<高野山般若湯>というモノを高野山を訪ねた折りに眼に留めてしまい、嬉々として入手したという経過が在った。
入手した<高野山般若湯>は高野山を下りた際に大事に抱えて、訪問の拠点にした大阪の宿を経て、次に滞在した京都の宿で愉しく頂いた。
そういうことではあったが…
↓実はこういうモノも在った…
京都に持参して宿で頂いた<高野山般若湯>の他、実は「もう1本…」を密かに求めていたのだった…
↓こういうような具合の徳利に入った、“原酒”というモノも在るのだ…
これに関しては大阪の宿、京都の宿、更に奈良の宿まで持参し、奈良から稚内までモノを箱詰めして送った際に中に容れたのだ。そしてこの<高野山般若湯 原酒>は拙宅へやって来たのだ…
↓紐と包を外して開栓し、紐はまた徳利に着ける…これで何時でも中身を頂くことが出来る…
↑古風な徳利に「高野山 般若湯」という文字…実に好いと眺め入ってしまった。
↓酒というのは容器を眺めるモノではない!呑むモノだ…ということで愛用のタンブラーに注いで試飲である。
この「般若湯」は、「少し昔風な?」という芳醇な味わいを志向しているように思っていたが、そういう傾向の味だ。そして“原酒”なので、少しだけ度数が高いようではあるが、その度数は然程意識せずに頂くことが出来るような感である。
実は…最近は酒類を嗜む際には蒸留酒を主に頂くようにして、醸造酒は少な目にということもしているが、それでも好きなモノを完全に禁じるということではない。そこで大事にこの<高野山般若湯 原酒>を保管し、ゆっくりと頂こうとしていた。が、そういう考えとは少し別に、「思い出の高野山を懐かしむ材料になりそうな<高野山般若湯 原酒>が直ぐに空くのは寂しい…」と思って開栓することを躊躇していたという一面も在った。
それでも「我慢出来ない!!」と開けた…加えて、この<高野山般若湯 原酒>に関しては「入手する術」が見付かった!!酒造会社のウェブサイトで通信販売を手掛けていて、国内の何処でも送って頂けるのだ!
<高野山般若湯>を手掛ける初桜酒造は、高野山麓の町に在る。古くから酒造が行われていた地域で、初桜酒造自体は幕末期に起こった蔵を基礎としているようだ。酒造業の様々な変化の中、現在まで酒造を続けているのは、辺りでは初桜酒造だけになっているようだ。
標高900mに近いような山上の盆地ということになる高野山は、冬季には寒い訳で、身体を温める意味で“般若湯”を少しばかり嗜むことは認められていた経過が在り、山麓で醸造された酒が持込まれていた筈だ。そういう故事に因み、「やや昔風?」な芳醇な味の<高野山般若湯>の登場である。なかなかに好い。正直に言えば、以前から「芳醇…」という路線の清酒を寧ろ好んでいた感も在るので、“般若湯”が酷く気に入ったということも在る…
本当に「過ぎない…」という程度の“般若湯”を愉しみ、高野山を訪ねた時のことを思い出しながら、「何時かの再訪…」を期したいものである。
※ 記事に載せた写真は拙宅で撮ったのだが、モノは「高野山で買い求め、その後に拙宅へ送った…」という経過なので、記事を「和歌山県」のカテゴリに収めておきたい…
3050形電車…:大須観音駅:名古屋の地下鉄(2020.12.25)
「24時間券」を手に、地下鉄利用で名古屋を動き回ってみた…
↓大須観音駅で下車し、乗って着いた車輌を何となく眺めた…
↑行先表示が「豊田市」となっている。名鉄の路線に乗入れているようだ…地下鉄は「名古屋市交通局」が運行しているが、名古屋近在の街を結ぶ私鉄との乗入運行が色々と在るようだ…
↓出発した車輌は1993(平成5)年から1994(平成6)年に製造されたという3050形電車だ…金属色の車体に、路線のイメージカラーのようなモノが少し入った感じ…「1990年代の車輌…」という雰囲気が色濃いと思った…
↑この大須観音駅では「ホーム扉」は見受けられなかった…
駅の中で案内図等を視て、大須観音を訪ねたのだった。何処かを訪ねると、訪ねた際に乗った乗物に関しても、可能であれば一寸写真に収めておきたくなる…
↓大須観音駅で下車し、乗って着いた車輌を何となく眺めた…
↑行先表示が「豊田市」となっている。名鉄の路線に乗入れているようだ…地下鉄は「名古屋市交通局」が運行しているが、名古屋近在の街を結ぶ私鉄との乗入運行が色々と在るようだ…
↓出発した車輌は1993(平成5)年から1994(平成6)年に製造されたという3050形電車だ…金属色の車体に、路線のイメージカラーのようなモノが少し入った感じ…「1990年代の車輌…」という雰囲気が色濃いと思った…
↑この大須観音駅では「ホーム扉」は見受けられなかった…
駅の中で案内図等を視て、大須観音を訪ねたのだった。何処かを訪ねると、訪ねた際に乗った乗物に関しても、可能であれば一寸写真に収めておきたくなる…
5000系電車…:西宮北口駅(2020.12.21)
「阪急今津線」の北寄りな側…西宮北口・宝塚間を列車が往来している…
↓西宮北口で、宝塚を目指して乗車した列車だ…
↑阪急の場合、列車の外装の色が各車輌で殆ど統一されていて、内装に関しても「新しい?」というモノは停車駅案内のモニターが在る等で判るが、どれも適宜リニューアルもされているらしく「古びた?」という感が薄いので、「どの車輌も然程の差は?」と思う面が在る。それでも「余り見掛けないような?」と思った車輌だった…
この5000系電車というのは、1968年から1969年に登場した車輌であるという。色々な運行の遍歴が在って、最近は「阪急今津線」の北寄りな側で運用されている編成が残るばかりなのだという。嘗ては神戸三宮・大阪梅田間で運用されていたが、現在は往時よりも編成を短くした形になっているそうだ…
半世紀も動いている車輌ということだが…特段に「古びた?」という感はしなかった。が、この西宮北口・宝塚で運用中の編成だけが残っているということなら?なかなかに貴重な車輌に乗車したことになる…
本当に「だから?」というようなことかもしれないが、乗車した列車が「古いのでやや希少?」というようなことを知ると、何となく面白いと思う…
↓西宮北口で、宝塚を目指して乗車した列車だ…
↑阪急の場合、列車の外装の色が各車輌で殆ど統一されていて、内装に関しても「新しい?」というモノは停車駅案内のモニターが在る等で判るが、どれも適宜リニューアルもされているらしく「古びた?」という感が薄いので、「どの車輌も然程の差は?」と思う面が在る。それでも「余り見掛けないような?」と思った車輌だった…
この5000系電車というのは、1968年から1969年に登場した車輌であるという。色々な運行の遍歴が在って、最近は「阪急今津線」の北寄りな側で運用されている編成が残るばかりなのだという。嘗ては神戸三宮・大阪梅田間で運用されていたが、現在は往時よりも編成を短くした形になっているそうだ…
半世紀も動いている車輌ということだが…特段に「古びた?」という感はしなかった。が、この西宮北口・宝塚で運用中の編成だけが残っているということなら?なかなかに貴重な車輌に乗車したことになる…
本当に「だから?」というようなことかもしれないが、乗車した列車が「古いのでやや希少?」というようなことを知ると、何となく面白いと思う…