↓四丁目交差点で各々の方向に進む路面電車が行違っている…
↑右は手前に進んでいる「外回り」の<8502>…チョコレートの広告塗装が鮮やかだ…左は奥に進んでいる「内回り」の<211>…札幌市交通局の、現行の標準的な塗装が施された、古くからの車輌だ…
↓2輌の電車…各々に少し進んだ…
この四丁目交差点のカーブを通り抜ける際、乗降客が多目で乗降に時間を要する場合が在る他、信号待ちがやや長目で通り抜けるのに些か時間を要してしまう感の場合も見受けられる…
それはそれとして…札幌の路面電車が“循環”という方式になって以降、この四丁目交差点辺りに佇むというのが、少し愉しくなった…存外にチャンスが少ないような気がしないでもないが、この賑やかな都心で2輌の路面電車が行違う様子はなかなかに好い…
789系電車…:旭川駅(2019.09.03)
東室蘭駅を経って、苫小牧駅、岩見沢駅を経て旭川駅に至った…旭川駅でロッカーに嵩張るモノを預けながら、上川行の普通列車に乗車して東旭川駅へ向かい、<旭川神社>を訪ねようと考えていた…そして旭川駅のホームに、列車の発車までにやや間が在る時間帯に出ていた…
↓ホームの西寄り、札幌方向へ向かう列車が進んで行く方角の側の端に陣取って様子を視ていると…札幌から旭川へ向かって来る列車が目に留まった…
↑画の右寄りに在る柱の「あさひかわ」という駅名表示は、現在の駅舎が登場した際に新造されたモノと見受けられる…
↓遠くから速度に乗って現れた車輌は、駅のホームが近付く中で減速している…
↑789系電車…<ライラック>である…
↓画の右側、789系電車の<ライラック>は定位置に停車した…
↑画の左側は上川駅へ向かうディーゼルカー…キハ40で、1輌運行である…この後、これに乗車した…
↓<ライラック>として運用される789系電車の先頭車は、各編成毎に色々な地域のイメージイラストが描かれている…これは「SOYA」の文字で、宗谷岬に在る記念碑のイラストが入っている編成だった…
789系電車…旭川駅の雰囲気によく似合う車輌だ…この「SOYA」の編成は、車内を整頓して折り返し札幌行の列車となるようだ…
旭川駅で行き交う列車を眺めるのも、一寸愉しい…
↓ホームの西寄り、札幌方向へ向かう列車が進んで行く方角の側の端に陣取って様子を視ていると…札幌から旭川へ向かって来る列車が目に留まった…
↑画の右寄りに在る柱の「あさひかわ」という駅名表示は、現在の駅舎が登場した際に新造されたモノと見受けられる…
↓遠くから速度に乗って現れた車輌は、駅のホームが近付く中で減速している…
↑789系電車…<ライラック>である…
↓画の右側、789系電車の<ライラック>は定位置に停車した…
↑画の左側は上川駅へ向かうディーゼルカー…キハ40で、1輌運行である…この後、これに乗車した…
↓<ライラック>として運用される789系電車の先頭車は、各編成毎に色々な地域のイメージイラストが描かれている…これは「SOYA」の文字で、宗谷岬に在る記念碑のイラストが入っている編成だった…
789系電車…旭川駅の雰囲気によく似合う車輌だ…この「SOYA」の編成は、車内を整頓して折り返し札幌行の列車となるようだ…
旭川駅で行き交う列車を眺めるのも、一寸愉しい…
室蘭駅…(2019.09.02)
<721>:青柳町停留所付近:函館の路面電車(2019.09.02)
キハ54…:幌延駅(2019.09.04)
旭川駅を早朝に出発…途中区間で居眠りというのも入り、「気付けば…」という具合でドンドンと進んだ…旭川駅を出る際、2輌目が名寄で切り離されるので、1輌目に確りと席を占めてしまうことが必要だと思うが…
↓気付くと幌延駅だった…
↓乗っていた列車は、どういう訳か幌延駅で20分間程度も停車する…
↑乗客の多くは「一寸出て…」という感じで思い思いに過ごしている…
↓自身は…「座席に収まって居眠り…」という状態であったことから、何となくホームでフラフラとしていた…
↑「夏の終わり??」というような、やや雲が多い好天の中、キハ54が一時休止しているという感じだ…この宗谷線の音威子府以北では、普通列車は専らこのキハ54だ…
↓発車時刻が近付くので、車内の席へ向かう…
幌延駅を発てば、列車の終着となる稚内駅は1時間程度である。「もう直ぐだ!!」と、少し気分が弾む…
↓気付くと幌延駅だった…
↓乗っていた列車は、どういう訳か幌延駅で20分間程度も停車する…
↑乗客の多くは「一寸出て…」という感じで思い思いに過ごしている…
↓自身は…「座席に収まって居眠り…」という状態であったことから、何となくホームでフラフラとしていた…
↑「夏の終わり??」というような、やや雲が多い好天の中、キハ54が一時休止しているという感じだ…この宗谷線の音威子府以北では、普通列車は専らこのキハ54だ…
↓発車時刻が近付くので、車内の席へ向かう…
幌延駅を発てば、列車の終着となる稚内駅は1時間程度である。「もう直ぐだ!!」と、少し気分が弾む…
微風と暖簾と…(2019.09.13)
輝きを増す頃…:旭橋:旭川(2019.09.03)
「中秋の名月」と稚内港北防波堤ドーム…(2019.09.13)
月が輝きを増して行く頃…:旭橋:旭川(2019.09.03)
灯りが点く頃…:旭橋:旭川(2019.09.03)
「早朝の列車で稚内へ引揚げる」が「在りき…」で、夕刻までに旭川にとりあえず…何度となくやっていることだが、今般もそういう形で動き回った…
旭川では何度となく滞在している、旭川駅から遠くない、気に入っている宿に荷物を置いて一息入れた…
好天に恵まれたこの日…日が傾いて、日没時刻が近づいているような中でカメラを手に戸外へ出て、旭橋が見える辺りへ足を運んだ…
↓到着した頃はこういう様子だった…
↑相当に傾いた太陽からの光に、「川に横たわる巨艦」のような橋梁が浮かび上がるような感であった…
↓「もう少しで…日没の時刻だった…」と時計に眼を落とせば…日没時刻の寸前に灯りが点った…
日中と夜間との境目のような時間帯…それなりに多いと言い得る交通量が在る国道の一部を成す古くからの大掛かりな橋梁…暫しの間、その様子を眺めていた…
旭川では何度となく滞在している、旭川駅から遠くない、気に入っている宿に荷物を置いて一息入れた…
好天に恵まれたこの日…日が傾いて、日没時刻が近づいているような中でカメラを手に戸外へ出て、旭橋が見える辺りへ足を運んだ…
↓到着した頃はこういう様子だった…
↑相当に傾いた太陽からの光に、「川に横たわる巨艦」のような橋梁が浮かび上がるような感であった…
↓「もう少しで…日没の時刻だった…」と時計に眼を落とせば…日没時刻の寸前に灯りが点った…
日中と夜間との境目のような時間帯…それなりに多いと言い得る交通量が在る国道の一部を成す古くからの大掛かりな橋梁…暫しの間、その様子を眺めていた…
<221>:四丁目交差点のカーブ…:札幌の路面電車(2019.08.31)
<ご当地ボルタ “室蘭やきとり”>(2019.09.03)
↓東室蘭駅に見受けられる駅名看板の前で…不思議な人型(?)のキャラクターが寛いで“串モノ”のような何かを手にしている。
↑<ボルタ>というキャラクターが、室蘭の名物と言われる“室蘭やきとり”を手に寛いでいる様子だ…
東室蘭駅の土産コーナーで発見した。買い求めて、稚内の拙宅へ「連れ帰った」が、拙宅でも相変わらず東室蘭駅の看板前で“室蘭やきとり”を手に寛いでいる…“実物”を想起させる駅の看板前にキャラクターが居るのが好いが…JR北海道から許諾を受けている旨も台紙に明記している…
<ボルタ>とは?製鉄所を擁する「鉄の街」である室蘭で、ボルトやナット、ワッシャー等の鉄の部品をハンダ付けした人形である。当初は高さ15cm程度のモノを催事の際の「溶接体験」を行う材料として用意したというが、非常に好評であったことから5cm程度の小型のキャラクター人形として製作して販売するようになったのだそうだ。2005年頃から登場していて、既に「室蘭の<ボルタ>」として一定程度の知名度も在ると見受けられる…
<ボルタ>に関しては、様々なポーズのモノが在り、「音楽センスが在って、スポーツが好きな少年」というような設定らしく、楽器を演奏しているモノ、サッカーや野球等に興じているモノ等、随分色々と在る。鉄の部品をハンダ付けしているので、専ら飾っておく人形だが…なかなかに味わい深い…
“室蘭やきとり”を手に寛ぐ室蘭生まれの<ボルタ>…室蘭を訪ねた思い出と共に、大切に拙宅で飾っておきたい…
※写真そのものは旭川の宿で撮ったものだが、この記事は「室蘭の土産」という画なので、記事カテゴリ「北海道/室蘭」に分類しておきたい…
↑<ボルタ>というキャラクターが、室蘭の名物と言われる“室蘭やきとり”を手に寛いでいる様子だ…
東室蘭駅の土産コーナーで発見した。買い求めて、稚内の拙宅へ「連れ帰った」が、拙宅でも相変わらず東室蘭駅の看板前で“室蘭やきとり”を手に寛いでいる…“実物”を想起させる駅の看板前にキャラクターが居るのが好いが…JR北海道から許諾を受けている旨も台紙に明記している…
<ボルタ>とは?製鉄所を擁する「鉄の街」である室蘭で、ボルトやナット、ワッシャー等の鉄の部品をハンダ付けした人形である。当初は高さ15cm程度のモノを催事の際の「溶接体験」を行う材料として用意したというが、非常に好評であったことから5cm程度の小型のキャラクター人形として製作して販売するようになったのだそうだ。2005年頃から登場していて、既に「室蘭の<ボルタ>」として一定程度の知名度も在ると見受けられる…
<ボルタ>に関しては、様々なポーズのモノが在り、「音楽センスが在って、スポーツが好きな少年」というような設定らしく、楽器を演奏しているモノ、サッカーや野球等に興じているモノ等、随分色々と在る。鉄の部品をハンダ付けしているので、専ら飾っておく人形だが…なかなかに味わい深い…
“室蘭やきとり”を手に寛ぐ室蘭生まれの<ボルタ>…室蘭を訪ねた思い出と共に、大切に拙宅で飾っておきたい…
※写真そのものは旭川の宿で撮ったものだが、この記事は「室蘭の土産」という画なので、記事カテゴリ「北海道/室蘭」に分類しておきたい…
<相馬株式会社>:函館・大町(2019.09.02)
↓路面電車の軌道の傍に、古色蒼然という感の建物が見受けられる…
↑路面電車の、殊に少し新しい感じの車輌が通り過ぎると、何となく不思議な雰囲気を醸し出す…
↓これは<相馬株式会社>という会社の建物だ…
<相馬株式会社>は1863(文久3)年に箱館に起こった米穀店を起源としている。明治30年代に現在の社屋の辺りで活動をするようになったが、1907(明治40)年の火災で当時の社屋が焼失してしまった。そして1916(大正5)年に現在の建物が完成して現在に至っている。現在の<相馬株式会社>不動産賃貸等を主業としているそうだ…
↓大正時代位までに見受けられた土蔵造というような感じとも異なる、独特な洋館風の建物には眼を奪われる…
こういう歴史を感じさせる建物とさり気なく出くわすというのは、函館という街の少し面白い一面だと思う…
↑路面電車の、殊に少し新しい感じの車輌が通り過ぎると、何となく不思議な雰囲気を醸し出す…
↓これは<相馬株式会社>という会社の建物だ…
<相馬株式会社>は1863(文久3)年に箱館に起こった米穀店を起源としている。明治30年代に現在の社屋の辺りで活動をするようになったが、1907(明治40)年の火災で当時の社屋が焼失してしまった。そして1916(大正5)年に現在の建物が完成して現在に至っている。現在の<相馬株式会社>不動産賃貸等を主業としているそうだ…
↓大正時代位までに見受けられた土蔵造というような感じとも異なる、独特な洋館風の建物には眼を奪われる…
こういう歴史を感じさせる建物とさり気なく出くわすというのは、函館という街の少し面白い一面だと思う…
宵空…雲…灯り…:稚内港北防波堤ドーム(2019.09.12)
夕刻…辺りを何となくウロウロと…半袖Tシャツの上に薄い長袖シャツ、更に裏地が無いデニムのジャケットという服装だが、気温は20℃を少々切るような状態で、風は冷たく感じた。
そういう中、何時の間にか日没時刻を過ぎた…
↓未だ…西寄りな空からの「光の干渉」も感じられる…
↓程無く…そうした「光の干渉」が判り悪くなり…空は「ナイトブルー」を少しずつ濃くする…
↓陸側へ廻って稚内港北防波堤ドームに近付く…既に点って、少し経っている灯りの明るさは、辺りが暗さを増すに連れて輝きを増すようである…
↓「宵空」という色彩を帯びる空だが、大きく沸き上がるような雲が、何やら酷く目立つ…
↓暫し見入ってしまった光景である…
朝、少し強めな雨も交じり、やがて明るくなったが、それでも雲がやや多い一日ではあった…夕刻に至っても、その雲の多さが目立った…
思うと「夕刻にこの辺りをウロウロ」というのは、余りやらないことである…時には好い!
こうして戸外に出た序に…夕食のための道草ということにしたのだった…無事に一日が幕を下ろそうとしている…
そういう中、何時の間にか日没時刻を過ぎた…
↓未だ…西寄りな空からの「光の干渉」も感じられる…
↓程無く…そうした「光の干渉」が判り悪くなり…空は「ナイトブルー」を少しずつ濃くする…
↓陸側へ廻って稚内港北防波堤ドームに近付く…既に点って、少し経っている灯りの明るさは、辺りが暗さを増すに連れて輝きを増すようである…
↓「宵空」という色彩を帯びる空だが、大きく沸き上がるような雲が、何やら酷く目立つ…
↓暫し見入ってしまった光景である…
朝、少し強めな雨も交じり、やがて明るくなったが、それでも雲がやや多い一日ではあった…夕刻に至っても、その雲の多さが目立った…
思うと「夕刻にこの辺りをウロウロ」というのは、余りやらないことである…時には好い!
こうして戸外に出た序に…夕食のための道草ということにしたのだった…無事に一日が幕を下ろそうとしている…
<神迎える楡>(ハルニレ):旭川神社(2019.09.03)
<A1203>:幌南小学校前停留所付近:札幌の路面電車(2019.08.31)
<ラッキーピエロ>のTシャツ…(2019.09.03)
函館でよく知られたチェーン店の<ラッキーピエロ>で夕食を摂った経過が在った…
独特な華やぎが在ったあの<ラッキーピエロ>の店内に、色々な“オリジナルグッズ”が飾られていた。注文や支払を行うカウンターで、眼に留めたグッズに関して「販売しているのか??」と尋ねた。商品名や価格が判り易く示されているでもないように見えたからだ…店員さんは「販売しています!」と応じるので、求めたい旨を申し出て…「これは“函館らしい”という感の、好い土産に!」と御機嫌で宿に引揚げたのだった…
↓こういうTシャツが<ラッキーピエロ>の店内で売られていたのだ!私が着用する大き目なサイズに至るまで揃っていて、色は様々なモノが用意されているようだ…
↑ピエロがハンバーガーを手にしているかのように見えるイラストを円で囲むようなロゴマーク…そして「HAKODATE」である…
私のような…「ハンバーガーが好きなおっちゃん」には、こういうようなモノが…酷く合うかもしれない…“ラッキー”という店名の一部は“幸運”の意だからと言って、着ていて好運になるか否かは不明だが…
自身が立寄った<ラッキーピエロ>店内では、何となく飾っていて、店員さんに申し出て求めたのだが、店舗によっては少し前面に押し出して陳列しているのかもしれないが…何れにしても、常用し易い範囲の落ち着いたデザインで、函館を動き回った想い出が滲むような感じな存在感で、非常に気に入っている…或いは有名なモノか?或いは、意外に知られていないかもしれない?
※写真そのものは旭川の宿で撮ったものだが、この記事は「函館の土産」という画なので、記事カテゴリ「北海道/函館」に分類しておきたい…
独特な華やぎが在ったあの<ラッキーピエロ>の店内に、色々な“オリジナルグッズ”が飾られていた。注文や支払を行うカウンターで、眼に留めたグッズに関して「販売しているのか??」と尋ねた。商品名や価格が判り易く示されているでもないように見えたからだ…店員さんは「販売しています!」と応じるので、求めたい旨を申し出て…「これは“函館らしい”という感の、好い土産に!」と御機嫌で宿に引揚げたのだった…
↓こういうTシャツが<ラッキーピエロ>の店内で売られていたのだ!私が着用する大き目なサイズに至るまで揃っていて、色は様々なモノが用意されているようだ…
↑ピエロがハンバーガーを手にしているかのように見えるイラストを円で囲むようなロゴマーク…そして「HAKODATE」である…
私のような…「ハンバーガーが好きなおっちゃん」には、こういうようなモノが…酷く合うかもしれない…“ラッキー”という店名の一部は“幸運”の意だからと言って、着ていて好運になるか否かは不明だが…
自身が立寄った<ラッキーピエロ>店内では、何となく飾っていて、店員さんに申し出て求めたのだが、店舗によっては少し前面に押し出して陳列しているのかもしれないが…何れにしても、常用し易い範囲の落ち着いたデザインで、函館を動き回った想い出が滲むような感じな存在感で、非常に気に入っている…或いは有名なモノか?或いは、意外に知られていないかもしれない?
※写真そのものは旭川の宿で撮ったものだが、この記事は「函館の土産」という画なので、記事カテゴリ「北海道/函館」に分類しておきたい…
<太刀川家住宅店舗>…:函館・大町(2019.09.02)
路面電車の運行系統“5”の起点・終点となる<函館どつく前>停留所の手前…大町停留所の辺りに至った…
↓こんな建物が在る…
↑右側が<太刀川家住宅店舗>という建物だ。1901(明治34)年に米穀商で、廻漕業(海運)等も手掛けていたという太刀川家が店舗兼住宅として建てた、煉瓦造と土蔵造を組合わせた、独特な様式の建物である。左は1915(大正4)年に増築されて応接間等の用途に充てられたという木造の洋館である…
↓建物側に近寄ってみた…
↑なかなかに趣が在る…
↓洋館は「こんな外観の建物に住んでみたい…」というような憧れのようなモノを抱いてしまう…
以前はここにカフェが設けられていたが…建物の修繕に向けた調査等の都合で、2018年10月に閉店したそうだ…それはそれとして、こういう「往年の凝った建築」は外観を眺めるだけでも、近くを訪ねて嬉しくなる…
↓こんな建物が在る…
↑右側が<太刀川家住宅店舗>という建物だ。1901(明治34)年に米穀商で、廻漕業(海運)等も手掛けていたという太刀川家が店舗兼住宅として建てた、煉瓦造と土蔵造を組合わせた、独特な様式の建物である。左は1915(大正4)年に増築されて応接間等の用途に充てられたという木造の洋館である…
↓建物側に近寄ってみた…
↑なかなかに趣が在る…
↓洋館は「こんな外観の建物に住んでみたい…」というような憧れのようなモノを抱いてしまう…
以前はここにカフェが設けられていたが…建物の修繕に向けた調査等の都合で、2018年10月に閉店したそうだ…それはそれとして、こういう「往年の凝った建築」は外観を眺めるだけでも、近くを訪ねて嬉しくなる…
<8101>:大町…:函館の路面電車(2019.09.02)
夜の東室蘭駅に停車中のキハ40…(2019.09.02)
午前中に函館で歩き廻った後…室蘭駅と白鳥大橋との間を、往復で2時間弱も歩いた…
室蘭駅から列車で東室蘭駅へ引揚げたが、下車する際に立ち上がると「長く歩き廻った後の“典型的状況”…」というものに陥り、直ぐに歩み出し悪かったので何となく身体を伸ばしながらホームに佇んだ…
↓左の2番ホームに停車中のキハ40が室蘭駅から乗車して来た車輌…右の2番ホームに停車中のキハ40は違う方向で運行されている列車だ…
↑キハ40は何れも「日高線仕様」の塗装が施された車輌だ…夜間の照明が点いているホームで、淡い光に年季が入ったディーゼルカーが浮かび上がる感じだ…こういう風情!なかなかに好い…
東室蘭駅は、函館方面や札幌方面とを結ぶ特急列車が行き交う他方、室蘭市周辺市町村を結ぶ列車もそれなりに発着している。序に室蘭市内ということになる室蘭駅との間を行きかう列車も見受けられる。そういう“交差点”的な駅…何となく風情が在ると思う…
室蘭駅から列車で東室蘭駅へ引揚げたが、下車する際に立ち上がると「長く歩き廻った後の“典型的状況”…」というものに陥り、直ぐに歩み出し悪かったので何となく身体を伸ばしながらホームに佇んだ…
↓左の2番ホームに停車中のキハ40が室蘭駅から乗車して来た車輌…右の2番ホームに停車中のキハ40は違う方向で運行されている列車だ…
↑キハ40は何れも「日高線仕様」の塗装が施された車輌だ…夜間の照明が点いているホームで、淡い光に年季が入ったディーゼルカーが浮かび上がる感じだ…こういう風情!なかなかに好い…
東室蘭駅は、函館方面や札幌方面とを結ぶ特急列車が行き交う他方、室蘭市周辺市町村を結ぶ列車もそれなりに発着している。序に室蘭市内ということになる室蘭駅との間を行きかう列車も見受けられる。そういう“交差点”的な駅…何となく風情が在ると思う…
岩見沢神社…(2019.09.03)
函館→室蘭→苫小牧→岩見沢→旭川→稚内…というように、函館・稚内間に関して「札幌を経由しない」というようにして列車で移動した…
この移動の途次、苫小牧から岩見沢に着いた後、旭川へ向かう前に一寸寄道をした…
↓岩見沢神社という場所を訪ねてみた…
↓酷く天候が好く、何もかもが眩しいという感だった…
岩見沢駅から徒歩20分と聞いたが…往路は岩見沢駅では多く見掛けるタクシーに乗車し、復路はタクシーで走った道筋をゆっくりと歩いた…やや強く感じた日差しで弱ってしまわない程度に、適度に歩いた訳だ…
1884(明治17)年に山口県、鳥取県など12の県から移住した士族が、現在の岩見沢に暮らし始め、翌1885(明治18)年に神社を起こしている。現在地に社殿を営むようになったのは1897(明治30)年で、その社殿の上棟祭の故事に因み、9月15日に例大祭を催しているそうだ…
↓空知地方の中心的な街ということになる岩見沢…現在では寧ろ「札幌圏の北東の端」というような様相にも思えるが…北海道を、更に日本を支えた産業と共に在った、そして苦心の末に豊かな農業地域になった地域を見詰め続ける、なかなかに伝統の在る神社である…
岩見沢駅の側へ引揚げようとすれば…「ワーッショイ!ワーッショイ!」と小さな子ども達の声と判る元気な大音声が耳に入った…祭りが近いらしいので、近所の幼稚園か保育所の子ども達が神社の見学にでも順次やって来ていたのであろう…神社が地域の伝統を受け継ぐ場として幼児に至るまで親しまれているということになる。そういう様子に出くわすと、何となく頬が緩む…
この移動の途次、苫小牧から岩見沢に着いた後、旭川へ向かう前に一寸寄道をした…
↓岩見沢神社という場所を訪ねてみた…
↓酷く天候が好く、何もかもが眩しいという感だった…
岩見沢駅から徒歩20分と聞いたが…往路は岩見沢駅では多く見掛けるタクシーに乗車し、復路はタクシーで走った道筋をゆっくりと歩いた…やや強く感じた日差しで弱ってしまわない程度に、適度に歩いた訳だ…
1884(明治17)年に山口県、鳥取県など12の県から移住した士族が、現在の岩見沢に暮らし始め、翌1885(明治18)年に神社を起こしている。現在地に社殿を営むようになったのは1897(明治30)年で、その社殿の上棟祭の故事に因み、9月15日に例大祭を催しているそうだ…
↓空知地方の中心的な街ということになる岩見沢…現在では寧ろ「札幌圏の北東の端」というような様相にも思えるが…北海道を、更に日本を支えた産業と共に在った、そして苦心の末に豊かな農業地域になった地域を見詰め続ける、なかなかに伝統の在る神社である…
岩見沢駅の側へ引揚げようとすれば…「ワーッショイ!ワーッショイ!」と小さな子ども達の声と判る元気な大音声が耳に入った…祭りが近いらしいので、近所の幼稚園か保育所の子ども達が神社の見学にでも順次やって来ていたのであろう…神社が地域の伝統を受け継ぐ場として幼児に至るまで親しまれているということになる。そういう様子に出くわすと、何となく頬が緩む…
<ダブルモス野菜バーガー>…(2019.09.07)
ハンバーガーの店―稚内にも見受けられる…―で…眼に留まった何種類かの「何れを選ぶべきか?」ということになった場合…「迷った時は…全部纏めて!!」ということを随分と頻繁にやらかしていたが…「それも一寸…」と考えるようになった…そして「迷った時は…」と少し真摯に考えて、そして1つだけ選んだ…
↓野菜とハンバーグとの組み合わせが気に入っている代物である…“オーロラソース”と称するソースが点いた野菜が好い…
↓こういうような按配にして、ゆったりと店内の席を占めて、ゆっくりとした休日だった…
↑サラダやスープを頂き、徐に主役の<ダブルモス野菜バーガー>を楽しむ…
こんな「休日のやや遅い朝食」というのが非常に好きだ…
↓野菜とハンバーグとの組み合わせが気に入っている代物である…“オーロラソース”と称するソースが点いた野菜が好い…
↓こういうような按配にして、ゆったりと店内の席を占めて、ゆっくりとした休日だった…
↑サラダやスープを頂き、徐に主役の<ダブルモス野菜バーガー>を楽しむ…
こんな「休日のやや遅い朝食」というのが非常に好きだ…
<221>:幌南小学校前停留所付近:札幌の路面電車(2019.08.31)
稚内港北防波堤ドーム:夜明け前…(2019.09.11)
<函館氷>のTシャツ…(2019.09.03)
↓函館の<五稜郭タワー>館内に在る物販コーナーで見掛けて、思わず求めてしまったTシャツ…
↑<函館氷>と、渋いような、華やかなような、何となく味わい深いロゴマークが大きく背中にプリントされている…
<函館氷>というのは、五稜郭の濠の氷を切り出して売ったということに起源を有する、1871(明治4)年から1940(昭和15)年頃まで売られていた、函館の天然氷のことである。この<函館氷>は、1891(明治24)年に「内国勧業博覧会」で賞を受けたという、国内で高く評価されていたモノであったという…
五稜郭を訪ねた思い出が滲む<函館氷>のTシャツ…“氷”とプリントされていれば「多少は涼しい??」かと考え、「(稚内では)異例の中の異例…」という程度に暑くなった日に朝から着用したが…一寸歩き回れば酷い汗で…午前中には“洗濯物”のバスケットに脱ぎ捨ててしまった…
※写真そのものは旭川の宿で撮ったものだが、この記事は「函館の土産」という画なので、記事カテゴリ「北海道/函館」に分類しておきたい…
↑<函館氷>と、渋いような、華やかなような、何となく味わい深いロゴマークが大きく背中にプリントされている…
<函館氷>というのは、五稜郭の濠の氷を切り出して売ったということに起源を有する、1871(明治4)年から1940(昭和15)年頃まで売られていた、函館の天然氷のことである。この<函館氷>は、1891(明治24)年に「内国勧業博覧会」で賞を受けたという、国内で高く評価されていたモノであったという…
五稜郭を訪ねた思い出が滲む<函館氷>のTシャツ…“氷”とプリントされていれば「多少は涼しい??」かと考え、「(稚内では)異例の中の異例…」という程度に暑くなった日に朝から着用したが…一寸歩き回れば酷い汗で…午前中には“洗濯物”のバスケットに脱ぎ捨ててしまった…
※写真そのものは旭川の宿で撮ったものだが、この記事は「函館の土産」という画なので、記事カテゴリ「北海道/函館」に分類しておきたい…
<スーパー北斗>:キハ261系ディーゼルカー:函館駅(2019.09.02)
函館・東室蘭間を特急列車で移動しようとすれば…指定席が満席だということで自由席に乗車することにした…
自由席の座席を確保すべく、列車が入線して乗車可能になる時間帯を確認しようと、列車が出る1時間程前に改札口辺りで様子を伺えば…既に乗車可能という話しに…
↓未だ混み合っていない状況の中でホームに出て、車輛を眺めた…
↑宗谷線でも見受けられるキハ261系の新しいバージョン…塗装が宗谷線で視掛けるモノとはかなり異なる…8輛編成の列車で、列車の先頭になる8号車と7号車が自由席だ…
↓函館駅のホームはややきつい弧を描くようになっていて、長い編成の列車が停車していると何となく美しい…
この列車…新幹線と接続する新函館北斗駅以降は酷く混み合っていた…少し驚いた…
自由席の座席を確保すべく、列車が入線して乗車可能になる時間帯を確認しようと、列車が出る1時間程前に改札口辺りで様子を伺えば…既に乗車可能という話しに…
↓未だ混み合っていない状況の中でホームに出て、車輛を眺めた…
↑宗谷線でも見受けられるキハ261系の新しいバージョン…塗装が宗谷線で視掛けるモノとはかなり異なる…8輛編成の列車で、列車の先頭になる8号車と7号車が自由席だ…
↓函館駅のホームはややきつい弧を描くようになっていて、長い編成の列車が停車していると何となく美しい…
この列車…新幹線と接続する新函館北斗駅以降は酷く混み合っていた…少し驚いた…
東旭川駅…(2019.09.03)
旭川神社…(2019.09.03)
「旭川神社」と聞けば…旭川都心の何処かに在るような気がしないのではないが…「東旭川駅の近くに在る」と聞いて多少意外であるように思った…
東旭川駅というのは…旭川駅から北東方向、北見や網走へ延びている石北線の駅で、特急列車は停まらない。東旭川駅は旭川駅から15分程度である。
↓なかなかに立派な社殿の神社だ…
↓東旭川駅に着いて、やや広い通に出て「何処かな?旭川神社…」と思えばこの鳥居が見え、鳥居の奥に境内が広がっている…
↓社殿の額…何となく好い…
この東旭川駅の周辺…1892(明治25)年に屯田兵の村への入植が本格化した。村名は「旭川村」であった。翌1893(明治26)年に旭川神社が起こった。
1897(明治30)年に至り周辺の村を整理統合した際、「旭川村」は「永山村」に編入され、「忠類村」が「旭川村」と改称した。が、これは当の「旭川村」の関係者の承認を得たということでもなく北海道が決定した事項であった。そして「旭川村」の関係者が北海道に訴え出た…
特段に当の村関係者に承認を得たのでもなかったということで北海道は非を認めることになったものの、現在の旭川の場所を再変更するのも不都合ということになった。そこで1898(明治31)年に「東旭川」として「永山」から再分離し、旭川神社のような「旭川○○」というモノについては、「地名が発祥」という事実を伝えられるように、そのままにして差し支えないということになったのだった…
↓“旭川”の発祥の地に鎮座する旭川神社…なかなかに雰囲気が好い…
東旭川駅というのは…旭川駅から北東方向、北見や網走へ延びている石北線の駅で、特急列車は停まらない。東旭川駅は旭川駅から15分程度である。
↓なかなかに立派な社殿の神社だ…
↓東旭川駅に着いて、やや広い通に出て「何処かな?旭川神社…」と思えばこの鳥居が見え、鳥居の奥に境内が広がっている…
↓社殿の額…何となく好い…
この東旭川駅の周辺…1892(明治25)年に屯田兵の村への入植が本格化した。村名は「旭川村」であった。翌1893(明治26)年に旭川神社が起こった。
1897(明治30)年に至り周辺の村を整理統合した際、「旭川村」は「永山村」に編入され、「忠類村」が「旭川村」と改称した。が、これは当の「旭川村」の関係者の承認を得たということでもなく北海道が決定した事項であった。そして「旭川村」の関係者が北海道に訴え出た…
特段に当の村関係者に承認を得たのでもなかったということで北海道は非を認めることになったものの、現在の旭川の場所を再変更するのも不都合ということになった。そこで1898(明治31)年に「東旭川」として「永山」から再分離し、旭川神社のような「旭川○○」というモノについては、「地名が発祥」という事実を伝えられるように、そのままにして差し支えないということになったのだった…
↓“旭川”の発祥の地に鎮座する旭川神社…なかなかに雰囲気が好い…