<高知城前>から<はりまや橋>で乗換えて<高知駅前>を目指した。
↓停留所に接近して来る…
↓渋い感じだ…
↑これに乗車して高知駅前へ向かった…
<591>は岐阜からやって来た車輌であるという…
1957年に名鉄の「モ591形」として登場し、岐阜の路面電車で使用され続けていたという。2005(平成17)年に至り、岐阜の路面電車が廃止された後、高知に移って「590形」と呼ばれることになった。
これもなかなかに年季が入って味わい深い感の車輌だった。名鉄で運用されていた時代のイメージを留めるという、赤系の単色塗装の外観がなかなかに好い…こういうような、「或る場所で役目を終え、他の場所に移って、尚も活躍を続ける」という車輌は面白い…
↓行止り式の高知駅前で停車、乗降後に待機して折り返し運転となる…
↑かなり年季が入っている車輌ではあるが、運転台の上辺りの行先表示は近年の新しい方式のモノに換装されている…
高知に関しては…味わい深い感じな車輌が行き交っている路面電車に「もう少し乗っておくべきだった…」という思いが、高知を離れた直後から高まっている…
<618>:はりまや橋停留所:高知の路面電車(2020.08.01)
高知は路面電車が活躍している街だと思う。そういう街では路面電車に乗ってみる…
高知駅前で1日乗車券を入手してはりまや橋停留所まで乗車して、目指す先への電車に乗換える…
適宜道路を横断するなどしながら、目指す側への電車が発着する停留所へ歩み、電車を待つ…
↓停留所に接近して来る…
↓なかなかに趣が在る古風な車輌だ…
この車輌は「600形電車」である。1957(昭和32)年から1964(昭和39)年の期間に計31輌が製造されたという。<618>は1960年に登場しているということなので「還暦」である…
2014年に会社の改組が在って<とさでん>ということになったのだそうだが、<618>は新たな「<とさでん>のコーポレートカラー」の塗装が施された「1号」なのだそうだ。或いは「高知の路面電車と言えば…」という程度に、多くの人達の眼に馴染んでいるのがこの型なのかもしれず、そういう意味で「新塗装第1号」になったのかもしれない。
↓駆け寄って、これに乗車して<高知城前>へ移動した…
高知駅前で1日乗車券を入手してはりまや橋停留所まで乗車して、目指す先への電車に乗換える…
適宜道路を横断するなどしながら、目指す側への電車が発着する停留所へ歩み、電車を待つ…
↓停留所に接近して来る…
↓なかなかに趣が在る古風な車輌だ…
この車輌は「600形電車」である。1957(昭和32)年から1964(昭和39)年の期間に計31輌が製造されたという。<618>は1960年に登場しているということなので「還暦」である…
2014年に会社の改組が在って<とさでん>ということになったのだそうだが、<618>は新たな「<とさでん>のコーポレートカラー」の塗装が施された「1号」なのだそうだ。或いは「高知の路面電車と言えば…」という程度に、多くの人達の眼に馴染んでいるのがこの型なのかもしれず、そういう意味で「新塗装第1号」になったのかもしれない。
↓駆け寄って、これに乗車して<高知城前>へ移動した…
壁面に夏の天…:旭川(2020.08.09)
稚内へ引揚げる列車に乗る前に旭川でゆっくりとランチを愉しんだ…
早朝の移動を避けて「ゆったりとしてみたかった…」と昼の列車の券を求めたのは、換言すれば「旭川でゆっくり食事を摂る」ということに他ならない。食事を摂る場所には事欠かない旭川である…
↓食事の後に戸外へ…碧空に白雲という様子が眩しく、見上げてしまうと…建物の硝子張な部分に天が映り込んでいて少し面白い感じだった…
↓壁面と天とが繋がってしまったかのようだ…
↓<買物公園>の辺りである…
↑少し前の特撮ヒーローのテレビシリーズで「鏡の世界」というようなモノが出て来る作品が在ったことを思い出したが…こういう様子を視ると、本当に「鏡の中の世界」というようなモノでも在るような気がしてしまう…
昼食の時間帯は、未だ1日の最高気温には達していないかもしれないが…多分25℃近くの気温であったと思う。爽やかな夏の風情だった…
こういう時季に、何となく旭川でゆったりとして、列車を待つ間に食事を摂ってから散策というようなことをしたのも…少し暫く振りであるような気がした。
早朝の移動を避けて「ゆったりとしてみたかった…」と昼の列車の券を求めたのは、換言すれば「旭川でゆっくり食事を摂る」ということに他ならない。食事を摂る場所には事欠かない旭川である…
↓食事の後に戸外へ…碧空に白雲という様子が眩しく、見上げてしまうと…建物の硝子張な部分に天が映り込んでいて少し面白い感じだった…
↓壁面と天とが繋がってしまったかのようだ…
↓<買物公園>の辺りである…
↑少し前の特撮ヒーローのテレビシリーズで「鏡の世界」というようなモノが出て来る作品が在ったことを思い出したが…こういう様子を視ると、本当に「鏡の中の世界」というようなモノでも在るような気がしてしまう…
昼食の時間帯は、未だ1日の最高気温には達していないかもしれないが…多分25℃近くの気温であったと思う。爽やかな夏の風情だった…
こういう時季に、何となく旭川でゆったりとして、列車を待つ間に食事を摂ってから散策というようなことをしたのも…少し暫く振りであるような気がした。
善通寺の乃木神社(2020.07.31)
善通寺駅から善通寺を目指して歩いた道すがら、左脇に「森?」というようなモノが見え始め、少し気になったのでそちらの側に寄ってみた…
↓こんな標柱が現れた…
↓夏らしい陽射しの下で静かに佇んでいた感の神社だ…
陸軍大将であった乃木希典は、1898(明治31)年に善通寺に配置された第11師団の初代師団長として着任している。2年8ヶ月間その任に在り、善通寺で活動していたのだという。そういう軍の師団が在ったということで、善通寺の街には、師団に関連する場所が在ったことを示す記念碑も色々と見受けられる状況だった。
乃木大将は日露戦争の第3軍司令官として旅順攻略の戦いに携わった後、参議官、学習院長を歴任し、1912(明治45/大正元)年、明治天皇の御大葬の当日に夫人と共に殉死という最期を遂げた。
その後、乃木大将の生き様に心動かされた人達が夫妻の霊を慰める「乃木会」を結成し、乃木将軍を祀る神社が何箇所かに設けられた。善通寺には1935(昭和10)年に出来たのだという。
↓シンプルな社殿だ…
↓ここに祀られている乃木大将御夫妻の写真が据えられているようだった…
明治時代以降には、何かで活躍した「英雄」とされる人達が祀られる神社が幾分登場している。乃木神社もそうした例であろう。日露戦争で活躍した人達が祀られた神社の中、「乃木神社」は各地で例が多いように見受けられる。
この乃木神社…御自身が初代の師団長として活動したという縁が在る善通寺で、四国の地を行き交う人々の安寧を見守り続けているというような感だったと思う…本当に、道すがらに出会ったのだが、出会うことが出来たことに感謝したい感だ…
↓こんな標柱が現れた…
↓夏らしい陽射しの下で静かに佇んでいた感の神社だ…
陸軍大将であった乃木希典は、1898(明治31)年に善通寺に配置された第11師団の初代師団長として着任している。2年8ヶ月間その任に在り、善通寺で活動していたのだという。そういう軍の師団が在ったということで、善通寺の街には、師団に関連する場所が在ったことを示す記念碑も色々と見受けられる状況だった。
乃木大将は日露戦争の第3軍司令官として旅順攻略の戦いに携わった後、参議官、学習院長を歴任し、1912(明治45/大正元)年、明治天皇の御大葬の当日に夫人と共に殉死という最期を遂げた。
その後、乃木大将の生き様に心動かされた人達が夫妻の霊を慰める「乃木会」を結成し、乃木将軍を祀る神社が何箇所かに設けられた。善通寺には1935(昭和10)年に出来たのだという。
↓シンプルな社殿だ…
↓ここに祀られている乃木大将御夫妻の写真が据えられているようだった…
明治時代以降には、何かで活躍した「英雄」とされる人達が祀られる神社が幾分登場している。乃木神社もそうした例であろう。日露戦争で活躍した人達が祀られた神社の中、「乃木神社」は各地で例が多いように見受けられる。
この乃木神社…御自身が初代の師団長として活動したという縁が在る善通寺で、四国の地を行き交う人々の安寧を見守り続けているというような感だったと思う…本当に、道すがらに出会ったのだが、出会うことが出来たことに感謝したい感だ…