「14輌」というような次元の列車?近年は余り聞かないような気がする…
夜の10時に東京駅を出発して西へ向かう夜行列車がこの「14輌」という長大な編成で走る…これに乗車した訳だ…
岡山駅到着を前に、「7号車と8号車の間の扉を閉鎖するので行き来が出来なくなる」という旨の車内案内が流れる…
↓岡山駅のホームで、こういうような様子が見られる…
↑左が「7号車」で右が「8号車」である。
↓「7号車」までと、「8号車」以降とが切り離された…
↑「14輌」であった列車は「7輌」の列車が2本という体裁になった…
「7号車まで」は<サンライズ瀬戸>と名乗って、橋を渡って四国へ上陸する…「8号車」以降は<サンライズ出雲>と名乗って、伯備線を通って日本海側に進む、山陰線を西へ向かう…
↓<サンライズ瀬戸>が少し先に発車する…それを見送った後、<サンライズ出雲>に乗り込んだ…
こういうような…何となく「浪漫溢れる…」という列車…もう少し色々と在れば好いとも思うのだが…今般は<サンライズ出雲>に乗って旅が出来て非常に好かった!
「ソロ」…:<サンライズ出雲>車内…(2019.06.01)
一度乗車してみたかった<サンライズ出雲>…横浜駅の窓口でアッサリと「ソロ」と呼ばれる寝台を確保することが出来、乗車してみることにした…
↓横浜駅から乗車すれば…「個室」の扉が並んでいる通路に出る。自身の券に記載の番号の扉を開けると、こういう具合に見えた…
↑低い位置で、車輌の側面側の壁に沿うような形で寝台が据えられている。画の右が進行方向だった…
↓姿勢を低くしてみると、寝台の奥も見えた…
↑画の右に妙な「出っ張り」が在るのだが…これは隣の寝台が「2階」になっているが故に在るモノだ…
「ソロ」というのは、1人用の最も狭い個室で、「下段の部屋」と「上段の部屋」の入口扉が相互に通路に並んでいる訳だ…外に出る場合、何やら“暗証番号”を設定して扉を施錠可能なようになっていた。使い心地は好かった…
立ち上がる場合には、入口側に身体を寄せて立ち上がるという感じだ…圧迫感は無いが、寝台に陣取れば何となく「2段ベットの下段」という空間の感覚ではある…
入口辺りに荷物を置く等して、少し幅が狭い寝台に横たわって、ゆったりと乗車していた…幅が然程広くない箇所に身体を横たえると、何となく“カプセル”のようなモノにでも身体が収まっているような、少し不思議な感じもした…
これも何度か思い立って、なかなか券を確保出来なかったものが、念願叶って乗車出来たということになるが…是非また乗ってみたいものだ…
↓横浜駅から乗車すれば…「個室」の扉が並んでいる通路に出る。自身の券に記載の番号の扉を開けると、こういう具合に見えた…
↑低い位置で、車輌の側面側の壁に沿うような形で寝台が据えられている。画の右が進行方向だった…
↓姿勢を低くしてみると、寝台の奥も見えた…
↑画の右に妙な「出っ張り」が在るのだが…これは隣の寝台が「2階」になっているが故に在るモノだ…
「ソロ」というのは、1人用の最も狭い個室で、「下段の部屋」と「上段の部屋」の入口扉が相互に通路に並んでいる訳だ…外に出る場合、何やら“暗証番号”を設定して扉を施錠可能なようになっていた。使い心地は好かった…
立ち上がる場合には、入口側に身体を寄せて立ち上がるという感じだ…圧迫感は無いが、寝台に陣取れば何となく「2段ベットの下段」という空間の感覚ではある…
入口辺りに荷物を置く等して、少し幅が狭い寝台に横たわって、ゆったりと乗車していた…幅が然程広くない箇所に身体を横たえると、何となく“カプセル”のようなモノにでも身体が収まっているような、少し不思議な感じもした…
これも何度か思い立って、なかなか券を確保出来なかったものが、念願叶って乗車出来たということになるが…是非また乗ってみたいものだ…
<サンライズ出雲>:横浜駅…(2019.06.01)
東京駅を出発した列車が東海道線を進み、横浜駅発車の時刻の1分前か2分前程度に現れる…というように思って<サンライズ出雲>の登場を待ち望み、発車まで15分を切ったような頃にホームに出た…
横浜駅…東海道線…忙しそうだ…夜10時を過ぎているが、3分や5分に1本という頻度で、熱海や小田原等に向かう各種の列車が発着していた…
↓漸く…こういう具合に<サンライズ出雲>が現れる旨が掲出された…「寝特」と在る。「寝台特急」だ!
↓いよいよ列車が入って来た!
↓東海道線では、長大な編成の列車は然程珍しくもないが…それでも14輌は少し壮観である…
長い編成で、長い時間、長距離を走り抜く列車に乗車する旅…何か「郷愁」のようなモノが沸き起こる感だ…
横浜駅…東海道線…忙しそうだ…夜10時を過ぎているが、3分や5分に1本という頻度で、熱海や小田原等に向かう各種の列車が発着していた…
↓漸く…こういう具合に<サンライズ出雲>が現れる旨が掲出された…「寝特」と在る。「寝台特急」だ!
↓いよいよ列車が入って来た!
↓東海道線では、長大な編成の列車は然程珍しくもないが…それでも14輌は少し壮観である…
長い編成で、長い時間、長距離を走り抜く列車に乗車する旅…何か「郷愁」のようなモノが沸き起こる感だ…
<1908>:広島電鉄1900形電車:広島の路面電車(2019.06.04)
大元宮(だいげんぐう):吉田神社(2019.06.06)
かの京都大学の近くに吉田神社という社が在って…ここの宮司の吉田家で、密教、儒教、陰陽道、道教等の様々な要素を取り込んだ<吉田神道>というモノを考えていて…参詣すると「八百万の神々」の全てに参詣したことになるのだという<大元宮>というモノが在るのだと聞いていた…
この<大元宮>が気になり、吉田神社へ立寄ることを長く考えていて、なかなか実現出来ずに居た…この程、奈良から大阪へ移動する際に、酷く遠回りでもあるが、京都を巡ることにして、この吉田神社を訪ねた…
近鉄奈良から京都へ向かう近鉄の列車に乗り、丹波橋で京阪の列車に乗り換えて出町柳へ向かう。そこから京都大学、その少し先の吉田神社は然程遠くは無い…
↓これがその大元宮である…
↑八角形の独特な建物だ。古くは吉田家の私邸に在ったモノを、ここに色々と祀ることで<大元宮>を設えた訳だ…
<吉田神道>の考え方では…「日本の神々こそが唐や天竺では仏の姿を借りて姿を現したのだ」とする思想で、所謂「本地垂迹説」とは逆な考え方で「唯一神道」と呼ばれるものであるという…
↓近くへ行けば、こういう具合に塀で囲われていて、独特な形の建物は門の辺りから覗き込んで見せて頂いた訳だ…
↓この日はよく晴れていて、何となく「夏のような…」という感であった。
然程大きくはない、少し独特な形をした社で…「八百万の神々」と見えることが叶ったであろうか?何となく面白い感じだった…
この<大元宮>が気になり、吉田神社へ立寄ることを長く考えていて、なかなか実現出来ずに居た…この程、奈良から大阪へ移動する際に、酷く遠回りでもあるが、京都を巡ることにして、この吉田神社を訪ねた…
近鉄奈良から京都へ向かう近鉄の列車に乗り、丹波橋で京阪の列車に乗り換えて出町柳へ向かう。そこから京都大学、その少し先の吉田神社は然程遠くは無い…
↓これがその大元宮である…
↑八角形の独特な建物だ。古くは吉田家の私邸に在ったモノを、ここに色々と祀ることで<大元宮>を設えた訳だ…
<吉田神道>の考え方では…「日本の神々こそが唐や天竺では仏の姿を借りて姿を現したのだ」とする思想で、所謂「本地垂迹説」とは逆な考え方で「唯一神道」と呼ばれるものであるという…
↓近くへ行けば、こういう具合に塀で囲われていて、独特な形の建物は門の辺りから覗き込んで見せて頂いた訳だ…
↓この日はよく晴れていて、何となく「夏のような…」という感であった。
然程大きくはない、少し独特な形をした社で…「八百万の神々」と見えることが叶ったであろうか?何となく面白い感じだった…
“たこ焼き”の串カツ…?!(2019.06.06)
大阪の通天閣の足下という感じの<新世界>エリアに宿を求めて滞在し…夕刻に辺りに出て軽く夕食を愉しむことにした…
↓何となく覗いた串カツの店に立ち寄った…
↑右から3本…鶏肉、牛肉、豚肉と「極々当たり前」な串カツで美味しく頂いたが…左端の「丸いモノ」は、少し“変わり種”ということになるのかもしれない…
この「丸いモノ」は…メニューに在るのを視て「これは?どういう感じ?」とお店の方に尋ねてしまったのだったが、「普通に粉を点けて揚げますよ。串カツですから…」ということだった。これは「“たこ焼き”の串カツ」である!
「ここは串カツ屋ですから…そのままたこ焼きを出すのも如何かと…」というような話しも在ったが、これは不思議な感じだった。本当に普通のたこ焼きを串に刺して粉を点けて揚げている。何となく…「揚げシュウマイの一種?」というような感も覚えた…
近年、串カツの人気が高いようで、大阪で、殊に<新世界>の辺りは串カツの店が極めて多い…中には、こういう「変わった?」ことをやっている店も在る…
↓何となく覗いた串カツの店に立ち寄った…
↑右から3本…鶏肉、牛肉、豚肉と「極々当たり前」な串カツで美味しく頂いたが…左端の「丸いモノ」は、少し“変わり種”ということになるのかもしれない…
この「丸いモノ」は…メニューに在るのを視て「これは?どういう感じ?」とお店の方に尋ねてしまったのだったが、「普通に粉を点けて揚げますよ。串カツですから…」ということだった。これは「“たこ焼き”の串カツ」である!
「ここは串カツ屋ですから…そのままたこ焼きを出すのも如何かと…」というような話しも在ったが、これは不思議な感じだった。本当に普通のたこ焼きを串に刺して粉を点けて揚げている。何となく…「揚げシュウマイの一種?」というような感も覚えた…
近年、串カツの人気が高いようで、大阪で、殊に<新世界>の辺りは串カツの店が極めて多い…中には、こういう「変わった?」ことをやっている店も在る…
<名古屋コーチン 親子丼>(2019.06.08)
中部国際空港へ出て、新千歳空港へ飛ぶフライトを利用しようとしていたが…名古屋駅に在った…
名鉄の列車で空港へ出る前にランチタイムということにした…
名古屋駅…あの巨大な建物の中には、ランチを頂くことが出来るような店は、数え切れないかもしれない程度に在りそうで…少しフラフラしてみた…ランチの「ピーク」というような時間帯は過ぎていたように思ったが、多少「店の前に並んでいる」というのも散見した…で、「直ぐに1人入って、食事を御願い出来そうな感じ…」の店が在って、そこに入った…
↓こういうモノを頂いた…
↑鶏肉と卵の親子丼であるが…“名古屋コーチン”の肉だという…
“名古屋コーチン”?これは明治時代から登場している鶏の品種で、卵も肉も利用される種類であるという。色々と盛衰は在ったようだが、現在では主に愛知県と近隣で飼育されているのだそうだ…
↓これは、「歯応えの在る“鶏肉らしい!!”という感」だった肉と、トロトロの卵の組み合わせで、実に好かった!!
名古屋に寄って、“名古屋”の名を関する少し知られた食材を使ったポピュラーなメニューを…こういうのも悪くない…
名鉄の列車で空港へ出る前にランチタイムということにした…
名古屋駅…あの巨大な建物の中には、ランチを頂くことが出来るような店は、数え切れないかもしれない程度に在りそうで…少しフラフラしてみた…ランチの「ピーク」というような時間帯は過ぎていたように思ったが、多少「店の前に並んでいる」というのも散見した…で、「直ぐに1人入って、食事を御願い出来そうな感じ…」の店が在って、そこに入った…
↓こういうモノを頂いた…
↑鶏肉と卵の親子丼であるが…“名古屋コーチン”の肉だという…
“名古屋コーチン”?これは明治時代から登場している鶏の品種で、卵も肉も利用される種類であるという。色々と盛衰は在ったようだが、現在では主に愛知県と近隣で飼育されているのだそうだ…
↓これは、「歯応えの在る“鶏肉らしい!!”という感」だった肉と、トロトロの卵の組み合わせで、実に好かった!!
名古屋に寄って、“名古屋”の名を関する少し知られた食材を使ったポピュラーなメニューを…こういうのも悪くない…
<インディギルカ号遭難者記念碑>:猿払村(2019.06.15)
稚内の市街から海岸の道を東へ進み、宗谷岬に至ってから更に進んで、オホーツク海岸を南下すると、稚内市の隣である猿払村に至る…
↓オホーツク海を望む高台の上…道路の脇になる辺りに記念碑が据えられている…
↓近付くと、一寸大きい独特な形の記念碑であることが判る…
↓ロシア語と日本語で、この記念碑の来歴が刻まれたプレートが据えられている…
1939年12月、この猿払村でソ連の船<インディギルカ>が座礁事故を起こしてしまった。千人を超える人達が乗っていた様子で死傷者が発生している状況の中、地元の人達が必死に救難に携わったという出来事が在った。それを伝え、犠牲者を慰霊するという記念碑である。
<インディギルカ>に関しては「カムチャッカとウラジオストクとの間を航海していた」ということになっているようだが、船の航行や乗っていた人達に関する詳しい事情は「よく判らない?」という面も在るようだ…(その辺りを詳しく研究したものを纏めた本も在るようだ…)が、「大勢の人が困っている海難事故」と、救難作業に従事することが危険である場合さえ考えられる中、危険を顧みずに必死に助けようとした挿話である…
記念碑は、水温が低めなオホーツク海を望みながら、無言で史実を伝えてくれていた…
↓オホーツク海を望む高台の上…道路の脇になる辺りに記念碑が据えられている…
↓近付くと、一寸大きい独特な形の記念碑であることが判る…
↓ロシア語と日本語で、この記念碑の来歴が刻まれたプレートが据えられている…
1939年12月、この猿払村でソ連の船<インディギルカ>が座礁事故を起こしてしまった。千人を超える人達が乗っていた様子で死傷者が発生している状況の中、地元の人達が必死に救難に携わったという出来事が在った。それを伝え、犠牲者を慰霊するという記念碑である。
<インディギルカ>に関しては「カムチャッカとウラジオストクとの間を航海していた」ということになっているようだが、船の航行や乗っていた人達に関する詳しい事情は「よく判らない?」という面も在るようだ…(その辺りを詳しく研究したものを纏めた本も在るようだ…)が、「大勢の人が困っている海難事故」と、救難作業に従事することが危険である場合さえ考えられる中、危険を顧みずに必死に助けようとした挿話である…
記念碑は、水温が低めなオホーツク海を望みながら、無言で史実を伝えてくれていた…