旭川駅…(2019.10.22)

「札幌方面への南下」という場面になると…自身では「とりあえず列車に乗って…」と考えるのだが、周囲の様子を伺うと、最近では「都市間バス利用」が「何となく主流?」なように見受けられる…それはそれとして「新千歳空港で飛行機に乗ることに備える」という移動の必要性が生じた際、列車で出発した…

↓朝早くに稚内駅を発った列車が旭川駅に至り、ホームで一息という場面だ…この風情が何やら酷く気に入っている…
22-10-2019 Asahikawa Station (2)
↑右端は札幌へ向かうべく乗車する789系電車の<ライラック>…隣が稚内駅から到着したキハ261系ディーゼルカーの<サロベツ>…更に普通列車のキハ40も待機中だ…更に画には入らない右端には美瑛へ向かうキハ150も待機している時間帯である…

↓左端の線にもキハ40の普通列車が姿を見せた…
22-10-2019 Asahikawa Station (3)

↓端のキハ40が隠れてしまったが、左側の線に789系電車の<カムイ>が到着した…
22-10-2019 Asahikawa Station (7)
↑<カムイ>の到着を待って、停車していた<サロベツ>は画の奥側、旭川駅の少し北に在る車輌基地の方向へエンジン音を高らかに上げながら去って行く…

↓<サロベツ>が去ってしまったので「4番線」は空いた…
22-10-2019 Asahikawa Station (8)

こんな風情を愉しむが…何時までもぼんやりと眺めている訳にも行かない…<サロベツ>に乗車して、札幌までの「残り“三分の一”弱位?」という行程を走破する…

「概ね10分間程度の乗換」という時間…階段を上り下りするように面倒なことも無いのであれば、「身体を伸ばして、行きかう列車の様子を眺めてリラックス」というようなことで、決して悪くないのではないかと思っている。それはそれとして、旭川駅の「SF調?」な内装の中、この内装が似合うような比較的新しい特急列車用車輌も、多少年季が入った普通列車の車輌も一緒に行き交っている様子を視るのが妙に気に入っている…

雲に覆われた空の下…:稚内港北防波堤ドームを中央埠頭側から望む…(2019.11.06)

↓厚い雲が複雑に折り重なりながら強風に流されている…そんな感じがした…
06-11-2019 morning (4)
↑滑らかな海面は、渡る風に掻き回されているような感だ…

↓“縦位置”で、やや高めな空まで画の中に収めると、雲の複雑な様子がより面白いかもしれない…
06-11-2019 morning (3)

↓刺さるように冷たい風の中…灯りまでもが「冷たく光を放つ」かのように感じた…
06-11-2019 morning (11)

愛用の<X100F>を掴んで戸外へ出たが…正直「(冷たく少々強い風が)キツい…」とも思って早めに引揚げた早朝だった…

刺さるような寒風の中…:稚内港中央埠頭を望む…(2019.11.06)

前夜は眠気に身体を委ねて早々と休み、「未だ深夜も同然」という雰囲気の早朝に目を開けた…「外の様子は?」と思い立ち、<X100F>を掴んで戸外へ…

↓全般に「暗い…」と感じるが、雲が多めであるが故であった…
06-11-2019 morning (6)
↑こういうように海を視て佇むと、背中の側になるのだが、陸側から海側に向けて少し「鋭利で冷たい…」というように感じる風が吹き抜けていた…

↓映り込んだ灯りが揺らぐ海面は、渡る風で掻き回されているかのような感じだ…
06-11-2019 morning (9)

↓風はやや強く、上空の雲の流れも速いような気がした…
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黙って埠頭に佇んでいるのが…正直「キツい…」とも思った。そう思ったのは、或いは「今季初…」かもしれない…そして素早く拙宅へ引揚げた…

それにしても…愛用の<X100F>は、こういう「好くない状況」でも付き合ってくれ―持ち主が無理に持ち出しているというだけかもしれないが…―て、確りと「好い仕事」をしてくれるものだ…

この後…雲が更に増え、冷たい雨が混じるような天候になって行った…

九五式戦車…:サハリン州郷土博物館(2019.10.24)

ユジノサハリンスクの<サハリン州郷土博物館>の敷地には、色々なモノが「屋外展示」として据えられている…

↓その中にこんなモノが在る…
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↑戦史を伝えるべく、修復が施されてここに展示されたという代物だが…占守島の戦いに参加した日本の九五式戦車である…遠く占守島から運び込んで修復をした訳だ…

「占守島」とは、殆どカムチャッカ半島に近いような、千島列島の北側に在る島だ。1945(昭和20)年8月、この地に在った戦車部隊である第11連隊を中心とした日本軍が、8月18日に上陸したソ連軍と交戦に及んだ経過が在った…

この展示を視て、存外に小さな車輌であることに多少驚く…同時代の堂々たる大きさのソ連軍戦車と比べれば、この九五式戦車は余りにも小さいが…占守島の戦いではそういう大きな戦車を向こうに回したのでもなく、上陸した歩兵等との交戦であったという。

戦車の砲塔に「士」という文字のようなモノが見える。これは「十一」を縦に重ねるようにして書くと、「武士」、「士魂」、「士道」という言葉に出て来る「士」の字になるということで、この第11連隊で好んで用いたマーキングであるという。永年の風雪で傷んでいたであろう戦車の修復に際し、将兵が想いを込めて書き込んだ“士”のマークは判読可能な状況だったのだと見受けられるが、確り再現されている…

↓展示されている九五式戦車の脇に、ロシア語と英語で説明をしたパネルが据えられていた…
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平和な時代に戦史を伝えるこういう展示…存外に大切なように思う。日本軍が用いたという戦車…正直、このユジノサハリンスクの展示でしか見た記憶が無い…

↓因みに「占守島の戦い」に関することでは、下記の小説がお勧めだ…
>>『終わらざる夏』