境内へ…:香取神宮(2020.03.29)

香取駅から香取神宮への道程は概ね2㎞程度で、歩けば30分程度であるとされている。無人駅である香取駅前には、香取市が設置したと見受けられる案内看板が在り、それを記憶して動けば善いが、少し進んで小学校が在る辺りから線路を渡れば、後は「道なりに…」という感で、殆ど迷わずに進むことが出来る。

↓香取神宮に辿り着いて、雨に当たりながら、やや強い風に晒され、そんな中でも佇んで見入ってしまった…
29-03-2020 Katori-Jingu Shrine (2)
↑境内への入口辺りの鳥居で、近くに桜が咲いているが、風雨で散った花びらが地面に散乱している…

何か遥かな古代からの伝統が継承されている大社への入口としての「神々しい何か」を感じた…

↓新旧様々な石灯篭が並ぶ参道を進んだ…
29-03-2020 Katori-Jingu Shrine (3)
↑こちらも地面に風雨で散った花びらだ…

↓建物も見える辺りに至った…
29-03-2020 Katori-Jingu Shrine (4)

↓踏み出せば、濡れた舗装面に建物や狛犬がぼんやりと映り込んでいる…
29-03-2020 Katori-Jingu Shrine (5)
↑画でも、雨が降っている様子が少し判る…

風雨の中で歩いて至った香取神宮…何か忘れ難い光景に出くわした感だ。
posted by Charlie at 21:28Comment(0)千葉県

歩く…:運行日誌(2020.03.30)

京都の宿は2泊押さえている…今晩は「第2泊目」である。前夜に関しては「とりあえず到着…」で、今夜は「一日過ごした後に休む…」という感だ。

少し早めに「何時でも御休み頂いて結構です」という態勢に入ってしまったという前夕の判断は善かったかもしれない。無理に動かず、深く眠った。

前日は上着やキャップの濡れ方が酷く、何か「硬く絞った雑巾?」という感、「そのまま拭き掃除に使える?」という程度に濡れていた。それが乾いて普通になった。ジーンズ穿きで、半袖のアンダーウェアの上に長袖Tシャツ、そして上着とキャップという服装で外に出てみた…

夜の間、宿の部屋から戸外を望めば、少し向こうに「朱色の建築物が照明に浮かび上がる」という様子だった。<八坂神社>である…「近くで、少し落ち着いて眺めたい…」と思いながら、夜は戸外へ出なかったが…早朝の暗い時間帯にも未だ灯りが点いていた。そこで午前5時頃に出たのだ…

<八坂神社>を眺めた後、昨夕の日没頃にも視ている<祇園枝垂桜>の「異なる時間帯の異なる表情」を愉しんだ。“妖艶”という感の夕刻に対し、“幽玄”という感の早朝の様子だった…

そこから東大路通を歩いて南下し、<八坂の塔>や<三年坂>、<二年坂>を訪ね、更に歩いて<大谷本廟>に至り、京阪の清水五条駅の辺りまで歩き続けた。その辺りで、開店しようとしていた喫茶店が在ったので立寄り、「旧き善きスタイル」なゆったり出来る喫茶店であったので、店主氏がサイフォンで淹れた珈琲を頂いて1時間ばかり休んだ…

休んだ後は、また歩いた…<豊国神社>に立寄り、<京都国立博物館>の前を通って京阪の七条駅辺りに至って<七条大橋>を眺めた…<七条大橋>は明治末年から大正初期に登場し始めた「コンクリートのアーチ橋梁」というモノで、現在でも使用されている、実はなかなかに貴重なモノだ…

そこからは『歩くまち 京都 レールきっぷ』の出番だ。京阪、京都市地下鉄、JR、嵐電、阪急の京都辺りの路線の列車に1日中乗ることが叶う代物だ。京阪の発売駅は三条駅なので、とりあえず三条駅へ列車で北上し、その『歩くまち 京都 レールきっぷ』を求め、「列車で少し移動しながら歩く」という感じになった。

地下鉄の今出川駅まで出て、<一条戻橋>を探したが、思わず逆方向へ歩いて、結果的に<上御霊神社>を訪ねた。今出川駅から地上に出ると、道路の標識に「↑京都駅」と在った。京都駅は街の南寄り…北側に相当する一条は「逆方向?」と思ったのだが、今出川駅辺りは一条よりやや北だった訳だ。

<上御霊神社>辺りから今出川駅周辺に引き返せば同志社大学が在るのだが、そこで史跡を示すモノを発見した。明治期…薩摩関係者と縁が深く、会津出身ながらも京都市の仕事をして活躍していた山本覚馬が、妹の夫である新島襄の「学校を開く用地?」という相談を受け、薩摩島津家が京都に構えた屋敷―所謂「薩摩藩邸」…―の跡地を提供出来ることになった経過が在る。幕末の、薩摩の人達が関与していた色々な出来事の舞台―近くに<御所>が在るので、薩摩島津家が将士を送り込んだ<蛤御門の変>のような争乱の際には、今日歩いていた道筋を彼らも歩いていたに違いない…―となった場所が、現在は永年の実績で声望が高い同志社大学な訳だ…

そんな状況から<一条戻橋>に辿り着き、<清明神社>を訪ねた。“陰陽師”の安倍晴明を祀る神社で“五芒星”―要するに「☆」のような形―の紋を掲げている。結果的に…“御霊”は祟りをもたらすとして畏れられた訳で、“陰陽師”の役目の一つにはそういう畏れへの対応も在った筈だ。双方に関連が在る場所を訪ねたのは好かった…

やがて地下鉄と京阪を乗り継いで宇治を訪ねた。宇治では<宇治神社>と<宇治上神社>とを訪ねた。その宇治からJRの列車で京都駅に入った頃には午後3時に近かった…

「次の一手」を思ったが、「多少…寛ごう…」と、地下鉄と阪急の各列車を乗り継ぎ、宿に引揚げた。宿の建物の1階にカフェが入っているので、珈琲を持ち帰りで求めて、宿の居室で頂きながら暫しゆったりと…

京都の事情に明るい方であれば、ここまでの「午前5時から午後3時過ぎまで」で歩いた距離が「なかなかなモノ…」であることを御理解頂けると思う。10℃に届くかどうかというような気温の曇天で、汗ばむようなこともなく、動き易かったが…動き過ぎた…前日は「この雨にやられて♪」という具合で、酷く濡れて消耗して「とりあえず…少し遠くに逃れて休む…」としたのに対して、爽やかではあるが「エネルギーをかなり使った…」という感ではある。

そして「夕食でも摂ろうか…」と思い始めた頃に外へ…何か列車で動くことも出来た訳だが、敢えてそうせず、宿の近隣を少し歩いた。各種の飲食店が多い祇園エリアに在るのだ。加えて…かなり動き廻り、随分と積極的に歩いた日中だったので、ゆったりとしたかった…

出くわすことが叶ったのは…<HRC Kyoto>である。HRC?<ハードロックカフェ>である!昨年7月、京都に<ハードロックカフェ>がオープンした!未だ新しい部類だ…

<HRC Kyoto>が在るのは、祇園白川である。店は「過ぎる程に周辺に馴染んでいる」という状況で、全然目立たない…故になかなか気付かないような感じだ…

<HRC Kyoto>は、「来日した国外の人達に“日本”を経験しながら、<HRC>を愉しんで頂く」というようなことを目指したようで、非常に落ち着いた感じの内装になっている。1階はグッズを売る店と、混雑時の待合、場合によって飲物等を頂くことも出来る場所になっている。2階は普通のカフェで、料理や飲物を愉しむ場所だ。場合によって、音楽演奏等の催しも開催可能な感じだ…

<HRC>のチェーン店で供する様々なモノは普通に供しているが、「“日本”を経験」ということで、ジャパニーズウィスキーや日本のクラフトジン、日本酒や焼酎も供していて、料理の中には「一工夫…」なモノも含めて「<HRC Kyoto>だけで供している」というモノも在る。

バーカウンターに陣取って、少し店員さん達と話しながら飲物と料理を軽く頂いた…飲物は、京都で製造しているクラフトジンのソーダ割…料理はチキンウィングに「一工夫」の代物で、名付けて<やきとりチキンウィング>という。「焼鳥のタレ」風な味に仕上げて、“山椒”や“黒唐辛子”という「京都の調味料」が在って「御好みで点けて」ということになる。

京都のジンも、<やきとりチキンウィング>も凄く好かった。店員さんによると、国外の方に“黒唐辛子”は好評ながら、“山椒”や“山葵”は「異質な辛さ?」と驚かれてしまう例が目に付くようだ…自身は蒲焼でも愉しむ気分でチキンを半分、そして好みの「些か辛味の調味料を点けて」という感じで残る半分のチキンを存分に愉しんだ。

夕食も愉しんで「1日の幕引き…」という状況だが…とにかく歩いた感で、同時に何本も列車に乗った…『歩くまち 京都 レールきっぷ』なる呼称の、指定地区内各社の路線の列車を利用可能な1日乗車券を使ったが…自身では、休暇の旅行のようなモノの際には「公共交通で適当に動き、辺りを気が済むように歩き廻って、様々な興味深い文物に触れる」というのが“肝”だと思っている。『歩くまち 京都 レールきっぷ』というようなモノは、自身のような志向の人にとってはなかなかに好いものだと思う。

少しばかり時間を設けて、気儘に歩き廻りたい…ただそれだけで動く数日の只中に身を置いている。別段に、どのように動いたのかを綴る必要性も無いのかもしれないが、「記憶を補完すべく記録」が少しは欲しくなる。そこでこの記事が現れた訳だ…

明日は?明日、考えれば好い…