<大須観音>…(2020.12.25)

名古屋の<大須観音>というのは通称で、正しくは「北野山真福寺寶生院」(きたのさん しんぷくじ ほうしょういん)という号の、真言宗智山派の寺であるという。真言宗智山派の中で、この寺は「別格本山」という高い位置付けが与えられているという。

<大須観音>は非常に長い経過を有している寺で、本尊の聖観音が篤い信仰を集めて来た寺だ。1892(明治25)年に火災で伽藍の建物が損なわれて本堂と仁王門が再建されたが、その建物も1945(昭和20)年の戦禍(名古屋大空襲)で損なわれてしまった。1949(昭和24)年に仮の本堂と仁王門が築かれ、1970(昭和45)年に至って漸く現在の本堂や仁王門が完成したのだという。

↓その<大須観音>の本殿は、少し高くなった場所に設えられている。なかなかに立派で、暫し足を停めて見上げてしまった…
25-12-2020 (part 3) (at Nagoya)  (9)
↑一部の軒先に「不思議な装飾?」と思ったが、辺りの鳩達が軒先で翼を休めているのだった…

↓本殿に少し近付いた…
25-12-2020 (part 3) (at Nagoya)  (11)

↓「観世音」と観音様を示す文字が書き込まれた大きな提灯も在った…
25-12-2020 (part 3) (at Nagoya)  (13)

↓新しい年を迎える準備の飾りも見受けられた…
25-12-2020 (part 3) (at Nagoya)  (12)

↓「殿悲大」=「大悲殿」という額が本殿に見受けられる。
25-12-2020 (part 3) (at Nagoya)  (14)
↑「大悲」とは観音菩薩の別名で、衆生の苦しみを救おうとする仏や菩薩の広大な慈悲の心を表す語であるという。そういう“大悲”こと観音様を祀る建物を「大悲殿」というように呼ぶ場合が在る。それが掲げられている訳だ…

<大須観音>の名は地下鉄の駅名にもなっていて、この場所は或る種「辺りのシンボル」というような感じなのだと思った。古くからの門前町の流れを汲むと見受けられるような商店街も直ぐ傍に在って、一定程度賑わっているように視えた。<大須観音>の辺りということについては、「名古屋で繁華な辺り?」ということで、何となく名も耳にした記憶が在るので寄ってみたが…同時に<大須観音>へ参拝し、「無事に名古屋に立寄ることも出来たことを感謝」という感であった…

<8901>:東池袋四丁目停留所:都電…(2020.12.26)

「東京で少しばかり時間が…」ということになれば、「一寸だけ寄ってみたい…」という辺りが頭の中に在った…少し「複雑な感じ?」で見詰めざるを得ない側面も否定し悪い懐かしいエリアを動き回った後に「そうだ!!」と思い出して都電に乗車してみた…

未だ真新しい感じもする車輛―2015年に登場したらしい…―に乗込み、見覚えが在るような、大きく変わって初めての場所と大差が無いような、色々と感じるモノが多い車窓を眺めながら、暫し「極短い都電の旅」を愉しみ、東池袋四丁目停留所で下車した…

↓「ここまで運んでくれてありがとう!」という気分で、何となく乗って来た<8901>を振り返った…
26-12-2020 Tokyo... vol01 (86)

↓幅が広い道路を横断するような感じで軌道が敷設されているので、電車も「信号待ち」が生じる。いきなり停まった電車を何となく眺めた…
26-12-2020 Tokyo... vol01 (88)

↓やがて<8901>は軌道を進み始めた…
26-12-2020 Tokyo... vol01 (89)

こういう様子を眺めると、「思い付きで都電に乗って、沿線をフラフラとする一日というのも好さそうだ…」というようなことを考えないでもない…そういう想いを駆り立てるように、通り過ぎて行った電車の脇に「沿線御案内」という看板が出ていた…

都電が通っている辺り…何か「東京の今」が“過去”と“未来”の間でフラフラと揺れているような、微妙な場所をゆったりと電車が通り抜けているというような、何となく不思議な気分になる場所だと思った…

<8901>:早稲田停留所:都電…(2020.12.26)

聞けば、東京では現在の地下鉄路線やバス路線の多くが嘗ては“都電”の路線であったのだという。都内に網の目のように併用軌道や専用軌道が張巡らされて、電車が行き交っていたということになる。

その“都電”は、現在では<東京さくらトラム>という愛称を冠せられた荒川線が残るのみである。その起点・終着になっている早稲田停留所の辺りに至り、「一寸乗車してみよう…」と思い付いた…

↓停留所に着けば、折良く電車が待機中であったので近付いた…
26-12-2020 Tokyo... vol01 (85)

<8901>…2015(平成27)年に登場したという8900形の1輛だ。最初に登場した<8901>を含む2輛がオレンジ、次の2輛がブルー、次の2輛がローズピンク、次の2輛がイエローと各々に鮮やかな塗色が施されているのだそうだ。

都電は専用軌道の箇所が多く、「路面」になる併用軌道は割合が低いように見受けられる。乗降を行う場所は大半が専用軌道箇所辺りなので、乗降のためにホームのようなモノを確り設けられるので、近年方々で見受けられる工夫を凝らした“低床型”ということではなくても、特段に段差が無い状態で乗降は誰でも楽に出来るような感じになっている…

画は後尾側だが、乗車時には前の乗務員(運転士)が居る側から入り、その時点で運賃を支払う。“均一運賃”なので、それが合理的である訳だ。

未だ真新しい感じもする車輛に乗込み、見覚えが在るような、大きく変わって初めての場所と大差が無いような、色々と感じるモノが多い車窓を眺めながら、暫し「極短い都電の旅」を愉しんだ…

<TOWER RECORDS>の袋…(2020.12.29)

立寄ったカフェのテーブルに何となく置いた…
29-12-2020 Sapporo (11)
カフェの前に立寄った店で求めたモノを何となく置いたが、思わず少し見入ってカメラを持ち出して写真に収めてしまった…

今では「レコード屋」と呼ぶよりも「音楽ソフト等の店」とでも呼ぶべきなのだろうか?<TOWER RECORDS>(タワーレコード)という店に郷愁のようなものを覚えないでもない。何時以来か?判らない程度に久し振りに、札幌都心のこの店に寄道した…

ふらりと店に寄って、色々と在るCDの棚を眺めて、何やらやっている店員さんに声を掛け、アーティストの名を挙げて、その作品は何処に置いてあるかと訊ねてみる。「ここに無ければ…あそこですね…」と御案内頂き、作品が見付かる…そしてそれを求めれば、レジでこの<TOWER RECORDS>というロゴが入った袋に容れてくれる…

というような、「店舗でCDを買い求める」というようなことが、何やら酷く嬉しく愛おしいことのような気がした…

因みに…この時に求めたのは?メンバーの一人が鹿児島県出身ということで、彼の地で出ている地方紙のウェブサイトにインタビューのような記事が出ていたことで気になっていた<SOIL & "PIMP" SESSIONS>というバンドの作品だ。<TOWER RECORDS>では、「JAZZ」のコーナーの一隅、「日本のアーティスト」という辺りに在ると思ったのだが…見当たらないので店員さんに訊ねた。「“ソイル”ですね?」と店員さんは直ぐ判ってくれたが、「JAZZ」のコーナーには本当に見当たらず「J-POP」というコーナーに在った。国内の色々な人達との共演で知られている面が在るので「J-POP」のコーナーなのであろう。(稚内へ引揚げた後、作品はゆっくりと愉しんでいる…)

序でに…嘗て―「何時のことだ!?」とでも言われるかもしれないが…―は<TOWER RECORDS>と言えば「国外有名バンドの輸入盤のディスクが…」というイメージだったような気がしていたが…現在は国内の「音楽ソフト等の店」で広く売られている様々なモノが前面に出ているような気もした。

「音楽ソフト等の店」と言うが、そういうモノは“ダウンロード”の比率が高まって、店は苦戦するのかもしれない。それでも「店舗でCDを買い求める」というようなことが、何やら酷く嬉しく愛おしい…

稚内駅…(2021.01.03)

↓過ぎる程度に見慣れた様子だが…何か「妙に新鮮」という感じがした…この“始発駅”へ戻ったという感だ…
03-01-2020 Asahikawa to Wakkanai (37)
↑「普通列車の運休」というのが少し続いていたようだが、今日は無事に動き、未だ暗い旭川駅から普通列車に乗って昼に稚内駅へ着いたのだ…

少しだけ纏まった期間、稚内を離れた…追って、そんな時間のことも振り返ろうと思うが…とりあえずはゆったりと過ごす…

<7-ELEVEN>:旭川駅周辺…(2021.01.03)

↓“夜”としか思えないような“早朝”…イマドキ珍しくも何ともないが、店の灯りが暗い通に洩れている様子…
03-01-2020 Asahikawa to Wakkanai (1)
↑旭川駅の傍だ…

早朝、旭川駅を出て稚内へ向かう普通列車…時々利用するのだが、今般も利用した。そして、その前には大概ここに寄る…車中で飲むモノを仕入れる訳だ…

見慣れた様子だが、不意に「酷く愛おしい光景…」と思えて、提げていたカメラを向けてみたのだった…

<親子の木>…(2021.01.02)

↓<親子の木>という愛称が冠せられている木だ…
02-01-2020 (3rd)(at Biei-vol02) (11)
↑左右が両親で、真中が子ども…そういうような按配に視える…

↓何か…広漠たる巷の中、肩を寄せ合って確りと生きようとする親子…何が在っても、肩を寄せ合って確りと歩もうとする小さな家族…そんな連想をした…
02-01-2020 (3rd)(at Biei-vol02) (10)

冬の丘の風景は、何か「大胆に世界を抽象」というようにも視え、色々と考える…

早朝…:地下鉄丸の内駅…:名古屋(2020.12.26)

朝早くに名古屋駅へ移動し、更に東京へ出ようとした…

↓朝6時半を少し過ぎた辺りだ…東寄りらしい天が少し明るくなっている…
26-12-2020 the way from Nagoya to Tokyo.. (1)

↓地下鉄の丸の内駅の出入口に近付いた…
26-12-2020 the way from Nagoya to Tokyo.. (4)

↓何となく見入ってしまう、独特な雰囲気が在った…
26-12-2020 the way from Nagoya to Tokyo.. (5)

↓地下へ向けて歩を踏み出す…
26-12-2020 the way from Nagoya to Tokyo.. (6)

↓ドンドン進んで、名古屋駅へ向かう列車に乗込んだ…
26-12-2020 the way from Nagoya to Tokyo.. (7)

名古屋の地下鉄や地下鉄駅周辺というのも、独特な雰囲気が在って好いと思った…

牛タン焼定食…:<仙台牛タン 福助 イオンモール旭川駅前店>(2021.01.02)

船に乗って仙台へ渡り、上陸後に本塩釜駅に出て鹽竈神社に立寄り、「それから?」と考えて直ぐに新幹線の列車に乗ってしまい、列車を乗り継ぎ、夜には大阪に在ったというのは12月17日から12月18日に掛けての出来事であった…

何か「如何にも…」という自身の“流儀”による「思い付き任せ…」な行動だったと思う。「仙台でゆっくりする」ということが然程念頭に無かったのだ…

↓それだからか、旭川でランチを頂こうとした時、これが酷く気になって頂いてしまった…
02-01-2020 (5th)(at Asahikawa) (3)
↑仙台の流儀の「牛タン焼」というモノである…

↓こういう具合の「定食」を御願いしてゆっくりと味わった…
02-01-2020 (5th)(at Asahikawa) (2)

こうやって「事後の復習」をして「次回??」を構想、または妄想する訳である…

厚別駅…(2021.01.02)

↓早朝の厚別駅にやって来た…
02-01-2020 (1st)(Atsubetsu, Sapporo to Asahikawa) (2)

↓冬至は過ぎたが、日出や明るくなる時間帯は未だ遅めで、夕方の暗くなる時間帯は早目だ。午前6時を伺うような時間帯で月が輝き、「未だ…夜?」という風情だ…
02-01-2020 (1st)(Atsubetsu, Sapporo to Asahikawa) (1)

自身にとって、厚別駅は「少年時代から親しんでいる駅」と言い得ると思う。函館本線の列車で、冬休み期間等に一寸出掛けた想い出が在るのだが、そんな頃に利用した記憶が在る…

↓こういうデジタル表示の発車案内と自動改札機という、如何にも「大都市圏である札幌市内の一隅に在るイマドキの…」という具合だが、往時は列車発着の都度にこの改札口辺りに駅員さんが現れるようになっていたものだ…
02-01-2020 (1st)(Atsubetsu, Sapporo to Asahikawa) (5)

この厚別駅は意外な程に古い。<北海道炭礦鉄道>の駅として1894(明治27)年に開設された駅である…現在の駅は1978(昭和53)年の建物を基礎に色々と改修の手が入っている。

↓旭川へ向かう列車をホームで待つことにした…跨線橋を渡って“島式”になっているホームに出る。
02-01-2020 (1st)(Atsubetsu, Sapporo to Asahikawa) (7)

厚別駅では改札口を出た辺りに、札幌方向へ向かう列車が発着する“単式”になっている1番ホームが在る。そしてホームが無い、通貨列車が通る2番線が在って、江別、岩見沢、旭川方向へ向かう列車が発着、または通過する3番ホーム、4番ホームが設けられている…

↓3番ホームに列車が現れた…
02-01-2020 (1st)(Atsubetsu, Sapporo to Asahikawa) (10)

厚別駅で出くわす列車、乗降出来る列車の多くは「3輛編成の電車」で、時々「6輛編成の電車」も見受けられる。それ以外?少し例が少ない…

↓この6時13分に出る旭川行は「例が少ない」という列車、2輛編成のキハ40が運用されている…
02-01-2020 (1st)(Atsubetsu, Sapporo to Asahikawa) (12)
↑2輛編成のキハ40という列車だが、前側の車輛は<山明>(さんめい)という愛称が冠せられた、「観光」という意図も込めて最近改修された車輛だった…

早朝の、冬は暗いような時間帯にこの駅から出発…何か非常に気に入っている展開だ…

キハ150…:美瑛駅(2021.01.02)

美瑛で少し愉しく過ごした後、明早朝まで滞在する予定の旭川へ向けて列車で引揚げることとした…

↓雪深い感じになった中、石の壁の美瑛駅舎は重厚だが割増しになったような気がする…
02-01-2020 (4th)(Biei to Asahikawa) (1)

↓駅に着いた頃には、美瑛駅を始発として旭川へ向かうキハ150が待機中だったのだが、改札口からホームに出るとこういう表示が掲出されていた…
02-01-2020 (4th)(Biei to Asahikawa) (2)
↑前後2箇所の扉を開けて待機していると、厳しい寒気が車内を抜けて一寸居心地が悪いので、待機中は扉を1箇所のみ開けておくということなのだ…

↓美瑛・旭川間では御馴染の、キハ150が1輛という運行である…
02-01-2020 (4th)(Biei to Asahikawa) (3)

↓未だ他の乗客が少なかった中、車内の雰囲気を写真に収めた…
02-01-2020 (4th)(Biei to Asahikawa) (5)

↓暫し待機で、列車は旭川へ順調に向かった…
02-01-2020 (4th)(Biei to Asahikawa) (4)

美瑛駅でこのキハ150に乗車する都度、「これに乗って美瑛を訪ねて好かった…」と思うことが多い…今回もそうした例に洩れない…

<セブンスターの木>…(2021.01.02)

或いは「一昨年に行っている…」ということになるのかもしれない。しかし「戸外の風景」ということになれば、「同じ場所」ではあっても「同じ見え方」というのは、多分「在り得ない」と思う。自身が或る程度の頻度で、拙宅近隣で「極々短い散策」と称して、カメラを提げて戸外に出てみる理由にもなっている観方なのだが、これは他所の多少馴染んだ、少しばかり気に入った場所にも適用する観方となっている…

↓<セブンスターの木>である…
02-01-2020 (3rd)(at Biei-vol02) (16)

↓多少、雪が深くなった静かな新春の日に、何処となく大きな存在感を示している木だ…
02-01-2020 (3rd)(at Biei) (12)

↓これだけ雪深くなってしまっても、未だほんの少しだけ、枝に葉が残っているというのが酷く面白いようにも思う…
02-01-2020 (3rd)(at Biei-vol02) (17)

こういう景色を愛でてみる、色々な意味での“ゆとり”は何時でも、何処でも気持ちの隅に留めておきたいものだ…

<マイルドセブンの木>…(2021.01.02)

年が改まっているので「一昨年11月」となっているが、訪問経過が在った場所を思い出した。あの時も「タクシーの1時間チャーター」を利用で訪ねたのだったが、思い出していたのは<マイルドセブンの木>である。

↓こういう按配に「極々小さな森が丘の上に佇んでいる」という風情が酷く好い…
02-01-2020 (3rd)(at Biei) (9)

↓暫し見入ってしまっていた…
02-01-2020 (3rd)(at Biei-vol02) (6)

↓「冬の丘」を視ていると、何か「禅寺に在る庭」でも眺めているような気分になる場合が在る…何か“世界”が「大胆に抽象されてしまっている…」というように思うのだ…
02-01-2020 (3rd)(at Biei) (10)

↓本当に、誰かが丁寧に描き込んだ心象風景の画という感じがしないでもない…しかしこれも「眼前の風景」だ…
02-01-2020 (3rd)(at Biei) (11)

一寸だけ時間を設けて、こういう景色を愛でてみるというのも悪くないと思う。それ位のことをする、色々な意味での“ゆとり”は何時でも気持ちの隅に留めておきたいものだ…

<クリスマスツリーの木>…:美瑛(2021.01.02)

「北上!」の意図で札幌市内を早朝の列車で発ったが…普通列車は「名寄以北で運休」というような話しも伝わっていた。「最初から計画?」という側面も在ったが、とりあえず旭川に泊まる段取りで動くことにした…

そういうことであれば美瑛に寄道と思ってしまう。旭川・美瑛間は概ね1時間に1本の列車が運行されていて、所要時間も片道で30分程度…寄道には「程好い」という感じだ…

美瑛駅前に至ってみれば…この数日は雪が降り頻る場面も多かったらしいが、程々に晴れていて、かなり冷えている感じだった…恐らく「氷点下15℃」というような次元だったと思う。冷える日の「何となく手が冷たくなってしまう感じ」というのが在るのだが、「氷点下15℃」というような次元になると、そういうのも「一味違う…」というのが体感し得ると思う…

駅前で…以前にも一度利用して好かったので「タクシーの1時間チャーター」を利用することにした。当初は「無理矢理歩く?」ということを想わないでもなかったが…無理はしないことにした…

↓<クリスマスツリーの木>を訪ねてみた…
02-01-2020 (3rd)(at Biei) (4)

↓なるほど少し「雪深い…」という、「当地らしい…」という感じになっていて、そこに立っている“クリスマスツリー”が目立つ…
02-01-2020 (3rd)(at Biei-vol02) (5)

↓誰かが丁寧に描き込んだ心象風景の画という感じがしないでもないのだが、これは眼前に拡がる様子で、ストレートに写真に撮ったのだ…何か酷く感心していた…
02-01-2020 (3rd)(at Biei) (7)

“クリスマス”は一寸過ぎてしまったが…祭事を古い暦で催すというロシア正教では、クリスマスは来る1月7日に祝うのだという。不意にそんなことを思い出し、この“クリスマスツリー”をロシア流に<ヨールカ>(Ёлка)とでも呼んでみたいような気分になった…

↓こういう「描いたかのような“冬景色”」を眺めて愛でるのも時には非常に好いと思う…
02-01-2020 (3rd)(at Biei-vol02) (3)

ゑびす像…:恵比寿駅(2020.12.26)

山手線の列車で池袋駅から恵比寿駅へ移動し、地下鉄日比谷線の列車に乗換えようとした…

「恵比寿駅の辺りというのも、馴染んだような、馴染んでいないようなという感だ…」と思いながら、駅構内の案内表示を視ながら地下鉄の出入口の側へ歩を進めた…

↓「あっ!?ビールのラベル?」と注目してしまった…
26-12-2020 Tokyo... vol01 (149)

↓<ゑびす像>というモノらしい…
26-12-2020 Tokyo... vol01 (148)

聞けば「西口の<ゑびす像>辺り」というのは、恵比寿駅辺りでは人気の待合せ場所でもあるらしい…

この恵比寿駅の辺りには1887(明治20)年に<日本麦酒醸造会社>の工場が登場したという。そこで2年後に製品が出来上がり、<惠比壽麦酒>または<ゑびすビール>と呼ばれたのだという。それが現在の<サッポロビール>のブランドである<ヱビスビール>となっている訳だ…

このビールを積み出す駅が設けられたのが恵比寿駅の起こりで、製品に因んで恵比寿駅と呼ばれた。やがて昭和に入って、辺りの町名に「恵比寿」が登場し、戦後の区画整理や住居表示にも受継がれたのだという…

辺りで製造していたモノに因む地名…少し意外な感じがしたが、「あっ!?ビールのラベル?」と直ぐ判る像というのが、何か酷く面白かった…

東京タワーが視える…:六本木(2020.12.26)

地下鉄駅の出入口が在る交差点の側へ歩を進め、何となく振り返り、思わず足を停める…

↓そういう場面で眼に出来る、こういう光景…何やら酷く愛おしい感じがする…何か「懐かしい」という感を抱いた…
26-12-2020 Tokyo... vol02 (15)
↑「クリスマスの残滓」とでも言うのか、12月25日のクリスマスを1日過ぎて、それでも「何となくクリスマス風…」な灯りも散見するような様子だった…

時には、こんな景色を愛でるのも悪くないのかもしれない…

E235系電車:山手線:池袋駅&恵比寿駅(2020.12.26)

↓既に数年を経ているらしいが、この新しい山手線の車輛を池袋駅で初めて視た…
26-12-2020 Tokyo... vol01 (128)
↑池袋駅の山手線ホームでは「新宿・渋谷・品川方面」と“し”で始まる駅名が並んだ語呂が非常に好い案内が為されていると思うのだが…車輛の先頭にも「新宿・渋谷」と進む方向が判り易く掲出されるようになっている…

↓11輛の先頭、運転台の直ぐ後ろに乗車した…
26-12-2020 Tokyo... vol01 (134)

↓車輛の幅に目立つ程に大きな差は無いような気もするのだが、このE235系電車の正面は窓の幅が目一杯に横に拡がって、広い視野が確保できるような様子に視えた…
26-12-2020 Tokyo... vol01 (138)

↓池袋で行先表示に在った新宿・渋谷を通り越して恵比寿に着いて下車した。
26-12-2020 Tokyo... vol01 (147)
↑こうして眺めると、正面が「タブレット端末」か何かのようだ…行先表示は「品川・東京」と切り替わっている…

E235系電車は山手線に初めて導入されたということだが、今後は他の路線で従前車輛と入れ替える場合に採用するということになっているようだ…

それにしても…このE235系電車を初めて視て、初めて乗車したが…東京は御無沙汰だった…

「ウエストゲートパーク」…:池袋西口公園(2020.12.26)

「池袋駅の辺り」と言えば、記憶に残るのは東口側ばかりであったような気がする…

↓西口の側へ歩を進めた…
26-12-2020 Tokyo... vol01 (107)

↓「ここだ…」と立ち尽くして景色を眺めてしまった…「ウエストゲートパーク」…池袋西口公園である…
26-12-2020 Tokyo... vol01 (111)

『池袋ウエストゲートパーク』という長く続く小説のシリーズの傑作選に出くわし、なかなかに愉しいので文庫化されている作品をドンドン読んでしまったということが在った。そんな中、「東京を通り掛かって時間が在れば…」と「ウエストゲートパーク」に佇んでみたかったのだ…

文庫化されている小説作品では、現在の様子に公園が改修される工事をやっているという言及が出て来たと思うが、未だ様子が少し違う時期に作中の物語の一部がこの主人公達が「ウエストゲートパーク」と呼び習わす池袋西口公園で展開している…

↓公園に佇めば、大小幾つかのホールを擁するらしい<東京芸術劇場>の大きな建物が見える…
26-12-2020 Tokyo... vol01 (113)
↑こういう施設を擁していることから、音楽や舞台芸術も含めた「アートの街」というようなことを豊島区が標榜しているようで、池袋西口公園も「屋外での催事の場」として使い易いように改修したようだ…

↓公園の広場の上に、屋根というのでもないが、大きな環が冠せられ、奥にステージ、脇にカフェなどが入る建物が設えられている…
26-12-2020 Tokyo... vol01 (112)

↓「そうか…こういう場所の物語の小説だった訳だ…」と妙に納得した…
26-12-2020 Tokyo... vol01 (109)

こういうような「読んだ小説の舞台」とされる地域に一寸寄るようなことが、存外に愉しいと思う…

SMOKING AREA…:池袋駅東口(2020.12.26)

「東池袋」という住所が表示されている辺りを歩き廻り、池袋駅に近付いた…

↓池袋駅の大きな建物に入るような辺りで振り返った…
26-12-2020 Tokyo... vol01 (102)
↑「!?」と思った…

↓何となく横断歩道を渡った…
26-12-2020 Tokyo... vol01 (103)
↑「豊島区」の英訳に「Toshima City」という表現が用いられていることに気付いて、何となく感心した…東京の特別区は“市”のようなものだ…

↓温かいとは言い悪い感ではあったかもしれないが、冬の陽射しが心地好いような気がした一時だった…
26-12-2020 Tokyo... vol01 (104)

↓再度、横断歩道を渡って辺りを伺ってみた…随分以前に「池袋へ…」というように出てみた場面で動いていたような場所だと思ったが…記憶の中に在る雰囲気と、視えている様子とが結び付き悪い感だった…
26-12-2020 Tokyo... vol01 (106)

交通は利便性が向上して「近く」なったと言える東京なのだが、気持ちの中では日々「遠く」なっているような気がしながら東京を少し歩いていた…

<ダブルとびきりトマト&レタスバーガー>…(2020.12.31)

「2020年最後の一日」ということに何時の間にかなっていた…

↓「2020年最後のランチ」ということになったのがこれだった…
31-12-2020 Sapporo (7)
↑新札幌の辺りでこれを頂いた…

↓「とびきり」と称しているやや大きなハンバーグを「ダブル」ということで2枚…確りとレタスやトマトが入って、独自に工夫したと見受けられるソースで味を付けている…
31-12-2020 Sapporo (5)

↓見映えが好いので、思わず暫し眺めて、写真を撮ってから頂いてしまう…
31-12-2020 Sapporo (9)

こういうような好みのモノをゆっくりと頂く優雅な年末の時間に感謝という感…

大阪メトロ 天王寺駅…(2020.12.24)

大阪の地下鉄駅に関しては、その独特な風情が好いと思う場所が幾つも在るが…

↓この天王寺駅もそうした場所の一つだ…
24-12-2020 (5th) at Osaka (6)
↑列車を待っていて、反対側のホームで発着している列車が停車する中に、柱が林立して独特な照明器具の灯りが辺りを照らしている感じ…何か好い…

大阪に在る場面で、最近は“ワンポイント”の移動で地下鉄を利用する場合が多いような気がする。が、もっと積極的に「地下鉄で動き回る」のも面白いかもしれない…

葛井寺(ふじいでら)…(2020.12.24)

↓近鉄の藤井寺駅の近くに葛井寺が在る…
24-12-2020 (4th) visiting Fujiidera, Osaka pref (12)

葛井寺を擁する藤井寺市の名は葛井寺に由来するのだという。南河内地域の街で、8.89平方キロメートルという市域の面積は全国の市で5番目に小さいが、「7142人/平方キロメートル」という高い人口密度は大阪府下で8番目である。大阪市から南東へ15km程で、所謂ベッドタウンとなっている。

葛井寺は百済王族の子孫である渡来人系氏族葛井(藤井)連(ふじいのむらじ)の氏寺として、8世紀中頃に創建されたと推定されているそうだ…

↓広壮な伽藍というような感でもないが、何か風格が漂うように感じられた…
24-12-2020 (4th) visiting Fujiidera, Osaka pref (13)

↓重厚な本堂だった…
24-12-2020 (4th) visiting Fujiidera, Osaka pref (14)

葛井寺の本尊は「十一面千手千眼観音菩薩」である。この千手観音坐像は、文字通り゛千の手”と”千の目”を持つ千手観音だ。頭上に十一面を頂き、錫杖や宝輪、数珠などを持つ「大手」に、孔雀のように拡がる1001本の「小手」、そして正面の合掌手を合わせ「1041本」の手を持っている。 さらに、掌にはそれぞれ眼が描かれているという。

この本尊は聖武天皇の勅願で制作されたとも伝わる貴重な像で、国宝となっているとのことだが、「日本で最初の千手観音像」と言われている。毎月18日に開帳されているそうだ…“千手観音”という像の様式が定番化する以前の、「何とか形にしたい…」という熱い想いが込められて創られたような像が葛井寺には受継がれている訳だ…

↓大変に貴重な仏像と、そこに寄せられる人々の想いを受継ぐような葛井寺…なかなかに好い雰囲気だったと思う。加えて、藤井寺駅に近く、訪ね易い場所だった…
24-12-2020 (4th) visiting Fujiidera, Osaka pref (16)

相当に古くからの営みが伝えられる地方ということになる南河内地域は一寸面白い…

辛国神社(からくにじんじゃ)…(2020.12.24)

近鉄の列車を利用して気が向くままに動き回っていた。

朝から少し雲が多い感じであったが、そのうちに雨が交って来た。と言って「激しい…」という程でもなかったが…

富田林から藤井寺に移動…富田林で交っていた雨は続いていた…

↓雨の中を歩いて辛国神社(からくにじんじゃ)に至った…
24-12-2020 (4th) visiting Fujiidera, Osaka pref (4)
↑「茅の輪くぐり」という神事の設えが在った…

↓輪を3回潜って拝殿に向かって無病息災、厄除、商売繁盛を祈るという神事であるのだそうだ…
24-12-2020 (4th) visiting Fujiidera, Osaka pref (8)

↓「雄略天皇の御代」とされる創設…1500年程も昔からの神社だ…営々と受け継がれている歴史というものを意識したくなる空気感が辺りに溢れていたように思った…
24-12-2020 (4th) visiting Fujiidera, Osaka pref (6)

↓去り際に振り返って境内を何となく見入ってしまった。少し雨交じりな中の雰囲気が酷く好かった…
24-12-2020 (4th) visiting Fujiidera, Osaka pref (11)

近鉄の大阪阿部野橋駅・橿原神宮前駅間を結ぶ南大阪線の沿線…相当に古くからの営みが伝えられる地方でもあり、なかなかに面白い場所が多く在る。そういう場所の一つに触れる機会を設けられたことが善かったと思う。

伊能忠敬銅像…:富岡八幡宮(2020.12.26)

東京メトロ東西線の門前仲町駅の近くに富岡八幡宮が在る。

↓その富岡八幡宮の境内にこういう銅像が立っている…
26-12-2020 Tokyo... vol01 (19)
↑御本人や関係者が日本全国を歩き廻って測量を実施して立派な地図を作ったという19世紀の故事が在る訳だが…これはその最初の仕事となった、江戸から北上して蝦夷地を目指す旅へ踏み出した伊能忠敬をイメージした像だという…

「歩いて立派な地図」という事績に興味を覚え、伊能忠敬が長く暮らした佐原を訪ねてみた経過も在った。佐原では「郷土の偉人」と顕彰されている様子も見掛けた。

伊能忠敬は佐原では有力な商家の主人であり、現代風に言うなら“町長”のような役目も担って活躍していた。50歳代に差し掛かろうというような頃に一線を退き、学問に勤しんで測量の活動を展開するようになり、その活動が「歩いて立派な地図」という事績に繋がって行く…

この測量の活動に携わるようになった頃、伊能忠敬は江戸に在り、富岡八幡宮の近くに居を構えていたという。1800(寛政12)年閏4月(現在の暦で6月に相当するという…)に蝦夷地を目指す初めての旅に出る朝、伊能忠敬は富岡八幡宮に参拝し、それから出発したのだと伝えられているという…

富岡八幡宮は、19世紀頃には江戸の人達の信心を集める立派な社として大きな存在感を既に有していて、近隣に住んでいた伊能忠敬にとっても「馴染みの深い場所」であったに違いない…「蝦夷地の測量」を名目に出発するとした当初、「では船を仕立てて蝦夷地へ…」ということになったものを、「蝦夷地への道程を測量することも必要である!」として陸路で北を目指す旅ということにしたのだという。伊能忠敬は長い、何が待っているのか判らない道程に想いを巡らせながら、馴染んだ境内の光景が見える住まいの辺りにきっと戻って来ようと考えながら参拝をし、旅の無事や仕事の成功を祈ったのだと想像する…

↓さり気ない像だが、大きな事績に向けて、文字どおりにこの辺りから歩を踏み出したという人物のことを伝えてくれる像だ…
26-12-2020 Tokyo... vol01 (16)

↓何か酷く好いと想いながら、この像に見入っていた…
26-12-2020 Tokyo... vol01 (17)

年末に出会った「歩を踏み出した男」の像を、年頭に当たって改めて想い起したい…そんな気分である…