丸4年…3953件…(2020.04.22)

このブログの全く初めての記事が現れたのは「2016年4月23日」のことであった。「えっ?丸4年?」と不意に気付いた…

「2016年4月23日」の記事を視れば「不意に思ったのは、モノクロ写真を主体に纏めている場を…設けていなかった…」として、「思い立ったが吉日」としてこのブログを始めている。

それ以来、現時点までに3953件の記事を綴ってここに出した。4年間は48箇月間であるが、1箇月平均で82件余り、1週間平均で20件程度を出し続けたことになる。特段に「決め事」のようなことはせず、全く随意に「写真を選んで記事を綴って出す」ということを続けて来た。気に入った写真が多い時期、言葉を換えれば、何処かを訪ねて写真を撮る機会が多かったような時期、その少し後には自ずと記事件数が多い。やや例外的なのは、2016年5月から2016年6月頃、少し前に多く写真を撮っていたことに加え、「始めたばかりのブログに少々の勢いを…」と過去写真を取り出してドンドン御紹介していたというのが在って、各月の記事件数が少し多目である。

当初は<Nikon COOLPIX P7700>を使って撮った画を取上げていた…

↓稚内港北防波堤ドームを望む画で、2014年10月の撮影だ。カメラのズームを随分と使い、色々と考えながら撮っていた…
Wakkanai on OCT 11, 2014 (3)
↑こういう感じの画が酷く気に入り、「モノクロ写真を主体に纏めている場を…設けていなかった…」ということを思い付いた訳だ…

↓これは2014年12月に訪ねた鹿児島で臨んだ、12月としては珍しいらしい雪を被った桜島の画だ…
Kagoshima on DEC 18, 2014 (36)
↑こういうような「訪ねた先の思い出の記録」という意図も在って、「撮影地で区分けするカテゴリ」を設定し、そのまま現在に至っている。

こうしてモノクロ写真を使った記事を綴るようになると、写真を撮る場面で「併せてモノクロも…」という機会が増えた。そういう傾向と並行して、写真を撮ることが愉しいと思うようになって行った頃の「単焦点レンズを装着したカメラを駆使して…」という感覚が酷く懐かしくなり、何とかしたいと思うようになった。

↓2017年9月にユジノサハリンスクで撮った画だ。この頃に入手に至ってしまった<X100F>を使用している。
11-09-2017 (12)
↑雲が流れる夕空の光や雰囲気、影となっているレーニン像の「らしい!」という感の黒さ…非常に好いと思った…

とりあえず始まったモノクロ写真のブログは、モノクロ写真を「得意としている?」かのような<X100F>と出くわしたことで、何やら「更なる勢い」を得たような感だった。

<X100F>は、「23㎜=35㎜相当画角」という単焦点レンズが固定されているカメラだ。それを“制約”というようにも考え得るが、寧ろ「これで可能な範囲で画を創ることを愉しむ」と捉えていた。それでも「もう少々違った画角?」というようなことを考え始めた…

↓2018年9月にユジノサハリンスクで撮った画だ。入手して日が浅かった<X-Pro2>に広角ズームを装着して撮った画だ…
12-09-2018 in evening (21)
↑華やかな“ラテアート”の飲物と、飲物を頂いていたカフェの雰囲気が広い範囲で綺麗に収まり、場の雰囲気を確り記録している感だ…

結果的に、当初は<Nikon COOLPIX P7700>で始め、2017年9月以降に<X100F>を、2018年9月以降に<X-Pro2>を入手し、現在に至るまで後者2台を使っているというようなことになる。少し前に論じたのだったが、恐らく当分は<X100F><X-Pro2>とを使い続けると思う…

このブログのカテゴリに関しては、「国内の都道府県毎」を基本として「掲載写真を撮った都府県」のモノを各々に設け、新たな写真を新たな場所で撮って記事に載せる場合に新しい都府県を順次加えている。「北海道」だけは「北海道/稚内」とか「北海道/旭川」という具合に地域名を補うようにした。後から「ロシアの連邦構成体」(※「○○州」、「○○地方」というようなモノ)を2つ―「サハリン州」と「沿海地方」―加えている。

このカテゴリは、パソコンでこのブログを見る場合には右側に表示されている…

カテゴリ毎に記事件数には差が在る。殊更に件数が多いのは、「地元」または「地元同然に滞在する時間が長かった」という事由による。それ以外に件数が多い感じのカテゴリに関しては、「ブログで取り上げている写真を撮った近年で、頻繁に訪ねる、立寄っている場所で、その都度に多く写真を撮っている」ということであるか、「限られた訪問機会の中で相当な写真を撮っている」ということになる訳だ。

3月末から4月冒頭に出掛ける機会が在った関係で、地元を含む北海道内各地を除く都府県では「大阪府」「奈良県」「京都府」「兵庫県」が各々“三桁”(=100件以上)になっているのが少し目立つ。これは正しく「近年、或る程度頻繁に訪ねる、立寄っている場所で、その都度に多く写真を撮っている」ということに他ならない…

一寸だけ各府県で撮った画を例示してみる…

↓2018年5月に撮った大阪の地下鉄駅の様子だが、「大阪府」というのは色々と画になる場所やモノが豊富だ…
OBP Station in early morning on 20-05-2018 (7)

↓2019年6月に撮った<奈良ホテル>だが、「奈良県」は様々な時代の記憶を呼び覚ますような場所やモノが方々に在ると思う…
05-06-2019 Nara vol01 (60)

↓2020年3月に撮った<東華菜館>だが、「京都府」は「各々の時代に“新しかった”モノ」が幾重にも折り重なり、無限の魅力を放っていると思う…
29-03-2020 Kyoto (13)

↓2018年2月に神戸で視掛けたグラフィティーを撮ったのだが、「兵庫県」は様々な経過の地域が非常に多く集まっていて、新旧様々な時代に由来する文物が実に多彩であり、同時にこういうグラフィティーのような「現代的な面白いモノ」も眼に停まり易いというのが好い…
Kobe on 24-02-2018 (33)

結局、「大阪府」「奈良県」「京都府」「兵庫県」というような地域については、何れの府県も「少し動くと、各々の異なる伝統を積み重ねた地域にドンドン出くわす」という特徴が在り、加えて「特徴的な古いモノ」や「個性的な新しいモノ」が溢れていて、更に「様々な鉄道が盛んに活動していて、駅や車輌が面白い」ということで、「時間を設けて出掛けるとすれば…」と頻繁に考えてしまうのである。

私のように「出先で“1日乗車券”のようなモノを入手して随意に動き廻る」ということをするのであれば、「大阪府」「奈良県」「京都府」「兵庫県」というような「府県の境界」や「市町村の境界」というのは然程気にならない…そんなモノは易々と、何時の間にか通り過ぎてしまうからだ…逆に言えば、「行政区域の境界は半ば度外視で、各々の異なる伝統を積み重ねた地域が連なっている」のが「あの方面」の魅力であると思う。

こういうカテゴリという事柄に加え、パソコンでこのブログを見る場合には右側に表示されているが、“タグ”とか“ラベル”と呼ばれる「キーワード」も各記事に付している。

これは当初の<Nikon COOLPIX P7700>で撮ったモノばかりであった状況が変わり、<X100F>が加わり、<X-Pro2>も加わったので「使用機材を判り易く」というのも在るが、「撮影地域と無関係な画に在るモノ」を示すような意図で設定している。

例えば「神社」「銅像」「橋梁」「路面電車」というような場所やモノを示す一般名詞も使うが、例えば「通天閣」というような殊更に気に入っている場所を特定する固有名詞や、主に鉄道車輌や駅等の場合には「JR西日本」という例のように鉄道会社の名を挙げてある例も在る。明確な基準が在るでもなく恣意的かもしれないが、「撮りたいと思うモノ」の傾向が自身でも或る程度判るという訳だ。

更に最近に至っては…パソコンでこのブログを見る場合には右側に表示されている<ブログ内検索>の窓は自身でも利用する。例えば「ここの写真が好いから掲載した記事を用意…以前にも訪ねていたが、何時だったか?」というような時にキーワードを入れて検索するのである。これは読者諸賢にも御利用頂けるものだ。各々に「お気に入り」を見出して頂ければ、大変に幸いである…

それにしても、「4年間で3953件」というのは「なかなかの勢い…」であるように思う。ここまでの「勢い」が持続するのか否かは判らないが、写真を撮るのは愉しいので、多分このブログも未だ続けることであろう…

幌延駅…(2020.04.04)

旭川を早朝に発つ普通列車で稚内を目指す…

「何時の間にか、かなり北上した…」と目指す稚内を思い浮かべるような頃…どういう訳か20分程度も停車するので、少しホームに出て一息入れる…

↓幌延駅だ…ホームの辺りに掲出される、平仮名で縦書きの駅名標は、北海道内で広く見受けられる形式のモノだ…確りとビールの広告も在る…
04-04-2020 Horonobe (4)

↓キハ54…宗谷線の音威子府駅以北では、普通列車は専らこの型で運行されている…
04-04-2020 Horonobe (1)

この時は、或いは私自身も使用中だった<青春18きっぷ>を手にしていたのかもしれないが、「他地域からやって来た旅行者?」という風な人達を車内で若干見掛けた…「稚内へ列車で北上」という場合、旭川を早朝に発つ普通列車は意外に悪くない選択肢であると思っている…

音威子府駅…(2020.04.04)

旭川駅からの普通列車は北上を続け、豊清水駅で南下する特急列車を擦れ違い、更に北上して音威子府駅に至る…

↓音威子府駅では「一寸戸外の空気を…」という程度には停車する…
04-04-2020 Otoineppu
↑以前は、普通列車で宗谷線を移動すれば、音威子府駅で何やら長く停車するイメージであったが、最近はそれ程でもない…

「音威子府」と書いて「おといねっぷ」と読む…

アイヌ語の「オトイネプ(o-toyne-p)」が由来であるという。、「川口の濁っている川」という程の意味で、音威子府川が天塩川に合流する辺りが泥で濁っていたことからこう呼ばれるようになったと考えられているのだそうだ。

案の定、古いアイヌ語が少し転訛しながら漢字が充てられたという、北海道内ではよく見掛ける来歴の地名である。意外に歴史は在り、1797(寛政9)年の文書に「ヲトヱ子フ」という標記で登場しているそうだ。

1857(安政4)年には、かの松浦武四郎が天塩川流域で活動しており、音威子府に足跡を記している。ここでアイヌの古老と話し、アイヌは北海道のことを「カイナー」と呼んでいることを知った。「カイ」はこの国に生まれた者、「ナー」は尊称ということであるという。後年、松浦武四郎は「アイヌの国」という意味合いの「カイ」を採り入れ「北加伊道」という地名を提案し、それが転じて「北海道」になったという経緯が在るらしい…(「カイ」に関して、より新しいアイヌ語研究では「そういう意味か?」ということにはなっているらしいが…)

音威子府は大変小さな村で、非常に静かな場所なのだが…意外に深い歴史が在る。そんなことにも少し思いを及ばせながら、短い停車時間にホームで身体を伸ばし、更に北上を続けたのだった…

名寄駅…(2020.04.04)

稚内への長い道程を走破する旭川からの普通列車が最初に少し長く停まるのは名寄駅だ…

↓名寄までは「キハ54+キハ40の2輌」で運行される。
04-04-2020 Nayoro (1)
↑この名寄で、後ろ側に連結されているキハ40が切り離される…

キハ54が北へ向かった後、名寄駅に残ったキハ40は旭川へ向かう列車になるのだと見受けられる…

旭川・名寄間に関しては「少し大きな街と、やや距離が在る近郊地域の鉄路」という感がしないでもないが…2輌目を切り離した名寄以北は「いよいよ“ローカル線”?」という独特な風情になって行く…

キハ150:岩見沢駅(2020.03.28)

稚内駅を列車で出発し、名寄、旭川、滝川と列車を乗換えて岩見沢駅に至った時に考えた…

その日は新千歳空港を目指していたのだったが、「敢えて札幌に寄らない経路?」と思い付いたのだ…

岩見沢に至れば、札幌方面への列車は運行本数も多い。札幌方面で乗換えて、新千歳空港へ向かうというのが「普通」のように思う。が、岩見沢では室蘭線の列車も、運行本数は限られるが発着している。

嘗ては産炭地から集められた石炭を輸送するというようなことで盛況であったと聞く室蘭線である。岩見沢から真直ぐ苫小牧に南下し、苫小牧から先は室蘭に軌道が繋がるという経路が在るのだ。「少し駅周辺で寛ぐ」という程度の待ち時間で、苫小牧行の列車が出ることを確かめると、それに乗車することとした。苫小牧から、新千歳空港の手前の南千歳は然程の時間も要さない…

聞けば…嘗て「国内各地から稚内を目指して船で樺太へ」という需要が在った時代、船で函館に着いた旅客を乗せた列車が長万部に至った後、列車を切り離したのだという。一部は、現在では「山線」という通称で知られる函館線の一部に入り、小樽、札幌へ向かった。別な一部は、東室蘭、苫小牧と進んで岩見沢へ北上し、旭川に至って、そこから稚内を目指したのだという。札幌に寄らない分、近道だったという訳だ…

そういうことを色々と思いながら、「少し駅周辺で寛ぐ」ということをして、ホームで列車を待った…

↓ディーゼルカーが姿を見せ始めた…
28-03-2020 Iwamizawa Station (12)

↓停止位置が近付いて減速した…
28-03-2020 Iwamizawa Station (13)

↓停止して乗客を迎え始めたのはキハ150だ。1993(平成5)年から1995(平成7)年に製造されたという車輌だ…
28-03-2020 Iwamizawa Station (14)
↑この車輌に関して、個人的には美瑛旭川というイメージが強いのだが、方々で活躍中の車輌だ…

発車を待つ間は「普通列車、苫小牧行です。札幌方面へは行きませんので御注意下さい。この列車ではKitacaは御利用になれません」と録音アナウンスが繰り返されていた。岩見沢駅に在って、列車運行本数が少ない苫小牧との間を往来する列車は「ややイレギュラーな少数派」ということなのかもしれない。列車は岩見沢市内や近隣の町の駅へ向かう人達が存外に多く乗車していたという感だった…

<青春18きっぷ>を手に、「ほんの少し変わった経路」を敢えて選んでみるのも、存外に愉しいものだ…