「過ぎる?」程度までに夏が冷涼な地域に住んでいて、毎年のように夏季に「敢えて時間を設けて随意に過ごす」ということも敢えてせずに居る中、今年は「夏らしい!」という感の時季に時間を設けて随意に過ごしている。
古くから「避暑」という言葉も在る。夏には「避暑」という過ごし方が想起されるのであろうが…夏が冷涼な地域に住んでいると、「時には“らしい!”という感じな夏の中で…」と考えてしまう。飽くまでも「時には…」ということではあると思う。随意に過ごして構わない状況下では「夏らしい!」も好いが、日頃の色々の最中では、何かと苛立って、序に暑さで体調でも崩してしまうかもしれない…
そんなことを思っているが、滞在し、訪問している各地は「梅雨明け」というようなことで好天傾向が続いているようで、思った程に湿度が高いのでもなく、「一寸気温は…」という感じで、「陽射し?!」と思う場合も在るが、一寸多めに水やコーヒーや茶を頂いて凌いでいる。そういうためもあってか、「傍目に酷く苦しんでいるように見えるかもしれない?」という程度に汗をかいてしまっている一面も在る…
今朝も…眼を開けた時、今日も天に月が輝いていた様子が視えていた…好天が継続している。結構なことだ!
気儘な時間に眠り、気儘な時間に起き出す。休暇中ならではの「自堕落…」というようではあるが、それでも平素の生活のような早朝に普通に起き出し、何に妨げられるのでもなく、随意に歩き廻っている。実に好い感じだ!
今朝も…午前7時半過ぎには何となく動き始めてしまっていた…JR奈良駅から京都駅へ向かう列車に乗った…
そうやって京都駅の手前の東福寺駅に至り、泉涌寺を訪ねてみた。
泉涌寺を訪ねた後、東福寺駅から歩いた道筋に在った案内地図を視て、「七条駅から歩いて10分程度と聞く智積院という場所…敢えて東福寺駅に引き返して列車に乗るまでもなく、何となく歩いて着いてしまいそうな?」と思った。そして…歩いて智積院に向かって、着いてしまった…
こういう具合に、思い付いてドンドン歩いてしまう性分ではあるのだが…途中で休み、休み―コンビニで珈琲や他の飲物を求めて、辺りに佇んで、それらを飲みながら一息というようなこと…―というのを平素以上に行いながらの行動にしても「消耗感…」がやや大きいことを否定し悪い感だった…
<HRC Kyoto>でランチを愉しんで、少しばかり買物をしてしまったというのを挟み、京都に在って泉涌寺、智積院、仁和寺、勧修寺と訪ねた。そして奈良へ引揚げた…
本当に「別邸に在って、近隣で動いている」という具合かも知れない…「奈良に滞在している中、1日を京都で…」という「やや少数派らしい?」ことをやってしまっている…
思い付く「訪ねてみたい」は多々在る。それらを訪ねて再訪してみたくなる場合も少なくない。並行して、新たに思い付く「訪ねてみたい」が際限無く増える。終いに「収拾困難」となってしまっている…
今般、「名前を聞いていても、実は立寄っていない…或いは立寄っていないかもしれない…」という場所に注目し、何となく訪ねている。「凄く面白かった!」と「もう少し…あそこにも寄りたかった…」とが同居する状態だ。今般は「過ぎる“消耗”」を避けようとしている側面も在るかもしれないが…
何れにしても、その京都での見聞に関しても、順次、随時に整理はしてみたい…
明日は?明日の朝にでも考えてみれば好い…
屋根…:生駒山の寶山寺(宝山寺)(2020.08.05)
近鉄奈良駅から大阪方向へ少し進めば生駒駅で、生駒駅から「ケーブル線」…要するにケーブルカーで生駒山を上ることが出来る。
ケーブルカーが着いた辺りから少し坂道を歩くと寶山寺(宝山寺)が在る。生駒聖天(いこましょうてん)とも呼ばれ、本尊は不動明王で、鎮守神として大聖歓喜天(聖天)を聖天堂(天堂)に祀っているのだという。
生駒山は修験道の道場で、かの弘法大師こと空海も修行に入ったと言い伝えられている。
1678(延宝6)年に湛海(たんかい)(1629-1716)がこの地の寺を再興し、「実質的な開山」ということになった。1688(貞享5)年頃には伽藍が整って<寶山寺>と号するようになったのだという。
↓こんな様子に魅せられた…
生駒山の上に、複雑な地形の然程広くもないように視える平らな場所を組み合わせて伽藍が拡がるのだが、何となく「建物の密度」が高い。そして、石段が据えられて高い位置に上ることが出来るのだが、画のように色々な時代の、各々の様式な建物の屋根が折り重なるように並んでいるのだ…
↓この種の建物のこういう角度での眺めは、少し面白い…
↓この眺め…酷く気に入った…そして「夏らしい!」と思えた光線が忘れ難い…
ケーブルカーが着いた辺りから少し坂道を歩くと寶山寺(宝山寺)が在る。生駒聖天(いこましょうてん)とも呼ばれ、本尊は不動明王で、鎮守神として大聖歓喜天(聖天)を聖天堂(天堂)に祀っているのだという。
生駒山は修験道の道場で、かの弘法大師こと空海も修行に入ったと言い伝えられている。
1678(延宝6)年に湛海(たんかい)(1629-1716)がこの地の寺を再興し、「実質的な開山」ということになった。1688(貞享5)年頃には伽藍が整って<寶山寺>と号するようになったのだという。
↓こんな様子に魅せられた…
生駒山の上に、複雑な地形の然程広くもないように視える平らな場所を組み合わせて伽藍が拡がるのだが、何となく「建物の密度」が高い。そして、石段が据えられて高い位置に上ることが出来るのだが、画のように色々な時代の、各々の様式な建物の屋根が折り重なるように並んでいるのだ…
↓この種の建物のこういう角度での眺めは、少し面白い…
↓この眺め…酷く気に入った…そして「夏らしい!」と思えた光線が忘れ難い…
早朝の月…:<奈良市総合観光案内所>=旧 奈良駅舎(2020.08.05)
勝手に「関西の別邸」と称しているが、奈良の古い駅舎を利用した<奈良市総合観光案内所>が窓から視える宿が好く、滞在している…
神戸空港上陸後、四国へ渡って4県に慌ただしく足跡を記した形になり、そこから神戸に引揚げた。神戸から、道草をしながら、多少勝手知った(つもりになっている)奈良の宿である。
多少、不慣れなことは覆い隠しようも無い30℃をやや超えた場面さえ在った「夏らしい」様子であるが…所謂「梅雨明け」で、酷く湿度が高いでもないように思えるのが少々幸いだ。無意識な中での消耗に警戒し、ゆっくりと休む意図を有していた…
「それでも…」という感で早めに眼が開いた…
↓眼が開き、眺めた光景だ…月が輝いている…
満月の夜だったようだ…満月が早朝に未だ姿を見せていた訳だ…
↓月が輝いている様子から始まった早朝…忘れ難いものだ…
神戸空港上陸後、四国へ渡って4県に慌ただしく足跡を記した形になり、そこから神戸に引揚げた。神戸から、道草をしながら、多少勝手知った(つもりになっている)奈良の宿である。
多少、不慣れなことは覆い隠しようも無い30℃をやや超えた場面さえ在った「夏らしい」様子であるが…所謂「梅雨明け」で、酷く湿度が高いでもないように思えるのが少々幸いだ。無意識な中での消耗に警戒し、ゆっくりと休む意図を有していた…
「それでも…」という感で早めに眼が開いた…
↓眼が開き、眺めた光景だ…月が輝いている…
満月の夜だったようだ…満月が早朝に未だ姿を見せていた訳だ…
↓月が輝いている様子から始まった早朝…忘れ難いものだ…