<双龍図>…:建仁寺(2020.12.22)

京都の祇園に宿を求めることにした最初の夕べに辺りを歩いた。名が通った禅寺である建仁寺の境内の一部が普通の歩行可能な道という様相で、通り抜ける場面が在った。

そういうことが在って、翌日の午後に少し時間を設けることも叶ったので「そう言えば…訪ねてみたことが無かった…」と思い付いた建仁寺をゆっくりと拝観した…

↓驚いたのはこれだった…
22-12-2020 Kyoto vol01a (138)
↑特段に「御遠慮願う」というような指示も見受けられなかったので、驚いた記憶を留めておこうと撮ってしまった…

建仁寺も京都の古寺では多く見受けられるように、伽藍が様々な事由で損なわれ、それが再建されるということを繰り返している。

拈華堂(ねんげどう)とも呼ばれる法堂(ほっとう)は1927(昭和2)年の建物であるというが、この堂内の天井に「建仁寺創建800年」を記念して2002(平成14)年に据えられたのが<双龍図>である。口を開けた阿(生を意味する)と口を噤んだ吽(死を意味する)の二つの龍が描かれている。

↓高い天井に据えられているので大きさが見た目にやや判り悪いが縦11.4m、横15.7mで、畳108枚分にもなるのだという。この寸法は後で調べて判ったが、現場で視れば大きさに圧倒されてしまう…36枚のパネルに描かれ、天井に貼り合わせたのだそうだ…
22-12-2020 Kyoto vol01a (142)

それにしても凄い迫力だ…
posted by Charlie at 11:07Comment(0)京都府

アイリッシュコーヒーを一杯…:<宮越屋珈琲 ESPRESSO BAR>(2020.12.29)

↓濃い珈琲、アイリッシュウイスキー、クリーム…秀逸だ!札幌都心でアイリッシュコーヒーを頂いて一息…
29-12-2020 Sapporo (13)

↓こんな階段を下りる地階のフロアーに在るカフェだ…
29-12-2020 Sapporo (10)

↓こんな店構え…或いは入口だ…
29-12-2020 Sapporo (8)

↓入口にこういうような掲示が在った…
29-12-2020 Sapporo (9)

↓全てのの席、或いは各テーブルに灰皿が置かれていて、随意に煙草を点けて構わない場所だ。札幌都心では「多少、希少価値?」ということになるのかもしれない…
29-12-2020 Sapporo (16)

「こういう場所」であるが故か、来店客は途切れず、なかなか活気が在ったかもしれない…随分と以前にも立寄ってみた記憶は在るが…「好い場所」が増えた感だ…

それにしてもアイリッシュコーヒーが酷く美味かった…

冷える…:札幌(2020.12.31)

目下、札幌市内に在るのだが…

↓朝に戸外の様子を伺って、こういう様子を見掛けた…
31-12-2020 Sapporo in early morning (4)
↑滞在している先の玄関、金属の支柱である…空気中の水分が凍ったというのか、雪の結晶というのか、何やら不思議な感じだ…

思わず、一度屋内に入ってカメラを引っ張り出して、また戸外に出て写真を撮ってしまった…

気温は「氷点下二桁」に及んだという。確かに戸外は冷えていた…何やら広い範囲で寒気に覆われて、天候が崩れる場所も出て来るらしいが、手近な札幌辺りではとりあえず「冷えた晴天」という様相の朝だ…

黒いキャップ…:<大阪近鉄バファローズ>(2020.12.27)

稚内から苫小牧に南下し、海路で仙台に上陸し、新幹線の列車を乗り継いで大阪に至り、根来、信貴山、高野山、京都、奈良と関西方面に在って、名古屋に至って津島にも寄り、東京へ移動して新幹線の列車と在来線の列車で札幌へ…

↓この「飛ばなかった…」旅の最初から最後まで、自身と共に在ったキャップだ…
27-12-2020 my favourite cap

<HRC Tokyo>に立寄った際、言葉を交わした人達の一部が「好い感じの帽子!」と言っていたが、自身でも凄く気に入っている代物である。<近鉄バファローズ>としての長い経過の中で登場した「猛牛」のマーク…かの岡本太郎のデザインと伝わる代物で長く使われていた。これが「球団合併」で姿を消す少し前、短い期間に<大阪近鉄バファローズ>と名乗って活動した頃、この「猛牛」のマークをシンプルに使ったキャップを選手や監督・コーチが着用した。そのデザインをアレンジして、「全部が黒」で作った代物を入手して愛用している…

帽子に関しては、「何時の間にか何処かで落としてしまうか、忘れてしまうで紛失…」という残念な例も無いでもないのだが…これは大事にしたい感になった。更に、来年は丑年なので、牛を念頭に置いたデザインのモノは縁起が良いかもしれない…

被って出掛けた帽子を途中で失くしてしまうことなく、無事に被って戻っていると、何となく札幌で眺めながら写真に収めてしまったという訳だ…

御朱印帳(2020.12.31)

↓札幌に在って、手元のこういうモノを何となく眺めた…
31-12-2020 Sapporo in early morning (1)
↑御朱印帳だ…昨年9月、所用で暫く札幌に滞在した後、方々に寄道をしながら稚内へ引揚げようとした際、札幌都心部の店で求めたモノだった…

方々の神社で御朱印を頂いた…

↓この御朱印帳には下記の場所で御朱印を頂いた…

船魂神社(函館)(R01.09.02)、函館八幡宮(R01.09.02)、岩見沢神社(R01.09.03)、旭川神社(R01.09.03)、上川神社(R01.12.15)、住吉神社(小樽)(R01.12.21)、水天宮(小樽)(R01.12.21)、湯倉神社(函館)(R01.12.24)、御霊神社(京都・上御霊)(R02.03.30)、宇治神社(R02.03.30)、宇治上神社(R02.03.30)、清明神社(R02.03.30)、八坂神社(京都・祇園)(R02.03.31)、城南宮(R02.03.31)、率川神社(R02.03.31)、宇太水分神社(R02.04.02)、龍田大社(R02.04.02)、豊國神社(大阪城)(R02.04.02)、姫路神社(R02.04.03)、琴似神社(R02.05.30)、北海道神宮頓宮(R02.09.05)、志波彦神社&鹽竈神社(R02.12.18)

これらを視れば、各々の場所を訪ねた時のこと等、色々と想い起す…この御朱印帳も大切に保管したい…

<総長大隈老侯像>…(2020.12.26)

東京に1泊で、少しばかり時間を設けて随意に歩き廻ったのというのは、何となく久し振りなことだ。随分と以前に住んでいた辺り…今般は一寸立ち寄ってみた…

↓周辺の建物の様子は何時の間にか随分と変わったように思ったが、佇む銅像は「相変わらず…」という感だ。
26-12-2020 Tokyo... vol01 (80)

↓この銅像…眺めるのも随分と久し振りだと思う。
26-12-2020 Tokyo... vol02 (5)

↓銅像の脇の建物が「こんなに背が高かっただろうか?」と一寸考えてしまった…
26-12-2020 Tokyo... vol02 (10)
↑銅像の顔を見ると、「随分以前のテレビ時代劇で『水戸黄門』に出ていた御老公役の俳優に似ている…」と思うことが在る。晩年の大隈重信は、所謂“元老”ということにこそならなかったが、首相を含む要職を経験した大物ということで、“水戸黄門”か何かのような「御意見番」的な存在感が在ったようだ…

↓これはこの大隈重信の像が据えられた場所のイメージとしてよく知られているような様子であろうか…大隈重信は、自らが創立に携わった大学を随分と愛していたと伝えられる…
26-12-2020 Tokyo... vol02 (8)
↑こういう様子は「何時までもこういう感じで…」と一寸思ってしまう…

時にはこういうような辺りにふらりと寄るのも悪くないかもしれない…
posted by Charlie at 07:06Comment(0)東京都

<高野山トートバッグ>…(2020.12.20)

↓梵字が書き込まれている…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' -souvenir (3)
↑左から「勝負運がよくなる梵字」、「毎日元気で力強く生きるための梵字」、「災いを除ける梵字」という意味であるそうだ…

↓こういう具合に売られていたのを購入したのだった…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' -souvenir (1)

↓これが、高野山の土産のトートバッグなのだ…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' -souvenir (4)

最近は、買物の際に求めたモノを容れるバッグのようなモノを持ち歩く方が都合が好い感じになっている。高野山でこのバッグを求めた後、各地でこれを早速使っている。記事を綴っている時点で札幌に在るが、札幌でも使っている…

出先で一寸気に入ったトートバッグを見付けると、思わず入手してしまう。こういうモノは何個在っても邪魔にはなり悪いと思うからだ…

バッグに在る梵字に込められた「勝負運がよくなる」、「毎日元気で力強く生きる」、「災いを除ける」というような効果が如何程在るのかは判らない。が、高野山を訪ねてみた時のことを思い出しながら、愉しく使える実用品で、既に存外に役立っていることは間違いない…

※ 写真そのものは大阪の宿で撮っているが、高野山で入手したグッズなので記事は「和歌山県」のカテゴリに収めたい。

「飛ばなかった…」旅からの帰着後雑感…:運行日誌(2020.12.17-27)追記

月の下旬に少し時間を設けて動いてみれば、直ぐに月末に至ってしまう。動いたのが12月となれば、月末は即ち年末でもある。

年末、自身にとっては「札幌で“居候”…」ということが恒例化している。月の下旬の動きから、そのまま「札幌で“居候”…」という状況にスライドした。

時間を設けて動いたのは非日常だ。恒例化している“居候”は、半ば日常ながらも、一部は非日常だ。

「予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず」というのは、かの松尾芭蕉の『奥の細道』に在る一節だったと思うが、「漂泊の思い止まず」ということで、時間を設けてフラフラと出てしまい、何となく戻った。

今般、余りにも「訪ねてみたいあそこ」という場が多く、何をどうしたものか、なかなか収拾が困難だった。「困難…」とは言っても、「勝手に迷っている」に過ぎず、どうということもないのだが…

とは言え、実際に「航空券を申込む!」、「止めた…」を何度かやって、「とりあえず<青春18きっぷ>=普通列車で、可能な範囲で随意に動くことが出来る」ということにして、改めて考えた。結果、「苫小牧に至ってフェリーで仙台にとりあえず上陸」ということにしたのだった。

今般、少なくとも<真言宗十八本山>の件は頭に在った。既に「十八本山」の18ヶ寺を巡った件については綴ったが、夏に思い付いて着手した「18ヶ寺巡り」の「残り」を何とかしたかった。

この「18ヶ寺巡り」の「残り」をどうかしようとすれば…A 交通至便な大阪の何処かに陣取り、根来寺、信貴山、高野山を巡る、B 京都または京都へ出易い辺りにに陣取り、京都の未踏4寺を巡る、C AとBとの移動に際して、阪急沿線の宝塚市内の2寺を巡るということをすれば、順番はどうでも構わないが、「18ヶ寺巡り」の「残り」を訪ねるということは可能であると見受けられた。

他方で「仙台に上陸」となれば、そこから訪ねたい、寄りたいは無制限に多々在るということで、益々収拾困難に陥る。フェリーの船内で寛ぎながら、随分と考えたのだ。

その結果、仙台上陸後に比較的速やかに大阪へ移動し、上述の「18ヶ寺巡り」の「残り」に向けた案を実施し「十八本山」の18ヶ寺巡りの成就を目指すこととした。

それ以降は?気紛れに、前夜やその日の思い付きのように動き回った。北海道へ引揚げる段取りに関しては、何時かも利用した新幹線の列車と北海道内の特急列車の乗継で札幌に到るということにして、それに備えて東京駅至近で前夜を明かすということは、少し早く決めた。

となると…関西から東京は何処をどのように通っても構わなかった。北陸や信越を経るということも思い付いた。紀伊半島を広く巡るようなことも思い付いた。四国や九州に向かって、そこから東京へ飛ぶことも考えた。が…何れでもなく、関西滞在を少しだけ伸ばし、名古屋を経て東京へという、やや無難な経路になった…

結果として…今般は「飛ばなかった…」という旅だ。空路を利用する機会を設けず、列車や船での移動を重ねていたことになる…

今般…「18ヶ寺巡り」の「残り」―根来寺、朝護孫子寺、金剛峯寺(高野山)、清荒神清澄寺、中山寺、大覚寺、醍醐寺、随心院、教王護国寺(東寺)―の9寺の他、建仁寺、法隆寺、興福寺、東大寺、葛井寺、観音寺(津島)、大須観音を訪れた。神社に関しては、鹽竈神社、松尾大社、辛国神社、津島神社、若宮八幡社、富岡八幡宮、穴八幡宮、神田明神を訪れた。また、大阪で大浪橋、岩松橋、千歳橋を、東京で永代橋、中央大橋を写真に収める機会が各々に在ったが、橋梁を眺めるというようなことも重ねたという記憶が残る…

こういうこと―合わせて16寺、8社に立寄った…更に社寺の辺りを漫然と通り過ぎてしまっているというのも在ると思う…―をやっていると、或る種の“巡礼”という様相を呈しているかもしれないが、そういう意識は薄い…社寺に関しては「歴史や文化や地域活動を象徴するような場」として、関心を覚えるので訪ねているに過ぎない。或いは「景色が好いので眺めに…」ということも在る。加えて社寺では「自身がここに在る」ことに関して、「各訪問先へ無事に着いたこと」について感謝の意を表しようと社寺で参拝し、可能であれば御朱印を頂く場合も在るということだ…

何処かを訪ねてみる場合、訪ねる先が何か特別である必然性は無いと、今般改めて思った。訪ねる先々の「普通…」な感じの中に何となく御邪魔するだけで十分だ…最近の関心は、何となく社寺に傾いていて、社寺を訪ねるようなことをしながら方々の街を随意に動いたというような感だった…

こうした営為から何を見出したのか?見聞等に関しては、追って少しずつ―一部は先行して素早く綴って出してしまっているが…―整理したい。マダマダ十二分に記憶が新しい間に、簡単な纏めをしようと、この記事を綴っている訳だ。

巷で「GoTo」なるものが如何したこうしたと話題になってはいるようだが…自身としては「Go to XX」と誰かに命令形で言われるまでもなく、何時でも「漂泊の思ひやまず」というもので、時間が設けられれば何処へでも可能なように出掛けるだけのことだ…そして今般は出掛けた。

戻ってみて、早速に「“次”に機会が在れば?」と何となく思っている側面も否定し悪い…

或いは「今年の些か特殊な事情?」ということも在るかもしれないが、「達成感のようなモノと縁が薄かった?」という中、「十八本山」の18ヶ寺巡りの成就は「少し大きな達成感!」というように思っている一面が在る…

中金堂…:興福寺(2020.12.23)

興福寺の永い歴史の中、伽藍は幾度も損なわれ、再建が繰り返されて来た…中には「灰燼に帰す…」という程度に甚大な被害が生じてしまったという例も在る。そういう例の一つである源平合戦の頃に奈良が焼かれてしまった件に題材を求めた時代モノの小説を少し前に読んだ経過も在った。

そんなことも知りながら興福寺の辺りを歩き廻ると、「福力を興さしむ」(令興福力)(りょうこうふくりき)という経の句から寺の名を命名し、「福を起こす場となる寺に…」という名に込められた願いが行く世代にも亘って、幾多の困難を跳ね返して受継がれているのであろうということに思い至る…

↓興福寺の境内で、現時点では最新の建物であると思う。中金堂だが、これが再建されたというのも、草創期から幾世代にも亘って受継がれている想いの故なのであろう…
23-12-2020 (4th)(at Nara or Check in.. (6)

中金堂は伽藍の中核を成すような重要な存在で、興福寺の創建の頃には設けられたと伝わる。そして6回もの消失と再建が繰り返されたという。

1717(享保2)年に焼失してしまった後には、財政的な事情で再建が進まないままに時日が過ぎ、1819(文政2)年に寄進を受けて規模を縮小した“仮堂”が築かれた。

この“仮堂”の老朽化も進んでしまったことから、2000(平成12)年に解体した。そして現地の発掘調査も重ね、往時の姿の中金堂を再建する計画が練り上げられた。2010(平成22)年の立柱式、2014(平成26)年の上棟式を経て2018(平成30)年に再建の落慶となったのだった…

↓正面の幅が37mで、奥行きが23mであるそうだが、なかなかに大きい…様々な外来文化の影響も色濃いと思われる奈良時代の大きな寺の堂であるので、眺めていると「古代中国の宮殿?」というような感も抱いた…
23-12-2020 (4th)(at Nara or Check in.. (4)

↓「ここは視ていなかった…新しいモノでもあるが…」と思い付いたので、今般はゆっくりと拝観した。堂の柱の間から五重塔の姿も覗き、往年の絢爛豪華な伽藍を想像した…
23-12-2020 (4th)(at Nara or Check in.. (8)
↑堂内には「釈迦如来坐像」を中心に幾つもの仏像が安置されている…

興福寺は、奈良を訪ねれば近くを通るような機会も多い。場所も近鉄奈良駅の近所なのだ…こういう具合に拝観するようなことも繰り返し、少しずつより深く親しみたいような感である。
posted by Charlie at 21:12Comment(0)奈良県

<岩松橋>…(2020.12.19)

「多少早起き?極々短い散策…」というのは、拙宅に在っても、出先に在っても変わるものでもない…

↓川辺に整備された緑地を歩けば、こういう具合に橋が視えた…
19-12-2020 Osaka area (1)
↑佇んでいる辺りの住所は大阪市西区で、橋を渡れば大阪市大正区だ…そしてJRと地下鉄の大正駅の入口が近い…

↓これが<岩松橋>である…66.44mの長さであるという。
19-12-2020 Osaka area (4)

1922(大正11)年に路面電車を通そうとした際、現在の西区から大正区への橋が初めて架けられ、当時の架橋した地域の住所の文字を採って<岩松橋>と命名されたそうだ…

↓早朝の未だ暗い時間帯なので静かだが、ここはなかなかに交通量が多いように見える場所だ。開通した頃は14.55m(歩道1.5m)という幅員であったというが、後に拡幅されて現在は幅員35mだ…
19-12-2020 Osaka area (3)

↓橋を渡って後ろを振り返った…恐らく、嘗ては橋を支える構造であった鉄骨が拡幅された橋の真中にオブジェのように残されたのだと見受けられる…視る角度が変わる都度に色々な見え方で、少し面白い感じだ…
19-12-2020 Osaka area (6)

色々な橋が見受けられる大正区辺り…訪ねたり、滞在したりが存外に面白い…
posted by Charlie at 15:28Comment(0)大阪府

<鉄板ナポリタン>…(2020.12.25)

近鉄の特急<ひのとり>で名古屋に着き、そのまま名鉄の列車を利用して津島を訪れ、観音寺津島神社に立寄り、また名古屋駅に引揚げた。そうすると「ランチタイム…」というような感じだった…

何やら「あそこだけで一つの都市…」というような趣の名古屋駅には、色々な場所に色々なテナントが入って営業していて、何処が何であるか、不慣れであれば非常に判り悪いのだが、とりあえず「一寸したランチ」が愉しめそうなカフェを発見して立寄ってみた…

↓こういうランチを頂いた…
25-12-2020 (part 3) (at Nagoya)  (3)
↑「名古屋発祥」というモノらしい…<鉄板ナポリタン>という…

肉類と、玉ねぎやピーマン等の野菜をトマトケチャップ味に炒めたスパゲッティ…所謂「ナポリタン」は、スパゲッティの母国たるイタリアには無いという「メイドインジャパン」な料理である。これの起こりには諸説在るようなのだが、この「ナポリタン」を洋食店でステーキやハンバーグなどが冷めないように用いる鉄製の皿に盛って出すようにしたのは、名古屋の喫茶店で、1960年代頃だったそうだ…熱々に熱したステーキ皿に「ナポリタン」を盛って、溶き卵を掛けて更に保温性を高めるというようになっているそうだ…

↓これがその<鉄板ナポリタン>だと、暫し見入ってしまい…「熱っ!!」という感じなので、少しフーっと吹きながらゆっくりと頂いた…
25-12-2020 (part 3) (at Nagoya)  (2)

他地方でも在るような気もするが…これが名古屋では文字どおりに「鉄板!!」な定番でもあるらしい…少し興味深かった。こういう「さり気ないモノ」に出くわすのが出先で過ごす愉しさでもある…

後から聞けば…「ナポリタン」に関して、名古屋以西では「イタリアン」という言い方もポピュラーであるといい、「鉄板イタリアン」と言う場合も多いらしい。が、自身で頂いた店では<鉄板ナポリタン>と呼ばれていた…
posted by Charlie at 11:13Comment(0)愛知県

津島神社…(2020.12.25)

「全国天王総本社」という、些か物々しいようにも見える冠が着いた津島神社…愛知県の西方、名古屋から名鉄の列車で二十数分というような辺りに鎮座している。

津島駅を出ると、直ぐに津島神社に通じる道は判る…そこを真直ぐ進む…実際には、観音寺に立寄った後、駅の正面側に戻って、そこから歩を進めたのだが…

↓社の手前には大きな木が在る…
25-12-2020  (part 2) (visiting Tsushima, Aich pref)  (20)

↓大きな楼門に行き当たる…
25-12-2020  (part 2) (visiting Tsushima, Aich pref)  (12)

↓門の傍にも大きな木が在る…葉が色付く季節には、恐らく見事な様子なのであろう…
25-12-2020  (part 2) (visiting Tsushima, Aich pref)  (10)

↓この時の明るい天に楼門が映えていた…
25-12-2020  (part 2) (visiting Tsushima, Aich pref)  (13)

古く「津島社」と呼ばれた津島神社である。仏教の伝来の後に「神仏習合」という考え方が生まれて拡がり、、御祭神「建速須佐男之命」は「牛頭天王」に替るようになって行った。そして「津島社」は寧ろ「津島牛頭天王社」と呼ばれるようになり、江戸時代まではそういうように呼ばれていた。「津島牛頭天王社」の神職は、古くから疫病の流行という事態になれば方々を、西は琵琶湖の辺りまで、東は鎌倉の辺りまで広く駆け回って疫病退散の祈祷を行い、「牛頭天王」への信仰を各地へ拡げ、「全国天王総本社」というようになって行ったのだ。

年末に立寄ったので、新しい年を迎えて行く準備に勤しんでいるような様子も見受けられたが、大勢が溢れているというのでもないにせよ、余り切れ間なく参拝者が見受けられるような状態であった…

↓伝統の格式ある社らしい、凛とした雰囲気が好ましかった…
25-12-2020  (part 2) (visiting Tsushima, Aich pref)  (15)

この社で「自身がこうしてここに在る」ということについて、初めて津島の地を訪れることが叶ったことについて感謝の意を表し、そして「悪疫退散」の特別御朱印を頂いた…

↓そしてこちら、南門から外に出たのだった…
25-12-2020  (part 2) (visiting Tsushima, Aich pref)  (16)

一寸思うのは、「全国天王総本社」ということで、関係の信心を有している人達の間で津島の知名度は高いと思う。が、名鉄のネットワークを外れているような地域では、津島の知名度は然程高くないような気がする。それでも、こうして訪ねてみて、何か「好いな…」という空気感が在った。そういうものに何となく出くわすことが出来るというのが、然程細かい予定を練るのでもなく出掛けてみるということなのだと思う…

もし「次の機会」が在れば、もう少し津島の色々な場所に立寄ってみたい感だ…
posted by Charlie at 10:28Comment(0)愛知県

<M101>…:幌南小学校前停留所&電車事業所前停留所:札幌の路面電車(2020.12.29)

札幌に在って、時間が許すのであれば、「路面電車に乗って沿線を動き回りながら路面電車を眺める」というような一時を過ごしてみたいと思うことが在る…

↓天候にも恵まれたと思いながら、その「路面電車に乗って沿線を動き回りながら路面電車を眺める」というような一時を過ごしていて、幌南小学校前停留所に在った…
29-12-2020 at Sapporo (55)

↓少し変わった外観の車輛がやって来た…<M101>である。
29-12-2020 at Sapporo (57)

<M101>は1961年に登場した。現在でも走っている車輛にもう1輛の自走不可の車輛を連結した形のモノとして登場し、混み合う時間帯を中心に運用されていた。

<M101>は、混み合わない時間帯には連結されていた車輛を切り離すことも出来たが、切り離した側が集電装置を付けていない自走不可なモノで、更に切り離しと連結に手間も要するので、連結された状態が殆どであったという。更に“連結”と言っても2つの車輛の間が往来出来るのでもなく、運賃の支払いを受けるようなことで、乗務員を連結された側の車輛にも配する必要が在り、結果的に色々な意味で使い悪いということになった。そういう訳で、同型の車輛は製造されずに終始したようだ…

1970年に至り、連結される側の車輛は廃車になり、<M101>の側はワンマン運行用の改装が施されて現在に至っているのである…

↓<M101>の車内でこういうモノが見受けられる…
29-12-2020 at Sapporo (58)
自身でも大変に愉しく観た想い出が在る映画『探偵はBARにいる』でこの車輛が登場している。主演した大泉洋のサインが在った…映画『探偵はBARにいる』でこの車輛は、主人公の“探偵”が関係者に事情を尋ねるべく出掛ける場面で、“探偵”が乗車しているのだ…

↓電車事業所前停留所に着いて下車した…
29-12-2020 at Sapporo (60)
↑1990年前後から、札幌の路面電車は「STカラー」と呼ばれる明るめな緑を基礎にした外観、または広告となっているのだが、<M101>は「嘗ての標準的な塗装」がそのままとなっている…

↓暫く様子を視ていると<M101>は発車した…
29-12-2020 at Sapporo (61)

↓反対側の軌道にも、随分と以前からの形状を留めている車輛が走っていた…
29-12-2020 at Sapporo (63)

↓もう“還暦”という車輛であるが、永く活躍し続けて欲しいものだ…
29-12-2020 at Sapporo (65)

一寸気に入っている「往年の雰囲気を色濃く伝える車輛」なので、<M101>に出くわして乗車すると、少しだけ嬉しくなる…

ユニークな御朱印…:津島 断ち切り不動尊 ― 牛玉山 観音寺(2020.12.25)

名鉄の津島駅を出て、「一つめの信号を暫く進むと左手に見える喫茶店<トキオ>さんを左折」とメモをして訪ねようとした場所であるが…

↓この「<トキオ>さん」を最初に見逃してしまい、辺りを何度もグルグルと廻り歩く羽目に陥ってしまった…今後のため、この場所「<トキオ>さん」の画を掲出することから話しを起こしたい…
25-12-2020  (part 2) (visiting Tsushima, Aich pref)  (6)

「尾張津島」という場所に、何となく興味を覚えた…

かの織田信長の家は、尾張の中での抗争に勝ち残って広く覇を唱えて行くことになるのだが、父の織田信秀の代から、拠点とした地域の経済力を背景に力を蓄えてと言われる。その拠点として挙げられている地域が「尾張津島」である。

現在は愛知県津島市であるが、ここは辺りの幾つかの町が合わさって津島市ということになったようである。名古屋から名鉄の列車で二十数分という感じの地域だ。名古屋との間で移動に要する時間としては、以前に立寄った隣県である三重県桑名市と然程の差は無いような気もした。

津島は<牛頭天王社>(=現在の津島神社)の門前町として賑わってあり、木曽川の舟運の拠点ともなっていた。その経済力が、戦国時代にも非常に重要であったということだ…

そんなことで漠然と関心を覚えた津島に関して、「名古屋に寄る機会でも在れば、一寸足を延ばそう」と思い付いたのは、ある小さな寺での活動に関して耳にしたからである。

現在の津島神社が<牛頭天王社>とされていた頃には、「神仏習合」というようなことで<神宮寺>というモノが在り、その傘下に多くの僧房が設けられていた。そうした僧房の流れを汲む寺が現在でも幾つも在って活動しているという。

↓その<神宮寺>の僧房の流れを汲む寺の一つに「津島 断ち切り不動尊」―「悩み、苦しみ、病気などを智恵の利剣で断ち切り、強い意志を持って進む力を与えて下さる」という…―として親しまれる<牛玉山 観音寺>(ごおうざん かんのんじ)が在る。
25-12-2020  (part 2) (visiting Tsushima, Aich pref)  (7)

↓正直、やや読み悪い位置になっていたが、<神宮寺>の僧房の流れを汲む寺である旨が紹介されていた。
25-12-2020  (part 2) (visiting Tsushima, Aich pref)  (8)

この観音寺が一部に注目されている。画の得意な副住職が創るユニークな御朱印が大変に好評であるというのだ。それを頂いてみたいと思ったのだ…

↓大日如来の姿をイメージした劇画風なイラストを入れたモノが在った…
25-12-2020  (part 2) (visiting Tsushima, Aich pref)  (27)

こういう素敵な「作品」という様相のモノは、画や文字を刷っておいて、そこに押印して日付を書き込むようになっている。御朱印帳の見開きになる頁に貼り付ける訳だ…

↓愛染明王が在った…
25-12-2020  (part 2) (visiting Tsushima, Aich pref)  (26)

↓更に阿修羅も在った…
25-12-2020  (part 2) (visiting Tsushima, Aich pref)  (25)

画の得意な副住職が創るユニークな御朱印が大変に好評という中で、津島に在って独自な活動を展開しようとしている様子で、なかなかに面白いと思った。何やら津島は、<神宮寺>の僧房の流れを汲む寺に限らず、「寺院密集地域」と言われる程度に寺が目に付く地域で、各寺の関係者等で地域を盛り立てようとしている様子が伺える。そういうようなことを、可能な範囲で出来るように手掛けようとしてみる様子は少し好ましいと思う。

自身の御朱印帳に、通常型の御本尊である不動尊の号と寺名を書き込んだというモノも頂いたが、写真を掲載したユニークな副住職による作品も頂いた。持ち帰る中で傷めてしまっては申し訳ないので、その場で折り畳んで御朱印帳に確り収めるようにしていると、副住職が糊を貸して下さったので確りその場で貼り付けた…

何か干支によって“守護”の仏様が在るというのだが、自身の干支である申年は大日如来なのだという。そういうことで、大日如来のイラストというのは、何となく嬉しいと思った。

或いは今般津島に立寄ったのは「偵察?」というような感で、また訪ねてみたいと、離れた直後から思っている…
posted by Charlie at 05:29Comment(0)愛知県

<ひのとり>に乗車…:鶴橋・名古屋間(2020.12.25)

近鉄の列車に乗って、奈良から名古屋へ移動することとした。

早朝に近鉄奈良駅の窓口で駅員さんに訊ね、大阪側へ向かい、鶴橋駅で特急列車に乗って近鉄の名古屋駅へ出るということにした。3月に登場したという新しい車輛による特急列車<ひのとり>に乗車するということになった…

↓鶴橋駅でホームに佇めば、反対方向、大阪難波駅側へ走っている<ひのとり>を見掛けた…
25-12-2020 (part 1) (The Way from Nara to Nagoya via Osaka) (8)

↓近鉄の主要駅では、こういううような「出発列車案内」の掲出が見受けられる。アルファベット…英語版も出て来る。“Nara”とか“Nagoya”と在ると、“奈良”とか“名古屋”というのと、一寸違うような、不思議な気分になった…
25-12-2020 (part 1) (The Way from Nara to Nagoya via Osaka) (7)

↓定刻で列車は鶴橋駅に現れた…
25-12-2020 (part 1) (The Way from Nara to Nagoya via Osaka) (12)

<ひのとり>に乗車するための“特急券”を御願いする際、「“プレミアム”と“レギュラー”が在りますが、何方に?」と尋ねられた。“プレミアム”は「2列+1列」の座席配置で6輛編成の先頭か最後尾だ。“レギュラー”は「2列+2列」の座席配置となる。「1人でゆったりと…年に何度も乗車機会が設けられるのでもない…」と思い「“プレミアム”の1人掛けの席を…」と御願いすればアッサリと確保出来た…

↓これが利用することになった座席だ…包み込まれるかのようなシートだ…
25-12-2020 (part 1) (The Way from Nara to Nagoya via Osaka) (13)

↓隣の2列の席も空いていたので、一寸写真に収めておいた。
25-12-2020 (part 1) (The Way from Nara to Nagoya via Osaka) (14)

こういうシートの「2列+1列」が1輛の中に7つ…21席設けられていた。シートの前後の間隔も広い。加えてシートはリクライニングするようなことをしても、後方に何らの干渉も無い。大き目なシートがカプセルのようなモノに包まれたような造りなのだ…

↓利用中で有効期間の中であった<3日間全線フリー>を“乗車券”とし、奈良駅で<ひのとり>に乗車するための“特急券”を求めたのだった…
25-12-2020 (part 1) (The Way from Nara to Nagoya via Osaka) (24)

↓乗車していたのは先頭側となった1号車であったが、車輛の後方はこういう具合になっていた。
25-12-2020 (part 1) (The Way from Nara to Nagoya via Osaka) (15)
↑嵩張るモノを預けるロッカーが設えられている他、“カフェコーナー”というモノが在った。

↓専用のカップを機器に据えて、200円を投じると珈琲等が出て来るというようになっている。
25-12-2020 (part 1) (The Way from Nara to Nagoya via Osaka) (17)
↑機器は、近年は各コンビニチェーンで見受けられる「カップに入る珈琲」を用意するモノのバリエーションだと思う。あの各コンビニチェーンの珈琲のような按配で、珈琲が出来上がる…

↓確りとロゴが入った専用のカップが用意されている…
25-12-2020 (part 1) (The Way from Nara to Nagoya via Osaka) (18)

↓<ひのとり>の愛称に因むイラストのロゴの他、アルファベットの<HINOTORI>というロゴも在って、カップの反対側に在った…
25-12-2020 (part 1) (The Way from Nara to Nagoya via Osaka) (19)

各コンビニチェーンで見受けられる珈琲は、何処のチェーンのモノも悪くないと思っているが、そういうレベルの珈琲でなかなかに美味かった。これを啜ってゆったりと車内で過ごしていた…

大阪難波駅を出て、上本町や鶴橋で乗客を迎えた後、終着の名古屋までの間に停車するのは大和八木駅と津駅だけだった…

↓定刻で近鉄の名古屋駅に<ひのとり>は到着した…
25-12-2020 (part 1) (The Way from Nara to Nagoya via Osaka) (21)

未だ真新しいような感の「ワンランク上の寛ぎ」という車輛で、少し愉しい移動が叶った…或いは?「とりあえず<ひのとり>に乗車してみる」ということを目的に、態々「名古屋と大阪を巡る」という計画を立ててみる…馬鹿げているかのように聞こえることを綴っているが、そういうのも「在り!!」だと思う程に好かった…

※ 名古屋到着時の写真、乗車券等の写真は愛知県内の撮影になるが、他は未だ車輛が大阪府内を走行中のモノなので、この記事は大阪府のカテゴリに分類する。
posted by Charlie at 04:03Comment(0)大阪府

エチオピア・ゴティティ…:<STANDARD COFFEE LAB.>(2020.12.29)

「札幌で少々時間が在れば…」と訪ねることを期していたカフェが在った…

些か失礼ながら…間違いなく少し前に訪れていて、場所も店構えも確り記憶していながら「店名が思い出せない…」という場合が生じてしまう…

少し前に訪れていた時の様子を想い起すと、どうやら「店名を気に掛けずに、場所と店構えを記憶に留め、珈琲を愉しんだ」という様子であったようだ…

↓「札幌のカフェ…北海道!」という風情溢れるような雰囲気だった…今朝の開店から程無くというようなタイミングで立寄ることが叶った…
29-12-2020 at Sapporo (84)
↑とりあえず「COFFEE & WINE」と大書されていて、それを記憶に留めるので、店名が記憶に残り悪かったということに想いが巡った…

↓立寄って、珈琲を一杯頂くことにした…
29-12-2020 at Sapporo (87)

↓椅子の背に“膝掛”に使えるモノも用意されていた。寒い日に、こういう場所に一寸寄って美味い珈琲を温かい感じで頂く…実に好いかもしれない…
29-12-2020 at Sapporo (88)

↓「あの…妙なことを伺いますが…」と店員さんに訊ねてみれば、<STANDARD COFFEE LAB.>(スタンダードコーヒーラブ)というそうだ…
29-12-2020 at Sapporo (90)
↑色々なブレンドや、御薦めのシングルビーンズを愉しむことが出来る。エスプレッソ系統の様々なモノも出しているようだ。

↓<エチオピア・ゴティティ>という豆で一杯淹れて頂いた…
29-12-2020 at Sapporo (92)
↑ワイングラスのような形状で、芳香が立ち込めるようになっているカップで珈琲を供してくれた…

<エチオピア・ゴティティ>は「苦味以外の諸々な珈琲の味の諸要素」が複雑に交じり合ったような感じであると思った。「エチオピア」とでも聞けば思い出すモカ・イルガチェフの主要産地よりも南側の農園のモノであるらしい…

「こだわりの一杯」をお洒落な店内で…なかなかに好い。そして豆の販売もやっている。

↓珈琲を頂いた後、少し経ってから「そうだ!」と思い付いて再度この店に寄り、拙宅へ持ち帰ろうと<エチオピア・ゴティティ>という豆を100g求めてしまった…
29-12-2020 at Sapporo (89)

↓そして確り見付けておいた…
>> STANDARD COFFEE LAB. のウェブサイト

こういうような「好い場所」が増えるのは歓迎すべきことだ…

五重塔…:醍醐寺(2020.12.22)

↓五重塔…「冬の朝の光」というような中に浮かび上がる姿を見上げ、「美しい…」と素直に思った。
22-12-2020 Kyoto vol01a (53)

↓よく見れば、木材が複雑に組み合わさっているようだが、光の加減により、角度を変えながら眺めていると「視る瞬間毎に表情が変わる」かのようであった…
22-12-2020 Kyoto vol01a (55)

この五重塔は931(承平元)年に、前年に崩御した醍醐天皇の慰霊という趣旨で発願されたが、諸事情で工事が滞るなどしてしまい、20年を経て951(天暦5)年に完成したのだという。頂上なでの高さが38mにもなるというが、相輪(塔の頂上部分の金具)が全体の3割にもなる12mにも及ぶ、少し特徴的な姿になっている。

戦禍で伽藍が焼けた経過の中、五重塔は残り続けている。1586(天正13)年の地震で大きな被害を受け、豊臣秀吉の支援で1597(慶長3)年に修理が完成した。時代が大きく下り、1950(昭和25)年には<ジェーン台風>で被害を受けてしまったが、1960(昭和35)年に修理が完成している。

結局、この五重塔は「平安時代の木造の塔」が修理を重ねて現在まで受継がれているという貴重な存在で、「京都最古の木造建造物」ということにもなる訳だ…

↓平安時代から、西暦の年号が“三桁”であった時代から受継がれているということだが…それはそれとして、他の塔とは少し違うような形状が、何か美しいと思った…
22-12-2020 Kyoto vol01a (56)

「記憶に留めたい…」という感の五重塔である。
posted by Charlie at 00:58Comment(0)京都府

金堂…:醍醐寺(2020.12.22)

醍醐寺は、あの「電車の内装が施された大きなエレベーター??」というような地下鉄東西線の醍醐駅から少し歩いた辺りに在る。

何時の間にか年月が経っていたが、一度立寄ってみたことも在ったと、曖昧な記憶を辿って訪ねてみた…

↓「こんな様子だったか?」、「こういうモノが在ったか?」、「あの道路の感じが記憶に?」等とブツブツ言いながら歩めば、寺域の入口辺りの総門に至った…
22-12-2020 Kyoto vol01a (28)

醍醐寺の本尊は薬師如来であるという。

↓その薬師如来が祀られている金堂である…
22-12-2020 Kyoto vol01a (50)

醍醐寺は、戦国時代には戦禍で荒廃してしまっていたが、かの豊臣秀吉が再興を手掛けている…この金堂は、紀州の建物を移築したという経過が在るそうだ。紀州での時間経過が在って改修の手が入っているモノが、1598年から1600年というような時期に現在地への移築工事が行われていることにより、その時代のモノも更に交っているのだという。

そういう建物の経過は後から確かめたことだが…この金堂の薬師如来を確りとゆっくり眺め、参拝して来た…
posted by Charlie at 00:11Comment(0)京都府

中京郵便局(なかぎょうゆうびんきょく)…(2020.12.22)

老舗喫茶店の朝食を愉しんだ後、その辺り、三条通を少し歩いた…

↓出くわした建物に眼を奪われて見上げてしまった…
22-12-2020 Kyoto vol01a (21)

↓郵便局?それも現役で使用されていると見受けられる、現在の会社のマークも掲出されている…
22-12-2020 Kyoto vol01a (23)

中京郵便局(なかぎょうゆうびんきょく)というそうだ。京都市が「歴史的界隈景観地区」に指定している三条通ではよく知られている建物であるそうだ。

建物は1902(明治35)年のものであるそうだ…1973(昭和48)年に改築の計画が持ち上がり、翌年には取り壊すことが決まったが、反対運動が起こって「外壁をそのままに、中を改造、新築する」という、所謂「ファサード保存」ということになったという。この「ファサード保存」というやり方の事例としては、国内で最初の事例になるらしい…

古風な建物に現在の会社のマークが掲出されていて、少し注目したが、現在でも普通に使われている訳だ…

↓狭い通なので、少し離れて建物全体の感じが視えた…
22-12-2020 Kyoto vol01a (24)

1970年代であれ、現在であれ、この建物以上に趣深い建物というのは、簡単には建てられないのではないかというようなことも思った…こういう建物に出くわす散策というのは非常に愉しい…
posted by Charlie at 00:00Comment(0)京都府

辰巳大明神…:祇園白川(2020.12.22)

↓祇園白川である。夕刻に辺りを歩いた…
22-12-2020 Kyoto in evening (4)

↓京都では、街角にこういうような小さな社を見掛けることが存外に多いような気がする。
22-12-2020 Kyoto in evening (23)

「辰巳」とは、京都の御所から視て南東側の方角を示しているのだという。その南東の方角を護るという社であった起こりを持つようだが、芸事の上達を祈る、商売の成功を祈るというような社になっていると聞いた…

↓なかなかに好い感じに視えると、何度通り掛かっても思う…
22-12-2020 Kyoto in evening (24)
posted by Charlie at 22:50Comment(0)京都府

<北海道庁旧本庁舎>(赤レンガ)…(2020.12.28)

とりあえず札幌に着いた後、札幌駅周辺に宿を取って休み、ゆったりとした朝を迎えて戸外に出た…

↓静かに雪が降っていた…
28-12-2020 Sapporo (1)

↓御馴染みのレンガ色の壁に雪の白が映える感だ…
28-12-2020 Sapporo (3)

↓札幌を代表する名所の一つだ…近くで近隣の保育所の児童達が保育士の引率で散策して遊んでいる様子も見受けられたが…概ね静かな感じだった…
28-12-2020 Sapporo (4)

とりあえず…数日間は札幌で“居候”という予定だ。聞けば、「やや多めに雪が降って驚き、それが融けて…」というような事象が見受けられたとのことで、現在の札幌は然程積雪が多いのでもない。但し、札幌市の市域は少し広く、地点毎に雰囲気がかなり異なるという状況も在るようだが…

『十八本山納経帳』:真言宗十八本山―18ヶ寺を巡った…(起 2020.07.31 至 2020.12.22)

↓手元にこういうモノが在る…
22-12-2020 my record (overviews)('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (1)

↓出し入れを繰り返してやや傷んだが、カバーになっていて、外すと中身が現れる…
22-12-2020 my record (overviews)('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (2)

↓「納経帳」とは、所謂「御朱印帳」である。仏事ではその起こりに因んで、帳面のことを「納経帳」と呼ぶ方を好む場合も在るのかもしれない…
22-12-2020 my record (overviews)('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (3)

↓中身は蛇腹のように用紙が綴られている。この『十八本山納経帳』は18ヶ寺の説明が在って、御朱印を頂くべき頁が決まっている。各寺を訪ねて、各々の頁に押印して頂き、決まっている文句を書き込んで頂くのだ…言わば「巡礼の証または記録」となる代物である…
22-12-2020 my record (overviews)('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (4)

夏に四国へ渡ってみた際に善通寺を訪ねた…弘法大師こと空海が生まれ育った家が在ったとされる辺りに開かれた寺であると伝えられる古刹だ…

やや旧い映画を観て、関連書を読み、弘法大師こと空海という、日本古代史で最大級の、更に日本史上でも屈指の文化人に何処か惹かれるものの在った中で善通寺を訪ねた。奈良時代というような遠い昔、後に非常に高名な僧侶になる幼児が走り回っていたかもしれない辺りの、時を経て巨大になっているな楠を視て、弘法大師こと空海を非常に身近に感じた…

そうしていると、その「弘法大師」の名を墨書した御朱印を授与しているということが判ったが、その際に<真言宗十八本山>という「18ヶ寺を巡る」という営みが在り、『十八本山納経帳』という専用の御朱印帳も在ると知った。

何か「非常に好い出会い」というような気もして、そして勝手に身近に感じた弘法大師こと空海の名を記した御朱印を手にしたく、『十八本山納経帳』を入手して18ヶ寺を巡ってみることにしたのだ…

「難解?」とされる真言宗である…その要諦を空海御本人が纏めたとされる『秘蔵宝鑰』(ひぞうほうやく)を現代語訳したモノが在ると知り、ゆっくりと読んでみた…

要は?「とりあえず生きている」というだけに過ぎない人間は、様々な事柄に触れて高みを目指して行く存在である。儒教や仏教の諸宗で様々な事柄を説いているが、それらを学んで実践するのは、各々が「通り過ぎるべき段階」である。正しい導師の助力を得ながら、より一層の崇高な高みを目指すのが真言宗であるという主張であると読み取った…

自身なりに思ったのは?昨日より今日…今日より明日と、少しなりとも「より心豊かに…」というようなことを考えてみるということが、人を豊かにしてくれる筈…ということのように考えた。完全に勝手な我流だが…

そういう中、18ヶ寺を巡ってみる思惑を胸に、時間を設けて動いてみるのは好い感じだった…

「十八本山」ということだが、これは一体何なのか?

端的に言えば、真言宗には主なもので16派在り、その16派の総本山、大本山というモノが18ヶ寺在るのだ。これを「十八本山」と呼んでいる。

真言宗では師から弟子へ色々なことが伝えられるようになっていて、また教団運営上の色々な事柄も在り、年月を経る中で様々な派も形成されて行った。それでも一定の一体性は保たれたが、近代に入って各派が独立性を有する教団のようになって行った。

現在では、同じ根を有する主要な16派は“連絡会”的な<真言宗各派総大本山会>を設置している。そこでこの『十八本山納経帳』というモノも登場した訳だ…

1番から18番と、18ヶ寺には番号が付されているが、それに拘泥する必要も無い。自身でも「可能なように…出来る範囲で…」と動いた。

以下に18ヶ寺を巡って頂いた御朱印を御紹介したい。

↓重複するが、1番は善通寺だ。(2020.07.31訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (1)

この善通寺の後、四国から関西に移動し、早速に18ヶ寺巡りに着手した…

↓2番は須磨寺だ。(2020.08.04訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (18)

↓3番は清荒神清澄寺だ。(2020.12.21訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (17)

↓4番は中山寺だ。(2020.12.21訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (16)

↓5番は大覚寺だ。(2020.12.21訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (15)

↓6番は仁和寺だ。(2020.08.06訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (14)

↓7番は智積院だ。(2020.08.06訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (13)

↓8番は泉涌寺だ。(2020.08.06訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (12)

↓9番は東寺だ。(2020.12.22訪問)(※自身ではここを最後の18ヶ寺目とした…)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (11)

↓10番は勧修寺だ。(2020.08.06訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (10)

↓11番は随心院だ。(2020.12.22訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (9)

↓12番は醍醐寺だ。(2020.12.22訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (8)

↓13番は生駒山の宝山寺だ。(2020.08.05訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (7)

↓14番は信貴山の朝護孫子寺だ。(2020.12.19訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (6)

↓15番は西大寺だ。(2020.08.05訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (5)

↓16番は長谷寺だ。(2020.08.05訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (4)

↓17番は根来寺だ。(2020.12.19訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (3)

↓18番は高野山の金剛峯寺だ。(2020.12.20訪問)
22-12-2020 my record ('Shuin' for the Pilgrimage of 18 main temples for Shingon Buddhism in Japan)(I took the pics at Kyoto) (2)

以上の18ヶ寺が「十八本山」だ。各々が「或る種の美術作品?」と見えなくもない墨書と印が収まった『十八本山納経帳』は「宝物!!」になった…

『十八本山納経帳』を視ると、各々の頁の御朱印を頂くべく各寺を訪ねた時の様々なことも想い起される。振り返ると、少し勇み足(?)で「18ヶ寺を巡るのだ!!」と「走って…」しまったような傾向も帯びていたかもしれない。それはそれで善ということにしておきたい。何もこの18ヶ寺訪問が「御終い…」ではないのだから…

訪ねてみた18ヶ寺は、深い由緒が在る場所が多く、文化史の上で重要な位置を占めている場所ばかりであると思う。18ヶ寺との出会いは「日本の歴史との邂逅」という性質を帯びていると言ってしまっても過言ではないかもしれない…

半ば思い付きで四国に渡り、善通寺を訪ねてみた時が契機となって「18ヶ寺を巡るのだ!!」とし始めて、年内に完遂することが叶って善かったと思う。こんなに“達成感”が在るとは、事前には思わなかった…

そしてこの“達成感”の記憶を一定の形に整理しておきたいと、態々時間を設けてこの記事も綴ってみた訳だ…

※ この記事は、旅に出た経過等を日誌か何かのように纏めた記事を収める<память>(パーミャチ=記憶)のカテゴリに収めたい。『十八本山納経帳』の中身の写真そのものは、18箇所目となった東寺を訪ねた後、京都祇園に求めた宿の部屋で撮っているが、18ヶ寺は香川県、兵庫県、京都府、奈良県、和歌山県に所在するので、「撮影した場所の都道府県」を基礎に分ける、このブログのカテゴリ整理では収まらない…序でながら、18ヶ寺の名称に嵌めたリンクで、各寺を訪ねた際のことを綴った記事を御覧頂ける。更に序でながら、12月に訪ねた各寺に関しては、未だ色々と綴るべき事項が多く在るので、関係記事が後から更に掲載という予定も在ることを申し添える…

五重塔を仰ぎ見る…:東寺(2020.12.22)

「名所」というモノが非常に多い京都に関しては「アレを視れば京都を思い出す」というようなモノは定め悪いかもしれない。

例えばテレビドラマ等で「主人公は〇〇へ移動…」ということを示すべく「〇〇の風景」を一寸映すという演出が在ると思う。こういう例で、「札幌へ飛んだ」ということなら「ススキノ交差点のウイスキー会社の大看板が在る様子」を使う例を思い出す。京都であれは?

↓コレが映る様子が採用ではないだろうか?東寺の五重塔である…新幹線の列車が通る高架の向こうにこの五重塔が視える箇所が在って、テレビドラマ等では「京都へ向かった」という場面で使う例が多いような気がする…
22-12-2020 Kyoto vol01a (102)
↑近鉄の駅から東寺の方向へ歩くとこういう様子が視えるのだが、何となく好きな光景だ…

↓独特な形で非常に背が高いモノが在ると、上ばかり仰ぎ見てしまう…
22-12-2020 Kyoto vol01a (103)
↑東寺の境内を囲う濠と塀の脇を歩きながら、思わず見上げていた…

↓門を潜って境内に入っても、何となく仰ぎ見てしまう…
22-12-2020 Kyoto vol01b (11)
↑木造のこうした塔としては日本一高い55m弱の高さが在るのだという…

55m弱?普通、街のビルは1階の天井の高さが3m前後である場合が多いので…55m弱と言えば「18階建のビル」に比肩する訳である。

序ながら…野球場の<東京ドーム>の“天井”は56m余りであるそうだ。ということは?東寺の五重塔の高さの屋根を掛ければ「野球が出来る」という訳だ…

現在の五重塔は、1644(寛永21)年に竣工したモノで「5代目」であるという。こういう寺の高い塔は、落雷等で焼失する例が多かったようで、現在は視られないモノが多く方々に建てられては消失したということが繰り返されたようだ…

↓門の辺りからも視えているが、こういう塔は好い…
22-12-2020 Kyoto vol01a (105)
posted by Charlie at 06:05Comment(0)京都府

随心院…(2020.12.22)

↓辿り着いて、正面から眺めてみて「典雅な…」というように感じた…
22-12-2020 Kyoto vol01a (79)

京都の地下鉄東西線は、全駅でホームの床から天井までが壁のような扉で覆われ、入線する車輛の姿が視えないので「電車の内装が施されたエレベーター」のような不思議な感じであるのだが、その路線が街の東から南寄りに折れた辺りに小野駅が在る。小野駅を出ると、勸修寺(勧修寺)(かじゅうじ)も在るが、それとは反対の方向へ進むと随心院(ずいしんいん)が在る。

↓真正面に対して少し左側の入口から、拝観・参拝の受付に進む…
22-12-2020 Kyoto vol01a (81)

↓外から視ても感じた「典雅な…」という感じが溢れていると思いながら中を見学した…
22-12-2020 Kyoto vol01a (82)

↓「撮影は御遠慮願います」の文化財指定の画が入った襖が多々在った中、「撮影可」の華やかなモノが在った…
22-12-2020 Kyoto vol01a (85)

↓<極彩色梅匂小町絵図>(ごくさいしきうめいろこまちえず)と名付けられた2009年の作品であるという…
22-12-2020 Kyoto vol01a (84)

↓宮廷に仕えて、歌人として華やかな活躍も伝えられ、絶世の美女であったと伝わる小野小町は、小野一族に所縁が在るこの地域で隠棲していたという。その隠棲の場所が随心院であったというのだ。その「小野小町に所縁の随心院」としての活動の一環としてこれが制作されたようだ…
22-12-2020 Kyoto vol01a (86)

随心院そのものは、仁海(にんがい)(954-1046)が開いた牛皮山曼荼羅寺(ぎゅうひさんまんだらじ)の塔頭であったという。1299年以降は、皇族や摂家出身者が住持として入る「門跡寺院」ということになったという…

↓「冬の陽射し」が落ち着いた雰囲気を醸し出してくれていた…
22-12-2020 Kyoto vol01a (83)

↓この種の池の水面が酷く好い…
22-12-2020 Kyoto vol01a (88)

こういう場所…「一人静かに訪ねる」という感じが酷く合うような気もした…
posted by Charlie at 04:20Comment(0)京都府

中山寺(なかやまでら)…(2020.12.21)

↓「私鉄沿線の然程規模が大きくない商店街」という印象の「参道」を抜ける、或いはその「参道」を歩いている気分の中でこういうモノが眼前に現れる…
21-12-2020 (3rd)(visiting 'Nakayama-dera Temple' (8)
↑「中山さん」と親しまれているという中山寺(なかやまでら)の門で、なかなかに賑わっていた…

↓中山寺の境内は「段々状態」で拡がっていて、門を潜って入り込むと階段が設えられている…
21-12-2020 (3rd)(visiting 'Nakayama-dera Temple' (13)

↓新旧様々な建物が林立する「絢爛な伽藍」という感だった…
21-12-2020 (3rd)(visiting 'Nakayama-dera Temple' (17)

↓立派な本堂の辺りは多くの参拝者で溢れていた…本堂のディーテールに何となく眼が向いた…
21-12-2020 (3rd)(visiting 'Nakayama-dera Temple' (19)

↓訪ねた時には僧侶の皆さんが読経をしているところで、その声が朗々と辺りに響いていた…
21-12-2020 (3rd)(visiting 'Nakayama-dera Temple' (20)

「聖徳太子が開いた」という寺伝が在るという中山寺は相当な古い歴史を誇る…寺は「安産祈願」の霊場として皇族や貴族、源頼朝などの武家、庶民より深い信仰を集めたというが、現在にもそれが受継がれている様子だ。集まっていた参拝者は、安産の御守の授与を受ける若い御夫妻が多く、更に「無事に子宝に恵まれ…」という報告の御参りと見受けられる、小さな子どもと両親に祖父母と見受けられる家族連れの姿も多かった…

「永い歴史」ということは、「災害や戦乱で建物が損なわれた」という経過も多々在ることと半ば同義のように思うのだが、中山寺もそうした例に洩れない…

↓しかしながら、比較的近年にも伽藍の建物は新たに建てられている。画の<青龍塔>と名付けられた五重塔もそうした新しい建物の一つだ…
21-12-2020 (3rd)(visiting 'Nakayama-dera Temple' (21)

↓朗々と響いた読経…不慣れな雰囲気を訝って泣いている乳幼児の声…多数の参拝者が集まっているざわめき…普通な真摯な信心が渦を成しているような気配が辺りに溢れているような気もした…
21-12-2020 (3rd)(visiting 'Nakayama-dera Temple' (27)

この中山寺も阪急の沿線だが、記事に掲出した門へ続く商店街(参道)が始まる辺りに在る駅は<中山観音>という…

観音様を祀る本堂でも、他の何でも構わないと思うのだが、「祈り」の本質の一つは「様々なモノを次世代へ受継いで行きたい…」ということなのかもしれない。「安産祈願」とは、正しくそういうものであろう…

そんなことを想いながら、中山寺を辞去した…
posted by Charlie at 02:05Comment(0)兵庫県

清荒神清澄寺…(2020.12.21)

↓こちらは「寺の本堂」である…
21-12-2020 (2nd)(visiting 'Kiyoshi-Kojin' Temple) (14)

↓こちらは「神社の拝殿」である…
21-12-2020 (2nd)(visiting 'Kiyoshi-Kojin' Temple) (9)

両者が同じ境内に併存している…古くからの「神仏習合」というような感が色濃く残って伝わっている…清荒神清澄寺(きよしこうじんせいちょうじ)である。

↓概ね1km程度というが、近くに阪急の駅が設置され、「清荒神駅」と名付けられていて、駅のホームに清荒神清澄寺の看板も在る…
21-12-2020 (2nd)(visiting 'Kiyoshi-Kojin' Temple) (25)

「仏法僧の三宝を守護し、不浄を厭離(おんり)する佛神」とされる<三宝荒神>を祀る社と、大日如来や不動明王や弘法大師を祀る堂が併存していて「荒神さん」として親しまれている場所…庶民的な信仰の場という空気感が強く感じられた…

好天に恵まれた、過ぎない程度に寒い中での散策を愉しむように、この清荒神清澄寺を訪ねてみたのだった…
posted by Charlie at 00:53Comment(0)兵庫県

斑鳩の地を望む…:信貴山 朝護孫子寺(2020.12.19)

「東京の王寺駅」の方が知名度は高いと思うが、「奈良の王寺駅」という駅も在る。大阪・奈良間に在る駅だ…

その王寺駅から出るバスで、乗車していると「こういう坂道…よく上るものだ…」と些か驚くような道を通り、信貴山の上に上ることが出来る。

↓山の上に朝護孫子寺が在り、本堂からの眺望が素晴らしい…
19-12-2020 Mt. Shigisan or Oji area, Nara pref (19)

↓半ば言葉を失いながら、暫し見入った光景を写真に撮っておいた…
19-12-2020 Mt. Shigisan or Oji area, Nara pref (20)

蒼天に流れ、拡がる白雲の下、様々な営みが重ねられている斑鳩の地が視えている。長い歴史が重ねられている朝護孫子寺である。遠い時代の人達も、こうして山の下を眺めたのであろうと想いが巡った…
posted by Charlie at 00:10Comment(0)奈良県

大塔…:根来寺(2020.12.19)

「公共交通機関で移動し、歩き廻る」という方式では、些か訪ね悪い場所は多く在ると思うが…そういう場所は、敢えて行かない場合も少なくない。しかし「それでも!」と訪ねてみる場合も在る…

↓根来寺(ねごろじ)を訪ねてみた…
19-12-2020 Negoro, Wakayama pref. vol01 (12)

史実を一定以上尊重している場合も、その限りでない場合も在る“時代モノ”の映像作品や小説等に、「根来」という地名が出て来る…そこで興味が在ったのだが…

大阪府泉南市というような、大阪府と和歌山県の県境を擁するような辺りから、運行頻度が高くない小さな車輛によるバスに乗って、山間に開いたような、トンネル区間も眼に留まる道を行くと「根来」に辿り着く。辺りは和歌山県岩出市だ。2006年に市制が施行されたそうだ。和歌山県の北側、「紀北」と呼ばれている地域で、自家用車や大阪府南部の鉄道駅を利用して大阪との間を往来する人達が多く見受けられるという。所謂“ベッドタウン”なのだそうだ…

この岩出市の根来に興教大師(こうぎょうたいし)と呼ばれる覚鑁(かくばん)が開いたとされる根来寺が在る。

覚鑁(かくばん)は高野山で活動し、大伝法院や密厳院(みつごんいん)という道場を起こし、宗祖・空海の教義を復興しようと努めていたが、内部対立が激しくなってしまったことを受けて1140(保延6)年に高野山を離れ、根来寺の母体が形成されて行くのである。そして高野山に残っていた大伝法院の名跡が、根来寺形成から1世紀以上を経た1288(正応元)年に根来に移り、根来寺の独立性、独自性が高まって行ったという。

戦国時代に至ると、根来寺は夥しい僧房が在る「宗教都市」の様相を呈し、多数の僧兵や鉄砲隊を擁する勢力となっていた。そして豊臣秀吉の雑賀攻め(紀州攻略)の戦いで荒廃してしまった…(この時に根来を離れざるを得ないとした人達が京都で智積院を起こして行くこととなる…)

↓戦国時代の戦禍を免れた極一部の建造物が、現在でも大切に伝えられている…
19-12-2020 Negoro, Wakayama pref. vol01 (15)

↓1496(明応5)年の建物と伝わる、この種の「多宝塔」としては大きな規模のものであるという…
19-12-2020 Negoro, Wakayama pref. vol02 (2)

現地を訪ねれば…「山間の数万人の人口規模の小さな市」という以上でも以下でもない感は免れ悪いかもしれないが、如何にも「密教の道場が築かれて発展した経過」を有するという感がする場所だった…

この根来寺は「訪ね易い」とは言い悪い感ではあったが、訪ねてみて善かったとも思った。こういう機会が設けられたことを歓びとしたい…

夜が明ける前から…:東京駅(2020.12.27)

12月下旬の“歳末”というような時季、「6時台の列車に乗る」となれば、「夜の残滓」が色濃いような中で動き回ることになる…

振り返ると、2017年11月にも、早朝の新幹線の列車で北上し、北海道内の特急列車に乗換えて札幌に到るということをやっていた。あの時は、東京で時間を過ごす意図は無かったものの、ユジノサハリンスクでの“アクシデント”を抱えたままに、ウラジオストクを経て成田空港に至り、浅草橋駅近くに求めた宿で夜を明かした。そこで午前5時台には既に列車で東京駅を目掛けて移動していた…

今般は「東京駅へ徒歩圏内」という場所、古めかしい表現かもしれないが“駅前旅館”というような存在感の宿で過ごしたので、気持ちには些かゆとりが在った…

↓新幹線の列車が発着している八重洲口とは逆側、丸の内口側へ一寸歩いた…
27-12-2020 (1st) departure from Tokyo (4)

↓戸外へ出てみれば「終夜点いている…」ということになっているらしい箇所だけが明るい感じだ…
27-12-2020 (1st) departure from Tokyo (5)

↓こういう様子を眺め、「何処かの国の王宮か何かのような…」と思っていた…
27-12-2020 (1st) departure from Tokyo (6)

↓何度も視ている東京駅だが、なかなかに貫禄が在る感だ…
27-12-2020 (1st) departure from Tokyo (7)

↓列車に乗る関係上、何時までも駅舎を眺めている訳にも行かないので、一寸だけで駅に入って改札口を目指した…
27-12-2020 (1st) departure from Tokyo (14)

時には、こういう様子をもっとゆったりと眺められるような、そういうような予定を組むのも歩くないかもしれないと思いながら、足早に改札口を目指したのだった…
posted by Charlie at 19:07Comment(0)東京都

北へ至る…:運行日誌(2020.12.27)

「午前5時前」という早過ぎる時間帯に、朝食という意図でコンビニのサンドイッチを頂き、「午後3時前」という時間帯に空腹を満たすべくハンバーグを頂き、「午後6時前」という時間帯に「後は“何時でも御休み頂いて…”にするのだ!」と「早過ぎる夕食」にカレーライスを頂いた…そんなことで寛いでいるのだが…

とうとう北海道に引揚げてしまった…夜遅くなってしまっているというのでもないが、何か「長い1日を過ごした…」という気分に満ちてしまっている…

早朝6時半に出る列車に乗る?駅から徒歩圏内の場所で夜を明かすのが好い…東京駅の傍に、時々利用するチェーンホテルを見付けて、自身で思う「妥当な価格帯」で滞在出来るということだったので、滞在することにしたが、気持ち好く休むことが叶った。早朝の列車に乗る関係上「寝過ぎ…」は拙いので、自動音声の“モーニングコール”を頼んであったが、それが無用な程度に早くスッキリと起き出した…

結局、新幹線の列車で東京・新函館北斗間を移動し、新函館北斗で北海道内の特急列車に乗換え、札幌に到った訳である。その移動に始まって、その移動に尽きた1日だった…

札幌では“居候”の生活を数日間予定している…それは…明日からなので、とりあえず札幌駅に近い馴染んだ宿を押さえてゆったりとすることにした…本当に「何時でも御休み頂いて差し支えありません」でゆったりとしている…

12月17日から12月27日の期間、「設けた時間を随意に過ごす」ということをすることが叶った…最近はこの種の時間が酷く愛おしい…

「安着祝い」と称し、些かウイスキーも頂いた…本当に「後は御随意にお休み下さい…」である。追って、今般の旅に関しては色々と振り返りたい…