
↑何やら見入ってしまう独特な雰囲気が在る…
↓建物の縁側に囲まれるように、池の在る庭…と言うよりも「池を中心にしている?」というように見える庭が設えられていた…

↓上の画の辺りから振り返ると、池の拡がりが何となく判る…

智積院とは、高野山の学僧が開いて隆盛を誇っていた根来道場が1585(天正13)年に豊臣秀吉の軍勢による攻撃を受けて荒廃したことから、その再興を目指したという場所であるのだという。
玄宥(げんゆう)僧正が京都東山で1598(慶長3)年―豊臣秀吉の薨去の年…―に道場再興を目指して活動を始めたことを起こりとしている。1601(慶長6)年に徳川家康の命で坊舎や土地が授けられ、祥雲禅寺を拝領して境内伽藍が順次整備されて行ったという。
智積院の正式名称は「五百仏山(いおぶさん)根来寺智積院」と言うそうだ…
↓それにしても独特な風情の池と築山である…

↑土地の高低を利用して築山を造って、その前面に池を掘ったそうだ。山の中腹や山裾に石組みを配して変化を付けているのだという。山は中国の盧山というモノを象ったそうだ…
庭そのものは、現在に受継がれる智積院の前身ということになる祥雲禅寺の時代に原型が造られていたのだという。その後、智積院の庭として整備が進められた訳だ。
智積院には、“国宝”の指定を受けている障壁画が受継がれている。祥雲禅寺の時代に描かれた作品群で、収蔵庫に収められており、拝観することも出来る。その障壁画というのが、庭を眺められるようになっている建物に据えられていたのだとも聞いた…
何か学僧達のイマジネーションを刺激していたかもしれない「独特な小宇宙」が封じ込められたかのような、何となく不思議な魅力の庭園だと思ったのだった…