宿の傍、<花見小路>という通を何となく進んでみた…「寺の門?」というようなモノが視えたが、他の通行人が門を潜って直進したので、自身も進んでみた…
↓程無く足を停め、こういう様子を見上げてしまった…
↑何か「京都…日没後…」とでも聞けば思い浮かべるような雰囲気だった…
↓思わず見上げたのは建仁寺の建物だった…
そのまま進むと<八坂通>に行き当たり、左折して<八坂通>を進めば<東大路>に行き当たる。<東大路>を左折すると八坂神社の辺りに至る…
「寺の境内の一部が、普通の歩行者が進む道路」という状況…実は然程珍しくもないのかもしれないが、自身の「想像の枠内」からは少し外れる状況で些か驚いたのだった…
<心経宝塔>(しんぎょうほうとう)…:大覚寺 大沢池(2020.12.21)
↓大覚寺の大沢池の辺りで最も目立つ建物である…
大覚寺は、正式には「旧嵯峨御所大本山大覚寺」と称し、「嵯峨御所」とも呼ばれる。
大覚寺の前身は、平安時代初期に嵯峨天皇が築いた離宮だった。876(貞観18)年に皇孫である恒寂入道親王を開山として開創したのが大覚寺ということになる。爾来、皇室との関りが深かった経過が在る。
↓この<心経宝塔>は嵯峨天皇の事績に因んで1967(昭和42)年に建てられたものであるという…
↑大覚寺には「勅封」という般若心経が奉安されているという。これは弘法大師(空海)の薦めで嵯峨天皇が般若心経を浄書したというモノであるという。「60年に一度」ということで開封するそうだが、この<心経宝塔>は「勅封」から1150年を記念して建てたのだそうだ…
比較的新しい建物ということになるのかもしれないが、それでも「重い歴史」を偲ばせる…
大覚寺は、正式には「旧嵯峨御所大本山大覚寺」と称し、「嵯峨御所」とも呼ばれる。
大覚寺の前身は、平安時代初期に嵯峨天皇が築いた離宮だった。876(貞観18)年に皇孫である恒寂入道親王を開山として開創したのが大覚寺ということになる。爾来、皇室との関りが深かった経過が在る。
↓この<心経宝塔>は嵯峨天皇の事績に因んで1967(昭和42)年に建てられたものであるという…
↑大覚寺には「勅封」という般若心経が奉安されているという。これは弘法大師(空海)の薦めで嵯峨天皇が般若心経を浄書したというモノであるという。「60年に一度」ということで開封するそうだが、この<心経宝塔>は「勅封」から1150年を記念して建てたのだそうだ…
比較的新しい建物ということになるのかもしれないが、それでも「重い歴史」を偲ばせる…
竹林の“音”…:大覚寺 大沢池(2020.12.21)
大阪の大正に近い<京セラドーム大阪>―所謂「大阪ドーム」…―の傍に在る宿から、宝塚市内に出て、そこから大阪を経て好天の京都に至った…
嵐山からバスで向かう名刹、大覚寺には「有名で広大な庭」ということになる大沢池(おおさわのいけ)が在る。好天に誘われてこちらに入場して散策した…
↓竹林が設えられている一隅が在る…
↓ここの竹林はマダケ(真竹 Phyllostachys bambusoides)であるという。かのエジソンが白熱電球を造った際に「日本の竹」をフィラメントに用いたとされるが、それがこのマダケなのだそうだ…
北海道に住んでいれば、「竹林の眺め」というようなモノは「少し非日常…」ということになってしまうと思う。そういう訳でこのマダケの竹林に身を置いて空気感を満喫していた…と、何やら“囁き声”にしては「騒々しい?」という感の不思議な音が聞こえた…
↓見上げると、背が高い竹が大きく揺れていた…そして複数の竹の枝や葉のような部分が擦れ合うような感になり、不思議な音を発していたのだ…
↓非常に不思議な音がしたので、暫し竹林に身を置いて「風待ち」ということをして音を愉しんだ…
竹林で、時折吹き抜ける風に竹が揺さぶられて不思議な音を発するというようなこと…想像したことも無かった…
何か「意外!?」に出くわした…こういうのが愉しい!
嵐山からバスで向かう名刹、大覚寺には「有名で広大な庭」ということになる大沢池(おおさわのいけ)が在る。好天に誘われてこちらに入場して散策した…
↓竹林が設えられている一隅が在る…
↓ここの竹林はマダケ(真竹 Phyllostachys bambusoides)であるという。かのエジソンが白熱電球を造った際に「日本の竹」をフィラメントに用いたとされるが、それがこのマダケなのだそうだ…
北海道に住んでいれば、「竹林の眺め」というようなモノは「少し非日常…」ということになってしまうと思う。そういう訳でこのマダケの竹林に身を置いて空気感を満喫していた…と、何やら“囁き声”にしては「騒々しい?」という感の不思議な音が聞こえた…
↓見上げると、背が高い竹が大きく揺れていた…そして複数の竹の枝や葉のような部分が擦れ合うような感になり、不思議な音を発していたのだ…
↓非常に不思議な音がしたので、暫し竹林に身を置いて「風待ち」ということをして音を愉しんだ…
竹林で、時折吹き抜ける風に竹が揺さぶられて不思議な音を発するというようなこと…想像したことも無かった…
何か「意外!?」に出くわした…こういうのが愉しい!
西へ…東へ…:運行日誌(2020.12.21)
一般的には、旅の途次に在る場合であれば「夕食を愉しんでいる…」というような時間帯に相当すると思うが、既に宿の居室で寛いでしまっていた。「もう出ない…」と、宿の室内着に着替えてしまったという状況だ…
前日から「体力を使った後?」という感ながら「気力充実!」という感でもあった。高野山(=金剛峯寺)を訪ね、千歳橋を歩き、何か「以前から何となく関心が在って、なかなか寄れなかった場所を一気に…」という達成感が在る。“達成感”という程のことでもないのかもしれないが…
「遅すぎる昼食と早過ぎる夕食を兼ねて…」という前日午後の動きの後、「かなり早目?」という時間帯に寝入って、深く眠った。そして日付も変わった…
今日は、前日のように「未だ暗い早朝から…」ということこそしないが、朝の「街が動き始めている…」という感の時間帯には既に行動を開始した。宿を出て、些か馴染んだドーム前駅から出発である…
前日のように「宿と高野山を往復」という時間を要する移動を大胆にしたのでもない。が、「細かい移動」を積み重ねることとなった…
↓手近なモノを容れているバッグに手帳とペンが在って、一寸メモしておいた内容を写す…
ドーム前→尼崎(阪神)
尼崎→今津(阪神)
今津→西宮北口(阪急)
西宮北口→宝塚(阪急)
宝塚→清荒神(阪急)
清荒神→中山観音(阪急)
中山観音→大阪梅田(阪急)
大阪梅田→桂(阪急)
桂→嵐山(阪急)
嵐山公園→大覚寺(京都市バス)
大覚寺→松尾大社前(京都市バス)
松尾大社→桂(阪急)
桂→京都河原町(阪急)
↑京都でバスに乗車した場面では所謂「交通系IC」を利用―自身ではJR西日本系の<ICOCA>で、「阪神が発売したモノ」というのを何時も愛用している…―した。それ以外の列車は<阪急阪神1dayパス>という代物を利用した。
<阪急阪神1dayパス>は、阪神電車の駅で駅員さんに申し出ると売ってくれるカードである。阪急電車の駅でも求められるが…<阪急阪神1dayパス>は、商品名どおりに「阪急と阪神の全路線の列車を朝から夜まで丸一日利用可能」という“1日乗車券”だ…
大阪神戸間で集落を結んで軌道を敷設し、列車の運行を始めた阪神に対して、阪急は「最速で両都市を結ぶには最短距離!」と既存集落に拘泥せずに「直線」に近い軌道を敷設して列車の運行を始めている。そういう経過なので、両社の列車は南側に阪神、北側に阪急と並行していて、双方の会社の列車に乗車可能な利点は「やや薄い?」というようにも見える…が、今津・西宮北口間で両社の列車は連絡可能だ。他に、他会社路線を一部で利用すれば、両社の列車を結んでドンドン動き回ることも出来る。そして阪急は大阪・神戸間の他に大阪・宝塚間、大阪・京都間の路線も在るので、広域で動き回ることを可能にするのがこの<阪急阪神1dayパス>だ。
実は、関西に滞在する機会が生じた場面で、この<阪急阪神1dayパス>は何度も利用している。そこで今日は、阪神電車の駅に近い辺りに滞在していたことも在って、この<阪急阪神1dayパス>を利用することとしたのだ…
夏季にも関西方面に入った経過が在った。あの時は、酷く汗をかきながら歩き廻った。そして「やや暑さがキツいことは否定出来ない…故に無理はしない…」と、「訪ねてみようか?」と思い立った場所に出なかったというのも色々と在った。
今般?確かに酷く温かいのでもない…「当地として、この時季として、一寸寒い…」という状態であるとは思う。しかし、「積雪が無い…」という―フェリー下船後の仙台や塩釜、標高が高い高野山では在ったが…あれは今般のこれまでの中では例外的…―のは有難く、酷く温かいのでもないのと同時に、自身の感覚で「寒過ぎる!?」ということでもない。そこで「精力的に!」ということにもなる。
上記の経路?関西の名所に明るい方は、既にお気付きかもしれない…宝塚市内にある名刹、清荒神清澄寺と中山寺を訪ね、大阪梅田駅に出てランチを摂り、そこから京都に向かい、バス停や駅の何も採用されている大覚寺と松尾大社を訪ねてみたのだ…
そして京都の祇園に宿を求めた。一度、今年の3月にも滞在した場所で一寸気に入っていたが、空きが在ったのだ…明後日の朝まで居る…
この宿に落ち着き、多少空腹を覚えたので辺りを本当に「極々短く…」という具合に歩き廻って、極軽い夕食を摂って「何時でも御休み頂いて…」ということにしてしまったのだ…
さて、何を如何するか?「色々と考える」というのが、また愉しい…
前日から「体力を使った後?」という感ながら「気力充実!」という感でもあった。高野山(=金剛峯寺)を訪ね、千歳橋を歩き、何か「以前から何となく関心が在って、なかなか寄れなかった場所を一気に…」という達成感が在る。“達成感”という程のことでもないのかもしれないが…
「遅すぎる昼食と早過ぎる夕食を兼ねて…」という前日午後の動きの後、「かなり早目?」という時間帯に寝入って、深く眠った。そして日付も変わった…
今日は、前日のように「未だ暗い早朝から…」ということこそしないが、朝の「街が動き始めている…」という感の時間帯には既に行動を開始した。宿を出て、些か馴染んだドーム前駅から出発である…
前日のように「宿と高野山を往復」という時間を要する移動を大胆にしたのでもない。が、「細かい移動」を積み重ねることとなった…
↓手近なモノを容れているバッグに手帳とペンが在って、一寸メモしておいた内容を写す…
ドーム前→尼崎(阪神)
尼崎→今津(阪神)
今津→西宮北口(阪急)
西宮北口→宝塚(阪急)
宝塚→清荒神(阪急)
清荒神→中山観音(阪急)
中山観音→大阪梅田(阪急)
大阪梅田→桂(阪急)
桂→嵐山(阪急)
嵐山公園→大覚寺(京都市バス)
大覚寺→松尾大社前(京都市バス)
松尾大社→桂(阪急)
桂→京都河原町(阪急)
↑京都でバスに乗車した場面では所謂「交通系IC」を利用―自身ではJR西日本系の<ICOCA>で、「阪神が発売したモノ」というのを何時も愛用している…―した。それ以外の列車は<阪急阪神1dayパス>という代物を利用した。
<阪急阪神1dayパス>は、阪神電車の駅で駅員さんに申し出ると売ってくれるカードである。阪急電車の駅でも求められるが…<阪急阪神1dayパス>は、商品名どおりに「阪急と阪神の全路線の列車を朝から夜まで丸一日利用可能」という“1日乗車券”だ…
大阪神戸間で集落を結んで軌道を敷設し、列車の運行を始めた阪神に対して、阪急は「最速で両都市を結ぶには最短距離!」と既存集落に拘泥せずに「直線」に近い軌道を敷設して列車の運行を始めている。そういう経過なので、両社の列車は南側に阪神、北側に阪急と並行していて、双方の会社の列車に乗車可能な利点は「やや薄い?」というようにも見える…が、今津・西宮北口間で両社の列車は連絡可能だ。他に、他会社路線を一部で利用すれば、両社の列車を結んでドンドン動き回ることも出来る。そして阪急は大阪・神戸間の他に大阪・宝塚間、大阪・京都間の路線も在るので、広域で動き回ることを可能にするのがこの<阪急阪神1dayパス>だ。
実は、関西に滞在する機会が生じた場面で、この<阪急阪神1dayパス>は何度も利用している。そこで今日は、阪神電車の駅に近い辺りに滞在していたことも在って、この<阪急阪神1dayパス>を利用することとしたのだ…
夏季にも関西方面に入った経過が在った。あの時は、酷く汗をかきながら歩き廻った。そして「やや暑さがキツいことは否定出来ない…故に無理はしない…」と、「訪ねてみようか?」と思い立った場所に出なかったというのも色々と在った。
今般?確かに酷く温かいのでもない…「当地として、この時季として、一寸寒い…」という状態であるとは思う。しかし、「積雪が無い…」という―フェリー下船後の仙台や塩釜、標高が高い高野山では在ったが…あれは今般のこれまでの中では例外的…―のは有難く、酷く温かいのでもないのと同時に、自身の感覚で「寒過ぎる!?」ということでもない。そこで「精力的に!」ということにもなる。
上記の経路?関西の名所に明るい方は、既にお気付きかもしれない…宝塚市内にある名刹、清荒神清澄寺と中山寺を訪ね、大阪梅田駅に出てランチを摂り、そこから京都に向かい、バス停や駅の何も採用されている大覚寺と松尾大社を訪ねてみたのだ…
そして京都の祇園に宿を求めた。一度、今年の3月にも滞在した場所で一寸気に入っていたが、空きが在ったのだ…明後日の朝まで居る…
この宿に落ち着き、多少空腹を覚えたので辺りを本当に「極々短く…」という具合に歩き廻って、極軽い夕食を摂って「何時でも御休み頂いて…」ということにしてしまったのだ…
さて、何を如何するか?「色々と考える」というのが、また愉しい…
日曜日の早朝…:阪神電車 ドーム前駅(2020.12.20)
高野山を訪ねてみようと、暗い早朝から動き始めた…
滞在していた宿の最寄駅から、高野山へ向かうには、大阪難波駅へ向かうのが好い…大阪難波駅への列車到着時に「南海線は御乗換えです」という案内放送も在るのだが、南海なんば駅から列車を乗り継ぐと高野山へ向かうことが叶う…
↓「日曜日の早朝」である…駅の灯りだけが暗い街に目立つような感だった…
↓吸い込まれるような感さえ抱く、少し長い感じのエスカレータだ…
↓ゆったりと地下へ下る…
↓エスカレータを乗り継いで、阪神電車の改札口が在るフロアへ下り続ける…
↓改札口だ…大都市圏では「よく在る感じ」な改札口である…
↓列車が発着するホームへ下りる…
↓ここもエスカレータが長い…
↓何となく「地底の大宮殿」というような想像をしてしまう…
↓ここもエスカレータを乗り継いで進む…
↓漸く軌道も現れた…
↓ホームに案内表示が在る…
↓やがて列車が現れた…
阪神なんば線の、大阪難波駅と結ばれる軌道が地下になっている部分は比較的新しい。故に「より深い地下」に建設したのだと見受けられる。そこで、こんなに何度もエスカレータを乗り継いでホームに至るようになっているのであろう…
こういうような地下駅の様子…何となく好きだ…このドーム前駅に関しては、極々短い時日ながらも「自身の最寄駅」として利用した関係で愛着も沸いている…
滞在していた宿の最寄駅から、高野山へ向かうには、大阪難波駅へ向かうのが好い…大阪難波駅への列車到着時に「南海線は御乗換えです」という案内放送も在るのだが、南海なんば駅から列車を乗り継ぐと高野山へ向かうことが叶う…
↓「日曜日の早朝」である…駅の灯りだけが暗い街に目立つような感だった…
↓吸い込まれるような感さえ抱く、少し長い感じのエスカレータだ…
↓ゆったりと地下へ下る…
↓エスカレータを乗り継いで、阪神電車の改札口が在るフロアへ下り続ける…
↓改札口だ…大都市圏では「よく在る感じ」な改札口である…
↓列車が発着するホームへ下りる…
↓ここもエスカレータが長い…
↓何となく「地底の大宮殿」というような想像をしてしまう…
↓ここもエスカレータを乗り継いで進む…
↓漸く軌道も現れた…
↓ホームに案内表示が在る…
↓やがて列車が現れた…
阪神なんば線の、大阪難波駅と結ばれる軌道が地下になっている部分は比較的新しい。故に「より深い地下」に建設したのだと見受けられる。そこで、こんなに何度もエスカレータを乗り継いでホームに至るようになっているのであろう…
こういうような地下駅の様子…何となく好きだ…このドーム前駅に関しては、極々短い時日ながらも「自身の最寄駅」として利用した関係で愛着も沸いている…
車窓…:初野駅(2020.12.17)
「天への階段」…??:<千歳橋>(2020.12.20)
金剛峯寺 本坊…(2020.12.20)
「ループ」のような構造が採り入れられているような軌道を進む列車は標高535mの極楽橋駅に至り、そこでケーブルカーに乗換えて急峻な山を標高867mまで上がると高野山駅だ。ケーブルカーが上る途中、辺りが雪に覆われている様子になった…
↓そして高野山駅からバスに乗って至った場所がここだ…金剛峯寺の本坊である…
↑方々の通路で除雪作業も行われていた。流石に標高900mの山上である…
「金剛峯寺」という名称は、弘法大師が『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』という御経より命名したと伝わるそうだ。
上の画、「本坊」の辺りを“金剛峯寺”と通称しているように見受けられた。が、画の左側に掲げられた「総本山金剛峯寺」という公式名で呼ぶ場合には、「一山境内地」と称し、高野山の至る所が寺の境内地であり、高野山全体が寺というように考えられるのだそうだ。
↓貫禄が在る正門だ…現存する建物では最古で、1593(文禄2)年に再建されたモノが現在に伝わっているという…
↓実に好い趣だ…
↓貫禄が在る建物だが、屋根の上に桶が載っている…「天水桶」(てんすいおけ)と称する防火用水であるという…
↓今般は「雪が在る様子」を視られて好かった…
もっと朝早くに辿り着いてゆっくりする予定が、列車運行の事情で変更を余儀なくされ、何となく「慌ただしい訪問」になった感だった。が、これもまた「何れ、ゆっくり腰を落ち着けて来なさい…」という“導き”であったのかもしれない。
今般は「音に聞こえた」というような金剛峯寺と「初めての面会」という様子だったと思う…そして、それが叶って善かったとも思う…
↓そして高野山駅からバスに乗って至った場所がここだ…金剛峯寺の本坊である…
↑方々の通路で除雪作業も行われていた。流石に標高900mの山上である…
「金剛峯寺」という名称は、弘法大師が『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』という御経より命名したと伝わるそうだ。
上の画、「本坊」の辺りを“金剛峯寺”と通称しているように見受けられた。が、画の左側に掲げられた「総本山金剛峯寺」という公式名で呼ぶ場合には、「一山境内地」と称し、高野山の至る所が寺の境内地であり、高野山全体が寺というように考えられるのだそうだ。
↓貫禄が在る正門だ…現存する建物では最古で、1593(文禄2)年に再建されたモノが現在に伝わっているという…
↓実に好い趣だ…
↓貫禄が在る建物だが、屋根の上に桶が載っている…「天水桶」(てんすいおけ)と称する防火用水であるという…
↓今般は「雪が在る様子」を視られて好かった…
もっと朝早くに辿り着いてゆっくりする予定が、列車運行の事情で変更を余儀なくされ、何となく「慌ただしい訪問」になった感だった。が、これもまた「何れ、ゆっくり腰を落ち着けて来なさい…」という“導き”であったのかもしれない。
今般は「音に聞こえた」というような金剛峯寺と「初めての面会」という様子だったと思う…そして、それが叶って善かったとも思う…
<千歳橋>からの眺望…(2020.12.20)
↓<千歳橋>は、なかなかに「高い」場所になる…
↑<大浪通>を歩いて<千歳橋>に近付いた時、何度も足を停めて見上げてしまった。
画の階段の上に視えるのが橋へ通じる車輛用の道路の「取付部」で、北側に相当する。この北側取付部が334.2mであるという。橋そのものが365mで、渡った先に南側取付部が在るのだが、それは245mである。三者を合計した944.2mが<千歳橋>の「全長」である。
↓<千歳橋>は「延長が長い展望台」という感じでもある。眺められる景色が非常に好い…
↓風は微弱だったので、眺望をとにかく愉しむことが出来たが…強風であれば足が竦むかもしれないという程度に高い場所だ…
↑行き交う船に載せられる各種貨物を収める倉庫と見受けられる建物が手前に色々と在って、大正区の街並みが視え、奥には大阪の南側の繁華街に在る背が高い建物が見えている。かの<あべのハルカス>は目立つ…
↓「橋の形」が酷く面白いので
↓こういう「眺望」も好いので、望遠系のレンズで色々と撮るのも好いのかもしれない…
大正駅周辺から徒歩で40分かそれ以上を要した場所だった。路線バスなら15分弱だったと思う…「非常に好い場所」が一つ加わった…
↑<大浪通>を歩いて<千歳橋>に近付いた時、何度も足を停めて見上げてしまった。
画の階段の上に視えるのが橋へ通じる車輛用の道路の「取付部」で、北側に相当する。この北側取付部が334.2mであるという。橋そのものが365mで、渡った先に南側取付部が在るのだが、それは245mである。三者を合計した944.2mが<千歳橋>の「全長」である。
↓<千歳橋>は「延長が長い展望台」という感じでもある。眺められる景色が非常に好い…
↓風は微弱だったので、眺望をとにかく愉しむことが出来たが…強風であれば足が竦むかもしれないという程度に高い場所だ…
↑行き交う船に載せられる各種貨物を収める倉庫と見受けられる建物が手前に色々と在って、大正区の街並みが視え、奥には大阪の南側の繁華街に在る背が高い建物が見えている。かの<あべのハルカス>は目立つ…
↓「橋の形」が酷く面白いので
↓こういう「眺望」も好いので、望遠系のレンズで色々と撮るのも好いのかもしれない…
大正駅周辺から徒歩で40分かそれ以上を要した場所だった。路線バスなら15分弱だったと思う…「非常に好い場所」が一つ加わった…