06-2019 Nara vol01 (25)
↑「神社?」と注目した…<御霊神社>(ごりょうじんじゃ)と鳥居に額が掲げられている…

↓鳥居の脇に「桓武天皇勅願所」と在る…
05-06-2019 Nara vol01 (28)
↑“桓武天皇”と言えば、平城京から長岡京への遷都を計画し、それの進捗が捗々しくなかったことから改めて平安京に遷都したことで知られる、8世紀末に活躍した人物である…その名が掲げられている?相当に古くからの社であることが伺える…

800(延暦19)年に「御霊会」(ごりょうえ)という祭事が催されたことを社の起こりとしているようだ…1200年余りの歴史を有することとなる…

「御霊」(ごりょう)というのは、思いがけない最期を遂げた、「不慮の死」で他界した者の霊魂である。「御霊」という言葉そのものは「死者の霊魂」を指す一般的な語であったものが、「死霊=怨霊」という意味になり、その「祟り」を恐れて祭事を行うようになった。それが「御霊会」(ごりょうえ)であるという。

この御霊神社には、井上皇后(いがみこうごう)、早良親王(さわらしんのう)、他戸親王(おさべしんのう)、伊豫親王(いよしんのう)、藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)、橘逸勢(たちばなのはやなり)と、「御霊」とされた人々が祀られている…

↓然程広くない敷地に、1200年余りの歴史を有する神社…敷地が狭いことに多少驚いたが、同時に「さり気なくこういうモノが辺りに在る」ということが“古都”らしい感じである…
05-06-2019 Nara vol01 (26)

吉田松陰の旧宅と<松下村塾>:萩(2019.06.03)

東萩駅に列車で辿り着き、駅の中に観光案内所が在ったので地図を頂き、早速に辺りを歩き始めた。

<松陰神社>が東萩駅に近い…辺りは、江戸時代には城下町をちょっと外れた村だった場所だ…

↓これは吉田松陰が地元に戻されて、外出禁止ということになって「幽囚」という状況で住んでいたという家である…
03-06-2019 Hagi, Yamaguchi pref (12)
↑御本人の父親の家であったそうだ…

↓それほど広いとも思えない家だが、当時の住宅はこういうような感じだったのであろう…
03-06-2019 Hagi, Yamaguchi pref (17)

↓日中が開いていて、外から屋内の様子を伺うことが出来る…
03-06-2019 Hagi, Yamaguchi pref (14)

吉田松陰はこの旧宅で学問を講じた訳だが、なかなかに魅力的な教育者で、広く門戸を開いて学ぶ意欲が在る者を迎えていたことから、集まる人達で手狭な状態になってしまった…

↓手狭になってしまったことを受けて、直ぐ横に建物を建てた…その建物が<松下村塾>となったのだ…
03-06-2019 Hagi, Yamaguchi pref (20)

↓最近読んだ小説で<松下村塾>が登場するので、少し興味を覚えたのだった…
>>『風の如く』

松陰神社:萩(2019.06.03)

1890(明治23)年に、吉田松陰の門下であった人達等、所縁の在る人達が傷んでいた<松下村塾>の建物を補修した際、吉田松陰を祀る祠を設けたのだという。その祠に祈る人達も多く在った中、1907(明治40)年に「私的な祠ではなく、公の神社に」ということで山口県に創建の旨が請願された。そして登場したのが<松陰神社>である。

↓境内の入口である…
03-06-2019 Hagi, Yamaguchi pref (3)

↓社殿の手前だ…
03-06-2019 Hagi, Yamaguchi pref (5)

↓社殿は、1940年代前半に新たなモノを建てて遷座を計画したものの戦時の状況でそれが実現せず、戦後になって更に新しい社殿に手を入れて1956(昭和31)年に遷座したのだという。それが現在のこの社殿だ…
03-06-2019 Hagi, Yamaguchi pref (6)
↑多くの皆さんの強い想いを受けたような、なかなかに立派な社殿だった…

↓社殿の脇に据えられた狛犬が、少し重厚な感じだった…
03-06-2019 Hagi, Yamaguchi pref (7)

この場所…吉田松陰の、地元での「巨大な存在感」を実感させてくれる場所だった…

<山県有朋 公>の像:萩(2019.06.03)

↓騎乗姿の軍人…なかなかに立派な像が在った…
03-06-2019 Hagi, Yamaguchi pref (85)

↓かの山県有朋の像だった…
03-06-2019 Hagi, Yamaguchi pref (84)

↓彼もまた「総理大臣経験者」ということになる…
03-06-2019 Hagi, Yamaguchi pref (86)

この山県有朋に関しては、京都で彼が使っていたという別荘の跡―自身の家と、意外に風流人だった彼が“こだわり”で設えた庭、そして元老であった彼を訪ねる人を迎えた接客用の小さな洋館が在る…―に立寄ったことが在った…

萩は、過去に活躍した人物を多く輩出している経過が在る…そういう関係で「人物の像」が多い街であるような気がした。