興福寺の永い歴史の中、伽藍は幾度も損なわれ、再建が繰り返されて来た…中には「灰燼に帰す…」という程度に甚大な被害が生じてしまったという例も在る。そういう例の一つである源平合戦の頃に奈良が焼かれてしまった件に題材を求めた時代モノの小説を少し前に読んだ経過も在った。
そんなことも知りながら興福寺の辺りを歩き廻ると、「福力を興さしむ」(令興福力)(りょうこうふくりき)という経の句から寺の名を命名し、「福を起こす場となる寺に…」という名に込められた願いが行く世代にも亘って、幾多の困難を跳ね返して受継がれているのであろうということに思い至る…
↓興福寺の境内で、現時点では最新の建物であると思う。中金堂だが、これが再建されたというのも、草創期から幾世代にも亘って受継がれている想いの故なのであろう…
中金堂は伽藍の中核を成すような重要な存在で、興福寺の創建の頃には設けられたと伝わる。そして6回もの消失と再建が繰り返されたという。
1717(享保2)年に焼失してしまった後には、財政的な事情で再建が進まないままに時日が過ぎ、1819(文政2)年に寄進を受けて規模を縮小した“仮堂”が築かれた。
この“仮堂”の老朽化も進んでしまったことから、2000(平成12)年に解体した。そして現地の発掘調査も重ね、往時の姿の中金堂を再建する計画が練り上げられた。2010(平成22)年の立柱式、2014(平成26)年の上棟式を経て2018(平成30)年に再建の落慶となったのだった…
↓正面の幅が37mで、奥行きが23mであるそうだが、なかなかに大きい…様々な外来文化の影響も色濃いと思われる奈良時代の大きな寺の堂であるので、眺めていると「古代中国の宮殿?」というような感も抱いた…
↓「ここは視ていなかった…新しいモノでもあるが…」と思い付いたので、今般はゆっくりと拝観した。堂の柱の間から五重塔の姿も覗き、往年の絢爛豪華な伽藍を想像した…
↑堂内には「釈迦如来坐像」を中心に幾つもの仏像が安置されている…
興福寺は、奈良を訪ねれば近くを通るような機会も多い。場所も近鉄奈良駅の近所なのだ…こういう具合に拝観するようなことも繰り返し、少しずつより深く親しみたいような感である。
<岩松橋>…(2020.12.19)
「多少早起き?極々短い散策…」というのは、拙宅に在っても、出先に在っても変わるものでもない…
↓川辺に整備された緑地を歩けば、こういう具合に橋が視えた…
↑佇んでいる辺りの住所は大阪市西区で、橋を渡れば大阪市大正区だ…そしてJRと地下鉄の大正駅の入口が近い…
↓これが<岩松橋>である…66.44mの長さであるという。
1922(大正11)年に路面電車を通そうとした際、現在の西区から大正区への橋が初めて架けられ、当時の架橋した地域の住所の文字を採って<岩松橋>と命名されたそうだ…
↓早朝の未だ暗い時間帯なので静かだが、ここはなかなかに交通量が多いように見える場所だ。開通した頃は14.55m(歩道1.5m)という幅員であったというが、後に拡幅されて現在は幅員35mだ…
↓橋を渡って後ろを振り返った…恐らく、嘗ては橋を支える構造であった鉄骨が拡幅された橋の真中にオブジェのように残されたのだと見受けられる…視る角度が変わる都度に色々な見え方で、少し面白い感じだ…
色々な橋が見受けられる大正区辺り…訪ねたり、滞在したりが存外に面白い…
↓川辺に整備された緑地を歩けば、こういう具合に橋が視えた…
↑佇んでいる辺りの住所は大阪市西区で、橋を渡れば大阪市大正区だ…そしてJRと地下鉄の大正駅の入口が近い…
↓これが<岩松橋>である…66.44mの長さであるという。
1922(大正11)年に路面電車を通そうとした際、現在の西区から大正区への橋が初めて架けられ、当時の架橋した地域の住所の文字を採って<岩松橋>と命名されたそうだ…
↓早朝の未だ暗い時間帯なので静かだが、ここはなかなかに交通量が多いように見える場所だ。開通した頃は14.55m(歩道1.5m)という幅員であったというが、後に拡幅されて現在は幅員35mだ…
↓橋を渡って後ろを振り返った…恐らく、嘗ては橋を支える構造であった鉄骨が拡幅された橋の真中にオブジェのように残されたのだと見受けられる…視る角度が変わる都度に色々な見え方で、少し面白い感じだ…
色々な橋が見受けられる大正区辺り…訪ねたり、滞在したりが存外に面白い…
<鉄板ナポリタン>…(2020.12.25)
近鉄の特急<ひのとり>で名古屋に着き、そのまま名鉄の列車を利用して津島を訪れ、観音寺や津島神社に立寄り、また名古屋駅に引揚げた。そうすると「ランチタイム…」というような感じだった…
何やら「あそこだけで一つの都市…」というような趣の名古屋駅には、色々な場所に色々なテナントが入って営業していて、何処が何であるか、不慣れであれば非常に判り悪いのだが、とりあえず「一寸したランチ」が愉しめそうなカフェを発見して立寄ってみた…
↓こういうランチを頂いた…
↑「名古屋発祥」というモノらしい…<鉄板ナポリタン>という…
肉類と、玉ねぎやピーマン等の野菜をトマトケチャップ味に炒めたスパゲッティ…所謂「ナポリタン」は、スパゲッティの母国たるイタリアには無いという「メイドインジャパン」な料理である。これの起こりには諸説在るようなのだが、この「ナポリタン」を洋食店でステーキやハンバーグなどが冷めないように用いる鉄製の皿に盛って出すようにしたのは、名古屋の喫茶店で、1960年代頃だったそうだ…熱々に熱したステーキ皿に「ナポリタン」を盛って、溶き卵を掛けて更に保温性を高めるというようになっているそうだ…
↓これがその<鉄板ナポリタン>だと、暫し見入ってしまい…「熱っ!!」という感じなので、少しフーっと吹きながらゆっくりと頂いた…
他地方でも在るような気もするが…これが名古屋では文字どおりに「鉄板!!」な定番でもあるらしい…少し興味深かった。こういう「さり気ないモノ」に出くわすのが出先で過ごす愉しさでもある…
後から聞けば…「ナポリタン」に関して、名古屋以西では「イタリアン」という言い方もポピュラーであるといい、「鉄板イタリアン」と言う場合も多いらしい。が、自身で頂いた店では<鉄板ナポリタン>と呼ばれていた…
何やら「あそこだけで一つの都市…」というような趣の名古屋駅には、色々な場所に色々なテナントが入って営業していて、何処が何であるか、不慣れであれば非常に判り悪いのだが、とりあえず「一寸したランチ」が愉しめそうなカフェを発見して立寄ってみた…
↓こういうランチを頂いた…
↑「名古屋発祥」というモノらしい…<鉄板ナポリタン>という…
肉類と、玉ねぎやピーマン等の野菜をトマトケチャップ味に炒めたスパゲッティ…所謂「ナポリタン」は、スパゲッティの母国たるイタリアには無いという「メイドインジャパン」な料理である。これの起こりには諸説在るようなのだが、この「ナポリタン」を洋食店でステーキやハンバーグなどが冷めないように用いる鉄製の皿に盛って出すようにしたのは、名古屋の喫茶店で、1960年代頃だったそうだ…熱々に熱したステーキ皿に「ナポリタン」を盛って、溶き卵を掛けて更に保温性を高めるというようになっているそうだ…
↓これがその<鉄板ナポリタン>だと、暫し見入ってしまい…「熱っ!!」という感じなので、少しフーっと吹きながらゆっくりと頂いた…
他地方でも在るような気もするが…これが名古屋では文字どおりに「鉄板!!」な定番でもあるらしい…少し興味深かった。こういう「さり気ないモノ」に出くわすのが出先で過ごす愉しさでもある…
後から聞けば…「ナポリタン」に関して、名古屋以西では「イタリアン」という言い方もポピュラーであるといい、「鉄板イタリアン」と言う場合も多いらしい。が、自身で頂いた店では<鉄板ナポリタン>と呼ばれていた…
津島神社…(2020.12.25)
「全国天王総本社」という、些か物々しいようにも見える冠が着いた津島神社…愛知県の西方、名古屋から名鉄の列車で二十数分というような辺りに鎮座している。
津島駅を出ると、直ぐに津島神社に通じる道は判る…そこを真直ぐ進む…実際には、観音寺に立寄った後、駅の正面側に戻って、そこから歩を進めたのだが…
↓社の手前には大きな木が在る…
↓大きな楼門に行き当たる…
↓門の傍にも大きな木が在る…葉が色付く季節には、恐らく見事な様子なのであろう…
↓この時の明るい天に楼門が映えていた…
古く「津島社」と呼ばれた津島神社である。仏教の伝来の後に「神仏習合」という考え方が生まれて拡がり、、御祭神「建速須佐男之命」は「牛頭天王」に替るようになって行った。そして「津島社」は寧ろ「津島牛頭天王社」と呼ばれるようになり、江戸時代まではそういうように呼ばれていた。「津島牛頭天王社」の神職は、古くから疫病の流行という事態になれば方々を、西は琵琶湖の辺りまで、東は鎌倉の辺りまで広く駆け回って疫病退散の祈祷を行い、「牛頭天王」への信仰を各地へ拡げ、「全国天王総本社」というようになって行ったのだ。
年末に立寄ったので、新しい年を迎えて行く準備に勤しんでいるような様子も見受けられたが、大勢が溢れているというのでもないにせよ、余り切れ間なく参拝者が見受けられるような状態であった…
↓伝統の格式ある社らしい、凛とした雰囲気が好ましかった…
この社で「自身がこうしてここに在る」ということについて、初めて津島の地を訪れることが叶ったことについて感謝の意を表し、そして「悪疫退散」の特別御朱印を頂いた…
↓そしてこちら、南門から外に出たのだった…
一寸思うのは、「全国天王総本社」ということで、関係の信心を有している人達の間で津島の知名度は高いと思う。が、名鉄のネットワークを外れているような地域では、津島の知名度は然程高くないような気がする。それでも、こうして訪ねてみて、何か「好いな…」という空気感が在った。そういうものに何となく出くわすことが出来るというのが、然程細かい予定を練るのでもなく出掛けてみるということなのだと思う…
もし「次の機会」が在れば、もう少し津島の色々な場所に立寄ってみたい感だ…
津島駅を出ると、直ぐに津島神社に通じる道は判る…そこを真直ぐ進む…実際には、観音寺に立寄った後、駅の正面側に戻って、そこから歩を進めたのだが…
↓社の手前には大きな木が在る…
↓大きな楼門に行き当たる…
↓門の傍にも大きな木が在る…葉が色付く季節には、恐らく見事な様子なのであろう…
↓この時の明るい天に楼門が映えていた…
古く「津島社」と呼ばれた津島神社である。仏教の伝来の後に「神仏習合」という考え方が生まれて拡がり、、御祭神「建速須佐男之命」は「牛頭天王」に替るようになって行った。そして「津島社」は寧ろ「津島牛頭天王社」と呼ばれるようになり、江戸時代まではそういうように呼ばれていた。「津島牛頭天王社」の神職は、古くから疫病の流行という事態になれば方々を、西は琵琶湖の辺りまで、東は鎌倉の辺りまで広く駆け回って疫病退散の祈祷を行い、「牛頭天王」への信仰を各地へ拡げ、「全国天王総本社」というようになって行ったのだ。
年末に立寄ったので、新しい年を迎えて行く準備に勤しんでいるような様子も見受けられたが、大勢が溢れているというのでもないにせよ、余り切れ間なく参拝者が見受けられるような状態であった…
↓伝統の格式ある社らしい、凛とした雰囲気が好ましかった…
この社で「自身がこうしてここに在る」ということについて、初めて津島の地を訪れることが叶ったことについて感謝の意を表し、そして「悪疫退散」の特別御朱印を頂いた…
↓そしてこちら、南門から外に出たのだった…
一寸思うのは、「全国天王総本社」ということで、関係の信心を有している人達の間で津島の知名度は高いと思う。が、名鉄のネットワークを外れているような地域では、津島の知名度は然程高くないような気がする。それでも、こうして訪ねてみて、何か「好いな…」という空気感が在った。そういうものに何となく出くわすことが出来るというのが、然程細かい予定を練るのでもなく出掛けてみるということなのだと思う…
もし「次の機会」が在れば、もう少し津島の色々な場所に立寄ってみたい感だ…
<M101>…:幌南小学校前停留所&電車事業所前停留所:札幌の路面電車(2020.12.29)
札幌に在って、時間が許すのであれば、「路面電車に乗って沿線を動き回りながら路面電車を眺める」というような一時を過ごしてみたいと思うことが在る…
↓天候にも恵まれたと思いながら、その「路面電車に乗って沿線を動き回りながら路面電車を眺める」というような一時を過ごしていて、幌南小学校前停留所に在った…
↓少し変わった外観の車輛がやって来た…<M101>である。
<M101>は1961年に登場した。現在でも走っている車輛にもう1輛の自走不可の車輛を連結した形のモノとして登場し、混み合う時間帯を中心に運用されていた。
<M101>は、混み合わない時間帯には連結されていた車輛を切り離すことも出来たが、切り離した側が集電装置を付けていない自走不可なモノで、更に切り離しと連結に手間も要するので、連結された状態が殆どであったという。更に“連結”と言っても2つの車輛の間が往来出来るのでもなく、運賃の支払いを受けるようなことで、乗務員を連結された側の車輛にも配する必要が在り、結果的に色々な意味で使い悪いということになった。そういう訳で、同型の車輛は製造されずに終始したようだ…
1970年に至り、連結される側の車輛は廃車になり、<M101>の側はワンマン運行用の改装が施されて現在に至っているのである…
↓<M101>の車内でこういうモノが見受けられる…
↑自身でも大変に愉しく観た想い出が在る映画『探偵はBARにいる』でこの車輛が登場している。主演した大泉洋のサインが在った…映画『探偵はBARにいる』でこの車輛は、主人公の“探偵”が関係者に事情を尋ねるべく出掛ける場面で、“探偵”が乗車しているのだ…
↓電車事業所前停留所に着いて下車した…
↑1990年前後から、札幌の路面電車は「STカラー」と呼ばれる明るめな緑を基礎にした外観、または広告となっているのだが、<M101>は「嘗ての標準的な塗装」がそのままとなっている…
↓暫く様子を視ていると<M101>は発車した…
↓反対側の軌道にも、随分と以前からの形状を留めている車輛が走っていた…
↓もう“還暦”という車輛であるが、永く活躍し続けて欲しいものだ…
一寸気に入っている「往年の雰囲気を色濃く伝える車輛」なので、<M101>に出くわして乗車すると、少しだけ嬉しくなる…
↓天候にも恵まれたと思いながら、その「路面電車に乗って沿線を動き回りながら路面電車を眺める」というような一時を過ごしていて、幌南小学校前停留所に在った…
↓少し変わった外観の車輛がやって来た…<M101>である。
<M101>は1961年に登場した。現在でも走っている車輛にもう1輛の自走不可の車輛を連結した形のモノとして登場し、混み合う時間帯を中心に運用されていた。
<M101>は、混み合わない時間帯には連結されていた車輛を切り離すことも出来たが、切り離した側が集電装置を付けていない自走不可なモノで、更に切り離しと連結に手間も要するので、連結された状態が殆どであったという。更に“連結”と言っても2つの車輛の間が往来出来るのでもなく、運賃の支払いを受けるようなことで、乗務員を連結された側の車輛にも配する必要が在り、結果的に色々な意味で使い悪いということになった。そういう訳で、同型の車輛は製造されずに終始したようだ…
1970年に至り、連結される側の車輛は廃車になり、<M101>の側はワンマン運行用の改装が施されて現在に至っているのである…
↓<M101>の車内でこういうモノが見受けられる…
↑自身でも大変に愉しく観た想い出が在る映画『探偵はBARにいる』でこの車輛が登場している。主演した大泉洋のサインが在った…映画『探偵はBARにいる』でこの車輛は、主人公の“探偵”が関係者に事情を尋ねるべく出掛ける場面で、“探偵”が乗車しているのだ…
↓電車事業所前停留所に着いて下車した…
↑1990年前後から、札幌の路面電車は「STカラー」と呼ばれる明るめな緑を基礎にした外観、または広告となっているのだが、<M101>は「嘗ての標準的な塗装」がそのままとなっている…
↓暫く様子を視ていると<M101>は発車した…
↓反対側の軌道にも、随分と以前からの形状を留めている車輛が走っていた…
↓もう“還暦”という車輛であるが、永く活躍し続けて欲しいものだ…
一寸気に入っている「往年の雰囲気を色濃く伝える車輛」なので、<M101>に出くわして乗車すると、少しだけ嬉しくなる…
ユニークな御朱印…:津島 断ち切り不動尊 ― 牛玉山 観音寺(2020.12.25)
名鉄の津島駅を出て、「一つめの信号を暫く進むと左手に見える喫茶店<トキオ>さんを左折」とメモをして訪ねようとした場所であるが…
↓この「<トキオ>さん」を最初に見逃してしまい、辺りを何度もグルグルと廻り歩く羽目に陥ってしまった…今後のため、この場所「<トキオ>さん」の画を掲出することから話しを起こしたい…
「尾張津島」という場所に、何となく興味を覚えた…
かの織田信長の家は、尾張の中での抗争に勝ち残って広く覇を唱えて行くことになるのだが、父の織田信秀の代から、拠点とした地域の経済力を背景に力を蓄えてと言われる。その拠点として挙げられている地域が「尾張津島」である。
現在は愛知県津島市であるが、ここは辺りの幾つかの町が合わさって津島市ということになったようである。名古屋から名鉄の列車で二十数分という感じの地域だ。名古屋との間で移動に要する時間としては、以前に立寄った隣県である三重県桑名市と然程の差は無いような気もした。
津島は<牛頭天王社>(=現在の津島神社)の門前町として賑わってあり、木曽川の舟運の拠点ともなっていた。その経済力が、戦国時代にも非常に重要であったということだ…
そんなことで漠然と関心を覚えた津島に関して、「名古屋に寄る機会でも在れば、一寸足を延ばそう」と思い付いたのは、ある小さな寺での活動に関して耳にしたからである。
現在の津島神社が<牛頭天王社>とされていた頃には、「神仏習合」というようなことで<神宮寺>というモノが在り、その傘下に多くの僧房が設けられていた。そうした僧房の流れを汲む寺が現在でも幾つも在って活動しているという。
↓その<神宮寺>の僧房の流れを汲む寺の一つに「津島 断ち切り不動尊」―「悩み、苦しみ、病気などを智恵の利剣で断ち切り、強い意志を持って進む力を与えて下さる」という…―として親しまれる<牛玉山 観音寺>(ごおうざん かんのんじ)が在る。
↓正直、やや読み悪い位置になっていたが、<神宮寺>の僧房の流れを汲む寺である旨が紹介されていた。
この観音寺が一部に注目されている。画の得意な副住職が創るユニークな御朱印が大変に好評であるというのだ。それを頂いてみたいと思ったのだ…
↓大日如来の姿をイメージした劇画風なイラストを入れたモノが在った…
こういう素敵な「作品」という様相のモノは、画や文字を刷っておいて、そこに押印して日付を書き込むようになっている。御朱印帳の見開きになる頁に貼り付ける訳だ…
↓愛染明王が在った…
↓更に阿修羅も在った…
画の得意な副住職が創るユニークな御朱印が大変に好評という中で、津島に在って独自な活動を展開しようとしている様子で、なかなかに面白いと思った。何やら津島は、<神宮寺>の僧房の流れを汲む寺に限らず、「寺院密集地域」と言われる程度に寺が目に付く地域で、各寺の関係者等で地域を盛り立てようとしている様子が伺える。そういうようなことを、可能な範囲で出来るように手掛けようとしてみる様子は少し好ましいと思う。
自身の御朱印帳に、通常型の御本尊である不動尊の号と寺名を書き込んだというモノも頂いたが、写真を掲載したユニークな副住職による作品も頂いた。持ち帰る中で傷めてしまっては申し訳ないので、その場で折り畳んで御朱印帳に確り収めるようにしていると、副住職が糊を貸して下さったので確りその場で貼り付けた…
何か干支によって“守護”の仏様が在るというのだが、自身の干支である申年は大日如来なのだという。そういうことで、大日如来のイラストというのは、何となく嬉しいと思った。
或いは今般津島に立寄ったのは「偵察?」というような感で、また訪ねてみたいと、離れた直後から思っている…
↓この「<トキオ>さん」を最初に見逃してしまい、辺りを何度もグルグルと廻り歩く羽目に陥ってしまった…今後のため、この場所「<トキオ>さん」の画を掲出することから話しを起こしたい…
「尾張津島」という場所に、何となく興味を覚えた…
かの織田信長の家は、尾張の中での抗争に勝ち残って広く覇を唱えて行くことになるのだが、父の織田信秀の代から、拠点とした地域の経済力を背景に力を蓄えてと言われる。その拠点として挙げられている地域が「尾張津島」である。
現在は愛知県津島市であるが、ここは辺りの幾つかの町が合わさって津島市ということになったようである。名古屋から名鉄の列車で二十数分という感じの地域だ。名古屋との間で移動に要する時間としては、以前に立寄った隣県である三重県桑名市と然程の差は無いような気もした。
津島は<牛頭天王社>(=現在の津島神社)の門前町として賑わってあり、木曽川の舟運の拠点ともなっていた。その経済力が、戦国時代にも非常に重要であったということだ…
そんなことで漠然と関心を覚えた津島に関して、「名古屋に寄る機会でも在れば、一寸足を延ばそう」と思い付いたのは、ある小さな寺での活動に関して耳にしたからである。
現在の津島神社が<牛頭天王社>とされていた頃には、「神仏習合」というようなことで<神宮寺>というモノが在り、その傘下に多くの僧房が設けられていた。そうした僧房の流れを汲む寺が現在でも幾つも在って活動しているという。
↓その<神宮寺>の僧房の流れを汲む寺の一つに「津島 断ち切り不動尊」―「悩み、苦しみ、病気などを智恵の利剣で断ち切り、強い意志を持って進む力を与えて下さる」という…―として親しまれる<牛玉山 観音寺>(ごおうざん かんのんじ)が在る。
↓正直、やや読み悪い位置になっていたが、<神宮寺>の僧房の流れを汲む寺である旨が紹介されていた。
この観音寺が一部に注目されている。画の得意な副住職が創るユニークな御朱印が大変に好評であるというのだ。それを頂いてみたいと思ったのだ…
↓大日如来の姿をイメージした劇画風なイラストを入れたモノが在った…
こういう素敵な「作品」という様相のモノは、画や文字を刷っておいて、そこに押印して日付を書き込むようになっている。御朱印帳の見開きになる頁に貼り付ける訳だ…
↓愛染明王が在った…
↓更に阿修羅も在った…
画の得意な副住職が創るユニークな御朱印が大変に好評という中で、津島に在って独自な活動を展開しようとしている様子で、なかなかに面白いと思った。何やら津島は、<神宮寺>の僧房の流れを汲む寺に限らず、「寺院密集地域」と言われる程度に寺が目に付く地域で、各寺の関係者等で地域を盛り立てようとしている様子が伺える。そういうようなことを、可能な範囲で出来るように手掛けようとしてみる様子は少し好ましいと思う。
自身の御朱印帳に、通常型の御本尊である不動尊の号と寺名を書き込んだというモノも頂いたが、写真を掲載したユニークな副住職による作品も頂いた。持ち帰る中で傷めてしまっては申し訳ないので、その場で折り畳んで御朱印帳に確り収めるようにしていると、副住職が糊を貸して下さったので確りその場で貼り付けた…
何か干支によって“守護”の仏様が在るというのだが、自身の干支である申年は大日如来なのだという。そういうことで、大日如来のイラストというのは、何となく嬉しいと思った。
或いは今般津島に立寄ったのは「偵察?」というような感で、また訪ねてみたいと、離れた直後から思っている…
<ひのとり>に乗車…:鶴橋・名古屋間(2020.12.25)
近鉄の列車に乗って、奈良から名古屋へ移動することとした。
早朝に近鉄奈良駅の窓口で駅員さんに訊ね、大阪側へ向かい、鶴橋駅で特急列車に乗って近鉄の名古屋駅へ出るということにした。3月に登場したという新しい車輛による特急列車<ひのとり>に乗車するということになった…
↓鶴橋駅でホームに佇めば、反対方向、大阪難波駅側へ走っている<ひのとり>を見掛けた…
↓近鉄の主要駅では、こういううような「出発列車案内」の掲出が見受けられる。アルファベット…英語版も出て来る。“Nara”とか“Nagoya”と在ると、“奈良”とか“名古屋”というのと、一寸違うような、不思議な気分になった…
↓定刻で列車は鶴橋駅に現れた…
<ひのとり>に乗車するための“特急券”を御願いする際、「“プレミアム”と“レギュラー”が在りますが、何方に?」と尋ねられた。“プレミアム”は「2列+1列」の座席配置で6輛編成の先頭か最後尾だ。“レギュラー”は「2列+2列」の座席配置となる。「1人でゆったりと…年に何度も乗車機会が設けられるのでもない…」と思い「“プレミアム”の1人掛けの席を…」と御願いすればアッサリと確保出来た…
↓これが利用することになった座席だ…包み込まれるかのようなシートだ…
↓隣の2列の席も空いていたので、一寸写真に収めておいた。
こういうシートの「2列+1列」が1輛の中に7つ…21席設けられていた。シートの前後の間隔も広い。加えてシートはリクライニングするようなことをしても、後方に何らの干渉も無い。大き目なシートがカプセルのようなモノに包まれたような造りなのだ…
↓利用中で有効期間の中であった<3日間全線フリー>を“乗車券”とし、奈良駅で<ひのとり>に乗車するための“特急券”を求めたのだった…
↓乗車していたのは先頭側となった1号車であったが、車輛の後方はこういう具合になっていた。
↑嵩張るモノを預けるロッカーが設えられている他、“カフェコーナー”というモノが在った。
↓専用のカップを機器に据えて、200円を投じると珈琲等が出て来るというようになっている。
↑機器は、近年は各コンビニチェーンで見受けられる「カップに入る珈琲」を用意するモノのバリエーションだと思う。あの各コンビニチェーンの珈琲のような按配で、珈琲が出来上がる…
↓確りとロゴが入った専用のカップが用意されている…
↓<ひのとり>の愛称に因むイラストのロゴの他、アルファベットの<HINOTORI>というロゴも在って、カップの反対側に在った…
各コンビニチェーンで見受けられる珈琲は、何処のチェーンのモノも悪くないと思っているが、そういうレベルの珈琲でなかなかに美味かった。これを啜ってゆったりと車内で過ごしていた…
大阪難波駅を出て、上本町や鶴橋で乗客を迎えた後、終着の名古屋までの間に停車するのは大和八木駅と津駅だけだった…
↓定刻で近鉄の名古屋駅に<ひのとり>は到着した…
未だ真新しいような感の「ワンランク上の寛ぎ」という車輛で、少し愉しい移動が叶った…或いは?「とりあえず<ひのとり>に乗車してみる」ということを目的に、態々「名古屋と大阪を巡る」という計画を立ててみる…馬鹿げているかのように聞こえることを綴っているが、そういうのも「在り!!」だと思う程に好かった…
※ 名古屋到着時の写真、乗車券等の写真は愛知県内の撮影になるが、他は未だ車輛が大阪府内を走行中のモノなので、この記事は大阪府のカテゴリに分類する。
早朝に近鉄奈良駅の窓口で駅員さんに訊ね、大阪側へ向かい、鶴橋駅で特急列車に乗って近鉄の名古屋駅へ出るということにした。3月に登場したという新しい車輛による特急列車<ひのとり>に乗車するということになった…
↓鶴橋駅でホームに佇めば、反対方向、大阪難波駅側へ走っている<ひのとり>を見掛けた…
↓近鉄の主要駅では、こういううような「出発列車案内」の掲出が見受けられる。アルファベット…英語版も出て来る。“Nara”とか“Nagoya”と在ると、“奈良”とか“名古屋”というのと、一寸違うような、不思議な気分になった…
↓定刻で列車は鶴橋駅に現れた…
<ひのとり>に乗車するための“特急券”を御願いする際、「“プレミアム”と“レギュラー”が在りますが、何方に?」と尋ねられた。“プレミアム”は「2列+1列」の座席配置で6輛編成の先頭か最後尾だ。“レギュラー”は「2列+2列」の座席配置となる。「1人でゆったりと…年に何度も乗車機会が設けられるのでもない…」と思い「“プレミアム”の1人掛けの席を…」と御願いすればアッサリと確保出来た…
↓これが利用することになった座席だ…包み込まれるかのようなシートだ…
↓隣の2列の席も空いていたので、一寸写真に収めておいた。
こういうシートの「2列+1列」が1輛の中に7つ…21席設けられていた。シートの前後の間隔も広い。加えてシートはリクライニングするようなことをしても、後方に何らの干渉も無い。大き目なシートがカプセルのようなモノに包まれたような造りなのだ…
↓利用中で有効期間の中であった<3日間全線フリー>を“乗車券”とし、奈良駅で<ひのとり>に乗車するための“特急券”を求めたのだった…
↓乗車していたのは先頭側となった1号車であったが、車輛の後方はこういう具合になっていた。
↑嵩張るモノを預けるロッカーが設えられている他、“カフェコーナー”というモノが在った。
↓専用のカップを機器に据えて、200円を投じると珈琲等が出て来るというようになっている。
↑機器は、近年は各コンビニチェーンで見受けられる「カップに入る珈琲」を用意するモノのバリエーションだと思う。あの各コンビニチェーンの珈琲のような按配で、珈琲が出来上がる…
↓確りとロゴが入った専用のカップが用意されている…
↓<ひのとり>の愛称に因むイラストのロゴの他、アルファベットの<HINOTORI>というロゴも在って、カップの反対側に在った…
各コンビニチェーンで見受けられる珈琲は、何処のチェーンのモノも悪くないと思っているが、そういうレベルの珈琲でなかなかに美味かった。これを啜ってゆったりと車内で過ごしていた…
大阪難波駅を出て、上本町や鶴橋で乗客を迎えた後、終着の名古屋までの間に停車するのは大和八木駅と津駅だけだった…
↓定刻で近鉄の名古屋駅に<ひのとり>は到着した…
未だ真新しいような感の「ワンランク上の寛ぎ」という車輛で、少し愉しい移動が叶った…或いは?「とりあえず<ひのとり>に乗車してみる」ということを目的に、態々「名古屋と大阪を巡る」という計画を立ててみる…馬鹿げているかのように聞こえることを綴っているが、そういうのも「在り!!」だと思う程に好かった…
※ 名古屋到着時の写真、乗車券等の写真は愛知県内の撮影になるが、他は未だ車輛が大阪府内を走行中のモノなので、この記事は大阪府のカテゴリに分類する。