ユジノサハリンスク市街鳥瞰…(2019.10.28)

ユジノサハリンスク空港から…否!<ユジノサハリンスクA.P.チェーホフ空港>から新千歳空港へのフライトを利用した…

「通用口??」のような、隅っこの判り悪い入口から建物に入り、手荷物等の保安検査が在って、税関の関係で手荷物等を機会に通すチェックが在って、機内預け荷物を預けるような搭乗手続きが在って、狭苦しい感もする階段を上って、出国手続きが在って、保安検査で…ここで初めて「座って搭乗を待つ」ということが叶う場所に辿り着く。そしてまた、狭苦しい感もする階段を下ってバスに乗せられ、漸く飛行機に乗り込む訳だ…

↓離陸した小さな飛行機は…市街地が見え易い方角へ上昇した…流れる雲が地上に影を落としている…
28-10-2019 fly over Sakhalin (2)
↑画の真ん中辺りに…<ハリストス生誕主教座大聖堂>が視える…

↓画の中程にテレビ塔が視え、左側に州政府本庁舎の「横長に大き目な建物」も視える…
28-10-2019 fly over Sakhalin (3)

「市内で最も嫌いな場所」(=空港の「国際」の搭乗関係の場所…)を経て、よく馴染んだ「市内で気に入っているエリア」を上空から眺めることが叶った…

レーニン像…:ユジノサハリンスク(2019.10.24)

好天に恵まれた中、ユジノサハリンスク市内を歩き廻る機会が在った…

↓久し振りに「これ!」を眺めた…
24-10-2019 (17)
↑広場の巨大なレーニン像である…(当然のことながら)「相変わらず」な佇まいだ…この像は「酷くスタイルが好い…」という感じもする像だ…

1970年に「レーニン生誕100年」というようなことで、ソ連全土の方々の街にレーニン像が登場したのだという。ユジノサハリンスクの「これ!」も、その1970年に登場している。

嘗て、「共産党系政権の“退場”」というようなことが方々で在った、元号が平成に切り替わったような時期、「レーニン像を撤去」というのが見受けられ、そういう映像が繰り返し伝えられていた。その印象が強烈であるが故に、こういう大きなレーニン像に関して「こんなモノ?未だ在る??」と驚かれる場合も在る…

が…このレーニン像は9mも在ると言われるモノが大きな台座に載っているモノで、撤去だの取り壊しというのにも、酷い手間と経費―一寸した建物を新築する位の経費は必要であろうか?―を要することは間違い無い…元号が平成に切り替わったような頃、ロシアが体制を変えたような頃、口を開けば…否!口を開く前から「金が無い!!!」が連呼されていた状況で、特段に何かの妨げになっているのでもない広場の銅像がどうであろうと、誰も知ったことではなかった訳だ…そこで「これ!」は何となく残った…

そして年月を経て…何時の間にかサハリン州政府の文化省がこの像を“文化財”に指定していて、台座の脇にその旨を記したプレートが貼り付けられている…

色々な経過が在った訳だが…何やらこの巨大なレーニン像は、移ろう街の様子や人々の様子を、この場で静かに見守り続けているような感だ。そして、自身もこの像を眺めるのが気に入っている…