↓「酒全般を指し示す“一般名詞”」というようにしか思えない<御酒>という銘のラベルは、やや個性的な形のボトルに貼り付けられている。このボトルは、<万国津梁の鐘>(ばんこくしんりょうのかね)と呼ばれる、「海洋国家たる琉球王国の気概」が滲む銘文が刻まれた釣鐘をイメージした形にしたのだということだ…
“物語”は1935年に遡る…
当時の<東京帝国大学>で麹の研究を手掛けていた皆さんが沖縄県を訪ね、方々の酒造会社に伝えられていた麹を採集し、各々に優れた特徴を有するモノということで研究対象とすることにして、集めた麹を標本として大切に保存していた。東京も第二次大戦の戦禍―激しい空襲…―という中に突入したが、関係者が大切な標本を他県へ持ち出す等して、苦労して保存したという。そういう他方、標本の麹が採集された沖縄県も激しい戦禍により、酒造会社等は大きく損なわれてしまった…
そういう時期から長い年月を経た1998年…<東京帝国大学>の伝統を受継いでいる東京大学で、1935年に当時の研究者達が沖縄県を訪ねて採集した麹の標本が「未だ在る…」と“発見”した。所縁の会社にそれらを分けるようなことを考えたが、標本の麹を採集した酒造会社の多くは、戦禍の中で姿を消してしまっていた…<瑞泉>は、琉球王室の政府による厳しい保護管理の下で泡盛製造に携わっていた職人集団の流れを汲むグループが明治時代に起こした酒造会社の流れを汲んで現在に至っているという老舗である。1998年に発見された、戦前の麹を受取って酒造りをしてみようと決め、挑戦を始めた…
<瑞泉>の職人達…色々と試行錯誤を繰り返し、1935年頃から密かに伝えられた麹を使って、醪を造って醸造し、1999年6月に無事に新たに蒸留した泡盛を完成させた。1999年頃、未だ存命だった、戦前の泡盛を嗜んだことも在る高齢になっていた<瑞泉>の元役員が出来上がった酒を試飲し、「或いは記憶の中の酒よりも佳いかもしれない」とし、敢えて銘を冠するのでもなく、古くから泡盛そのものを指し示す呼称である<御酒>(うさき)という銘を冠するということにしたのだそうだ…
↓そういう「重い物語」を負った酒であるが…休日の日中にゆったりと頂いてみた…
口にしてみると、酷く「軽やかな味わい」という感だった。米と麹で造った醪を蒸留する泡盛という酒の“原点”を想起させる感の一杯…「一杯」に留まらず、ドンドンとタンブラーに注いでしまいたくなる感だ…
「酒」は「モノそのものの味」を愉しむという代物であるが、同時に「込められた物語」を感じて愉しむモノでもあると思う。この<御酒>(うさき)には色々なモノが込められている。それも合わせて、ストレートでグッと頂くのがなかなかに好い感じだ…
↓<瑞泉>による<御酒>を紹介するコンテンツは下記…
>>琉球泡盛 瑞泉酒造 御酒~甦る泡盛の源流~