<藤堂高虎公>…:今治城(2020.08.03)

↓騎乗姿の武士…なかなかに貫禄が在る人物に見える…
03-08-2020 at Imabari (31)
今治城を訪ねた折り、石垣に囲まれて建物が建っている側に入り込み、この像に出会った。

↓<藤堂高虎公>と在る。この今治城を築き、城下町を開いたという人物である…
03-08-2020 at Imabari (30)
↑この像は、今治城の400年を記念するということで、2004(平成16)年に制作、設置されたということだ…

戦国時代末期の武将ということになる藤堂高虎であるが、こういうような「史上の人物達」に関しては、実は「小説やドラマ等の劇中人物としての好悪」で色々と語られているというような気がしないでもない…

藤堂高虎に関しては、色々と小説等での登場例は見受けられる。個人的には『虎の城』『下天を謀る』という各小説の主人公となっている“藤堂高虎”のイメージが気に入っている。

気に入っている『虎の城』『下天を謀る』の“藤堂高虎”…体躯に恵まれて武芸に優れた豪勇の士であるが、職人集団を巧みに指揮して新たな発想や工夫を盛り込んだ城を築くことを得意としていて、配下を動かして巧みに諜報戦を展開しながら外交交渉に胆力を発揮し、青年時代からの独自な価値観を信じ続けて行くというような人物なのだ…

↓この像…私が抱いている“藤堂高虎”のイメージに合っている感で、何か「好いなぁ…」と暫し眺め入ってしまった…
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今治城は、関ケ原合戦の後に伊予国で加増を受けた藤堂高虎が、新たな知行地での軍事、政務の拠点として築いたのである。濠を掘削し、海水を引き込んで「海に浮かぶような城」を築き、瀬戸内海の海運とも結び付き易い城下町を築いて領内の振興を目論んだという訳である。それまで「今張」とされていた地名を「今治」とするようになったのは、藤堂高虎の時代からであるとも聞いた…今治の街に関しては、或る意味では藤堂高虎の事績が“建都”という性格も帯びるのかもしれない。そこでこの像が登場したのであろう…

↓この種の像は、こういう角度で眺めてみても面白い…
03-08-2020 at Imabari (34)

今般、方々で様々な銅像を視る機会が在ったと振り返っている…
posted by Charlie at 18:40Comment(0)愛媛県

夕刻のホーム…:旭川駅(2020.08.08)

朝早くに奈良駅を列車で出発し、京都府、大阪府、兵庫県と県境を幾つも越えて尼崎に至り、少し西へ進んで三ノ宮駅から神戸空港へ移動し、新千歳空港へ飛んだ。新千歳空港から、札幌、岩見沢と乗換えながら列車で移動し、旭川に至った…

↓岩見沢駅で乗込んだ列車から下り、夕刻のホームに佇んだ…
08-08-2020 Asahikawa Station (3)
↑右側が岩見沢から乗って来た721系電車だ…左側で偶々停車していたのは「北海道内のローカルな列車…」という風情が強く漂うディーゼルカーのキハ40だ…

<青春18きっぷ>と航空券、加えて三宮・神戸空港間の愛用している<ICOCA>で、「奈良から旭川まで北上」ということになった…無事に長めな移動を終えた安堵感が溢れ、御願いする予定の宿に入ることは確定していたが、それでも「さて…どうしようか?」とぼんやりしてしまった…

到着して、乗って来た乗物を何となく眺めてぼんやりとする…「大きな無駄」と切り捨てられそうだが、自身にとっては「愛すべき束の間…」という感で、常々求めているのかもしれない。そんなことを思いながら、改札口へ歩を進めた…

<板垣退助先生像>…:高知城(2020.08.01)

文字どおりに「登城」というような感じで高知城に上がったのだったが…

↓その上る、下りるの坂道に入って行く辺りに銅像が据えられている…
01-08-2020 Kochi (49)
↑台座に<板垣退助先生像>と在る…幕末期の活躍も伝わるが、土佐出身の明治時代の政治家である板垣退助(1837-1919)の銅像だ…

板垣退助は議会制度の設立やその進展に功績が在ったという人物である。政党の設立にも携わり、党首も務めている。自由党総裁として遊説の途に在った1882(明治15)年に暴漢に襲撃を受けて負傷した際に「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだと伝えられ、この言は人口に膾炙している…

↓もしかすると?高知に所縁の人物として、最も永く敬愛されている人物は?或いはこの板垣退助なのかもしれないと思いながら、この像を眺めていた…
01-08-2020 Kochi (50)

「人々が選挙で選ぶ議員による議会が在って…」という、今では「当り前」な仕組みだが、実は多くの人の運動や様々な論争を経て登場し、定着している「なかなかに貴重なモノ」、或いは「大切にすべきモノ」というようなことにも思い至ってしまった…
posted by Charlie at 06:28Comment(0)高知県

<坊っちゃん列車>…:勝山町停留所付近(2020.08.02)

滞在した宿の直ぐ傍に路面電車の勝山町停所が在った…

↓路面電車が信号停車する場合も在る横断歩道の辺りで不思議な音が聞こえて「何の音?」と思えば…不思議なモノが現れた…
02-08-2020 Matsuyama vol02 (47)
↑蒸気機関車を思わせるモノが先頭で、小さな客車を牽引している。<坊ちゃん列車>と呼ばれているモノだ…乗務員の姿が見えるので「小ささ」が判り易いと思う…

松山で明治時代に敷設された鉄道は「軽便鉄道」と呼ばれる「軌道の間隔が狭い」モノであった。それ故に、専用の小型の機関車が小型の客車や貨車を牽引して列車が運行される。

この軽便鉄道の機関車や客車について、夏目漱石の小説『坊つちやん』の中、松山にやって来た主人公が列車を視て「マッチ箱のような汽車」と称する叙述が知られている。

伊予鉄道では、この夏目漱石の小説に因み、軽便鉄道の小型の機関車が客車を牽引するような外観の車輌を設えた。蒸気機関車の外観だが、これはディーゼルエンジンで動いている…そして効果音を発しながら走行するのだ…

↓信号停車の後に発車し、カーブを曲がって道後温泉へ向かう軌道を進んで行く…
02-08-2020 Matsuyama vol02 (48)
↑2001(平成13)年からこの<坊っちゃん列車>が運行されているそうだ。2編成在るそうだ…

↓一寸変わったモノを見せてもらった感だ…
02-08-2020 Matsuyama vol02 (50)

何やら、土日曜日に限定した本数で運行する体制としていたようで、何気なく戸外に在る時に偶々見られたというのは酷く運が好かったかもしれない…(視たのは日曜日だったが…休暇の中で曜日を然程意識せず「松山に…着いたなぁ…」と宿の直ぐ傍を歩いていた時に視たのだった。)或いは、松山の街に到着を歓迎して頂いたような感であると、勝手に気分好くなっていたのだった…
posted by Charlie at 05:51Comment(0)愛媛県

<山内一豊之妻>…:高知城(2020.08.01)

↓高知城にこういう像が在る…
01-08-2020 Kochi (20)
↑戦国時代頃と思われる女性と大きな馬の組合せという像だ…

↓少し引けば、台座に<山内一豊之妻>という彫像の題名が在る…山内一豊の妻は「千代」―名には幾つかの説も在るらしいが…―といい、山内一豊が他界した後は「見性院」(けんしょういん)と名乗ったという…
01-08-2020 Kochi (19)

高知城を築いたのは、関ケ原合戦の後に土佐国に封じられた山内一豊である。この山内一豊の妻という女性が「なかなかの人物」と伝わっている。

女性と大きな馬の組合せという像だが…これは?織田信長に仕えていた山内一豊は、「馬揃え」に際して名馬を買入れることを望んだが、それを購入する資金が足りなかった。妻はそれを知り、嫁入り前に親から貰って「何か大事な時のために」と密かに持っていた金を提供し、それで名馬を買入れ、山内一豊の面目が施されたという挿話が知られる。像はその名馬の挿話をイメージしたのであろう…

聞けば明治時代の末頃から昭和20年まで、教科書で「山内一豊の妻」という挿話が取上げられていたのだそうだ…夫をよく助ける妻…所謂「内助の功」ということで取り上げられていたという。山内一豊は土佐一国を知行地とする大名になったが、元は一介の浪人であった。「内助の功」で立身したという訳だ…

一国を知行地としたような、少し規模の大きな城ともなれば、色々な挿話の伝わる様々な人達が関わっていることであろう…そんなことがこうやって伝えられていたのは興味深い…
posted by Charlie at 05:07Comment(0)高知県

<HOKKAIDO STAGE AID>のロゴマークが入ったトートバッグ…(2020.08.23)

最近は“レジ袋”を「原則的に配布しない」ということになったようで、一寸したトートバッグのようなモノを持ち歩くのが好いような感だ…

トートバッグというようなモノに関しては、“レジ袋”の件と無関係に色々なモノを持っていて各々に使っている。布製の「一寸したモノを雑然と容れる袋」というようなモノは気に入っていて、色々と持っているのにも拘らず、何処かで「これ!好い!」と入手してしまうという場合も少なくない…

↓こんなモノを極々最近に入手してしまった…
23-08-2020 (8)
↑休日に何となく立ち寄った近所のカフェで撮った画だが…

↓大きさ比較のために少し前から愛用しているキャップとも並べてみた…
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↑所謂「A4版」という程度のモノがスッポリと収まる「よく在るサイズ」のトートバッグであると思う…

このトートバッグ…最近は随意な活動が展開し悪い感になっている、音楽や演劇等の活動を支援しようという<HOKKAIDO STAGE AID>のロゴマークが入っている。直ぐ近所の店で売られていて、半ば衝動的に、他の細々した買物の序に求めてしまったモノだ…

>>HOKKAIDO STAGE AID

とりあえず…音楽や演劇等の活動が随意に展開し悪いという状況を憂い、応援したいと思っているという意思表示のように、このトートバッグは時々利用したい…

<“坊っちゃん”と“マドンナ”>…:松山・大街道(2020.08.02)

夏目漱石は、松山出身の正岡子規と親交が深かったという…その関係で、夏目漱石は松山に足跡を残していると聞いていた…

松山城を訪ねようと少し繁華な大街道の辺りに出て、城の在る山へ上るリフトやロープウェーの乗場を探して歩いていた…

↓こういうモノに出くわした…所謂「書生さん」という出で立ちの青年…そして着物で袴を着用という女性…明治時代を大正時代を想わせる…
02-08-2020 Matsuyama vol02 (56)
↑これは、或いは「最もよく知られている松山を舞台にした物語」と言い得るかもしれない、夏目漱石の小説『坊っちゃん』の劇中人物だ…主人公の“坊っちゃん”と“マドンナ”とである…

“マドンナ”はとりあえずは「ヒロイン」ということになるのかもしれないが、作中に出番は然程多くは無く、“坊っちゃん”と深い関わりという程のモノが生じるのでも無かった…教員である“坊っちゃん”の同僚と婚約中だったという“マドンナ”で、横恋慕した上司の嫌がらせで同僚は他地域に異動を強いられ、“マドンナ”は赴任先へ向かうことを決めたというようなこと…であった筈だ…

この<“坊っちゃん”と“マドンナ”>は松山出身のイラストレーターである茂本ヒデキチの作品のイメージで創ったモノであるということだ。

「実は余り本は読まない…」という方でも、「聞いたことが在る文芸作品の題名」として夏目漱石の小説『坊っちゃん』は挙げられる…そういう位に知名度が高い作品だが…「改めて真面目に読んでみようか?」と、松山で作品が愛され続けていることに思い至って考えてしまった…

私は「予習」よりも「復習」を重視する傾向かもしれない。初めて訪れるような場所に関して、「予習」は然程やらない。訪ねてみて「アレは何だった?」と調べて「復習」ということが多い。松山と夏目漱石や正岡子規というようなことに関しても、「訪ねて出くわして関心が沸き…」という感だ。こういうような出会いが面白いので、思い付いて何処かを訪ねてみるようなことが止められないのだ…
posted by Charlie at 03:31Comment(0)愛媛県