京都の祇園に宿を求め、夕刻までに無事に辿り着いた。そして辺りを少し歩き回った…
↓四条通と川が交わる辺りで、何となく見上げた…
↑趣が在る古風なビルの上空に月が輝き始めていた…
↓少し建物が広く画に入るようにもしてみた…
この古風なビルは<東華菜館>という中華料理店だ…
建物は様々な業績が知られるウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計で、1926(大正15)年に竣工したのであるという。大正時代には「ビアホール」が流行ったということで、この建物は洋食系の料理を愉しんでビールを飲むという店だったそうだ。その後、戦時色が濃くなる中、その種の店が営業し悪くなって休業したようだ。そして1945(昭和20)年末、中華料理店として再出発し、<東華菜館>として現在に至っている…
↓何度となく、こういう具合に見上げながら辺りを通り過ぎていたが、今般は思い付いて写真を撮った…
色々な古今の文物を擁する街に関しては、何度立ち寄ってみても、その都度に「改めてアレが好い!」に出くわすものだ。些か残念なのは…ここに立ち寄る―中で食事を愉しむ…―機会を現時点で設けられていないということだ…
<のぞみ>…:東京駅(2020.03.29)
東京を通過しながら、少し西へ進むという意図が在ったのだが…身体が濡れて弱った感じであったことに加えて、雪で列車運行に乱れが生じる可能性を排し悪いと見受けられる状況であったことから、若干早めに西へ移動することとした…「雪から逃げる」というような気もしたが…
↓些かの運休も生じているという新幹線の列車だが、それでも「随分な運航頻度だ…」と感心する程度に列車は発着していた…
↑京都まで乗車することにした<のぞみ>である…
↓このホームの辺りの普段の状況も承知しているので、この日の様子は「酷く空いている…」という感ではあった…
列車内は「多少空いている?」というような状態ではあったが、運行は「何時もの如く…」で、京都までは非常に快適な移動であった…
↓些かの運休も生じているという新幹線の列車だが、それでも「随分な運航頻度だ…」と感心する程度に列車は発着していた…
↑京都まで乗車することにした<のぞみ>である…
↓このホームの辺りの普段の状況も承知しているので、この日の様子は「酷く空いている…」という感ではあった…
列車内は「多少空いている?」というような状態ではあったが、運行は「何時もの如く…」で、京都までは非常に快適な移動であった…
旅装…:佐原駅にて(2020.03.29)
香取駅から香取神宮へ、更に佐原の街へと朝から動き回ったが…冷たい雨に強めな風が交じる感で、かなり酷く濡れた…
千葉、東京方面へ出ようと佐原駅を目指し、辿り着けば多少列車待ちの時間が在った…
駅の建物の中に、観光案内所、コンビニ的な売店が在って、その辺りに椅子が並ぶ待合室的な設えが在った。そこで一息入れた…
↓持っていた荷物を一寸置いた…そして「そのまま拭き掃除に使える?」という程度に濡れてしまっていた上着とキャップを脱いで、腰を下ろす、身体を伸ばすというようなことで寛いだ…
結局、着替えやノートパソコン等を収めた、昨年6月に甲子園球場の売店で求めたリュックサック―画でも雨に濡れた様子が判る…―と、カメラ類などを収めた、外装が廃タイヤチューブのゴムであるというビジネスバッグとだけで動き廻っていた。この程度であれば、「西へ進みながらい色々な場所に立ち寄り…」ということも出来ると思っていた。が…冷たい雨だったので、やや予定変更はしてしまった…
この感じは、日頃の生活エリアを外れる場所に出ていくような様子というより、生活エリアの中で「何となく持ち物が多め…」という状態を寧ろ思わせる。
こういう程度の調子でフラフラとする位が、自身には好い…
千葉、東京方面へ出ようと佐原駅を目指し、辿り着けば多少列車待ちの時間が在った…
駅の建物の中に、観光案内所、コンビニ的な売店が在って、その辺りに椅子が並ぶ待合室的な設えが在った。そこで一息入れた…
↓持っていた荷物を一寸置いた…そして「そのまま拭き掃除に使える?」という程度に濡れてしまっていた上着とキャップを脱いで、腰を下ろす、身体を伸ばすというようなことで寛いだ…
結局、着替えやノートパソコン等を収めた、昨年6月に甲子園球場の売店で求めたリュックサック―画でも雨に濡れた様子が判る…―と、カメラ類などを収めた、外装が廃タイヤチューブのゴムであるというビジネスバッグとだけで動き廻っていた。この程度であれば、「西へ進みながらい色々な場所に立ち寄り…」ということも出来ると思っていた。が…冷たい雨だったので、やや予定変更はしてしまった…
この感じは、日頃の生活エリアを外れる場所に出ていくような様子というより、生活エリアの中で「何となく持ち物が多め…」という状態を寧ろ思わせる。
こういう程度の調子でフラフラとする位が、自身には好い…
伊能忠敬翁 銅像:佐原駅前(2020.03.29)
↓佐原駅前に佇む銅像だ…
↑これは地図製作に向けた最初の測量旅行から200年を経た2000年頃に建立された伊能忠敬の銅像であるそうだ…
伊能忠敬の学問の師ということにもなる高橋至時(たかはしよしとき)は幕臣であったが、蝦夷地にロシア船が姿を現し始めた状況下、蝦夷地の測量を行って状況を詳しく把握する必要が在ると進言し、それが容れられた。そして彼は実務の最適任者として伊能忠敬を推した。そして伊能忠敬は江戸から蝦夷地を目指して旅立った…
↓船でいきなり蝦夷地へ上陸する経路ではなく、途中の測量を行いながら移動ということで、伊能忠敬のグループは陸路で北を目指したのだと伝えられるが…像は正しく「皆の衆!行こう!」と、測量の機材を抱えて歩み始める様子が生き生きと再現されているように見えた…
佐原では「伊能忠敬」と言えば「郷土の偉人」だ。困難な道を臆せずに踏み出した先人ということにもなるが…駅前にその雄姿を示し、地域を鼓舞しているような感じが好ましいと感じた。
風雨の中、色々と手を掛けて写真は撮らず、とりあえずこの姿を記録したいと、雨にも負けずに使っていた<XF16㎜F2.8>を装着した<X-Pro2>で撮った画だ。「防滴」を謳うカメラを抱えて出掛けて、本当に善かった…
↑これは地図製作に向けた最初の測量旅行から200年を経た2000年頃に建立された伊能忠敬の銅像であるそうだ…
伊能忠敬の学問の師ということにもなる高橋至時(たかはしよしとき)は幕臣であったが、蝦夷地にロシア船が姿を現し始めた状況下、蝦夷地の測量を行って状況を詳しく把握する必要が在ると進言し、それが容れられた。そして彼は実務の最適任者として伊能忠敬を推した。そして伊能忠敬は江戸から蝦夷地を目指して旅立った…
↓船でいきなり蝦夷地へ上陸する経路ではなく、途中の測量を行いながら移動ということで、伊能忠敬のグループは陸路で北を目指したのだと伝えられるが…像は正しく「皆の衆!行こう!」と、測量の機材を抱えて歩み始める様子が生き生きと再現されているように見えた…
佐原では「伊能忠敬」と言えば「郷土の偉人」だ。困難な道を臆せずに踏み出した先人ということにもなるが…駅前にその雄姿を示し、地域を鼓舞しているような感じが好ましいと感じた。
風雨の中、色々と手を掛けて写真は撮らず、とりあえずこの姿を記録したいと、雨にも負けずに使っていた<XF16㎜F2.8>を装着した<X-Pro2>で撮った画だ。「防滴」を謳うカメラを抱えて出掛けて、本当に善かった…
雨の朝…:JR成田駅(2020.03.29)
特急<ひのとり>:新大宮駅&近鉄奈良駅(2020.04.01)
朝、思い立って佐保川の桜を眺めに出た。JR奈良駅傍の宿から歩いて、佐保川の桜に至り、そこから近鉄の新大宮駅に入って、1駅間列車に乗って近鉄奈良駅へ引揚げようとしていた。
新大宮駅で近鉄奈良駅へ向かう列車を待っていると、通過列車への注意喚起が為された。「通過」ということは、近鉄奈良駅へ向かう特急列車か、回送列車だと思ったが…
↓こんな車輛が現れ、通り過ぎて行った…
↑初めて視掛けた型だったので、少々驚いた…
「あの車輛は?」と驚いて、考えながら、現れた列車に乗車し、近鉄奈良駅へ到着した…
↓新大宮駅を通過した列車が停車中だった…
↓3月に登場したばかりの新型車輛による特急列車の<ひのとり>が、出発に向けて待機中だった。
↑新大宮駅で見掛けたのは、ここで待機するために回送していたという場面だった訳だ…
↓予期しない形で新型車輛に出くわすのは、何となく嬉しいものだ…
↓<ひのとり>のマークが美しい…
↓車体に駅の中の様子が映り込む…ピカピカの新車だ!
聞けば、この<ひのとり>については、現在6輛編成が3編成導入され、大阪難波-近鉄名古屋間を1日6往復、大阪難波-近鉄奈良間を1日1往復で運行しているのだという。その1往復だけの運行という近鉄奈良駅で、出発待機という場面を視られたのは、少し運が好い!
何時か、この列車にも乗車してみたいと思いながら、近鉄奈良駅を辞去した…
新大宮駅で近鉄奈良駅へ向かう列車を待っていると、通過列車への注意喚起が為された。「通過」ということは、近鉄奈良駅へ向かう特急列車か、回送列車だと思ったが…
↓こんな車輛が現れ、通り過ぎて行った…
↑初めて視掛けた型だったので、少々驚いた…
「あの車輛は?」と驚いて、考えながら、現れた列車に乗車し、近鉄奈良駅へ到着した…
↓新大宮駅を通過した列車が停車中だった…
↓3月に登場したばかりの新型車輛による特急列車の<ひのとり>が、出発に向けて待機中だった。
↑新大宮駅で見掛けたのは、ここで待機するために回送していたという場面だった訳だ…
↓予期しない形で新型車輛に出くわすのは、何となく嬉しいものだ…
↓<ひのとり>のマークが美しい…
↓車体に駅の中の様子が映り込む…ピカピカの新車だ!
聞けば、この<ひのとり>については、現在6輛編成が3編成導入され、大阪難波-近鉄名古屋間を1日6往復、大阪難波-近鉄奈良間を1日1往復で運行しているのだという。その1往復だけの運行という近鉄奈良駅で、出発待機という場面を視られたのは、少し運が好い!
何時か、この列車にも乗車してみたいと思いながら、近鉄奈良駅を辞去した…
運行日誌(2020.03.28-04.04)追記:帰着後雑感…
過ぎる程に静かな居室で<しゃちブレンド>を淹れる。芳香が辺りに立ち込める中、バランスが好いと思える味を愉しむ。「普段の月曜日の朝」が戻ったという感である。「善かった」とすべきか?「行ったきりなら幸せになるがいい♪」と、何処かに留まって、そのまま戻らないという選択も在ったか?少し時間を設けて、気分転換をして戻ると、時々思うことではある。が、今般は何やら世の中が「事情」でゴチャゴチャした感じになっているような中なので、普通に戻って「善かった」ということにしておくべきであろう。
「愛用のカメラでも抱えてフラフラと自由な時間」ということがしてみたくなり、実際にそれをやってしまった…
「あなたの街へ…この駅から…北の始発駅!稚内駅!」と勝手に呼んでいる駅を発ち、新千歳空港を“玄関”に本州方面を一寸往復しようと思い付いた。往路は成田空港に入り、復路は神戸空港を発った。
往路を成田で、復路を神戸としたのは、成田・神戸の間をゆっくりと進み、様々な文物に触れながら動きたかったからだった。実際には少し感じが変わった…
成田上陸とした理由でもあったが、香取神宮や佐原に出会って満足した。が、当日は冷たい雨に濡れ続けて、上着やキャップは「そのまま拭き掃除に使える?」と見受けられる「絞った雑巾のよう…」に湿り切った状態となり、身体が冷えて来た感じで多少弱った…終いに手が悴んで、ポケットのモノを出し入れする場面で苦戦するようになった。千葉県内辺りでそんな目に遭うとは思っていなかった…
東京駅へ向けて移動し、東京都内を少し視て、西へ向けて少し動こうとしたが…雨は真昼間から雪へと変わっていた…東京駅で一息入れた後…新幹線の列車で直ぐに京都へ移動してしまった。
以降、京都泊と奈良泊ということにして、関西圏でのんびりとしていた…出ていた期間中、雨に降られて動き悪かったのは、3月29日と4月1日だけだった。他は普通に曇天や晴天であった。それは好かった。
最近は「見慣れぬ路の果ての見知らぬ街」というような場所に至って、そのまま帰還が叶わなくなったとしても、「然程の悔恨も感じないのではないか?」と思っていた。最近は、そういう気分が少々強まっている感もしていた。実際に出掛けて戻ってみて、そういう気分は大きくは変わっていない。が、「事情」というモノで、何か世の中の様子が変わったという感はした。
新千歳空港を発着する航空便だが、これはよく視ると「減便」という措置が既に取られている様子だ。往路の成田行は「空席の方が少ない」という程度に座席が埋まっていた。復路の神戸発は「やや空席は目立つ」という程度だった。
東京・京都の新幹線の列車に関しては、「常時、それなりに混んでいる?」という感であるあの路線を承知しているので、「少々目立って空いている」というような、車輛の半分弱の座席が空いていたように見える状態だった。
各地―千葉県内と千葉・東京間。京都周辺。奈良周辺。大阪市内と大阪・奈良間。その他、若干…―のJR、私鉄は「座席が埋まる程度の乗車」とか「若干、立席が見受けられる」という程度で、「大都市特有な混雑」には出くわさなかった。尤も、混み合いそうな時間帯に動いていなかったとか、混み合いそうな朝早くには少し長閑な辺りを動いたということも在ったのかもしれない。
方々で、桜が美しかった!本当に「それでも花は咲く」という感であったと思う。
所謂「お花見の名所」では「宴会は御遠慮下さい」というような看板が、昨今の「事情」に鑑みて掲出されていて、そういう「お花見の光景」には出くわさなかった。が、思った。或いは「平常のお花見の様子」の方が「異様?」なのかもしれないとである。
京都の地方紙―京阪・清水五条駅周辺の喫茶店で拝見…―に、日曜日の桜の名所での様子が取上げられて「控え目に」となっていた。特段に「場所取り」で何やら料理を広げる、酒を酌み交わす、焼肉をやるという様子は無かった。それでも、通り掛って足を停め「好いなぁ…」と桜を眺める。自然で好い感じがしないでもなかった。そして場合によっては、桜の辺りでランドセルを背負った新入学児童らしい子どもの写真を撮っている親子連れや、確り衣装を着込んでカメラマンが撮影というスタイルの結婚写真の現場を視た。本当に「それでも…」という、人々が人生に普通に向き合う様子がそこに在ったような気がする。
地元に比べると「やや温かい」という感じの地方に入り込み、随分と精力的に歩き廻った。これは、動き悪い積雪期を過ごしていた身にとっては、少しばかり有難い時間だったかもしれない。そういう動き悪さと、昨今の「事情」の醸し出す雰囲気との相乗効果で、何やら倦んでいたと感じていたが、少しサッパリした感である。
暫くは…「好い時間」の「余韻」という中で過ごすことが出来るかもしれない…
そう思っていた間に<しゃちブレンド>を満たした<NARA>のマグカップは空いた…
「愛用のカメラでも抱えてフラフラと自由な時間」ということがしてみたくなり、実際にそれをやってしまった…
「あなたの街へ…この駅から…北の始発駅!稚内駅!」と勝手に呼んでいる駅を発ち、新千歳空港を“玄関”に本州方面を一寸往復しようと思い付いた。往路は成田空港に入り、復路は神戸空港を発った。
往路を成田で、復路を神戸としたのは、成田・神戸の間をゆっくりと進み、様々な文物に触れながら動きたかったからだった。実際には少し感じが変わった…
成田上陸とした理由でもあったが、香取神宮や佐原に出会って満足した。が、当日は冷たい雨に濡れ続けて、上着やキャップは「そのまま拭き掃除に使える?」と見受けられる「絞った雑巾のよう…」に湿り切った状態となり、身体が冷えて来た感じで多少弱った…終いに手が悴んで、ポケットのモノを出し入れする場面で苦戦するようになった。千葉県内辺りでそんな目に遭うとは思っていなかった…
東京駅へ向けて移動し、東京都内を少し視て、西へ向けて少し動こうとしたが…雨は真昼間から雪へと変わっていた…東京駅で一息入れた後…新幹線の列車で直ぐに京都へ移動してしまった。
以降、京都泊と奈良泊ということにして、関西圏でのんびりとしていた…出ていた期間中、雨に降られて動き悪かったのは、3月29日と4月1日だけだった。他は普通に曇天や晴天であった。それは好かった。
最近は「見慣れぬ路の果ての見知らぬ街」というような場所に至って、そのまま帰還が叶わなくなったとしても、「然程の悔恨も感じないのではないか?」と思っていた。最近は、そういう気分が少々強まっている感もしていた。実際に出掛けて戻ってみて、そういう気分は大きくは変わっていない。が、「事情」というモノで、何か世の中の様子が変わったという感はした。
新千歳空港を発着する航空便だが、これはよく視ると「減便」という措置が既に取られている様子だ。往路の成田行は「空席の方が少ない」という程度に座席が埋まっていた。復路の神戸発は「やや空席は目立つ」という程度だった。
東京・京都の新幹線の列車に関しては、「常時、それなりに混んでいる?」という感であるあの路線を承知しているので、「少々目立って空いている」というような、車輛の半分弱の座席が空いていたように見える状態だった。
各地―千葉県内と千葉・東京間。京都周辺。奈良周辺。大阪市内と大阪・奈良間。その他、若干…―のJR、私鉄は「座席が埋まる程度の乗車」とか「若干、立席が見受けられる」という程度で、「大都市特有な混雑」には出くわさなかった。尤も、混み合いそうな時間帯に動いていなかったとか、混み合いそうな朝早くには少し長閑な辺りを動いたということも在ったのかもしれない。
方々で、桜が美しかった!本当に「それでも花は咲く」という感であったと思う。
所謂「お花見の名所」では「宴会は御遠慮下さい」というような看板が、昨今の「事情」に鑑みて掲出されていて、そういう「お花見の光景」には出くわさなかった。が、思った。或いは「平常のお花見の様子」の方が「異様?」なのかもしれないとである。
京都の地方紙―京阪・清水五条駅周辺の喫茶店で拝見…―に、日曜日の桜の名所での様子が取上げられて「控え目に」となっていた。特段に「場所取り」で何やら料理を広げる、酒を酌み交わす、焼肉をやるという様子は無かった。それでも、通り掛って足を停め「好いなぁ…」と桜を眺める。自然で好い感じがしないでもなかった。そして場合によっては、桜の辺りでランドセルを背負った新入学児童らしい子どもの写真を撮っている親子連れや、確り衣装を着込んでカメラマンが撮影というスタイルの結婚写真の現場を視た。本当に「それでも…」という、人々が人生に普通に向き合う様子がそこに在ったような気がする。
地元に比べると「やや温かい」という感じの地方に入り込み、随分と精力的に歩き廻った。これは、動き悪い積雪期を過ごしていた身にとっては、少しばかり有難い時間だったかもしれない。そういう動き悪さと、昨今の「事情」の醸し出す雰囲気との相乗効果で、何やら倦んでいたと感じていたが、少しサッパリした感である。
暫くは…「好い時間」の「余韻」という中で過ごすことが出来るかもしれない…
そう思っていた間に<しゃちブレンド>を満たした<NARA>のマグカップは空いた…