↓沿線で路面電車を眺める限り、「最も若い番号」の車輛がこの<211>であるように見受けられる…
↑この<211>は1958年に登場している…既に“還暦”だ…
この車輛…屋根の上の集電装置が新しい「シングルアーム」に換装されている…路面電車はこういう感じの改造も施されながら、永い年月に亘って動き続ける訳だ…
<243>:幌南小学校前停留所付近:札幌の路面電車(2019.08.31)
<紀伊國屋書店>のカバー…一杯の珈琲…(2019.08.30)
<Peace>…(2019.08.30)
蒼空と高層建築…:<ホテルエミシア札幌>(2019.08.30)
廊下…(2019.08.30)
ウラジオストク空港の<オーロラ航空>の機体…(2019.03.30)
夕刻の<京都タワー>…(2019.02.25)
<一日乗車乗船券>:広島電鉄(2019.06.04)
↓広島でなかなかに活躍してくれたモノだ…
<一日乗車乗船券>は、広島の街を行き交う路面電車、専用軌道になっている街の西側から宮島口までの電車、加えて宮島口から宮島へのフェリーに1日中何度でも乗降可能という代物だ。料金は840円だが…広島駅等、街の中から宮島口を往復し、宮島口から船で宮島を往復すると…既に料金分程度になってしまう…安価で大変に結構!!
↓利用する日付をスクラッチして、その場所を電車乗降時、フェリーの乗船時に乗務員または係員に提示するようになっている…
↑この券が在ると、宮島のロープウェーの割引料金が適用されるらしい…そちらは敢えて利用しなかったのだったが…
こういう「1日券で自在に動き回ることが出来る地区が在る街」を訪ねるのは非常に好きだ…
※ この券の写真は奈良の宿で撮ったが…広島の路面電車に深く関連する内容なので、記事は<広島県>に分類しておく…
<一日乗車乗船券>は、広島の街を行き交う路面電車、専用軌道になっている街の西側から宮島口までの電車、加えて宮島口から宮島へのフェリーに1日中何度でも乗降可能という代物だ。料金は840円だが…広島駅等、街の中から宮島口を往復し、宮島口から船で宮島を往復すると…既に料金分程度になってしまう…安価で大変に結構!!
↓利用する日付をスクラッチして、その場所を電車乗降時、フェリーの乗船時に乗務員または係員に提示するようになっている…
↑この券が在ると、宮島のロープウェーの割引料金が適用されるらしい…そちらは敢えて利用しなかったのだったが…
こういう「1日券で自在に動き回ることが出来る地区が在る街」を訪ねるのは非常に好きだ…
※ この券の写真は奈良の宿で撮ったが…広島の路面電車に深く関連する内容なので、記事は<広島県>に分類しておく…
<ピース> 50本入…(2019.06.05)
毛利輝元公像:萩城跡(2019.06.03)
↓萩城跡の一隅に、こんな像が在る…
↑何となく、礼装に身を包んだという感がする、身分が高い武士という趣きだ…
これは毛利輝元(1553-1625)の像だ…
毛利輝元は、かの毛利元就の孫である。毛利元就の後、毛利家を継いだ人物だ。
毛利輝元は毛利家の版図が最大限に拡大した頃の当主だった。広島城を築いて本拠地としていた。やがて関ヶ原の戦いに敗れて長門、周防の大名として幕藩体制の下に入るのだが、萩の城を築いて毛利家の本拠地とすることになった。そういう経過で、城と城下町の礎を築いたということでこの城跡に像が据えられるようになったようだ…
↓萩城の跡に、毛利輝元は静かに座っている…
こういうような銅像…眺めるのが意外に好きだ…
↑何となく、礼装に身を包んだという感がする、身分が高い武士という趣きだ…
これは毛利輝元(1553-1625)の像だ…
毛利輝元は、かの毛利元就の孫である。毛利元就の後、毛利家を継いだ人物だ。
毛利輝元は毛利家の版図が最大限に拡大した頃の当主だった。広島城を築いて本拠地としていた。やがて関ヶ原の戦いに敗れて長門、周防の大名として幕藩体制の下に入るのだが、萩の城を築いて毛利家の本拠地とすることになった。そういう経過で、城と城下町の礎を築いたということでこの城跡に像が据えられるようになったようだ…
↓萩城の跡に、毛利輝元は静かに座っている…
こういうような銅像…眺めるのが意外に好きだ…
<フレンチトースト>…(2019.06.01)
<Pro100Бургер>(プロスタブルゲル)の「ハンバーグ追加」…(2018.11.23)
伊藤博文の米国土産…:萩・菊屋家…(2019.06.03)
近鉄奈良駅…(2019.06.06)
↓地下に何本もの軌道が敷設されていて、方々とを結ぶ列車が発着という様子…何度かそういう様子の駅を利用して、少しばかり見慣れては来ているのだが…それでも何か不思議な感じがしてしまう…
↑近鉄奈良駅から、少し西の大和西大寺駅を経て北上し、京都駅へ向かう急行列車が在る…それを利用することにした…因みに、画の左側の軌道には、阪神なんば線に乗入れて尼崎駅へ向かう列車が待機中だ…
最近、自身の中で奈良の好感度が上昇していて、「関西方面で一寸滞在…奈良が好い?!」ということになっている。で、予め押さえた大阪の宿へ入る前の段階で、何となく奈良に滞在した…その奈良を発とうとしていた訳だ…
少しだけ時間を経て、こうやって近鉄奈良駅の画を眺めていると…また奈良に滞在してその辺を動き回るようなことをやってみたいという気分が盛り上がって来る…
↑近鉄奈良駅から、少し西の大和西大寺駅を経て北上し、京都駅へ向かう急行列車が在る…それを利用することにした…因みに、画の左側の軌道には、阪神なんば線に乗入れて尼崎駅へ向かう列車が待機中だ…
最近、自身の中で奈良の好感度が上昇していて、「関西方面で一寸滞在…奈良が好い?!」ということになっている。で、予め押さえた大阪の宿へ入る前の段階で、何となく奈良に滞在した…その奈良を発とうとしていた訳だ…
少しだけ時間を経て、こうやって近鉄奈良駅の画を眺めていると…また奈良に滞在してその辺を動き回るようなことをやってみたいという気分が盛り上がって来る…
三条駅…(2019.06.06)
733系電車:札幌駅(2019.08.12)
東京の眺望…:羽田空港周辺(2019.06.01)
このところ…時間を設けて日本国内の諸地域(=北海道以外)を訪ねようというような場合、何となく関西方面を目指す場合が多いと思う。
対して…首都圏方面は「敢えて」という程度に意識しているのでもないが、何となく「素通り」が多い。あの方面を目指して出掛けるという人が多い筈だから、私一人位が「素通り」してみようとするのも「在り…」のような気がする。そういうことで、何となく「東京辺りは少々御無沙汰?」というような按配だが、戯れに「東京?私は“出入禁止”かもしれない…」と嘯いてみる場合も在る…
少し久し振りな感じだが、羽田空港に着陸する飛行機を利用する機会が在った…
↓羽田空港周辺で、高度を下げている飛行機の窓から眺めた光景だ…
↑右側に<スカイツリー>の姿が見えて、遠くに東京の街並みが視え、手前は何やら船が動き回っている…
時には…こういう様子を何となく眺めるのも悪くないかもしれない…
対して…首都圏方面は「敢えて」という程度に意識しているのでもないが、何となく「素通り」が多い。あの方面を目指して出掛けるという人が多い筈だから、私一人位が「素通り」してみようとするのも「在り…」のような気がする。そういうことで、何となく「東京辺りは少々御無沙汰?」というような按配だが、戯れに「東京?私は“出入禁止”かもしれない…」と嘯いてみる場合も在る…
少し久し振りな感じだが、羽田空港に着陸する飛行機を利用する機会が在った…
↓羽田空港周辺で、高度を下げている飛行機の窓から眺めた光景だ…
↑右側に<スカイツリー>の姿が見えて、遠くに東京の街並みが視え、手前は何やら船が動き回っている…
時には…こういう様子を何となく眺めるのも悪くないかもしれない…
“ざんぎ”…(2019.08.10)
カマンベールチーズ…(2019.08.10)
建物の内部…:萩・菊屋家…(2019.06.03)
蒸気機関車<4-78>:<サハリン鉄道史博物館>(2018.11.02)
ユジノサハリンスクに、地元の鉄道の歴史を伝える資料館<サハリン鉄道史博物館>が在る。
ここの“野外展示”は、通の歩道から一部が視える。時々眺めたことが思い出されるのだが…
↓この蒸気機関車はフェンス越しによく視ていた…初めて“野外展示”の場所に入った際、ゆっくり眺めて写真に撮った…
↑先頭に「赤い星」が在って、如何にも「ソ連時代の古い車輛」という風情だ…
↓機関車の車体に、こんなプレートが貼られている…
↑1937年に製造された<4-78>と名付けられている車輛だ…
機関車は、幅が狭い鉱山等で用いられた軌道を走るように設計されている車輛と見受けられる。車輛の詳細な解説等は余り視掛けない…
何か「サハリンの鉄道の…」と場所や出逢った人達を思い出すような…そんな気がして来る画だ…
ここの“野外展示”は、通の歩道から一部が視える。時々眺めたことが思い出されるのだが…
↓この蒸気機関車はフェンス越しによく視ていた…初めて“野外展示”の場所に入った際、ゆっくり眺めて写真に撮った…
↑先頭に「赤い星」が在って、如何にも「ソ連時代の古い車輛」という風情だ…
↓機関車の車体に、こんなプレートが貼られている…
↑1937年に製造された<4-78>と名付けられている車輛だ…
機関車は、幅が狭い鉱山等で用いられた軌道を走るように設計されている車輛と見受けられる。車輛の詳細な解説等は余り視掛けない…
何か「サハリンの鉄道の…」と場所や出逢った人達を思い出すような…そんな気がして来る画だ…
「本陣」…:萩・菊屋家…(2019.06.03)
江戸時代以来の建物が残る場所が多いとされる萩に在って、一際そうした古いモノが残る場所の一つが<菊屋家>だと思う…
↓建物の一隅にこういう場所が在る…
↑「商家」ということではあるが、そういうようにも思い悪い、なかなかに立派な設えの部屋だ…そして縁側の向こうの庭も感じが好い…
萩の毛利家御用達ということで色々な事業に携わったという商家だった菊屋…身分が在る人達が萩に滞在する場合に利用する「本陣」と称する宿泊所が屋敷の一部に設えられていたのだという…その「本陣」の部屋である…
↓部屋の前の庭を覗いてみた…こういうようになっていた…
↑真中辺りの大きく平らな石に、身分が在る客が利用した駕籠を置いたというような話しも在るようだ…
こういう古くからのモノが多く残る場所…訪ねて興味深い訳だが、記憶に残り、多少の時間を経ても写真を引っ張り出してみたくなる…
↓建物の一隅にこういう場所が在る…
↑「商家」ということではあるが、そういうようにも思い悪い、なかなかに立派な設えの部屋だ…そして縁側の向こうの庭も感じが好い…
萩の毛利家御用達ということで色々な事業に携わったという商家だった菊屋…身分が在る人達が萩に滞在する場合に利用する「本陣」と称する宿泊所が屋敷の一部に設えられていたのだという…その「本陣」の部屋である…
↓部屋の前の庭を覗いてみた…こういうようになっていた…
↑真中辺りの大きく平らな石に、身分が在る客が利用した駕籠を置いたというような話しも在るようだ…
こういう古くからのモノが多く残る場所…訪ねて興味深い訳だが、記憶に残り、多少の時間を経ても写真を引っ張り出してみたくなる…
鹿…:宮島・厳島神社の周辺…(2019.06.04)
金堂:<東寺>(2019.04.03)
少し前の写真に眼を通して、撮影した時のこと(=撮影地を訪ねた経過等…)を思い出すというようなことをしていた…
京都で<東寺>に立寄った経過が在った…
↓この建物…なかなかに貫禄が在る感だが、金堂と呼ばれる建物だ…
↑こういう幅が広い建物は、広角ズームで撮るのが好い…
この東寺の金堂…平安遷都と殆ど同時に建立されることになった東寺の中でも、最初に建築に着手されたと伝えられる、言わば「本堂」に相当する建物なのだという…
想像に難くないように、戦乱等で東寺境内の建物も「焼失と再建」というようなことが色々と在るようだが、金堂は江戸時代の最初期、17世紀初めに再建された建物が現在に伝わっているようだ…
東寺は、平安遷都と同時に「ここは寺を…」ということになって寺が起こり、以降の永い歴史を同じ場所で見詰め続けて来た存在である。そんな寺の「本堂」たる金堂は、なかなかに貫禄が在る…
こういう建物を何となく眺めるような時間…好いものだ…
京都で<東寺>に立寄った経過が在った…
↓この建物…なかなかに貫禄が在る感だが、金堂と呼ばれる建物だ…
↑こういう幅が広い建物は、広角ズームで撮るのが好い…
この東寺の金堂…平安遷都と殆ど同時に建立されることになった東寺の中でも、最初に建築に着手されたと伝えられる、言わば「本堂」に相当する建物なのだという…
想像に難くないように、戦乱等で東寺境内の建物も「焼失と再建」というようなことが色々と在るようだが、金堂は江戸時代の最初期、17世紀初めに再建された建物が現在に伝わっているようだ…
東寺は、平安遷都と同時に「ここは寺を…」ということになって寺が起こり、以降の永い歴史を同じ場所で見詰め続けて来た存在である。そんな寺の「本堂」たる金堂は、なかなかに貫禄が在る…
こういう建物を何となく眺めるような時間…好いものだ…
東寺駅…(2019.04.03)
アエロフロート機…:ユジノサハリンスク空港(2018.09.29)
<ケッセルホール>:<サッポロビール園>(2019.08.11)
軍艦が視える光景…:ウラジオストク(2018.09.30)
ウラジオストクは港の街であるが、ここを訪ねた折りに船に乗って港や街を眺める機会を設けた…そんな「海から望むウラジオストク」という様子が忘れられない…
↓ウラジオストク港、大きな橋が視える辺り等を巡る船に乗船し…一回りして乗船した辺りに戻って来るような頃合いの眺めだ…
↑ロシア海軍の<太平洋艦隊>の司令部が入っているビルが在り、その近くに艦隊の旗艦であるという巡洋艦<ヴァリャーグ>や、何隻かの軍艦が停泊している。そういう海岸の背後にウラジオストクの街が拡がる…
この時は、軍艦が視える海岸部と街の上空に鳥が待っていて、写真にはその鳥達も収まった…
ウラジオストクでこの画を撮った日から存外に時間が経っているが…「不意に出て来た未整理写真」で、こういうような思い出深い光景に「思いがけずに再会」というのも悪くない…
↓ウラジオストク港、大きな橋が視える辺り等を巡る船に乗船し…一回りして乗船した辺りに戻って来るような頃合いの眺めだ…
↑ロシア海軍の<太平洋艦隊>の司令部が入っているビルが在り、その近くに艦隊の旗艦であるという巡洋艦<ヴァリャーグ>や、何隻かの軍艦が停泊している。そういう海岸の背後にウラジオストクの街が拡がる…
この時は、軍艦が視える海岸部と街の上空に鳥が待っていて、写真にはその鳥達も収まった…
ウラジオストクでこの画を撮った日から存外に時間が経っているが…「不意に出て来た未整理写真」で、こういうような思い出深い光景に「思いがけずに再会」というのも悪くない…
マンホールの蓋:ウラジオストク(2018.09.30)
精力的に写真を撮る他方、撮ったデータの整理が中途半端になってしまったまま、何となく時日が経過する場合も見受けられる…
そういうのは、好ましくない面も在るのかもしれないが、不意に「これ!在った!」と好みの場所で撮った好みの画が出て来るのも、何となく嬉しいという場合も在る…
↓ウラジオストクで視掛けた…
↑<黄金橋>と呼んでいるが…あの巨大な橋梁のイラストが浮き彫りになっているような、マンホールの蓋だ…
橋のイラストの下には「安全で良質な道路 2018」というようなことがロシア語で書かれているのだが…実際、この大きな橋が視える交通量も多い感じな辺りの歩道で視掛けたもので、道路を管理している沿海地方政府かウラジオストク市行政府が整備に力を入れている場所なのだろう…
こういうマンホールの蓋のようなモノは、何らかの標準的なモノが在れば事足りる筈だが…ウラジオストクでも、こういう「御当地!」というモノを態々用意するようになっている訳だ…
或いは、こういうような細かい箇所に「地域の勢い」のようなモノが反映されるのかもしれない…
ウラジオストク…少し御無沙汰になって来ている…また訪ねたいものだ…
そういうのは、好ましくない面も在るのかもしれないが、不意に「これ!在った!」と好みの場所で撮った好みの画が出て来るのも、何となく嬉しいという場合も在る…
↓ウラジオストクで視掛けた…
↑<黄金橋>と呼んでいるが…あの巨大な橋梁のイラストが浮き彫りになっているような、マンホールの蓋だ…
橋のイラストの下には「安全で良質な道路 2018」というようなことがロシア語で書かれているのだが…実際、この大きな橋が視える交通量も多い感じな辺りの歩道で視掛けたもので、道路を管理している沿海地方政府かウラジオストク市行政府が整備に力を入れている場所なのだろう…
こういうマンホールの蓋のようなモノは、何らかの標準的なモノが在れば事足りる筈だが…ウラジオストクでも、こういう「御当地!」というモノを態々用意するようになっている訳だ…
或いは、こういうような細かい箇所に「地域の勢い」のようなモノが反映されるのかもしれない…
ウラジオストク…少し御無沙汰になって来ている…また訪ねたいものだ…