宇太水分神社…(2020.04.02)

「宇太水分神社」と各々の文字は平易ながら、一寸読み難い…これは「うだのみくまりじんじゃ」と読む。

「水分神社」(みくまりじんじゃ)と称するモノは、現在の奈良県に相当する大和国で古くから祀られている神社で、東西南北に4つの主要な水分神社が鎮座していて、この宇太水分神社は「東」を占めるモノなのだそうだ…

近鉄の大阪と名古屋とを結ぶ路線の中、奈良県の東寄りな地域の榛原駅が在る辺りが奈良県宇陀市だ。榛原駅からバスに乗ると、なかなか興味深い場所を訪ねることが出来る。昨年は<又兵衛桜>という銘木に出会い、宇陀松山の街を散策し、清酒を醸す酒造会社にも立ち寄った。そういうことで愉しい想い出が出来ると、宇陀市で視られる様々なモノに興味を覚えるようになる。そして宇陀松山とは少し方角が違う辺りに、面白い場所が在るということを知るようになったのだ。

↓そういうことで、榛原駅前からバスに乗り、宇太水分神社へやって来た…
02-04-2020 Nara pref. Utanomikumari-jinjya Shrine (2)

↓社号が刻まれた石柱…趣が在る…
02-04-2020 Nara pref. Utanomikumari-jinjya Shrine (3)

宇太水分神社の社号に「式内大社」と冠せられている。これは?927(延長5)年に纏められたという『延喜式』の中で「官社」と指定されていた「式の内に載っている社」というのが「式内社」で、それであることを示しているのだと想像出来る…

「式内社」とされるモノの中に格付けが在り、官幣大社、国幣大社、官幣小社、国幣小社となっている。「官幣」は畿内の社で、「国幣」はそれ以外の各地に在る社であるのだという。宇太水分神社は「大社」に列せられていたということで「式内大社」と石柱に刻まれているのであろう。

尚、神社の社号を記したモノの中には「旧社格」という呼称を冠している場合も見受けられる。これは『延喜式』のような感じで、明治期以降に各地の神社を格付けしたものである。この「旧社格」は、1945(昭和20)年まで広く用いられていた…

話題が逸れそうになったが、宇太水分神社へ戻る…

↓境内へ進めば、酷く貫禄が在る手水場が姿を見せる…
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↓そして拝殿が在り、奥に並ぶ本殿の神々に参拝をするようになっている…
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↓拝殿の脇から本殿等が視えるが…中央の3棟が組み合わさるような本殿が全て「国宝」の指定を受けていて、脇の2棟の摂社が全て「重要文化財」の指定を受けている…
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↑何れも鎌倉時代や室町時代の建築であるようだ…

↓本殿の辺りに少し近付いたが…なかなかに貫禄が在る…
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↓少し角度を変えると、この種の建築に特徴的な屋根の感じが判り易いかもしれない…
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宇太水分神社は「崇神天皇の時代の創建」と伝えられている。崇神天皇は第10代天皇とされている。疫病退散の祭祀を執り行ったことなどが伝えられているようだが、半ば伝説のような時代の天皇ということになるように思う。そんな遥か昔から、地域と人々の平穏を祈る場が受け継がれ、永い年月の中には様々な困難が生じていたことであろうが、「国宝」や「重要文化財」という指定を受けるような文化財が大切に受継がれているのである。

何か「遥かな時間を超えて受継がれる人々の願い」というようなモノを感じ、ここに立ち寄ることが叶って本当に善かったと思った。

そして…バスの本数が少な目で動き悪いので、少し慌ただしく榛原駅へ引揚げたのだった…
posted by Charlie at 18:06Comment(0)奈良県

サイフォンで淹れた珈琲とバタートースト…:<喫茶 ラ・ヴィータ>(2020.03.30)

<祇園枝垂桜>、<産寧坂>、<大谷本廟>と<東大路通>を南下し、京阪の清水五条駅の辺りに至った。京阪の路線の七条駅から出町柳駅までの区間は、街の東寄りの地下に軌道が敷設されている。故に「清水五条駅の辺り」と言っても、「川沿いの道路の歩道部分に地下駅との出入口が見える」ということになる。

朝5時頃から歩くと…時間はたっぷりと在る。清水五条駅周辺に至った時点で朝7時前という状態だった。そのまま歩き続けるというのも消耗してしまいそうなので、一息入れられそうな場所を探した…

↓歩道にこんな看板が出ていた…<喫茶 ラ・ヴィータ>という店が在った。
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↓「営業中」だ!!
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↓「おはようございます!」と入ってみれば、「古き善き喫茶店」という風情が溢れる店だった…
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折り良く、店主氏が店に着いて、この日の営業を始めようとしていたところだった…流れていた音楽―詳しく知らないが、やや懐かしい感じがしたラテン系な曲だった…―に合わせて、店主氏の鼻歌が混じる。お気に入りの音楽と共に一日を幕開けしようとしていたのであろう…

↓スタンダードな感じのブレンドコーヒーをサイフォンで淹れていた…極々軽いブレックファストという感で、バターを塗ったトーストを頂いた…
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何か、主に近隣に在る皆さんが立ち寄る店というような感じの場所だった。そう言えば以前にもそういう感じな店に立寄ったことが在った…こういうような「日常の街角」に、一寸だけ静かに御邪魔させて頂くというのも、旅の愉しみというものかもしれない…京都に関して言えば、この種の「近隣に在る皆さんが立ち寄る」というような喫茶店は無数に在るような気がする…
posted by Charlie at 06:33Comment(0)京都府

<大谷本廟>…(2020.03.30)

<祇園枝垂桜>を振り出しに<産寧坂>に立寄り、辺りで南北に延びている<東大路通>を南下してみることにした。五条通に行き当たる筈で、右折すると西寄りに進むことになり、京阪の清水五条駅辺りに至る筈だと、辺りの案内図を視て考えたのだった。

↓思ったとおりに五条通が眼に入ったが、他方で絢爛な桜に眼を奪われてしまった…
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↓重厚な趣が在る場所だと思った…
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ここは<大谷本廟>という浄土真宗の寺である。浄土真宗を開いた親鸞聖人を祀る廟堂なのだそうだ。1603(慶長8)年から現在地に在って、この地を「大谷」と呼ぶのだそうだ。

↓<円通橋>(えんつうきょう)と呼ぶというが、幅6mで長さ40mの石橋が架けられている。1856(安政3)年に竣工したという。
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posted by Charlie at 06:28Comment(0)京都府

<産寧坂>…(2020.03.30)

「非常によく知られている」という場所で、直ぐ近くまで訪れた経過は在っても、「どういう訳か立ち寄っていない…」というような場所は見受けられるものである。

祇園の宿に在って、前日の“些かの消耗”から回復した感であった中、<祇園枝垂桜>を眺めに行くことを振り出しに、早朝から歩き廻った…

↓そして<八坂の塔>を見上げる辺りに至った…
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↓吸い込まれるように、石畳の路へ踏み込んで行った…
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↓<産寧坂>に至った…<三年坂>とも呼ばれている…
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この辺り…「“京都”のイメージ」というような感にもなっているような場所だと思うが、これまでどうしたものか訪ねたことが無かった…「漸く辿り着いた」ということになるのかもしれない…

↓石畳の坂道になっている一画だ…
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↑辺りは「重要伝統的建造物群保存地区」となっている。なるほど、何となく「幕末の志士が駆け抜けて行く?」というような様子を想像してしまうような街並みであった…

↓これは<二年坂>と呼ばれる<三年坂>と交差する少し緩やかな坂道であるが、ここも公式には<産寧坂>の一部なのだそうだ…
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↓桜の木が在る辺りでは、折良く花が咲いていた…
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↓実に雰囲気が好かった…
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早朝の、未だ全くと言って差し支えない程度に、何も動いていないような中でこの<産寧坂>に歩き至った。そして、遠い時代の人々の話し声や足音でも聞こえそうな街並みをゆったりと眺めた。起き出して散策に出ているような人達や、私自身と同様にカメラを手に散策している人達に少しだけ出くわしたが、驚く程に静かであった。街歩きは早朝が好いということか…

今般、ここに立ち寄ることが叶ったのは非常に嬉しい!!

<KITTE>…(2020.03.29)

東京駅に至り着き、とりあえず屋外に出てみた。

あの煉瓦造の駅舎の直ぐ脇、<KITTE>からの眺望が好いと承知していたので「一寸だけ眺望を…」と思ったのだった…

そうは思ったが…眺望を愉しむことは叶わなかった…

↓施設1階は「通路」として通り抜けることは出来たが…「臨時休業」となっていて、上階に上がることは出来なかった…
29-03-2020 Tokyo Station (5)

制服姿の警備員が佇む様子が散見し、通行人も殆ど居ない状況だった…こういう様子…記録しておこうと思った…
posted by Charlie at 06:00Comment(0)東京都

城南宮…(2020.03.31)

竹田駅からはやや距離を歩くことになるが…

↓城南宮という神社が在る…鳥居に掲げられた扁額には「城南離宮」と在る…
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↑江戸時代まで、この辺りが院政の時代に<鳥羽離宮>とされていた地区でもあったことから、「城南離宮」が社号のように用いられていたそうだ…

↓鳥居の柱には「文久元年」(=1861年)と幕末期の年号が刻まれている。敬愛され、篤い信心を寄せられていた社で、この時期に寄進を受けた鳥居なのであろう…
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↓いよいよ城南宮に入る…
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↓鳥居の中央には「太陽・月・星」を象徴するという特徴的な紋が在る。
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平安遷都の際に創建されたと伝えられ、「城」(=平安京)の南側に鎮座することから「城南宮」と呼ばれるようになったという。院政の時代には、その中心的な場となった<鳥羽離宮>の一部を占めたことで寧ろ「城南離宮」と呼び習わされ、離宮の鎮守という位置付けにもなったことから、皇族の行幸も頻繁であったという。そして<(京都)御所>の「裏鬼門」を守る神となったことから、貴族の「方違」の宿所となり、方除けや厄除けの神としても信仰されたという…

↓本殿は1978(昭和53)年の建築であるというが、平安時代の様式に則ったとされるものだ…
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↓近付いて眺めると、なかなかの迫力だ…
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色々な事情で損なわれた建物が再建され、場合によって再建されていないのかもしれないが、「平安遷都の頃から辺りに鎮座」という「場所」が独特なエネルギーを放っている…というような気もした…少し興味が在って、なかなか訪ねる機会を設けられずにいたが、「京都から奈良へ移動する場合の通り道…」と思い付いて立ち寄る機会を設けられた。善かった…
posted by Charlie at 01:41Comment(0)京都府

E217系電車:東京駅(2020.03.29)

「総武・横須賀 快速」という列車は、かなり古い話しながら、自身が東京に在った学生時代に親しんだ「少し懐かしい…」感じのする存在だ。と言って、かなり御無沙汰なので、乗車した記憶が無い車輌での運行であったのだが…

千葉駅で乗車し、東京駅を目指した。見覚えが在るような、余り無いような中を進んだが…朝早い時点で降り続いていた雨が“雪”に切り替わり、車窓から見える街の一部が白く染まり始めていた…

↓そして列車は東京駅の地下に設えられた、「総武・横須賀 快速」が発着する場所に…若干のカーブを描く地下のホームに列車が並ぶ様は、少し見栄えが好いように思う…
29-03-2020 Tokyo Station (2)
↑それにしても…雪が付着した状態の車輌…「東京駅」では視る機会が少ないように思う…加えて「3月末頃」という時季でもある…

こういう「やや珍しい?」という状態を視て、改札口を目指して地上へ上がった…
posted by Charlie at 01:38Comment(0)東京都