居室…:奈良(2020.03.31)

↓奈良の宿の居室である…
31-03-2020 Nara (13)
↑扉を開けて入室すれば狭い三和土のようになっていて、室内は畳が敷かれ、そこにベッドが置かれ、座椅子に陣取って使う高さのテーブルが在る…

なかなかに居心地が好く、何となく「一寸の間、“別宅”を借りて奈良の街に住む」という気分になった…

この居室の窓からは、旧駅舎を利用した案内所が在る奈良駅前の様子がよく視えて、なかなかに好い!

早朝:稚内港北防波堤ドーム(2020.04.19)

例によって(?)、朝から「極々短い散策」に出てみた。愛用の<X100F>を何となく提げて出た…

↓明るい感じだが、光が淡いような気がした…
19-04-2020 morning (2)

↓午前4時半というような頃だが、天の感じが刻々と変わるような状況だった…
19-04-2020 morning (3)

↓少し高い辺りに上ると、静かな海面が覗く…
19-04-2020 morning (6)

↓海側へ廻り込んだ…
19-04-2020 morning (8)

↓朝陽が少し覗き始めた…
19-04-2020 morning (12)

↓朝陽が高くなって行く様子が視えたが…朝陽そのものは「御簾の奥の貴人」というような具合で、薄い雲越しに光を放っているような感に視えた…
19-04-2020 morning (16)

↓海面に「光の路」が視えるが…視える位置が画の左側になって来た…これは“夏季”の位置へ向かっているということになる…
19-04-2020 morning (18)

気温の感じは、何となく「春がもう少し先」という感だが、光と太陽の位置は春の状態となっている感だ…

宇治上神社…(2020.03.30)

<平等院>が圧倒的に有名な宇治に在って、「非常に有名な神社」というモノも在る…

↓宇治上神社(うじがみ神社)である…
30-03-2020 Kyoto vol01 (92)
↑宇治神社の直ぐ近くで「対を成す」かのように鎮座する社である…

↓境内へ入っていく辺りの鳥居の脇に在る桜が「花盛り」で実に美しかった…
30-03-2020 Kyoto vol01 (94)

この宇治上神社は「ユネスコ世界遺産」の「古都京都の文化財」の“構成資産”の1つなのだそうだ…京都市、宇治市、大津市に点在する17件の文化財が登録されているという。

個人的には、「ユネスコ世界遺産」には然程の関心を寄せていない。古くから伝えられる様々な文化財には各々に価値が在る。中には、様々な国々の人達がその価値を尊びたいとするようなモノも在るのであろう。が、文化財はそれを愛でれば、敬えば、それで十分だ。「世界○○」等と“権威付け”をしようがしまいが、文化財そのものの尊さに何ら変わりは無い筈だ。そうした文化財等は、粗末にせずに、可能なように護って未来へ伝えるようにすれば善いというだけだと思う。

そういうように思っているので、<世界遺産 「古都京都の文化財」>ということになっている17件を特段に把握はしていない…<世界遺産 「古都京都の文化財」>には「“京都”とでも聞けば、誰もが思い浮かべるような著名な場所、建物」が含まれているのであろうという程度に思っていた。宇治上神社がそれの中に含まれていることを示す、境内の入口辺りに掲げられた石柱は「やや意外?」と思った。

↓こちらが拝殿だ…
30-03-2020 Kyoto vol01 (101)
↑平安時代の貴族の邸宅に見受けられたという<寝殿造>の建物の一部で、鎌倉時代後期のモノであるという。以前に上賀茂神社で見掛けた「立砂」(たてずな)が見受けられるのが面白いと思った…

↓そしてこれが、拝殿の脇から廻り込んで視られる本殿である。
30-03-2020 Kyoto vol01 (98)

↓この本殿は、「年輪年代測定調査」という方法で建物に使用されている木材を調べた結果、「1060年頃の建築」と判定されたのだという。
30-03-2020 Kyoto vol01 (97)
↑「現存する最古の神社建築」ということになるのだ!

実は、この宇治上神社に関して、事前には「現存する最古の神社建築」ということを聞き及んでいて、それに興味を覚えて足を運んでみたのだった。

宇治神社とは本当に「直ぐ近く」なのだが、明治時代以前には<宇治離宮明神>または<宇治離宮八幡宮>と呼ばれ、宇治神社と宇治上神社が「一体」だったそうだ。本殿の中央に「正一位離宮太神」という扁額が在るが、それが2つの神社が一体化していた時代の呼称を想起させるモノになっている。明治時代に2つの神社になって、現在に至っているそうだ。

神社の建物は、色々な時代のモノが各々に受け継がれている訳だが、この「現存する最古の神社建築」に関しては「視られて善かった!」と思った。

「1060年頃」ということであれば、かの<平等院>に関して藤原頼通が1052年に宇治の邸宅を寺院化したことが起こりと伝えられているというが、「概ね同時期」ということになる。そんな時代から、古代の皇子や天皇を祀って、その信仰が千年近くに亘って受継がれている証がこの本殿だ…

「神社」というモノは「1060年頃」という次元ではなく、相当に古い時代に起こり、その信仰は永く受継がれている。そういう中で、この宇治上神社の「現存する最古の神社建築」というモノが確かに在って、千年近く在り続けている…千年近くの間に、天災や戦乱、疫病の流行も在ったことであろうが、「それでも受継がれている」ということになる…何か心動かされながら建物を眺めていた…

やや地味かもしれない場所だが、この宇治上神社はなかなかに興味深い場所だ…

宇治神社…(2020.03.30)

「宇治」と言えば<平等院>が圧倒的に有名な場所であるように思う…が、その<平等院>が在る辺りと「川を挟んだ辺り」に古くからの伝統を誇る社が鎮座している。

↓宇治神社である…
30-03-2020 Kyoto vol01 (89)

宇治神社は「宇治の産土神(うぶすながみ)」、「郷土の守り神」というような存在で、応神天皇の皇子であった菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)の神霊を祀っているのだそうだ…

菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)は、父の応神天皇に寵愛されて皇太子に立てられたものの、後の仁徳天皇となる異母兄に皇位を譲るために自殺したという美談で知られているという。

「宇治」という地名は「菟道」に由来という話しが在るそうだ。「菟道」は「うぢ」ということになる。道に迷っていた皇子の前に現れた兎(ウサギ)が、皇子の方を何度も振り返りながら進むべき道を先導したという言い伝えが在るという。それに因み、宇治神社では兎を神様の御使いとしているそうだ。

↓静かな場所だが、「4世紀の出来事」と伝えられる挿話に依拠した、かなり古くからの地元の篤い信仰を伝える、なかなかに雰囲気が好い場所だった…
30-03-2020 Kyoto vol01 (91)

出先で、こういう「好い雰囲気だ…」と記憶に留めたい場所を随意に巡ってみるというようなことが、非常に愉しい。

居室…:京都(2020.03.29)

↓京都の宿の居室である…
29-03-2020 Kyoto (2)
↑「ツインのシングルユース」という形であった…専ら、奥の窓側に据えられたベッドを使用した。在室時は、角の机や椅子の辺りに陣取っていた…

窓からは少し先に在る八坂神社の<西楼門>辺りが一寸視える、祇園に立地する宿だった。こういう場所に滞在してみる機会は、これまでに設けることがなかなか叶わなかった…

ここを起点に、夜明け前から<祇園枝垂桜>を眺めるというようなことや、老舗喫茶店で朝食を愉しんでみようと出掛けるようなことや、祇園白川の<HRC Kyoto>に寄って夕食を摂ることや、その他様々な場所を歩き廻って「自分なりの京都」というモノを思い切り愉しんだように思う。

日出の頃…:稚内港北防波堤ドームを望む(2020.04.18)

起き出してから「極々短い散策」に出てみた…

↓東寄りの宗谷丘陵側に朝陽が覗き始めた…
18-04-2020 morning (14)

↓朝陽が少し高くなると、静かな海面に「光の路」が現れる…
18-04-2020 morning (17)

↓麗しい朝を迎えた…
18-04-2020 morning (18)

夜は必ず明ける…それは判ってはいるが、明ける時、日出の頃の様子を眺めることが出来るというのは、何か非常に好い感じがする…

<KYOTO STATION>…(2020.03.30)

↓京都駅に掲出されていた…
30-03-2020 Kyoto vol01 (109)
↑昭和の最初というような頃の旅行案内書に掲載された図であるらしい…画の下側、真中から少し右に寄った辺りの「南東」を示す辺りに京都駅が在る。そして山々に囲まれるようになった京都の街が広がっている…街の中には路面電車が走っている様子も在って、なかなか芸が細かい…

京都は、こういう「昔の絵地図」というようなモノが酷く似合うような気がしないでもないが…それでもこういう「昭和の最初」というような頃とは大きく様子が変わっている…

少し興味深く、掲出された図を眺め入ってしまったのだった…

烏丸駅&京都河原町駅…(2020.03.30)

京都で滞在した宿の最寄駅は、京阪の祇園四条駅で、次に近いのが阪急の京都河原町駅であった。

そういう状況であったのだが、京都で動き回る場面で両駅を利用しようとしたが、今般は阪急の京都河原町駅を利用する頻度が少し高かった…

阪急京都線の、京都の街中での軌道は「概ね四条通の地下」という感で、列車は地下で街を東西に行き交っている。この路線が街の南北を結び、奈良に至る近鉄京都線にも繋がる地下鉄烏丸線と交差するのが烏丸駅だ…

↓烏丸駅…各地によく在る地下鉄駅を思い起こすような雰囲気だ…
30-03-2020 Kyoto vol01 (110)
↑列車の接近が伝えられて注意喚起をするアナウンスが聞こえる…

↓車輌の形式が変われば、列車の視た感じは変わりそうなものだが…阪急の場合はどの車輌も同じような色の塗装で、何れも丁寧にメンテナンスしていると見受けられてピカピカなので、「どの型の車輌が現れてもイメージが不変」という「多分、他所では無い!」と思われる特徴が在ると思う…
30-03-2020 Kyoto vol01 (111)

↓多少減速しながら停車しようとする場面だ…
30-03-2020 Kyoto vol01 (112)

烏丸駅は京都河原町駅の隣だ。烏丸駅で乗車すれば、あっという間に京都河原町駅に着いてしまう…

↓京都河原町駅に着いた列車は、殆どの場合、方向幕が素早く切り替えられて折り返し運転となる。
30-03-2020 Kyoto vol01 (113)
↑この時の列車は、大阪梅田駅を目指す列車として折り返し運転となっていた…

クロスシートを装備した車輌の場合、乗務員がスイッチ操作で座席を逆方向(進行方向)に向き直すようにして、そこから待機で乗客を迎え入れるようになっているが、画のようなロングシートの車輌ではそういう間合いは生じない…

独自な好い伝統を持って列車の運行を続けている阪急のような、関西の私鉄の列車を利用してみるのは、普段はそれに縁遠いことも在って、なかなかに興味深いと思う。

朝…:<奈良市総合観光案内所>=旧 奈良駅舎(2020.04.02)

前日に降り続いていた雨が気にならない朝となった…
02-04-2020 Nara in morning (2)
↑道路面等が濡れていない…

↓この日は<青春18きっぷ>を手に、JRの列車、一部に他の交通手段も利用して方々を巡ってみようと、朝から出掛けた…
02-04-2020 Nara in morning (3)
↑眼に少々馴染んだこの<奈良市総合観光案内所>=旧 奈良駅舎に「いってらっしゃい…」と見送って頂いているような気分になる…

↓真正面から気に入っている建物を眺めた…
02-04-2020 Nara in morning (5)
↑「古の都にして県庁所在地」という“貫禄”が在る旧駅舎だが、現在も案内所、加えてテナントのカフェが在って、多くの人達を迎える場である…

こうやって、気に入った建物の在る風景を眺めながら「別宅」という気分の宿に滞在し、興味尽きない文物が多い地域で過ごすのは非常に好い…

JR奈良駅…(2020.04.02)

↓何か「ここから出発だ!」と少し気持ちが弾む光景だ…
02-04-2020 Nara in morning (6)
↑奈良駅の改札口へと続く辺りの広い通路である…

高架上の駅だが、中の通路の天井を「古い大きな寺院」を思わせるような意匠にしている。これも「古都・奈良へ入る人達を迎える」という意図なのだろうが…私は逆に「長い長い歴史を積み重ねた街から、違う伝統を持つ他地域へ踏み出して行く…」というようなことを想起する…

高架駅、逆に地下駅というものの中は、何となく「実用本位一辺倒」ということになるような気がしないでもないが、この奈良駅の通路のような「一寸、工夫してみた意匠」というのは非常に好いと思う。

京都駅の中…(2020.03.30)

↓「とりあえず見上げてしまう…」という感じの場所が巷には幾つも在るような気がするのだが…「京都駅の中」というのは、そういう種類の場所の代表的な例であるように思う…
30-03-2020 Kyoto vol01 (108)
↑所謂「烏丸口」であるが…

↓あの辺りの階段やエスカレータは「天まで届く?!」というようにさえ見えてしまう…
30-03-2020 Kyoto vol01 (107)

現在の駅ビルは「京都駅」としては4代目の駅舎になるということで、1997(平成9)年から駅の部分が供用されているそうだ…何時の間にかオープンから年月も経って、何となく見慣れたような感じにもなっているが…それでも到着する都度に「とりあえず見上げてしまう…」という感じは免れ悪い…

「とりあえず見上げてしまう…」という感じの京都駅だが、「少し前の映画で大怪獣が戦った…」と記憶していて…調べて確かめた。『ガメラ3 邪神 イリス 覚醒』という1999(平成11)年の映画だった…

↓その「京都駅の中」で<ガメラ>と<イリス>が戦う場面の映像を見付けた…20年も前の映画だが、色褪せてはいないかもしれない…余りやらないのだが、敢えて映像が視られるリンクを入れておく…(3分51秒辺りから両怪獣が京都駅の中に入り込む…)


↓何度立寄っても興味尽きない場所のように思う…
30-03-2020 Kyoto vol01 (106)

227系電車:奈良駅(2020.04.02)

宇太水分神社(うだのみくまりじんじゃ)を訪ねようと、JR奈良駅から桜井駅へ南下し、近鉄の列車で榛原に向かった。そのまま桜井駅に戻ってから王子駅方面へ向かおうとしたが、少々列車の待ち時間が長かった。そこでJR奈良駅へ引き返して、王子駅方面へ改めて進むこととした。

↓その奈良・桜井の往復で乗車した車輌がコレである…
02-04-2020 Nara pref (10)
↑奈良駅で写真に収めた…真新しい感じの車輌で見入ってしまった…

奈良・桜井間…<万葉まほろば線>の愛称を冠せられた桜井線では1980年代初頭から登場している105系電車が行き交う様が見受けられた。これらは2019年3月から9月の期間で順次入替となったそうだ…

登場したのは広島方面で活躍している227系電車の仕様変更をした車輌である。227系電車は2輌のユニット、または3輌のユニットを様々に組合わせて、輸送需要に応じた長さの編成を組んで運用するようになっているという。<万葉まほろば線>に導入のモノは2輌で運行している例が多い感だった…

広島の例では<レッドウィング>の愛称が冠せられて「赤いライン」の目立つ車体だった227系電車だが、<万葉まほろば線>では「落ち着いたグリーン」のラインになっていた。そして車内の座席も、広島方面のクロスシートではなく、ロングシートだった…

105系電車とは随分とイメージが変わった…<万葉まほろば線>を利用する機会が生じたので、勝手に105系電車を思い浮かべて駅のホームに足を運んで、現れた車輌に多少驚いた…在るか無いかが判然としない「次の機会」には、この「227系電車が現れる」と記憶に留めておきたい…

稚内港北防波堤ドームを望む早朝…(2020.04.17)

今季は少々寒い感じがしつこいような気がする。4月が“折り返し”となって後半に入っているのだが、早朝は1℃や3℃というような、温暖な地域で在れば「真冬?」という気温だ…

↓そうした中で「極々短い散策」に出てみた…
17-04-2020 morning (19)
↑微弱―であると同時にやや冷たい…―な風で静かな海に空や沿岸の構造物が映り込み、ホテルのビルの右上方に月が浮かんでいるのが視える…

↓なかなかに好い感じだ…
17-04-2020 morning (17)

が…非常に手が冷たくなるので、文字どおりに「極々短い散策」ということにした…(苦笑)

早朝の稚内港北防波堤ドーム…(2020.04.17)

↓明るい感じの早朝だが、空気が冷え冷えとしている感じだ…
17-04-2020 morning (5)
↑未だ午前5時にならない…

↓冷たい感じながら麗しい空だと思った…
17-04-2020 morning (7)

↓何時もながらの静かな朝だ…
17-04-2020 morning (10)

明るくなる感じである早朝の空を眺めながら「極々短い散策」に出てみれば…どんなに暗い夜も、必ず夜明がやって来るものなのだと、何やら当たり前なことを何時も思い付いてしまう…

雪交じり…:東京駅(2020.03.29)

東京駅に在って「車輌に雪が付着した」という状態の列車が到着することは、然程頻繁に見受けられることでもないであろう…

千葉駅で乗車した列車東京駅の地下ホームで下りた後、「とりあえず…」と外に出てみた…

↓こういう様子が見受けられた…
29-03-2020 Tokyo Station (3)
↑東京駅の壮麗な駅舎の前は冷たく濡れていて、雪が舞っているのが画でも判る…やや大粒で湿った感じの淡い雪だった…

「とりあえず西…」と進んでいたが、「雪のため…」という「列車運行の乱れ」が生じてしまうのも不都合と考え、思い切って新幹線の列車に乗車してしまったのだった…

少し珍しい状況に出くわしたのは興味深いが…「次」が在るなら、もう少しだけはゆっくりしたい感だ…

<堀川第一橋>…(2020.03.30)

清明神社の近くに<堀川>が在る…

<堀川>は京都の街中を真直ぐ流れる川だ。色々と利用されていたが、次第に顧みられなくなって行った。そして水流が途絶えて地名に名残を残すのみとなっていたようだが、2000年代に川として、河岸の憩いの場として復興整備が施されたのだという。

↓その<堀川>にこういうモノが在った…
30-03-2020 Kyoto vol01 (85)
↑<堀川第一橋>(ほりかわだいいちきょう)という石造の橋だ。

↓柱に<堀川第一橋>と確り刻まれていた…
30-03-2020 Kyoto vol01 (84)

この辺りには、古くから<中立売橋>(なかたちうりばし)という橋が架かっていて、御所と二条城とを結ぶ経路に在ることから、江戸時代には幕府が管理する「公儀橋」と位置付けられて重視されていた。

1873(明治6)年に、橋は石造のモノに替えられた。そして<中立売橋>という名は通称として残るが、<堀川第一橋>が公式の名称ということになった。

↓非常に美しい橋だ。真円の一部になるような形のアーチを描く形状だ。日本国内では稀な形状であるという…
30-03-2020 Kyoto vol01 (86)

嘗ては車輌が通る部分を舗装していたそうだが、平成に入って全面的に石畳になったのだという。京都市が文化財に指定しているそうだ…

↓辺りは「親水河岸」というような雰囲気に整備されていて、桜が好い感じだった…
30-03-2020 Kyoto vol02 (22)

この石造アーチ橋が築かれたという1873(明治6)年であれば?伝統的な技術が用いられたのかもしれないが、「明治初期に新しい石橋」という辺りに、「時代毎に各時代の新しい技術等を容れた京都」という「街の個性」に想いが及ぶ…

早朝の八坂神社…(2020.03.30)

前日の“消耗”に関して、好い塩梅に保養が出来たと感じ、早朝から歩き廻ることとした…

↓狛犬だ…
30-03-2020 Kyoto vol02 (3)
↑これは「阿形」だ…

↓そして「吽形」の狛犬である…
30-03-2020 Kyoto vol02 (1)

↓八坂神社の東大路通に面した門…<西楼門>である…
30-03-2020 Kyoto vol01 (2)
↑なかなかに迫力が在る建物だ…

↓境内に進み入る…<南楼門>が眼に留まる…
30-03-2020 Kyoto vol01 (3)

↓<南楼門>から境内の外側に何歩か出てみた…桜も咲いていて感じが好い…
30-03-2020 Kyoto vol01 (4)

この時は、「夜明前の<祇園枝垂桜>を観る」ということを「一日の振出に…」と思いながら戸外に出たのだが、八坂神社の建物もなかなかに好い趣であると思った。参拝者、通行人が多い時間帯とは少し雰囲気が異なっていたと思う。或いは、<祇園社>と呼ばれていた昔は「こういう雰囲気だった?」と想像してしまった…「近隣他都市に滞在して、朝から京都に乗込む」というのも悪くはないが、「京都の街中に滞在して、静か過ぎる早朝から動く」というのも面白い…

仲通(なかどおり):稚内(2020.04.15)

↓未だ午前5時になっていない…
15-04-2020 morning (14)
↑そんなに早い時間帯であれば、静かなのも道理だが…ここは何時も静かな感じだ…古くなってしまった建物が取り壊され、新しいモノが建たずに事実を経ているというような事例も見受けられる場所だ…

0℃、プラス1℃というような気温だったようだが、風は微弱で酷く寒い感じでもないが…戸外を歩き廻ってみれば、手が直ぐに冷たくなる…

今朝は…しつこく「還って来た」という感の雪が交じっている…冷たく濡れた路面に、未だ消えない灯りの光が跳ね返っている…

雪交じり…:稚内港北防波堤ドーム(2020.04.15)

居室内では未だに暖房器具は稼働している。今季は「なかなか気温が上がらない…」という感ではある…

「何時の間にか眠ってしまい、早めに眼が開く」というような傾向は相変わらずで、今朝も未だ薄暗い時間帯には起き出してしまっていた…

↓「極々短い散策」と称して戸外へ出てみれば、こういう調子である…
15-04-2020 morning (4)

↓「積雪期の極初期」というような、何ヶ月も前に時間が不意に逆回転したかのような風情である…
15-04-2020 morning (5)

↓濡れて冷えている…そういう感じである…
15-04-2020 morning (3)

↓寒々しい早朝だ…
15-04-2020 morning (1)

↓歩き悪いという程度でもないが、「画で判る」という程度に雪が降っている…
15-04-2020 morning (8)

↓降雪で遠景が霞んでいる…
15-04-2020 morning (10)

↓海側へ廻り込んで様子を眺めた…
15-04-2020 morning (12)

今季はしつこく「雪交じり」が「還って来る」という感だ…

風雨の中の桜…:香取神宮(2020.03.29)

香取神宮から佐原の街並みが在る辺りへ通じる道路に出ようと、雨の中を進んだ…

↓雨に加えて風も些か強まって来た中、そんなことを気に掛けずに足を停めて様子を見入ってしまった…
29-03-2020 Katori-Jingu Shrine (18)
↑池の水面に雨が注ぐ様が画でも判るのだが…風雨で桜の花びらが散り、池の水面に花びらが少し群れて浮かんでいる…

↓非常に強く記憶に残った…そして永く記憶に留めたいような光景だ…
29-03-2020 Katori-Jingu Shrine (17)

朝早くから列車で香取駅に向かい、香取神宮へ、更に佐原の街並みを歩き廻るというコース…非常に好い!!

正直なところ…風雨で着衣が酷く濡れる中で歩き廻るのは、もっと低い気温のサラサラした雪の中で歩き廻る以上にキツいかもしれない…そういう状況で「弱った…」というようにも思った。他方で、この香取・佐原への訪問で出くわした様々なモノは、出掛ける少し前の「気詰まりな感じ…」を払拭する爽快感のようなモノ、或いは気持ちの昂揚をもたらしてくれたようにも思う…

拝殿…:香取神宮(2020.03.29)

「30分余り歩いて目的地に到着」ということになれば、到着時に少し大きな安堵感を覚えるものだが…香取神宮に至り着いた時には、雨の中で、多少風が強まる中であり、覚えた安堵感は少し大き目で、同時に「無事に辿り着けたことへの感謝」というようなモノも沸き上がった…

↓降り頻る雨の中に佇む拝殿を眺め、文字どおりに「神々しいモノ」さえ感じていた…
29-03-2020 Katori-Jingu Shrine (9)
↑一日の活動を始めるような時間帯に辿り着いたのだったが、殿内に神職の皆さんが集まっていて、太鼓を鳴らす音も聞こえた。

↓脇の方から見上げたが、非常に重厚な感じがする建物だ…
29-03-2020 Katori-Jingu Shrine (13)

↓正面のもう少しだけ近い位置から眺めた感じだ…
29-03-2020 Katori-Jingu Shrine (7)

↓写真で視ても判るような程度に雨は強まっていた…それでも構わず、じっと建物を眺めていた。或いは魅せられてしまったかもしれない…
29-03-2020 Katori-Jingu Shrine (15)

古くから国家鎮護の神と尊崇された社である…そういう場が放つ“力”が渦巻くような空間が創出されていると思った。そういう中へ足を運ぶことが叶ったのは善かった…

雨中の桜…:神道山古墳群:香取(2020.03.29)

香取駅に至って列車を下りた後、香取神宮を目指して雨の中を歩き始めた…

香取駅の辺りに掲出された案内板を視て、「神道山古墳群」(しんどうやまこふんぐん)という文字を記憶に留めた。踏切を越えて鉄道の向こうに在る香取神宮への道筋で、最初の目印になりそうであったからだ。

↓これがその、行き当たった神道山古墳群である…
29-03-2020 Katori (3)

「古墳群」というのは?「古代の有力者の墳墓」が幾つか集まって見受けられる場所ということになるが、結局は「小さな山が在る」というように見える場所だ。辺りは川が流れている平野の一部で平坦な地形なので、丘のように少しだけ小高くなった感じは少し目立った…

↓雨の中で桜が咲き誇っていた様子が非常に好かった…
29-03-2020 Katori (5)

思うと…自身としては「2020年に初めて自身の眼で視た、桜が咲き誇る様子」というのが、この神道山古墳群で視た様子ということになった…

歩き廻るには悪条件であった最中ではあったが…香取を訪ねた経過は色々な意味で記憶に残る。雨中で撮った写真を眺めながら「何時か再訪…」という想いが募る…

丸型ポスト:佐原…(2020.03.29)

伊能忠敬の旧宅を擁する街並みを歩きながら佐原駅を目指していた…

↓こういうモノに出くわした…
29-03-2020 Sawara (16)
↑風雨の中に佇む、少し古いデザインのポストが美しいと思って足を停めたのだが…何か街並みの雰囲気に酷く似合う感だった…

こういう「出くわす様々なモノ」に眼を向けながら歩き廻る場所として、佐原は好適な場所であると思った。そして「“次”が在れば、もう少々好条件の下で…」と更に強く思った…

桜越しに天守閣を仰ぎ見る…:大阪城(2020.04.02)

「資料館」ということになっている天守閣そのものは「事情」により休館中であっても、美しい建物を望む公園内を散策することは出来た…

↓こんな光景!少しばかり気詰まりな感であった中、視たかった…
02-04-2020 Osaka vol02 (3)

当然ながら「実際に視た様子」が強く記憶に残るのだが…この画は何度となく引っ張り出して視ている…実に美しい!

車窓…:大阪駅にて(2020.04.02)

大阪駅で列車に乗り、奈良駅へ引揚げようとした…

1番ホームを出る快速列車に乗車することにし、列車の先頭になる辺りで待った。並んでいるホームの端ということになり、駅の外の街並みが少し見えるような場所に佇んでいた…

↓現れた列車に乗込み、窓を眺め…思わず1枚撮った…
02-04-2020 Osaka vol01 (55)
↑大阪駅周辺に林立するビル群と、駅に近い側に溢れる程に集まっているタクシーが視えた…

存外に「視られそうで、視られない?」という眺めのようにも思った…

他方で、今般は移動時の乗換で少しだけ立寄り、中で一息入れたに留まった大阪駅だったが、機会が在れば周辺を少しばかり歩いてみたいとも思った…

雨中の桜と東塔と…:薬師寺 白鳳伽藍(2020.04.01)

薬師寺を訪ねた頃から雨が降り始めた…

その雨の中で薬師寺を拝観していたが、幾多の困難を乗り越えて受け継がれたという東塔の美しさに心奪われた…

↓東塔を擁する白鳳伽藍を歩き廻っていれば、桜が咲き誇っている向こうに東塔が視えている箇所が在った…
01-04-2020 Nara vol01 (22)

↓咲き誇る桜の向こうに端麗な東塔…「この時季ならでは」な光景で、雨の中では在ったが、視られて本当に善かった!
01-04-2020 Nara vol02 (19)

本当に「忘れ難い光景」を写真に収めることが叶った。これらは、何度となく引っ張り出して視ている画だ…

“五芒星”のファスナートップ…(2020.04.07)

↓愛用のレザーのキーケースに鍵を収めているが、一寸「飾り」を付けてみた…
07-04-2020 my one (2)

この「☆」は“五芒星”というモノだが、陰陽師の安倍清明に因んで紋の呼称として「清明桔梗」と言う場合も在る…

京都の清明神社を訪ねると、「清明桔梗」という紋の呼称に因んで<桔梗屋>という店が在り、色々と売られている。そこで求めたファスナートップだ…
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本来の使途はファスナーに付けるチャームだが、上の画のように「手近に“五芒星”の清明桔梗の紋を…」というようなことをする場合に使い易そうだと思って求めたのだった…

「御祓い」が大切な役目の一つであったという陰陽師に因む紋である…手近に在ると、悪いことを払い除けてくれそうである。

豊国神社…:大阪城公園(2020.04.02)

↓敢えて背中から銅像を眺めるというのは面白い…
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↓豊臣秀吉の銅像だ…戦の指揮を執るというような様子の像だ…
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この銅像は、戦時下の「金属供出」で1943(昭和18)年に姿を消して、2007(平成19)年に至って復元されたモノであるという。大阪城公園の豊国神社に据えられている…

京都の豊国神社は「とよくにじんじゃ」と言うが…大阪城公園に在る豊国神社は「ほうこくじんじゃ」と言う…京都の豊国神社は豊臣秀吉が祀られているのみなのだが、大阪城公園の豊国神社には豊臣秀頼、豊臣秀長が合わせて祀られているのだという…

京都の豊国神社は江戸時代に廃されてしまった後、明治時代に復活した経過が在る。大阪でも明治期に京都の豊国神社の別社として起こる。

1921(大正10)年に至り、京都の豊国神社から独立した。その後何度かの遷座が在り、1961(昭和36)年に現在地へ遷っている。

↓社殿はなかなかに重厚な感じだった…
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↓灯篭に豊臣家の紋が入っていた…
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↑奥の桜が美しい…

京都の豊国神社に立ち寄った経過が在ったので、「そう言えば大阪城公園にも…」と思い出した。京都が「とよくにじんじゃ」で、大阪が「ほうこくじんじゃ」であるというのは、今般初めて気付いた…

大阪では、街の礎を築いた人物として「太閤さん」は少し人気が高いと聞く。江戸時代に廃されてしまう以前の豊国神社については、大阪城内に分祀されていたらしいが、明治期以降に復活した神社に関してもそういうようなことになった訳だ。

興味深い経過の神社であるが、素晴らしい青空の下で立寄ることが出来たというのが、非常に好かった…

<MIRAIZA OSAKA-JO>(ミライザ大阪城)=旧第四師団司令部庁舎…(2020.04.02)

↓大阪城天守閣の直ぐ脇に在る建物だ…
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この建物は、大阪城天守閣と同時期に登場した陸軍の第四師団司令部庁舎であった建物だ。嘗ては博物館に利用されたような経過が在ったようだが、現在は<MIRAIZA OSAKA-JO>(ミライザ大阪城)という商業施設になっている。

↓少し角度を変えると、建物前の植込みが好い感じに見えた…
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現在の時点でこの建物を視れば「古風なビル」というように見えるが、1930年代初頭には「当世風」であった訳だ…

その当時は「大阪が“大大阪”と呼ばれた時代」で、「街のシンボル」として、嘗ての栄華を想わせる和風な大阪城天守閣を建てた。その直ぐ脇で、如何にも「当世風」なビルだ。この様子を視た建築家達の中に「和風な意匠を入れる建物を工夫して、大阪城天守閣との親和性を高めて、辺りをもう少し好い感じに?」と考えた人達が在ったようだ…

そういう辺りから、「コンクリート造の建物に、瓦屋根のような和風の意匠を添える」という「帝冠様式」という建物が建てられるようになって行った。「帝冠様式」は「過剰な装飾を排すべき…」ということになって1938年頃から廃れるが、1930年代には流行の様式となって行った…日本国内にもそういう建物が残っているが、満州や樺太にも登場している。

この建物自体は「帝冠様式」でもないのだが、「登場の切っ掛けを作った建物」ということで、何となく注目してしまう…

↓嘗ては司令部庁舎の色々な部屋であった場所に店舗等が入っているのだが、館内の「往時は軍服姿の多くの関係者が行き交っていた…」と思えるような場所は、重厚な設えが残されている…
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とにかく、これは「画になる建物」という感で、存外に気に入っている…少し以前にゆっくり寄った経過も在ったが、近くまで行ったので眺めていたのだった…

桜…:大阪城天守閣周辺(2020.04.02)

大阪城天守閣の辺りに立寄ったが、「資料館」ということになっている天守閣そのものは「事情」により休館中であった。が、非常に天候が好かった中、桜が咲き乱れる辺りを散策するのはなかなかに好かった…

↓この時は「光」が非常に好かった!
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↑咲き誇る桜の向こうに天守閣が少し見えている感じだ…

城跡に桜を植えることが盛んになったのは?そういう場所を公園のようにするようになった明治時代以降のことと聞いたような気がする…ということは?城が実際に使われていたような幕末期までは、咲き誇る桜は然程多くなかった訳だ…何となく興味深い。