<双龍図>…:建仁寺(2020.12.22)

京都の祇園に宿を求めることにした最初の夕べに辺りを歩いた。名が通った禅寺である建仁寺の境内の一部が普通の歩行可能な道という様相で、通り抜ける場面が在った。

そういうことが在って、翌日の午後に少し時間を設けることも叶ったので「そう言えば…訪ねてみたことが無かった…」と思い付いた建仁寺をゆっくりと拝観した…

↓驚いたのはこれだった…
22-12-2020 Kyoto vol01a (138)
↑特段に「御遠慮願う」というような指示も見受けられなかったので、驚いた記憶を留めておこうと撮ってしまった…

建仁寺も京都の古寺では多く見受けられるように、伽藍が様々な事由で損なわれ、それが再建されるということを繰り返している。

拈華堂(ねんげどう)とも呼ばれる法堂(ほっとう)は1927(昭和2)年の建物であるというが、この堂内の天井に「建仁寺創建800年」を記念して2002(平成14)年に据えられたのが<双龍図>である。口を開けた阿(生を意味する)と口を噤んだ吽(死を意味する)の二つの龍が描かれている。

↓高い天井に据えられているので大きさが見た目にやや判り悪いが縦11.4m、横15.7mで、畳108枚分にもなるのだという。この寸法は後で調べて判ったが、現場で視れば大きさに圧倒されてしまう…36枚のパネルに描かれ、天井に貼り合わせたのだそうだ…
22-12-2020 Kyoto vol01a (142)

それにしても凄い迫力だ…
posted by Charlie at 11:07Comment(0)京都府

アイリッシュコーヒーを一杯…:<宮越屋珈琲 ESPRESSO BAR>(2020.12.29)

↓濃い珈琲、アイリッシュウイスキー、クリーム…秀逸だ!札幌都心でアイリッシュコーヒーを頂いて一息…
29-12-2020 Sapporo (13)

↓こんな階段を下りる地階のフロアーに在るカフェだ…
29-12-2020 Sapporo (10)

↓こんな店構え…或いは入口だ…
29-12-2020 Sapporo (8)

↓入口にこういうような掲示が在った…
29-12-2020 Sapporo (9)

↓全てのの席、或いは各テーブルに灰皿が置かれていて、随意に煙草を点けて構わない場所だ。札幌都心では「多少、希少価値?」ということになるのかもしれない…
29-12-2020 Sapporo (16)

「こういう場所」であるが故か、来店客は途切れず、なかなか活気が在ったかもしれない…随分と以前にも立寄ってみた記憶は在るが…「好い場所」が増えた感だ…

それにしてもアイリッシュコーヒーが酷く美味かった…

冷える…:札幌(2020.12.31)

目下、札幌市内に在るのだが…

↓朝に戸外の様子を伺って、こういう様子を見掛けた…
31-12-2020 Sapporo in early morning (4)
↑滞在している先の玄関、金属の支柱である…空気中の水分が凍ったというのか、雪の結晶というのか、何やら不思議な感じだ…

思わず、一度屋内に入ってカメラを引っ張り出して、また戸外に出て写真を撮ってしまった…

気温は「氷点下二桁」に及んだという。確かに戸外は冷えていた…何やら広い範囲で寒気に覆われて、天候が崩れる場所も出て来るらしいが、手近な札幌辺りではとりあえず「冷えた晴天」という様相の朝だ…

黒いキャップ…:<大阪近鉄バファローズ>(2020.12.27)

稚内から苫小牧に南下し、海路で仙台に上陸し、新幹線の列車を乗り継いで大阪に至り、根来、信貴山、高野山、京都、奈良と関西方面に在って、名古屋に至って津島にも寄り、東京へ移動して新幹線の列車と在来線の列車で札幌へ…

↓この「飛ばなかった…」旅の最初から最後まで、自身と共に在ったキャップだ…
27-12-2020 my favourite cap

<HRC Tokyo>に立寄った際、言葉を交わした人達の一部が「好い感じの帽子!」と言っていたが、自身でも凄く気に入っている代物である。<近鉄バファローズ>としての長い経過の中で登場した「猛牛」のマーク…かの岡本太郎のデザインと伝わる代物で長く使われていた。これが「球団合併」で姿を消す少し前、短い期間に<大阪近鉄バファローズ>と名乗って活動した頃、この「猛牛」のマークをシンプルに使ったキャップを選手や監督・コーチが着用した。そのデザインをアレンジして、「全部が黒」で作った代物を入手して愛用している…

帽子に関しては、「何時の間にか何処かで落としてしまうか、忘れてしまうで紛失…」という残念な例も無いでもないのだが…これは大事にしたい感になった。更に、来年は丑年なので、牛を念頭に置いたデザインのモノは縁起が良いかもしれない…

被って出掛けた帽子を途中で失くしてしまうことなく、無事に被って戻っていると、何となく札幌で眺めながら写真に収めてしまったという訳だ…

御朱印帳(2020.12.31)

↓札幌に在って、手元のこういうモノを何となく眺めた…
31-12-2020 Sapporo in early morning (1)
↑御朱印帳だ…昨年9月、所用で暫く札幌に滞在した後、方々に寄道をしながら稚内へ引揚げようとした際、札幌都心部の店で求めたモノだった…

方々の神社で御朱印を頂いた…

↓この御朱印帳には下記の場所で御朱印を頂いた…

船魂神社(函館)(R01.09.02)、函館八幡宮(R01.09.02)、岩見沢神社(R01.09.03)、旭川神社(R01.09.03)、上川神社(R01.12.15)、住吉神社(小樽)(R01.12.21)、水天宮(小樽)(R01.12.21)、湯倉神社(函館)(R01.12.24)、御霊神社(京都・上御霊)(R02.03.30)、宇治神社(R02.03.30)、宇治上神社(R02.03.30)、清明神社(R02.03.30)、八坂神社(京都・祇園)(R02.03.31)、城南宮(R02.03.31)、率川神社(R02.03.31)、宇太水分神社(R02.04.02)、龍田大社(R02.04.02)、豊國神社(大阪城)(R02.04.02)、姫路神社(R02.04.03)、琴似神社(R02.05.30)、北海道神宮頓宮(R02.09.05)、志波彦神社&鹽竈神社(R02.12.18)

これらを視れば、各々の場所を訪ねた時のこと等、色々と想い起す…この御朱印帳も大切に保管したい…

<総長大隈老侯像>…(2020.12.26)

東京に1泊で、少しばかり時間を設けて随意に歩き廻ったのというのは、何となく久し振りなことだ。随分と以前に住んでいた辺り…今般は一寸立ち寄ってみた…

↓周辺の建物の様子は何時の間にか随分と変わったように思ったが、佇む銅像は「相変わらず…」という感だ。
26-12-2020 Tokyo... vol01 (80)

↓この銅像…眺めるのも随分と久し振りだと思う。
26-12-2020 Tokyo... vol02 (5)

↓銅像の脇の建物が「こんなに背が高かっただろうか?」と一寸考えてしまった…
26-12-2020 Tokyo... vol02 (10)
↑銅像の顔を見ると、「随分以前のテレビ時代劇で『水戸黄門』に出ていた御老公役の俳優に似ている…」と思うことが在る。晩年の大隈重信は、所謂“元老”ということにこそならなかったが、首相を含む要職を経験した大物ということで、“水戸黄門”か何かのような「御意見番」的な存在感が在ったようだ…

↓これはこの大隈重信の像が据えられた場所のイメージとしてよく知られているような様子であろうか…大隈重信は、自らが創立に携わった大学を随分と愛していたと伝えられる…
26-12-2020 Tokyo... vol02 (8)
↑こういう様子は「何時までもこういう感じで…」と一寸思ってしまう…

時にはこういうような辺りにふらりと寄るのも悪くないかもしれない…
posted by Charlie at 07:06Comment(0)東京都

<高野山トートバッグ>…(2020.12.20)

↓梵字が書き込まれている…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' -souvenir (3)
↑左から「勝負運がよくなる梵字」、「毎日元気で力強く生きるための梵字」、「災いを除ける梵字」という意味であるそうだ…

↓こういう具合に売られていたのを購入したのだった…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' -souvenir (1)

↓これが、高野山の土産のトートバッグなのだ…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' -souvenir (4)

最近は、買物の際に求めたモノを容れるバッグのようなモノを持ち歩く方が都合が好い感じになっている。高野山でこのバッグを求めた後、各地でこれを早速使っている。記事を綴っている時点で札幌に在るが、札幌でも使っている…

出先で一寸気に入ったトートバッグを見付けると、思わず入手してしまう。こういうモノは何個在っても邪魔にはなり悪いと思うからだ…

バッグに在る梵字に込められた「勝負運がよくなる」、「毎日元気で力強く生きる」、「災いを除ける」というような効果が如何程在るのかは判らない。が、高野山を訪ねてみた時のことを思い出しながら、愉しく使える実用品で、既に存外に役立っていることは間違いない…

※ 写真そのものは大阪の宿で撮っているが、高野山で入手したグッズなので記事は「和歌山県」のカテゴリに収めたい。

「飛ばなかった…」旅からの帰着後雑感…:運行日誌(2020.12.17-27)追記

月の下旬に少し時間を設けて動いてみれば、直ぐに月末に至ってしまう。動いたのが12月となれば、月末は即ち年末でもある。

年末、自身にとっては「札幌で“居候”…」ということが恒例化している。月の下旬の動きから、そのまま「札幌で“居候”…」という状況にスライドした。

時間を設けて動いたのは非日常だ。恒例化している“居候”は、半ば日常ながらも、一部は非日常だ。

「予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず」というのは、かの松尾芭蕉の『奥の細道』に在る一節だったと思うが、「漂泊の思い止まず」ということで、時間を設けてフラフラと出てしまい、何となく戻った。

今般、余りにも「訪ねてみたいあそこ」という場が多く、何をどうしたものか、なかなか収拾が困難だった。「困難…」とは言っても、「勝手に迷っている」に過ぎず、どうということもないのだが…

とは言え、実際に「航空券を申込む!」、「止めた…」を何度かやって、「とりあえず<青春18きっぷ>=普通列車で、可能な範囲で随意に動くことが出来る」ということにして、改めて考えた。結果、「苫小牧に至ってフェリーで仙台にとりあえず上陸」ということにしたのだった。

今般、少なくとも<真言宗十八本山>の件は頭に在った。既に「十八本山」の18ヶ寺を巡った件については綴ったが、夏に思い付いて着手した「18ヶ寺巡り」の「残り」を何とかしたかった。

この「18ヶ寺巡り」の「残り」をどうかしようとすれば…A 交通至便な大阪の何処かに陣取り、根来寺、信貴山、高野山を巡る、B 京都または京都へ出易い辺りにに陣取り、京都の未踏4寺を巡る、C AとBとの移動に際して、阪急沿線の宝塚市内の2寺を巡るということをすれば、順番はどうでも構わないが、「18ヶ寺巡り」の「残り」を訪ねるということは可能であると見受けられた。

他方で「仙台に上陸」となれば、そこから訪ねたい、寄りたいは無制限に多々在るということで、益々収拾困難に陥る。フェリーの船内で寛ぎながら、随分と考えたのだ。

その結果、仙台上陸後に比較的速やかに大阪へ移動し、上述の「18ヶ寺巡り」の「残り」に向けた案を実施し「十八本山」の18ヶ寺巡りの成就を目指すこととした。

それ以降は?気紛れに、前夜やその日の思い付きのように動き回った。北海道へ引揚げる段取りに関しては、何時かも利用した新幹線の列車と北海道内の特急列車の乗継で札幌に到るということにして、それに備えて東京駅至近で前夜を明かすということは、少し早く決めた。

となると…関西から東京は何処をどのように通っても構わなかった。北陸や信越を経るということも思い付いた。紀伊半島を広く巡るようなことも思い付いた。四国や九州に向かって、そこから東京へ飛ぶことも考えた。が…何れでもなく、関西滞在を少しだけ伸ばし、名古屋を経て東京へという、やや無難な経路になった…

結果として…今般は「飛ばなかった…」という旅だ。空路を利用する機会を設けず、列車や船での移動を重ねていたことになる…

今般…「18ヶ寺巡り」の「残り」―根来寺、朝護孫子寺、金剛峯寺(高野山)、清荒神清澄寺、中山寺、大覚寺、醍醐寺、随心院、教王護国寺(東寺)―の9寺の他、建仁寺、法隆寺、興福寺、東大寺、葛井寺、観音寺(津島)、大須観音を訪れた。神社に関しては、鹽竈神社、松尾大社、辛国神社、津島神社、若宮八幡社、富岡八幡宮、穴八幡宮、神田明神を訪れた。また、大阪で大浪橋、岩松橋、千歳橋を、東京で永代橋、中央大橋を写真に収める機会が各々に在ったが、橋梁を眺めるというようなことも重ねたという記憶が残る…

こういうこと―合わせて16寺、8社に立寄った…更に社寺の辺りを漫然と通り過ぎてしまっているというのも在ると思う…―をやっていると、或る種の“巡礼”という様相を呈しているかもしれないが、そういう意識は薄い…社寺に関しては「歴史や文化や地域活動を象徴するような場」として、関心を覚えるので訪ねているに過ぎない。或いは「景色が好いので眺めに…」ということも在る。加えて社寺では「自身がここに在る」ことに関して、「各訪問先へ無事に着いたこと」について感謝の意を表しようと社寺で参拝し、可能であれば御朱印を頂く場合も在るということだ…

何処かを訪ねてみる場合、訪ねる先が何か特別である必然性は無いと、今般改めて思った。訪ねる先々の「普通…」な感じの中に何となく御邪魔するだけで十分だ…最近の関心は、何となく社寺に傾いていて、社寺を訪ねるようなことをしながら方々の街を随意に動いたというような感だった…

こうした営為から何を見出したのか?見聞等に関しては、追って少しずつ―一部は先行して素早く綴って出してしまっているが…―整理したい。マダマダ十二分に記憶が新しい間に、簡単な纏めをしようと、この記事を綴っている訳だ。

巷で「GoTo」なるものが如何したこうしたと話題になってはいるようだが…自身としては「Go to XX」と誰かに命令形で言われるまでもなく、何時でも「漂泊の思ひやまず」というもので、時間が設けられれば何処へでも可能なように出掛けるだけのことだ…そして今般は出掛けた。

戻ってみて、早速に「“次”に機会が在れば?」と何となく思っている側面も否定し悪い…

或いは「今年の些か特殊な事情?」ということも在るかもしれないが、「達成感のようなモノと縁が薄かった?」という中、「十八本山」の18ヶ寺巡りの成就は「少し大きな達成感!」というように思っている一面が在る…