東旭川駅…(2019.09.03)

旭川神社を訪ね、旭川駅に引揚げようと東旭川駅へ…

↓こういう様子の駅だ…
03-09-2019 Asahikawa (57)
↑多分、除雪の道具でも入っているのであろう物置と、誰か関係者がやって来た時に入る事務室とは在るが、無人駅である…

↓時刻表が掲出されているが…普通列車のみの停車で、列車本数は限られている…
03-09-2019 Asahikawa (58)

↓北見方面へ向かうキハ54を見送った…
03-09-2019 Asahikawa (66)

↓上川から旭川へ向かう列車が停止しようとしている…これに乗って旭川へ引揚げた…
03-09-2019 Asahikawa (70)

北海道内の鉄道駅…こういうような雰囲気の場所が非常に多いような気がする…

旭川神社…(2019.09.03)

「旭川神社」と聞けば…旭川都心の何処かに在るような気がしないのではないが…「東旭川駅の近くに在る」と聞いて多少意外であるように思った…

東旭川駅というのは…旭川駅から北東方向、北見や網走へ延びている石北線の駅で、特急列車は停まらない。東旭川駅は旭川駅から15分程度である。

↓なかなかに立派な社殿の神社だ…
03-09-2019 Asahikawa (48)

↓東旭川駅に着いて、やや広い通に出て「何処かな?旭川神社…」と思えばこの鳥居が見え、鳥居の奥に境内が広がっている…
03-09-2019 Asahikawa (39)

↓社殿の額…何となく好い…
03-09-2019 Asahikawa (52)

この東旭川駅の周辺…1892(明治25)年に屯田兵の村への入植が本格化した。村名は「旭川村」であった。翌1893(明治26)年に旭川神社が起こった。

1897(明治30)年に至り周辺の村を整理統合した際、「旭川村」は「永山村」に編入され、「忠類村」が「旭川村」と改称した。が、これは当の「旭川村」の関係者の承認を得たということでもなく北海道が決定した事項であった。そして「旭川村」の関係者が北海道に訴え出た…

特段に当の村関係者に承認を得たのでもなかったということで北海道は非を認めることになったものの、現在の旭川の場所を再変更するのも不都合ということになった。そこで1898(明治31)年に「東旭川」として「永山」から再分離し、旭川神社のような「旭川○○」というモノについては、「地名が発祥」という事実を伝えられるように、そのままにして差し支えないということになったのだった…

↓“旭川”の発祥の地に鎮座する旭川神社…なかなかに雰囲気が好い…
03-09-2019 Asahikawa (54)

<812>:谷地頭停留所:函館の路面電車(2019.09.02)

↓運行系統“2”の起点・終点となっている谷地頭停留所である…
02-09-2019 Hakodate (47)
↑右側が下車する場所…乗車する乗客達は左側で待って乗車する…

↓軌道の終端部が在って、その手前に電車は停まる…
02-09-2019 Hakodate (48)

この<812>の<800形>は1962年から1965年に製造されているというが、<812>は1965年生まれであるようだ…54年働いている訳だ…

↓様子を視ていると、程無く電車は動き始めた…
02-09-2019 Hakodate (49)

↓単線になっている停留所辺りから進むと、複線になっている通常の運行区間に入り、左側の軌道に入る…
02-09-2019 Hakodate (50)

↓そして電車は進んで行く…この場所は少し傾斜も在る…
02-09-2019 Hakodate (51)

この谷地頭停留所付近も、なかなかに味わいが在ったように思う…