松山城へ…(2020.08.02)

路面電車の大街道停留所から<ロープウェー街>と呼ばれていたと思うが、飲食店や商店等が何となく集まっている辺りへ進んで行くと、松山城の山へ上がるための場所が在る。ロープウェーとリフトが設えられ、松山城の建築等が集まっている山頂付近へ至ることが叶うのである…

宿にリュックサックを置いて身軽になってからこの松山城へ上ることにした…往路はリフトで上ってみた…先走るが、復路はロープウェーだった…

↓山上に堅固な石垣が築かれ、そこに様々な建築が見受けられる…そういう感じだ…
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↓城は、攻め込んだ敵が一気に守勢の主要な人達が籠る辺りに押し寄せられないように、グルグルと巡りながら進まざるを得ないようになっている。そして方々に兵が控えていて抵抗を試みることが叶うような構造物が築かれる。松山城を歩けば、そういう築城のセオリーも思い出す感じである…
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↓天守閣だ…見学受付終了間際にこの場所に上がったので、敢えて中には入らなかったが…
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↓天守閣は、幕末期に現在の建物となっていて、それが今日に受継がれている…貴重な「現存天守閣」の1つである…
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↑こういう感じで見上げると、何かひどく迫力が在ると思った…

↓天守閣周辺の石垣も堅牢そうに見える…こういうモノを造る?何やら凄い技術のように思う…
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↓城の域内は、植えられた樹木も手入れが行き届いた感で、雰囲気が好かった…
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↓街の中の小高い山になっている部分の山頂部付近が松山城である…夏の陽気に霞んではいたが、松山市街の眺望が眼下に拡がっていた…
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↑松山の街に明るくはないが…手前の中心よりやや左に視える“観覧車”が「市駅」こと松山市駅の辺りだ…右のやや上側に、陽気に霞む瀬戸内の海が輝く感だ…

松山城…今般は「とりあえず会いに行った」という感だった。機会が在れば、何度でも再訪したいような…そう感じさせるモノが在るように思えた場所だった…
posted by Charlie at 19:10Comment(0)愛媛県

<土佐三志士の像>…(2020.08.01)

↓高知駅の傍だ…駅辺りから宿へ向かう際に見掛けた…
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↑左から武市半平太(瑞山)、坂本龍馬、中岡慎太郎の3人である。何れも幕末期の土佐の人ということになるが、<土佐三志士の像>というのだそうだ。

これは銅像のような設えだが、実は銅像ではなく、銅像を模して造ったオブジェで、台風のような強風では飛んでしまうので、そういう時は暫定的に撤去して保管するらしい…

何れも、いろいろな小説やドラマや映画に登場している人物ということになり、なかなかに人気が高い人物達であるように思う。

こういう、広さが限られた場所でやや大きいモノを撮りたい時には、広角レンズがなかなかに活きる…
posted by Charlie at 18:54Comment(0)高知県

<鷲の門>…:徳島城(2020.07.31)

<うずしお>という愛称の特急列車徳島駅に着いた。

辺りの案内図のようなモノを眺めて、何となく「徳島城?」と思い付いて、駅の辺りから少し歩いた…

↓大きく立派な門が設えられていた…
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↓<鷲の門>と呼ばれ、城の南東の方角に相当し、“表玄関”というような感の場所であったようだ…
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↓1585(天正13)年に阿波国を知行地とすることとなった蜂須賀家政が徳島城をその本拠地として築き、以降は淡路国が加増され、幕末まで25万7800国の知行地を治めたのだという。その蜂須賀家の紋である「卍(まんじ)」が瓦に確りと在る…
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↓明治期以降に城が取り壊されてしまって以降も<鷲の門>は残っていたというが、1945(昭和20)年に戦禍で損なわれてしまった。現在のモノは1989(平成元)年に「徳島市制100年」ということで再建されたのだということだ。
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↓<鷲の門>から少し進んだ辺り、石垣が残る辺りに入る場所だ…
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蜂須賀家政は領内の産業を盛り立て、交易拠点となる城下町を開くべく、新たな本拠地として徳島城を築いたと伝わるらしい…午前8時台と、色々と見学するには「少し早過ぎ…」という時間帯に辿り着いた…徳島の街も「未だ動いていない?」という雰囲気だった…そんな訳で…訪ねてみたかった古い町並みを目掛けて、素早く移動してしまった…

「私の流儀…」の旅では時々在ることなのだが、この立派な<鷲の門>の徳島城の城下町であったという徳島…早くも「何時か再訪?」というようなことを考え始めている…
posted by Charlie at 18:22Comment(0)徳島県

<昭和の大横綱 第48代横綱 大鵬幸喜 上陸の地>…(2020.08.16)

稚内港の一隅、稚内港北防波堤ドームが見える辺りに少し新しい記念碑が在る…

↓こういう具合に見える…
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↑記念碑に姿が刻まれているのは、大相撲の力士…その出で立ちは…“横綱”である…

この碑は大鵬幸喜(1940-2013)の足跡を伝えるモノである。

大鵬は第48代横綱である。1961(昭和36)年から1971(昭和46)年の引退まで横綱を務めた。69場所の幕内としての戦歴は746勝144敗136休で、幕内最高優勝32回を誇る。

この大鵬は樺太の敷香(しすか ※現在のポロナイスク)で生まれている。昭和20年、緊急疎開で母親と共に大泊(※現在のコルサコフ)で船に乗った。夥しい数の人達が船に押し寄せ、相当に密度が高い状態での船旅となった。船は稚内に寄港後に小樽を目指すという予定であった。大鵬の親子だが、子ども達を連れていた母親が疲労や船酔いで体調を崩したため「小樽まで船で行くのは止め、とりあえず稚内で下船して、先のことを…」ということにした。そして未だ幼かった大鵬は母親と共に稚内で下船している。

大変に混み合った船での移動中に少し体調を崩し、小樽へ向かうつもりであったものが稚内で下船ということ自体「或いは他にも例が…」と思える話しなのだが…大鵬親子が乗っていた船は<小笠原丸>という船だった。<小笠原丸>とは…所謂<三船殉難事件>で潜水艦による攻撃を受けて沈んでしまった船だ。言葉を換えれば、大鵬親子は予定どおりに小樽へ向かうべく<小笠原丸>に乗ってままであれば、<三船殉難事件>で遭難していた可能性が高かった訳だ…

↓そういうことで、大鵬自身が「今日在るのは、稚内で下船していたから…」という話しを親しい人達にしていたことも在ったらしい…それを踏まえてこの碑の登場となったのだ…
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<小笠原丸>の件、<三船殉難事件>から75年である。未だ幼かった大鵬が母親と一緒に稚内で船を下りた時から75年である。往時、この稚内港が大勢の人々の命運を分ける地点になっていた訳だ…

↓大相撲の歴史に巨大な足跡を残した大横綱…そんな人物と稚内との縁を伝える碑を、好天だった休日の昼間に何となく眺めていたのだった…
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この碑が在る場所は拙宅から然程遠くもないのだが、何となく立ち寄る機会を逃していて、今般は漸く間近で眺めたのであった…

解き放たれない光…:早朝…:稚内港北防波堤ドーム(2020.08.17)

↓雲が多い早朝であった…雲に光が遮られてしまい、何やら暗いような気がしたが…戸外が酷く暗いという感でもない…
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↓厚めな雲が滞留している脇をドンドン雲が流れ、時折、雲の間に下弦の月が覗いていた…
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↓日出の時刻辺りを過ぎたが…雰囲気は変わらない…光が雲に封じ込められ、解き放たれない感であった…
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多分20℃に届いていない気温…寒いということはなかったが、時折抜けた風が冷たかった。半袖Tシャツの上に裏地が無いデニムジャケットを引掛けるような服装で出て、程好い感であった…

こういう早朝ではあったが…少し時間が経てば「夏らしい好天」という雰囲気になって行った…

夕刻に…:稚内港北防波堤ドーム(2020.08.16)

夕食を少し愉しんだ後、辺りを歩いてみた…

↓画の左が少し西寄りな側に通じているのだが、そちらの側が染まる日没の頃…稚内港北防波堤ドームに灯りが点いている…
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↓広場に足を踏み入れ、少し近くで稚内港北防波堤ドームを眺めた…
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↓この場所は、足元の“地図”が何となく気に入っている…
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この時季…こういう様子は午後7時前後に見受けられるという具合か…こういう様子が視られる時間帯も、少しずつ早めになって行っている…

白雲と陽光と…:稚内港北防波堤ドーム(2020.08.16)

休日の日中…少し戸外に出た…

↓強めな陽光の中を歩いたが…見上げれば白雲が随分多く拡がっていた…
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↓碧空の上に、丁寧に白雲を描き込んだかのような…そういう状況だったと思う…
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↓こんな日中の気温が…22℃や23℃であったそうだ…
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この日は各地で「危険な暑さ」と言われるような状況、「最高気温40℃」というような話題も聞こえていたが…冷涼な稚内は爽やかな感だった…