↓<旧室蘭駅>の建物が在る直ぐ前にこういう階段が見受けられる…
↑意外に急な階段だ…
この急な階段を上がると、「段々」のように街が拡がった箇所の道路に行き当り、そこから更に石段が設けられている。その石段もゆっくりと上る…
↓高台に神社が鎮座している…
↓なかなかに好い趣であると思った…
この神社…1869(明治2)年に<函館八幡宮>の分霊を奉って地域の鎮守として起こった神社で、<室蘭八幡宮>という神社だ。古くは、皇太子時代に北海道を訪れている大正天皇、更に昭和天皇が足跡を残している神社でもある。
↓重厚な感じがする社殿だ…
↑1938(昭和13)年の建物であるという…
↓年末ということで、何となく忙しそうな雰囲気ではあった…
少し「独特な趣」を感じる場所だ。独特な地形の高台であるからかもしれない…
<スーパー北斗>:キハ261系ディーゼルカー:東室蘭駅(2019.12.25)
↓東室蘭駅で列車から下りた…
↑列車の後尾側、「ひがしむろらん」という駅名標と共に、乗せて頂いた列車を写真に収めた…
「函館→札幌」の列車では、先頭側が自由席で、最後尾がグリーン席となるようで、後ろから2輛目の指定席に陣取る―早朝の函館駅で指定席券を確保した…―ことにして函館から東室蘭へ移動したのだった…
↓直ぐに次の停車駅へ向けて出発するという僅かな間…ホームで、何となく乗って来た列車を見送る…意外に好きな事である…
↓程無く、札幌の方向へ列車は去って行った…
↑列車の後尾側、「ひがしむろらん」という駅名標と共に、乗せて頂いた列車を写真に収めた…
「函館→札幌」の列車では、先頭側が自由席で、最後尾がグリーン席となるようで、後ろから2輛目の指定席に陣取る―早朝の函館駅で指定席券を確保した…―ことにして函館から東室蘭へ移動したのだった…
↓直ぐに次の停車駅へ向けて出発するという僅かな間…ホームで、何となく乗って来た列車を見送る…意外に好きな事である…
↓程無く、札幌の方向へ列車は去って行った…
<スーパー北斗>:キハ261系ディーゼルカー:函館駅(2019.12.25)
↓函館駅のホーム…「はこだて」という駅名標が掲げられた柱が在って、その向こうに待機中の列車が視える。
↑何となく「画になる様子…」と足を停めて眺めてしまった…
函館駅は「行き止まり式」な軌道が並んで、“フォーク形”に乗降を行うホームが設えられている。端の8番ホームに関しては、嘗ては機関車が交替する「青函トンネルへ向かう客車の列車」が発着した場所で、他のホームでは行き止まりになっている箇所が行き止まりになっていない。函館到着まで先頭だった機関車を切り離して、機関車が少し前へ動く。そして後尾であった側に別な機関車―青函トンネル区間専用に使われていたモノ―を連結して、そちらが先頭になって列車は青函トンネル、更に青森駅へ向かったのだった。
↓何度か過去に利用した列車のことを思い出しながら、札幌駅へ向かう列車を眺めて乗車である…
↑近年、函館・札幌間の列車はドンドンとキハ261系ディーゼルカーの割合が増えている…登場した頃は「何やら見慣れない…」と落ち着かないように思えた先頭車の色合いも、少し眼に馴染んだ感である…
↓未だ乗客が然程多くない間、余裕を持って乗車した…座席の感じを写真に撮っておく…
↑この座席の感じ…稚内・旭川間で視掛ける「最初期のキハ261系ディーゼルカー」とは感じが少し違う…札幌・旭川間等で視掛ける特急型電車の座席や、函館・札幌間で視掛ける他の型の特急型ディーゼルカーの座席と殆ど同じだ…
このキハ261系ディーゼルカー…今後も割合が多くなって、どうやら「北海道内の特急列車」というイメージになって行きそうだという…
↑何となく「画になる様子…」と足を停めて眺めてしまった…
函館駅は「行き止まり式」な軌道が並んで、“フォーク形”に乗降を行うホームが設えられている。端の8番ホームに関しては、嘗ては機関車が交替する「青函トンネルへ向かう客車の列車」が発着した場所で、他のホームでは行き止まりになっている箇所が行き止まりになっていない。函館到着まで先頭だった機関車を切り離して、機関車が少し前へ動く。そして後尾であった側に別な機関車―青函トンネル区間専用に使われていたモノ―を連結して、そちらが先頭になって列車は青函トンネル、更に青森駅へ向かったのだった。
↓何度か過去に利用した列車のことを思い出しながら、札幌駅へ向かう列車を眺めて乗車である…
↑近年、函館・札幌間の列車はドンドンとキハ261系ディーゼルカーの割合が増えている…登場した頃は「何やら見慣れない…」と落ち着かないように思えた先頭車の色合いも、少し眼に馴染んだ感である…
↓未だ乗客が然程多くない間、余裕を持って乗車した…座席の感じを写真に撮っておく…
↑この座席の感じ…稚内・旭川間で視掛ける「最初期のキハ261系ディーゼルカー」とは感じが少し違う…札幌・旭川間等で視掛ける特急型電車の座席や、函館・札幌間で視掛ける他の型の特急型ディーゼルカーの座席と殆ど同じだ…
このキハ261系ディーゼルカー…今後も割合が多くなって、どうやら「北海道内の特急列車」というイメージになって行きそうだという…
高田屋嘉兵衛の銅像…:函館(2019.12.24)
高田屋嘉兵衛(1769-1827)は廻船業者として活躍し、“箱館”を活動の拠点として整備したことが知られている…
↓函館にその高田屋嘉兵衛の大きな銅像が在る…
↑些か雪が交じったような中、一寸立寄って眺めてみた…
この大きな銅像は1958(昭和33)年に「函館開港100年」を記念して設置されたものであるという。
↓銅像が設置された辺りは、高田屋嘉兵衛自身の時代には、彼が箱館に在った時に活動していた屋敷が在ったと伝えられる辺りなのだという…
像の高田屋嘉兵衛は、苗字帯刀を許された商人としての正装に身を固めているが、これは「幕府の代理人」という立場でロシア艦と折衝を行った場面を再現したものであるとのことだ…
生まれ故郷である淡路島の<顕彰館>を訪ねてみた経過は在ったが、函館の銅像は初めてゆっくり眺めた。何か嬉しかった…
「街や港を拓いた」という人達の一人ということになる高田屋嘉兵衛…現在の辺りの様子をどんな想いで眺めているのであろうか?
↓函館にその高田屋嘉兵衛の大きな銅像が在る…
↑些か雪が交じったような中、一寸立寄って眺めてみた…
この大きな銅像は1958(昭和33)年に「函館開港100年」を記念して設置されたものであるという。
↓銅像が設置された辺りは、高田屋嘉兵衛自身の時代には、彼が箱館に在った時に活動していた屋敷が在ったと伝えられる辺りなのだという…
像の高田屋嘉兵衛は、苗字帯刀を許された商人としての正装に身を固めているが、これは「幕府の代理人」という立場でロシア艦と折衝を行った場面を再現したものであるとのことだ…
生まれ故郷である淡路島の<顕彰館>を訪ねてみた経過は在ったが、函館の銅像は初めてゆっくり眺めた。何か嬉しかった…
「街や港を拓いた」という人達の一人ということになる高田屋嘉兵衛…現在の辺りの様子をどんな想いで眺めているのであろうか?
<函館市青函連絡船記念館摩周丸>…(2019.12.25)
「函館」というのは、私のように「辿り着いた街で好き勝手に動き回って諸々の文物に触れながら景色を愉しむ」ということを好む者にとって、「動き回るべき場所」が多過ぎる…故に「そろそろ出発…」という段に至って「そう言えばあそこ?!」という場所を思い付いてしまうというのが多く見受けられる…
↓この<摩周丸>も、そうした「そう言えばあそこ?!」という場所の一つであるように思う…
↑早朝の函館駅での用事を思い立った時、宿から戸外に出てこの<摩周丸>の辺りを廻って歩いたのだった…
<摩周丸>…函館と青森との間、津軽海峡を往来していた連絡船であった船である。正式には<函館市青函連絡船記念館摩周丸>と言うそうだ…
「青函連絡船」に関しては…「2往復半」乗船している。小学生の頃、中学生の頃に各々往復している他、進学を目指して札幌から東京へ南下した際に片道乗船したので「2往復半」だ…
↓「12月下旬」と聞いて思い浮かべる程の雪は無い状況ながら、「冬の風情」が溢れ「地域らしい」という雰囲気を感じた…
ここ…また何時かゆっくりと寄りたい感だ…
↓この<摩周丸>も、そうした「そう言えばあそこ?!」という場所の一つであるように思う…
↑早朝の函館駅での用事を思い立った時、宿から戸外に出てこの<摩周丸>の辺りを廻って歩いたのだった…
<摩周丸>…函館と青森との間、津軽海峡を往来していた連絡船であった船である。正式には<函館市青函連絡船記念館摩周丸>と言うそうだ…
「青函連絡船」に関しては…「2往復半」乗船している。小学生の頃、中学生の頃に各々往復している他、進学を目指して札幌から東京へ南下した際に片道乗船したので「2往復半」だ…
↓「12月下旬」と聞いて思い浮かべる程の雪は無い状況ながら、「冬の風情」が溢れ「地域らしい」という雰囲気を感じた…
ここ…また何時かゆっくりと寄りたい感だ…