「0℃からプラス1℃」というような次元の気温帯と、「氷点下5℃を割り込み、時には氷点下10℃を伺うような…」という次元の気温帯とが「短い周期」で入替るような感…最近の当地の状況だ…
今日はその「氷点下5℃を割り込み、時には氷点下10℃を伺うような…」という状態の側だ…俄かに温度が下がってしまったが、同時に「荒天への注意喚起」ということも為されている…
↓そんな夕刻に、何となく戸外に佇んだ…
↑空気は冷えている…が…とりあえず風は弱く降雪も無い…天候は「本当に下り坂?」と思いながら見上げれば、何やら月が眩しい…
↓月は「冷えている夜空」というものが殊更に似合うのかもしれない…
こういう様子に心が動いた時、愛用の<X100F>は非常に頼もしい存在だ…「一寸…」と引っ張り出して写真を撮ってみるのだ…
丸型ポスト…:高野山(2020.12.20)
金剛峰寺の本坊の辺りを歩き廻っていた…
ケーブルカーに乗車して、「多少の雪が在る場所」に入り込んでいるので、「少し高い山上」に在ることは自覚出来る。他方、辺りが山に囲まれた盆地の地形であるため「山上から麓を望む…」というようなことにもならず、「少し高い山上」という状況が「判り悪い?」という感も否定出来ない…
↓そんなことを思いながら眼に留めたモノだ…
↑「長く使い込んだ」という程にも見えないが、「真新しい…」のでもない、何か微妙な感じの丸型ポストだ…
金剛峰寺の本坊の辺りに静かに佇んでいたポストだが、古風な外観の寺院建築も多い場所で、こういう少し古風な郵便ポストが酷く似合うと思った…
各地で見掛ける丸型ポストだが、気付くと思わず写真に収めてしまう…
ケーブルカーに乗車して、「多少の雪が在る場所」に入り込んでいるので、「少し高い山上」に在ることは自覚出来る。他方、辺りが山に囲まれた盆地の地形であるため「山上から麓を望む…」というようなことにもならず、「少し高い山上」という状況が「判り悪い?」という感も否定出来ない…
↓そんなことを思いながら眼に留めたモノだ…
↑「長く使い込んだ」という程にも見えないが、「真新しい…」のでもない、何か微妙な感じの丸型ポストだ…
金剛峰寺の本坊の辺りに静かに佇んでいたポストだが、古風な外観の寺院建築も多い場所で、こういう少し古風な郵便ポストが酷く似合うと思った…
各地で見掛ける丸型ポストだが、気付くと思わず写真に収めてしまう…
「鉄骨柱梁接合部(実物)」…(2020.12.26)
名古屋駅で<のぞみ>に乗車して、発車の際の「3分程遅れて発車しました…」を挽回して定刻で東京駅に着いた後、嵩張るモノを駅のロッカーに預けて駅周辺に出てみた…
夜に泊まる予定の宿の場所を確かめながら、東京駅八重洲口辺りからふらりと歩いた。天候もなかなかに好く、「そう言えば、こういう具合に東京の街中を歩くのも暫く振りだ…」と心地好く歩いていた…
↓東京の街中…時に「これは何?」というモノにも出くわすという感だ…
↑「不思議なオブジェ?」と思った…所謂“メガバンク”と呼ばれる大手銀行関係のビルの前だった…
所謂“メガバンク”は、長い間に様々な銀行が合併して現在に至っているのだが、現在このビルに入居している銀行の“前身の一つ”となる銀行が、1952年に現在地に本店ビルを建てたのだそうだ。そのビルの「鉄骨柱梁接合部」の実物―現在のビルになる前に解体されて、その際に部材を取り出して、一部を保管したのであろう…―をモニュメントにしたのだそうだ。1952年当時には中高層ビルとして「日本国内で初めて」であったという「鉄骨造全溶接」という工法が採用されたというようなことも在ったのだという。
こういうモニュメントという形であっても、「建築の歴史」という観点で意義深いと考えられる建物の記憶が語り継がれるというのは、存外に大切なことなのかもしれない…そんなことを思いながら、辺りを然程明確な意図も無いままに歩き廻った…
夜に泊まる予定の宿の場所を確かめながら、東京駅八重洲口辺りからふらりと歩いた。天候もなかなかに好く、「そう言えば、こういう具合に東京の街中を歩くのも暫く振りだ…」と心地好く歩いていた…
↓東京の街中…時に「これは何?」というモノにも出くわすという感だ…
↑「不思議なオブジェ?」と思った…所謂“メガバンク”と呼ばれる大手銀行関係のビルの前だった…
所謂“メガバンク”は、長い間に様々な銀行が合併して現在に至っているのだが、現在このビルに入居している銀行の“前身の一つ”となる銀行が、1952年に現在地に本店ビルを建てたのだそうだ。そのビルの「鉄骨柱梁接合部」の実物―現在のビルになる前に解体されて、その際に部材を取り出して、一部を保管したのであろう…―をモニュメントにしたのだそうだ。1952年当時には中高層ビルとして「日本国内で初めて」であったという「鉄骨造全溶接」という工法が採用されたというようなことも在ったのだという。
こういうモニュメントという形であっても、「建築の歴史」という観点で意義深いと考えられる建物の記憶が語り継がれるというのは、存外に大切なことなのかもしれない…そんなことを思いながら、辺りを然程明確な意図も無いままに歩き廻った…
岩出図書館停留所…:<和歌山バス那賀>(2020.12.19)
「バス停から歩いて10分か15分か…」というような範囲の場所を訪ねる。どうということもない…と言うよりも、自身の頭の中では「他地域の興味深そうな場所を訪ねてみる」ということは「列車や路線バスを利用し、最寄駅や最寄停留所から少々歩く」ということに他ならないのだ。
根来寺は、真言宗の教学の経過では「新義真言宗」と呼ばれる流れを起こした寺だが、或る種の「“大名”の興亡」というような経過も辿った。戦国時代辺りの根来寺は紀州北部で大変に大きな力を持ち、鉄砲隊まで在る侮り難い僧兵を軸とした軍勢まで擁するようになっていたが、やがて豊臣政権との戦いに敗れてしまった。そして荒廃したことから、教学に関する活動を再開して続けようとした人達が京都に智積院を起こすというようなことも在ったのだが、根来寺は活動を継続して現在に至っていて、豊臣政権との抗争に際しての戦禍を免れた貴重な建物等も伝わっているのだ。
そんな興味深い場所へ、列車とバスで訪れるのは非常に好いのだが…
↓この「根来寺へ歩いて10分か15分か…」という停留所と、大阪と和歌山とを結ぶJRの駅との間を往来するのが少々手間取る…バスの運行本数が少ないのだ…
根来寺を訪ねた後、街の図書館の前に設けられたバス停でやや長く待つことになった…
↓やや運行本数が少ないバス路線…タイミングが少しズレると、待ち時間がやや延びてしまうことは免れ悪い…
↓バスがやって来た…
↓車長が短い、何やら「マイクロバス?」というような趣のバスだ…
運行会社は<和歌山バス那賀>という会社だ。「和歌山バス」の後に「那賀(なが)」が付されている…南海電鉄の資本で、和歌山バスの子会社ということになるのだそうだ…1991(平成3)年に和歌山バスの地域分割子会社として那賀営業所及びその管轄路線を分割化して発足したのだという。
この<和歌山バス那賀>の路線だが、ICカード乗車券が2020年4月から利用可能となったそうだ。実際、方々で利用しているICOCAで乗車した。均一料金ではない路線バスなので「乗車時にICカード乗車券を機器にタッチし、下車時にも機器にタッチする」という方式で利用する…
この「マイクロバス?」というような趣のバスに20分程度乗車でJRの和泉砂川駅に至った。バスは「そこそこの乗客…」という感だった。駅へ行けば、列車で出掛ける人達が家族等の自家用車で駅まで送ってもらっているという様子を随分と見掛けた。「地方の街」は何処でもそういう感じなのか?
「マイクロバス?」というような趣のバスが多少不思議だが、乗車した範囲では、JRの和泉砂川駅周辺で「狭く曲がり角の多い道路」が見受けられ、逆にこの種の車輌でもなければ走行が難しいかもしれないという感だった…
こういう「独特な各地の感じ」に触れるような移動も面白いかもしれない…
根来寺は、真言宗の教学の経過では「新義真言宗」と呼ばれる流れを起こした寺だが、或る種の「“大名”の興亡」というような経過も辿った。戦国時代辺りの根来寺は紀州北部で大変に大きな力を持ち、鉄砲隊まで在る侮り難い僧兵を軸とした軍勢まで擁するようになっていたが、やがて豊臣政権との戦いに敗れてしまった。そして荒廃したことから、教学に関する活動を再開して続けようとした人達が京都に智積院を起こすというようなことも在ったのだが、根来寺は活動を継続して現在に至っていて、豊臣政権との抗争に際しての戦禍を免れた貴重な建物等も伝わっているのだ。
そんな興味深い場所へ、列車とバスで訪れるのは非常に好いのだが…
↓この「根来寺へ歩いて10分か15分か…」という停留所と、大阪と和歌山とを結ぶJRの駅との間を往来するのが少々手間取る…バスの運行本数が少ないのだ…
根来寺を訪ねた後、街の図書館の前に設けられたバス停でやや長く待つことになった…
↓やや運行本数が少ないバス路線…タイミングが少しズレると、待ち時間がやや延びてしまうことは免れ悪い…
↓バスがやって来た…
↓車長が短い、何やら「マイクロバス?」というような趣のバスだ…
運行会社は<和歌山バス那賀>という会社だ。「和歌山バス」の後に「那賀(なが)」が付されている…南海電鉄の資本で、和歌山バスの子会社ということになるのだそうだ…1991(平成3)年に和歌山バスの地域分割子会社として那賀営業所及びその管轄路線を分割化して発足したのだという。
この<和歌山バス那賀>の路線だが、ICカード乗車券が2020年4月から利用可能となったそうだ。実際、方々で利用しているICOCAで乗車した。均一料金ではない路線バスなので「乗車時にICカード乗車券を機器にタッチし、下車時にも機器にタッチする」という方式で利用する…
この「マイクロバス?」というような趣のバスに20分程度乗車でJRの和泉砂川駅に至った。バスは「そこそこの乗客…」という感だった。駅へ行けば、列車で出掛ける人達が家族等の自家用車で駅まで送ってもらっているという様子を随分と見掛けた。「地方の街」は何処でもそういう感じなのか?
「マイクロバス?」というような趣のバスが多少不思議だが、乗車した範囲では、JRの和泉砂川駅周辺で「狭く曲がり角の多い道路」が見受けられ、逆にこの種の車輌でもなければ走行が難しいかもしれないという感だった…
こういう「独特な各地の感じ」に触れるような移動も面白いかもしれない…
池苑…:清荒神清澄寺(2020.12.21)
清荒神清澄寺を訪ねてみた…
↓庭園がなかなかに美しかった…
↓「池泉回遊式庭園」(ちせんかいゆうしきていえん)と呼ばれる形式なのだそうだ。池を中心に配し、その周囲に園路を巡らして、築山、池中に設けた小島、橋、名石などで各地の景勝などを再現するのだという…
↑鳥が集まり悪いようにするためであろうか?池の上に釣糸が張られていた…
↓清荒神清澄寺は「蓬莱山」と号している。そこで「蓬莱山」を形象した築山を池の中に設けているのだそうだ…
この<池苑>は、江戸時代の半ばまでに造られたと見受けられるのだそうだ。大規模なモノという感ではないが、なかなかに味わい深い庭園だ…
最近は、何となくこの種の比較的小規模な「寺の庭」というようなモノが好いと思うようになった気がしている…
↓庭園がなかなかに美しかった…
↓「池泉回遊式庭園」(ちせんかいゆうしきていえん)と呼ばれる形式なのだそうだ。池を中心に配し、その周囲に園路を巡らして、築山、池中に設けた小島、橋、名石などで各地の景勝などを再現するのだという…
↑鳥が集まり悪いようにするためであろうか?池の上に釣糸が張られていた…
↓清荒神清澄寺は「蓬莱山」と号している。そこで「蓬莱山」を形象した築山を池の中に設けているのだそうだ…
この<池苑>は、江戸時代の半ばまでに造られたと見受けられるのだそうだ。大規模なモノという感ではないが、なかなかに味わい深い庭園だ…
最近は、何となくこの種の比較的小規模な「寺の庭」というようなモノが好いと思うようになった気がしている…