伊達政宗公…:仙台駅(2020.12.18)

仙台駅で新幹線の列車に乗る前…列車までの時間が少々在ったので、構内の店で飲物を求めるようなことでもしようと少しばかり歩き廻った…

↓こういうモノに出くわした…
18-12-2020 in Sendai area (12)
↑自らの居城の城下町として仙台を拓き、現在に至る街の礎を築いたとされる伊達政宗である…

↓概ね等身大であるように見える像だ…こういう具合に、食事を摂るような店が並んでいる仙台駅構内の一隅に、独特な存在感を示しながら佇んでいる…
18-12-2020 in Sendai area (11)
↑高い台座に乗っているのでもなく、「並んで立つことも出来る」というような感じが一寸面白い…

早々と仙台を離れて移動するということにしたのだったが…こんなモノを見掛けて、「もう少し滞在しても…」と思い始めたが…そういう思いは振り切り、「別な機会に…」と

仙台の老舗が製造しているという、仙台駅限定販売らしい銘酒を求め、列車内で頂きながら移動したのだった…

通天閣の在る光景…(2020.12.19)

↓大阪まで行って、市内に滞在するなら、とりあえずこんな様子を眺めてみたいという気分になるので足を運んでみた…
19-12-2020 Osaka in evening vol01 (20)
↑目立つ“ふぐ”の看板が記憶に残るのだが、看板を掲出していた店が閉店したということで、記憶に残る看板が無くなっていた…

↓後から考えると「土曜日の夕刻から夜」に足を運んだのだったが、記憶に在る範囲では最も「静か」であったかもしれない…
19-12-2020 Osaka in evening vol02 (3)

↓この辺り「らしい」という感の電飾看板が目立つ他方、休業しているという店や、改装をしている途中という建物も散見していた…
19-12-2020 Osaka in evening vol01 (23)

↓何処となく落ち着かないような感は否めなかったが、「それでも通天閣は輝く…」と、何となく通天閣を眺めてしまった…
19-12-2020 Osaka in evening vol01 (24)

この通天閣を望むような辺りについては、過去に滞在したことも在り、少し気に入っている場所でもある…

↓また大阪を訪れることが在れば「きっとまた…」と思いながら通天閣を眺めていたことが思い出される…
19-12-2020 Osaka in evening vol01 (25)

除雪作業車…(2021.01.09)

何時も早朝に、何となく戸外の様子を伺う…

↓今朝はこういう様子が見受けられた…
09-01-2021 early morning (1)
↑北海道庁で管轄する道路なのだが、“北海道”と大書された除雪作業の車輛が、何となく停車している様子を見掛けた…

↓些かの降雪、或いは積雪が風に舞うというような状況下、暗い早朝に活動を開始している車輛だ…
09-01-2021 early morning (2)

「酷く画になる…」と思いながら、<X100F>を引っ張り出して写真を撮ったのだが、同時に「毎度、御疲れ様です…」という感でもあった…

所謂「道路管理の予算」というものだが、北海道では「冬季の除雪等の関連…」というのが大きな割合を占める…

鹽竈神社…(2020.12.18)

鹽竈神社の急峻で少し長い石段の参道を慎重に上り、社殿等が並ぶ辺りに至った…

↓鹽竈神社に至る頃には冬の陽射しが少しだけ心地好いような好天ではあった。多分、前夜から早朝だったと思うのだが、少し雪が降って存外に積もったという痕跡も伺える状況だった…
18-12-2020 Shiogama, Miyagi pref (10)

↓現在の宮城県に相当する地域を知行地としていた江戸時代の大名である伊達家も、「陸奥国一宮」という格式と伝統を誇る鹽竈神社を篤く信仰したようで、神社に寄進したという立派な燈籠が伝えられている…
18-12-2020 Shiogama, Miyagi pref (11)
↑19世紀初め、奥州の諸大名が各家中の武士達を「北方警固」ということで蝦夷地(北海道等)へ送り出した経過が在る。仙台伊達家もそれに取組んだが、任務が段落した後に仙台の鋳物師に制作させた燈籠を寄進したそうだ…

↓<左右宮拝殿>というそうだ。視れば「左宮」、「右宮」と2つの宮を併せたような体裁になっている…
18-12-2020 Shiogama, Miyagi pref (15)
↑左宮に武甕槌神(たけみかづちのかみ)を、右宮に経津主神(ふつぬしのかみ)を祀っているという。何れも「武神」で、武士階級である領主の伊達家等の人達も信仰したのであろう…

↓若干、屋根に雪が残っている感じが、時季らしいようにも思った…
18-12-2020 Shiogama, Miyagi pref (12)

↓境内の案内図が随所に掲出され、存外に歩き易いと思った。しかし、「中途半端な積雪」で歩き悪い状態ではあった…
18-12-2020 Shiogama, Miyagi pref (22)

↓古くから地域の多くの人達の信仰を集めた伝統の社という、独特な空気感も感じられた…
18-12-2020 Shiogama, Miyagi pref (21)

↓境内は少し高台で、海も望むことが出来た…
18-12-2020 Shiogama, Miyagi pref (23)

↓振り返って、この鹽竈神社に辿り着いたことに感謝しながら、本塩釜駅により近い辺りに出られる東参道に入って引揚げることにした…
18-12-2020 Shiogama, Miyagi pref (25)

↓散ってしまって、溜まっていた葉に雪が被っているという状況が足元に見受けられた…
18-12-2020 Shiogama, Miyagi pref (27)

鹽竈神社は仙台駅からも然程の時間を要しない本塩釜駅に近い…なかなかに好い訪問先のように思った…

<こうや>:南海なんば駅(2020.12.20)

列車に乗って移動し、下車した駅で少し長く停車しているということであれば、乗っていた列車を一寸眺めてみたいと何時も思う…

↓そういうことで、列車の執着であるが故にゆっくり停車していたこの列車を一寸眺めた…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' vol01 (74)
↑極楽橋から山を下り、橋本から大阪府の南東部辺りを通り抜けてなんば駅にやって来た特急列車の<こうや>だ…

↓この駅では、色々な型の車輌による様々な編成の列車が停まっている様子が見受けられるのだが、「特急列車専用車輌で4輌編成」で「山間部用に他の車輌よりも短めな規格の各車」というのは「少し目立つ?」というように思った…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' vol01 (75)

この<こうや>に関しては、橋本駅の手前からなんば駅までの区間は「普通…」な感じなのだが、極楽橋駅から橋本駅は「山の中を慎重に進む…」という独特な感じである。そういうことで「御疲れ様でした…ここまで運んでくれてありがとう…」という気分で暫し車輌を眺めた。

<こうや>:南海の特急列車…:極楽橋駅(2020.12.20)

↓ケーブルカーで極楽橋駅に着いてみると、余り視たことが無かった車輌が停車中だった…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' vol01 (60)

橋本駅から、複雑に曲がりながら山を上り下りする軌道が敷設されていて、列車はそこを慎重に通り抜けて極楽橋駅との間を往来する。南海の高野線で橋本駅から向こうのなんば駅までの区間は、南海の沿線で見掛ける任意の車輌が行き交っている感だが、橋本駅・極楽橋駅間は走る車輌が限定されているらしい…

↓この31000系電車は4輌編成で、橋本駅・極楽橋駅間を含む区間を走る特急列車として運用されている…1999年に登場した車輌ということだ…橋本駅・極楽橋駅間を走る関係上、各車は他の車輌よりも短めな「17m」という規格が採用されているそうだ…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' vol01 (61)
↑極楽橋駅を出発すると橋本駅まで停車は無く、以降は林間田園都市駅、河内長野駅、金剛駅、堺東駅、天下茶屋駅、新今宮駅、なんば駅の順で停まる。

↓滞在していた宿の辺り、ドーム前駅へ向かうにはなんば駅を経由する必要も在る。「真直ぐになんば駅というのが好いかもしれない…」と790円の特急指定席券を求めて乗車した…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' vol01 (62)

↓感じが好いシートだと思った…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' vol01 (63)

↓途中駅で停車は無いが、極楽橋駅・橋本駅の間はカーブ区間が多い軌道を、乗っていても「慎重な運転…」と何となく感じられるような具合で、4輌編成の列車を大きく曲げながらゆっくりと進む…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' vol01 (67)

橋本駅以遠は、「快適な特急列車」そのもので、各列車を乗り継ぐ場合よりもずいぶん早くなんば駅に到着してしまう。この<こうや>も少し思い出に残る列車となった…

映り込み…:<奈良公園バスターミナル>の<スターバックスコーヒー>…(2020.12.23)

↓何気なく眺めた様子だった…直ぐにテーブルの飲物に目線を戻したが「何となく…気になる?」と目を凝らして再度様子を伺った…
23-12-2020 Nara in evening (15)
↑暗い硝子に映り込んだ様子が眼前に在る。テーブル上の飲物、販売向けに陳列されているモノ、カフェが入居している建物内に在る文字…全てが「鏡に映っている状態」であるのに、<STARBUCKS>というロゴだけは正しく読める?

↓タネは実に簡単だった…
23-12-2020 Nara in evening (16)
↑一文字毎を切り抜くようにして文字を組み合わせ、<STARBUCKS>というロゴが入口を入ろうとする側から読めるように設えられている。店内から見れば「ロゴの裏側」が見えている。その裏側が暗い硝子に映り込めば、ロゴが「正しい向き」に映り込むことになる訳だ…

↓カップを持つ際に熱過ぎないように段ボールのバンドが巻き付いているのだが…そこに描かれた女性の顔が「ロゴの件…御気付きですね?」と微笑んだようにも見えた…
23-12-2020 Nara in evening (14)

↓「一般的なオフィスアワーが終わったような頃には、随分と静かな感じに…」と思いながら、奈良県庁に近い辺りを歩き、<スターバックスコーヒー>に寄って一息入れたのだった…
23-12-2020 Nara in evening (18)

奈良という街…<X100F>を提げて「一寸…」と散策してみるのが心地好い場所であると、訪ねてみる都度に思う…

<高野山般若湯>…(2020.12.20)

高野山は、何か「小さな町に大きな寺が立地し、方々に関係施設が建っている」というのか、「寺の関係施設が沢山在る場所が“町”と称し始めた」というのか、少し不思議な雰囲気が在ると思った。

金剛峯寺の本坊壇上伽藍(大伽藍)を眺め、「なかなかに雰囲気が好かった…」と思いながら、その「街の中に寺」とも「寺が街と称している」ともつかないような辺りを歩いた。色々なモノが売られている商店も見受けられるので、そういう様子を眺めていた…

↓こういう幟を眼に留めた…そして足も停めた…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' vol01 (50)

“般若湯”とは?仏教の寺で“酒”を指し示す隠語で、“般若湯”という語は「智恵の湧き出る湯」という程の意味であるそうだ…

高野山の金剛峯寺は、冬季にはなかなかに寒くなるような、標高900m近い山上に設けられている。そういう土地柄、弘法大師こと空海が「寒冷を凌ぐため温酒一杯これを許す」と僧達に告げたという言い伝えが在って、“般若湯”と称して「飽くまでも冷えた身体を少し温める」として酒が嗜まれた経過が在るのだそうだ…

そして眼に留めた<高野山般若湯>という幟であるが、これは和歌山県内の酒造会社の酒銘である。

↓こういう具合に箱に入って、幟を掲げた店で販売されていたので…求めてしまった…
21-12-2020 souvenir (Sake named after Koya-san from Wakayama pref (1)

↓訪ねてみて好い感じであった高野山のことを想いながら道中の宿で頂こうと、300ml入りの小さなボトルの<高野山般若湯>を求めた訳だ…
21-12-2020 souvenir (Sake named after Koya-san from Wakayama pref (6)

↓なかなかに好い感じの純米吟醸だった。やや甘いような気もした酒だった…
21-12-2020 souvenir (Sake named after Koya-san from Wakayama pref (5)

高野山で求めた<高野山般若湯>…大阪の宿へ持ち帰り、翌日に宝塚を経て京都へ至り、京都の宿で頂いてみたのだった…

「智恵の湧き出る湯」という意味の“般若湯”という寺の隠語がそのまま銘になっている酒…非常に思い出に残るモノとなった。

※ 幟は高野山で、酒瓶は京都の宿で各々撮っている。これは「高野山で求めた思い出の品」の件なので、記事は「和歌山県」のカテゴリに分類する。

下り坂な天候の朝に…(2021.01.08)

「荒天への注意喚起」というような中で迎えた早朝…

↓戸外の様子を伺ってみた…
08-01-2020 early morning (2)

↓前夜から早朝までの降雪量は多いようには思い悪い。若干の降雪が、または薄く積もった粒子が細かい雪が風に舞っている感だ。そういう中、新聞配達の方が自転車で通り過ぎた痕跡が路上に視えた…
08-01-2020 early morning (1)

積雪に光が撥ね返り、冬季の夜は少し明るく感じる場合も在る…「下り坂」と思っておくべき天候の1日が始まろうとしているが、未だ辺りは眠っているような感でもあった…

雪の“境界”…:「高野山ケーブル」こと「南海鋼索線」(2020.12.20)

「高野山を訪ねる」となれば、南海の列車で和歌山県の橋本駅を経て極楽橋駅に至り、そこから先はケーブルカーで高野山駅で、以降はバスを利用することになる。

その経路で金剛峰寺の本坊壇上伽藍(大伽藍)を訪ねてみた。

そして引揚げるに際して、同じ経路を逆に辿った…

↓このケーブルカーで、高野山駅から極楽橋駅へ下りる…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' vol01 (58)

ケーブルカーが走る区間の延長は800m程度で、高野山駅(標高867m)と極楽橋駅(539m)との高低差は328mで、29度にもなる急斜面を往来している。

↓ケーブルカーは雪が残る軌道を慎重に下り始めた…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' vol02 (2)

↓少し緩やかなカーブを描くように軌道が敷設されていた…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' vol02 (7)

往路は、「事故による列車運行の乱れ」から運行再開されたばかりで、乗客が些か集中し、ケーブルカーの車窓を眺め易い状態とは言い難かった。が、復路は悠然と眺めるゆとりが在った訳だ…

↓上るケーブルカーと行違うようになっている辺りで、積雪が少なくなっていた…往路でも「下りて来るケーブルカーと行違った?」という辺りで「辺りが?白く?」と少し驚いたのだが、この行違いの辺りが積雪の“境界”となっていたようだ…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' vol02 (9)

↓正面が見える辺りに陣取って、こういう様子を眺めるのは存外に愉しい…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' vol02 (11)

↓いよいよ2輌のケーブルカーが行違う…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' vol02 (12)
↑見えている上っている車輌は<N11>のナンバーが見える。乗っている下っている車輌は<N12>だ。これらの車輌は2019年3月に登場したばかりの新しいモノということだ…

↓行違いを行う場所の先で、ハッキリと積雪が消えている…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' vol02 (14)

↓積雪が無い区間に入って行く…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' vol02 (16)

↓下側、極楽橋駅の出入口が見えて来た…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' vol02 (21)

↓こういう眺めが少し面白い…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' vol02 (24)

↓間もなく到着である…5分間程度の運行時間だ…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' vol02 (26)

このケーブルカーは高野山の上に広がる「一寸した町」の様相を呈している辺りと、山の半ばのような辺りとを往来している。上側は900mに近いような、やや高い標高で、積雪というような様子が下側とは少し違うようだ。そういう異なる様子の“境界”を越えながら動くのが少し面白かった…

苫小牧市内の路線バス…:フェリーターミナルへ…(2020.12.17)

↓苫小牧駅前から乗った路線バスの車内だ…酷く空いている車内だったので、思わず提げていたカメラを使ってしまった…
17-12-2020 trip on ferry 'Kitakami' from Tomakomai (8)
「苫小牧港に到って船に…」という意図で動き続け、漸く港への道筋に入った…

↓ターミナルから出る各フェリーに乗船し易い時間帯に、苫小牧駅前から路線バスは出ている。バス会社の事務所で発車時刻を訊ねて確かめることも出来るので、利用し易いと思った…
17-12-2020 trip on ferry 'Kitakami' from Tomakomai (7)

フェリーの場合「車で港に動いて船に車を積み込んで乗船」というのもポピュラーなのだろうから、こういう「連絡バス」は然程混み合わないものなのかもしれない…そんなことを思いながら、苫小牧の街を抜けて港へゆっくりと向かったのだった…

9300系電車…:大阪梅田駅(2020.12.21)

「真言宗十八本山」の18ヶ寺の中、未踏箇所を巡ろうと意図していた。そして、大阪に陣取って、根来、信貴山、高野山を訪ね、その後に阪急の列車を利用して宝塚市内の2箇所に寄り、そのまま阪急の列車で京都へ動くというように計画した。

清荒神中山寺とを訪ね、大阪梅田駅でランチを愉しみ、阪急の列車で京都を目指すことにした。

↓大阪梅田駅では、こういう具合に各方面への列車が勢揃いして並ぶ…
21-12-2020 (4th)(visiting Arashiyama, Kyoto via Umeda, Osaka) (17)
↑改札口を潜って右寄り、“1号線”という辺りに京都との間を往来する列車が発着している…その“1号線”の乗場に入った…(阪急では列車が発着する場所を“X番線”ではなく“〇号線”と呼ぶ慣行になっている…)

↓京都の四条通の地下を通って京都河原町駅へ至る特急が待機中だった…
21-12-2020 (4th)(visiting Arashiyama, Kyoto via Umeda, Osaka) (18)
↑2003(平成15)年から運用されている9300系電車だ。大阪梅田・京都河原町間の特急列車として主に使われているという…

↓未だ乗客があまり集まっていない状態であったので車内の様子を撮ってみた。
21-12-2020 (4th)(visiting Arashiyama, Kyoto via Umeda, Osaka) (19)
↑「3扉セミクロスシート」という内装だ。終着駅から「折り返し運転」になる場合、乗務員室で操作をすると座席の向きが一斉に変わるようになっている。その直後に車内清掃が入っている様子も見受けられる。

関西方面に出て「大阪梅田駅で阪急の列車に乗車」ということをすると、運賃以外の別料金が生じるのでもない普通な列車に乗車するというだけのことだが、「大事にメンテナンスされているように見える綺麗な車輌に、素敵な駅から乗せて頂く…」という「少し特別?」な感じがしてしまう。毎日利用している方の目線では「何を言っている?!」ということなのかもしれないが…大阪梅田駅で列車に乗ってみるというのを、何時も何となく愉しみにしていることに気付いてしまうのだ。

金剛峯寺 壇上伽藍(大伽藍)…(2020.12.20)

高野山は山そのものが「金剛峯寺の境内」というように考えられている場所であるそうだ。そういう中で寺務所等が入っている「本坊」と呼ばれる場所を「金剛峯寺」と呼び習わしていたように見受けられた…

↓その本坊の少し先にこういう場所が在る…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' vol01 (28)
↑「大伽藍」と記されている…

現場では上の画で看板が掲出されているように「大伽藍」と呼び習わされていたように見受けられたが、これが金剛峯寺の本坊の辺りから「壇上伽藍」への通路だ。

壇上伽藍は弘法大師こと空海の指導で建設が始まり、次の代の代表者の時代まで、816年頃から887年頃までの長い年月で整備が進められたようだ。勿論、新たな建物がその後に登場した例や、火災等で損なわれた建物が再建された事例は多々在ると見受けられるが…壇上伽藍は、弘法大師こと空海が高野山に道場を開くことにした当初から、自ら構想し、真言密教の思想に基づいて塔や堂を建立して行くことにした場所であるそうだ…

↓前夜から早朝に些かの雪が降り積もったと見受けられる状況で、何か溜息が漏れるような「雰囲気…」が在った…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' vol01 (29)

↓永い歴史を誇る寺院の伽藍には、独特な空気感が漂うように思うのだが、「山が丸ごと寺…」ということになっているこの場所のそれは格別であるように思った…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' vol01 (31)

↓非常に大きな多宝塔である根本大塔(こんぽんだいとう)は、金剛峯寺のシンボルのようになっているとされるモノだ…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' vol01 (42)

↓この根本大塔を見上げて見入ってしまった…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' vol01 (41)

↓大勢が集まる催事の場になっているという金堂も重厚だった…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' vol01 (43)

↓これは三昧堂(ざんまいどう)と呼ばれる小さな建物だが、こういう小さなモノで、19世紀の再建と伝えられるモノであっても、何か非常に独特な空気感を放っていた…
20-12-2020 Visiting 'Koya-san' vol01 (35)

今般、「真言宗十八本山」の18ヶ寺巡りを成就しようと、些かの慌ただしさを顧みずにこの高野山へ上った…訪問をゆっくりと振り返る中で「必ず再訪しなければ…」というような想いが込み上がることを感じずには居られない…

些か慌ただしい内容に「少しばかりの悔い」が残ろうとも、訪問を実現出来ない場合には「更に大きな悔恨」を残す羽目に陥る…そういう意味では「とにかく!」と訪ねてみたことを善としておきたい。が、高野山は「何れ再訪…」と頭の隅に強く留めておきたい…

苫小牧駅の辺り…(2020.12.17)

「苫小牧港に到って船に…」という意図で、早朝の暗い稚内駅を発って、列車を乗り継いで延々と南下を続けていた…

↓「もう少しで目指していた苫小牧…」と車窓を眺めていて、少し驚いた…
17-12-2020 Train trip vol04 (10)
↑「雪が?無い?」と驚きながら様子を眺めた…岩見沢から真直ぐ苫小牧へ南下する列車は「雪のため運休」ということにもなっていて、札幌へ廻って苫小牧に至ればこんな様子なのだ…

↓冬至が間近の日が短い日の傾いた光線という風情ではあるが…列車が到着した駅の雰囲気?「秋」のようだった…
17-12-2020 Train trip vol04 (11)

↓改札口を潜って跨線橋のようになっている辺りから駅構内を眺めた…
17-12-2020 Train trip vol04 (12)
↑雪が多めな区間も通り抜けて来たのだが…重ね重ね「雪が?無い?」と驚かされた…

「冬の北海道=雪」というイメージも強いのかもしれないが…広大な北海道だけに「様々な様子」というものが在る訳だ…

サッポロビール庭園駅…(2020.12.17)

札幌から苫小牧行の普通列車に乗車した…

千歳線の各駅に停車しながら進む列車である。この千歳線は新千歳空港と札幌とを往来する快速列車や、札幌と室蘭を経て函館との間、或いは追分を経て帯広や釧路との間を往来する特急列車も多く通る。苫小牧行の普通列車に乗っていると、その快速や特急の通過待ちで少し長めに停車する場面も多かった…

↓こんな駅でも少し長めに停車した…「何が在る?」という感の駅だった…
17-12-2020 Train trip vol04 (9)
↑正直、「そう言えば…こういう駅も在ったかもしれない…」という感の、印象の薄い駅だ…

サッポロビール庭園駅は恵庭市内の無人駅である。恵庭駅(えにわえき)と長都駅(おさつえき)との間である。恵庭駅は恵庭市の中心的な駅ということになり、快速も停車する。長都駅は随分以前から沿線に在る駅だ。サッポロビール庭園駅は1990(平成2)年に新設された駅で、普通列車も一部が最初から通過してしまっているという…「少し馴染んだ…」と言い得る千歳線なのだが、この駅に関しては「そう言えば…こういう駅も在ったかもしれない…」という感にもなってしまう…

近くにサッポロビールの工場が開業し、そこに庭園が在るというので<サッポロビール庭園駅>と命名されたのだそうだ…

この駅には通過列車を待ち合わせる待避線が設けられ、快速や特急の通過待ちというようなことをする場所として活用されているらしい…時にはこういう場所に停車して列車を見送ってみるのも悪くないかもしれない等と思っていた…

岩見沢駅…(2020.12.17)

「苫小牧港に到って船に…」という意図で移動していて岩見沢駅に至れば、3月に乗車した経過も在った「苫小牧行」の普通列車を思い浮かべる…

↓そんなことを思いながら、到着した721系電車を眺めた…
17-12-2020 Train trip vol03 (12)
↑滝川・岩見沢間の積雪の中を進んだ痕跡が色濃く見受けられた…

↓「さて…乗り換えは?」と跨線橋に上り、乗って来た721系電車を見下ろした…
17-12-2020 Train trip vol03 (14)

この時点で判った…岩見沢から真直ぐ苫小牧へ南下する列車は「雪のため運休」ということだった…

↓とりあえず駅前で一息入れたが、一部に「列車運行困難…」という区間も在るのだと想像に難くないような雰囲気が在った…
17-12-2020 Train trip vol04 (2)

「岩見沢から苫小牧へ」ということであれば?札幌へ出て、千歳を経て苫小牧に向かう経路を利用することも可能だ…

↓岩見沢・札幌間の列車運行本数は多い…直ぐに札幌方面の列車に乗り込んだ…
17-12-2020 Train trip vol04 (5)
↑「札幌圏に足を踏み入れた…」と意識してしまう、ロングシートの内装である3輌編成の731系電車が、チラチラと雪が舞い始めた中に待機中だった…

稚内から列車を乗り継ぎながら進むと、岩見沢に到った辺りで、何か“雰囲気”が大きく変わるような気もする…

721系電車…滝川駅(2020.12.17)

岩見沢から旭川までの電化区間で、電車で運行する普通列車と言えば…

↓この3輌編成の721系電車だ…滝川駅で、電車で運行する普通列車と言えばこの721系電車しか視ない…
17-12-2020 Train trip vol03 (8)
↑逆に言えば、近年は岩見沢より向こう(=札幌寄りな側)で721系電車に出くわす率が少し低くなったような気もする…

この車輌は大都市圏に見受けられるロングシートの内装ではなく、座席が多い内装で、なかなかに乗り心地が好い車輌だと思う…

滝川で一息入れ、車内で少し待って、岩見沢を目指した…

キハ40…:滝川駅(2020.12.17)

↓こういう様子の車輌を駅で下車した時に視ると、「寒い中、ここまで運んでくれてありがとう!!」という気分になる。
17-12-2020 Train trip vol03 (5)

↓とりあえず滝川駅では、次に乗車したい岩見沢行に乗り換えるが、こうやって車輌を眺める程度のゆとりは在る…
17-12-2020 Train trip vol03 (4)

時刻表を丁寧に視れば、列車番号に“D”が入って、こういうディーゼルカーが走る普通列車も事前に判るのかもしれないが…「何となく出くわす」という位が悪くないとも思っている…

<仙臺驛政宗>…(2020.12.18)

最近、酒類を嗜む場合には蒸留酒を好んで択び、醸造酒は少し控えるような感ではあるのだが…

↓仙台駅構内で思わず求めてしまった…
18-12-2020 Train trip (20)
↑古めかしい書体、旧漢字で「仙臺驛」(せんだいえき)と在り、東北地方随一の大都市である仙台の礎を築いたとして、地元では「凄く偉い人!!」ということになっている伊達政宗の名が組み合わさり、<仙臺驛政宗>(せんだいえきまさむね)という銘が冠せられた純米吟醸酒だ…

↓何やら仙台の老舗酒造会社が製造に携わっていて、仙台駅の売店で限定的に売られているという代物であるそうだ…
18-12-2020 Train trip (22)

↓仙台駅から東京駅へ向かい、新大阪駅へ出ようとした中、仙台駅構内で求めた<仙臺驛政宗>を車内でゆったりと頂いた…
18-12-2020 Train trip (19)

↓売店の店員さんに「包装は?割れ悪いように…」と訊ねられた。「無用である」と応じ、「この後、列車で早速頂くのだが…」と売店で申し出れば、売店の店員さんは「コップを付けましょうか?」と小さな紙コップを下さった。「忝い…」とコップを頂き、それを使ったのだった…
18-12-2020 Train trip (21)

順調に旅を続けられたこと…自身が新幹線の車中で寛いで居られること…そして限定を謳う銘酒に出くわしたこと…色々なことに感謝しながら、この<仙臺驛政宗>を空けた…

キハ40…:旭川駅(2020.12.17)

旭川から深川や滝川へ向かう函館本線は電化されている。「架線から電気の供給を受ける集電装置を天井に備えた車輌」(=要するに“電車”…)が行き交っている…

↓それでも「滝川行」の普通列車が待機中であるとホームへ向かってみれば、こんな車輌が待機している場合も在る…
17-12-2020 Train trip vol03 (2)
↑右は名寄から乗って到着したキハ261系ディーゼルカーで、左が乗り込もうとしていた滝川行の普通列車だ。「伝統の!」と言ってみたくなるキハ40だ…

電車が主流な感である区間でこういうディーゼルカーに出くわすと、「態々待っていてくれたのか?!」と変に愛おしいような気がしてしまう…この種の車輌は自身が小学生であったような頃から動いている訳だが、内装も「少年の日に乗車した列車…」を思い起こさざるを得ないような感じで、何となく好きだ…

名寄駅…(2020.12.17)

美深駅で予定より長い停車ということは在ったが、早朝の暗い稚内駅を発った列車は無事に名寄駅に至った…

↓到着した列車の後尾側を何となく眺めた…
17-12-2020 Train trip vol01 (34)
↑走行中に軌道上の雪を巻き上げ、それが付着するという状態だ…

↓更に先へ進む列車を待つことになる…天候も好かったので、駅前に出てみた…
17-12-2020 Train trip vol02 (1)

↓「北海道の駅の冬」という「らしさ」を感じながら様子を眺めた…
17-12-2020 Train trip vol02 (4)

<青春18きっぷ>を利用していた。そのまま使い続けるべく次の普通列車を待つと、待ち時間が長くなり過ぎる。待つのは構わないにしても、旭川から先が動き悪くなってしまう。

↓そういうことなので、名寄・旭川間の乗車券と自由席特急券を別途求め、旭川へ進むことにした。
17-12-2020 Train trip vol02 (7)
↑この特急<サロベツ>で旭川駅に着けば、旭川から先、深川、滝川へ向かう普通列車に直ぐに乗り継ぐことが出来る。<青春18きっぷ>をまた利用するのだ…

↓宗谷線での運用が長くなっているこの車輌…見掛けると何となく落ち着く。最近は修理が必要という場面も増えたらしいが…
17-12-2020 Train trip vol02 (8)

「冬らしい」という風情の名寄駅で、未だ長い「旅の行く末」に想いを巡らせながら過ごしていた。それほど以前ではないが、何か「酷く以前」というようにも感じてしまう…

神田明神…(2020.12.26)

↓御茶ノ水駅に至って辺りへ出てみると、神田明神が近くに在るということは、案内標識を視れば直ぐに判る…
26-12-2020 Tokyo... vol01 (180)

だからと言って、漫然と矢印の側へ進んで、その神田明神に直ぐに辿り着くということでもない…存外に辺りをグルグルと歩き廻る羽目に陥った…「思い付きで動き回る」というのは、往々にしてそういうモノであるような気がする…

↓結局、御茶ノ水駅に至る前から動き回っていて乾いた喉を潤そうと水を求めたコンビニで、店番を担当していた方が「地元のおっちゃん」という風な方だったので「この近くですよね?」と話し掛け、一寸助言を頂いて神田明神に辿り着いたのだった…何か酷く嬉しかった…
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↓境内へ進む辺りに神輿がケースに入った状態で展示されていた…神田明神の祭は名が通っているらしい…
26-12-2020 Tokyo... vol01 (182)

↓灯りに浮かび上がる門の風情が好く、暫し見入ってしまった…
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神社を訪ね、参拝して御朱印でも頂こうということであれば、日中によるべきだ…が、神田明神は「灯りに浮かび上がる風情が好い」と一寸聞いていたので、敢えて宿へ向かう前、陽が落ちた頃に立寄ってみたのだった…

神田明神は730年頃に創建された社を起こりとしているそうだ。江戸幕府が開かれた後には「江戸総鎮守」として幅広い層の信仰を集めた神社となって行った…

江戸時代後期の社殿が明治以降も受継がれていたというが、関東大震災でそれらが損なわれ、1934(昭和9)年に現在の鉄筋コンクリートの社殿が再建された。神田明神の周辺は戦禍で古い建物が随分と損なわれた経過が在るが、神田明神の社殿は何とか残ったのだという…

↓「初詣の支度が整った時期に入った年末」という感だったが…夜になっても参拝者が余り途切れないとうな感であった…
26-12-2020 Tokyo... vol01 (188)

↓何か独特な風情が感じられる場所だった…
26-12-2020 Tokyo... vol01 (193)

自身には、東京都内に住んでいた経過は在るが、この場所に立寄ったのは初めてであったと思う。他方、「最初で最後」ということにはならないと思いながらこの場を眺めた。好い風情で、一寸気に入ってしまった…

<1401>…:往年の名古屋の路面電車(2020.12.25)

他所の地方へふらりと立寄り、「こういうモノがこういう場所に在る」ということを事前に知らずに、本当に偶々で興味が在るモノに出くわすと酷く嬉しく、記憶に残るというものだ…

↓本当に「期せずして…」という形で、名古屋でこういうモノを見掛けた…
25-12-2020 (part 3) (at Nagoya)  (40)
↑現在の名古屋では路面電車の運行は見受けられないが、嘗ては大活躍していたと聞く…そんな往年の路面電車がさり気なく展示されていた…

大須観音を訪ね、「名古屋総鎮守」の若宮八幡社へ歩き、「辺りを適当に歩き廻れば地下鉄駅に行き当たるであろうか?」と動き続けてみた…名古屋駅のロッカーに預けた荷物を引き取って、宿に向かってみるというのが程好いかもしれない時間帯だと思っていたのだった。

そうやって動いていれば、“科学館”なる施設が建っている公園のような場所に行き当たり、「あそこの施設の入口辺りで、一寸様子を視れば、最寄りの地下鉄駅が判る…であろう…」という程度に思って辺りを眺めながら進んだ…

↓そしてその“科学館”なる施設の手前に「停車」の路面電車だ…
25-12-2020 (part 3) (at Nagoya)  (41)
↑停留所の設えをしているので「停車」と表現したくなったが、“静態保存”の展示という体裁である…

<1401>というのは「1400型電車」と呼ばれた、名古屋で長く活躍した型の1輛である。1936(昭和11)年に初めて登場し、ワンマン運行対応の改修も入ったと見受けられるが、1974(昭和49)年に名古屋の路面電車が廃止となってしまうまで動いていたのだという。「1400型電車」は全部で75輛も製造されたそうだ。更に、後続する各型の基礎にもなった、名古屋の路面電車の屋台骨を支え続けたような車輛である…

↓1936(昭和11)年当時に流行った「流線形」も取り入れたデザインであるというのだが、何か美しい形だと思った…
25-12-2020 (part 3) (at Nagoya)  (44)

勿論、動き回っている路面電車を眺めて乗車するというのが愉しいのだが、こういうような嘗て活躍した車輛の展示を眺めるのも悪くはない。それにしても、本当に期せずして<1401>に出遭ったのは嬉しい出来事だった…

この後…最寄りの地下鉄駅が伏見駅であると聞いて、そこへ向かったのだが、大須観音を振り出しに辺りをグルグルと廻ったような形になった…

“W”のワッペンのキャップ…(2021.01.05)

小学生であったような頃からだと思うが、ベースボールキャップを好んで着用する方であるように思う。(嘗ては寧ろ“野球帽”と言ったように思うが…)

ベースボールキャップに関しては既に数多く所持していて、「一寸外へ…」となると、何となく気に入っている何個かのモノから「その日の気分…」とか「他の衣類の色に鑑みて変な感じではないモノ…」と選んで着用する。

だから「間に合っている…」ということになるのだが…

↓「買っちゃった…♪」ということが時々生じて、自身で自身に呆れてしまう…
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↓何処かで写真を視て「何となく好さそう…」とは思っていた。好みなデザインのキャップだ…それが偶々東京に寄って一寸だけ動き回っていた中で、「実物…」が売られているのを見掛けてしまい…「買う!!」ということになってしまったのだ…
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早速「気に入ったキャップのローテーション」に組入れて、時々愛用しようと思っている…傍目には「だから?」というようなことに他ならないと思うが、「気に入る日用品を入手」というのは、何か酷く嬉しいものだ…

<エチオピア・ゴティティ>…(2021.01.05)

札幌の<STANDARD COFFEE LAB.>で求め、稚内の拙宅へ持ち帰った珈琲豆だ…
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↑最近はよく見掛けるような型の袋に豆が収まっている…

↓拙宅で使う場合、こういうような容器に豆を容れて使用する場合が多い…
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<STANDARD COFFEE LAB.>の店内でも使用している形のカップにロゴを入れたモノが売られていたので、そちらも求めて持ち帰った…
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こういうことで、<エチオピア・ゴティティ>を拙宅でも淹れて愉しんでいる。札幌の店で頂いた時も、「苦味以外の諸々な珈琲の味の諸要素」が複雑に交じり合ったような感じであると思ったが、そんな味わいは変わらない…

方々から色々な豆を仕入れて珈琲を淹れるというのも愉しいものだ…

ソーセージのサンドイッチ…(2021.01.05)

↓ランチタイムに立寄る近所の店で、“オフ”の日に頼む場合が多いモノだ…
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↑ソーセージや野菜を焼いたパンで挟む…美味いサンドイッチだ…大変に気に入っている。

これを頂くと…「地元に在る“オフ”の1日をゆったりと過ごしている…」と心地好く思う場合が多い…

「24時間券」…:名古屋の地下鉄(2020.12.25)

出掛けた先で、「地下鉄の1日券」というようなモノを求めて利用することが存外に好きだ…或る程度運行頻度も高い地下鉄で、街の主要な地区を往来する地下鉄の列車を、特段に細かい料金を気にせずに何度か利用すると、自ずと“1日券”の料金の前後の利用に届くという場合が殆どだと思う。そういう訳で、出先で「一寸地下鉄に…」と思い付くと、最初に乗車しようとする駅で「1日券」を入手してみようとする。

「未だ朝」と言い得る時間帯に名古屋に入り、思い付いて名鉄の列車を利用して津島を訪ねた後、名古屋駅の巨大な地下街でランチを愉しみ、そこから地下鉄で動き回ろうとした。何れにしても「名古屋駅から地下鉄で丸の内駅」という経路で滞在する宿を目指す手筈では在ったのだ…

地下鉄の名古屋駅に至り、各種の券を販売する自販機を見付けて、何となく眺めた。最近、「地下鉄の1日券」というようなモノは自販機で売られている。窓口らしきものを探す方が手間が要るというのが普通だ…そういう訳で、名古屋駅で直ぐに見付かった自販機を何となく視た。

地下鉄駅で乗車券等を売る自販機にも「時代の変遷」というのが間違いなく在る。名古屋駅で眼に留めた自販機は、「中学生か高校生の頃のに札幌の地下鉄駅で頻繁に見掛けた」という印象の、「専ら現在居る駅から各駅への単純な乗車券を売っている」というタイプの年季が入って視えるモノだった…「“1日券”は何処で如何に求めるのか?!」と思っていれば、脇に駅員さんが現れた…自身のように他地方から偶々入り込んだ者のような不慣れな人に対応する係が居るらしく、大変丁寧に御案内頂いて、酷く懐かしい感じがした自販機の脇の、少し新しい自販機で「1日券」は容易に求められるということだった…

↓「1日券」を求めたのは好かったが、何か得心出来なかった。自身としては「今直ぐ!」に使用したい。が、「翌日の日付」というのは「如何いう了見??」と思った…
25-12-2020 at Nagoya in evening (2)

親切に「そちらの券売機で…」と御案内頂いた駅員さんに「判らない?」と御尋ねした。そして判った。「1日券」は「24時間有効」である。従って、求めた「1日券」で改札口を潜ると“時刻”が刻印され、「翌日の刻印された時刻まで有効」となるのだという。従って…「12月25日13時13分」に使い始めた「1日券」は、「12月26日13時13分まで」の「24時間有効」なのだという。故に、「今使う!」という意図で求めた券に、翌日の日付なのだ。「まで有効」という表示の方法だ…

こういうのは、街に入って、泊まって、翌日に立ち去るというような場合、非常に有益ではないだろうか?実際、この12月25日に地下鉄で動き回り、宿に入り、翌朝に新幹線の列車に乗る名古屋駅へ移動したが、この「1日券」で須らく用事は足りてしまったのだ。同日の終電までではなく、「24時間」としてくれるだけで、「泊まった翌朝の移動」に遠慮なく利用可能となるのだ…実に好い!!

他所でもこういう「24時間券」というのは一部に見受けられるようだが、なかなかに好いように思った。そして、旅から戻って然程時間は経たないが、「何時かこの“24時間券”を手に、また名古屋をフラフラと…」という想いを抱いてしまっていることに思い至る…

朝の祇園で滞在した宿の建物を見上げる…(2020.12.23)

↓「祇園社」とも呼ばれる<八坂神社>の東大路に面した出入口を上層階から見下ろすような感じで佇むビル…普通なホテルである…
23-12-2020 (1st)(Kyoto to Nara) (1)
↑混み合っていれば、部屋が取れないか、取れても酷く高い…が、その限りでもなければ、「何かで他所に出る場面で利用する宿」という常識的な範囲の料金で利用可能な施設だ。京阪の祇園四条駅や阪急の京都河原町駅に近く、バス停も見受けられるのでバスも利用し易く、なかなかに好い場所だ…

ここには祇園枝垂桜を眺めた時に滞在した経過が在った。今般、2回目の滞在となったが、「真言宗十八本山」の18ヶ寺を全て巡ることを成し遂げた時に滞在した宿ということになる。何となく「記憶に留めたい場所」という感である…

特段に由緒在る建築というようなことは聞かないが、何か酷く趣が在るビルだと、視る都度に思う建物だ…この朝は、思い出深い場となった建物を眺め、ゆっくりと奈良方面へ移動したのだった…

↓こういう宿は、思い付いて下記のサイトを見て探す場合が殆どだ…



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小さな「大日如来」…:東寺の土産(2020.12.22)

↓東寺の境内に売店が在って、「一寸好い感じ…」と思ったモノをそこで求めた…
22-12-2020 souvenir (mini 'Vairocana' from Toji-Temple) (1)

↓「マグネット付き ミニ仏像 大日如来」という箱だ…
22-12-2020 souvenir (mini 'Vairocana' from Toji-Temple) (2)

↓大きさが判り易いように煙草の箱と並べたが、本当に酷く小さな大日如来だ…
22-12-2020 souvenir (mini 'Vairocana' from Toji-Temple) (4)
↑酷く小さいが、東寺に鎮座するよく知られている大日如来坐像―絵図に描かれている曼荼羅を立体的に見せることを構想した空海の指導下で制作された仏像群の一つとされているモノだ…―の雰囲気を好く伝えている…

京都の宿で中を視た後、バッグの隅に容れてこれを持ち歩き、稚内の拙宅へ大切に持ち帰った。何時までも箱に入れたままというのも寂しい。引っ張り出して、マグネットで着く金属製の板が出ている箇所―拙宅の場合、室内に視えている給湯機器が在る…―に「ピタっ!!」と貼り付けた…「鎮座…」という大袈裟な感じでもないが、立派な大日如来が拙宅と住人の安寧を見守ってくれるような気分になる。

何か干支毎の守護仏というモノが在るというのだが、自身の干支である申年は大日如来がそれに該当するそうだ。そんな意味も在って、東寺の売店から稚内まで、この小さな大日如来に「お越し頂いた」という訳だ。

<若宮八幡社>…(2020.12.25)

↓「名古屋総鎮守」という大きな看板が掲げられていた…
25-12-2020 (part 3) (at Nagoya)  (22)

<大須観音>を訪ねてみて、辺りを少し歩き、辺りに落葉が多かった状況に多少驚き、そのうちにこの「名古屋総鎮守」という大きな看板に至った…

↓ここは<若宮八幡社>という、名古屋の街中に在る神社だ…
25-12-2020 (part 3) (at Nagoya)  (25)

<若宮八幡社>は8世紀冒頭の大宝年間に起こった社を起源としているとのことだ。境内は現在の名古屋城の辺りであったということだが、1610(慶長15)年に現在地に遷り、「名古屋総鎮守」ということになった。やがて名古屋城を本拠地とした尾張徳川家が社殿の造営を行うというような経過も在り、歴代の尾張侯が篤く崇敬した社ということで経過した。明治期以降も県社という位置付けになって継続したが、戦禍(名古屋大空襲)で社殿等が損なわれてしまった…再建が成ったのは1957(昭和32)年であったということだ。

↓何か厳かな雰囲気が漂う…好い感じだと思った。
25-12-2020 (part 3) (at Nagoya)  (28)

↓何となく様子を伺っていた…年末の金曜日の午後という時間帯で、混み合ってはいない静かな感じではありながら、参拝する人が長く途切れてしまうという感じではなかった。何か、篤い信心を寄せる人達が多く、通り掛かると参拝というような様子が伺えた…
25-12-2020 (part 3) (at Nagoya)  (29)

↓名古屋に無事に至ったということに関して、「名古屋総鎮守」に感謝の意を表して辞去し、落葉が多い街をもう少々歩いた…
25-12-2020 (part 3) (at Nagoya)  (31)

後から振り返れば、この日はクリスマスだった。が、午前中の早目な時間帯に名古屋に着き、津島に移動して観音寺「悪疫退散」の特別御朱印津島神社を訪ね、名古屋市内に戻って大須観音、そしてこの<若宮八幡社>であり、「クリスマスに社寺ばかりを巡った」という、些か奇矯な振る舞いに及んでしまっていたかもしれない。クリスマスを無視したという意図は無いのだが、今般は朝から元気よく動き回って方々で社寺を訪れるなどし、「クリスマスの灯りの演出」というようなモノが見受けられるような夕刻や夜には宿で寛ぐというような過ごし方が多く、然程クリスマスを意識しなかった…

何れにしても、「名古屋の一日」は何か愉しい感じだったことが記憶に残る…