E217系電車:千葉駅(2020.03.29)

千葉県内から東京を通って神奈川県内へという総武線と横須賀線とを繋げて往来する快速列車…随分と古い話しながら、東京に在った学生時代に色々な形で乗車したような記憶が在る…

佐原駅から千葉駅へ移動し、更に東京駅へ進もうとした際、思い出していたのはこの「総武・横須賀 快速」という列車だった。

↓列車の先頭辺りになる位置でやって来る列車を待っていると、こんな車輌が現れた…
29-03-2020 Chiba Station (3)
↑これも、近年に視掛けた記憶が在る他方、乗車した記憶が無い型の車輌だ…E217系電車というそうだ…

E217系電車は1994年から1999年に製造されたそうだ。「4箇所の扉」という方式を初めて導入した例でもあるらしい。成田線で乗車した209系を改良するようにして、より長い距離を運行する車輌としての要求に応えるように仕上げたという経過であるらしい。

↓乗車してみた…ロングシートの車内だ…
29-03-2020 Chiba Station (4)

日曜日の昼…相対的に列車が混み合わない時間帯ではあると思うが…この日は「外出の自粛を…」ということでもあった日で、人出は控えめだった訳だ…

列車が動き始めれば、車窓では雪が降って一部に積もり始めている様子も見受けられた。扉の上方に在る電光掲示に、雪のために運休や遅れが生じていく可能性も在る旨が表示されてもいた。「何やら…」という雰囲気で、乗車した記憶が無い型の車輌で運行される、やや懐かしい列車に乗車したのだった…
posted by Charlie at 20:02Comment(0)千葉県

安楽寿院の周辺…:鳥羽離宮跡の一部…(2020.03.31)

竹田駅の辺りを、城南宮という神社を目掛けて歩く…

↓途中でこんな小さな寺に行き当たった…
31-03-2020 Kyoto (13)
↑「弘法大師」という文字の提灯が在るが、真言宗の寺で安楽寿院というそうだ…建物脇の桜が美しかった…

↓辺りは桜が咲き乱れ、一部に花びらが散っていたが、何か素晴らしく雰囲気が好かった…
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↓桜に包まれて、吸い込まれてしまいそうな気さえした…
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↓辺りは<鳥羽離宮>の跡の一部ということになるそうだ…
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「院政」というモノが絶頂であった時代、実権を握った上皇達が住んでいて、院政の中心であったのが鳥羽離宮ということになる。

↓院政の絶頂期に君臨した上皇達…白河法皇、鳥羽法王の足跡に関する碑が在った。「法皇」というのは、上皇が出家して僧籍を得た場合に冠せられる称号である…
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↓辺りには「皇室に所縁?」ということを想起させる紋が刻まれた瓦が使用されているのも見受けられた…
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↓「何となく出くわした…」という感の場所ではあったが…非常に好かった!
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この桜が咲き乱れていた辺りで親子連れを見掛た。お子さんは2人で、1人は何やらランドセルを背負っていた。もう1人は少し幼いちびっ子だ。2人を連れていた母親が、新入学児童らしい上の子と、幼い下の子の写真を撮っている様子を見掛た…色々と「事情」の生じた情勢下ではあったが…それでも桜は咲き、それでも御入学のような人生の節目は訪れる…そんなことを思っていた…

竹田駅…(2020.03.31)

京都の街の地下を南北に延びている地下鉄烏丸線(からすません)だが、南側へ進んで行けば、南の起点・終点の竹田駅は地上に在って、列車もトンネルを抜けて高架線に上がってから竹田駅に到着する。

↓左が竹田駅まで乗車した京都の地下鉄の車輌だ。右は北上しようとしている列車だが、車輌は近鉄のモノだ…
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↑こういうような、外観の雰囲気が大きく異なる「他社車輌」が並ぶ様子を眺めるのは一寸愉しい…

竹田駅は、現在の近鉄京都線の基礎となる路線を開いた<奈良電気軌道>の駅として1928(昭和3)年に<城南宮前駅>の呼称で登場し、1940(昭和15)年に竹田駅と改称している。1963(昭和38)年に<奈良電気軌道>と近鉄が合併し、竹田駅は近鉄京都線の駅ということになった。1987(昭和62)年に竹田駅は現在の場所の駅となった。そして1988(昭和63)年には地下鉄烏丸線の延伸区間(京都・竹田)が開通し、近鉄京都線と地下鉄の相互乗入運行も始まったのだという。

↓駅の看板はこういう具合になっている。この看板は、地下鉄烏丸線で見受けられる仕様だ。駅は現在、地下鉄が主に管轄する駅ということになっている。
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↑看板の下側、隣の駅を表示する箇所には「地下鉄線」、「近鉄線」と付記されている。「たけだ」と大書されている脇には、地下鉄の駅番号であるK15と、近鉄京都線の駅番号であるB05が併記されている…

↓竹田から南側へ進む列車が発着するホームで列車を待てば…大和西大寺駅を経て、橿原神宮前駅(かしはらじんぐうまえ)に至る列車が現れた…
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↑この橿原神宮前行の他、近鉄奈良行の列車も見掛る場合が多いと思う…因みに、この時は橿原神宮前行で大和西大寺駅へ向かい、乗り換えて近鉄奈良駅に至った…

実は…地下鉄烏丸線も、近鉄京都線も、何度も利用したことが在ったが…竹田駅で乗降したのは初めてだったのだ…
posted by Charlie at 18:11Comment(0)京都府

桜…:木屋町通:高瀬川に沿って…(2020.03.31)

思い付いて老舗喫茶店を訪ねてみようとした朝…祇園の宿から四条通を少し西へ進み、地下に設えられた阪急の京都河原町駅の出口が在る辺りで木屋町通を北上し始めた…

↓木屋町通には桜が溢れていた…
31-03-2020 Kyoto in morning (4)

↓二条から五条の南北に延びる一隅が木屋町と呼ばれているらしいが、その木屋町に南北に延びる通の脇は桜が並木のようになっている…
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↓木屋町通は高瀬川と並行している。高瀬川の脇に桜が植えられ、木屋町通が「桜並木の道」というような様相を呈している…
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高瀬川は何か「真直ぐな水路」という様相なのだが、江戸時代初期に相当する1611年頃、京都の街中と街の南側の伏見とを結ぶ運河として開削されたものであるそうだ。この運河では「高瀬舟」と呼び習わされた川舟が行き交っていて、それに因んで運河も「高瀬川」と呼ばれるようになって行ったようだ。運河としての役目は既に果たしておらず、伏見へ繋がる水路でもなくなってしまっているが、江戸時代の「3間」(約5.4m)に設定された川幅は殆ど変わっていないということだ。

↓「道の脇に」とも「川の脇に」とも形容し得る状況だが、桜が非常に眼に優しい感じだ…
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↓こういう桜を愛でながら進むことが叶う場所を歩き廻ってみたい…それだけのことで、ここまで足を運んでしまったような気がする…
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木屋町通の桜に関しては、阪急の京都河原町駅辺りで眺めるのが専らであったが、「木屋町通を高瀬川沿いに歩いて眺める桜」というのも、非常に好いと思った。

夜桜…:祇園白川(2020.03.30)

滞在した宿から程近い辺りは、食事を摂ることが出来る場所も多かったのだが…辺りを眺めながら歩いて、至った店で夕食を愉しんでみた。

そこから引揚げようとした時に眼に停めた様子だ…
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↑満開だった桜の花が、辺りの照明に浮かび上がっていた…

↓やや角度を変えて眺めてみた…
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「暗さ」が少し増した他方で、灯りと、灯りに浮き上がる桜がより鮮やかで、全般に艶やかな感だった…

この時季…こういう「思わぬ好い景色」が多くなる…
posted by Charlie at 05:40Comment(0)京都府

朝…:<東華菜館>(2020.03.31)

京都・祇園の宿から離れようとしていた日…老舗喫茶店で朝食を摂ってみることを思い付いた朝だった…

京都は古くからの、様々な時代の文物が折り重なっているような街であるのだが、それは逆に言えば「各々の時代に“新しかった”モノ」が導入された、登場したという経過が繰り返されていた場所ということでもある。そういう中、「現在では当たり前なサービス」が「普及し始めたような頃」にそんなサービスが京都に登場している。そうしたモノの中には、現在も「登場した頃の好き伝統」というようなモノを受継いで現在に至っている例も在る。

京都・祇園の宿からふらりと歩いて訪ねるのに好適な位置に「1932(昭和7)年創業」を謳う老舗喫茶店が在ると知った。「珈琲を供する喫茶店」が起こって、街で一定程度定着するのは、どうやら昭和初期であるようなのだが、そんな頃の伝統を受継ぐ店を訪ねてみるのは気持ちが弾む…

↓弾む気分で四条通を歩んだ…朝の光に輝く感の古風なビルが好い趣だった…川面に典雅な建物の姿が映り込む感じが好い…
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↑かのウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計で、1926(大正15)年に竣工したという<東華菜館>の建物だ。

↓建物の正面入口辺りの大袈裟にも見える装飾が面白く、未だ通行人が少ない朝でもあったので、少し足を停めて見入ってしまった…
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こういう「眼に留まって眺め入ってしまう」という建物が在る風景というのは非常に好い。何度でも訪ねたく、そして通り掛かりたくなる場所だ…
posted by Charlie at 04:02Comment(0)京都府

佐原駅…(2020.03.29)

列車で香取駅に着き、香取神宮へ、更に「佐原重要伝統的建造物群保存地区」と呼ばれるらしいが、佐原の街へと風雨の中で歩き続けた。

「19世紀に地図を作った人達」への興味から、伊能忠敬に所縁の佐原に寄ってみたかった。悪条件の下で動き廻る羽目に陥りはしたが、「悪条件下で敢えて!」ということをして、「忘れ難い地区」というように感じられるようになり、「再会を期す!」と念じながら佐原を発つことにした。

伊能忠敬が存命であったような時代の建物も見受けられるという地区から、佐原駅までは歩いて15分前後の道程だ。些か長く風雨に当たった状態だったので、些か身体も冷えて来ていると自覚し始めていた中で佐原駅を目指した…

↓「着いたぁ!」と万歳をしてしまうような感で、至り着いた駅舎を眺めた…
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↓実に…渋い外観の駅だ…強風で「佐原駅」と書き込まれた暖簾が揺れていた…
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↑「佐原重要伝統的建造物群保存地区」に紛れ込んでも違和感が薄いような按配の外装に仕上げられている建物だった…

↓2000年代に何回かの整備工事を経て、周辺も含めて現在のような様子になったようだ…
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成田駅や千葉駅へ向かう列車に乗ろうとしたが…少し待ち時間が発生したが「濡れっ放し…」が「ややキツい…」と思えるようにもなって来たので、駅舎内の待合に利用出来るスペースの一隅を拝借してゆったりしていた…

色々な駅舎を見ている。中は「今時の普通の駅」だが、何やら「歴史的建造物?」であるとさえ思わせるような、地域に伝わる古い建物のイメージを採り入れた、実に素敵な建物だと思った。離れて数時間と経たずに「また行きたい…」と思い出してしまった程だった…
posted by Charlie at 03:43Comment(0)千葉県

香取駅…(2020.03.29)

成田線は何となく長閑な感じだった…成田駅から30分程度だったと思う。佐原駅を過ぎると、程無く香取駅だ…

↓香取駅で下車して、乗っていた209系電車を何となく眺めた…
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↑「ここまで運んでくれてありがとう!」という感じで見送った…

↓この路線では、駅名の看板を独特な設えにしている…看板は風雨で濡れていた…
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↑香取駅の先に在る駅が2つ併記されている。水郷駅は銚子へ向かう路線、十二橋駅は鹿島神宮へ向かう路線の駅なのだそうだ…

この辺り…「無人駅」となっている場合が見受けられるが、香取駅もそういう例の一つだ。但し、この辺りの無人駅は「ICカード乗車券を使って乗降」という前提―待合の辺りに、乗車用、降車用のICカード乗車券の機器が据えられていた。―のようで、列車の乗務員(運転士)に現金で支払う(運転席辺りの料金箱に運賃を入れる)というような案内にはなっていなかった。関西方面でも、似たような例は見たことが在った。今般は<青春18きっぷ>を利用したので、黙って下車しただけだった…

↓「目指す香取神宮は?」と思って駅前に踏み出せば、地元の香取市で設置したらしい案内板が据えられていた…
29-03-2020 Katori Station (4)

なるほど、この看板に違わず、香取神宮までは30分程度だった…雨の中を歩き続けたのだった…
posted by Charlie at 03:40Comment(0)千葉県

209系電車:JR成田駅(2020.03.29)

成田線の列車で、成田駅から香取駅を目指した…

↓雨の中、列車がホームに姿を見せた。
29-03-2020 Narita Station (3)

↓乗換駅であるためか、幾分長く停車した。写真を撮る分には有難い…
29-03-2020 Narita Station (5)

停車直後、車輌の4箇所の扉が一斉に開くが、直ぐに3箇所を閉める。冷たい空気が入り込むことを抑えるということなのだろう。時々見受けられる「押しボタンで開閉」という仕組みにはなっていなかった…

209系電車という型の車輌である。1992年から1993年、2000年、2004年と増備されて、現在は1000輌もの車輌が関東地方の様々な路線で運用されているようだ。成田線には2010年頃から登場したらしい…

実は「駅に停車」を何となく視たことは在ったが、乗車したことは無かった。それに乗車出来たことは好かった…
posted by Charlie at 03:31Comment(0)千葉県