↓幌南小学校前停留所に近い歩道橋で路面電車の軌道を見下ろす…
↑北側から南下して来た<A1203>だ…
↓この辺りは軌道の南端部で、西側へ向かう軌道へ「90度カーブ」が在る…
↑3連接の車体がダイナミックに動きながら、<A1203>は「90度カーブ」に進入する…
↓「90度カーブ」を曲がって、<A1203>は西側へ向かう軌道に乗る…
↓カーブの区間を通り抜けてしまうと、少しだけ速度が上がるような気がする…
↓西側へ延びる軌道の向こうには山が見え、この日は雲が面白い感じだった…
札幌でこの<A1200形>を見ると、少しラッキーであるような気がする…札幌では3編成の<A1200形>が運用されている…
<ラッキーピエロ>のTシャツ…(2019.09.03)
函館でよく知られたチェーン店の<ラッキーピエロ>で夕食を摂った経過が在った…
独特な華やぎが在ったあの<ラッキーピエロ>の店内に、色々な“オリジナルグッズ”が飾られていた。注文や支払を行うカウンターで、眼に留めたグッズに関して「販売しているのか??」と尋ねた。商品名や価格が判り易く示されているでもないように見えたからだ…店員さんは「販売しています!」と応じるので、求めたい旨を申し出て…「これは“函館らしい”という感の、好い土産に!」と御機嫌で宿に引揚げたのだった…
↓こういうTシャツが<ラッキーピエロ>の店内で売られていたのだ!私が着用する大き目なサイズに至るまで揃っていて、色は様々なモノが用意されているようだ…
↑ピエロがハンバーガーを手にしているかのように見えるイラストを円で囲むようなロゴマーク…そして「HAKODATE」である…
私のような…「ハンバーガーが好きなおっちゃん」には、こういうようなモノが…酷く合うかもしれない…“ラッキー”という店名の一部は“幸運”の意だからと言って、着ていて好運になるか否かは不明だが…
自身が立寄った<ラッキーピエロ>店内では、何となく飾っていて、店員さんに申し出て求めたのだが、店舗によっては少し前面に押し出して陳列しているのかもしれないが…何れにしても、常用し易い範囲の落ち着いたデザインで、函館を動き回った想い出が滲むような感じな存在感で、非常に気に入っている…或いは有名なモノか?或いは、意外に知られていないかもしれない?
※写真そのものは旭川の宿で撮ったものだが、この記事は「函館の土産」という画なので、記事カテゴリ「北海道/函館」に分類しておきたい…
独特な華やぎが在ったあの<ラッキーピエロ>の店内に、色々な“オリジナルグッズ”が飾られていた。注文や支払を行うカウンターで、眼に留めたグッズに関して「販売しているのか??」と尋ねた。商品名や価格が判り易く示されているでもないように見えたからだ…店員さんは「販売しています!」と応じるので、求めたい旨を申し出て…「これは“函館らしい”という感の、好い土産に!」と御機嫌で宿に引揚げたのだった…
↓こういうTシャツが<ラッキーピエロ>の店内で売られていたのだ!私が着用する大き目なサイズに至るまで揃っていて、色は様々なモノが用意されているようだ…
↑ピエロがハンバーガーを手にしているかのように見えるイラストを円で囲むようなロゴマーク…そして「HAKODATE」である…
私のような…「ハンバーガーが好きなおっちゃん」には、こういうようなモノが…酷く合うかもしれない…“ラッキー”という店名の一部は“幸運”の意だからと言って、着ていて好運になるか否かは不明だが…
自身が立寄った<ラッキーピエロ>店内では、何となく飾っていて、店員さんに申し出て求めたのだが、店舗によっては少し前面に押し出して陳列しているのかもしれないが…何れにしても、常用し易い範囲の落ち着いたデザインで、函館を動き回った想い出が滲むような感じな存在感で、非常に気に入っている…或いは有名なモノか?或いは、意外に知られていないかもしれない?
※写真そのものは旭川の宿で撮ったものだが、この記事は「函館の土産」という画なので、記事カテゴリ「北海道/函館」に分類しておきたい…
<太刀川家住宅店舗>…:函館・大町(2019.09.02)
路面電車の運行系統“5”の起点・終点となる<函館どつく前>停留所の手前…大町停留所の辺りに至った…
↓こんな建物が在る…
↑右側が<太刀川家住宅店舗>という建物だ。1901(明治34)年に米穀商で、廻漕業(海運)等も手掛けていたという太刀川家が店舗兼住宅として建てた、煉瓦造と土蔵造を組合わせた、独特な様式の建物である。左は1915(大正4)年に増築されて応接間等の用途に充てられたという木造の洋館である…
↓建物側に近寄ってみた…
↑なかなかに趣が在る…
↓洋館は「こんな外観の建物に住んでみたい…」というような憧れのようなモノを抱いてしまう…
以前はここにカフェが設けられていたが…建物の修繕に向けた調査等の都合で、2018年10月に閉店したそうだ…それはそれとして、こういう「往年の凝った建築」は外観を眺めるだけでも、近くを訪ねて嬉しくなる…
↓こんな建物が在る…
↑右側が<太刀川家住宅店舗>という建物だ。1901(明治34)年に米穀商で、廻漕業(海運)等も手掛けていたという太刀川家が店舗兼住宅として建てた、煉瓦造と土蔵造を組合わせた、独特な様式の建物である。左は1915(大正4)年に増築されて応接間等の用途に充てられたという木造の洋館である…
↓建物側に近寄ってみた…
↑なかなかに趣が在る…
↓洋館は「こんな外観の建物に住んでみたい…」というような憧れのようなモノを抱いてしまう…
以前はここにカフェが設けられていたが…建物の修繕に向けた調査等の都合で、2018年10月に閉店したそうだ…それはそれとして、こういう「往年の凝った建築」は外観を眺めるだけでも、近くを訪ねて嬉しくなる…
<8101>:大町…:函館の路面電車(2019.09.02)
夜の東室蘭駅に停車中のキハ40…(2019.09.02)
午前中に函館で歩き廻った後…室蘭駅と白鳥大橋との間を、往復で2時間弱も歩いた…
室蘭駅から列車で東室蘭駅へ引揚げたが、下車する際に立ち上がると「長く歩き廻った後の“典型的状況”…」というものに陥り、直ぐに歩み出し悪かったので何となく身体を伸ばしながらホームに佇んだ…
↓左の2番ホームに停車中のキハ40が室蘭駅から乗車して来た車輌…右の2番ホームに停車中のキハ40は違う方向で運行されている列車だ…
↑キハ40は何れも「日高線仕様」の塗装が施された車輌だ…夜間の照明が点いているホームで、淡い光に年季が入ったディーゼルカーが浮かび上がる感じだ…こういう風情!なかなかに好い…
東室蘭駅は、函館方面や札幌方面とを結ぶ特急列車が行き交う他方、室蘭市周辺市町村を結ぶ列車もそれなりに発着している。序に室蘭市内ということになる室蘭駅との間を行きかう列車も見受けられる。そういう“交差点”的な駅…何となく風情が在ると思う…
室蘭駅から列車で東室蘭駅へ引揚げたが、下車する際に立ち上がると「長く歩き廻った後の“典型的状況”…」というものに陥り、直ぐに歩み出し悪かったので何となく身体を伸ばしながらホームに佇んだ…
↓左の2番ホームに停車中のキハ40が室蘭駅から乗車して来た車輌…右の2番ホームに停車中のキハ40は違う方向で運行されている列車だ…
↑キハ40は何れも「日高線仕様」の塗装が施された車輌だ…夜間の照明が点いているホームで、淡い光に年季が入ったディーゼルカーが浮かび上がる感じだ…こういう風情!なかなかに好い…
東室蘭駅は、函館方面や札幌方面とを結ぶ特急列車が行き交う他方、室蘭市周辺市町村を結ぶ列車もそれなりに発着している。序に室蘭市内ということになる室蘭駅との間を行きかう列車も見受けられる。そういう“交差点”的な駅…何となく風情が在ると思う…
岩見沢神社…(2019.09.03)
函館→室蘭→苫小牧→岩見沢→旭川→稚内…というように、函館・稚内間に関して「札幌を経由しない」というようにして列車で移動した…
この移動の途次、苫小牧から岩見沢に着いた後、旭川へ向かう前に一寸寄道をした…
↓岩見沢神社という場所を訪ねてみた…
↓酷く天候が好く、何もかもが眩しいという感だった…
岩見沢駅から徒歩20分と聞いたが…往路は岩見沢駅では多く見掛けるタクシーに乗車し、復路はタクシーで走った道筋をゆっくりと歩いた…やや強く感じた日差しで弱ってしまわない程度に、適度に歩いた訳だ…
1884(明治17)年に山口県、鳥取県など12の県から移住した士族が、現在の岩見沢に暮らし始め、翌1885(明治18)年に神社を起こしている。現在地に社殿を営むようになったのは1897(明治30)年で、その社殿の上棟祭の故事に因み、9月15日に例大祭を催しているそうだ…
↓空知地方の中心的な街ということになる岩見沢…現在では寧ろ「札幌圏の北東の端」というような様相にも思えるが…北海道を、更に日本を支えた産業と共に在った、そして苦心の末に豊かな農業地域になった地域を見詰め続ける、なかなかに伝統の在る神社である…
岩見沢駅の側へ引揚げようとすれば…「ワーッショイ!ワーッショイ!」と小さな子ども達の声と判る元気な大音声が耳に入った…祭りが近いらしいので、近所の幼稚園か保育所の子ども達が神社の見学にでも順次やって来ていたのであろう…神社が地域の伝統を受け継ぐ場として幼児に至るまで親しまれているということになる。そういう様子に出くわすと、何となく頬が緩む…
この移動の途次、苫小牧から岩見沢に着いた後、旭川へ向かう前に一寸寄道をした…
↓岩見沢神社という場所を訪ねてみた…
↓酷く天候が好く、何もかもが眩しいという感だった…
岩見沢駅から徒歩20分と聞いたが…往路は岩見沢駅では多く見掛けるタクシーに乗車し、復路はタクシーで走った道筋をゆっくりと歩いた…やや強く感じた日差しで弱ってしまわない程度に、適度に歩いた訳だ…
1884(明治17)年に山口県、鳥取県など12の県から移住した士族が、現在の岩見沢に暮らし始め、翌1885(明治18)年に神社を起こしている。現在地に社殿を営むようになったのは1897(明治30)年で、その社殿の上棟祭の故事に因み、9月15日に例大祭を催しているそうだ…
↓空知地方の中心的な街ということになる岩見沢…現在では寧ろ「札幌圏の北東の端」というような様相にも思えるが…北海道を、更に日本を支えた産業と共に在った、そして苦心の末に豊かな農業地域になった地域を見詰め続ける、なかなかに伝統の在る神社である…
岩見沢駅の側へ引揚げようとすれば…「ワーッショイ!ワーッショイ!」と小さな子ども達の声と判る元気な大音声が耳に入った…祭りが近いらしいので、近所の幼稚園か保育所の子ども達が神社の見学にでも順次やって来ていたのであろう…神社が地域の伝統を受け継ぐ場として幼児に至るまで親しまれているということになる。そういう様子に出くわすと、何となく頬が緩む…