素戔嗚神社(すさのおじんじゃ):甲子園(2019.06.07)

↓色々な街に在る、然程規模が大きいでもない社という具合に見える場所だが…
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↓<阪神甲子園球場>の「真裏!!」に在る社だ…
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↑社殿の直ぐ後ろの辺りに、球場の大きな照明塔が聳え立っているのが見える…

↓素戔嗚神社(すさのおじんじゃ)と言う…
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↑水害も多かったという武庫川をヤマタノオロチに見立て、それを退治したスサノオノミコトに肖り、素戔嗚神社としたらしい…17世紀後半の、辺りの村の記録にも神社が現在地に在ったとされているという…なかなかに古くからの由緒を誇る社だ…

甲子園球場の大きな敷地の周囲の道路を、敷地を一回りするような具合に歩き、球場の裏側に相当するような辺りにこの社が在る…

こちらの宮司が、甲子園球場での祭事の際には登場するのだそうだが、場所柄、高校野球の出場チーム関係者やタイガースのファンが勝利祈願をする神社としても少し知られているようだ…

↓タイガースの監督を務めていた星野仙一揮毫というモニュメントも在る…
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↑敢えて写真に収めなかったが、タイガースや野球に関連が在る絵馬も見受けられた…

水害の多い川を鎮めて村の安全を祈願する場であった経過の社だというが…何か「甲子園の守り神」、或いは球場で試合をするチームが力を発揮出来るように見守っている存在というようになっているのかもしれない…この社に立寄り、永年見てみたかった甲子園球場に無事に至ったことに関して感謝の意を表したのだった…日中は雨天であったが、夕方には確りと試合が予定どおり開催されたのも“御利益”(?)と後から思っているが…

何となく…早くも「再訪希望!」という感じな場所である…
posted by Charlie at 14:11Comment(0)兵庫県

<ラペルーズ記念碑>(2019.06.15)

外国の世界地図帳を手に「馴染んだ稚内の周辺の様子が…」というようなことを思い付いて、目次を開いて「宗谷海峡」というように調べると…「宗谷海峡」というモノが出て来ない…

地図帳のようなモノでは、「マイナーに過ぎる?」と地名が目次に出ていない場合も在るかもしれない…が、海峡が突然消える筈も無いので、頁を捲って場所を見付ける…そして少々「意外?」なことを知ることになる…

外国の世界地図帳では、「宗谷海峡」は「ラペルーズ海峡」という名で記されている…

18世紀終盤、フランスの航海家のラペルーズが世界周航を目指した際、稚内に近い辺り、サハリンやその対岸の大陸等にも例が見受けられるのだが、幾つかの場所に手近な関係者や自身が尊敬している人物の名等を冠するということをしていた。ラペルーズの一行は世界周航を成し遂げることが叶わずに消息を絶ってしまったが…一向に参加していた若者をカムチャッカで下船させ、“中間報告”ということで陸路でフランスへ帰国させた。そこでラペルーズの事績(彼の一行が廻った地域の情報等)が欧州へ伝わった訳だ…

↓宗谷岬にこういうモニュメントが据えられている…
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↑眼前の海峡が「ラペルーズ海峡」という名で知られていることを伝えている訳だ…

↓ラペルーズの出身地であるフランスのアルビの皆さん等、ラペルーズの事績を顕彰しようという人達から贈られたプレートも据えられている…
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↑2007年に据えられたモニュメントである…

稚内は、或いは「世界史と日本史とが交錯した地点」というような一面も在るのかもしれない…なかなかに面白い!

<8227>:阪神8000系電車:甲子園駅(2019.06.07)

甲子園球場を目指そうと…阪神の甲子園駅を目指した。阪神なんば線で尼崎へ出て、阪神本線の列車に乗れば、甲子園駅は直ぐだ…

↓甲子園駅で…乗って来た列車を何となく見送った…
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↑1984年に初登場し、1995年までに増備されたという8000系電車である…主に急行や特急というような優等列車で運用される車輌で、6輌固定編成であるという…

↓阪神本線の優等列車…山陽電車と相互乗り入れしている…
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↑出発する様子をぼんやりと見送った…

阪神の列車で、文字どおりに「阪神地区」を往来する…意外に好きである…
posted by Charlie at 06:41Comment(0)兵庫県

松江城天守閣…(2019.06.02)

出雲大社の辺りから、一畑電車で松江市内に入って、直ぐに松江城を訪ねてみた…一畑電車の駅は、松江の街の北寄りで、城からは然程遠くはない…

↓「松江城へやって来た…」と、何となく実感する感じの眺め…
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↓概ね真正面から見上げる感じ…
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↓少し横に回り込んでみる…
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↓やや横から見上げる感じも好い…
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この天守閣…現在のように大きなビルが幾らでも在るのとは事情が全く異なる時代に築かれたモノである…創建された時代や、その後も幕末や明治の頃位までは「相当に大きな建築」に見えたのではないかと思う…

松江城天守閣…季節や時間帯を変えて、また眺めてみたいと思った建物だ…
posted by Charlie at 00:40Comment(0)島根県

天守閣の中…:松江城(2019.06.02)

松江城というのは…関ケ原合戦の後に出雲の大名となった堀尾家が築いたという城だ…1611年に落成したという城だが…天守閣はその頃の建築なのだろうか?松江城は全国に12在るという、江戸時代の建築が伝わっている「現存天守閣」の1つだ…そして中も見学可能な訳で…「どういうような様子?」と興味津々で入館したのだった…

↓中は誰かが常時住んでいるということでもなく、戦になった場面で武士達が籠るというような場なので、大きな構造物を支える柱が剥き出しになっていて、窓の関係で意外に暗い…
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↓堅牢な階段は存外に急だ…幾つか入ったこの種の場所の中では、相対的に少し歩き易いというようには思った…
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↓最上層へ通じる辺りは、階段の感じが少し変わっていた…
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↑或いは、立場の在る人達の一行が上層階に上がるというような場面でも想定されていて、そのために設えが少し工夫されたのであろうか?

天守閣…殊に“現存天守閣”を視ると思う…恐らく江戸時代の建築完成後の100年間位に出入りした人数よりも「最近10年間の入館者累計」の方が「多い」のではないだろうか?そんな気がしないでもない…

訪ねた時、日曜日ではあったが、松江城は酷く混み合っていたというのでもなく、見学し易い感じだった…
posted by Charlie at 00:38Comment(0)島根県

「国宝指定書」:松江城(2019.06.02)

松江城の天守閣は“国宝”と聞いていたが…

↓見学しようと中へ入って…こういうモノが展示されているのを視た…
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↑正直、こういう「国宝指定書」なるモノなど、全く初めて視た…

“国宝”ということになったのが「平成27年」(2015年)…比較的新しい…故にこういうモノが展示されて、それが現在に至ったものだと思われる。

“国宝”は政府が指定するモノである訳で、考えてみればその旨を記載した「指定書」というような文書が在って然るべきなのだろうが…こうやって真正面に提示されると、少々驚く。“国宝”とされる様々なモノについて、その指定時の所管大臣の名前と日付が入ったこの種の文書が各々に在るのであろう…

何となく「意外な発見…」というように感じている…“意外”とも言い悪いのかもしれないが…
posted by Charlie at 00:30Comment(0)島根県

旭川駅のキハ40…(2019.06.13)

旭川を朝9時に発ち、午後1時前に稚内駅に着く特急列車…旭川に寄った際、稚内へ引き上げる経路・手段として自身の中では「定番」の一つになっている…

札幌からやって来て旭川に着く列車をホームで待っている時…何となく他のホームの側を振り返る…

↓キハ40が並んで停車している様子が見えた…
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↑少し年季が入ったキハ40…“国鉄時代”から永く活躍している車輌だ…

或いは…「鉄道」とか「列車」とでも聞くと、最初にぼんやりと思い浮かべるのは、このキハ40のような車輌が停まっているか、動いているという様子…かもしれない…

この型も、少しずつ運用される数が減っているようだ…何時まで見られることか?永く動き続けて欲しいものだ…