何時の間にか、日没の時刻は17時35分頃になっていた…最近は「暗い感じになるのが少し早い?」と思っていたところだった…
↓午後6時前ともなれば、すっかり灯りが点いている…
↑西寄りな空に厚目な雲が多かった他方、東寄りな空は雲が相対的に薄かったかもしれない。背後の空は東寄りだ…
この稚内港北防波堤ドームの手前辺りに、何やらの催事の幟を立てて在ったが…目障りこの上なかった…ハッキリ申し上げて「景観を損ねている!」と思った。広角ズームで傍にかなり近付いて、余計なモノが写らないように出来た訳だが…些かの苛立ちを禁じ得なかった…序に申し上げれば、並ぶ柱の横に車を停めている例も眼にするが…あの場所は「駐車禁止」である…
↓西天に比して相対的に薄い東天の雲が、稚内港北防波堤ドームの背後に拡がる…
本当に…「何かという程のこともしない休日…」で、何となく拙宅でブラブラという感で、思い付いて夕食を摂りに出る前に散策をしたのだった…
日出前…:稚内港北防波堤ドーム(2019.09.21)
浪と解き放たれて行く光と…:稚内港北防波堤ドーム(2019.09.21)
休日となった土曜日の早朝…「少々暗い?」と思いながら、戸外に出てみた…
↓これは何となく「暗い?」と思ってしまう状況だ…緞帳のように雲が空を覆ってしまっている部分が多く、緞帳の裾に隙間が生じているかのようになっている辺りが、朝陽の光の干渉を見せている…
↑未だ寝静まっているような、一際静かな街の海岸に、打ち寄せる浪の音だけが聞こえている…
↓高さ毎に、色々な種類の雲が層のようなモノを形成し、各々が風に流れているような感である。
↑「緞帳の裾」のような様相の部分は、古びた織物の糸が解れてしまっているかのように、細い筋状の雲が幾筋も垂れ下がったようになっている。浪が打ち寄せて、海面が多少うねる様は変わらない…
↓半ば曇天で、半ば晴天のような、微妙な明るさになって来た…
↓やがて朝陽が丘陵の彼方に姿を覗かせる…
↓朝陽が高度を上げる都度、光が解き放たれ始める感だ…
↓そして光は解き放たれる…
↑浪が打ち寄せる音も、海面の感じも変わらなかったが、空は様子を大きく変えた…
この後…雲が流れ去り、大きな雲が目まぐるしく動き回る感では在るが、好天で推移した…
早朝にこういう様子を眺め、そして「特段に何をしたということでもなく…」という程度に休日を過ごす…悪くない…
↓これは何となく「暗い?」と思ってしまう状況だ…緞帳のように雲が空を覆ってしまっている部分が多く、緞帳の裾に隙間が生じているかのようになっている辺りが、朝陽の光の干渉を見せている…
↑未だ寝静まっているような、一際静かな街の海岸に、打ち寄せる浪の音だけが聞こえている…
↓高さ毎に、色々な種類の雲が層のようなモノを形成し、各々が風に流れているような感である。
↑「緞帳の裾」のような様相の部分は、古びた織物の糸が解れてしまっているかのように、細い筋状の雲が幾筋も垂れ下がったようになっている。浪が打ち寄せて、海面が多少うねる様は変わらない…
↓半ば曇天で、半ば晴天のような、微妙な明るさになって来た…
↓やがて朝陽が丘陵の彼方に姿を覗かせる…
↓朝陽が高度を上げる都度、光が解き放たれ始める感だ…
↓そして光は解き放たれる…
↑浪が打ち寄せる音も、海面の感じも変わらなかったが、空は様子を大きく変えた…
この後…雲が流れ去り、大きな雲が目まぐるしく動き回る感では在るが、好天で推移した…
早朝にこういう様子を眺め、そして「特段に何をしたということでもなく…」という程度に休日を過ごす…悪くない…
路線バス:市内線:<ノシャップ>停留所…(2019.09.15)
ノシャップのバス停へ歩んでいた時…折良く停車待機中であったバスが少し遠くに見えていたが…停留所に辿り着く少し前に発車してしまった…
ノシャップの、方向転換をするために少し広い空地を設けて利用しているバス停を発着する路線バスは15分や20分に1本という頻度で路線バスが出ている…時刻表も見たが、20分弱で次のバスが現れると判った…
↓と思っていれば、5分も経つか経たないかでバスが現れて待機し始めた…北上してノシャップに至ったバスが折り返し運転で、潮見5丁目へ向けて南下する訳だ…
↑運転士さんはとりあえず一息で、復路の乗客を待つ…バスの右背後に利尻富士のシルエットがぼんやりと視える…
何やら…首都圏でこのバスとそっくりな外観の路線バスが行き交っているのが見受けられると聞いた。稚内の事業者…嘗ては本州の大手と資本関係が在って、それが解消された後も交流が在るらしい。或いは首都圏の何処かで走っていた車輌が稚内まで運ばれて、目下活躍中なのかもしれない…
このバスを利用することにして…車内に入れて頂き、15分弱だったが、発車をゆっくり待って南下した…
こんな稚内市内の路線バス…意外に好きだ!
ノシャップの、方向転換をするために少し広い空地を設けて利用しているバス停を発着する路線バスは15分や20分に1本という頻度で路線バスが出ている…時刻表も見たが、20分弱で次のバスが現れると判った…
↓と思っていれば、5分も経つか経たないかでバスが現れて待機し始めた…北上してノシャップに至ったバスが折り返し運転で、潮見5丁目へ向けて南下する訳だ…
↑運転士さんはとりあえず一息で、復路の乗客を待つ…バスの右背後に利尻富士のシルエットがぼんやりと視える…
何やら…首都圏でこのバスとそっくりな外観の路線バスが行き交っているのが見受けられると聞いた。稚内の事業者…嘗ては本州の大手と資本関係が在って、それが解消された後も交流が在るらしい。或いは首都圏の何処かで走っていた車輌が稚内まで運ばれて、目下活躍中なのかもしれない…
このバスを利用することにして…車内に入れて頂き、15分弱だったが、発車をゆっくり待って南下した…
こんな稚内市内の路線バス…意外に好きだ!
函館ハリストス正教会(2019.09.01)
↓函館山からも一寸視えていた場所だが…函館山を下りて、辺りを散策し始めた時に近付いてみた…
↑ロシア正教の教会だ…この建物が在る様子は「函館らしい景観」というようにされているようでもある…なるほど、ロシア正教の教会は、特徴的な外観の建物だ…
未だ「箱館」という字で地名を綴っていた幕末期…1859年にロシア領事館が開設された際、ロシア正教の聖堂が領事館内に設けられたが、これがロシア正教の「日本国内初登場」ということになるのかもしれない。その後1861年に至って、修道司祭のニコライ(カサートキン)(1836-1912)がやって来る。
江戸時代のキリスト教の禁止は明治時代に入った当初はそのままであったが、解禁になるとロシア正教の布教も活性化する。ニコライは函館を振り出しに伝教活動を続け、やがてニコライ堂(東京復活大聖堂教会)が建てられ、日本のロシア正教の中心になって行く…
函館のロシア正教の教会…「日本で最も伝統が在る、ロシア正教の活動の場」ということになる。幕末期に設けられた聖堂以来の流れを汲む現在の<函館ハリストス正教会>は1916(大正5)年の建物で、1988(昭和63)年に大掛りな修復が施されて現在に至っているそうだ…
↓すっかり暗くなった中だが…「ロシア正教の建物!」という様式の建物で、なかなかに趣が深い…
領事館の聖堂で活動する司祭の募集ということで、伝教の想いに駆られて来日し、日露戦争の頃も日本に留まったというニコライ…その生涯の物語の初期が織り成された函館…“日ロ交流史”というようなモノの中で重要な位置を占めるのだと思うが…その舞台ともなった場所に足跡を記すのも興味深い…“次回”が在るなら、もう少しゆったりと立ち寄りたい気がする場所だ…
↑ロシア正教の教会だ…この建物が在る様子は「函館らしい景観」というようにされているようでもある…なるほど、ロシア正教の教会は、特徴的な外観の建物だ…
未だ「箱館」という字で地名を綴っていた幕末期…1859年にロシア領事館が開設された際、ロシア正教の聖堂が領事館内に設けられたが、これがロシア正教の「日本国内初登場」ということになるのかもしれない。その後1861年に至って、修道司祭のニコライ(カサートキン)(1836-1912)がやって来る。
江戸時代のキリスト教の禁止は明治時代に入った当初はそのままであったが、解禁になるとロシア正教の布教も活性化する。ニコライは函館を振り出しに伝教活動を続け、やがてニコライ堂(東京復活大聖堂教会)が建てられ、日本のロシア正教の中心になって行く…
函館のロシア正教の教会…「日本で最も伝統が在る、ロシア正教の活動の場」ということになる。幕末期に設けられた聖堂以来の流れを汲む現在の<函館ハリストス正教会>は1916(大正5)年の建物で、1988(昭和63)年に大掛りな修復が施されて現在に至っているそうだ…
↓すっかり暗くなった中だが…「ロシア正教の建物!」という様式の建物で、なかなかに趣が深い…
領事館の聖堂で活動する司祭の募集ということで、伝教の想いに駆られて来日し、日露戦争の頃も日本に留まったというニコライ…その生涯の物語の初期が織り成された函館…“日ロ交流史”というようなモノの中で重要な位置を占めるのだと思うが…その舞台ともなった場所に足跡を記すのも興味深い…“次回”が在るなら、もう少しゆったりと立ち寄りたい気がする場所だ…