↓手元にこういうモノが在る…

↓出し入れを繰り返してやや傷んだが、カバーになっていて、外すと中身が現れる…

↓「納経帳」とは、所謂「御朱印帳」である。仏事ではその起こりに因んで、帳面のことを「納経帳」と呼ぶ方を好む場合も在るのかもしれない…

↓中身は蛇腹のように用紙が綴られている。この『十八本山納経帳』は18ヶ寺の説明が在って、御朱印を頂くべき頁が決まっている。各寺を訪ねて、各々の頁に押印して頂き、決まっている文句を書き込んで頂くのだ…言わば「巡礼の証または記録」となる代物である…

夏に四国へ渡ってみた際に
善通寺を訪ねた…弘法大師こと空海が生まれ育った家が在ったとされる辺りに開かれた寺であると伝えられる古刹だ…
やや旧い映画を観て、関連書を読み、弘法大師こと空海という、日本古代史で最大級の、更に日本史上でも屈指の文化人に何処か惹かれるものの在った中で
善通寺を訪ねた。奈良時代というような遠い昔、
後に非常に高名な僧侶になる幼児が走り回っていたかもしれない辺りの、時を経て巨大になっているな楠を視て、弘法大師こと空海を非常に身近に感じた…
そうしていると、その「弘法大師」の名を墨書した御朱印を授与しているということが判ったが、その際に<真言宗十八本山>という「18ヶ寺を巡る」という営みが在り、『十八本山納経帳』という専用の御朱印帳も在ると知った。
何か「非常に好い出会い」というような気もして、そして勝手に身近に感じた弘法大師こと空海の名を記した御朱印を手にしたく、『十八本山納経帳』を入手して18ヶ寺を巡ってみることにしたのだ…
「難解?」とされる真言宗である…その要諦を空海御本人が纏めたとされる『秘蔵宝鑰』(ひぞうほうやく)を
現代語訳したモノが在ると知り、ゆっくりと読んでみた…
要は?「とりあえず生きている」というだけに過ぎない人間は、様々な事柄に触れて高みを目指して行く存在である。儒教や仏教の諸宗で様々な事柄を説いているが、それらを学んで実践するのは、各々が「通り過ぎるべき段階」である。正しい導師の助力を得ながら、より一層の崇高な高みを目指すのが真言宗であるという主張であると読み取った…
自身なりに思ったのは?昨日より今日…今日より明日と、少しなりとも「より心豊かに…」というようなことを考えてみるということが、人を豊かにしてくれる筈…ということのように考えた。完全に勝手な我流だが…
そういう中、18ヶ寺を巡ってみる思惑を胸に、時間を設けて動いてみるのは好い感じだった…
「十八本山」ということだが、これは一体何なのか?
端的に言えば、真言宗には主なもので16派在り、その16派の総本山、大本山というモノが18ヶ寺在るのだ。これを「十八本山」と呼んでいる。
真言宗では師から弟子へ色々なことが伝えられるようになっていて、また教団運営上の色々な事柄も在り、年月を経る中で様々な派も形成されて行った。それでも一定の一体性は保たれたが、近代に入って各派が独立性を有する教団のようになって行った。
現在では、同じ根を有する主要な16派は“連絡会”的な<真言宗各派総大本山会>を設置している。そこでこの『十八本山納経帳』というモノも登場した訳だ…
1番から18番と、18ヶ寺には番号が付されているが、それに拘泥する必要も無い。自身でも「可能なように…出来る範囲で…」と動いた。
以下に18ヶ寺を巡って頂いた御朱印を御紹介したい。
↓重複するが、1番は
善通寺だ。(2020.07.31訪問)

この
善通寺の後、四国から関西に移動し、早速に18ヶ寺巡りに着手した…
↓2番は
須磨寺だ。(2020.08.04訪問)

↓3番は
清荒神清澄寺だ。(2020.12.21訪問)

↓4番は
中山寺だ。(2020.12.21訪問)

↓5番は
大覚寺だ。(2020.12.21訪問)

↓6番は
仁和寺だ。(2020.08.06訪問)

↓7番は
智積院だ。(2020.08.06訪問)

↓8番は
泉涌寺だ。(2020.08.06訪問)

↓9番は
東寺だ。(2020.12.22訪問)(※自身ではここを最後の18ヶ寺目とした…)

↓10番は
勧修寺だ。(2020.08.06訪問)

↓11番は
随心院だ。(2020.12.22訪問)

↓12番は
醍醐寺だ。(2020.12.22訪問)

↓13番は
生駒山の宝山寺だ。(2020.08.05訪問)

↓14番は
信貴山の朝護孫子寺だ。(2020.12.19訪問)

↓15番は
西大寺だ。(2020.08.05訪問)

↓16番は
長谷寺だ。(2020.08.05訪問)

↓17番は
根来寺だ。(2020.12.19訪問)

↓18番は
高野山の金剛峯寺だ。(2020.12.20訪問)

以上の18ヶ寺が「十八本山」だ。各々が「或る種の美術作品?」と見えなくもない墨書と印が収まった『十八本山納経帳』は「宝物!!」になった…
『十八本山納経帳』を視ると、各々の頁の御朱印を頂くべく各寺を訪ねた時の様々なことも想い起される。振り返ると、少し勇み足(?)で「18ヶ寺を巡るのだ!!」と「走って…」しまったような傾向も帯びていたかもしれない。それはそれで善ということにしておきたい。何もこの18ヶ寺訪問が「御終い…」ではないのだから…
訪ねてみた18ヶ寺は、深い由緒が在る場所が多く、文化史の上で重要な位置を占めている場所ばかりであると思う。18ヶ寺との出会いは「日本の歴史との邂逅」という性質を帯びていると言ってしまっても過言ではないかもしれない…
半ば思い付きで四国に渡り、
善通寺を訪ねてみた時が契機となって「18ヶ寺を巡るのだ!!」とし始めて、年内に完遂することが叶って善かったと思う。こんなに“達成感”が在るとは、事前には思わなかった…
そしてこの“達成感”の記憶を一定の形に整理しておきたいと、態々時間を設けてこの記事も綴ってみた訳だ…
※ この記事は、旅に出た経過等を日誌か何かのように纏めた記事を収める<память>(パーミャチ=記憶)のカテゴリに収めたい。『十八本山納経帳』の中身の写真そのものは、18箇所目となった東寺を訪ねた後、京都祇園に求めた宿の部屋で撮っているが、18ヶ寺は香川県、兵庫県、京都府、奈良県、和歌山県に所在するので、「撮影した場所の都道府県」を基礎に分ける、このブログのカテゴリ整理では収まらない…序でながら、18ヶ寺の名称に嵌めたリンクで、各寺を訪ねた際のことを綴った記事を御覧頂ける。更に序でながら、12月に訪ねた各寺に関しては、未だ色々と綴るべき事項が多く在るので、関係記事が後から更に掲載という予定も在ることを申し添える…