気温が「上がり切らない…」という感が強かった早朝…辺りに在った<ウルトラライトダウン>なるモノを掴み、長袖シャツの上からそれを引っ掛けて戸外へ…そういう感じが丁度好かった!強いとも感じなかったが、吹き抜ける風が少々冷たかったので、何となくベースボールキャップを着用することもした…
↓稚内港北防波堤ドームの上空…高目な空にナイトブルーが少々残るような天空に月が見える…
↓丘陵の彼方から覗く前ながら、朝陽の光による空の様子への干渉が次第に拡大して行く感…
↓朝陽が覗き始めた…
↓光が解き放たれ始める感…朝陽が高度を上げようとしている中、上空の高目な辺りの月は未だ見える…
↑月と朝陽とが併存している天空だ…
太陽光が地上に届くまでに要する時間は「8分19秒」であるらしい…最近読了したばかりの小説で、作中人物達の会話に出ていた話題だったが…あの朝陽の光も、8分19秒以前に放たれたモノということか?そしてその光を跳ね返して地上からも見えるという月…何やら「眼前に宇宙…」というような不思議な気分になった…
<天塩厳島神社>(2019.09.23)
日本海側の<道道106号>を南下し、巨大な風力発電の風車が28本並ぶ<オトンルナイ風力発電所>の辺りを通り過ぎれば、天塩町の市街へ続く道に至る…
↓市街地へ至る道筋の公園のようになっている場所で、こういう様子が見受けられる…
↑鳥居!これは神社への参道になっている訳だ…
稚内に在れば「天塩町の中」は車での移動で通る機会も無い訳ではないが、その「天塩町の中」を動き回る機会は存外に多くない…
↓前の画の参道を直進すれば…古い建物を修理しながら大切に使っているという様子が想像出来る、趣の在る社殿が見えて来た…
↓1804年にこの地へやって来た人達が小さな祠を設けたという故事がこの<天塩厳島神社>の起こりであるのだという…
1804年…こんな時代の北海道は、「沿岸を船で往来」というのが「寧ろ普通」で、現在は大きな街になっている場所でも内陸部は「簡単に入り込むことが叶わない…」という場所だった。江戸時代も19世紀に入っている頃には「歩いて測量する」という方法で、北海道の地図も作成されているが、内陸部には「未踏であるが故に白紙」という箇所も在るのだ…沿岸部ということになる天塩町辺りは、19世紀の地図にも確り描き込まれている…
天塩町の地に祠を設けた人達は、鮭を獲って送り出すという仕事に携わった人達であったようだ。そんな人たちが設けた祠も、明治時代には神社となって行ったのだった…
↓色々な意味で、この地の歴史を伝えている社…ということになる…
↓各地を巡る中、こういう場所に立ち寄るのも悪くはない…そして地元と他地域とを往来する中で「通り過ぎる」ばかりな場所で、こういう場所に寄るというのは「見逃していた宝物」を拾うかのような喜びが在るかもしれない…
↓市街地へ至る道筋の公園のようになっている場所で、こういう様子が見受けられる…
↑鳥居!これは神社への参道になっている訳だ…
稚内に在れば「天塩町の中」は車での移動で通る機会も無い訳ではないが、その「天塩町の中」を動き回る機会は存外に多くない…
↓前の画の参道を直進すれば…古い建物を修理しながら大切に使っているという様子が想像出来る、趣の在る社殿が見えて来た…
↓1804年にこの地へやって来た人達が小さな祠を設けたという故事がこの<天塩厳島神社>の起こりであるのだという…
1804年…こんな時代の北海道は、「沿岸を船で往来」というのが「寧ろ普通」で、現在は大きな街になっている場所でも内陸部は「簡単に入り込むことが叶わない…」という場所だった。江戸時代も19世紀に入っている頃には「歩いて測量する」という方法で、北海道の地図も作成されているが、内陸部には「未踏であるが故に白紙」という箇所も在るのだ…沿岸部ということになる天塩町辺りは、19世紀の地図にも確り描き込まれている…
天塩町の地に祠を設けた人達は、鮭を獲って送り出すという仕事に携わった人達であったようだ。そんな人たちが設けた祠も、明治時代には神社となって行ったのだった…
↓色々な意味で、この地の歴史を伝えている社…ということになる…
↓各地を巡る中、こういう場所に立ち寄るのも悪くはない…そして地元と他地域とを往来する中で「通り過ぎる」ばかりな場所で、こういう場所に寄るというのは「見逃していた宝物」を拾うかのような喜びが在るかもしれない…