6番ホームに登場する筈の、札幌駅を出て稚内駅へ向かう特急列車の<宗谷>を待っていた…
左がその6番ホームで、右が5番ホームという場所に佇んでいた。
↓少し経つと、こういう様子が見受けられた…
↑右から2番目、5番ホームの列車は、この場所に着いた時点で待機中だった。やがて左端、窓からの光で明るい7番ホームに列車が入って待機し始め、続いて右端の4番ホームにも列車が入って待機し始めた…3本の列車が待機中である…
待機中の3本…何れも少々年季が入ったキハ40ディーゼルカーである…旭川駅の「SF調?」という内装の中に、こういう列車が揃っているのは少し不思議な光景のように思うが…意外に気に入っている眺めだ…
<美瑛牛乳>…(2019.10.09)
旭川駅に極近い宿に滞在した夕刻…直ぐ傍の少し大きな商業施設に、食品等が色々と揃う大きなスーパーマーケットが入っていることを思い出した。そして「宿の部屋で飲むモノでも求めようか…」と思い付いた…
↓こんなモノを入手した…
↑名付けて<美瑛牛乳>…旭川市の南郊、美瑛町の酪農家が出荷した生乳を殺菌してパック詰めしたモノだ…
立ち寄ってみた大きなスーパーマーケットでは、北海道内各地の地名が冠せられた牛乳が売られていた…9月に頂く機会も在った<函館牛乳>まで見掛けたが…旭川に最も近い場所の地名が冠せられていたのは美瑛であったので、この<美瑛牛乳>を求めたのだった…
↓パックに色々な情報が刷られているので、牛乳を頂きながら、何となく読んでしまった…
↑美瑛の大地が生み出す健康な牧草を食べて元気に育った牛達の牛乳が、こうしたパックで送り出されている訳だ…実は美瑛町内の飲食店で牛乳が供されたのを頂いたことが在って、それも<美瑛牛乳>と称していたことを思い出していた…
入植が進められた遠い昔以来、農業系統の様々な仕事が興って現在に至っている美瑛だが、独特な景観を作り出す丘陵の畑の故に、様々な作物を扱う畑作のイメージが高い他方、牧草を育てて乳牛を肥育して牛乳を出荷する酪農も盛んであるようだ。
美瑛を訪ねた経過の中、「何処かに牛乳の工場??」と思い出して、思い当たる場所が頭に浮かばなかったのだが、美瑛の牛乳を他地域の工場に運んで殺菌・パック詰めを行って出荷しているようだ…
酪農というのは、なかなかに大変な仕事である訳だが、美瑛で酪農を営んでいる、頂いた牛乳を送り出した皆さんに感謝しなければなるまいと思いながら、旭川駅近くの宿でゆっくりと牛乳を頂きながら寛いだのだった…
↓こんなモノを入手した…
↑名付けて<美瑛牛乳>…旭川市の南郊、美瑛町の酪農家が出荷した生乳を殺菌してパック詰めしたモノだ…
立ち寄ってみた大きなスーパーマーケットでは、北海道内各地の地名が冠せられた牛乳が売られていた…9月に頂く機会も在った<函館牛乳>まで見掛けたが…旭川に最も近い場所の地名が冠せられていたのは美瑛であったので、この<美瑛牛乳>を求めたのだった…
↓パックに色々な情報が刷られているので、牛乳を頂きながら、何となく読んでしまった…
↑美瑛の大地が生み出す健康な牧草を食べて元気に育った牛達の牛乳が、こうしたパックで送り出されている訳だ…実は美瑛町内の飲食店で牛乳が供されたのを頂いたことが在って、それも<美瑛牛乳>と称していたことを思い出していた…
入植が進められた遠い昔以来、農業系統の様々な仕事が興って現在に至っている美瑛だが、独特な景観を作り出す丘陵の畑の故に、様々な作物を扱う畑作のイメージが高い他方、牧草を育てて乳牛を肥育して牛乳を出荷する酪農も盛んであるようだ。
美瑛を訪ねた経過の中、「何処かに牛乳の工場??」と思い出して、思い当たる場所が頭に浮かばなかったのだが、美瑛の牛乳を他地域の工場に運んで殺菌・パック詰めを行って出荷しているようだ…
酪農というのは、なかなかに大変な仕事である訳だが、美瑛で酪農を営んでいる、頂いた牛乳を送り出した皆さんに感謝しなければなるまいと思いながら、旭川駅近くの宿でゆっくりと牛乳を頂きながら寛いだのだった…
朝陽が見え悪かった夜明…:稚内港北防波堤ドーム(2019.10.12)
陸に在って、強めな浪の音が聞こえる状況の早朝…浪の音に誘われるように、海岸に廻り込んだ…
↓海面を見詰めると、揺れているのと錯覚してしまいそうな、少し大きなうねりの海面だった…
↓うねる海面を見下ろす天空は、「強風に揺れるカーテンの奥から光が見え隠れ」という状況にも似て、強風で刻々と流れる雲の間から、朝陽の光が干渉する空模様を覗かせていた…
↓浪の音に、甲高い海鳥の啼く声が交じった…
↓日出の時刻の辺りになって、それを過ぎても朝陽の姿は視えない…他方で甲高い海鳥の啼く声は時折浪の音に交じり、風に或いは抗い、或いは乗るかのように彼らの“編隊飛行”が散見した…
↓明るい他方で、朝陽の姿が見え悪い…そんな朝だった…
↓こういう様子を海岸で眺めるのは面白いが…強めな風が冷たく、少々手が悴む感でもあった…
何やら「秋の出口」が開かれているかのように感じられる早朝だった…
↓海面を見詰めると、揺れているのと錯覚してしまいそうな、少し大きなうねりの海面だった…
↓うねる海面を見下ろす天空は、「強風に揺れるカーテンの奥から光が見え隠れ」という状況にも似て、強風で刻々と流れる雲の間から、朝陽の光が干渉する空模様を覗かせていた…
↓浪の音に、甲高い海鳥の啼く声が交じった…
↓日出の時刻の辺りになって、それを過ぎても朝陽の姿は視えない…他方で甲高い海鳥の啼く声は時折浪の音に交じり、風に或いは抗い、或いは乗るかのように彼らの“編隊飛行”が散見した…
↓明るい他方で、朝陽の姿が見え悪い…そんな朝だった…
↓こういう様子を海岸で眺めるのは面白いが…強めな風が冷たく、少々手が悴む感でもあった…
何やら「秋の出口」が開かれているかのように感じられる早朝だった…
<サキソフォン吹きと猫>:旭川(2019.10.10)
蒼い朝…:稚内港北防波堤ドーム(2019.10.11)
<しおさいプロムナード>と稚内港北防波堤ドーム…(2019.10.11)
「非対称」…:旭橋:旭川(2019.10.10)
夜明けの旭橋…(2019.10.10)
宿の部屋は快適である他方、特段に「引っ掛かり」が在るでもないにも拘らず、何やら眠りが浅かった…夜明け前には眼を開けてしまい…また眠ることも出来ずに居た…
朝からの移動の車中で、眠気が射せば遠慮せずに眠ってしまえば善い…という程度に考え、少し散策に出た…
↓気温は10℃程度で、汗はかかなかったと思うのだが「程好い運動」という程度に歩いて旭橋の辺りに至った…
↑東寄りの空を背景にするような側に廻った…夕方に旭橋を視たのは「西寄りの空を背景にする側」であり、前夕と反対側に立ったことになる…
↓大きな構造物は、向きを変えると趣が多少異なって見えるのが面白い…
↑前夕に気付いたが…ランプが点るのは「片側」の車線のみだ…工事をやっているような標示は視掛けていないが…
↓全般に明るい「晴天」な空だが、低めな空に厚目な雲が拡がり、朝陽の光の空色への干渉は限定的で、光は解き放たれ悪い…
↓未だ灯りは消えていないが…全般に「日中」という雰囲気を帯びて来た…
↑やがてここの交通量も増え、忙しい1日が始まることであろう…
気に入っている旭橋を眺め、足取り軽やかに、他方で「少し手が冷たい…」とブツブツ言いながら、途中に散見するコンビニで熱い珈琲を仕入れて路傍で啜り、宿の部屋で頂くモノを求めて引揚げたのだった…
朝からの移動の車中で、眠気が射せば遠慮せずに眠ってしまえば善い…という程度に考え、少し散策に出た…
↓気温は10℃程度で、汗はかかなかったと思うのだが「程好い運動」という程度に歩いて旭橋の辺りに至った…
↑東寄りの空を背景にするような側に廻った…夕方に旭橋を視たのは「西寄りの空を背景にする側」であり、前夕と反対側に立ったことになる…
↓大きな構造物は、向きを変えると趣が多少異なって見えるのが面白い…
↑前夕に気付いたが…ランプが点るのは「片側」の車線のみだ…工事をやっているような標示は視掛けていないが…
↓全般に明るい「晴天」な空だが、低めな空に厚目な雲が拡がり、朝陽の光の空色への干渉は限定的で、光は解き放たれ悪い…
↓未だ灯りは消えていないが…全般に「日中」という雰囲気を帯びて来た…
↑やがてここの交通量も増え、忙しい1日が始まることであろう…
気に入っている旭橋を眺め、足取り軽やかに、他方で「少し手が冷たい…」とブツブツ言いながら、途中に散見するコンビニで熱い珈琲を仕入れて路傍で啜り、宿の部屋で頂くモノを求めて引揚げたのだった…
夜が降り注ぎ、灯りが水面を流れる…:旭橋:旭川(2019.10.09)
「気に入った場所」に関しては、何度でも足を運び、写真を撮ってみる…そういう場所は「少しばかり勝手知った(つもりになっている)他所」というような感じの地域にも幾分在る…
↓「少しばかり勝手知った(つもりになっている)他所」というような感の旭川で、「気に入った場所」は「この画を撮った場所」ということになる…
↑無事に用事も足し、日没間際の時間帯に立寄ってみた…既に灯りは入ったが、画の手前、東寄りな側にだけ灯りが点いている…少し変だが、余り気にしないことにしたい…
↓画では橋の背景となっている奥が西寄りな空だ…
↑雲が低い位置まで拡がり過ぎで、その雲も厚目と見受けられ、夕陽の光の空への干渉度は高くもない感だ…
↓「夜が降り注ぐ」という感で、ゆっくりと暗さが増す…
↓次第に方々の灯りが目立ち始めた…
↓旭橋の下、石狩川の水面に灯りが跳ね返っている…
↑「灯りが水面を流れる」という感だ…
↓すっかりと「夜が降り注いだ」という感の中、灯りは水面を流れ続けているような按配だ…
こういう「気に入った場所」の夕景…ISO1600でレンズに付された「手振れ補正」の御蔭も在って、強引に手持ちで存外に綺麗に撮ることが叶っている…
↓「少しばかり勝手知った(つもりになっている)他所」というような感の旭川で、「気に入った場所」は「この画を撮った場所」ということになる…
↑無事に用事も足し、日没間際の時間帯に立寄ってみた…既に灯りは入ったが、画の手前、東寄りな側にだけ灯りが点いている…少し変だが、余り気にしないことにしたい…
↓画では橋の背景となっている奥が西寄りな空だ…
↑雲が低い位置まで拡がり過ぎで、その雲も厚目と見受けられ、夕陽の光の空への干渉度は高くもない感だ…
↓「夜が降り注ぐ」という感で、ゆっくりと暗さが増す…
↓次第に方々の灯りが目立ち始めた…
↓旭橋の下、石狩川の水面に灯りが跳ね返っている…
↑「灯りが水面を流れる」という感だ…
↓すっかりと「夜が降り注いだ」という感の中、灯りは水面を流れ続けているような按配だ…
こういう「気に入った場所」の夕景…ISO1600でレンズに付された「手振れ補正」の御蔭も在って、強引に手持ちで存外に綺麗に撮ることが叶っている…
「259.4km」…(2019.10.09)
↓縦書きの「わっかない」…現在の稚内駅の建物になる以前からのスタイルを踏襲…或いは以前から使われていたかもしれないモノが、林立するホームの屋根を支える柱に貼り付けられている…
↑「朝の特急列車」というような感じで呼び習わしているが…旭川行の<サロベツ>が停車中だ…
↓こんな具合に「259.4km」と旭川駅への距離が表示されている…この画を御覧頂いている皆さんがお住まいの地域、所縁が深い地域の駅から「259.4km」も進めば何処に至るであろうか?
旭川から「259.4km」も北上すれば稚内に至る訳だが…同じ距離を稚内から南下すれば旭川に至る…稚内駅…「始発駅」なのだ!!
↓停車中だった<サロベツ>…キハ261系ディーゼルカーに乗車し、この「259.4km」を踏破した…
↓例によって…1号車に陣取った…
そういうことで…普段住んでいる稚内から「259.4㎞」も南下した、「少しばかり勝手知った(つもりになっている)他所」という感の旭川に在る…
↑「朝の特急列車」というような感じで呼び習わしているが…旭川行の<サロベツ>が停車中だ…
↓こんな具合に「259.4km」と旭川駅への距離が表示されている…この画を御覧頂いている皆さんがお住まいの地域、所縁が深い地域の駅から「259.4km」も進めば何処に至るであろうか?
旭川から「259.4km」も北上すれば稚内に至る訳だが…同じ距離を稚内から南下すれば旭川に至る…稚内駅…「始発駅」なのだ!!
↓停車中だった<サロベツ>…キハ261系ディーゼルカーに乗車し、この「259.4km」を踏破した…
↓例によって…1号車に陣取った…
そういうことで…普段住んでいる稚内から「259.4㎞」も南下した、「少しばかり勝手知った(つもりになっている)他所」という感の旭川に在る…
部屋…(2019.10.09)
「平日だが…休日前のように、多少混み合っているような…」とブツブツ言いながら、ネットで旭川の宿を探していた…
そうしていた間に「空いている!手頃な価格!!」というモノが見付かった!
住所を視れば…旭川駅の極近所らしいが…全然聞き覚えが無い名前だ…とりあえず予約して場所を地図で確認すれば…何度も利用したことが在った、多分「老舗」の宿で、何やら改装工事が続いていた場所だった。この7月に改装を済ませて、改めて開業したらしい…
旭川での用事が済んで…その宿にチェックインしようと訪ねた…
↓無事に入った部屋がこんな様子だ…
↑建物や部屋の構造は何となく記憶しているような感じでも在ったが…落ち着いた感じの、少し新しい感じもする内装に切り替わっていた…
↓こんな部屋でゆったりと寛ぎ、翌朝は列車でまた北上だ…
そうしていた間に「空いている!手頃な価格!!」というモノが見付かった!
住所を視れば…旭川駅の極近所らしいが…全然聞き覚えが無い名前だ…とりあえず予約して場所を地図で確認すれば…何度も利用したことが在った、多分「老舗」の宿で、何やら改装工事が続いていた場所だった。この7月に改装を済ませて、改めて開業したらしい…
旭川での用事が済んで…その宿にチェックインしようと訪ねた…
↓無事に入った部屋がこんな様子だ…
↑建物や部屋の構造は何となく記憶しているような感じでも在ったが…落ち着いた感じの、少し新しい感じもする内装に切り替わっていた…
↓こんな部屋でゆったりと寛ぎ、翌朝は列車でまた北上だ…
埠頭上の雲…:強めな俄雨や雹が交じった早朝…(2019.10.09)
最近の列車は「車内販売の営業はしておりません。自動販売機は設置していません」と発車前にアナウンスが流れる訳で…要は車内で飲むモノ程度は、乗車前に求めておく必要が在る…
そういう事情なので、何か買い込むゆとりを持ちたいということが在り、更に慌てて改札を潜って乗車をするというような「速足で歩くか、半ば走る」ということを敢えてするのも鬱陶しいので、少し早く拙宅を出て駅へ向かうことにした…
明るい感じな空に見えたが、やや雲は多かった…そんな中で何気なく戸外へ出れば…雨が交じり始めた…しかし遠くの東寄りな空は明るい…やがて雨が勢いを強めたような気がしたが…そのうちに耳の横辺りに何か硬い粒が当たった。「痛っ!?何をやっている?!」と小さな苛立ちを禁じ得なくなった…そして雨音が酷く派手になったような気がしたが…ごく短時間ながら雹も交じった。雹の粒が耳の後ろに当たって、一寸だけ痛かった訳だ。
それでも遠くの東の空は明るかった…
↓稚内駅の裏辺りに相当する、稚内港の北埠頭と中央埠頭との間辺りに至った…
↑高くなり始めた朝陽が見えて、光が解き放たれている他方、埠頭の上がベッタリ濡れていて、光の干渉で独特な立体感を帯びている雲の状況が埠頭の上に映り込む感である…
↓中央埠頭で、利尻・礼文へ向かうフェリーが待機中だ。或いは車輛の積込が始まっていたかもしれない…
↓強めな俄雨や雹をもたらした雲であろうか?高い空を大きな雲が漂う他方、低目な空の朝陽が眩しい…
↓少しだけ経って…上る朝陽の輝きは目立ちにくくなったが…それでも「埠頭の上に雲」という感だ…
列車に乗って出発する前に、少し変わった光景に出くわした…
そういう事情なので、何か買い込むゆとりを持ちたいということが在り、更に慌てて改札を潜って乗車をするというような「速足で歩くか、半ば走る」ということを敢えてするのも鬱陶しいので、少し早く拙宅を出て駅へ向かうことにした…
明るい感じな空に見えたが、やや雲は多かった…そんな中で何気なく戸外へ出れば…雨が交じり始めた…しかし遠くの東寄りな空は明るい…やがて雨が勢いを強めたような気がしたが…そのうちに耳の横辺りに何か硬い粒が当たった。「痛っ!?何をやっている?!」と小さな苛立ちを禁じ得なくなった…そして雨音が酷く派手になったような気がしたが…ごく短時間ながら雹も交じった。雹の粒が耳の後ろに当たって、一寸だけ痛かった訳だ。
それでも遠くの東の空は明るかった…
↓稚内駅の裏辺りに相当する、稚内港の北埠頭と中央埠頭との間辺りに至った…
↑高くなり始めた朝陽が見えて、光が解き放たれている他方、埠頭の上がベッタリ濡れていて、光の干渉で独特な立体感を帯びている雲の状況が埠頭の上に映り込む感である…
↓中央埠頭で、利尻・礼文へ向かうフェリーが待機中だ。或いは車輛の積込が始まっていたかもしれない…
↓強めな俄雨や雹をもたらした雲であろうか?高い空を大きな雲が漂う他方、低目な空の朝陽が眩しい…
↓少しだけ経って…上る朝陽の輝きは目立ちにくくなったが…それでも「埠頭の上に雲」という感だ…
列車に乗って出発する前に、少し変わった光景に出くわした…
ヒッコリーストライプの“ベイカーパンツ”…:洗濯終了…(2019.10.05)
“ベイカーパンツ”?パン屋で好んで用いられた作業服に由来するという説が有力であるようだが、「ポケットを外側に生地を縫い付ける形で設けている」という代物を示すらしい…
そういう呼び名の由来も気になるのだが、それはそれとして、ワークパンツに由来するような丈夫な生地のズボンには着用し易いモノが多い…そう思っている中、岡山県倉敷市児島を本拠地とするメーカーが売っている“ベイカーパンツ”というモノに出くわした…
これはなかなかにゆったりした造りで、着用時も楽で気に入ってしまい、生地の色が異なるモノを何本か揃えて愛用している…
↓その“ベイカーパンツ”の中の1本だ…一度、これを着用している時に転倒しそうになり、舗装路面に右膝を軽く擦ってしまい、その痕跡も認められるが…コインランドリーで洗濯を終えて、何となく写真に収めた…
↑ヒッコリーストライプの生地である…
ヒッコリーストライプ?これは硬質な木材のヒッコリー(クルミ科の木であるそうだ…)の年輪が詰まっていることから「幅が狭く詰まった感じ」を示しているそうだ。1927年に<ヒッコリー・ストライプ・デニム>と称して売り出した業者が在って、それを使ったワークパンツ等が普及して人気を博するようになったらしい…
↓後ろ側から視ると…左の腰辺りの部分が少し擦れている…
↑これは旅の場面でショルダーバッグを提げている個所に相当すると思う。少々重めになるモノが動く都度に擦れる訳だ…
↓何となく出番が増えているこのヒッコリーストライプの“ベイカーパンツ”である…
コインランドリーへ出掛ける際…何となく<X100F>を持って出てしまったのだが…無事に洗濯を終えた愛用の衣類を写真に収めるというようなことが、時には愉しい…
そういう呼び名の由来も気になるのだが、それはそれとして、ワークパンツに由来するような丈夫な生地のズボンには着用し易いモノが多い…そう思っている中、岡山県倉敷市児島を本拠地とするメーカーが売っている“ベイカーパンツ”というモノに出くわした…
これはなかなかにゆったりした造りで、着用時も楽で気に入ってしまい、生地の色が異なるモノを何本か揃えて愛用している…
↓その“ベイカーパンツ”の中の1本だ…一度、これを着用している時に転倒しそうになり、舗装路面に右膝を軽く擦ってしまい、その痕跡も認められるが…コインランドリーで洗濯を終えて、何となく写真に収めた…
↑ヒッコリーストライプの生地である…
ヒッコリーストライプ?これは硬質な木材のヒッコリー(クルミ科の木であるそうだ…)の年輪が詰まっていることから「幅が狭く詰まった感じ」を示しているそうだ。1927年に<ヒッコリー・ストライプ・デニム>と称して売り出した業者が在って、それを使ったワークパンツ等が普及して人気を博するようになったらしい…
↓後ろ側から視ると…左の腰辺りの部分が少し擦れている…
↑これは旅の場面でショルダーバッグを提げている個所に相当すると思う。少々重めになるモノが動く都度に擦れる訳だ…
↓何となく出番が増えているこのヒッコリーストライプの“ベイカーパンツ”である…
コインランドリーへ出掛ける際…何となく<X100F>を持って出てしまったのだが…無事に洗濯を終えた愛用の衣類を写真に収めるというようなことが、時には愉しい…
稚内駅から出発…(2019.09.28)
↓稚内駅の改札口手前…硝子張りになっている箇所が在り、線路が正面から見える…列車に乗車するしないに関わりなく、稚内を訪れる人達が記念写真を撮っている場面をよく見掛ける場所だ…
↑朝から旭川へ向かう<サロベツ>が、出発の15分位前に姿を見せる…
↓改札が始まり、乗客がホームに入り始めた…
↓この画の奥側が南に相当する…
↑「あの雲の向こうへ…<サロベツ>に乗って出発だ…」と少々気分が弾んだ…
↓改札を潜ってホームに出てみた…
↑この位置…少し狭いので、車輛の写真を撮るなら広角レンズが好適だと思う…
↓先頭になるのは4号車、後尾になるのは改札口側の1号車だ…先頭側に出て列車の様子を眺める…
↑キハ261系ディーゼルカーが初登場で運行に供されたのは宗谷線で、この車輌は「稚内と旭川や札幌を行き交っているモノ」というイメージが非常に強く、何か愛着も沸く…
↓車輌を眺めようと、奥の4号車側まで歩くのだが…それでも「改札から近いのが好い…」と指定席は1号車を希望する…
↑1号車は半分弱がグリーン車なので普通の指定席部分が少し狭い。椅子や椅子間の間隔は他の車輌と同じだが…
↓何時も稚内駅から列車で出掛けている関係上…稚内駅に関しては寧ろ「始発駅」と自身では認識している…
↑朝から旭川へ向かう<サロベツ>が、出発の15分位前に姿を見せる…
↓改札が始まり、乗客がホームに入り始めた…
↓この画の奥側が南に相当する…
↑「あの雲の向こうへ…<サロベツ>に乗って出発だ…」と少々気分が弾んだ…
↓改札を潜ってホームに出てみた…
↑この位置…少し狭いので、車輛の写真を撮るなら広角レンズが好適だと思う…
↓先頭になるのは4号車、後尾になるのは改札口側の1号車だ…先頭側に出て列車の様子を眺める…
↑キハ261系ディーゼルカーが初登場で運行に供されたのは宗谷線で、この車輌は「稚内と旭川や札幌を行き交っているモノ」というイメージが非常に強く、何か愛着も沸く…
↓車輌を眺めようと、奥の4号車側まで歩くのだが…それでも「改札から近いのが好い…」と指定席は1号車を希望する…
↑1号車は半分弱がグリーン車なので普通の指定席部分が少し狭い。椅子や椅子間の間隔は他の車輌と同じだが…
↓何時も稚内駅から列車で出掛けている関係上…稚内駅に関しては寧ろ「始発駅」と自身では認識している…
雲が多い早朝…:稚内港北防波堤ドーム(2019.10.08)
「浪の音が聞こえない…」という状況…少し興味が膨らんで、海岸側に廻り込んで様子を眺めてみた…
↓海は実に静かだった…
最近はもっと好天でも浪が強い状況や天空に厚い雲が広がる下で風浪が強い状況に遭遇しているので、こういうように「静かな海」という感じが少しだけ新鮮だった…
↓海岸に佇む分には然程「風の強さ」は感じないが…上空は大きな雲が存外に強い勢いで流れていた…
↑大き目な雲の一部は「天空を飛び回る巨大生物」を想像させるものが在る…
↓風…雲…雲に阻まれて放たれ悪い光…色々な要素が組み合わさり、天空とその様子を跳ね返す海面の状況は刻々と変わる…
↓僅かに見える雲の薄目な部分で、朝陽の光が干渉しているような様子が見受けられる…
↓日出の時刻を少し過ぎているが…光は解き放たれていないというような感だ…
毎日、空や海の様子は変わる…思い付いた時に、そういう様子を眺める…なかなかに好い楽しみ方であるように思っている…
↓海は実に静かだった…
最近はもっと好天でも浪が強い状況や天空に厚い雲が広がる下で風浪が強い状況に遭遇しているので、こういうように「静かな海」という感じが少しだけ新鮮だった…
↓海岸に佇む分には然程「風の強さ」は感じないが…上空は大きな雲が存外に強い勢いで流れていた…
↑大き目な雲の一部は「天空を飛び回る巨大生物」を想像させるものが在る…
↓風…雲…雲に阻まれて放たれ悪い光…色々な要素が組み合わさり、天空とその様子を跳ね返す海面の状況は刻々と変わる…
↓僅かに見える雲の薄目な部分で、朝陽の光が干渉しているような様子が見受けられる…
↓日出の時刻を少し過ぎているが…光は解き放たれていないというような感だ…
毎日、空や海の様子は変わる…思い付いた時に、そういう様子を眺める…なかなかに好い楽しみ方であるように思っている…
薄暗い早朝…:稚内港北防波堤ドーム(2019.10.08)
早朝、何となく愛用の腕時計に眼を落とせば、未だ「日出の時刻」には間が在った…“機械式自動巻”の腕時計に時々在る「何処かの時点でさり気なく停まる…」を危惧して、拙宅内のアラームクロックも見たが、特段に問題は無い…確かに日出前だった…
最近は日出の時刻がやや遅くなって来ていることも手伝っているのであろうが、「何やら酷く薄暗くないか?」と感じるような状況だったのだ…
↓戸外に出て様子を伺った…
↑稚内港北防波堤ドームの傍に近寄ったが…厚目で複雑に折り重なったような雲が広く天空に散っていて、日出前の時間帯に多少明るくなるべき箇所が明るくなっていなかったのだ…
↓少し高くなっている<プロムナード>に佇んでも、浪の音は聞こえない…海上が静かになっている…
戸外に出て、何となく歩いて思ったのは…「12月や2月に関西方面へ出た時と似たような服装?」ということだった。俄かに「些か温い空気」が駆逐され、「冬へ…向かっている…」という感が強くなっている。が、この朝は風浪がやや強い日よりも“寒さ”は緩い…
↓雲の拡がる様が面白いが…全般に「色濃い夜の残滓」というような気がした…
思い付いて「その辺を一寸…」という具合に出て、こういう景色を観られる…非常に好いことだ!
最近は日出の時刻がやや遅くなって来ていることも手伝っているのであろうが、「何やら酷く薄暗くないか?」と感じるような状況だったのだ…
↓戸外に出て様子を伺った…
↑稚内港北防波堤ドームの傍に近寄ったが…厚目で複雑に折り重なったような雲が広く天空に散っていて、日出前の時間帯に多少明るくなるべき箇所が明るくなっていなかったのだ…
↓少し高くなっている<プロムナード>に佇んでも、浪の音は聞こえない…海上が静かになっている…
戸外に出て、何となく歩いて思ったのは…「12月や2月に関西方面へ出た時と似たような服装?」ということだった。俄かに「些か温い空気」が駆逐され、「冬へ…向かっている…」という感が強くなっている。が、この朝は風浪がやや強い日よりも“寒さ”は緩い…
↓雲の拡がる様が面白いが…全般に「色濃い夜の残滓」というような気がした…
思い付いて「その辺を一寸…」という具合に出て、こういう景色を観られる…非常に好いことだ!
ウォバッシュのワークシャツ…:洗濯終了…(2019.10.05)
以前にも何となく写真に収めた経過が在るという代物だが…何となく写真に収めてしまった…
↓ズボンに使用されていても違和感が無いような分厚い生地のワークシャツ…夏の間は出番が殆ど無かったが、また出番が増えつつある中、少し汚れたので洗った訳だ…
↑洗濯を繰り返したことによる、些かの褪色にも気付く感じになっている…
20世紀初頭にインディアナ州の会社が始めて、「川の流れのようなストライプ」ということで、地元のウォバッシュ川の名を冠するようになった…という由来が在るらしいこのウォバッシュの生地で造られたワークシャツ…非常に気に入っている!
↓ズボンに使用されていても違和感が無いような分厚い生地のワークシャツ…夏の間は出番が殆ど無かったが、また出番が増えつつある中、少し汚れたので洗った訳だ…
↑洗濯を繰り返したことによる、些かの褪色にも気付く感じになっている…
20世紀初頭にインディアナ州の会社が始めて、「川の流れのようなストライプ」ということで、地元のウォバッシュ川の名を冠するようになった…という由来が在るらしいこのウォバッシュの生地で造られたワークシャツ…非常に気に入っている!
“チェルニャーシカ”…:ロシアの水兵さん仕様のボーダーシャツ…:洗濯終了…(2019.10.05)
夏季用の袖無しを何となく写真に収めた経過が在るのだが…ロシアの水兵さん仕様のボーダーシャツは、本来は長袖Tシャツのような感じのモノである…
↓こういう代物だ…
↑色々な設えというのか、生地の薄い、厚いが在るのだが…「あの店で売っているモノが何となく好い」とユジノサハリンスクの、店員さん達に覚えられる程度に寄っていた店で求めたモノだ…サハリンで多用したが、サハリンから離れた場所でも随分と多用している…「着易い長袖Tシャツ」という感じだ…
これのことをロシア語で“チェルニャーシカ”と称する。本来は海軍で艦船に乗る水兵さん等が着用するモノだったが…このボーダーの色違いで、他の軍種や政府機関でも兵士達や関係者達がユニフォームの一部として着用している例も見受けられる。よく知られているのは空挺軍(※ロシアでは「空挺部隊」ということでもなく、“陸軍”とか“空軍”とか“海軍”のような「独立軍種」の位置付けで“空挺軍”が在る…)の将兵が、明るめな青のボーダーシャツを戦闘服の下に着用している事例だ。精鋭部隊たる空挺軍の兵士であることを誇示するように、襟元を敢えて広目に開けて、明るめな青のボーダーシャツが敢えて覗くようにするのが、彼らの流儀らしい…
「ロシア土産」ということでは、自身にとっては「最も身近で使用頻度が高いモノ」ということになる…
↓こういう代物だ…
↑色々な設えというのか、生地の薄い、厚いが在るのだが…「あの店で売っているモノが何となく好い」とユジノサハリンスクの、店員さん達に覚えられる程度に寄っていた店で求めたモノだ…サハリンで多用したが、サハリンから離れた場所でも随分と多用している…「着易い長袖Tシャツ」という感じだ…
これのことをロシア語で“チェルニャーシカ”と称する。本来は海軍で艦船に乗る水兵さん等が着用するモノだったが…このボーダーの色違いで、他の軍種や政府機関でも兵士達や関係者達がユニフォームの一部として着用している例も見受けられる。よく知られているのは空挺軍(※ロシアでは「空挺部隊」ということでもなく、“陸軍”とか“空軍”とか“海軍”のような「独立軍種」の位置付けで“空挺軍”が在る…)の将兵が、明るめな青のボーダーシャツを戦闘服の下に着用している事例だ。精鋭部隊たる空挺軍の兵士であることを誇示するように、襟元を敢えて広目に開けて、明るめな青のボーダーシャツが敢えて覗くようにするのが、彼らの流儀らしい…
「ロシア土産」ということでは、自身にとっては「最も身近で使用頻度が高いモノ」ということになる…
<牝牛舎>:<札幌農学校第2農場>:北海道大学総合博物館(2019.09.28)
浪と光と…:稚内港北防波堤ドーム(2019.10.06)
稚内港北防波堤ドームそのものの近くから、その屋蓋が見える海岸の側へ廻ると…浪の音が聞こえている…
↓海面がうねり、ランダムに浪が護岸を叩き、飛沫も跳ねている…
↓雲も流れて雨が降らなくなり、空も明るくなって、風も弱くなっていたが…海面のうねりや浪は、前々日に視た時より少しばかり弱くなったような気はするものの、しぶとく残っているように思える…
↓うねる海面や浪の他方、明るめな空に日出前の朝陽の光が干渉している様子が見受けられた…
↓そして“旭日旗”のように光が拡がる…
↓やがて朝陽が丘陵の彼方に覗いた…海は変わらずにうねりながら波打っていたが…
多少冷えた空気感の中、何となく手が冷たくなってしまった朝だった…
↓海面がうねり、ランダムに浪が護岸を叩き、飛沫も跳ねている…
↓雲も流れて雨が降らなくなり、空も明るくなって、風も弱くなっていたが…海面のうねりや浪は、前々日に視た時より少しばかり弱くなったような気はするものの、しぶとく残っているように思える…
↓うねる海面や浪の他方、明るめな空に日出前の朝陽の光が干渉している様子が見受けられた…
↓そして“旭日旗”のように光が拡がる…
↓やがて朝陽が丘陵の彼方に覗いた…海は変わらずにうねりながら波打っていたが…
多少冷えた空気感の中、何となく手が冷たくなってしまった朝だった…
湿っている早朝…:稚内港北防波堤ドーム(2019.10.06)
前日の薄暗さを想えば、少し明るい感じの早朝…日出の時刻に少々間が在った中で戸外へ…
前日は、外側に開く扉が風で圧されて開け悪いという現象さえ見受けられたが、そのような状況は無くなっていた…
前日は雨も交じったが、その雨も上がっている…が…何やら空気感が冷たくなってしまっていた…
↓少し前に雨が降ったのであろう…路面が濡れて、未だ乾いていない…
↓「消灯」となってしまう前の稚内港北防波堤ドームの灯り、構造物の形状、加えて空の感じや空気感が濡れた路面に跳ね返っている感だ…
↓静かな休日の少し湿った朝という風情だ…
↓こういう場所を日々、思い立った時に眺められるというのは非常に恵まれた状況だと、立寄る都度に思う…
前日は、外側に開く扉が風で圧されて開け悪いという現象さえ見受けられたが、そのような状況は無くなっていた…
前日は雨も交じったが、その雨も上がっている…が…何やら空気感が冷たくなってしまっていた…
↓少し前に雨が降ったのであろう…路面が濡れて、未だ乾いていない…
↓「消灯」となってしまう前の稚内港北防波堤ドームの灯り、構造物の形状、加えて空の感じや空気感が濡れた路面に跳ね返っている感だ…
↓静かな休日の少し湿った朝という風情だ…
↓こういう場所を日々、思い立った時に眺められるというのは非常に恵まれた状況だと、立寄る都度に思う…
虹…(2019.10.06)
深夜から早朝に雨が交じったと思われる痕跡が見受けられた早朝…分厚い雲も流れ去り、風も強くない感じになった他方、海上はうねりや浪が残っていた…そして空気は少々冷えていた…
海岸部へ出て、そういう早朝の様子を眺めて拙宅へ引揚げ、好い景色が眺められたと満足し、<大阪ストロング>でも淹れようと湯を沸かす。湯が沸くまでの間、玄関前に出て戸外を伺った…
↓天空に…虹!?
↑即座に拙宅からカメラを取出して、素早く撮ってみた…
確りとカラーでも撮ったのだが、敢えてモノクロでも…
海岸部へ出て、そういう早朝の様子を眺めて拙宅へ引揚げ、好い景色が眺められたと満足し、<大阪ストロング>でも淹れようと湯を沸かす。湯が沸くまでの間、玄関前に出て戸外を伺った…
↓天空に…虹!?
↑即座に拙宅からカメラを取出して、素早く撮ってみた…
確りとカラーでも撮ったのだが、敢えてモノクロでも…
初めて洗濯した<ムサシジーンズ>…(2019.10.05)
強風に圧された扉を開けて、モノが詰まったバッグを負ってコインランドリーへ出たという朝だった…
↓着用するようになって2週間余り…新しいジーンズを初めて洗濯した…
↑何となく持って出た<X100F>で、洗濯が終わった場面で撮影してしまった…
↓裏側の感じ…
↓「国産」を謳う代物である…
“新品”状態で試着してみれば、公称している「14oz」という「より分厚い?」という感、非常に硬い感じであったが、次第に馴染んだ…洗ってみれば更に馴染んだ…
デニムは写真に撮ると一寸面白い感じに写る…それが愉しいので撮るのだが、同時に「愛着感が沸く日用品を記録に…」という想いも在る…これも大切に愛用したい感の一本である…
↓着用するようになって2週間余り…新しいジーンズを初めて洗濯した…
↑何となく持って出た<X100F>で、洗濯が終わった場面で撮影してしまった…
↓裏側の感じ…
↓「国産」を謳う代物である…
“新品”状態で試着してみれば、公称している「14oz」という「より分厚い?」という感、非常に硬い感じであったが、次第に馴染んだ…洗ってみれば更に馴染んだ…
デニムは写真に撮ると一寸面白い感じに写る…それが愉しいので撮るのだが、同時に「愛着感が沸く日用品を記録に…」という想いも在る…これも大切に愛用したい感の一本である…
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<穀物庫>または<コーンバーン>(玉蜀黍庫):<札幌農学校第2農場>:北海道大学総合博物館(2019.09.28)
↓何となく「趣が在る木造建築…」と見入ってしまった…
↑辺りの木の枝を通り抜けた陽射しが、板を組み合わせた壁に当たっている様が面白い…
↓建物全般が見え易い位置に廻れば、なかなかに特徴的な外観の建物だ…
これは穀物を保管する目的で、高床式に建てたという建物だ。玉蜀黍(トウモロコシ)を保管している場所ということで<コーンバーン>という通称が在るのだという。
↓建物内の急な階段…
これは1877年に建てられ、1911年に現在の位置に移転したのだという。この建物の屋根の構造は<札幌農学校演武場>(現在の<札幌市時計台>)によく似ていて、同じ建築家の設計と推定されているそうだ…
「明治の初め頃」ということになる1877年頃の建物は、「明治時代末期」ということになる1910年、1911年頃に移転している。その際に多少の手が加わっているのだが、この<コーンバーン>は最初の建物の部材をそのまま転用しているとされる部分が多く、「明治初め頃の、設立されて日が浅かった農場の風情」というようなモノをよく伝えているのだという…
この種の建物は、単純に見て面白いのだが、何か創建当時の人達の「北の地での新たな仕事に賭けようという想い」が滲むような気もして、少しぼんやりと眺めていた…
↑辺りの木の枝を通り抜けた陽射しが、板を組み合わせた壁に当たっている様が面白い…
↓建物全般が見え易い位置に廻れば、なかなかに特徴的な外観の建物だ…
これは穀物を保管する目的で、高床式に建てたという建物だ。玉蜀黍(トウモロコシ)を保管している場所ということで<コーンバーン>という通称が在るのだという。
↓建物内の急な階段…
これは1877年に建てられ、1911年に現在の位置に移転したのだという。この建物の屋根の構造は<札幌農学校演武場>(現在の<札幌市時計台>)によく似ていて、同じ建築家の設計と推定されているそうだ…
「明治の初め頃」ということになる1877年頃の建物は、「明治時代末期」ということになる1910年、1911年頃に移転している。その際に多少の手が加わっているのだが、この<コーンバーン>は最初の建物の部材をそのまま転用しているとされる部分が多く、「明治初め頃の、設立されて日が浅かった農場の風情」というようなモノをよく伝えているのだという…
この種の建物は、単純に見て面白いのだが、何か創建当時の人達の「北の地での新たな仕事に賭けようという想い」が滲むような気もして、少しぼんやりと眺めていた…
<産室追込所耕馬舎>または<モデルバーン>(模範家畜房):<札幌農学校第2農場>:北海道大学総合博物館(2019.09.28)
↓なかなかに大きな木造建築だ…
↓大きな扉の上に、牛の頭を模ったモノが飾られている…
これはかのクラーク博士が指導し、米国マサチューセッツ州で手掛けたモノに準じて1877年に建てた畜舎である。そして1910年に現在地に移転されたそうだ…
↓この大きな畜舎の内部である…
牛や馬を飼うため、牛や馬そのものを収容すると同時に飼料を置く場所にもなったという建物で、「模範家畜房」という意味合いが強いでもない建物であるそうだが、創建時に<モデルバーン>という通称が登場して定着し、現在でもそのように呼ばれているそうだ…
畜産のノウハウ蓄積に向けた研究、新たに畜産に取り組もうという人達への技術普及、その他色々な活動の舞台となった筈の場所だ…実際に家畜を飼う用途で使うことを止めてしまって以降は「文化財建築…」ということで管理するに留まっていたが、大学の歴史、産業の歴史を伝える場として公開されるようになって行った訳だ…
自身は北海道大学に縁は薄い、と言うより何等の所縁も無いのだが、札幌との縁は浅くはない。にも拘わらず、偶々知って立ち寄ってみた今般、初めてここを見学したのだ。そういう事例は往々にして在るのかもしれない…
↓大きな扉の上に、牛の頭を模ったモノが飾られている…
これはかのクラーク博士が指導し、米国マサチューセッツ州で手掛けたモノに準じて1877年に建てた畜舎である。そして1910年に現在地に移転されたそうだ…
↓この大きな畜舎の内部である…
牛や馬を飼うため、牛や馬そのものを収容すると同時に飼料を置く場所にもなったという建物で、「模範家畜房」という意味合いが強いでもない建物であるそうだが、創建時に<モデルバーン>という通称が登場して定着し、現在でもそのように呼ばれているそうだ…
畜産のノウハウ蓄積に向けた研究、新たに畜産に取り組もうという人達への技術普及、その他色々な活動の舞台となった筈の場所だ…実際に家畜を飼う用途で使うことを止めてしまって以降は「文化財建築…」ということで管理するに留まっていたが、大学の歴史、産業の歴史を伝える場として公開されるようになって行った訳だ…
自身は北海道大学に縁は薄い、と言うより何等の所縁も無いのだが、札幌との縁は浅くはない。にも拘わらず、偶々知って立ち寄ってみた今般、初めてここを見学したのだ。そういう事例は往々にして在るのかもしれない…
木と池?池と木?:<札幌農学校第2農場>:北海道大学総合博物館(2019.09.28)
現在の北海道大学は明治時代に設けられた<札幌農学校>を起源としている。北海道を拓く中、当時の日本では知られていなかった米国等での農業(畜産や畑作)の技術ノウハウや諸知識を普及啓発する、或いは新しい技術を普及啓発するリーダーたる人材を育てることが目論まれた訳だ…
その<札幌農学校>は、当初から広々とした構内に農場を設けていたというが、その流れを汲む農場の施設が「博物館の資料展示」という位置付けで、訪ねて見学可能なようになっていると知った…
↓そういう訳で、とりあえず訪ねてみた…いきなり「画になる?!」という光景に出くわした…
↑「池に木が映り込む」と言うのか、「木が池の中?!」と言うのか、穏やかな晴天の中で鮮やかな様子が見受けられた…
北海道大学は、札幌の地下鉄南北線の沿線、さっぽろ駅の北西辺りから、沿線の北12条駅、北18条駅の近くまで「沿線3駅のエリアに広がる」という広大なキャンパスを擁している。<札幌農学校第2農場>は北18条駅に近い一画を占めている…
↓少し陽射しがキツいような気がした中、「<札幌農学校>の農場に着いた!」と木陰で何となく一息入れた…
↓古くから残っている木なのか、<札幌農学校>が開かれて施設群が整備される中で植えられた木なのか、それは不明ながら、なかなかに大きな木が水面にその姿を見せている…
↓ここから去ろうとした際…今一度、この池の様子を眺めて名残を惜しんだ…
こういう、古い時代の産業の様子を伝える場…一寸面白い…
その<札幌農学校>は、当初から広々とした構内に農場を設けていたというが、その流れを汲む農場の施設が「博物館の資料展示」という位置付けで、訪ねて見学可能なようになっていると知った…
↓そういう訳で、とりあえず訪ねてみた…いきなり「画になる?!」という光景に出くわした…
↑「池に木が映り込む」と言うのか、「木が池の中?!」と言うのか、穏やかな晴天の中で鮮やかな様子が見受けられた…
北海道大学は、札幌の地下鉄南北線の沿線、さっぽろ駅の北西辺りから、沿線の北12条駅、北18条駅の近くまで「沿線3駅のエリアに広がる」という広大なキャンパスを擁している。<札幌農学校第2農場>は北18条駅に近い一画を占めている…
↓少し陽射しがキツいような気がした中、「<札幌農学校>の農場に着いた!」と木陰で何となく一息入れた…
↓古くから残っている木なのか、<札幌農学校>が開かれて施設群が整備される中で植えられた木なのか、それは不明ながら、なかなかに大きな木が水面にその姿を見せている…
↓ここから去ろうとした際…今一度、この池の様子を眺めて名残を惜しんだ…
こういう、古い時代の産業の様子を伝える場…一寸面白い…
<永倉新八来訪の地>:北海道大学(2019.09.28)
↓札幌駅のやや北西…北海道大学の正門の辺り…歩道の上だ…
↑「誠」の文字が入った幟が描かれている?
「誠」の一文字をシンボルマークにしていたのは、幕末期に活躍した<新選組>である…
幕末期の京都で、幕府が派遣した「京都守護職」の会津松平家の傘下で、街の治安維持を目的に“不逞浪士”を取締り、斬り合いに及んで斬ってしまった例も多々在る…戊辰戦争と呼ばれる旧幕府系勢力と新政府との争いの中、旧幕府系勢力の最後の抵抗ということになった“箱館”の戦いで、新選組関係者も参加している…
そういう経過が在るので、北海道内では函館で新選組がやって来て戦いに参加した経過に因み、色々なグッズが売られていたりもする…札幌では?新選組に関連することが持ち上がる例は思い当たらない…が、「札幌都心の一隅」と言っても差し障りが少ないような、北海道大学の正門辺りに新選組のシンボルマークの「誠」が登場する…
↓歩道路上の「誠」の脇に、こういうモノを飾る謂れが綴られた立札が在る…
↓立札には、明治時代に新選組に居た経過が在る永倉新八が当時の<札幌農学校>に出入りしていて、若者に剣術の指導をしていた経過が紹介されている…
<新選組>だが…これには雑多な背景を有する「腕に覚え!」という人達が参加していた…
永倉新八は<新選組>の母体が立ち上がる当初から参加していた人物だ。中核的な隊士が出ている、江戸の剣術道場であった<試衛館>に関わっていた人物だ。<試衛館>とは、<新選組>の局長ということになって行った近藤勇が主宰していて「天然理心流」を伝える場であった。が、他流派の人達も盛んに出入りしていて“食客”となっていた。永倉新八もそういう“食客”の1人だった。永倉新八の剣術は「神道無念流」であったという。
この<新選組>に参加した人達等、当時の色々な人達に関する紹介で「○○脱藩」というのが見受けられる。「大名家の家中から離れて浪士となった」というのが「○○脱藩」ということだ。永倉新八に関しては「松前脱藩」ということになっている。
松前家は、蝦夷地(現在の北海道)で通商を行う権利に関して「知行」という扱いになっている、少し「変わり種」な大名家であったが、色々な必要性が在って江戸に邸を有していて、家中の武士達の中には江戸邸で働く者達も在った。永倉新八はその江戸邸に在った士の家の出であるようだ。<新選組>へと繋がる<浪士組>が京都へ向けて旅立つような時点で、松前家の江戸邸を離れてしまっているので「松前脱藩」という訳である…
戊辰戦争の展開の中、永倉新八は江戸で<新選組>の他の主立った人達と別れて行動することになる。そして新政府側から追われる身になってしまった時点で、松前家との縁が生き、救いの手が差し伸べられる。松前家中の杉村家の養子ということになって名前を変え、北海道に移り住んだ訳だ…その北海道に移り住んだ後、この北海道大学正門で紹介されている挿話、<札幌農学校>に出入りして若者に剣術の指導をしたという出来事が在るのだ。
ささやかなモニュメントだが…非常に興味深い!!
↑「誠」の文字が入った幟が描かれている?
「誠」の一文字をシンボルマークにしていたのは、幕末期に活躍した<新選組>である…
幕末期の京都で、幕府が派遣した「京都守護職」の会津松平家の傘下で、街の治安維持を目的に“不逞浪士”を取締り、斬り合いに及んで斬ってしまった例も多々在る…戊辰戦争と呼ばれる旧幕府系勢力と新政府との争いの中、旧幕府系勢力の最後の抵抗ということになった“箱館”の戦いで、新選組関係者も参加している…
そういう経過が在るので、北海道内では函館で新選組がやって来て戦いに参加した経過に因み、色々なグッズが売られていたりもする…札幌では?新選組に関連することが持ち上がる例は思い当たらない…が、「札幌都心の一隅」と言っても差し障りが少ないような、北海道大学の正門辺りに新選組のシンボルマークの「誠」が登場する…
↓歩道路上の「誠」の脇に、こういうモノを飾る謂れが綴られた立札が在る…
↓立札には、明治時代に新選組に居た経過が在る永倉新八が当時の<札幌農学校>に出入りしていて、若者に剣術の指導をしていた経過が紹介されている…
<新選組>だが…これには雑多な背景を有する「腕に覚え!」という人達が参加していた…
永倉新八は<新選組>の母体が立ち上がる当初から参加していた人物だ。中核的な隊士が出ている、江戸の剣術道場であった<試衛館>に関わっていた人物だ。<試衛館>とは、<新選組>の局長ということになって行った近藤勇が主宰していて「天然理心流」を伝える場であった。が、他流派の人達も盛んに出入りしていて“食客”となっていた。永倉新八もそういう“食客”の1人だった。永倉新八の剣術は「神道無念流」であったという。
この<新選組>に参加した人達等、当時の色々な人達に関する紹介で「○○脱藩」というのが見受けられる。「大名家の家中から離れて浪士となった」というのが「○○脱藩」ということだ。永倉新八に関しては「松前脱藩」ということになっている。
松前家は、蝦夷地(現在の北海道)で通商を行う権利に関して「知行」という扱いになっている、少し「変わり種」な大名家であったが、色々な必要性が在って江戸に邸を有していて、家中の武士達の中には江戸邸で働く者達も在った。永倉新八はその江戸邸に在った士の家の出であるようだ。<新選組>へと繋がる<浪士組>が京都へ向けて旅立つような時点で、松前家の江戸邸を離れてしまっているので「松前脱藩」という訳である…
戊辰戦争の展開の中、永倉新八は江戸で<新選組>の他の主立った人達と別れて行動することになる。そして新政府側から追われる身になってしまった時点で、松前家との縁が生き、救いの手が差し伸べられる。松前家中の杉村家の養子ということになって名前を変え、北海道に移り住んだ訳だ…その北海道に移り住んだ後、この北海道大学正門で紹介されている挿話、<札幌農学校>に出入りして若者に剣術の指導をしたという出来事が在るのだ。
ささやかなモニュメントだが…非常に興味深い!!
些か強めな風浪…曇天…:稚内港北防波堤ドーム(2019.10.04)
「暗さが“深い”?」と感じられるような早朝だった…前日の同じような時間帯の様子を想えば、「一層に曖昧な夜と朝との境界」とでも呼ぶべき感で、何やら厚目な雲が低い空から高い空にまで拡がっているという様子だった…
そういう中、長袖Tシャツの上に“ウルトラライトダウン”を着て、ベースボールキャップ着用というような服装で戸外へ…昨日まで残っていた「些かの温い空気」は拭われてしまった感で、多少風が強い感だった…
↓この辺りに近付く中で「寄せる強めな浪」を思わせる音は聞こえていたが…
↓なかなかに強めな浪が見受けられた…
↓浪が穏やかな場合は、もっと“水際”に近寄ることも出来るが…今般は「ランダムに強い波が高い飛沫を上げながら護岸を叩く…」という感で、無理に寄るようなことは避けた…
こんな様子を眺めていれば…雨が交じり始めた…早々に引揚げた…
こういう「荒天…」に寄った感じの様子…秋が深まる中で散発するように思う…序に…この種の画はモノクロが酷く似合うような気もする…
そういう中、長袖Tシャツの上に“ウルトラライトダウン”を着て、ベースボールキャップ着用というような服装で戸外へ…昨日まで残っていた「些かの温い空気」は拭われてしまった感で、多少風が強い感だった…
↓この辺りに近付く中で「寄せる強めな浪」を思わせる音は聞こえていたが…
↓なかなかに強めな浪が見受けられた…
↓浪が穏やかな場合は、もっと“水際”に近寄ることも出来るが…今般は「ランダムに強い波が高い飛沫を上げながら護岸を叩く…」という感で、無理に寄るようなことは避けた…
こんな様子を眺めていれば…雨が交じり始めた…早々に引揚げた…
こういう「荒天…」に寄った感じの様子…秋が深まる中で散発するように思う…序に…この種の画はモノクロが酷く似合うような気もする…