<祇園枝垂桜>:朝…(2020.03.31)

喫茶店から宿へ引揚げようとした際、八坂神社に道草したが…そこで思い出したのは<祇園枝垂桜>だった。

京都に到着した時の夕刻に視た「妖艶」な感じ…暗い早朝から動き始めた時に視た「幽玄」な感じ…これらに対し、やや雲が多目な感から天候が好転していた朝…「どのような様子?」と思ったのだ…

↓明るめな空を背景に、朝の光を受けている<祇園枝垂桜>が佇んでいた…
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↓暫し見入ってしまった…
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↑背景にしているのは西寄りな空である。朝の時間帯は正面から光が当たることになり、好天時には非常に見栄えが好くなると思う…

思い浮かんだのは「爽快」という語、或いは「快活」という語だ…

↓天候が好転している中、「天のキャンバスに枝垂桜を描き込んだ」というようにも見えた…
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滞在していた祇園の宿を去る前という状況だった朝である。そして京都を離れようともしていたが…こういう様子の<祇園枝垂桜>を視ると「再会を期す!」という気分になる。

「妖艶」な感じ「幽玄」な感じに続いて、また別な表情の<祇園枝垂桜>を視られた…自身にとって、<祇園枝垂桜>が酷く愛おしい存在となった。

<タマゴサンドウィッチ>と<珈琲>と…:<スマート珈琲店>(2020.03.31)

京都の祇園に宿を求めて滞在していた。京都を離れる朝は存外に「早い…」感じで訪れた。

宿の朝食が別料金である場合、朝食提供時間の以前から外に出る、またはチェックアウトして移動する場合も多いことから「朝食無しの“素泊まり”」とする場合が多い。今回もそのようにした。実際、早朝5時台から活動して午後3時台に引揚げるということもしてしまった位なのだ…

京都を離れようとしていた朝、不意に思い付いたのは「老舗喫茶店で朝に何か?」ということだった。宿から徒歩圏内で、何か在れば好いと思ったが…ネット検索してみれば、訪ね易い辺りに1軒、アッサリと見付かった!

↓こういう感じの店だ…
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「八坂神社が視えるような場所」からであれば…四条通を西へ進み、川を渡って阪急の京都河原町駅辺りに至り、木屋町通を北上して三条通に至り、そこから寺町通に入った辺りだ。商店街の中である…

↓「“昔”の“モダン”」という風だが、現在視ても洒落た感じのマークだ…
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↑朝の開店した辺りに入った…

↓階段が在って、2階席も設けられているようだったが、そちらはランチタイムに使用する場所のようで、1階に入った…
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↓メニュー表の表紙にも確り「1932(昭和7)年創業」と書き込まれている…
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↓<タマゴサンドウィッチ>というモノを頂いた…
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↓絶妙な柔らかさの玉子焼きがパンに挟まっている…
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↑玉子焼きは甘味料を加えていないと思う。「御好みで…」と塩が供された…

京都では玉子焼きを使うサンドイッチがポピュラーであるらしい…これを「最初に考案した人」というのは、凄い発想の人なのだと思った…

↓やがてこの店の定番となっているオリジナルブレンドの珈琲も出て来た。カップが美しい…
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こういうような「伝統」になっているような喫茶店というのは、なかなかに凄いと思う。私自身のような来訪者も、街の人達も利用しているような感じの場所で、私が在席した間も色々と出入りは在った…

京都は古くからの様々なモノが在る他方で、時代毎の新しいモノを積極的に導入して来たような面も在る。1930年代に珈琲を供する喫茶店は「目新しい事業」で、珈琲を普段から頂くというのも「目新しい慣習」だった筈で、それに挑んだ店の創業に携わった皆さんが在って、その事業が現在も受継がれている…

こういうモノに出くわすことが出来たのは好かった!

↓こちらがウェブサイトだ…
>>スマート珈琲店 昭和7年創業、京都三条の喫茶店

安堵感…:運行日誌(2020.03.31)

今日は…本当に「何時でも御休み頂いて結構です」という態勢に早々と入った感である…

深く眠って眼を開け、暫く起きていて再度休み、そして朝に起き出すに至ったが、起き出したのは「前日は既に戸外を動き回っていた時間帯」だった…宿の居室の窓から視えている<八坂神社>の一部も、既に灯りが目立たないか消えたかという時間帯だ。曇天の朝だ…

余り早くから動いても、朝に営業する喫茶店等が開店前である場合も在る訳で、少し居室でゆったりと寛ぐこととした…

そして少々散策に出た…

四条通を木屋町通方面へ進み、木屋町通を三条通方面へ北上し、やや西の寺町通に至る。そこで1932年創業を謳う老舗喫茶店の<スマート珈琲店>に入った…

<スマート珈琲店>では、京都の喫茶店では人気が高いという<玉子サンド>を頂いた。玉子焼きがパンに挟まれたサンドイッチだ。甘味を多分加えていない玉子焼きが美味く、それが柔らかいパンに挟まっていた。これは「なるほど美味い!」という感である。そしてオリジナルブレンドの珈琲もアッサリと苦い感じの「古くからの喫茶店で頂くことが出来るような感じ」で好かった。

そこからまた、少し違う経路で宿の周辺に引揚げ、八坂神社に足を運んだ。昨日寄った<HRC Kyoto>でさり気なく<八坂神社>の<祇園社>という文字が入った御朱印を飾って在るのを視て「そう言えば未だ入手していなかった」と思い出したのだった。

早朝の曇天は次第に好転して、陽射しが覗くようになり、天も蒼の部分が多くなった。何となく温かく感じられる状況だった。<祇園枝垂桜>を眺めに寄り、再会を期すこととした…朝の陽射しの中で、<祇園枝垂桜>は「爽快」とでもいうような表情を見せていたような気がした…京都や祇園に縁が深いのでも何でもない自身だが、桜の花の時季である祇園に2泊して、異なる時間帯に眺めてみたというだけで、<祇園枝垂桜>が愛おしくなってしまった。

宿のチェックアウトは午前11時だが、“キャンペーン”というようなことで12時ということになっていた…そんなことも頭に在るので、居室でゆったりと過ごすということにさせて頂いた…

最近…来訪者、参拝者が多目な神社では、各々が持ち込む御朱印帳に押印して文字を書き込むということを控え、予め用紙に記載押印したモノを交付という方式を専らとする場所が目立つようになっている。「このところの諸般の事情」ということである…そういう場所や、書く方が不在で予め用意の用紙ということになった場所の御朱印が些か溜まった…そこでスティック糊をコンビニで買って、それを使って御朱印帳に丁寧に貼り付けるというようなことをしていたのだった…

あれは2018年11月に九州に上陸し、大分県の宇佐神宮を訪ねた時だったが、前年に思わぬ負傷ということも在った中、何か大きな力のようなモノで「生かされている」ということに感謝しなければならないような気がしたものだ。そして神社の御朱印を集めてみるようになった…各地で神社に立寄ってみること自体、なかなか面白いと思うのだが、訪ねた神社では「そこへ無事に辿り着いたこと」や、先年の負傷やその他であろうとも「生きていられること」等に感謝すべく参拝をしている。普通に所謂「御参り」をしているに過ぎないが…そういうことをした足跡を「御朱印帳」に残しているということなのだ…

京都は…「異様に来訪者が溢れていて、訳が解らない…」という様相を呈していたが、現在はそういう感じでもない。かなり以前に何かで立寄ったような頃の雰囲気に近いものが在ると思う。今般、「聞いたことは在るが、そう言えば寄っていない…」というような按配の場所に足を運んでみることも適った。何か好かったと思う…

“北”へ還る航空券は神戸から札幌というモノを押さえて在るが…その便までの期間が未だ少し在る。以前であれば「動くことが叶う限り動き続ける!!」と方々を巡ったと思うが…最近は「連泊して、そこを起点に辺りを色々と…」というようなやり方も好むようになった。そういう中…前日に京都の地下鉄の列車に乗車した際に「奈良行」という列車を視掛けて思った。「そうだ!奈良へ行こう!」とである。

京都・奈良間については、京都の地下鉄と近鉄とが繋がっていて列車が相互乗り入れしている。京都の地下鉄の軌道に近鉄の車輛が登場するという例も珍しくないのだ。逆に奈良の近鉄の駅で、京都の地下鉄の車輛を視掛ける場面も在る…また前日には宇治駅と京都駅との間をJRの列車で移動したが、宇治から南へ、奈良へと軌道は通じていて、京都・奈良間の列車も多く運行されている。奈良に滞在して、朝から列車で京都に入ってみたということもやったことが在った…

そんな訳で、悠然と宿をチェックアウトした後は奈良へ向かって、奈良に滞在することとした。奈良に関しては、近年は「好感度上昇!」という按配で、何度か滞在を重ねているのだ…

阪急の京都河原町駅から烏丸駅へ、地下鉄の四条駅に出て乗換えて京都の南に在る竹田駅に至った。竹田駅では中世の院政期には<鳥羽離宮>であったという経過の在る場所や<城南宮>に立寄った。ここで竹田駅と<城南宮>との間を歩いたが、存外な距離だったかもしれない…

竹田駅では近鉄の列車に乗ることが出来る。大和西大寺駅で乗換えて近鉄奈良駅に至った…近鉄奈良駅から、宿を求めたJR奈良駅近くまで歩いたが、途中に率川神社(いさがわじんじゃ)というモノを発見し、一寸寄ってみた…

最近の奈良滞在で何度も利用した経過が在る宿に入ったのだが…何やら変に安堵感が大きい…

奈良ではコレと言って何かしたというのでもないが…とにかく、明日の事は明日の天候でも視て考えることにしたい…些か写真を整理する等して、本当に眠くなったら遠慮も会釈も無く眠るだけだ…

それにしても…昨年の6月に旅をしてみた以降、何か所用に絡んで出掛けているとは思うのだが…今般のように「出先で気儘に散策」を繰り返しているような状況はその「昨年6月」以来だと思う。時にはこういう時間も設けたい感だ…

<HRC Kyoto>…(2020.03.30)

↓夕刻の祇園白川である…
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↑古くからの建物が多く残り、それを利用した飲食店等が軒を連ねる場所だ。そういうモノの一つとして、さり気なく通り過ぎそうだが…

↓こんな暖簾が表に…
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↑和風な暖簾にアルファベットで外国語の店名をというような例は、多数派ではないかもしれないが、在るかもしれない…が、これはかの<ハードロックカフェ>なのである…

<ハードロックカフェ>は華やかに飾った感じの店舗外観に設える例、店の辺りに華々しい電光看板を据える例が目立つのだが…この店は「過ぎる程に周囲に馴染んでいて、素通りしてしまいそう…」なのである…

中へ入ると、1階がグッズを売る<ロックショップ>で、混み合った場合の待ち合いや補助的な席として利用可能な場所が設けられ、2階は飲物や料理を愉しみ、場合によっては音楽演奏等の催しも開催可能というようになっていた。他の場所でも視掛ける<ハードロックカフェ>そのものだ…昨年7月に開店したということで、未だ新しい店だ。

↓バーカウンターに陣取り、京都で製造されたクラフトジンのソーダ割を愉しんだ。美味いジンのソーダ割…非常に好い!!
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↓「和風」とか「日本」を前面に押し出す感の店なので、日本のウィスキーや日本国内のクラフトジン等が在る。そして自身は「多分、呑み過ぎる…」ので敢えて頼まなかったが、京都(伏見)の清酒も供していた…
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↓料理も「一工夫」で「和風」とか「日本」というイメージで創作している。<チキンウィング>だが、これは敢えて<やきとりチキンウィング>と命名されている…
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↑焼鳥のタレを少々使ったような味付けに、京都の調味料を御好みで点けて頂くという次第だ…

↓これがその「京都の調味料」である…
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↑2本の串に刺して、焼鳥的な外観で供された<チキンウィング>だったが、1本に<粉山椒>、もう1本に<黒七味>を点けてみた。何れも好かった!!

店員さん達と言葉を交わしたが、<黒七味>は国外の方達にも概ね好評だが、<粉山椒>や<山葵>は「異質な鼻に抜けるような辛味?」と、首を傾げる方達が目立つようだ。自身は、<粉山椒>を<チキンウィング>に点けた時には「鶏肉の蒲焼??」と感じた。<黒七味>に関しては、肉料理に辛味の調味料を点けて頂くことを好むので「これは素敵!」ということになった。

↓入った時と反対側から戸外へ出た…
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↑クラフトジンと<チキンウィング>を愉しんで出てみれば、辺りは暗かった…

↓出入口にこういう暖簾も出ている…
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何か新たに「お気に入り!」が増えた感で嬉しかった…

唐門:豊国神社(2020.03.30)

↓桜の時季…古い建物と咲き誇る桜との眺めは好いものだ…
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↓桜の木と建物とは、こういうような感じで豊国神社に在る…
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↓唐門と呼ばれる建築…賽銭箱が視えるが、本殿の手前に在ってなかなかに大きい…
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↓近付くと門扉がなかなかに立派であった…
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この唐門は、晩年の豊臣秀吉が居城としていた伏見城の遺構とも伝えられる建物であるらしい。建物を移築して受継ぐという例も在る訳だ…

その出自がよく判らないらしい豊臣秀吉であるが、武将として頭角を現して「天下統一」を成し遂げて「位、人臣を極める」ということになり、没後は「神」である。そして廃祀されてしまいながら、時を経て社が再興されて現在に至っている。何か凄い話しであると改めて思った…

「京都の豊国神社」というのは聞いたことは在ったが、訪ねてみたのは初めてであった。

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太閤 豊臣秀吉:豊国神社(2020.03.30)

↓こんな像に出会った…
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↑よく知られている画を立体化したような像だと思った…豊臣秀吉だ…

この像に出くわしたのは、京都の豊国神社の境内だ。

「豊国大明神」こと豊臣秀吉を祀る<豊国社>は、太閤薨去の後の1599(慶長4)年に開かれたが、<大坂夏の陣>の後、1615(慶長20)年に廃祀されてしまった。

1868(明治元)年に至って再興ということになり、現在地に鎮座するようになったのが豊国神社である。

↓その豊国神社に、祀られている太閤の像である…
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京阪の清水五条駅から七条駅へ向かって歩こうとして、少し廻り込むとこの豊国神社に至る。非常に静かな感じだった…

<祇園枝垂桜>:早朝…(2020.03.30)

滞在中の宿で居室の窓から、夜には「照明に浮かぶ朱色の建物」が視えていた。<八坂神社>の東大路通に面した側に在る門だ…

前夜は宿の居室でゆったりしていたが、早めに眼を開けた。そして窓から戸外を視れば…<八坂神社>の東大路通に面した側に在る門は「照明に浮かぶ…」という状態のままだった…

その照明に浮かぶ八坂神社の門を眺めることを振り出しに、少し動き回ろうと午前5時台に戸外へ出た。

記事の題名は<祇園枝垂桜>だが…<祇園枝垂桜>が在るのは、<八坂神社>の境内を通り抜けた公園の中である…

↓日出時刻に些か間が在るような時間帯の眺めだ…
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↓未だ少し離れた辺りの灯りの光も散見するような暗さだ…
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↑こういう「早朝の薄暗さ」の中に、「枝垂れ」の枝に付いた無数の花がぼんやりと浮かんで見える…

↓寧ろ曇天なのだが、それでも刻々と天の様子は変わる…それを背景にする<祇園枝垂桜>である…
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思い浮かんだのは「幽玄」という語だ…何か「墨絵?」のような気さえする眺めであった。

この<祇園枝垂桜>…1886(明治19)年にこの場所が公園となった時に枝垂桜の大きな木が在って親しまれて、それが枯れてしまったことから1947(昭和22)年に苗木から育てて準備していた「二代目」を植えたのだそうだ…現在の木の推定樹齢は80年程だという。何時頃から「夜間のライトアップ」をやっていたのか、自身では承知していないのだが…今般視た早朝の状況は、少なくともこの場所が公園になった1886年頃から、多くの人達が「多分視た感じ?」と想像した…

こういう様子に出会えて好かった!

<祇園枝垂桜>:夕刻…(2020.03.29)

動き回った間、殆ど途切れなかった雨に濡れてしまい、やや強い風にも吹かれ、何やら身体が冷えて、手も悴むという異様な感じで消耗していたが…地域としては「異例?」な時季に雪が降って、冷たい雨で冷やされた箇所に積もるような例まで見受けられた時…「少し遠くへ逃れて…そして休もう…」と思った。

そうして京都に至り着いた。何度も前を通りながらも、タイミングが合わずに利用機会を設けられなかった宿が在って、そこを押さえることも適ったことに感謝しながら到着であった。

酷く濡れた衣類を替えるようなことをして、濡れながらかなり歩いた身体を休めていたが、ふと思ったのはかの<祇園枝垂桜>が宿の近くであったということだった…

<祇園枝垂桜>に関しては2016年4月2019年4月とに各々、花が咲いていた様子を視ている。「今季は?」と思ったのだ…

↓「東寄りから西寄りを望む」というような角度で夕刻に<祇園枝垂桜>を眺めた…
29-03-2020 Kyoto, 'Gion Shidare-Sakura' vol01 (3)
↑半ば逆光な感じで、枝に付いている無数の薄い花びらの一部が透けたような感じになる…

↓思い浮かんだのは…「妖艶」という語だ…
29-03-2020 Kyoto, 'Gion Shidare-Sakura' vol02 (2)

↓刻々と背後の天の様子が変わる時間帯で、<祇園枝垂桜>の見え方も刻々と変わる…
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↓古く大きな木には「精霊」のようなモノが宿っているというような気がする場合も在るが…きっと「妖艶な桜の精霊」が宿っているのだと想像した…
29-03-2020 Kyoto, 'Gion Shidare-Sakura' vol01 (7)

通常は夜間にこの<祇園枝垂桜>をライトアップするらしいが、今季は「例の諸般の事情…」で中止したのだそうだ。それでも、夕刻の刻々と変わる光に浮かぶ<祇園枝垂桜>の肢体は艶かしい…こんな様子に出くわすことが叶って好かった…

境内へ…:香取神宮(2020.03.29)

香取駅から香取神宮への道程は概ね2㎞程度で、歩けば30分程度であるとされている。無人駅である香取駅前には、香取市が設置したと見受けられる案内看板が在り、それを記憶して動けば善いが、少し進んで小学校が在る辺りから線路を渡れば、後は「道なりに…」という感で、殆ど迷わずに進むことが出来る。

↓香取神宮に辿り着いて、雨に当たりながら、やや強い風に晒され、そんな中でも佇んで見入ってしまった…
29-03-2020 Katori-Jingu Shrine (2)
↑境内への入口辺りの鳥居で、近くに桜が咲いているが、風雨で散った花びらが地面に散乱している…

何か遥かな古代からの伝統が継承されている大社への入口としての「神々しい何か」を感じた…

↓新旧様々な石灯篭が並ぶ参道を進んだ…
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↑こちらも地面に風雨で散った花びらだ…

↓建物も見える辺りに至った…
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↓踏み出せば、濡れた舗装面に建物や狛犬がぼんやりと映り込んでいる…
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↑画でも、雨が降っている様子が少し判る…

風雨の中で歩いて至った香取神宮…何か忘れ難い光景に出くわした感だ。

歩く…:運行日誌(2020.03.30)

京都の宿は2泊押さえている…今晩は「第2泊目」である。前夜に関しては「とりあえず到着…」で、今夜は「一日過ごした後に休む…」という感だ。

少し早めに「何時でも御休み頂いて結構です」という態勢に入ってしまったという前夕の判断は善かったかもしれない。無理に動かず、深く眠った。

前日は上着やキャップの濡れ方が酷く、何か「硬く絞った雑巾?」という感、「そのまま拭き掃除に使える?」という程度に濡れていた。それが乾いて普通になった。ジーンズ穿きで、半袖のアンダーウェアの上に長袖Tシャツ、そして上着とキャップという服装で外に出てみた…

夜の間、宿の部屋から戸外を望めば、少し向こうに「朱色の建築物が照明に浮かび上がる」という様子だった。<八坂神社>である…「近くで、少し落ち着いて眺めたい…」と思いながら、夜は戸外へ出なかったが…早朝の暗い時間帯にも未だ灯りが点いていた。そこで午前5時頃に出たのだ…

<八坂神社>を眺めた後、昨夕の日没頃にも視ている<祇園枝垂桜>の「異なる時間帯の異なる表情」を愉しんだ。“妖艶”という感の夕刻に対し、“幽玄”という感の早朝の様子だった…

そこから東大路通を歩いて南下し、<八坂の塔>や<三年坂>、<二年坂>を訪ね、更に歩いて<大谷本廟>に至り、京阪の清水五条駅の辺りまで歩き続けた。その辺りで、開店しようとしていた喫茶店が在ったので立寄り、「旧き善きスタイル」なゆったり出来る喫茶店であったので、店主氏がサイフォンで淹れた珈琲を頂いて1時間ばかり休んだ…

休んだ後は、また歩いた…<豊国神社>に立寄り、<京都国立博物館>の前を通って京阪の七条駅辺りに至って<七条大橋>を眺めた…<七条大橋>は明治末年から大正初期に登場し始めた「コンクリートのアーチ橋梁」というモノで、現在でも使用されている、実はなかなかに貴重なモノだ…

そこからは『歩くまち 京都 レールきっぷ』の出番だ。京阪、京都市地下鉄、JR、嵐電、阪急の京都辺りの路線の列車に1日中乗ることが叶う代物だ。京阪の発売駅は三条駅なので、とりあえず三条駅へ列車で北上し、その『歩くまち 京都 レールきっぷ』を求め、「列車で少し移動しながら歩く」という感じになった。

地下鉄の今出川駅まで出て、<一条戻橋>を探したが、思わず逆方向へ歩いて、結果的に<上御霊神社>を訪ねた。今出川駅から地上に出ると、道路の標識に「↑京都駅」と在った。京都駅は街の南寄り…北側に相当する一条は「逆方向?」と思ったのだが、今出川駅辺りは一条よりやや北だった訳だ。

<上御霊神社>辺りから今出川駅周辺に引き返せば同志社大学が在るのだが、そこで史跡を示すモノを発見した。明治期…薩摩関係者と縁が深く、会津出身ながらも京都市の仕事をして活躍していた山本覚馬が、妹の夫である新島襄の「学校を開く用地?」という相談を受け、薩摩島津家が京都に構えた屋敷―所謂「薩摩藩邸」…―の跡地を提供出来ることになった経過が在る。幕末の、薩摩の人達が関与していた色々な出来事の舞台―近くに<御所>が在るので、薩摩島津家が将士を送り込んだ<蛤御門の変>のような争乱の際には、今日歩いていた道筋を彼らも歩いていたに違いない…―となった場所が、現在は永年の実績で声望が高い同志社大学な訳だ…

そんな状況から<一条戻橋>に辿り着き、<清明神社>を訪ねた。“陰陽師”の安倍晴明を祀る神社で“五芒星”―要するに「☆」のような形―の紋を掲げている。結果的に…“御霊”は祟りをもたらすとして畏れられた訳で、“陰陽師”の役目の一つにはそういう畏れへの対応も在った筈だ。双方に関連が在る場所を訪ねたのは好かった…

やがて地下鉄と京阪を乗り継いで宇治を訪ねた。宇治では<宇治神社>と<宇治上神社>とを訪ねた。その宇治からJRの列車で京都駅に入った頃には午後3時に近かった…

「次の一手」を思ったが、「多少…寛ごう…」と、地下鉄と阪急の各列車を乗り継ぎ、宿に引揚げた。宿の建物の1階にカフェが入っているので、珈琲を持ち帰りで求めて、宿の居室で頂きながら暫しゆったりと…

京都の事情に明るい方であれば、ここまでの「午前5時から午後3時過ぎまで」で歩いた距離が「なかなかなモノ…」であることを御理解頂けると思う。10℃に届くかどうかというような気温の曇天で、汗ばむようなこともなく、動き易かったが…動き過ぎた…前日は「この雨にやられて♪」という具合で、酷く濡れて消耗して「とりあえず…少し遠くに逃れて休む…」としたのに対して、爽やかではあるが「エネルギーをかなり使った…」という感ではある。

そして「夕食でも摂ろうか…」と思い始めた頃に外へ…何か列車で動くことも出来た訳だが、敢えてそうせず、宿の近隣を少し歩いた。各種の飲食店が多い祇園エリアに在るのだ。加えて…かなり動き廻り、随分と積極的に歩いた日中だったので、ゆったりとしたかった…

出くわすことが叶ったのは…<HRC Kyoto>である。HRC?<ハードロックカフェ>である!昨年7月、京都に<ハードロックカフェ>がオープンした!未だ新しい部類だ…

<HRC Kyoto>が在るのは、祇園白川である。店は「過ぎる程に周辺に馴染んでいる」という状況で、全然目立たない…故になかなか気付かないような感じだ…

<HRC Kyoto>は、「来日した国外の人達に“日本”を経験しながら、<HRC>を愉しんで頂く」というようなことを目指したようで、非常に落ち着いた感じの内装になっている。1階はグッズを売る店と、混雑時の待合、場合によって飲物等を頂くことも出来る場所になっている。2階は普通のカフェで、料理や飲物を愉しむ場所だ。場合によって、音楽演奏等の催しも開催可能な感じだ…

<HRC>のチェーン店で供する様々なモノは普通に供しているが、「“日本”を経験」ということで、ジャパニーズウィスキーや日本のクラフトジン、日本酒や焼酎も供していて、料理の中には「一工夫…」なモノも含めて「<HRC Kyoto>だけで供している」というモノも在る。

バーカウンターに陣取って、少し店員さん達と話しながら飲物と料理を軽く頂いた…飲物は、京都で製造しているクラフトジンのソーダ割…料理はチキンウィングに「一工夫」の代物で、名付けて<やきとりチキンウィング>という。「焼鳥のタレ」風な味に仕上げて、“山椒”や“黒唐辛子”という「京都の調味料」が在って「御好みで点けて」ということになる。

京都のジンも、<やきとりチキンウィング>も凄く好かった。店員さんによると、国外の方に“黒唐辛子”は好評ながら、“山椒”や“山葵”は「異質な辛さ?」と驚かれてしまう例が目に付くようだ…自身は蒲焼でも愉しむ気分でチキンを半分、そして好みの「些か辛味の調味料を点けて」という感じで残る半分のチキンを存分に愉しんだ。

夕食も愉しんで「1日の幕引き…」という状況だが…とにかく歩いた感で、同時に何本も列車に乗った…『歩くまち 京都 レールきっぷ』なる呼称の、指定地区内各社の路線の列車を利用可能な1日乗車券を使ったが…自身では、休暇の旅行のようなモノの際には「公共交通で適当に動き、辺りを気が済むように歩き廻って、様々な興味深い文物に触れる」というのが“肝”だと思っている。『歩くまち 京都 レールきっぷ』というようなモノは、自身のような志向の人にとってはなかなかに好いものだと思う。

少しばかり時間を設けて、気儘に歩き廻りたい…ただそれだけで動く数日の只中に身を置いている。別段に、どのように動いたのかを綴る必要性も無いのかもしれないが、「記憶を補完すべく記録」が少しは欲しくなる。そこでこの記事が現れた訳だ…

明日は?明日、考えれば好い…

夜の新千歳空港…(2020.03.28)

乗込んだ飛行機が、離陸に向けて滑走を始める地点へゆっくりと移動を始めた。様々な光が夜の空港では眩しい…

↓窓から見えている飛行機も駐機場からの移動を開始したように見受けられる…
28-03-2020 New Chitose AP (8)

↓こちらは未だ駐機中であるようだ…
28-03-2020 New Chitose AP (12)

F2でISO3200にしてみたが…動く飛行機の窓にカメラを圧し付けるようにして撮った画…画としてはやや雑で「今一つ?」だが、この「宇宙!?」というような、夜の空港の風情…日中とは全然異なる様子が記憶に残る…

思い掛けない?:運行日誌(2020.03.29)

或る程度想定していたようでいて、想定を少々外れてしまい、「それはそれとして…」と何となく納得する場合…個人的な事に関してはそういう例は少なくない。自身で考えて、自身で行動する限り、どういうことであろうと納得は可能だ。何処かの他所の人間が、自身の関わる事について好き勝手を言っていて、そちらの言い分のとおりになる場合には納得どころか理解さえしない、出来ない、する気も無いということになってしまうように思うのだが…

振り返ると、人生の多くの場面について「そんなモノ…」というような感、言葉を換えると「なるようになるモノ…」というような物腰で臨んでいるということなのかもしれない…今日は、少し早めに「何時でも御休み頂いて結構です」という態勢に入った…

宿の大浴場を利用させて頂いていた間に日付も変わっていた…そうやって始まった1日だ…更に、日付が変わって以降に休んでいるのだが、眠りが深いのか、ダラダラと寝ているというのでもなく、普段「極々短い散策」に出ているような時間帯には目が開いてしまった。不思議なものだ…

前夜に成田に宿を求めたのは、着実に新千歳空港に着くことが叶うような夜の時間帯のフライトで、遅めに到着した時に便利だったからということが挙げられるが、実はそれだけではない。

成田の少し先に佐原(さわら)という場所が在る。江戸時代には幕府の御料(所謂“天領”)であったり旗本の知行地であったという経過が在る場所だという。そこはかの伊能忠敬に所縁が深い地域なのだ。

江戸時代である19世紀初めの方に、地図を作る仕事を伊能忠敬は、本格的に学問に勤しんで、その成果を活かすべく地図製作に向けた測量のようなことを手掛けたのは50歳以降である。それまでは婿養子に入った佐原の伊能家で醸造業、金融業、舟運というような事業を手掛けていて、その傍らで名主という“村長”とか“町長”という感じの役目を担っていた。江戸時代の地方では、こういうような代表者が任命されて色々な事をやる自治制度のようなものが存外に重要だったようだが…

その伊能忠敬の佐原だが、伊能忠敬が住んでいたという家を含めて、古い建物が江戸時代には舟運に利用されたであろう水路の辺りに残っていたりして面白そうだったのだ。

加えて、辺りには香取神宮という由緒在る立派な神社が鎮座することも知られている。

とりあえず「実質的なスタート地点」という感の成田から佐原を訪ね、そこから先は「なるようになるモノ…」というような物腰で臨んでいて、深く考えていなかった。或いは、色々と考え過ぎて「その時の気分と天気で決める!」ということにしてしまっていたのだった…

成田は雨交じりな早朝だった…そして雨は強弱が揺れていたが、成田駅から佐原駅の1つ向こうの香取駅へ向かった。香取神宮へは2㎞程度…概ね30分だ。その間、雨に濡れた…

香取神宮は18世紀頃の建物が伝わっているのだという。かの徳川綱吉が寄進したのだというが、そういう建物を時々修繕しながら大切に使っていて、また神職の皆さんの数も多い感じで、偶々人出が少ない朝早めな時間帯だったが「大社の風格」が感じられた…

その香取神宮から2㎞程度…伊能忠敬が住んでいたという家も在る佐原の旧い街並みの辺りまで更に歩いた。ここでも雨に濡れ続けた…やや冷たい雨で、時々強風が交じった…身体も冷えた…

旧い街並みの傍に<佐原町並み交流館>という案内所的な施設が在る。オープンしたところであるようで、硝子張りな扉から御手洗が視えたので拝借しようと中へ入った。

御手洗を拝借したが、<佐原町並み交流館>には街の歴史や伊能忠敬の事績を広く伝えようと様々な活動をしているグループの皆さんが居て、訪ねる人達に色々なことを伝えている。自身は、樺太探検の間宮林蔵が、伊能忠敬の地図製作に協力して北海道の測量史料を提供した経過を承知していて、地元の資料館で間宮林蔵等が携わった当時の地図製作という関係の展示を愉しく視ている。それで、当時の関係者の中心的人物でもあった伊能忠敬に関心を持った。

<佐原町並み交流館>の皆さんと少し話して面白かった。伊能忠敬の人生と事績を紹介するビデオが在るというので、それを拝見してずぶ濡れの身体を休めていた…

佐原に関しては、非常に好い感じだったが…風雨に動きを阻まれた…そして冷たい雨に濡れ続け、何か酷く低温の中を動き回る時以上に辛い感じさえした…

実を言えば、成田に上陸後に本州を少し西へ進んで、そのまま空路で北海道へ“帰国”という考えだった。色々な経路で西へ進むことも思い描いたが…とりあえず、やや列車本数が少ない佐原駅で乗車出来た千葉行の列車に乗っていれば…続いていた雨は、真昼間に雪に変わり、雨で冷えた箇所に些か積もるというような…この時季の首都圏では「珍しい!?」状態になった。

何か…半ば力尽きたような感となり…「この雪から逃げよう」ということにした。京都の祇園に宿―少し前まで「空いていない…」ばかりで、空いていても「高過ぎ…」という感であった場所…―を求め、東京駅から新幹線で京都駅に向かってしまったのだった…

東京は少々御無沙汰で、少しばかり何かを視ようと思わないでもなかったが…何やら「また素通り…」ということになった。御無沙汰な状況を捉えて「東京には出入禁止を食らっている…」と冗談を言うことが在るのだが…

そして深い考えも無く京都にやって来て…朝の6時台に出発して、11時頃に佐原を発つまで濡れながら歩いて少々弱っているので、休もうとしていたが…宿の比較的近くにかの<祇園枝垂桜>が在ることを思い出し、折良く「時季!!」な状況を視て来た…

<祇園枝垂桜>というクラスのモノは、流石に些か多目な見物者が見受けられた。京都は、少し以前のような「異様な人出」は免れている。これは東京も同じだ…佐原は、多分平素から比較的静かなのだと想像する。しかし「例の問題」に関して、千葉県内で「由々しき…」が発生したので危機意識は高くなったようだ…

京都の祇園の宿で…とりあえず悪条件下で動いた身体を休めている。折角居る京都でどうするか?何をするでもなく、漫然と過ごせば善い筈だが…「何時でも御休み頂いて結構です」という態勢で何となくゆっくりする…

<3548>:京成3500形:京成成田駅(2020.03.28)

成田空港の<第3ターミナル>という場所に空路到着した…空港の地下からJRや京成電鉄の列車が利用出来るが、乗場の在る<第2ターミナル>は遠い…上り下りも在る道程を延々と歩く。20分やそこらは要するような感じだ。<第3ターミナル>は所謂「LCC」を中心とした国内線の着く場所のようだ…

そうやって<第2ターミナル>の駅に着き、成田の街へ出るには、京成電鉄の列車が早く出るようだった…ICOCAを使って乗車した…

↓第2ターミナルを出て、次の駅が京成成田駅だ…雨が交じり始めていた中で列車は走っていた…
28-03-2020 Keisei Narita Station (2)
↑京成成田駅に着くと、何かが正面に付いてしまったようで、洗剤を点けて雨の故に動いているワイパーで汚れを拭うようなことをしていた…

↓既に列車本数が控え目になっている、やや遅めな夜だ…この列車は各駅に停車しながら、京成本線を進んで京成上野駅を目指すのだという…
28-03-2020 Keisei Narita Station (3)

↓ステンレスの車体が雨に湿っている感じが、駅の照明に浮かび上がる感じで、風情が好かった…
28-03-2020 Keisei Narita Station (4)

1972(昭和47)年から1982(昭和57)年に製造された3500形という電車だ。6輛編成のモノと4輛編成のモノが在るそうだが、乗車したのは6輛編成だった…

「長い一日」と慨嘆するような移動をした…「見慣れぬ路」に入り込んだが、出会う様々なモノへの期待を膨らませながら、好い風情の見慣れぬ車輛を少し眺めてから宿に入った。

名寄駅に到着したキハ54…(2020.03.28)

キハ54ディーゼルカー1輛で運行される列車で、早朝に稚内駅を発った…

南下する列車では、進行方向右側に陣取ると西側の開けた景色が窓から見える…「車窓を完全に独占!」という区間が殆どだった…

↓早朝の軌道を普通に南下するだけ…音威子府駅で2分少々停車するが、他は「停車、扉を開く、扉を閉じる」というばかりであった…

↓そして名寄駅…列車の終点だ…
28-03-2020 Nayoro Station (1)

↓数少なかった乗客が下車した後…このキハ54はこのまま名寄駅の3番ホームに停車している…
28-03-2020 Nayoro Station (2)
↑特急列車を見送った後、旭川へ向かう普通列車として運用されるようだ…

少しひんやりした空気感の中、天候は悪くはなかったのだが…こういう風情が酷く好い…

早朝の稚内駅で待機中のキハ54…(2020.03.28)

↓早朝5時20分の出発に向け、乗場に入ったディーゼルカー…キハ54である…
28-03-2020 Wakkanai Station (7)

↓自身と乗務員さんの他に、人の気配も感じられないような状況…
28-03-2020 Wakkanai Station (8)

頭を過ったのは…「旅人の数だけ“ドラマ”は在る…この駅から、あなたの街へ…北の始発駅!」というようなフレーズだった…稚内駅は、自身にとっては“始発駅”だ…

↓車内はこんな様子だ…
28-03-2020 Wakkanai Station (9)

やがて列車は南下し始めた…

長かった一日…:運行日誌(2020.03.28)

「後は何時なりと御休み頂いて結構です…」という時点に至り、1日を振り返ってみて「長かった…」と慨嘆する場合が在る。今日はそういう感じかもしれない…

「早くから動く」ということで「早めに起きる」という必然性が在る朝…その前夜に、軽く酒類を嗜んで、好みの料理を少々摘まみ、何やら気持ちよく眠ってしまえば、とりあえず早起きは「してしまう」という感だ。通常、休日ということであるのなら、何時の間にか居眠りに陥ったとしても問題は無いが、「早くから動く」と予定している以上、居眠りは避けるべきかもしれない。

そんなことを思いながら、<しゃちブレンド>を淹れて、未だ戸外が暗い中、過ぎる程に静かな居室で悠然と啜る。立ち込める芳香と、適当な苦味が非常に好い…

「愛用のカメラでも抱えてフラフラと自由な時間」ということがしてみたくなり、そういう想いが「募って、高まった…」ということで時間を設けた。そういうことをやるということは、「普通に歩き廻る」に過ぎないのかもしれないが、結果的に「身体を動かす」ということに他ならない。足下が悪いような状態の積雪期が続いていて、「身体を動かす」というようなことがやり悪かったかもしれない。そういうことで、とりあえず「動きたい!!」のだ。と言って、その辺を漫然と歩き廻るようなことだが…

悠然と身支度を…ロシアの水兵が着る長袖ボーダーTシャツの“チェルニャーシカ”を着て、最近着用機会が多いジーンズの中で最もゆったりしたデザインのモノを穿き、米国オレゴン州の刑務所内で製造されているというシャツと上着を着ることにして、シャツの上にはジーンズと同じ日本国内のメーカーの手になるベストを着る。気に入っている感じの動き易い服装が整った。

そういうことをやりながら過ごしていれば、<しゃちブレンド>のマグカップは空いた…そこで小さなグラスに<いりおもて>を注ぐ…スッキリした30度の泡盛…好い感じなのだが、「素敵な休日に!」とグラスを傾けた。

そして出発だ…<青春18きっぷ>を手にして出掛けた。

「あなたの街へ…この駅から…北の始発駅!稚内駅!」と勝手に呼んでいる駅へ静かに歩み、早朝の普通列車に乗車した。

馴染みのキハ54ディーゼルカーの1輛運行という列車は、稚内駅から名寄駅へ淡々と進む。進行方向右側に陣取ると…利尻富士が視える場合が在る!今日はそれが視えたのだが…車内は途中の恩根内駅まで…「貸切」だった。流石にこれは珍しい…

最終的に、自身を含めて3名が名寄駅に着いた列車を下りた。そこから先、旭川駅までは<青春18きっぷ>を使わずに、普通に券を求めて特急列車で移動した。

名寄・旭川間を特急で動いてしまえば、旭川駅から<青春18きっぷ>で乗車可能な列車の選択肢も多少在る。そして、そこから先もかなり動き易くなる。名寄で少し長く待って普通列車に乗れば、旭川以遠も、旭川で少し待ち時間が長くなってしまい、次第に乗車する列車の選択肢が少なくなってしまうのだ…

旭川駅に特急列車が着くと、そのまま乗場を移動して滝川駅へ向かう普通列車に乗ることが叶う。電化区間でありながら、どうしたものか2輛連結のキハ40ディーゼルカーで運行される列車であった…

滝川駅からは721系電車の3輛編成による列車で岩見沢駅に向かった。岩見沢駅では改札を出て一息入れ、次は“室蘭線”の列車に乗った。

「普通列車、苫小牧行です。札幌方面へは行きませんので御注意下さい。この列車ではKitacaは御利用になれません」と繰り返しアナウンスを流していたキハ150の1輛運行の列車に乗込み、苫小牧に出た。苫小牧では、「本日初めての食事」という感じで、駅前の商業施設内のファストフード店で一息入れた。

苫小牧から札幌方面への普通列車…概ね1時間に1本というように見受けられる。“食事休憩”という感じであったが、少し列車を待った。そして南千歳駅に向かい、札幌からやって来た、少し驚く程度に空いていた<快速エアポート>に乗車…新千歳空港駅に至った。

夜の<ピーチアビエーション>のフライト…少し搭乗手続開始に間が在る。空港ビルの4階に、「普通の喫煙席」が在る、イマドキ“絶滅危惧種”なカフェが在るので、そこでゆったりとしていた…

考えてみると…<ピーチアビエーション>のフライトは「初めて!」だった…機材の到着の関連で定刻よりやや遅れたフライトだったが、存外に乗客は多かった。何となく<ピーチアビエーション>と記憶しているが、畿内の客室乗務員や機長のアナウンスでは単に<ピーチ>と言っていた…

存外に多く思えた他の乗客と共に、A320で乗り込んだのは…成田空港だった。到着する場所が<第3ターミナル>という場所だ。鉄道駅が設けられている<第2ターミナル>へ向かうには酷く歩く。何度も上り下りも在る…20分かそれ以上を要して<第2ターミナル>へ…JRの列車は本数が減っていて、待ち時間がより長かったので京成電車を利用して京成成田駅に出た…そして京成成田駅の傍に押さえた宿に入った訳だ…

稚内→名寄→旭川→滝川→岩見沢→苫小牧→南千歳→新千歳空港―敢えて稚内から「札幌を経ずに新千歳空港」という経路を使ってみた…岩見沢・苫小牧の経路は、嘗て「樺太との連絡のために稚内と往来」という人達を意識した旅客列車が走ったそうだ…―、加えて空港第2ターミナル→京成成田で8本の列車に乗ったことになる…朝5時台に出発し、宿に入ったのは午後10時半頃…列車内で些かの居眠りは在ったと思うが…それ程長く居眠りしてしまったのでもない…その割には元気だ!

今日の「長かった一日…」は、「休日の旅」の実質的なスタート地点にしようということにした成田へ至ることに費やされた訳だ…

成田は…雨が交じっている…

前夜…(2020.03.27)

<しゃちブレンド>の芳香が、過ぎる程に静かな居室の中に立ち込める感である。淹れてみた珈琲の芳香が感じられるということは“嗅覚異状”という妙な症状ではない…善いことだと思うが、夜の一時に居室で珈琲を淹れるという例はやや少な目だ…

夕刻に何となく<あさ開>の粕取焼酎を居室で頂きながら寛ぎ、御近所の店に立寄って<ザンギ><豚キムチ>とを摘んで「夕食」ということにした。

そんなことをしていた間に「雨交じりな夜」という感になっていて、多少の雨で湿りながら帰宅してみて、何やら<しゃちブレンド>を頂いてみたくなったのだ…

そしてその<しゃちブレンド>を啜りながら、何となく音楽を鳴らしてみたくなり…意味も無く『仁義なき戦い・オリジナルサウンドトラック』を鳴らしてみる…

少しばかり“御機嫌”な、静かな夜を何となく過ごしているが…久し振りに「(純粋に)勝手に随意に過ごす時間」というようなものを設けてみた…

随分と以前から「何処かへ出掛けるから写真でも撮る」のか、「写真でも撮ろうかと何処かへ出掛ける」のかがよく判らなくなってはいたが…最早、それは何れでも構わない…愛用のカメラでも抱えてフラフラと自由な時間を過ごし、気が向いたらカメラを使い、出来た写真が気に入れば保存して公開…そういう「好き勝手!」を酷く渇望していたような気がするのだ…

「愛用のカメラでも抱えてフラフラと自由な時間」ということなら、それは「私が生きている時間」というモノと実は殆ど同一なのかもしれない…少なくとも意識の中ではそういうように思わないでもないのだが、物理的に、本当に何時でもそういうようにしているという訳でもない…時々、思い付いて時間を設けて、そういうことを気が済むように試みる訳だ…

そういうように「設ける時間」に関しては、入口と出口とは或る程度確定しているが、その中間は「本当に好き勝手に一人で…」という場合が殆どとなる。「“時計”が半ば消えている時間」という設えになってしまう訳だ…

そういう時間の実質的な入口に佇み、気に入っている<しゃちブレンド>を「休む前の一時」に啜っている…或いは…「見慣れぬ路の果ての見知らぬ街」というような場所に至って、そのまま帰還が叶わなくなったとしても…多分、それはそれで然程の悔恨も感じないのではないかと思う…最近は、そういう気分が少々強まっている感がしないでもないが…

とりあえずは、この「“時計”が半ば消えている時間」というような期間の見聞や考えたこと、それ以前の“行動記録”のようなことを、とりあえず綴っておくことを思い立ち、こうして序章のようなモノを綴っている訳だ…

明日の今頃?何処で何をしているものか?「見慣れぬ路の果ての見知らぬ街」というような場所で、「行ったきりなら幸せになるがいい~♪」という具合であろうか?とりあえず、早起きをp企図する明朝だが…深く眠れるような気がしている…

稚内港北防波堤ドーム(2020.03.27)

早朝に「極々短い散策」に出て、稚内港北防波堤ドームの辺りへ…

↓「3月下旬」という時季に関して、当地では「未だ積雪期」と認識しているのだが、今季に関しては既に積雪は見えない…
27-03-2020 morning (3)
↑広場に石板の世界地図が埋め込まれている。この眺めが気に入っている…

↓近寄って、屋蓋の下を眺めてみた…
27-03-2020 morning (5)
↑この独特な雰囲気が好い…

↓やや雲が多めに見えるような天の下に佇む感じ…見掛ける機会が多い状況で、或る意味では非常に「らしい」という感じの眺めだと思う…
27-03-2020 morning (7)

↓風浪が弱めな朝だ…
27-03-2020 morning (9)

「極々短い散策」と称して、こういうような味わい深い光景に容易く出会うことが出来るというのは、非常に好い…

朝:稚内港北防波堤ドームを望む…(2020.03.27)

早朝に戸外の様子を伺ってみれば、特段に東の空が明るいということでもなく、と言って雨が降り出しそうな感でもなく、加えて降水の場合に雪となりそうな低温という程でもない様子だった。と言って、温かく快適とも言い悪いことに変わりは無いが…そういう状態な中、思い付いて「極々短い散策」に出てみた。

↓稚内港北防波堤ドームが視える辺りに至った…
27-03-2020 morning (14)
↑今朝は静かだ…離岸堤の上で翼を休める海鳥が、何か長閑な雰囲気を醸し出すような気がする…

↓空が多少明るくはなったが、曇天基調である。が、この「曇天に光が滲む」という感じが面白い…
27-03-2020 morning (19)

↓滲む光がやや弱まり、多少寒々しいような雰囲気になった…
27-03-2020 morning (21)

風浪がやや強い感じであった前日の様子を思うと、こういう様子を眺めるというようなことはやり易い…

前日の様子から大きく変わっているのだが…辺りに佇み始めてからの「極短い時間」で、随分と雰囲気が変わることに驚く…こういう手近な様子に「少し立ち止まって眼を向ける」というようなこと…存外に愉しいものだ…

レザーのハンチング…(2020.03.20)

「暑い」とか、そこまで至らずとも「十分に温かい」という時季以外に戸外へ出る場合には、帽子を着用して出ることを好む…

↓雨天の際…傘を使用すれば「歩き悪い?邪魔!」と苛立つ場合が在るので、敢えて使用しない場合も多いが…帽子は着用して出る場合が多い…
20-03-2020 (12)
↑雨が交じった中、最近気に入っている帽子を着用して出掛けて…一寸近所のカフェに道草して、脱いだ帽子を眺めた…

↓この種のレザーの帽子…多少濡れても、頭に雨水が染みるでもないので心地好い…
20-03-2020 (13)

手近な愛用品に関しては、敬意を払って、時には写真に収めてみたくなる…

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稚内港北防波堤ドームを望む…:朝(2020.03.26)

早朝に「東寄りな空が明るい感じ?」ということに気付けば、「極々短い散策」と称して戸外に出てみたくなる。

現在の時季、早朝は概して気温が低い…と言って厳冬期のような氷点下は免れている。寧ろ「風の強弱」で「感じ方」が随分と左右されるような種類の寒さと言えるように思う。

戸外へ出てみれば、歩行が困難に思える程度というような酷い状態ではないが、何か「風が少々強い…」という感がした。身体に風が当たると「寒い…」という呟きが口を突いてしまう。

↓沿岸部が近付けば、過ぎる程に静かな街に波音が少し聞こえていたが、ややダイナミックに海面が畝っている感だ…
26-03-2020 morning (3)
↑或いは風に抗い、或いは風に流されという具合に、辺りを海鳥が舞っていた…

↓海側に向けては「傾斜が在って、曲面を帯びた壁」という感の稚内港北防波堤ドームの屋蓋に浪が当たって飛沫が散っている様子が視える…
26-03-2020 morning (7)
↑こういう浪(場合によっては更に強い浪…)から沿岸の人や鉄道軌道等を護る意図で築かれた筈の稚内港北防波堤ドームだ。或いは「本領発揮」に近い状態かもしれない…

↓日出時刻を少し過ぎ、画の奥側、東寄りな宗谷丘陵の辺りで朝陽の放つ光が強めになって来た…が、どういうものか、低空に雲が多く、上る朝陽そのものは視え悪い…
26-03-2020 morning (11)

↓殆ど「浪の音」だけが聞こえているような、朝陽の光が解き放たれようとしているような時間帯…音を聞きながら、逆に寧ろ静けさを味わう感だった…
26-03-2020 morning (16)

少しの間、海岸に佇んで景色を愛でたが…マダマダ冷たい感の風が身体に少々刺さるような感でもあった…

<チキンマックナゲット>…(2020.03.22)

何も「毎日でも!!」という程度に力が入るでもなくとも、「時々妙に欲しく…」というモノ…幾分在るような気がする…

↓これが「時々妙に欲しく…」というモノの一つである…
22-03-2020 (11)
↑<チキンマックナゲット>…「5ピース入り」と「15ピース入り」とが売られているのだが…ついつい「15ピース入り」を求めてしまう…

聞けば、かの<マクドナルド>の商品開発担当者が1979年に、日本の天婦羅に着想を得た揚物用の粉を考案した経過が在って、それを踏まえて1983年に登場したのが<チキンマックナゲット>であったという…各種鶏肉を幾つかの型に成形して衣を被せ、それを店舗で揚げている訳だ…

↓最近は、こういう具合にサラダと合わせて頂く…
22-03-2020 (10)
↑サラダを先に頂き、サラダ用のフォークを使って、<チキンマックナゲット>を<マスタードソース>(フレンチマスタードにドレッシングを加えて製造しているらしい…)に点けて頂くというやり方が気に入っている。

こんなモノでも「時に…」という程度に頂いてみれば、「極々小さな贅沢?」という気分にならないでもない…

暁の空と稚内港北防波堤ドーム…(2020.03.25)

↓好天の早朝…午前5時にはこういうような具合の明るさになっている…
25-03-2020 morning (1)
↑海面が朝の独特な感じの光を跳ね返している…

↓少しだけ時間を経た…意外に海面が畝っているような気がするが、空の色合いが劇的に変わる時間帯である…
25-03-2020 morning (16)

↓低空の薄い雲の向こうに朝陽が滲むように見える…
25-03-2020 morning (21)
↑何か「御簾越しに現れた貴人」という風情で朝陽が現れた感だ…

こういう様子を見た時に、愛用の腕時計に目を落とせば…概ね午前5時半だった。着実に「早め」になっている日出時刻である。

<いりおもて>…(2020.03.25)

↓動物の画?これは沖縄県の西表島に棲息するというイリオモテヤマネコだ…
25-03-2020 my one.. (2)

↓希少な動物であるイリオモテヤマネコの画が入ったラベルが貼り付けられた一升瓶…これは泡盛だ…
25-03-2020 my one.. (1)

拙宅の「飲物の買い置き」が少なくなり、「少し目先を変えて?」というような考えが頭の中を過ぎった時、「そう言えば酷く御無沙汰…」と泡盛を思い出した。

泡盛は、言ってみれば米焼酎の一種になると思うが、沖縄で伝統が受継がれて来た蒸留酒だ。米―タイ米を使う場合が殆どと聞く…―と水と黒麹とで醪を仕込んで蒸留する訳だ。

↓無色透明な蒸留酒である。愛用のタンブラーに注いで愉しむ…
25-03-2020 my one.. (5)

黒麹と米が醸す味わいを蒸留…この<いりおもて>はスッキリとして呑み易く、非常に気に入った!

西表島には酒造会社は立地していないが、近くの石垣島には幾つも在る。その石垣島の酒造会社の一社が、西表島を応援する意味も込め、イリオモテヤマネコのラベルで<いりおもて>という銘を冠し、売上の一部を西表島の自然保護等の活動に活かすべく、西表島を管轄している竹富町へ寄付しているのだという…

実は…自身は未だ沖縄県に足を踏み入れたことが無い…未だ視ぬ遠い島々や海と天、そしてイリオモテヤマネコのような希少な動物等、そして街並みに想いを巡らせ、スッキリ呑み易い泡盛を啜ってみるのも悪くない…

25-03-2020 my one.. (6)

泡盛 請福酒造 いりおもて 1800ml 30度 沖縄 石垣島



<豚キムチ>…(2020.03.24)

↓御近所の店で、最近になって供するようになった一皿だ…
24-03-2020 evening (3)
↑店主氏が「出来上がった時、自身も食欲を刺激される…」としていたが、豚肉とキムチとを炒めたモノで、キムチ由来の仄かに辛い味が豚肉と酷く合う…

実は…サハリンで<キムチ豚>と聞こえるような一皿を頂いた経過が在る。彼の地では「キムチと豚の炒め物」というように呼ばれているのだが、常々“キムチ”を先に言うので<キムチ豚>と聞こえる訳だ…

↓この御近所の店の<豚キムチ>…内容物はサハリン<キムチ豚>と然程変わるのでもない訳だが…
24-03-2020 evening (1)

日本国内では、この種の豚肉とキムチとを炒めたモノは<豚キムチ>と言うのが「通りが好い」のではないだろうか?<豚キムチ>でも<キムチ豚>でも構わないが…この種の一皿は非常に好い!!

<倍クリームチーズテリヤキ>…(2020.03.22)

時には「少し美味いハンバーガー…」という考えが頭に浮かぶ。そういう考えが休日に浮かんでしまえば…「一寸出掛けよう!!」と身体が動いてしまうことを停め悪くなってしまうことも在る…

↓足を運んでみた店で…「期間限定」という謳い文句に引き寄せられて頼んでしまった…
22-03-2020 (6)
↑テリヤキソースのハンバーグ、野菜、クリームチーズという組み合わせなのだが、「通常の倍!」とクリームチーズを増量したモノが在った。名付けて<倍クリームチーズテリヤキ>と呼ばれる…

↓こういうような具合に、サラダ、スープ、食後に愉しむ珈琲を併せて頂くというのが好きだ…
22-03-2020 (4)

↓サラダも意外に量感が感じられるのが好い…
22-03-2020 (7)

↓クリームチーズと、工夫されたソースの塗された肉と野菜に、それらを包むバンズ…これらを併せて遠慮会釈なくガッツリと頂く…何か非常に嬉しくなる…
22-03-2020 (5)

こういうエネルギーが多いメニュー…頻繁過ぎないように、また一度に欲張って多量に頂いてしまわないように、少しは注意すべきであろう。そうは思うが、完全に止めることも叶わない…結局、ハンバーガー類は好きなのだ!!

早暁…:稚内港北防波堤ドーム(2020.03.25)

↓この場所は何時もなかなかに好い風情を醸し出すと思う…
25-03-2020 morning (10)
↑稚内港北防波堤ドームの屋蓋の下である…

↓早暁の天の下、独特な形状の構造物に眼を奪われる…
25-03-2020 morning (9)
↑深夜から早朝の「消灯前」まで、灯りは全部点いているのでもないが、十分に明るい…

↓既に積雪期は「終焉?」という様相である…
25-03-2020 morning (3)
↑こうした中だが、日出前の気温は0℃またはそれを僅かに超えるという感で、少し戸外に居る時間が長引けば「酷く手が冷たい…」という感じを免れ悪い…

↓海面は存外に浪が強めかも知れないが、波音が明確に聞こえているのでもない…
25-03-2020 morning (12)

早暁に、何処となく早春を思ってしまう状況であった…季節は動いている…

ソーセージのサンドイッチ…(2020.03.20)

↓「密かなお気に入り」として、主に休日に近所のカフェで頂く…
20-03-2020 (18)

少し前にも写真に収めてしまったのだったが、その時々で用意出来るモノを使って作るので、頼む都度にほんの少し感じが違うサンドイッチが登場する。それが「一寸お楽しみ」という感でもある…

↓結局…サンドイッチというモノが「かなり好き!!」ということに思い至る…
20-03-2020 (17)

時には、こういう一寸気に入っているモノを写真に収めておきたいというように思う…

不意に雪…?!(2020.03.24)

稚内では、積雪が「殆ど気にならない」という程度になっていた…何か「季節の進行が早い?」と視える状況だ…

平素、朝は5時前から起き出していることも珍しくはない。今朝もそうだった。そして早朝時点で積雪は無かった…

↓午前6時前だ…
24-03-2020 morning (1)
↑雲がやや多目であった中、何やら戸外から音が聞こえたが…雹や雪が少し強めに、短い時間降り注いだようだった…

↓俄かに「積雪期最初期」というような様子になった…
24-03-2020 morning (3)

↓車輛の通過が見受けられない間に、雪で瞬時に染まった路面の様子を…
24-03-2020 morning (4)
↑画の奥、写っている空は東寄りの天だが、少し明るい…

この後、天候は好転している。日中に強く長く降るのでもない限り、夕刻までにこの早朝の雪は殆ど残っていないような感になりそうだ…

こういうことを繰り返しながら、北国の季節は動く…

<ラッキーストライク エキスパートカット 14>の在るカウンター…(2020.03.22)

↓「眼の前」が「こういう感じ」であると…何か「悠然と過ごしている休日の長閑な時間」という感で、強い安堵感のようなものを覚える…
22-03-2020 (13)

このところは<HRC Osaka>のロゴマークが入ったオイルライターを多用するようになった。これの使い心地が好く、煙草と合わせて一寸置いておく…

ご近所の「何時もの店」では「何時ものカップ」で珈琲が供される。焙煎が深い感じの<フレンチ>というブレンドを淹れて頂くのが常である…

こういうような「日常のどうでもよさそうな一コマ」が、何かひどく尊いモノでもあるかのような気がしないでもない昨今だ…