綺麗に晴れて眩しい光線が見受けられるでもない曇天…冬季には「最も馴染みな…」と言い得る様子のような気がする…
↓「雪が降っている」というようにも思えるが、同紙に「少し風が強まって、積もった雪が風に舞っている」というようにも感じられる…
何となく不思議な様子なのだが、他方で「非常に当地の今の時季らしい」というようにも感じてしまう…
チーズケーキ…(2020.01.30)
午後のドーム前駅…(2020.12.19)
出先の少し不慣れな駅であっても、数日滞在する場所の最寄駅というようなことになると、着いた時に頭の中で「戻って来た…」と何時の間にか考えるようになっている…
↓阪神なんば線のドーム前駅は、阪神なんば線を通る列車に何度も乗っている割には利用機会が無かった「出先の少し不慣れな駅」というモノであった。しかし、近くの宿に滞在しながら方々を巡り、何時の間にか頭の中で「戻って来た…」と考える場所となっていた…
↓先行して建設されて開業した地下鉄が在る関係上、このドーム前駅は「深い地下」であるらしく、ホームに佇めば「天井が…高い!」と些か驚く…
↑根来寺や信貴山の朝護孫子寺を訪ね、大阪へ引揚げて大阪難波駅から乗車した車輌は近鉄の車輌だ。阪神なんば線では、この近鉄の9020系電車は頻繁に見掛ける…
↓列車でドーム前駅に着いてから「地上の光」が見えるまでに、少し長い感じのエスカレータを何回も乗り継ぐような感じだ…
こういう「出先の駅」は、方々を巡る際に利用するというだけのことだが、何時の間にか頭の中で「少し懐かしい場所」という存在感を帯びてしまう…
↓阪神なんば線のドーム前駅は、阪神なんば線を通る列車に何度も乗っている割には利用機会が無かった「出先の少し不慣れな駅」というモノであった。しかし、近くの宿に滞在しながら方々を巡り、何時の間にか頭の中で「戻って来た…」と考える場所となっていた…
↓先行して建設されて開業した地下鉄が在る関係上、このドーム前駅は「深い地下」であるらしく、ホームに佇めば「天井が…高い!」と些か驚く…
↑根来寺や信貴山の朝護孫子寺を訪ね、大阪へ引揚げて大阪難波駅から乗車した車輌は近鉄の車輌だ。阪神なんば線では、この近鉄の9020系電車は頻繁に見掛ける…
↓列車でドーム前駅に着いてから「地上の光」が見えるまでに、少し長い感じのエスカレータを何回も乗り継ぐような感じだ…
こういう「出先の駅」は、方々を巡る際に利用するというだけのことだが、何時の間にか頭の中で「少し懐かしい場所」という存在感を帯びてしまう…
「吹き溜まり」…(2021.01.30)
「降雪が寧ろ風に舞う感…」という状況が続いた夜が明け、天候が「時々降雪が交る曇天」というような具合に落ち着いた…
「降雪が寧ろ風に舞う感…」という状況が続くと、如何いう様子になるのか?
↓例えばこういう具合だ…
↑店舗の入口や店舗前の歩道に、少し変な形に雪が積もっている。これはストレートに降ったのではなく、降った雪や何処かに積もった雪が風に舞い、壁に当たる等した結果として不思議な形で残ってしまったということになる。「吹き溜まり」である。
↓こういうのは少し「典型的な吹き溜まり」と言えるかもしれない。
↑ビルの入口で、人が出入りする扉が屋根の下になっているが、出入口へ通じる階段や扉の手前辺りに不思議な形で雪が入り込んで積もっている。これは「吹き込んだ」のである…
↓この場所は建物の壁側、屋根の下のようになっている箇所に雪が積もっているが、これは殆どが「降った雪の一部が風に乗って吹き付けられて溜った」というモノである。
↑この場所は歩行者の通行が少し多いことから、未だ暗い間に、恐らく道路管理者が手掛けたと思われるが、歩道の除雪が行われたようだ…降雪が続く間で「手が付けられない…」という中に強風で「吹き溜まり」が生じると、「“街中”が“雪原”?」と酷い感じになる場合も在る…
最近、「吹き溜まり」という言葉を多用しているような気がしたが、「雪に縁が薄い地域では馴染みが無い表現?」とも思い、こういう記事を一寸用意してみたのだ…
「降雪が寧ろ風に舞う感…」という状況が続くと、如何いう様子になるのか?
↓例えばこういう具合だ…
↑店舗の入口や店舗前の歩道に、少し変な形に雪が積もっている。これはストレートに降ったのではなく、降った雪や何処かに積もった雪が風に舞い、壁に当たる等した結果として不思議な形で残ってしまったということになる。「吹き溜まり」である。
↓こういうのは少し「典型的な吹き溜まり」と言えるかもしれない。
↑ビルの入口で、人が出入りする扉が屋根の下になっているが、出入口へ通じる階段や扉の手前辺りに不思議な形で雪が入り込んで積もっている。これは「吹き込んだ」のである…
↓この場所は建物の壁側、屋根の下のようになっている箇所に雪が積もっているが、これは殆どが「降った雪の一部が風に乗って吹き付けられて溜った」というモノである。
↑この場所は歩行者の通行が少し多いことから、未だ暗い間に、恐らく道路管理者が手掛けたと思われるが、歩道の除雪が行われたようだ…降雪が続く間で「手が付けられない…」という中に強風で「吹き溜まり」が生じると、「“街中”が“雪原”?」と酷い感じになる場合も在る…
最近、「吹き溜まり」という言葉を多用しているような気がしたが、「雪に縁が薄い地域では馴染みが無い表現?」とも思い、こういう記事を一寸用意してみたのだ…
<カツ定食>…(2021.01.29)
多少、天候が悪かろうと…空腹感からは免れ悪い…
↓厚めな肉の大きなトンカツを頂くことが出来た…
↓トンカツをメインとした定食である。「御飯は少な目で…」と申し出たので普通な茶碗だが…申し出なければ、丼風な大き目な器で出て来るかもしれない…
↓夕刻、比較的早目な時間帯で閉める場合が多い、食事を摂ることが出来る近所の老舗だ…荒天傾向で「開店を見合わせて?」という感で灯りが入っていない店が目立つ中、ここの灯りが酷く目立って引き寄せられたのだった…
この店に入って、<カツ定食>を御願いした少し後に「本日終了…」となったので、好いタイミングだったかもしれない。これを逃すと?「辺りで菓子パンでも買って…」ということにでもなってしまいそうだった…
↓厚めな肉の大きなトンカツを頂くことが出来た…
↓トンカツをメインとした定食である。「御飯は少な目で…」と申し出たので普通な茶碗だが…申し出なければ、丼風な大き目な器で出て来るかもしれない…
↓夕刻、比較的早目な時間帯で閉める場合が多い、食事を摂ることが出来る近所の老舗だ…荒天傾向で「開店を見合わせて?」という感で灯りが入っていない店が目立つ中、ここの灯りが酷く目立って引き寄せられたのだった…
この店に入って、<カツ定食>を御願いした少し後に「本日終了…」となったので、好いタイミングだったかもしれない。これを逃すと?「辺りで菓子パンでも買って…」ということにでもなってしまいそうだった…
降雪が寧ろ風に舞う感…(2021.01.29)
風雪が…(2021.01.29)
「荒天への注意喚起」という最中であるが、早朝5時頃には「如何ということも?」という様子であった…
↓午前7時になるような頃だ…未だ街灯等が消灯される少し前だ…確かに些か風雪は強まっている…
↑或いは「当地の冬の様子」とでも言えば思い浮かべるような状況の範囲から、未だ逸脱していないようにも思うが…
↓街の後背、丘陵の方向に振り返ってみた…丁度、少し広い駐車場の傍なので、建物が少々寂しげに感じられる場合も在る…
実はこの数日、気温上下の振幅が少しだけ大きめな感じで、積雪路面の一部に凍っている箇所が見受けられる…少し視界が悪い時間帯には注意した方が好いかもしれない…
こういうような、少しばかり好くない天候も「時季らしい…」というものかもしれない…
↓午前7時になるような頃だ…未だ街灯等が消灯される少し前だ…確かに些か風雪は強まっている…
↑或いは「当地の冬の様子」とでも言えば思い浮かべるような状況の範囲から、未だ逸脱していないようにも思うが…
↓街の後背、丘陵の方向に振り返ってみた…丁度、少し広い駐車場の傍なので、建物が少々寂しげに感じられる場合も在る…
実はこの数日、気温上下の振幅が少しだけ大きめな感じで、積雪路面の一部に凍っている箇所が見受けられる…少し視界が悪い時間帯には注意した方が好いかもしれない…
こういうような、少しばかり好くない天候も「時季らしい…」というものかもしれない…
小子坊…:東寺(2020.12.22)
↓門扉に皇室で用いる菊の紋章が入っている…
↑東寺の境内でこれに気付いて足を停めて眺めた…
これは<小子房>(しょうしぼう)と呼ばれる場所だ。門扉に菊の紋章が入っているのは「天皇を迎える特別な場所」であるからで、普通は公開されていない場所であるそうだ。
少し前に『北朝の天皇』という本を呼んだのだが、この<小子房>には北朝に纏わる故事が伝えられている。
室町幕府の草創期、南朝方との争いが生じた中で幕府は北朝を擁立する。そして足利尊氏は光厳上皇を奉じて京都に入った際、東寺に陣取り、光厳上皇は<小子房>を御所としていたという。要は「上皇の居所」である所謂“仙洞御所”となった経過から、この場所が東寺の中で「特別な場所」という扱いになっているのだ…
↓東寺も火災や戦禍で伽藍が損なわれる、再建されるを繰り返した経過を免れないのだが、この現在の<小子房>は「弘法大師空海千百年御遠忌(ごおんき)」ということで、1934(昭和9)年に建てられたそうだ…
東寺という場所は、平安京が拓かれた当初から寺を建設すると構想した場所に在り続けるという、或いは非常に特異な存在であるだけに様々な豊かな歴史が伝わっている場所だ。何度も立ち寄って、この<小子房>のような場所に気付くことを積み重ねている…また立ち寄りたいものだ…
↑東寺の境内でこれに気付いて足を停めて眺めた…
これは<小子房>(しょうしぼう)と呼ばれる場所だ。門扉に菊の紋章が入っているのは「天皇を迎える特別な場所」であるからで、普通は公開されていない場所であるそうだ。
少し前に『北朝の天皇』という本を呼んだのだが、この<小子房>には北朝に纏わる故事が伝えられている。
室町幕府の草創期、南朝方との争いが生じた中で幕府は北朝を擁立する。そして足利尊氏は光厳上皇を奉じて京都に入った際、東寺に陣取り、光厳上皇は<小子房>を御所としていたという。要は「上皇の居所」である所謂“仙洞御所”となった経過から、この場所が東寺の中で「特別な場所」という扱いになっているのだ…
↓東寺も火災や戦禍で伽藍が損なわれる、再建されるを繰り返した経過を免れないのだが、この現在の<小子房>は「弘法大師空海千百年御遠忌(ごおんき)」ということで、1934(昭和9)年に建てられたそうだ…
東寺という場所は、平安京が拓かれた当初から寺を建設すると構想した場所に在り続けるという、或いは非常に特異な存在であるだけに様々な豊かな歴史が伝わっている場所だ。何度も立ち寄って、この<小子房>のような場所に気付くことを積み重ねている…また立ち寄りたいものだ…
冷えた空に輝く月…(2021.01.28)
「0℃からプラス1℃」というような次元の気温帯と、「氷点下5℃を割り込み、時には氷点下10℃を伺うような…」という次元の気温帯とが「短い周期」で入替るような感…最近の当地の状況だ…
今日はその「氷点下5℃を割り込み、時には氷点下10℃を伺うような…」という状態の側だ…俄かに温度が下がってしまったが、同時に「荒天への注意喚起」ということも為されている…
↓そんな夕刻に、何となく戸外に佇んだ…
↑空気は冷えている…が…とりあえず風は弱く降雪も無い…天候は「本当に下り坂?」と思いながら見上げれば、何やら月が眩しい…
↓月は「冷えている夜空」というものが殊更に似合うのかもしれない…
こういう様子に心が動いた時、愛用の<X100F>は非常に頼もしい存在だ…「一寸…」と引っ張り出して写真を撮ってみるのだ…
今日はその「氷点下5℃を割り込み、時には氷点下10℃を伺うような…」という状態の側だ…俄かに温度が下がってしまったが、同時に「荒天への注意喚起」ということも為されている…
↓そんな夕刻に、何となく戸外に佇んだ…
↑空気は冷えている…が…とりあえず風は弱く降雪も無い…天候は「本当に下り坂?」と思いながら見上げれば、何やら月が眩しい…
↓月は「冷えている夜空」というものが殊更に似合うのかもしれない…
こういう様子に心が動いた時、愛用の<X100F>は非常に頼もしい存在だ…「一寸…」と引っ張り出して写真を撮ってみるのだ…
丸型ポスト…:高野山(2020.12.20)
金剛峰寺の本坊の辺りを歩き廻っていた…
ケーブルカーに乗車して、「多少の雪が在る場所」に入り込んでいるので、「少し高い山上」に在ることは自覚出来る。他方、辺りが山に囲まれた盆地の地形であるため「山上から麓を望む…」というようなことにもならず、「少し高い山上」という状況が「判り悪い?」という感も否定出来ない…
↓そんなことを思いながら眼に留めたモノだ…
↑「長く使い込んだ」という程にも見えないが、「真新しい…」のでもない、何か微妙な感じの丸型ポストだ…
金剛峰寺の本坊の辺りに静かに佇んでいたポストだが、古風な外観の寺院建築も多い場所で、こういう少し古風な郵便ポストが酷く似合うと思った…
各地で見掛ける丸型ポストだが、気付くと思わず写真に収めてしまう…
ケーブルカーに乗車して、「多少の雪が在る場所」に入り込んでいるので、「少し高い山上」に在ることは自覚出来る。他方、辺りが山に囲まれた盆地の地形であるため「山上から麓を望む…」というようなことにもならず、「少し高い山上」という状況が「判り悪い?」という感も否定出来ない…
↓そんなことを思いながら眼に留めたモノだ…
↑「長く使い込んだ」という程にも見えないが、「真新しい…」のでもない、何か微妙な感じの丸型ポストだ…
金剛峰寺の本坊の辺りに静かに佇んでいたポストだが、古風な外観の寺院建築も多い場所で、こういう少し古風な郵便ポストが酷く似合うと思った…
各地で見掛ける丸型ポストだが、気付くと思わず写真に収めてしまう…
「鉄骨柱梁接合部(実物)」…(2020.12.26)
名古屋駅で<のぞみ>に乗車して、発車の際の「3分程遅れて発車しました…」を挽回して定刻で東京駅に着いた後、嵩張るモノを駅のロッカーに預けて駅周辺に出てみた…
夜に泊まる予定の宿の場所を確かめながら、東京駅八重洲口辺りからふらりと歩いた。天候もなかなかに好く、「そう言えば、こういう具合に東京の街中を歩くのも暫く振りだ…」と心地好く歩いていた…
↓東京の街中…時に「これは何?」というモノにも出くわすという感だ…
↑「不思議なオブジェ?」と思った…所謂“メガバンク”と呼ばれる大手銀行関係のビルの前だった…
所謂“メガバンク”は、長い間に様々な銀行が合併して現在に至っているのだが、現在このビルに入居している銀行の“前身の一つ”となる銀行が、1952年に現在地に本店ビルを建てたのだそうだ。そのビルの「鉄骨柱梁接合部」の実物―現在のビルになる前に解体されて、その際に部材を取り出して、一部を保管したのであろう…―をモニュメントにしたのだそうだ。1952年当時には中高層ビルとして「日本国内で初めて」であったという「鉄骨造全溶接」という工法が採用されたというようなことも在ったのだという。
こういうモニュメントという形であっても、「建築の歴史」という観点で意義深いと考えられる建物の記憶が語り継がれるというのは、存外に大切なことなのかもしれない…そんなことを思いながら、辺りを然程明確な意図も無いままに歩き廻った…
夜に泊まる予定の宿の場所を確かめながら、東京駅八重洲口辺りからふらりと歩いた。天候もなかなかに好く、「そう言えば、こういう具合に東京の街中を歩くのも暫く振りだ…」と心地好く歩いていた…
↓東京の街中…時に「これは何?」というモノにも出くわすという感だ…
↑「不思議なオブジェ?」と思った…所謂“メガバンク”と呼ばれる大手銀行関係のビルの前だった…
所謂“メガバンク”は、長い間に様々な銀行が合併して現在に至っているのだが、現在このビルに入居している銀行の“前身の一つ”となる銀行が、1952年に現在地に本店ビルを建てたのだそうだ。そのビルの「鉄骨柱梁接合部」の実物―現在のビルになる前に解体されて、その際に部材を取り出して、一部を保管したのであろう…―をモニュメントにしたのだそうだ。1952年当時には中高層ビルとして「日本国内で初めて」であったという「鉄骨造全溶接」という工法が採用されたというようなことも在ったのだという。
こういうモニュメントという形であっても、「建築の歴史」という観点で意義深いと考えられる建物の記憶が語り継がれるというのは、存外に大切なことなのかもしれない…そんなことを思いながら、辺りを然程明確な意図も無いままに歩き廻った…
岩出図書館停留所…:<和歌山バス那賀>(2020.12.19)
「バス停から歩いて10分か15分か…」というような範囲の場所を訪ねる。どうということもない…と言うよりも、自身の頭の中では「他地域の興味深そうな場所を訪ねてみる」ということは「列車や路線バスを利用し、最寄駅や最寄停留所から少々歩く」ということに他ならないのだ。
根来寺は、真言宗の教学の経過では「新義真言宗」と呼ばれる流れを起こした寺だが、或る種の「“大名”の興亡」というような経過も辿った。戦国時代辺りの根来寺は紀州北部で大変に大きな力を持ち、鉄砲隊まで在る侮り難い僧兵を軸とした軍勢まで擁するようになっていたが、やがて豊臣政権との戦いに敗れてしまった。そして荒廃したことから、教学に関する活動を再開して続けようとした人達が京都に智積院を起こすというようなことも在ったのだが、根来寺は活動を継続して現在に至っていて、豊臣政権との抗争に際しての戦禍を免れた貴重な建物等も伝わっているのだ。
そんな興味深い場所へ、列車とバスで訪れるのは非常に好いのだが…
↓この「根来寺へ歩いて10分か15分か…」という停留所と、大阪と和歌山とを結ぶJRの駅との間を往来するのが少々手間取る…バスの運行本数が少ないのだ…
根来寺を訪ねた後、街の図書館の前に設けられたバス停でやや長く待つことになった…
↓やや運行本数が少ないバス路線…タイミングが少しズレると、待ち時間がやや延びてしまうことは免れ悪い…
↓バスがやって来た…
↓車長が短い、何やら「マイクロバス?」というような趣のバスだ…
運行会社は<和歌山バス那賀>という会社だ。「和歌山バス」の後に「那賀(なが)」が付されている…南海電鉄の資本で、和歌山バスの子会社ということになるのだそうだ…1991(平成3)年に和歌山バスの地域分割子会社として那賀営業所及びその管轄路線を分割化して発足したのだという。
この<和歌山バス那賀>の路線だが、ICカード乗車券が2020年4月から利用可能となったそうだ。実際、方々で利用しているICOCAで乗車した。均一料金ではない路線バスなので「乗車時にICカード乗車券を機器にタッチし、下車時にも機器にタッチする」という方式で利用する…
この「マイクロバス?」というような趣のバスに20分程度乗車でJRの和泉砂川駅に至った。バスは「そこそこの乗客…」という感だった。駅へ行けば、列車で出掛ける人達が家族等の自家用車で駅まで送ってもらっているという様子を随分と見掛けた。「地方の街」は何処でもそういう感じなのか?
「マイクロバス?」というような趣のバスが多少不思議だが、乗車した範囲では、JRの和泉砂川駅周辺で「狭く曲がり角の多い道路」が見受けられ、逆にこの種の車輌でもなければ走行が難しいかもしれないという感だった…
こういう「独特な各地の感じ」に触れるような移動も面白いかもしれない…
根来寺は、真言宗の教学の経過では「新義真言宗」と呼ばれる流れを起こした寺だが、或る種の「“大名”の興亡」というような経過も辿った。戦国時代辺りの根来寺は紀州北部で大変に大きな力を持ち、鉄砲隊まで在る侮り難い僧兵を軸とした軍勢まで擁するようになっていたが、やがて豊臣政権との戦いに敗れてしまった。そして荒廃したことから、教学に関する活動を再開して続けようとした人達が京都に智積院を起こすというようなことも在ったのだが、根来寺は活動を継続して現在に至っていて、豊臣政権との抗争に際しての戦禍を免れた貴重な建物等も伝わっているのだ。
そんな興味深い場所へ、列車とバスで訪れるのは非常に好いのだが…
↓この「根来寺へ歩いて10分か15分か…」という停留所と、大阪と和歌山とを結ぶJRの駅との間を往来するのが少々手間取る…バスの運行本数が少ないのだ…
根来寺を訪ねた後、街の図書館の前に設けられたバス停でやや長く待つことになった…
↓やや運行本数が少ないバス路線…タイミングが少しズレると、待ち時間がやや延びてしまうことは免れ悪い…
↓バスがやって来た…
↓車長が短い、何やら「マイクロバス?」というような趣のバスだ…
運行会社は<和歌山バス那賀>という会社だ。「和歌山バス」の後に「那賀(なが)」が付されている…南海電鉄の資本で、和歌山バスの子会社ということになるのだそうだ…1991(平成3)年に和歌山バスの地域分割子会社として那賀営業所及びその管轄路線を分割化して発足したのだという。
この<和歌山バス那賀>の路線だが、ICカード乗車券が2020年4月から利用可能となったそうだ。実際、方々で利用しているICOCAで乗車した。均一料金ではない路線バスなので「乗車時にICカード乗車券を機器にタッチし、下車時にも機器にタッチする」という方式で利用する…
この「マイクロバス?」というような趣のバスに20分程度乗車でJRの和泉砂川駅に至った。バスは「そこそこの乗客…」という感だった。駅へ行けば、列車で出掛ける人達が家族等の自家用車で駅まで送ってもらっているという様子を随分と見掛けた。「地方の街」は何処でもそういう感じなのか?
「マイクロバス?」というような趣のバスが多少不思議だが、乗車した範囲では、JRの和泉砂川駅周辺で「狭く曲がり角の多い道路」が見受けられ、逆にこの種の車輌でもなければ走行が難しいかもしれないという感だった…
こういう「独特な各地の感じ」に触れるような移動も面白いかもしれない…
池苑…:清荒神清澄寺(2020.12.21)
清荒神清澄寺を訪ねてみた…
↓庭園がなかなかに美しかった…
↓「池泉回遊式庭園」(ちせんかいゆうしきていえん)と呼ばれる形式なのだそうだ。池を中心に配し、その周囲に園路を巡らして、築山、池中に設けた小島、橋、名石などで各地の景勝などを再現するのだという…
↑鳥が集まり悪いようにするためであろうか?池の上に釣糸が張られていた…
↓清荒神清澄寺は「蓬莱山」と号している。そこで「蓬莱山」を形象した築山を池の中に設けているのだそうだ…
この<池苑>は、江戸時代の半ばまでに造られたと見受けられるのだそうだ。大規模なモノという感ではないが、なかなかに味わい深い庭園だ…
最近は、何となくこの種の比較的小規模な「寺の庭」というようなモノが好いと思うようになった気がしている…
↓庭園がなかなかに美しかった…
↓「池泉回遊式庭園」(ちせんかいゆうしきていえん)と呼ばれる形式なのだそうだ。池を中心に配し、その周囲に園路を巡らして、築山、池中に設けた小島、橋、名石などで各地の景勝などを再現するのだという…
↑鳥が集まり悪いようにするためであろうか?池の上に釣糸が張られていた…
↓清荒神清澄寺は「蓬莱山」と号している。そこで「蓬莱山」を形象した築山を池の中に設けているのだそうだ…
この<池苑>は、江戸時代の半ばまでに造られたと見受けられるのだそうだ。大規模なモノという感ではないが、なかなかに味わい深い庭園だ…
最近は、何となくこの種の比較的小規模な「寺の庭」というようなモノが好いと思うようになった気がしている…
嵐山公園停留所…:京都のバス(2020.12.21)
大阪市西区の宿を発った。宿の最寄駅であった阪神なんば線のドーム前駅から列車で阪神の尼崎駅へ出て、阪神の今津駅へ向かって阪急の今津駅へ…そこから西宮北口駅、宝塚駅を経て清荒神清澄寺と中山寺とを相次いで訪ねた…中山寺からは大阪梅田駅へ移動してランチを愉しみ、やがて京都へ向かう列車に乗り込んだ…
大阪市西区の宿から京都市内への移動…少々「大回り」な感じで動いた…京都市内に入り込んでからは直ぐに嵐山に向かった…
↓「既に、存外に長く歩き廻っている…」と思いながら、嵐山の渡月橋が何となく見える辺りに到った…
↓渡月橋が見える辺り、直ぐ横にバス停が在った…
↓然程待つということもなく、バスがやって来た。行先を視れば「大覚寺」と在る…
このバスに飛び乗った。手持ちのICカード乗車券も利用可能だった。これに乗車して、大覚寺を訪ねてみたのだった…
旅から戻って少し経つと、こういう「何時の間にか撮っていたバス…」というような感じの写真を視て、出先の感じが妙に懐かしくなってしまう場合も在る…
大阪市西区の宿から京都市内への移動…少々「大回り」な感じで動いた…京都市内に入り込んでからは直ぐに嵐山に向かった…
↓「既に、存外に長く歩き廻っている…」と思いながら、嵐山の渡月橋が何となく見える辺りに到った…
↓渡月橋が見える辺り、直ぐ横にバス停が在った…
↓然程待つということもなく、バスがやって来た。行先を視れば「大覚寺」と在る…
このバスに飛び乗った。手持ちのICカード乗車券も利用可能だった。これに乗車して、大覚寺を訪ねてみたのだった…
旅から戻って少し経つと、こういう「何時の間にか撮っていたバス…」というような感じの写真を視て、出先の感じが妙に懐かしくなってしまう場合も在る…
<北斗>…:札幌駅(2020.12.27)
早朝6時台に東京駅に入って東北・北海道新幹線の列車<はやぶさ>に乗車し、順調に北上して新函館北斗駅に至り、直ぐに乗換て札幌を目指して更に北上を続けた…
↓札幌駅に到着してホームで身体を伸ばしながら、乗って来た車輌を眺めた…何気なく腕時計に目を落とせば、午後2時40分頃になっていた…
↑概ね8時間余りを費やして東京・札幌間を移動して、何やらぼんやりとしてしまった…
↓乗車して来たのはキハ261系ディーゼルカーの少し新しい車輌だ…
↑函館から走り続け、札幌に着いてからはとりあえず回送となるようだ…
結局「飛ばなかった旅」ということをしていた。未だ、少し札幌に滞在してから北上という日程が残ってはいたが、何か「長い旅を…」という充足感が溢れていたようだった…
↓札幌駅に到着してホームで身体を伸ばしながら、乗って来た車輌を眺めた…何気なく腕時計に目を落とせば、午後2時40分頃になっていた…
↑概ね8時間余りを費やして東京・札幌間を移動して、何やらぼんやりとしてしまった…
↓乗車して来たのはキハ261系ディーゼルカーの少し新しい車輌だ…
↑函館から走り続け、札幌に着いてからはとりあえず回送となるようだ…
結局「飛ばなかった旅」ということをしていた。未だ、少し札幌に滞在してから北上という日程が残ってはいたが、何か「長い旅を…」という充足感が溢れていたようだった…
美瑛駅…(2021.01.02)
ハヤシライス…(2021.01.24)
<大隈講堂>…(2020.12.26)
↓視えている建物…正式には<早稲田大学大隈記念講堂>と言うそうだ。更にその早稲田大学の中では<21号館>とも呼んでいるようだが…とりあえず<大隈講堂>である。
銅像がよく知られている、大学の創始者である大隈重信逝去後、その功労を記念する建物の建設という話しが持ち上がった。方々からの寄付も受けて1926(大正15)年2月に着工し、1927(昭和2)年10月に竣工したのだという。
↓聞けば「東京都選定歴史的建造物」(1999年)、「重要文化財(建造物)」(2007年)という指定を受けたそうだが…この建物は何時でも「辺りのランドマーク」で「通り掛かれば仰ぎ見る」という存在だ…<大隈講堂>は、とりあえず<大隈講堂>だと思う…
↑少し高齢になっても元気であったという大隈重信は、「人間は本来、125歳までの寿命を有している。適当なる摂生を以てすれば、この天寿を全う出来る」とする『人生125歳説』というモノを吹聴していたという。それに因み、この講堂の時計塔は「125尺」(約37.8m)に設計されたのだそうだ…
時にはこういう建物の辺りを漫然と歩き、「通り掛かれば仰ぎ見る」という雰囲気を遠くなった記憶の底から引き揚げてみるというのも、悪くはないのかもしれない…
銅像がよく知られている、大学の創始者である大隈重信逝去後、その功労を記念する建物の建設という話しが持ち上がった。方々からの寄付も受けて1926(大正15)年2月に着工し、1927(昭和2)年10月に竣工したのだという。
↓聞けば「東京都選定歴史的建造物」(1999年)、「重要文化財(建造物)」(2007年)という指定を受けたそうだが…この建物は何時でも「辺りのランドマーク」で「通り掛かれば仰ぎ見る」という存在だ…<大隈講堂>は、とりあえず<大隈講堂>だと思う…
↑少し高齢になっても元気であったという大隈重信は、「人間は本来、125歳までの寿命を有している。適当なる摂生を以てすれば、この天寿を全う出来る」とする『人生125歳説』というモノを吹聴していたという。それに因み、この講堂の時計塔は「125尺」(約37.8m)に設計されたのだそうだ…
時にはこういう建物の辺りを漫然と歩き、「通り掛かれば仰ぎ見る」という雰囲気を遠くなった記憶の底から引き揚げてみるというのも、悪くはないのかもしれない…
<海遊館トレイン>…:5800系電車:大和西大寺駅(2020.12.24)
↓大和西大寺駅で「酷く目立つ?」という感じの列車を視掛けた…
↑車輌は1997年登場の5800系電車、6輌編成だ…聞けば、これは<海遊館トレイン>と呼ばれ、2020年4月から概ね1年間運行というラッピングを施した車輌だという。
大阪の水族館の<海遊館>は開業30年であるそうだ。その祝賀に加えて、近鉄電車での移動時間に<海遊館>を思い出して、海の美しさや海の生物に想いを巡らせることが叶うようにという趣旨らしい…酷く目立つとは思ったが、派手過ぎない、なかなかに上品なデザインであると思った。
視掛けたのは奈良へ向かう列車であったが、この車輌は奈良から阪神なんば線を経て神戸へ向かう列車として運用されている場合が多いようだ…
今般、少し残念なのは、この<海遊館トレイン>に乗車する機会が設けられなかったことだ。が、こうして「偶々…」と眺めることが出来たことは好かった…
↑車輌は1997年登場の5800系電車、6輌編成だ…聞けば、これは<海遊館トレイン>と呼ばれ、2020年4月から概ね1年間運行というラッピングを施した車輌だという。
大阪の水族館の<海遊館>は開業30年であるそうだ。その祝賀に加えて、近鉄電車での移動時間に<海遊館>を思い出して、海の美しさや海の生物に想いを巡らせることが叶うようにという趣旨らしい…酷く目立つとは思ったが、派手過ぎない、なかなかに上品なデザインであると思った。
視掛けたのは奈良へ向かう列車であったが、この車輌は奈良から阪神なんば線を経て神戸へ向かう列車として運用されている場合が多いようだ…
今般、少し残念なのは、この<海遊館トレイン>に乗車する機会が設けられなかったことだ。が、こうして「偶々…」と眺めることが出来たことは好かった…
稚内港北防波堤ドーム…(2021.01.24)
鳥居…:早朝の北門神社…(2021.01.24)
<山明>が連結された列車…:岩見沢駅(2021.01.02)
厚別駅で列車に乗ったが、現れた車輌を視て「少し…変わっている?」と思った。
6時13分に出る旭川行は「例が少ない」という列車、2輛編成のキハ40が運用されていて、それが変わった訳ではないのだが…
↓進行方向側に連結されていた車輌が<山明>だったのだ…
↓車輌の側面にも<山明>という愛称が掲げられている…
<山明>(さんめい)という愛称が冠せられたこの車輌は、「観光」という意図も込めて最近改修された車輛だ。「山紫水明」という語から採られた愛称で<紫水>という“相方”と同時に登場していた…が、最近はこの「山紫水明」の2輌を連結した列車の運行という話しを聞かない…各々の車輌が、この日のように普通列車として運用されている場合が多いようだ。
↓キハ40で視掛けるが、こういう行先表示の引っ掛けて挟むようなボードが好い…
↓後方は普通の車輌だが「時季ならでは…」な、跳ね上げた雪が付着した状態だ…
こんな「愛着も湧くような愛称が冠せられた車輌」に乗車する機会が生じるのは何となく好いと思う…
6時13分に出る旭川行は「例が少ない」という列車、2輛編成のキハ40が運用されていて、それが変わった訳ではないのだが…
↓進行方向側に連結されていた車輌が<山明>だったのだ…
↓車輌の側面にも<山明>という愛称が掲げられている…
<山明>(さんめい)という愛称が冠せられたこの車輌は、「観光」という意図も込めて最近改修された車輛だ。「山紫水明」という語から採られた愛称で<紫水>という“相方”と同時に登場していた…が、最近はこの「山紫水明」の2輌を連結した列車の運行という話しを聞かない…各々の車輌が、この日のように普通列車として運用されている場合が多いようだ。
↓キハ40で視掛けるが、こういう行先表示の引っ掛けて挟むようなボードが好い…
↓後方は普通の車輌だが「時季ならでは…」な、跳ね上げた雪が付着した状態だ…
こんな「愛着も湧くような愛称が冠せられた車輌」に乗車する機会が生じるのは何となく好いと思う…
阪急・宝塚駅…(2020.12.21)
↓阪急の宝塚駅だ…
↑右が西宮北口駅から乗って来た列車で、少し経ってから折り返し運転になる。左は間もなく西宮北口駅へ向かう列車だ…
宝塚駅では、この西宮北口・宝塚間を往来している列車の他、大阪梅田駅との間を往来している列車も運行されている…
↓これがその大阪梅田駅との間を往来している列車だ…
↑この時は宝塚市内の清荒神駅や中山観音駅を目指したのだった。「急行」と在るので「停まる?」と思ったが、途中までは沿線各駅に停車し、途中からは通過駅が幾つも在って、十三駅、大阪梅田駅というようになって行く。この列車で清荒神駅へ移動した…
新旧各種の車輌が何れも同じような色という阪急の列車が行きかう駅…何処へ行っても、少し独特な空気感が漂うと思う…
少し経ってから気付いたが…今般、宝塚駅は列車の乗換に終始してしまい、改札口を出て近隣を歩き廻らなかった…何れゆっくりと訪ねてみたい感だ…
↑右が西宮北口駅から乗って来た列車で、少し経ってから折り返し運転になる。左は間もなく西宮北口駅へ向かう列車だ…
宝塚駅では、この西宮北口・宝塚間を往来している列車の他、大阪梅田駅との間を往来している列車も運行されている…
↓これがその大阪梅田駅との間を往来している列車だ…
↑この時は宝塚市内の清荒神駅や中山観音駅を目指したのだった。「急行」と在るので「停まる?」と思ったが、途中までは沿線各駅に停車し、途中からは通過駅が幾つも在って、十三駅、大阪梅田駅というようになって行く。この列車で清荒神駅へ移動した…
新旧各種の車輌が何れも同じような色という阪急の列車が行きかう駅…何処へ行っても、少し独特な空気感が漂うと思う…
少し経ってから気付いたが…今般、宝塚駅は列車の乗換に終始してしまい、改札口を出て近隣を歩き廻らなかった…何れゆっくりと訪ねてみたい感だ…
“プラットホーム”??:過ぎる程に静かな早朝に…(2021.01.22)
「氷点下3℃程度」を「温かい」とは言い悪い…が、「氷点下10℃を伺う?」という状況が続き、多目な降雪も断続し、吹雪模様で「危ない…」という日の記憶も新しい中、特段に降雪も無い「氷点下3℃程度」は「(相対的に)好い」という程度に感じる…
少しだけ踏み込んで言えば、続いていた低温が0℃程度に「急上昇」して、そこから少し気温が下ったという状況で迎えた早朝だった…
↓何となく注目してしまった…
↑俄かに、路面電車の停留所のようなモノを想わせる「中途半端な大きさのプラットホーム?」というようなモノが出現していた…
雪が降れば道路や駐車場の雪を除ける。そしてそれが堆くなれば、排除すべくトラックに積む等して運び出す。これらを併せて「除排雪作業」と呼ぶ…
↓辺りの除排雪作業が進んだのだが、道路が交差する辺りに据えられた「止まれ」の交通標識と、その脇の駐車場の看板の周囲は除雪の重機では雪を除け難く、積雪が残ってしまったということなのだろう…
↑堆くなっていた雪が運び去られて見通しが良くなっている中、この「中途半端な大きさのプラットホーム?」が目立って面白いと思った。
こういう様子に気付き、愛用の<X100F>を引っ張り出したのだった…
少しだけ踏み込んで言えば、続いていた低温が0℃程度に「急上昇」して、そこから少し気温が下ったという状況で迎えた早朝だった…
↓何となく注目してしまった…
↑俄かに、路面電車の停留所のようなモノを想わせる「中途半端な大きさのプラットホーム?」というようなモノが出現していた…
雪が降れば道路や駐車場の雪を除ける。そしてそれが堆くなれば、排除すべくトラックに積む等して運び出す。これらを併せて「除排雪作業」と呼ぶ…
↓辺りの除排雪作業が進んだのだが、道路が交差する辺りに据えられた「止まれ」の交通標識と、その脇の駐車場の看板の周囲は除雪の重機では雪を除け難く、積雪が残ってしまったということなのだろう…
↑堆くなっていた雪が運び去られて見通しが良くなっている中、この「中途半端な大きさのプラットホーム?」が目立って面白いと思った。
こういう様子に気付き、愛用の<X100F>を引っ張り出したのだった…
朝…:興福寺(2020.12.24)
地元に在っても、出先に在っても「思い付き…」というように辺りを散策してみるようなことをすることを好む…
殊に奈良のような、近年に何度も滞在している経過が在る場所であれば、「あの辺りを少々…」という具合に「考えを巡らせ易い」という面も在るので、そういう散策が「愉しみ…」ということにもなる…
↓興福寺を訪ねてみた…東金堂と五重塔が視える辺りの様子が、酷く好いと思った…
↑有料拝観ということになっている場所が開くまでに間が在る早朝でも、色々な建物が在る境内を歩き廻って通り抜けることは出来る…
↓考えてみれば“クリスマスイブ”であった日の朝だったが、冬至の少し後で日出時刻はやや遅い。そういう中で、五重塔辺りの空が面白い感じになることを期待したが…どうということもない、些か雲が多めと見受けられた朝だった…
↑この五重塔は何度眺めても美しいと思う…興福寺の伽藍は、損われ、再建されを繰り返していて、五重塔もその例に漏れない…現在の塔は1426(応永33)年頃、室町時代に再建されたものであるという…
↓南円堂の側にも歩を進めてみた…
↑南円堂の独特な形状が好いと視る都度に思う…建物は1789(寛政元)年の「4回目の再建」のモノであるという…
↓南円堂の裏のような辺りに、やや地味ではあるが、三重塔も在る…1180(治承4)年に焼失してから比較的早く再建されたと伝えられ、興福寺境内に現存する中では最古の部類な建物ということだ…
↑何度も興福寺境内を歩き廻ってはいたが…この三重塔の傍に寄って眺めたのは、初めてであったかもしれない…
一頻り興福寺境内を歩き…商店街で既に開店していたドーナツ店に寄って一息入れてから、近鉄奈良駅へ向かってその日の動きを開始した訳である…
この興福寺散策のような、「境内の中に永い歴史が横たわっている」というような場所を歩くのは愉しい。そしてそういう場所を「1日の準備運動のように少しばかり歩く…」というようなことは、なかなかに贅沢かもしれない。そしてなかなかに心地好い感じだ…
殊に奈良のような、近年に何度も滞在している経過が在る場所であれば、「あの辺りを少々…」という具合に「考えを巡らせ易い」という面も在るので、そういう散策が「愉しみ…」ということにもなる…
↓興福寺を訪ねてみた…東金堂と五重塔が視える辺りの様子が、酷く好いと思った…
↑有料拝観ということになっている場所が開くまでに間が在る早朝でも、色々な建物が在る境内を歩き廻って通り抜けることは出来る…
↓考えてみれば“クリスマスイブ”であった日の朝だったが、冬至の少し後で日出時刻はやや遅い。そういう中で、五重塔辺りの空が面白い感じになることを期待したが…どうということもない、些か雲が多めと見受けられた朝だった…
↑この五重塔は何度眺めても美しいと思う…興福寺の伽藍は、損われ、再建されを繰り返していて、五重塔もその例に漏れない…現在の塔は1426(応永33)年頃、室町時代に再建されたものであるという…
↓南円堂の側にも歩を進めてみた…
↑南円堂の独特な形状が好いと視る都度に思う…建物は1789(寛政元)年の「4回目の再建」のモノであるという…
↓南円堂の裏のような辺りに、やや地味ではあるが、三重塔も在る…1180(治承4)年に焼失してから比較的早く再建されたと伝えられ、興福寺境内に現存する中では最古の部類な建物ということだ…
↑何度も興福寺境内を歩き廻ってはいたが…この三重塔の傍に寄って眺めたのは、初めてであったかもしれない…
一頻り興福寺境内を歩き…商店街で既に開店していたドーナツ店に寄って一息入れてから、近鉄奈良駅へ向かってその日の動きを開始した訳である…
この興福寺散策のような、「境内の中に永い歴史が横たわっている」というような場所を歩くのは愉しい。そしてそういう場所を「1日の準備運動のように少しばかり歩く…」というようなことは、なかなかに贅沢かもしれない。そしてなかなかに心地好い感じだ…
<のぞみ>…:名古屋駅(2020.12.26)
↓「名古屋駅」に関しては、乗車予定の列車がやって来る辺りに至って、こういうような案内が掲出される様子を視ると酷く強く安堵する…
↑東海道・山陽新幹線の各駅では、発車案内は大概はこういうような感じになっていて、日本語と英語が切り替わりながら表示されている…
「名古屋駅」は酷く広壮な感じがする。JR東海の新幹線と在来線の各列車、近鉄、名鉄、地下鉄の複数の路線と色々在って、それらを結んで様々なテナントが入居した施設と言うのか、地下街と言うのか、色々なモノが「過ぎる…」と思う程に多く在り、「大雑把な位置関係」が「何度か寄っている」という程度では把握出来ない…故に「名古屋から列車に乗る」という場合には、何時も「少しばかりゆとりを持って名古屋駅へ…」ということでもなければ「迷子…」を危惧してしまう。幸い、本当に「迷子…」というような状態に陥って困るというのからは免れているが…
丸の内駅から乗った地下鉄の列車が名古屋駅に着き、新幹線の列車の切符を求める、乗車するための改札口というのは特段に迷わず、「どうなっている??」という程に長く歩くのでもなく、直ぐに着くことが出来た。
「クレジットカードも利用可能な券売機」が在って、そこで確りと東京へ向かう<のぞみ>の乗車券、新幹線特急券、指定席券を求めた…
↓指定席券に在る“号車番号”を確認して、“乗車口案内”を確かめて列車を待つ…<のぞみ>は「16輌」というような、端から端が「300m以上??」という長大な列車なので、“乗車口案内”を確かめることは欠かせないように思う…
↓やがて列車がやって来る…
↓列車はゆっくりと減速し、所定の位置に確り停車する…
↓乗車した「7号車」に見受けられる掲示…
↓「7号車」にはこんな場所が設けられている…
↓中の感じだ…
そういう訳で、富士山も視えた車窓も愉しみながら東京駅へ移動した。
縁が深いでもない東海道新幹線だが、時にはこの<のぞみ>のような列車に乗るのも愉しいと思う…或いは「時には愉しい?」を求めて、時に「随意に過ごす時間」を設けようとしてしまう訳でもあるが…
↑東海道・山陽新幹線の各駅では、発車案内は大概はこういうような感じになっていて、日本語と英語が切り替わりながら表示されている…
「名古屋駅」は酷く広壮な感じがする。JR東海の新幹線と在来線の各列車、近鉄、名鉄、地下鉄の複数の路線と色々在って、それらを結んで様々なテナントが入居した施設と言うのか、地下街と言うのか、色々なモノが「過ぎる…」と思う程に多く在り、「大雑把な位置関係」が「何度か寄っている」という程度では把握出来ない…故に「名古屋から列車に乗る」という場合には、何時も「少しばかりゆとりを持って名古屋駅へ…」ということでもなければ「迷子…」を危惧してしまう。幸い、本当に「迷子…」というような状態に陥って困るというのからは免れているが…
丸の内駅から乗った地下鉄の列車が名古屋駅に着き、新幹線の列車の切符を求める、乗車するための改札口というのは特段に迷わず、「どうなっている??」という程に長く歩くのでもなく、直ぐに着くことが出来た。
「クレジットカードも利用可能な券売機」が在って、そこで確りと東京へ向かう<のぞみ>の乗車券、新幹線特急券、指定席券を求めた…
↓指定席券に在る“号車番号”を確認して、“乗車口案内”を確かめて列車を待つ…<のぞみ>は「16輌」というような、端から端が「300m以上??」という長大な列車なので、“乗車口案内”を確かめることは欠かせないように思う…
↓やがて列車がやって来る…
↓列車はゆっくりと減速し、所定の位置に確り停車する…
↓乗車した「7号車」に見受けられる掲示…
↓「7号車」にはこんな場所が設けられている…
↓中の感じだ…
そういう訳で、富士山も視えた車窓も愉しみながら東京駅へ移動した。
縁が深いでもない東海道新幹線だが、時にはこの<のぞみ>のような列車に乗るのも愉しいと思う…或いは「時には愉しい?」を求めて、時に「随意に過ごす時間」を設けようとしてしまう訳でもあるが…
<ASAHIKAWA DESIGN>…:旭川駅(2021.01.02)
札幌市内の厚別駅から乗車した普通列車で、順調に旭川駅に到着した…
そして旭川駅から美瑛駅へ移動することとしていたのだが…出発前に旭川駅の中を少し歩き廻った…
↓駅の中にはこういうようなディスプレイが見受けられる…
↓大きな柱の脇に台のようなモノが設えられ、オブジェのように家具が置かれている…
↓実は旭川というのは「家具製造の盛んな街」という側面も在る。そこで地域の会社による家具を駅で展示している訳だ…
↓目立つのは“椅子”だが、なかなかに色々な形のモノが在ると、少しばかり感心しながら眺めた…
↓こうした家具製造というようなことに関して、<ASAHIKAWA DESIGN>(旭川デザイン)と称して広く紹介しようとしているようだ…
「何となく家具が飾られている…」ということには気付いていたが、今般は何となく写真に収めてみた…時にはこういうこともやってみたい感だ…
そして旭川駅から美瑛駅へ移動することとしていたのだが…出発前に旭川駅の中を少し歩き廻った…
↓駅の中にはこういうようなディスプレイが見受けられる…
↓大きな柱の脇に台のようなモノが設えられ、オブジェのように家具が置かれている…
↓実は旭川というのは「家具製造の盛んな街」という側面も在る。そこで地域の会社による家具を駅で展示している訳だ…
↓目立つのは“椅子”だが、なかなかに色々な形のモノが在ると、少しばかり感心しながら眺めた…
↓こうした家具製造というようなことに関して、<ASAHIKAWA DESIGN>(旭川デザイン)と称して広く紹介しようとしているようだ…
「何となく家具が飾られている…」ということには気付いていたが、今般は何となく写真に収めてみた…時にはこういうこともやってみたい感だ…
<高野山般若湯 原酒>…(2021.01.20)
<高野山般若湯>というモノを高野山を訪ねた折りに眼に留めてしまい、嬉々として入手したという経過が在った。
入手した<高野山般若湯>は高野山を下りた際に大事に抱えて、訪問の拠点にした大阪の宿を経て、次に滞在した京都の宿で愉しく頂いた。
そういうことではあったが…
↓実はこういうモノも在った…
京都に持参して宿で頂いた<高野山般若湯>の他、実は「もう1本…」を密かに求めていたのだった…
↓こういうような具合の徳利に入った、“原酒”というモノも在るのだ…
これに関しては大阪の宿、京都の宿、更に奈良の宿まで持参し、奈良から稚内までモノを箱詰めして送った際に中に容れたのだ。そしてこの<高野山般若湯 原酒>は拙宅へやって来たのだ…
↓紐と包を外して開栓し、紐はまた徳利に着ける…これで何時でも中身を頂くことが出来る…
↑古風な徳利に「高野山 般若湯」という文字…実に好いと眺め入ってしまった。
↓酒というのは容器を眺めるモノではない!呑むモノだ…ということで愛用のタンブラーに注いで試飲である。
この「般若湯」は、「少し昔風な?」という芳醇な味わいを志向しているように思っていたが、そういう傾向の味だ。そして“原酒”なので、少しだけ度数が高いようではあるが、その度数は然程意識せずに頂くことが出来るような感である。
実は…最近は酒類を嗜む際には蒸留酒を主に頂くようにして、醸造酒は少な目にということもしているが、それでも好きなモノを完全に禁じるということではない。そこで大事にこの<高野山般若湯 原酒>を保管し、ゆっくりと頂こうとしていた。が、そういう考えとは少し別に、「思い出の高野山を懐かしむ材料になりそうな<高野山般若湯 原酒>が直ぐに空くのは寂しい…」と思って開栓することを躊躇していたという一面も在った。
それでも「我慢出来ない!!」と開けた…加えて、この<高野山般若湯 原酒>に関しては「入手する術」が見付かった!!酒造会社のウェブサイトで通信販売を手掛けていて、国内の何処でも送って頂けるのだ!
<高野山般若湯>を手掛ける初桜酒造は、高野山麓の町に在る。古くから酒造が行われていた地域で、初桜酒造自体は幕末期に起こった蔵を基礎としているようだ。酒造業の様々な変化の中、現在まで酒造を続けているのは、辺りでは初桜酒造だけになっているようだ。
標高900mに近いような山上の盆地ということになる高野山は、冬季には寒い訳で、身体を温める意味で“般若湯”を少しばかり嗜むことは認められていた経過が在り、山麓で醸造された酒が持込まれていた筈だ。そういう故事に因み、「やや昔風?」な芳醇な味の<高野山般若湯>の登場である。なかなかに好い。正直に言えば、以前から「芳醇…」という路線の清酒を寧ろ好んでいた感も在るので、“般若湯”が酷く気に入ったということも在る…
本当に「過ぎない…」という程度の“般若湯”を愉しみ、高野山を訪ねた時のことを思い出しながら、「何時かの再訪…」を期したいものである。
※ 記事に載せた写真は拙宅で撮ったのだが、モノは「高野山で買い求め、その後に拙宅へ送った…」という経過なので、記事を「和歌山県」のカテゴリに収めておきたい…
入手した<高野山般若湯>は高野山を下りた際に大事に抱えて、訪問の拠点にした大阪の宿を経て、次に滞在した京都の宿で愉しく頂いた。
そういうことではあったが…
↓実はこういうモノも在った…
京都に持参して宿で頂いた<高野山般若湯>の他、実は「もう1本…」を密かに求めていたのだった…
↓こういうような具合の徳利に入った、“原酒”というモノも在るのだ…
これに関しては大阪の宿、京都の宿、更に奈良の宿まで持参し、奈良から稚内までモノを箱詰めして送った際に中に容れたのだ。そしてこの<高野山般若湯 原酒>は拙宅へやって来たのだ…
↓紐と包を外して開栓し、紐はまた徳利に着ける…これで何時でも中身を頂くことが出来る…
↑古風な徳利に「高野山 般若湯」という文字…実に好いと眺め入ってしまった。
↓酒というのは容器を眺めるモノではない!呑むモノだ…ということで愛用のタンブラーに注いで試飲である。
この「般若湯」は、「少し昔風な?」という芳醇な味わいを志向しているように思っていたが、そういう傾向の味だ。そして“原酒”なので、少しだけ度数が高いようではあるが、その度数は然程意識せずに頂くことが出来るような感である。
実は…最近は酒類を嗜む際には蒸留酒を主に頂くようにして、醸造酒は少な目にということもしているが、それでも好きなモノを完全に禁じるということではない。そこで大事にこの<高野山般若湯 原酒>を保管し、ゆっくりと頂こうとしていた。が、そういう考えとは少し別に、「思い出の高野山を懐かしむ材料になりそうな<高野山般若湯 原酒>が直ぐに空くのは寂しい…」と思って開栓することを躊躇していたという一面も在った。
それでも「我慢出来ない!!」と開けた…加えて、この<高野山般若湯 原酒>に関しては「入手する術」が見付かった!!酒造会社のウェブサイトで通信販売を手掛けていて、国内の何処でも送って頂けるのだ!
<高野山般若湯>を手掛ける初桜酒造は、高野山麓の町に在る。古くから酒造が行われていた地域で、初桜酒造自体は幕末期に起こった蔵を基礎としているようだ。酒造業の様々な変化の中、現在まで酒造を続けているのは、辺りでは初桜酒造だけになっているようだ。
標高900mに近いような山上の盆地ということになる高野山は、冬季には寒い訳で、身体を温める意味で“般若湯”を少しばかり嗜むことは認められていた経過が在り、山麓で醸造された酒が持込まれていた筈だ。そういう故事に因み、「やや昔風?」な芳醇な味の<高野山般若湯>の登場である。なかなかに好い。正直に言えば、以前から「芳醇…」という路線の清酒を寧ろ好んでいた感も在るので、“般若湯”が酷く気に入ったということも在る…
本当に「過ぎない…」という程度の“般若湯”を愉しみ、高野山を訪ねた時のことを思い出しながら、「何時かの再訪…」を期したいものである。
※ 記事に載せた写真は拙宅で撮ったのだが、モノは「高野山で買い求め、その後に拙宅へ送った…」という経過なので、記事を「和歌山県」のカテゴリに収めておきたい…
3050形電車…:大須観音駅:名古屋の地下鉄(2020.12.25)
「24時間券」を手に、地下鉄利用で名古屋を動き回ってみた…
↓大須観音駅で下車し、乗って着いた車輌を何となく眺めた…
↑行先表示が「豊田市」となっている。名鉄の路線に乗入れているようだ…地下鉄は「名古屋市交通局」が運行しているが、名古屋近在の街を結ぶ私鉄との乗入運行が色々と在るようだ…
↓出発した車輌は1993(平成5)年から1994(平成6)年に製造されたという3050形電車だ…金属色の車体に、路線のイメージカラーのようなモノが少し入った感じ…「1990年代の車輌…」という雰囲気が色濃いと思った…
↑この大須観音駅では「ホーム扉」は見受けられなかった…
駅の中で案内図等を視て、大須観音を訪ねたのだった。何処かを訪ねると、訪ねた際に乗った乗物に関しても、可能であれば一寸写真に収めておきたくなる…
↓大須観音駅で下車し、乗って着いた車輌を何となく眺めた…
↑行先表示が「豊田市」となっている。名鉄の路線に乗入れているようだ…地下鉄は「名古屋市交通局」が運行しているが、名古屋近在の街を結ぶ私鉄との乗入運行が色々と在るようだ…
↓出発した車輌は1993(平成5)年から1994(平成6)年に製造されたという3050形電車だ…金属色の車体に、路線のイメージカラーのようなモノが少し入った感じ…「1990年代の車輌…」という雰囲気が色濃いと思った…
↑この大須観音駅では「ホーム扉」は見受けられなかった…
駅の中で案内図等を視て、大須観音を訪ねたのだった。何処かを訪ねると、訪ねた際に乗った乗物に関しても、可能であれば一寸写真に収めておきたくなる…
5000系電車…:西宮北口駅(2020.12.21)
「阪急今津線」の北寄りな側…西宮北口・宝塚間を列車が往来している…
↓西宮北口で、宝塚を目指して乗車した列車だ…
↑阪急の場合、列車の外装の色が各車輌で殆ど統一されていて、内装に関しても「新しい?」というモノは停車駅案内のモニターが在る等で判るが、どれも適宜リニューアルもされているらしく「古びた?」という感が薄いので、「どの車輌も然程の差は?」と思う面が在る。それでも「余り見掛けないような?」と思った車輌だった…
この5000系電車というのは、1968年から1969年に登場した車輌であるという。色々な運行の遍歴が在って、最近は「阪急今津線」の北寄りな側で運用されている編成が残るばかりなのだという。嘗ては神戸三宮・大阪梅田間で運用されていたが、現在は往時よりも編成を短くした形になっているそうだ…
半世紀も動いている車輌ということだが…特段に「古びた?」という感はしなかった。が、この西宮北口・宝塚で運用中の編成だけが残っているということなら?なかなかに貴重な車輌に乗車したことになる…
本当に「だから?」というようなことかもしれないが、乗車した列車が「古いのでやや希少?」というようなことを知ると、何となく面白いと思う…
↓西宮北口で、宝塚を目指して乗車した列車だ…
↑阪急の場合、列車の外装の色が各車輌で殆ど統一されていて、内装に関しても「新しい?」というモノは停車駅案内のモニターが在る等で判るが、どれも適宜リニューアルもされているらしく「古びた?」という感が薄いので、「どの車輌も然程の差は?」と思う面が在る。それでも「余り見掛けないような?」と思った車輌だった…
この5000系電車というのは、1968年から1969年に登場した車輌であるという。色々な運行の遍歴が在って、最近は「阪急今津線」の北寄りな側で運用されている編成が残るばかりなのだという。嘗ては神戸三宮・大阪梅田間で運用されていたが、現在は往時よりも編成を短くした形になっているそうだ…
半世紀も動いている車輌ということだが…特段に「古びた?」という感はしなかった。が、この西宮北口・宝塚で運用中の編成だけが残っているということなら?なかなかに貴重な車輌に乗車したことになる…
本当に「だから?」というようなことかもしれないが、乗車した列車が「古いのでやや希少?」というようなことを知ると、何となく面白いと思う…