“中休み”というように水曜日が祝日で、何時の間にか寝入ってしまって、平日の木曜日は早めに起き出した…
↓東寄りな空の明るさに誘われるように、「極々短い散策」に出た…
↓海の側、即ち東寄りの天を視て佇むと、背中の側から少し強めな風が当たる…静かな海面を風が「渡る」ような様子が波紋になっているのが判る…
↓浪音が聞こえない他方、時々吹き抜けていた風の音は些か聞こえていた…
↓低空の雲の上に朝陽が覗き始めた…ここまでの間も、風が静かな海面を渡る様子が断続した。
↓風が弱まれば、海面は鏡面のようになる…
↓そして風が海面を渡るように吹き、波紋が拡がる様子が見受けられる…海面が「柔らかい砂」でもあるかのようだ…
↑眺めていた間に朝陽の高度が上昇し、波紋が拡がる海面に「光の路」が視えるようになった…
↓光が解き放たれる中、漁師さんの小舟も視えていた…
6℃、7℃という次元の気温であったと思うが、時々吹き付けた風は未だ冷たい。背中から当たる分には「風が判る」という程度だが、風が吹き込んで来る方向を向けば、少しだけキツいと思う場合も在った…
何か“春”が「進展??」という感の早朝だった…光が解き放たれ、気持ち好い空が拡がる朝を迎えた…
<ダブルリブサンド ポーク>…(2020.03.28)
早朝5時過ぎには稚内駅で列車に乗り、名寄、旭川、滝川、岩見沢と南下しながら列車を乗り換え、苫小牧に至った時には午後2時近くであった…
この間…列車内に持込む、或いは駅で求めるというようなことで飲物は頂いたのだったが…特段に食事も摂っていなかった…
苫小牧駅の辺りに商業施設が在って、飲食店関係も見受けられるようだった…
↓こういうモノに出くわした…
↓リブ(あばら肉)に見立てたポークのハンバーグを焼き上げて、ソースやマスタードの味を添えて、野菜と一緒にパンに挟んだモノだ。基本的に肉は1枚なのだが、2枚入る「ダブル」というモノの「強い誘惑」に負けた…
↑<ダブルリブサンド ポーク>と称するモノだ…
全国展開しているチェーン店―稚内市内の、個人的には然程頻繁に寄らない辺りにも店が在ったと記憶する…―のサンドイッチで、全く初めてではないと思うモノなのだが、出先で酷く空腹を覚えていた中で頂くとなかなかに美味く、一寸記憶に残る…
この間…列車内に持込む、或いは駅で求めるというようなことで飲物は頂いたのだったが…特段に食事も摂っていなかった…
苫小牧駅の辺りに商業施設が在って、飲食店関係も見受けられるようだった…
↓こういうモノに出くわした…
↓リブ(あばら肉)に見立てたポークのハンバーグを焼き上げて、ソースやマスタードの味を添えて、野菜と一緒にパンに挟んだモノだ。基本的に肉は1枚なのだが、2枚入る「ダブル」というモノの「強い誘惑」に負けた…
↑<ダブルリブサンド ポーク>と称するモノだ…
全国展開しているチェーン店―稚内市内の、個人的には然程頻繁に寄らない辺りにも店が在ったと記憶する…―のサンドイッチで、全く初めてではないと思うモノなのだが、出先で酷く空腹を覚えていた中で頂くとなかなかに美味く、一寸記憶に残る…
海面に揺らぐ暁の天空…:稚内港北防波堤ドーム(2020.04.28)
昨今の「事情」の故に近隣で夕べを過ごす場所が軒並み休業というようなことになれば…休んでしまう時間帯は早まり、朝に眼を開ける時間帯も自ずと早まる。
そんな訳で早朝に起き出してみると東の空が明るいことに気付き、直ぐに「極々短い散策」に出てみる…
↓岸の側の海面が正しく鏡面のようだ…何か「海に手を突っ込むと天を掴むことも出来そう…」とさえ錯覚てしまう…(勿論、海に手を突っ込むようなことはしないが…)
気温は4℃、5℃というような次元か?前日の日中に気温が多少上昇した状態から大きく下がらず、前日朝よりも空気が温い。しかし海岸を渡る微風はやや冷たい…「温かい」とは言い悪いが、「酷く寒い…」と眉を顰める程でもない…
↓朝陽が上昇する経路に相当すると見受けられる場所で、光が滲んで溢れるような具合になって来た…
↓低空の雲の隙間から光が溢れてしまっているかのような感になり、天の感じが少し変わって来た…そして朝陽の一部が少し判るような感じにもなって来た…
↓朝陽が高度を上げ、光が広く解き放たれたような感だ…沿岸部も朝陽の光に照らし出されたようになる…
↓海面に「光の路」が形成されている…
雲、風、朝陽が天空の上で繰り広げている事柄が、静かな海面の上で揺らぎ続けた…そんな状況に出くわしたような気がする…
遠方から足を運んででも眺める価値が在りそうな風景であると思うが…「極々短い散策」というような範囲の場所で、「独占?」するかのようにこういう景色が眺められるというのは、非常に幸いなことだ…
そんな訳で早朝に起き出してみると東の空が明るいことに気付き、直ぐに「極々短い散策」に出てみる…
↓岸の側の海面が正しく鏡面のようだ…何か「海に手を突っ込むと天を掴むことも出来そう…」とさえ錯覚てしまう…(勿論、海に手を突っ込むようなことはしないが…)
気温は4℃、5℃というような次元か?前日の日中に気温が多少上昇した状態から大きく下がらず、前日朝よりも空気が温い。しかし海岸を渡る微風はやや冷たい…「温かい」とは言い悪いが、「酷く寒い…」と眉を顰める程でもない…
↓朝陽が上昇する経路に相当すると見受けられる場所で、光が滲んで溢れるような具合になって来た…
↓低空の雲の隙間から光が溢れてしまっているかのような感になり、天の感じが少し変わって来た…そして朝陽の一部が少し判るような感じにもなって来た…
↓朝陽が高度を上げ、光が広く解き放たれたような感だ…沿岸部も朝陽の光に照らし出されたようになる…
↓海面に「光の路」が形成されている…
雲、風、朝陽が天空の上で繰り広げている事柄が、静かな海面の上で揺らぎ続けた…そんな状況に出くわしたような気がする…
遠方から足を運んででも眺める価値が在りそうな風景であると思うが…「極々短い散策」というような範囲の場所で、「独占?」するかのようにこういう景色が眺められるというのは、非常に幸いなことだ…
<スマート珈琲店>の「オリジナル珈琲」…(2020.04.27)
↓専用缶に収まった珈琲豆…実に好い感じである…
豆を挽いて、ハンドドリップで珈琲を淹れることを常時愉しむ関係上、拙宅では珈琲豆は“常備品”という感なのだが…不覚にも切らしてしまっていた。そこで急いで取寄せて、待望のモノが到着した訳である。
少し前に京都で老舗喫茶店を訪ねてみた経過が在った。それがなかなかに好い感じで、記憶に残った…
後から店のウェブサイトも視てみると、店で使っているモノと同じ珈琲豆を販売していて、通販もやっているということだった。
ということは、居ながらにして京都の老舗喫茶店と同じブレンドの豆で珈琲を淹れられるということになる。直ぐに発注した…
↓宅配便の厚いクラフト紙の袋の中に、オリジナルの紙袋が入っていて、この中に発注した珈琲豆が入っている…
↓紙袋の反対側も好い感じだ…
↓この専用缶が素敵だ…
↓確り袋詰めした珈琲豆が缶に入っていた…この袋詰めの中身だけでも求められるのだが、今回は専用缶が付いている方を御願いした…
↑袋に描かれた店のマークが御洒落だ…
店は京都の「寺町専門店会商店街」という商店街の一画に在る。商店街のウェブサイトに在る紹介によれば、男女2人がテーブルで珈琲を愉しむような様子の画は、1932(昭和7)年に店の創業者が考案したというモノなのだそうだ。当時から<スマートランチ>と称した店で、「スマート」の店名は「気が利いたサービスを提供しよう」ということから起こったのだそうだ。
↓袋の裏側にシールが貼られていたが、このシールも好い感じのデザインだ…
↓袋の中身を缶に入れて、少しずつ使うことになる訳だ…
古くからの様々なモノが伝わる京都だが、逆に言えば「各々の時代の新しいモノ」が容れられ、起こり、それが折り重なって伝えられているということにもなる筈だ。1930年代には或いは少し新奇であったかもしれない、珈琲を愉しむというような場所が、現在まで受継がれているということだが、なかなかに興味深い。そういう場で使われている珈琲豆…大切に使おう…
早速、この豆で珈琲を淹れた。仄かに苦い、サッパリした感じで好ましい!
↓こちらが店のウェブサイト。
>>スマート珈琲店 昭和7年創業、京都三条の喫茶店
豆を挽いて、ハンドドリップで珈琲を淹れることを常時愉しむ関係上、拙宅では珈琲豆は“常備品”という感なのだが…不覚にも切らしてしまっていた。そこで急いで取寄せて、待望のモノが到着した訳である。
少し前に京都で老舗喫茶店を訪ねてみた経過が在った。それがなかなかに好い感じで、記憶に残った…
後から店のウェブサイトも視てみると、店で使っているモノと同じ珈琲豆を販売していて、通販もやっているということだった。
ということは、居ながらにして京都の老舗喫茶店と同じブレンドの豆で珈琲を淹れられるということになる。直ぐに発注した…
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↓紙袋の反対側も好い感じだ…
↓この専用缶が素敵だ…
↓確り袋詰めした珈琲豆が缶に入っていた…この袋詰めの中身だけでも求められるのだが、今回は専用缶が付いている方を御願いした…
↑袋に描かれた店のマークが御洒落だ…
店は京都の「寺町専門店会商店街」という商店街の一画に在る。商店街のウェブサイトに在る紹介によれば、男女2人がテーブルで珈琲を愉しむような様子の画は、1932(昭和7)年に店の創業者が考案したというモノなのだそうだ。当時から<スマートランチ>と称した店で、「スマート」の店名は「気が利いたサービスを提供しよう」ということから起こったのだそうだ。
↓袋の裏側にシールが貼られていたが、このシールも好い感じのデザインだ…
↓袋の中身を缶に入れて、少しずつ使うことになる訳だ…
古くからの様々なモノが伝わる京都だが、逆に言えば「各々の時代の新しいモノ」が容れられ、起こり、それが折り重なって伝えられているということにもなる筈だ。1930年代には或いは少し新奇であったかもしれない、珈琲を愉しむというような場所が、現在まで受継がれているということだが、なかなかに興味深い。そういう場で使われている珈琲豆…大切に使おう…
早速、この豆で珈琲を淹れた。仄かに苦い、サッパリした感じで好ましい!
↓こちらが店のウェブサイト。
>>スマート珈琲店 昭和7年創業、京都三条の喫茶店
光が解き放たれる感…:稚内港北防波堤ドーム(2020.04.27)
「何時の間にか…」というような感で週末が過ぎた。週明けの月曜日であると言って、日々変わる天候が他の日と違うだけのことで、過ぎる程に静かな朝という状況に何らの異状は無い…
↓「極々短い散策」に出てみた…
↓多分、1℃や2℃という気温なのであろう。少し冷たく張り詰めた空気感なのだが、風が微弱で、浪も静かだ…
↓東寄りの低空の辺りの雲から光が溢れ出ているかのように見えた…
↓雲間に光が溢れる他方、鏡面のような海面の上に、天空の様子が揺らいでいるようにも見えた…
↓低空の雲に些か遮られながら溢れていた光だったが、雲の高度よりやや上まで朝陽が這い上がった…そして光が解き放たれた…
↑海面に「光の路」が形成されていた…
酷く麗しい週明けの夜明という感だ…
↓「極々短い散策」に出てみた…
↓多分、1℃や2℃という気温なのであろう。少し冷たく張り詰めた空気感なのだが、風が微弱で、浪も静かだ…
↓東寄りの低空の辺りの雲から光が溢れ出ているかのように見えた…
↓雲間に光が溢れる他方、鏡面のような海面の上に、天空の様子が揺らいでいるようにも見えた…
↓低空の雲に些か遮られながら溢れていた光だったが、雲の高度よりやや上まで朝陽が這い上がった…そして光が解き放たれた…
↑海面に「光の路」が形成されていた…
酷く麗しい週明けの夜明という感だ…
ハンチング…(2020.04.26)
少し前にレザーのハンチングを入手していて、それが大変に気に入っていて、雪や雨でも使っていたのだったが…「防寒」という意味合いでも好適なレザーのキャップは、「これからの時季にはやや暑い?」というように思っていた…
帽子は色々と持ってはいるが…レザーのハンチングの「形」が非常に気に入ってしまって、「こういうような感じの帽子が…」と思っていた…
↓そして見付けてしまったのだ!!
↑「オールシーズン」を謳うハンチングだ…
↓少し「畝」が視えるコットンの生地…フランス語の piqué に由来するそうだが「ピケ」と呼ばれるそうだ…
↓無駄に頭が大きいかもしれない私でも被り易い大き目なサイズで、フィット感を少し調整することも出来る…
早速に試用して凄く気に入ってしまった!これからのシーズンも、ハンチングを被って戸外へ出る機会が増えることであろう…
1921年創業帽子メーカー運営 【帽子専門店HATBLOCK】
ピケシャディー ハンチングマルゼ オールシーズン 【送料無料】
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<琉球 43度>…(2020.04.26)
↓愛用の錫のタンブラーに酒を満たしてゆったりと頂くという感じが非常に好い昨今である…
↓その名も「琉球」という銘の泡盛である!
↓1846(弘化3)年に起こった酒蔵の流れを汲む<新里酒造>(しんざとしゅぞう)の製品である。現存する沖縄県の酒造会社の中では、ハッキリしている起源が「最も古い」ということになるのだそうだ…
↓「琉球」という銘は<新里酒造>が使っていて色々な種類が在るようだが、頂いているのは「43度」というモノだ…
↑新しい酒と、年月を掛けて熟成の古酒とがブレンドされているのだという。
「“薫り”“旨味”“余韻”の3つのテーマをコンセプト」とメーカーでは謳っているが、看板に偽りは無い!!インディカ米から丁寧に造る旨味が詰まっていて、瓶を開ければ芳香が立ち昇り、口にすれば「じわり…」と味が拡がって、「美味い酒を…」という幸せな余韻が残るのである…
沖縄県では、甕に度数が高めな泡盛を永く置いて愉しむというやり方が在ると聞くが、或いは「それに少し近い感じ」を、瓶の酒を開けるだけで愉しむことが出来てしまう…というのが、この<琉球 43度>が目指しているものなのかもしれない…そんなことも思った。
何となくストレートで頂いているが…度数がやや高いことを然程意識しないような、すうっと呑むことが出来るような感じである…こういうモノ!!非常に好い!!
↓当分はこれをゆったりと愉しむことが出来そうな感だ…
↓その名も「琉球」という銘の泡盛である!
↓1846(弘化3)年に起こった酒蔵の流れを汲む<新里酒造>(しんざとしゅぞう)の製品である。現存する沖縄県の酒造会社の中では、ハッキリしている起源が「最も古い」ということになるのだそうだ…
↓「琉球」という銘は<新里酒造>が使っていて色々な種類が在るようだが、頂いているのは「43度」というモノだ…
↑新しい酒と、年月を掛けて熟成の古酒とがブレンドされているのだという。
「“薫り”“旨味”“余韻”の3つのテーマをコンセプト」とメーカーでは謳っているが、看板に偽りは無い!!インディカ米から丁寧に造る旨味が詰まっていて、瓶を開ければ芳香が立ち昇り、口にすれば「じわり…」と味が拡がって、「美味い酒を…」という幸せな余韻が残るのである…
沖縄県では、甕に度数が高めな泡盛を永く置いて愉しむというやり方が在ると聞くが、或いは「それに少し近い感じ」を、瓶の酒を開けるだけで愉しむことが出来てしまう…というのが、この<琉球 43度>が目指しているものなのかもしれない…そんなことも思った。
何となくストレートで頂いているが…度数がやや高いことを然程意識しないような、すうっと呑むことが出来るような感じである…こういうモノ!!非常に好い!!
↓当分はこれをゆったりと愉しむことが出来そうな感だ…
<ムサシジーンズ>…(2020.04.26)
戯れに「正しい休日」というように言う場合が在るが、休日にはコインランドリーを利用して洗濯というのが好いと思っている…
↓愛用中のジーンズの中から1本、洗濯を済ませた…
昨年の9月、10月頃から使っているモノである。何本かのジーンズを適宜交替で着用するので、「ずうっと使い続けている…」というような感じにはなっていない…
↓それでも「使用感」が写真でも少し判るような感じになって来たような気がする…
↓「国産」を謳う代物である…
↑新品であった頃の「硬い感じ」は既に抜けてしまって久しく、何となく馴染んでいる…
↓大切に愛用し続けたい感じがするモノである…
↓愛用中のジーンズの中から1本、洗濯を済ませた…
昨年の9月、10月頃から使っているモノである。何本かのジーンズを適宜交替で着用するので、「ずうっと使い続けている…」というような感じにはなっていない…
↓それでも「使用感」が写真でも少し判るような感じになって来たような気がする…
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733系電車:南千歳駅・新千歳空港駅(2020.03.28)
「南千歳駅」は嘗て「千歳空港駅」と言っていた。駅から道路上に橋のような通路が設けられて空港のビルへ向かうようになっていたと記憶するが…1992(平成4)年に新千歳空港ターミナルが開業した際、「千歳空港駅」は「南千歳駅」と改称し、支線で新千歳空港ターミナルの地下に設えられた「新千歳空港駅」に入り込む列車で、空港利用者が札幌等との間を往来するようになって行った。
苫小牧駅から南千歳空港に着き、新千歳空港駅へ向かう列車を待った。
↓左側には新千歳空港駅を出て、札幌方面へ向かう列車が停車中だ。右側に新千歳空港駅へ向かう列車が姿を見せた…
↓列車の先頭側で待っていると、停車に向けて列車が減速していく様子が見えて面白い…
↓733系電車が現れた。6輌編成だ。
↓札幌方面へ向かう列車が動き始めた中で、新千歳空港駅へ向かう列車は静かに停車した…
↓列車の先頭の車輌…この時は酷く空いていた…
列車が動き出せば、間もなく地下に敷かれる軌道へ入るトンネルになり、灯りが見えるようになり、3分程度で新千歳空港駅に列車が着く…
↓新千歳空港駅に到着した…
嘗てJR北海道では青函トンネルの中に駅を設えて、見学コースのようなことをやっていた。そこを廃止してしまったので、新千歳空港駅はJR北海道唯一の地下駅となる。加えて新千歳空港駅は、札幌の地下鉄東西線の新さっぽろ駅よりも東に位置する地下駅で、「日本国内で最も東にある地下駅」ということになるのだそうだ。
そんなことで、この日は長い移動で新千歳空港に至ったのだった…
苫小牧駅から南千歳空港に着き、新千歳空港駅へ向かう列車を待った。
↓左側には新千歳空港駅を出て、札幌方面へ向かう列車が停車中だ。右側に新千歳空港駅へ向かう列車が姿を見せた…
↓列車の先頭側で待っていると、停車に向けて列車が減速していく様子が見えて面白い…
↓733系電車が現れた。6輌編成だ。
↓札幌方面へ向かう列車が動き始めた中で、新千歳空港駅へ向かう列車は静かに停車した…
↓列車の先頭の車輌…この時は酷く空いていた…
列車が動き出せば、間もなく地下に敷かれる軌道へ入るトンネルになり、灯りが見えるようになり、3分程度で新千歳空港駅に列車が着く…
↓新千歳空港駅に到着した…
嘗てJR北海道では青函トンネルの中に駅を設えて、見学コースのようなことをやっていた。そこを廃止してしまったので、新千歳空港駅はJR北海道唯一の地下駅となる。加えて新千歳空港駅は、札幌の地下鉄東西線の新さっぽろ駅よりも東に位置する地下駅で、「日本国内で最も東にある地下駅」ということになるのだそうだ。
そんなことで、この日は長い移動で新千歳空港に至ったのだった…
<菊之露>(きくのつゆ)…(2020.04.25)
少し前に<リトル沖縄>という異称も在る大阪の大正に至った経過が在った…
<リトル沖縄>という異称は、大阪に仕事を求めて出て来た沖縄県に所縁の人達が集まっていた経過が在り、現在に至ってもその後裔ということになる人達が住み、沖縄県に所縁の人達が集まっているということから出ているらしいが、街には「沖縄酒場」を号して、沖縄風な料理や彼の地に所縁の酒を供する場が在る…
そんな大阪の大正の「沖縄酒場」に立寄ったことが愉しい想い出ということになっていたのだが、そこで頂いた泡盛が何となく忘れ難いモノで、「出来れば取寄せて、一寸頂きたい…」というように思っていた…
↓これがその大阪の大正の「沖縄酒場」で頂いた「想い出の」という泡盛である…
↑「らしい!」という感じの泡盛である…大阪の大正の「沖縄酒場」ではロックで頂いたので、氷を用意してロックで頂いてみて、愉しかった一時を思い出していた…
↓<菊之露>という銘の泡盛は、宮古島で製造されているモノであるということだ…
タイ米に麹を絡めて発酵させて蒸留という泡盛だが、その泡盛「らしい!」という感じの味わいで、ロックで頂くのが酷く美味い感じがする<菊之露>である…
↓大阪の大正の「沖縄酒場」で愉しく頂いたということで、大阪錫器のタンブラーに敢えて注いで愉しんでいる…
少しの間、思い立って立寄った街で出くわした、実は遠い土地に所縁が在るらしい「想い出の味」をゆっくりと愉しむことは叶いそうである…
<リトル沖縄>という異称は、大阪に仕事を求めて出て来た沖縄県に所縁の人達が集まっていた経過が在り、現在に至ってもその後裔ということになる人達が住み、沖縄県に所縁の人達が集まっているということから出ているらしいが、街には「沖縄酒場」を号して、沖縄風な料理や彼の地に所縁の酒を供する場が在る…
そんな大阪の大正の「沖縄酒場」に立寄ったことが愉しい想い出ということになっていたのだが、そこで頂いた泡盛が何となく忘れ難いモノで、「出来れば取寄せて、一寸頂きたい…」というように思っていた…
↓これがその大阪の大正の「沖縄酒場」で頂いた「想い出の」という泡盛である…
↑「らしい!」という感じの泡盛である…大阪の大正の「沖縄酒場」ではロックで頂いたので、氷を用意してロックで頂いてみて、愉しかった一時を思い出していた…
↓<菊之露>という銘の泡盛は、宮古島で製造されているモノであるということだ…
タイ米に麹を絡めて発酵させて蒸留という泡盛だが、その泡盛「らしい!」という感じの味わいで、ロックで頂くのが酷く美味い感じがする<菊之露>である…
↓大阪の大正の「沖縄酒場」で愉しく頂いたということで、大阪錫器のタンブラーに敢えて注いで愉しんでいる…
少しの間、思い立って立寄った街で出くわした、実は遠い土地に所縁が在るらしい「想い出の味」をゆっくりと愉しむことは叶いそうである…
上る朝陽を望む…:稚内港北防波堤ドーム周辺(2020.04.25)
休日の土曜日の早朝ということになった…休日も平日も在ったものではない。何時でも過ぎる程に静かな街で、更に静かな早朝、フラフラと「極々短い散策」に出てみる…
↓浪の音が聞こえるでもない状況だった…
↑何やら「日出を待つ…」というような感じになった時間帯だ…未だ午前4時台である…
↓音が聞こえるという程ではないながら、静かな海面に変化が生じる「打ち寄せる浪」は些か見受けられるような状況が続いた…
↓東寄りな丘陵の向こうに朝陽が覗いた…
↓何か「朝が産まれる瞬間」に立ち会うことになったような…少し不思議な気分に包まれた…
こうした「らしい!」という感の夜明の光景に出くわすことが叶う時間帯が、日を追って早くなっている…多少寒い中、季節は着実に「進んで」いる訳だ…
↓浪の音が聞こえるでもない状況だった…
↑何やら「日出を待つ…」というような感じになった時間帯だ…未だ午前4時台である…
↓音が聞こえるという程ではないながら、静かな海面に変化が生じる「打ち寄せる浪」は些か見受けられるような状況が続いた…
↓東寄りな丘陵の向こうに朝陽が覗いた…
↓何か「朝が産まれる瞬間」に立ち会うことになったような…少し不思議な気分に包まれた…
こうした「らしい!」という感の夜明の光景に出くわすことが叶う時間帯が、日を追って早くなっている…多少寒い中、季節は着実に「進んで」いる訳だ…
733系電車:苫小牧駅(2020.03.28)
苫小牧市と千歳市とは隣町だ。
苫小牧駅から新千歳空港駅を目指すのであれば、札幌方面の列車に乗って南千歳駅に至って新千歳空港行の列車に乗換えれば好い。
苫小牧駅では、札幌方面の列車に関して「多少待つ?」という感じになる場合も見受けられるが、岩見沢駅から苫小牧駅への列車のように本数が少ない訳でもないのでどうということもない…
↓少しゆとりを持ってホームに出てみれば、列車が入線する場面に出くわした…
↓このステンレスの車輌正面も何となく見慣れたモノになって来た気がする…
↓運行時には列車の後尾になる側で待っていたのだが、乗務する車掌さんも待機していた。
近年、JR北海道の列車でも女性の車掌さんに出くわすが、経験上その遭遇確率が高いのは、苫小牧と札幌方面とを往来する普通列車である。この時も、車掌さんは女性だった…
↓所定の位置に停車して乗客を迎え始めたのは733系電車だ…3輌編成だった…
733系電車は2012(平成24)年から導入されている車輌で、未だ新しい感じだが、札幌圏では数を増やしているようだ。何かこの車輌が増えて「駅で見掛ける景色が変わった?」というような気がしないでもない…
↓発車にやや間が在るタイミングで乗車した…他の乗客が居ない箇所で車内の様子を撮った…
↑内部はロングシートだ。扉は、少し長く停車する時には「押ボタンで開閉」という方式になっている…
こういう内装の電車…個人的には、乗車する機会が少し限られるので、何となく新鮮だ…苫小牧・南千歳間は20分程であった…
苫小牧駅から新千歳空港駅を目指すのであれば、札幌方面の列車に乗って南千歳駅に至って新千歳空港行の列車に乗換えれば好い。
苫小牧駅では、札幌方面の列車に関して「多少待つ?」という感じになる場合も見受けられるが、岩見沢駅から苫小牧駅への列車のように本数が少ない訳でもないのでどうということもない…
↓少しゆとりを持ってホームに出てみれば、列車が入線する場面に出くわした…
↓このステンレスの車輌正面も何となく見慣れたモノになって来た気がする…
↓運行時には列車の後尾になる側で待っていたのだが、乗務する車掌さんも待機していた。
近年、JR北海道の列車でも女性の車掌さんに出くわすが、経験上その遭遇確率が高いのは、苫小牧と札幌方面とを往来する普通列車である。この時も、車掌さんは女性だった…
↓所定の位置に停車して乗客を迎え始めたのは733系電車だ…3輌編成だった…
733系電車は2012(平成24)年から導入されている車輌で、未だ新しい感じだが、札幌圏では数を増やしているようだ。何かこの車輌が増えて「駅で見掛ける景色が変わった?」というような気がしないでもない…
↓発車にやや間が在るタイミングで乗車した…他の乗客が居ない箇所で車内の様子を撮った…
↑内部はロングシートだ。扉は、少し長く停車する時には「押ボタンで開閉」という方式になっている…
こういう内装の電車…個人的には、乗車する機会が少し限られるので、何となく新鮮だ…苫小牧・南千歳間は20分程であった…
稚内港北防波堤ドームを望む早朝…(2020.04.24)
前日には「雪(!?)」まで交じり、冴えない天候であったが、夕刻近くには晴れた。そして迎えた朝…気温は2℃や3℃だったと思うが、何やら明るい感じだった…
「極々短い散策」に出てみる…午前4時半辺り…既に稚内港北防波堤ドームの灯りが“消灯”状態であったので、海側へ廻り込んでみた…
↓辺りに少し「音」が聞こえる程度の浪…そして然程強くない、やや冷たい風…
↓飛沫を被ってしまわないように、少し慎重に岸へ近付いてみた…海鳥達の「本日の行動開始…」という感で、時折飛び交っていた…
↓或いは「海らしい」という感の海面だ…
↓低空に少しだけ拡がる雲の感じの故に、朝陽の姿が視えず、解き放たれる光も捉え悪い…が、天は全般に蒼に輝く感だ…
やや寒い…が…それでも「春」だ…そう思いながら、身体が変に冷えるのを避けようと引揚げたが、足下の湿った箇所に「些か凍っている?」という箇所が交じっていた。この時季は何となく「不思議」だ…
「極々短い散策」に出てみる…午前4時半辺り…既に稚内港北防波堤ドームの灯りが“消灯”状態であったので、海側へ廻り込んでみた…
↓辺りに少し「音」が聞こえる程度の浪…そして然程強くない、やや冷たい風…
↓飛沫を被ってしまわないように、少し慎重に岸へ近付いてみた…海鳥達の「本日の行動開始…」という感で、時折飛び交っていた…
↓或いは「海らしい」という感の海面だ…
↓低空に少しだけ拡がる雲の感じの故に、朝陽の姿が視えず、解き放たれる光も捉え悪い…が、天は全般に蒼に輝く感だ…
やや寒い…が…それでも「春」だ…そう思いながら、身体が変に冷えるのを避けようと引揚げたが、足下の湿った箇所に「些か凍っている?」という箇所が交じっていた。この時季は何となく「不思議」だ…
キハ150:苫小牧駅(2020.03.28)
岩見沢駅から列車に乗車した。
発車を待つ間は「普通列車、苫小牧行です。札幌方面へは行きませんので御注意下さい。この列車ではKitacaは御利用になれません」と録音アナウンスが繰り返されていて、やがて動き出してみれば「各地で見受けられるワンマン運行」という感じで、苫小牧駅を目指して進んだ…
↓苫小牧駅に到着した…
↑苫小牧駅に関しては、個人的には然程馴染みが深いのでもない。何となく「着いたか…」とホームで身体を伸ばし、乗って来た車輌を眺めてみる…
↓改札口へ向かう跨線橋の階段側へ進み、逆側から車輌を眺めた…
↑キハ150という車輌も、こうして眺めると何となく好い感じだ…
時には、馴染みの薄い感じの駅に、やや出くわす機会が少ないと感じる車輌に乗って辿り着くというのも好いものかもしれない…
発車を待つ間は「普通列車、苫小牧行です。札幌方面へは行きませんので御注意下さい。この列車ではKitacaは御利用になれません」と録音アナウンスが繰り返されていて、やがて動き出してみれば「各地で見受けられるワンマン運行」という感じで、苫小牧駅を目指して進んだ…
↓苫小牧駅に到着した…
↑苫小牧駅に関しては、個人的には然程馴染みが深いのでもない。何となく「着いたか…」とホームで身体を伸ばし、乗って来た車輌を眺めてみる…
↓改札口へ向かう跨線橋の階段側へ進み、逆側から車輌を眺めた…
↑キハ150という車輌も、こうして眺めると何となく好い感じだ…
時には、馴染みの薄い感じの駅に、やや出くわす機会が少ないと感じる車輌に乗って辿り着くというのも好いものかもしれない…
キハ40から721系電車へ…:滝川駅(2020.03.28)
稚内駅を出発して南下を続けていた。旭川駅に至ってキハ40による列車に乗車した。
↓列車は終点の滝川駅に無事に到着した…
↑この日は好天な場所が多く、滝川駅辺りも光の感じが好かった…
旭川から札幌を経て小樽に至るまでの区間の函館本線は“電化区間”である。車輌上部のパンタグラフに架線からの電気を受け、車輌に内蔵のモーターを駆動させて走行する「電車」が行き交う区間だ。そういう区間であるが、電化区間の中だけで運行しているように見える列車でも、電気を受けずにエンジンで動くディーゼルカーによる列車が時々混じる…今般はそういう例に出くわした。
↓案内に従って別なホームへ動けば、岩見沢行の列車が既に待機していた…
↓この、なかなかに好い内装の721系電車による列車である。3輌編成だ…
札幌にもっと近い辺りでは、ロングシートの内装となっている、少し新しい車輌が登場する例が多いのだが、岩見沢以北の電化区間での普通列車は、この721系電車で運行されているようだ…
↓行き交う特急列車の動きが落ち着く頃を見計らうように列車は出発を待っていた…
「専らディーゼルカー」という辺りから、「電車が主流」という辺りへ至ると、何となく「遠くまで来た…」という気分が高まってしまう。今般は、そういう気分を旭川ではなく、滝川で味わうようなことになった…
↓列車は終点の滝川駅に無事に到着した…
↑この日は好天な場所が多く、滝川駅辺りも光の感じが好かった…
旭川から札幌を経て小樽に至るまでの区間の函館本線は“電化区間”である。車輌上部のパンタグラフに架線からの電気を受け、車輌に内蔵のモーターを駆動させて走行する「電車」が行き交う区間だ。そういう区間であるが、電化区間の中だけで運行しているように見える列車でも、電気を受けずにエンジンで動くディーゼルカーによる列車が時々混じる…今般はそういう例に出くわした。
↓案内に従って別なホームへ動けば、岩見沢行の列車が既に待機していた…
↓この、なかなかに好い内装の721系電車による列車である。3輌編成だ…
札幌にもっと近い辺りでは、ロングシートの内装となっている、少し新しい車輌が登場する例が多いのだが、岩見沢以北の電化区間での普通列車は、この721系電車で運行されているようだ…
↓行き交う特急列車の動きが落ち着く頃を見計らうように列車は出発を待っていた…
「専らディーゼルカー」という辺りから、「電車が主流」という辺りへ至ると、何となく「遠くまで来た…」という気分が高まってしまう。今般は、そういう気分を旭川ではなく、滝川で味わうようなことになった…
721系電車:札幌駅(2020.04.03)
↓新千歳空港駅で快速列車に乗り、「少し静かな夜」という風情の札幌駅へ到着した…列車は暫く札幌駅で停車し、札幌以西の駅へ普通列車として進むべく待機態勢で、そんな様子を眺めた…既に「普通」と車輌の正面に表示している…
↑1988(昭和63)年から走っている721系電車による列車だった…
↓写真そのものは札幌駅ではなく、新千歳空港で列車に乗り込んだ際に他の乗客が居合わせなかったので撮ったのだが、721系電車の客席だ…なかなかに好い感じだと思う。
↑車輌には3つの扉が在り、中に「椅子が並ぶ部屋」という感じのスペースが2つ設えられている。進行方向に応じて向きも変えられるタイプのクロスシートで、大変に乗り心地が好い…
近年、新千歳空港・札幌の区間は「混み合い勝ちな区間」ということで、ロングシートを装備した車輌の登場頻度が増えているように思う。そういう中、何時の間にか「なかなかに運行歴が長い…」という感じになった721系電車が現れると、少し嬉しくなる…
その現れると一寸嬉しい721系電車で札幌駅に着いてみると、他の都府県に足を踏み入れる旅から“帰国”というような安堵感と同時に、心弾むような一寸した冒険の終焉が近づくという寂寥感も覚える…
↑1988(昭和63)年から走っている721系電車による列車だった…
↓写真そのものは札幌駅ではなく、新千歳空港で列車に乗り込んだ際に他の乗客が居合わせなかったので撮ったのだが、721系電車の客席だ…なかなかに好い感じだと思う。
↑車輌には3つの扉が在り、中に「椅子が並ぶ部屋」という感じのスペースが2つ設えられている。進行方向に応じて向きも変えられるタイプのクロスシートで、大変に乗り心地が好い…
近年、新千歳空港・札幌の区間は「混み合い勝ちな区間」ということで、ロングシートを装備した車輌の登場頻度が増えているように思う。そういう中、何時の間にか「なかなかに運行歴が長い…」という感じになった721系電車が現れると、少し嬉しくなる…
その現れると一寸嬉しい721系電車で札幌駅に着いてみると、他の都府県に足を踏み入れる旅から“帰国”というような安堵感と同時に、心弾むような一寸した冒険の終焉が近づくという寂寥感も覚える…
丸4年…3953件…(2020.04.22)
このブログの全く初めての記事が現れたのは「2016年4月23日」のことであった。「えっ?丸4年?」と不意に気付いた…
「2016年4月23日」の記事を視れば「不意に思ったのは、モノクロ写真を主体に纏めている場を…設けていなかった…」として、「思い立ったが吉日」としてこのブログを始めている。
それ以来、現時点までに3953件の記事を綴ってここに出した。4年間は48箇月間であるが、1箇月平均で82件余り、1週間平均で20件程度を出し続けたことになる。特段に「決め事」のようなことはせず、全く随意に「写真を選んで記事を綴って出す」ということを続けて来た。気に入った写真が多い時期、言葉を換えれば、何処かを訪ねて写真を撮る機会が多かったような時期、その少し後には自ずと記事件数が多い。やや例外的なのは、2016年5月から2016年6月頃、少し前に多く写真を撮っていたことに加え、「始めたばかりのブログに少々の勢いを…」と過去写真を取り出してドンドン御紹介していたというのが在って、各月の記事件数が少し多目である。
当初は<Nikon COOLPIX P7700>を使って撮った画を取上げていた…
↓稚内港北防波堤ドームを望む画で、2014年10月の撮影だ。カメラのズームを随分と使い、色々と考えながら撮っていた…
↑こういう感じの画が酷く気に入り、「モノクロ写真を主体に纏めている場を…設けていなかった…」ということを思い付いた訳だ…
↓これは2014年12月に訪ねた鹿児島で臨んだ、12月としては珍しいらしい雪を被った桜島の画だ…
↑こういうような「訪ねた先の思い出の記録」という意図も在って、「撮影地で区分けするカテゴリ」を設定し、そのまま現在に至っている。
こうしてモノクロ写真を使った記事を綴るようになると、写真を撮る場面で「併せてモノクロも…」という機会が増えた。そういう傾向と並行して、写真を撮ることが愉しいと思うようになって行った頃の「単焦点レンズを装着したカメラを駆使して…」という感覚が酷く懐かしくなり、何とかしたいと思うようになった。
↓2017年9月にユジノサハリンスクで撮った画だ。この頃に入手に至ってしまった<X100F>を使用している。
↑雲が流れる夕空の光や雰囲気、影となっているレーニン像の「らしい!」という感の黒さ…非常に好いと思った…
とりあえず始まったモノクロ写真のブログは、モノクロ写真を「得意としている?」かのような<X100F>と出くわしたことで、何やら「更なる勢い」を得たような感だった。
<X100F>は、「23㎜=35㎜相当画角」という単焦点レンズが固定されているカメラだ。それを“制約”というようにも考え得るが、寧ろ「これで可能な範囲で画を創ることを愉しむ」と捉えていた。それでも「もう少々違った画角?」というようなことを考え始めた…
↓2018年9月にユジノサハリンスクで撮った画だ。入手して日が浅かった<X-Pro2>に広角ズームを装着して撮った画だ…
↑華やかな“ラテアート”の飲物と、飲物を頂いていたカフェの雰囲気が広い範囲で綺麗に収まり、場の雰囲気を確り記録している感だ…
結果的に、当初は<Nikon COOLPIX P7700>で始め、2017年9月以降に<X100F>を、2018年9月以降に<X-Pro2>を入手し、現在に至るまで後者2台を使っているというようなことになる。少し前に論じたのだったが、恐らく当分は<X100F>と<X-Pro2>とを使い続けると思う…
このブログのカテゴリに関しては、「国内の都道府県毎」を基本として「掲載写真を撮った都府県」のモノを各々に設け、新たな写真を新たな場所で撮って記事に載せる場合に新しい都府県を順次加えている。「北海道」だけは「北海道/稚内」とか「北海道/旭川」という具合に地域名を補うようにした。後から「ロシアの連邦構成体」(※「○○州」、「○○地方」というようなモノ)を2つ―「サハリン州」と「沿海地方」―加えている。
このカテゴリは、パソコンでこのブログを見る場合には右側に表示されている…
カテゴリ毎に記事件数には差が在る。殊更に件数が多いのは、「地元」または「地元同然に滞在する時間が長かった」という事由による。それ以外に件数が多い感じのカテゴリに関しては、「ブログで取り上げている写真を撮った近年で、頻繁に訪ねる、立寄っている場所で、その都度に多く写真を撮っている」ということであるか、「限られた訪問機会の中で相当な写真を撮っている」ということになる訳だ。
3月末から4月冒頭に出掛ける機会が在った関係で、地元を含む北海道内各地を除く都府県では「大阪府」、「奈良県」、「京都府」、「兵庫県」が各々“三桁”(=100件以上)になっているのが少し目立つ。これは正しく「近年、或る程度頻繁に訪ねる、立寄っている場所で、その都度に多く写真を撮っている」ということに他ならない…
一寸だけ各府県で撮った画を例示してみる…
↓2018年5月に撮った大阪の地下鉄駅の様子だが、「大阪府」というのは色々と画になる場所やモノが豊富だ…
↓2019年6月に撮った<奈良ホテル>だが、「奈良県」は様々な時代の記憶を呼び覚ますような場所やモノが方々に在ると思う…
↓2020年3月に撮った<東華菜館>だが、「京都府」は「各々の時代に“新しかった”モノ」が幾重にも折り重なり、無限の魅力を放っていると思う…
↓2018年2月に神戸で視掛けたグラフィティーを撮ったのだが、「兵庫県」は様々な経過の地域が非常に多く集まっていて、新旧様々な時代に由来する文物が実に多彩であり、同時にこういうグラフィティーのような「現代的な面白いモノ」も眼に停まり易いというのが好い…
結局、「大阪府」、「奈良県」、「京都府」、「兵庫県」というような地域については、何れの府県も「少し動くと、各々の異なる伝統を積み重ねた地域にドンドン出くわす」という特徴が在り、加えて「特徴的な古いモノ」や「個性的な新しいモノ」が溢れていて、更に「様々な鉄道が盛んに活動していて、駅や車輌が面白い」ということで、「時間を設けて出掛けるとすれば…」と頻繁に考えてしまうのである。
私のように「出先で“1日乗車券”のようなモノを入手して随意に動き廻る」ということをするのであれば、「大阪府」、「奈良県」、「京都府」、「兵庫県」というような「府県の境界」や「市町村の境界」というのは然程気にならない…そんなモノは易々と、何時の間にか通り過ぎてしまうからだ…逆に言えば、「行政区域の境界は半ば度外視で、各々の異なる伝統を積み重ねた地域が連なっている」のが「あの方面」の魅力であると思う。
こういうカテゴリという事柄に加え、パソコンでこのブログを見る場合には右側に表示されているが、“タグ”とか“ラベル”と呼ばれる「キーワード」も各記事に付している。
これは当初の<Nikon COOLPIX P7700>で撮ったモノばかりであった状況が変わり、<X100F>が加わり、<X-Pro2>も加わったので「使用機材を判り易く」というのも在るが、「撮影地域と無関係な画に在るモノ」を示すような意図で設定している。
例えば「神社」、「銅像」、「橋梁」、「路面電車」というような場所やモノを示す一般名詞も使うが、例えば「通天閣」というような殊更に気に入っている場所を特定する固有名詞や、主に鉄道車輌や駅等の場合には「JR西日本」という例のように鉄道会社の名を挙げてある例も在る。明確な基準が在るでもなく恣意的かもしれないが、「撮りたいと思うモノ」の傾向が自身でも或る程度判るという訳だ。
更に最近に至っては…パソコンでこのブログを見る場合には右側に表示されている<ブログ内検索>の窓は自身でも利用する。例えば「ここの写真が好いから掲載した記事を用意…以前にも訪ねていたが、何時だったか?」というような時にキーワードを入れて検索するのである。これは読者諸賢にも御利用頂けるものだ。各々に「お気に入り」を見出して頂ければ、大変に幸いである…
それにしても、「4年間で3953件」というのは「なかなかの勢い…」であるように思う。ここまでの「勢い」が持続するのか否かは判らないが、写真を撮るのは愉しいので、多分このブログも未だ続けることであろう…
「2016年4月23日」の記事を視れば「不意に思ったのは、モノクロ写真を主体に纏めている場を…設けていなかった…」として、「思い立ったが吉日」としてこのブログを始めている。
それ以来、現時点までに3953件の記事を綴ってここに出した。4年間は48箇月間であるが、1箇月平均で82件余り、1週間平均で20件程度を出し続けたことになる。特段に「決め事」のようなことはせず、全く随意に「写真を選んで記事を綴って出す」ということを続けて来た。気に入った写真が多い時期、言葉を換えれば、何処かを訪ねて写真を撮る機会が多かったような時期、その少し後には自ずと記事件数が多い。やや例外的なのは、2016年5月から2016年6月頃、少し前に多く写真を撮っていたことに加え、「始めたばかりのブログに少々の勢いを…」と過去写真を取り出してドンドン御紹介していたというのが在って、各月の記事件数が少し多目である。
当初は<Nikon COOLPIX P7700>を使って撮った画を取上げていた…
↓稚内港北防波堤ドームを望む画で、2014年10月の撮影だ。カメラのズームを随分と使い、色々と考えながら撮っていた…
↑こういう感じの画が酷く気に入り、「モノクロ写真を主体に纏めている場を…設けていなかった…」ということを思い付いた訳だ…
↓これは2014年12月に訪ねた鹿児島で臨んだ、12月としては珍しいらしい雪を被った桜島の画だ…
↑こういうような「訪ねた先の思い出の記録」という意図も在って、「撮影地で区分けするカテゴリ」を設定し、そのまま現在に至っている。
こうしてモノクロ写真を使った記事を綴るようになると、写真を撮る場面で「併せてモノクロも…」という機会が増えた。そういう傾向と並行して、写真を撮ることが愉しいと思うようになって行った頃の「単焦点レンズを装着したカメラを駆使して…」という感覚が酷く懐かしくなり、何とかしたいと思うようになった。
↓2017年9月にユジノサハリンスクで撮った画だ。この頃に入手に至ってしまった<X100F>を使用している。
↑雲が流れる夕空の光や雰囲気、影となっているレーニン像の「らしい!」という感の黒さ…非常に好いと思った…
とりあえず始まったモノクロ写真のブログは、モノクロ写真を「得意としている?」かのような<X100F>と出くわしたことで、何やら「更なる勢い」を得たような感だった。
<X100F>は、「23㎜=35㎜相当画角」という単焦点レンズが固定されているカメラだ。それを“制約”というようにも考え得るが、寧ろ「これで可能な範囲で画を創ることを愉しむ」と捉えていた。それでも「もう少々違った画角?」というようなことを考え始めた…
↓2018年9月にユジノサハリンスクで撮った画だ。入手して日が浅かった<X-Pro2>に広角ズームを装着して撮った画だ…
↑華やかな“ラテアート”の飲物と、飲物を頂いていたカフェの雰囲気が広い範囲で綺麗に収まり、場の雰囲気を確り記録している感だ…
結果的に、当初は<Nikon COOLPIX P7700>で始め、2017年9月以降に<X100F>を、2018年9月以降に<X-Pro2>を入手し、現在に至るまで後者2台を使っているというようなことになる。少し前に論じたのだったが、恐らく当分は<X100F>と<X-Pro2>とを使い続けると思う…
このブログのカテゴリに関しては、「国内の都道府県毎」を基本として「掲載写真を撮った都府県」のモノを各々に設け、新たな写真を新たな場所で撮って記事に載せる場合に新しい都府県を順次加えている。「北海道」だけは「北海道/稚内」とか「北海道/旭川」という具合に地域名を補うようにした。後から「ロシアの連邦構成体」(※「○○州」、「○○地方」というようなモノ)を2つ―「サハリン州」と「沿海地方」―加えている。
このカテゴリは、パソコンでこのブログを見る場合には右側に表示されている…
カテゴリ毎に記事件数には差が在る。殊更に件数が多いのは、「地元」または「地元同然に滞在する時間が長かった」という事由による。それ以外に件数が多い感じのカテゴリに関しては、「ブログで取り上げている写真を撮った近年で、頻繁に訪ねる、立寄っている場所で、その都度に多く写真を撮っている」ということであるか、「限られた訪問機会の中で相当な写真を撮っている」ということになる訳だ。
3月末から4月冒頭に出掛ける機会が在った関係で、地元を含む北海道内各地を除く都府県では「大阪府」、「奈良県」、「京都府」、「兵庫県」が各々“三桁”(=100件以上)になっているのが少し目立つ。これは正しく「近年、或る程度頻繁に訪ねる、立寄っている場所で、その都度に多く写真を撮っている」ということに他ならない…
一寸だけ各府県で撮った画を例示してみる…
↓2018年5月に撮った大阪の地下鉄駅の様子だが、「大阪府」というのは色々と画になる場所やモノが豊富だ…
↓2019年6月に撮った<奈良ホテル>だが、「奈良県」は様々な時代の記憶を呼び覚ますような場所やモノが方々に在ると思う…
↓2020年3月に撮った<東華菜館>だが、「京都府」は「各々の時代に“新しかった”モノ」が幾重にも折り重なり、無限の魅力を放っていると思う…
↓2018年2月に神戸で視掛けたグラフィティーを撮ったのだが、「兵庫県」は様々な経過の地域が非常に多く集まっていて、新旧様々な時代に由来する文物が実に多彩であり、同時にこういうグラフィティーのような「現代的な面白いモノ」も眼に停まり易いというのが好い…
結局、「大阪府」、「奈良県」、「京都府」、「兵庫県」というような地域については、何れの府県も「少し動くと、各々の異なる伝統を積み重ねた地域にドンドン出くわす」という特徴が在り、加えて「特徴的な古いモノ」や「個性的な新しいモノ」が溢れていて、更に「様々な鉄道が盛んに活動していて、駅や車輌が面白い」ということで、「時間を設けて出掛けるとすれば…」と頻繁に考えてしまうのである。
私のように「出先で“1日乗車券”のようなモノを入手して随意に動き廻る」ということをするのであれば、「大阪府」、「奈良県」、「京都府」、「兵庫県」というような「府県の境界」や「市町村の境界」というのは然程気にならない…そんなモノは易々と、何時の間にか通り過ぎてしまうからだ…逆に言えば、「行政区域の境界は半ば度外視で、各々の異なる伝統を積み重ねた地域が連なっている」のが「あの方面」の魅力であると思う。
こういうカテゴリという事柄に加え、パソコンでこのブログを見る場合には右側に表示されているが、“タグ”とか“ラベル”と呼ばれる「キーワード」も各記事に付している。
これは当初の<Nikon COOLPIX P7700>で撮ったモノばかりであった状況が変わり、<X100F>が加わり、<X-Pro2>も加わったので「使用機材を判り易く」というのも在るが、「撮影地域と無関係な画に在るモノ」を示すような意図で設定している。
例えば「神社」、「銅像」、「橋梁」、「路面電車」というような場所やモノを示す一般名詞も使うが、例えば「通天閣」というような殊更に気に入っている場所を特定する固有名詞や、主に鉄道車輌や駅等の場合には「JR西日本」という例のように鉄道会社の名を挙げてある例も在る。明確な基準が在るでもなく恣意的かもしれないが、「撮りたいと思うモノ」の傾向が自身でも或る程度判るという訳だ。
更に最近に至っては…パソコンでこのブログを見る場合には右側に表示されている<ブログ内検索>の窓は自身でも利用する。例えば「ここの写真が好いから掲載した記事を用意…以前にも訪ねていたが、何時だったか?」というような時にキーワードを入れて検索するのである。これは読者諸賢にも御利用頂けるものだ。各々に「お気に入り」を見出して頂ければ、大変に幸いである…
それにしても、「4年間で3953件」というのは「なかなかの勢い…」であるように思う。ここまでの「勢い」が持続するのか否かは判らないが、写真を撮るのは愉しいので、多分このブログも未だ続けることであろう…
幌延駅…(2020.04.04)
旭川を早朝に発つ普通列車で稚内を目指す…
「何時の間にか、かなり北上した…」と目指す稚内を思い浮かべるような頃…どういう訳か20分程度も停車するので、少しホームに出て一息入れる…
↓幌延駅だ…ホームの辺りに掲出される、平仮名で縦書きの駅名標は、北海道内で広く見受けられる形式のモノだ…確りとビールの広告も在る…
↓キハ54…宗谷線の音威子府駅以北では、普通列車は専らこの型で運行されている…
この時は、或いは私自身も使用中だった<青春18きっぷ>を手にしていたのかもしれないが、「他地域からやって来た旅行者?」という風な人達を車内で若干見掛けた…「稚内へ列車で北上」という場合、旭川を早朝に発つ普通列車は意外に悪くない選択肢であると思っている…
「何時の間にか、かなり北上した…」と目指す稚内を思い浮かべるような頃…どういう訳か20分程度も停車するので、少しホームに出て一息入れる…
↓幌延駅だ…ホームの辺りに掲出される、平仮名で縦書きの駅名標は、北海道内で広く見受けられる形式のモノだ…確りとビールの広告も在る…
↓キハ54…宗谷線の音威子府駅以北では、普通列車は専らこの型で運行されている…
この時は、或いは私自身も使用中だった<青春18きっぷ>を手にしていたのかもしれないが、「他地域からやって来た旅行者?」という風な人達を車内で若干見掛けた…「稚内へ列車で北上」という場合、旭川を早朝に発つ普通列車は意外に悪くない選択肢であると思っている…
音威子府駅…(2020.04.04)
旭川駅からの普通列車は北上を続け、豊清水駅で南下する特急列車を擦れ違い、更に北上して音威子府駅に至る…
↓音威子府駅では「一寸戸外の空気を…」という程度には停車する…
↑以前は、普通列車で宗谷線を移動すれば、音威子府駅で何やら長く停車するイメージであったが、最近はそれ程でもない…
「音威子府」と書いて「おといねっぷ」と読む…
アイヌ語の「オトイネプ(o-toyne-p)」が由来であるという。、「川口の濁っている川」という程の意味で、音威子府川が天塩川に合流する辺りが泥で濁っていたことからこう呼ばれるようになったと考えられているのだそうだ。
案の定、古いアイヌ語が少し転訛しながら漢字が充てられたという、北海道内ではよく見掛ける来歴の地名である。意外に歴史は在り、1797(寛政9)年の文書に「ヲトヱ子フ」という標記で登場しているそうだ。
1857(安政4)年には、かの松浦武四郎が天塩川流域で活動しており、音威子府に足跡を記している。ここでアイヌの古老と話し、アイヌは北海道のことを「カイナー」と呼んでいることを知った。「カイ」はこの国に生まれた者、「ナー」は尊称ということであるという。後年、松浦武四郎は「アイヌの国」という意味合いの「カイ」を採り入れ「北加伊道」という地名を提案し、それが転じて「北海道」になったという経緯が在るらしい…(「カイ」に関して、より新しいアイヌ語研究では「そういう意味か?」ということにはなっているらしいが…)
音威子府は大変小さな村で、非常に静かな場所なのだが…意外に深い歴史が在る。そんなことにも少し思いを及ばせながら、短い停車時間にホームで身体を伸ばし、更に北上を続けたのだった…
↓音威子府駅では「一寸戸外の空気を…」という程度には停車する…
↑以前は、普通列車で宗谷線を移動すれば、音威子府駅で何やら長く停車するイメージであったが、最近はそれ程でもない…
「音威子府」と書いて「おといねっぷ」と読む…
アイヌ語の「オトイネプ(o-toyne-p)」が由来であるという。、「川口の濁っている川」という程の意味で、音威子府川が天塩川に合流する辺りが泥で濁っていたことからこう呼ばれるようになったと考えられているのだそうだ。
案の定、古いアイヌ語が少し転訛しながら漢字が充てられたという、北海道内ではよく見掛ける来歴の地名である。意外に歴史は在り、1797(寛政9)年の文書に「ヲトヱ子フ」という標記で登場しているそうだ。
1857(安政4)年には、かの松浦武四郎が天塩川流域で活動しており、音威子府に足跡を記している。ここでアイヌの古老と話し、アイヌは北海道のことを「カイナー」と呼んでいることを知った。「カイ」はこの国に生まれた者、「ナー」は尊称ということであるという。後年、松浦武四郎は「アイヌの国」という意味合いの「カイ」を採り入れ「北加伊道」という地名を提案し、それが転じて「北海道」になったという経緯が在るらしい…(「カイ」に関して、より新しいアイヌ語研究では「そういう意味か?」ということにはなっているらしいが…)
音威子府は大変小さな村で、非常に静かな場所なのだが…意外に深い歴史が在る。そんなことにも少し思いを及ばせながら、短い停車時間にホームで身体を伸ばし、更に北上を続けたのだった…
名寄駅…(2020.04.04)
稚内への長い道程を走破する旭川からの普通列車が最初に少し長く停まるのは名寄駅だ…
↓名寄までは「キハ54+キハ40の2輌」で運行される。
↑この名寄で、後ろ側に連結されているキハ40が切り離される…
キハ54が北へ向かった後、名寄駅に残ったキハ40は旭川へ向かう列車になるのだと見受けられる…
旭川・名寄間に関しては「少し大きな街と、やや距離が在る近郊地域の鉄路」という感がしないでもないが…2輌目を切り離した名寄以北は「いよいよ“ローカル線”?」という独特な風情になって行く…
↓名寄までは「キハ54+キハ40の2輌」で運行される。
↑この名寄で、後ろ側に連結されているキハ40が切り離される…
キハ54が北へ向かった後、名寄駅に残ったキハ40は旭川へ向かう列車になるのだと見受けられる…
旭川・名寄間に関しては「少し大きな街と、やや距離が在る近郊地域の鉄路」という感がしないでもないが…2輌目を切り離した名寄以北は「いよいよ“ローカル線”?」という独特な風情になって行く…
キハ150:岩見沢駅(2020.03.28)
稚内駅を列車で出発し、名寄、旭川、滝川と列車を乗換えて岩見沢駅に至った時に考えた…
その日は新千歳空港を目指していたのだったが、「敢えて札幌に寄らない経路?」と思い付いたのだ…
岩見沢に至れば、札幌方面への列車は運行本数も多い。札幌方面で乗換えて、新千歳空港へ向かうというのが「普通」のように思う。が、岩見沢では室蘭線の列車も、運行本数は限られるが発着している。
嘗ては産炭地から集められた石炭を輸送するというようなことで盛況であったと聞く室蘭線である。岩見沢から真直ぐ苫小牧に南下し、苫小牧から先は室蘭に軌道が繋がるという経路が在るのだ。「少し駅周辺で寛ぐ」という程度の待ち時間で、苫小牧行の列車が出ることを確かめると、それに乗車することとした。苫小牧から、新千歳空港の手前の南千歳は然程の時間も要さない…
聞けば…嘗て「国内各地から稚内を目指して船で樺太へ」という需要が在った時代、船で函館に着いた旅客を乗せた列車が長万部に至った後、列車を切り離したのだという。一部は、現在では「山線」という通称で知られる函館線の一部に入り、小樽、札幌へ向かった。別な一部は、東室蘭、苫小牧と進んで岩見沢へ北上し、旭川に至って、そこから稚内を目指したのだという。札幌に寄らない分、近道だったという訳だ…
そういうことを色々と思いながら、「少し駅周辺で寛ぐ」ということをして、ホームで列車を待った…
↓ディーゼルカーが姿を見せ始めた…
↓停止位置が近付いて減速した…
↓停止して乗客を迎え始めたのはキハ150だ。1993(平成5)年から1995(平成7)年に製造されたという車輌だ…
↑この車輌に関して、個人的には美瑛や旭川というイメージが強いのだが、方々で活躍中の車輌だ…
発車を待つ間は「普通列車、苫小牧行です。札幌方面へは行きませんので御注意下さい。この列車ではKitacaは御利用になれません」と録音アナウンスが繰り返されていた。岩見沢駅に在って、列車運行本数が少ない苫小牧との間を往来する列車は「ややイレギュラーな少数派」ということなのかもしれない。列車は岩見沢市内や近隣の町の駅へ向かう人達が存外に多く乗車していたという感だった…
<青春18きっぷ>を手に、「ほんの少し変わった経路」を敢えて選んでみるのも、存外に愉しいものだ…
その日は新千歳空港を目指していたのだったが、「敢えて札幌に寄らない経路?」と思い付いたのだ…
岩見沢に至れば、札幌方面への列車は運行本数も多い。札幌方面で乗換えて、新千歳空港へ向かうというのが「普通」のように思う。が、岩見沢では室蘭線の列車も、運行本数は限られるが発着している。
嘗ては産炭地から集められた石炭を輸送するというようなことで盛況であったと聞く室蘭線である。岩見沢から真直ぐ苫小牧に南下し、苫小牧から先は室蘭に軌道が繋がるという経路が在るのだ。「少し駅周辺で寛ぐ」という程度の待ち時間で、苫小牧行の列車が出ることを確かめると、それに乗車することとした。苫小牧から、新千歳空港の手前の南千歳は然程の時間も要さない…
聞けば…嘗て「国内各地から稚内を目指して船で樺太へ」という需要が在った時代、船で函館に着いた旅客を乗せた列車が長万部に至った後、列車を切り離したのだという。一部は、現在では「山線」という通称で知られる函館線の一部に入り、小樽、札幌へ向かった。別な一部は、東室蘭、苫小牧と進んで岩見沢へ北上し、旭川に至って、そこから稚内を目指したのだという。札幌に寄らない分、近道だったという訳だ…
そういうことを色々と思いながら、「少し駅周辺で寛ぐ」ということをして、ホームで列車を待った…
↓ディーゼルカーが姿を見せ始めた…
↓停止位置が近付いて減速した…
↓停止して乗客を迎え始めたのはキハ150だ。1993(平成5)年から1995(平成7)年に製造されたという車輌だ…
↑この車輌に関して、個人的には美瑛や旭川というイメージが強いのだが、方々で活躍中の車輌だ…
発車を待つ間は「普通列車、苫小牧行です。札幌方面へは行きませんので御注意下さい。この列車ではKitacaは御利用になれません」と録音アナウンスが繰り返されていた。岩見沢駅に在って、列車運行本数が少ない苫小牧との間を往来する列車は「ややイレギュラーな少数派」ということなのかもしれない。列車は岩見沢市内や近隣の町の駅へ向かう人達が存外に多く乗車していたという感だった…
<青春18きっぷ>を手に、「ほんの少し変わった経路」を敢えて選んでみるのも、存外に愉しいものだ…
721系電車とキハ40…:旭川駅(2020.04.04)
↓早朝の旭川駅で視られる様子だ…
↑左は札幌方面へ向かう列車となる721系電車である。右は稚内へ向かう普通列車の後尾側で、名寄まで連結のキハ40だ…
以前には、札幌方面へ向かう朝の列車は711系電車という、北海道に電化区間が初めて登場した頃に初登場という年季が入った車輌が使用されていたものだが…この721系電車に切替わり、少し時日を経たので眼も慣れて来ている…
特急型車輌のような華やぎには欠けるかもしれないが、こういう「普通列車に使用される各種車輌が並ぶ」というような様子も「地方の拠点駅らしい」という感じで、旭川駅で出くわして少し嬉しい場面である…
↑左は札幌方面へ向かう列車となる721系電車である。右は稚内へ向かう普通列車の後尾側で、名寄まで連結のキハ40だ…
以前には、札幌方面へ向かう朝の列車は711系電車という、北海道に電化区間が初めて登場した頃に初登場という年季が入った車輌が使用されていたものだが…この721系電車に切替わり、少し時日を経たので眼も慣れて来ている…
特急型車輌のような華やぎには欠けるかもしれないが、こういう「普通列車に使用される各種車輌が並ぶ」というような様子も「地方の拠点駅らしい」という感じで、旭川駅で出くわして少し嬉しい場面である…
切符等…(2020.04.04)
出先から戻り、嵩張るモノを拙宅に置いて、多少冷えた居室で暖房機器を稼働させ、近所の喫茶店に出て一息入れた…
↓出先で使用した切符等を何となくテーブルに出した…
奥は<歩くまち・京都 レールきっぷ>だ。これはカード乗車券で自動改札に通す。この券は、京都市内と周辺の指定区域で運行されている京阪、阪急、嵐電、地下鉄の列車、そして附属の“B券”で同じような区域のJRの列車に随意に乗降可能な1日乗車券だ。近年は「京都に足を踏み入れる」という場合、これの有無をチェックするようにしている。今般は京阪の三条駅で求めたが、過去には地下鉄の京都駅や阪急の京都河原町駅で求めた記憶も在る。今般、これを利用して京都市内を動き、宇治も訪ねてみた。
沢山のスタンプが押された<青春18きっぷ>も在る。可能な場合は“下車印”を下車する駅でお願いしているので、<青春18きっぷ>を使った後は、概ねこういうような状態になって手元に残る…
今般は、稚内・名寄、旭川・滝川・岩見沢・苫小牧・南千歳・新千歳空港という往路、旭川・稚内という復路が“長距離移動”ということになるであろう。他は成田から香取・佐原、佐原・千葉・東京という利用、奈良・桜井を往復してから三郷、大正、大阪城公園等を動き回って大阪から奈良へ戻った利用、奈良・大阪・姫路・三ノ宮と動いて飛行機に乗った後の新千歳空港・札幌の利用ということで「5回」をフル活用である。
以下、東京・京都の<のぞみ>、名寄・旭川の<サロベツ>と別途に求めた各切符だ…
(※ パソコンで御覧の場合、右側に表示される「カテゴリ」の地域名をクリックすると、上述の立寄っている各地で撮った画が入った記事を御覧頂ける…)
こういうような按配に、1日乗車券的なモノを中心に入手して「勝手気儘に動き回る」ということをするのが凄く気に入っている…
↓<青春18きっぷ>は殊更に好いと思う…
<青春18きっぷ>に関しては2019年に使用したモノの写真も撮って在ったが…既に何度も利用した経過が在る…
また何時か…こういうような切符を手に出掛けたい感だ…
↓出先で使用した切符等を何となくテーブルに出した…
奥は<歩くまち・京都 レールきっぷ>だ。これはカード乗車券で自動改札に通す。この券は、京都市内と周辺の指定区域で運行されている京阪、阪急、嵐電、地下鉄の列車、そして附属の“B券”で同じような区域のJRの列車に随意に乗降可能な1日乗車券だ。近年は「京都に足を踏み入れる」という場合、これの有無をチェックするようにしている。今般は京阪の三条駅で求めたが、過去には地下鉄の京都駅や阪急の京都河原町駅で求めた記憶も在る。今般、これを利用して京都市内を動き、宇治も訪ねてみた。
沢山のスタンプが押された<青春18きっぷ>も在る。可能な場合は“下車印”を下車する駅でお願いしているので、<青春18きっぷ>を使った後は、概ねこういうような状態になって手元に残る…
今般は、稚内・名寄、旭川・滝川・岩見沢・苫小牧・南千歳・新千歳空港という往路、旭川・稚内という復路が“長距離移動”ということになるであろう。他は成田から香取・佐原、佐原・千葉・東京という利用、奈良・桜井を往復してから三郷、大正、大阪城公園等を動き回って大阪から奈良へ戻った利用、奈良・大阪・姫路・三ノ宮と動いて飛行機に乗った後の新千歳空港・札幌の利用ということで「5回」をフル活用である。
以下、東京・京都の<のぞみ>、名寄・旭川の<サロベツ>と別途に求めた各切符だ…
(※ パソコンで御覧の場合、右側に表示される「カテゴリ」の地域名をクリックすると、上述の立寄っている各地で撮った画が入った記事を御覧頂ける…)
こういうような按配に、1日乗車券的なモノを中心に入手して「勝手気儘に動き回る」ということをするのが凄く気に入っている…
↓<青春18きっぷ>は殊更に好いと思う…
<青春18きっぷ>に関しては2019年に使用したモノの写真も撮って在ったが…既に何度も利用した経過が在る…
また何時か…こういうような切符を手に出掛けたい感だ…
桜…:興福寺(2020.04.01)
佐保川の桜を眺め、近鉄の最新車輌による特急列車に出くわし、猿沢池の辺りに至った…
前夕、滞在した宿の方と言葉を交わした際、桜の時季に散策をするのであれば「興福寺界隈の雰囲気が好く御薦め」という御話しを頂いた。なるほど、JR駅に近いエリアの宿に勤められていて、周辺を何らかの形で何時も動いているであろう方の言だけに間違いは無く、興福寺辺りの雰囲気はなかなかに好かった…
↓そう思いながら眺めた光景だ…
↑桜の奥に先端部が覗くのは<三重塔>である…
興福寺に関しては、昨年に近くで写真も撮ったが、五重塔が非常に好く知られていると思う。これに対して、三重塔はやや知名度が低いかもしれないが、平安時代の終わり頃に登場し、鎌倉幕府が登場して行く源氏と平家との争いの戦禍で焼けてしまい、鎌倉時代の前半、比較的早くに再建されたと見受けられる建物であるとのことで、「国宝」にも指定されているモノなのだそうだ…
色々な建物が、建てられ、損なわれ、再建されということを繰り返し、戦乱、天災、疫病等々の様々な困難が在った筈だが「それでも!」と興福寺の種々の文化財は「創建の時代の祈り」のようなモノと共に現代に受継がれている訳だ…
そんなことを思いながら、ここから歩いて宿へ引揚げたのだが、この「桜の奥に塔の先端」という様子が酷く記憶に残る…
前夕、滞在した宿の方と言葉を交わした際、桜の時季に散策をするのであれば「興福寺界隈の雰囲気が好く御薦め」という御話しを頂いた。なるほど、JR駅に近いエリアの宿に勤められていて、周辺を何らかの形で何時も動いているであろう方の言だけに間違いは無く、興福寺辺りの雰囲気はなかなかに好かった…
↓そう思いながら眺めた光景だ…
↑桜の奥に先端部が覗くのは<三重塔>である…
興福寺に関しては、昨年に近くで写真も撮ったが、五重塔が非常に好く知られていると思う。これに対して、三重塔はやや知名度が低いかもしれないが、平安時代の終わり頃に登場し、鎌倉幕府が登場して行く源氏と平家との争いの戦禍で焼けてしまい、鎌倉時代の前半、比較的早くに再建されたと見受けられる建物であるとのことで、「国宝」にも指定されているモノなのだそうだ…
色々な建物が、建てられ、損なわれ、再建されということを繰り返し、戦乱、天災、疫病等々の様々な困難が在った筈だが「それでも!」と興福寺の種々の文化財は「創建の時代の祈り」のようなモノと共に現代に受継がれている訳だ…
そんなことを思いながら、ここから歩いて宿へ引揚げたのだが、この「桜の奥に塔の先端」という様子が酷く記憶に残る…
榛原駅前のバス停…(2020.04.02)
何処を訪ねるにしても、基本的には鉄道や路線バスを利用し、辺りを歩き廻る…時にはタクシーを利用しないでもないが…
奈良県の少し東側の榛原駅に関しては、宇陀市内の面白そうな場所を訪ねるべく立寄っている。「榛原駅前から路線バスで…」というような場所が幾つも在るのだ…
↓榛原駅前で視掛けるのは、こういうようなバスである場合が多いと思う…
↑今年、昨年と榛原駅前から宇陀市内を行くバスに何回か乗車したが、何れもこういう感じで、「少し車長が短め?」というように見えるバスだ…
主に奈良県内での路線を運行しているようだが、奈良交通という会社の車輌を榛原駅前では視掛けた。「鹿」のマークが好いと思った…
不慣れな路線バスであっても、最近は「交通系IC」が在ると少し気楽に乗車出来る。“残高”が不足すると面倒なので、乗車する少し前にそれを確認すべきであるようには思うが…この榛原駅前から宇陀市内を進む路線も、手持ちの「交通系IC」を使って乗車した。因みに私は、JR西日本や関西の私鉄で発行している<ICOCA>を何となく愛用している…(地元では「極少数派」であるが…<KITACA>、<SUICA>、<PASMO>の方が多いと思う…)
このバスの写真を眺め、宇陀市内のややバス運行本数が少ない箇所をものともせずにドンドン進んだ様子が心地好かったことを何となく思い出す…また、こんなバスで訪ねる地域を訪れる機会を設けたいものだ…
奈良県の少し東側の榛原駅に関しては、宇陀市内の面白そうな場所を訪ねるべく立寄っている。「榛原駅前から路線バスで…」というような場所が幾つも在るのだ…
↓榛原駅前で視掛けるのは、こういうようなバスである場合が多いと思う…
↑今年、昨年と榛原駅前から宇陀市内を行くバスに何回か乗車したが、何れもこういう感じで、「少し車長が短め?」というように見えるバスだ…
主に奈良県内での路線を運行しているようだが、奈良交通という会社の車輌を榛原駅前では視掛けた。「鹿」のマークが好いと思った…
不慣れな路線バスであっても、最近は「交通系IC」が在ると少し気楽に乗車出来る。“残高”が不足すると面倒なので、乗車する少し前にそれを確認すべきであるようには思うが…この榛原駅前から宇陀市内を進む路線も、手持ちの「交通系IC」を使って乗車した。因みに私は、JR西日本や関西の私鉄で発行している<ICOCA>を何となく愛用している…(地元では「極少数派」であるが…<KITACA>、<SUICA>、<PASMO>の方が多いと思う…)
このバスの写真を眺め、宇陀市内のややバス運行本数が少ない箇所をものともせずにドンドン進んだ様子が心地好かったことを何となく思い出す…また、こんなバスで訪ねる地域を訪れる機会を設けたいものだ…
雨中の桜…:東大寺(2020.04.01)
少しばかり雨に当りながら歩き廻り、「緩急の“緩”という感じの過ごし方で…」と考えていた時、薬師寺を観た後に辿り着いた東大寺の辺りに在った…
↓歩き廻り、少し位は濡れてしまっても全く構わないと思わせたのは、こういうような桜が麗しかったからに他ならない…
↓些か写真は撮り悪かったが、それでも雨中の桜を見入ってしまった…
↓こんな景色…忘れ難いモノになっているが、何度も写真を眺めて懐かしんでしまう…
↓歩き廻り、少し位は濡れてしまっても全く構わないと思わせたのは、こういうような桜が麗しかったからに他ならない…
↓些か写真は撮り悪かったが、それでも雨中の桜を見入ってしまった…
↓こんな景色…忘れ難いモノになっているが、何度も写真を眺めて懐かしんでしまう…
<machibar>(マチバル):旭川(2020.04.03)
高速バスで夜の旭川に到着し、少し街を歩いた…
↓何かクールな感じの景色だと思った…
今般は画に写っている店には特段に立ち寄っていない。「画になる…」と思いながら通り過ぎたまでだが、3月には立寄ったという経過も在った…
暗くなってからの旭川…意外に画になる場所が多い…
ここを通り過ぎ、御馴染な<サキソフォン吹きと猫>を眺めてから、翌早朝の列車を待ちながら“夜明かし”という展開だった…「次の機会」が在るのなら、旭川ではもう少々ゆっくり過ごしたい感だ…
↓何かクールな感じの景色だと思った…
今般は画に写っている店には特段に立ち寄っていない。「画になる…」と思いながら通り過ぎたまでだが、3月には立寄ったという経過も在った…
暗くなってからの旭川…意外に画になる場所が多い…
ここを通り過ぎ、御馴染な<サキソフォン吹きと猫>を眺めてから、翌早朝の列車を待ちながら“夜明かし”という展開だった…「次の機会」が在るのなら、旭川ではもう少々ゆっくり過ごしたい感だ…
<茶壺型ポスト>…(2020.03.30)
「宇治を訪ねる」となれば、「京阪の宇治駅」か、「JRの宇治駅」かを利用することとなる。双方の軌道は一部で並行しているのだが、両“宇治駅”は互いに川を挟むように立地している。両者は隣接しているというのでもない…
京都市内から、京阪の列車を利用して宇治に着いたのだが、京都市内へ引揚げる際にはJRの列車に乗ることにした。宇治で立寄った神社は京阪の駅が在る側の河岸に鎮座していたが、そこから川に架かる橋を渡って「JRの宇治駅」を目指して歩いた。
「JRの宇治駅」の辺りに迷わず至り、駅の入口らしきモノを認め、駅側に近付いた…
↓何やら「妙なモノ」が眼前に現れ、思わず足を停めた…
↑「宇治茶」で知られる街なので「“茶壺”のオブジェ?」と思ったのだが…「〒」(郵便)の印が在る…<茶壺型ポスト>なのだそうだ…
ここに手紙を投函したら?心地好い茶の香りでも着いた便りが届く?ということにはならないであろうが、何となく面白い。
京都市内から、京阪の列車を利用して宇治に着いたのだが、京都市内へ引揚げる際にはJRの列車に乗ることにした。宇治で立寄った神社は京阪の駅が在る側の河岸に鎮座していたが、そこから川に架かる橋を渡って「JRの宇治駅」を目指して歩いた。
「JRの宇治駅」の辺りに迷わず至り、駅の入口らしきモノを認め、駅側に近付いた…
↓何やら「妙なモノ」が眼前に現れ、思わず足を停めた…
↑「宇治茶」で知られる街なので「“茶壺”のオブジェ?」と思ったのだが…「〒」(郵便)の印が在る…<茶壺型ポスト>なのだそうだ…
ここに手紙を投函したら?心地好い茶の香りでも着いた便りが届く?ということにはならないであろうが、何となく面白い。
<UJI CHA>=宇治茶…(2020.03.30)
201系電車:王子駅(2020.04.02)
龍田大社を訪ねようとしていた。
奈良と大阪とを結ぶ関西本線の一部、通称<大和路線>の列車で、奈良県の西寄りになる三郷駅―「みさと」だと思っていたが…「さんごう」という駅名である…―に至ると、龍田大社は近い…
奈良・大阪間は<大和路快速>と呼び習わされる列車が便利なのだが、三郷駅は快速列車が通過する駅だ…そこで三郷駅の1駅東側となる王子駅で乗換える。王子駅は幾つかの路線が交差する駅で、快速列車も各駅停車も停まる駅となっている。
↓王子駅で快速列車を下りると、直ぐに各駅停車が待機していた…
↑「やや懐かしい…」という感じの車輌が使われている…
この車輌は201系電車だ。初登場は国鉄時代の1979年であるそうだ。JR東日本とJR西日本が国鉄からこの車輌を受け継いだ。東京に在った学生時代に随分と見掛けていた型であるような気がするので、何か「懐かしいデザイン…」と感じてしまう。
JR東日本では、201系電車は老朽化したために退いてしまい、後継の車輌が活躍中である。対してJR西日本では、入替は順次進んではいるものの、未だ見掛ける機会は在る。この<大和路線>は、201系電車を見掛ける路線の一つということになる。
龍田大社を訪ねた後、大阪方面へ向かおうとした。三郷駅で大阪方向に進む列車の待ち時間がやや長かった他方、王子駅へ向かう列車は「間もなく…」という状況だった。そこで王子駅へ向かって、快速列車に乗って大阪市内へ向かうことにした…
↓再び、王子駅のホームへ…201系電車に運んで頂いた訳だ…
JR西日本は、国鉄時代の車輌をJR東日本やJR東海よりも長く使う傾向に在るように見えるのだが、それでも近年は順次新しい車輌に入替っている。この201系電車に関しても、「2023年頃に…」という話しが在るようだ。さり気なく見掛けて、そして乗車出来るのも、あと数年である…
奈良と大阪とを結ぶ関西本線の一部、通称<大和路線>の列車で、奈良県の西寄りになる三郷駅―「みさと」だと思っていたが…「さんごう」という駅名である…―に至ると、龍田大社は近い…
奈良・大阪間は<大和路快速>と呼び習わされる列車が便利なのだが、三郷駅は快速列車が通過する駅だ…そこで三郷駅の1駅東側となる王子駅で乗換える。王子駅は幾つかの路線が交差する駅で、快速列車も各駅停車も停まる駅となっている。
↓王子駅で快速列車を下りると、直ぐに各駅停車が待機していた…
↑「やや懐かしい…」という感じの車輌が使われている…
この車輌は201系電車だ。初登場は国鉄時代の1979年であるそうだ。JR東日本とJR西日本が国鉄からこの車輌を受け継いだ。東京に在った学生時代に随分と見掛けていた型であるような気がするので、何か「懐かしいデザイン…」と感じてしまう。
JR東日本では、201系電車は老朽化したために退いてしまい、後継の車輌が活躍中である。対してJR西日本では、入替は順次進んではいるものの、未だ見掛ける機会は在る。この<大和路線>は、201系電車を見掛ける路線の一つということになる。
龍田大社を訪ねた後、大阪方面へ向かおうとした。三郷駅で大阪方向に進む列車の待ち時間がやや長かった他方、王子駅へ向かう列車は「間もなく…」という状況だった。そこで王子駅へ向かって、快速列車に乗って大阪市内へ向かうことにした…
↓再び、王子駅のホームへ…201系電車に運んで頂いた訳だ…
JR西日本は、国鉄時代の車輌をJR東日本やJR東海よりも長く使う傾向に在るように見えるのだが、それでも近年は順次新しい車輌に入替っている。この201系電車に関しても、「2023年頃に…」という話しが在るようだ。さり気なく見掛けて、そして乗車出来るのも、あと数年である…