<X-Pro2>+<XF35mmF2>…(2021.05.15)

↓久し振りにこういう具合に写真を撮ってしまった…
15-05-2021 my cameras in a train.. (4)

<X100F>が酷く気に入った後、「少し違う画角の画?」と思い、このレンズ交換式の<X-Pro2>を入手したという経過が在った。

3本の単焦点レンズと1本のズームレンズが在るが…この画の<XF35mmF2>か、<XF16㎜F2.8>を装着する場合が多いような気がする。

この<X-Pro2>も酷く気に入っている。多分、マダマダこの<X-Pro2>を使い続けると思う…

<X100F>…(2021.05.15)

何処かへ…殊に他地域へ出る場合、他の何かを忘れてしまったにしても、とりあえずカメラは必ず持って出る…と思う…2台持つ場合も多い。

↓乗込んだ早朝に稚内駅を発つ列車の中で、何となくカメラを眺め入って、更に写真まで撮ってしまった…
15-05-2021 my cameras in a train.. (3)
↑通常、入手した際に併せて求めた「純正のレザーケース」に収めた状態でこの<X100F>を持ち歩いている…

↓撮影に用いる場合は、こういうようにレンズが表に出るようにして使う訳だが…
15-05-2021 my cameras in a train.. (1)

<X100F>の「35㎜相当画角」というレンズは、本当に使い勝手が好く、そしてカメラの描写性能も佳いので、何か「“35㎜相当画角”のレンズを着けたままにしてミラーレス一眼レフのカメラを使っている」というような感覚で、この<X100F>を使用している。

この<X100F>を提げて、近所を歩き廻る場合も多いが、これを提げてサハリンの街、ウラジオストク、国内各地と色々な場所を訪ねている。当分は、これを提げて更に色々な場所を訪れたいものだ…

蒲公英(たんぽぽ)…(2021.05.20)

「蒲公英」と書いて「たんぽぽ」か…妙なことを考えている…

↓その蒲公英(たんぽぽ)が咲いていた…拙宅の極々傍だ…
20-05-2021 morning (2)

↓空地の脇、雑然と色々な植物が生えている辺りに、鮮やかに花が散見していた…
20-05-2021 morning (1)

こういうモノに何となく眼を向けるというのも悪くはない…

稚内駅…帰着…(2021.05.18)

早朝の旭川駅を出る普通列車で稚内駅を目指せば、何回かの少し長目な停車時間を含めて「6時間余り」の行程となる。行程の終盤に差し掛かって、やや長い停車の幌延駅を出ると1時間余りで稚内駅である。

2021年3月に、宗谷線の小さな駅が“廃止”というようなことになっていて、方々で駅名表示の「前の駅/次の駅」という箇所を修正した痕跡を見掛けた。その廃止論議の俎上に乗った抜海駅を通り過ぎれば、以降の停車は南稚内駅と稚内駅とを残すばかりとなる。

↓抜海駅を過ぎた辺りでこういう様子が!!
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol02 (37)
↑日本海が視える車窓…左の利尻島(=利尻富士)も礼文島も綺麗に視えた!!

幌延駅の周辺より北は車窓が素敵だ!写真を撮るのはやや難しいのだが…

本当に「この先に街は…?」というような車窓の場所を通り抜けるのだが、上記の日本海を望む辺りを過ぎて、南稚内駅が近付けば「街…」という景色も視える。そして南稚内駅を発てば「御乗車御疲れ様でした…」ということになる。

↓稚内駅に着いた…
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol02 (41)

早朝に列車に乗車した旭川駅からの距離が示されている…
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol02 (42)
↑旭川・稚内間は259.4kmだ…

↓「ここまでの遠い道程、連れて来てくれてありがとう!」という感で、乗って来た「キハ54 527」を振り返った…
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol02 (43)

↓改札口で「記念に欲しい…」と申し出ると、切符は頂くことも出来る。今般、往路の稚内・旭川、復路の旭川・稚内の切符を確り頂いた…(切符の写真は、午後に立寄った近所の喫茶店で撮った…)
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol02 (46)

そしてまた何時か…この稚内駅から出発するという機会も在ることであろう…

午前3時台…:稚内港北防波堤ドーム…(2021.05.20)

「ほんの少しばかりの非日常」を「些か愉しむ…」という趣も在った、所用のための外出から戻って過ごした“平日”が暮れ、何やら酷く早めに眠気を覚えて休んでしまった。そして…「早朝」というより「深夜」という感の時間帯に眼を開け、何となくダラダラとしていた。

やがて午前3時…起き出した…そして戸外へ…

↓最近は深夜から早朝は“消灯”と見受けられる稚内港北防波堤ドーム…
20-05-2021 early morning - around 3AM (1)

↓午前3時台は“深夜”と“早朝”との境界であるように感じられる…或いは「時季らしい」という感だ。
20-05-2021 early morning - around 3AM (5)

↓「15℃を伺う…」というような気温帯だ。風は弱く、穏やかな早朝だと思った…
20-05-2021 early morning - around 3AM (6)

↓海側へ廻り込めば、湖畔と錯覚するかのような状態だった…
20-05-2021 early morning - around 3AM (7)

↓仄かに明るい様子を暫し眺めていた…
20-05-2021 early morning - around 3AM (11)

「日が長い時季」に突入してしまっていることを実感する…引揚げてゆったりと写真を整理し、珈琲を淹れて啜り…場合によって、「早朝に一寝入り」ということも出来てしまうかもしれない…

幌延駅にて…(2021.05.18)

↓時季らしいようにも感じられる強めな光線に、もう少しで花の期間が終わるかもしれないという風情であるチューリップが透けているように見える…
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (41)

↓幌延駅だ…
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (42)

早朝の旭川駅を発つ普通列車は、名寄駅(なよろえき)美深駅(びふかえき)音威子府駅(おといねっぷえき)等を経てドンドンと北上した。そして幌延駅(ほろのべえき)に至って、どういう訳か20分間程度停車する。

↓天候も好かったので、確りと切符を手に改札を潜って駅前に出て身体を伸ばすというようなことをしていた…
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (45)

↓「花壇」ということになるのであろうが、もっと素朴に「駅前の一隅に花を植えてみた…」というような風情の場所であると思った。好天の下、なかなかに好い感じだと思いながら眺めた。
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (43)

↓駅前にバス停が在る…
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (47)

↓遠別(えんべつ)、羽幌(はぼろ)、留萌(るもい)の方向へ南下するバスが上段に、幌延町の中、または少し北の豊富(とよとみ)へ向かうバスが下段にそれぞれ記載されている。
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (46)

↓ホームに戻って車輛を眺める…
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (50)

↓早朝から乗り続けた車輛は「キハ54 527」だ…
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (48)
↑列車の行先等を記した“サイドボード”を掲出する場所に、最近は「宗谷線」と駅名が入らない、イメージイラストの在るモノが掲出されている…

↓そして車内の席へ…
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (52)

早朝の旭川駅を発つ普通列車で稚内へ向かう6時間程の道程となる。この幌延に至れば「後は1時間余り…」ということになる。

音威子府駅にて…(2021.05.18)

何年か前までは「朝の音威子府駅(おといねっぷえき)」という場所に「独特な魅力」が溢れていたことが忘れられない。

「朝の音威子府駅」と言えば…稚内から南下する普通列車が到着して延々と停車していて、そこに旭川から北上する列車が到着して少し長く停車し、両列車の脇に稚内から札幌を目指す特急列車が着いて直ぐに南下の続きで、その後は北上する普通列車、南下する普通列車の順に発車していた。少し以前の雰囲気を強く懐かしむ場合も在る…

そういう風情が酷く気に入っていたのだったが、近年はもっと「淡泊…」な感じだ。稚内から南下する普通列車は、音威子府駅に着いてから然程長く留まらずに発車し、美深駅に至って漸く北上する列車と行違うというようになった。そして南下する普通列車は名寄駅まで特急列車とは出くわさない…北上する列車については、音威子府駅の少し南、音威子府村と美深町の境目の美深町寄りに在る豊清水信号所で特急列車と行違う…

早朝の旭川駅で気に入っている普通列車に乗車の都度、名状し悪い「寂しさ」のようなモノを覚える事を禁じ得ない…

↓というようには思うが、音威子府駅では北上する列車が3分間程停車する…
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (39)
↑こうしてホームに瞬時出て、外気に触れて身体を伸ばす…

旭川・稚内間の普通列車での移動は、やや時間は要するが、「途中で適当に息を抜く」とか「車中で居眠り…」というようなことを思えば、寧ろ「適度にゆったりとした移動…」という程度にも思える。

こういうような音威子府駅の雰囲気…今後は如何いう具合になって行くのであろうか?

美深駅にて…(2021.05.18)

「列車行き違いのため停車中です」と、運転士さんがマイクで言う…

↓確かに行き違いの列車が現れた…
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (33)

名寄駅のやや北、美深駅である…

↓乗車中の列車は北上しているが、行き違いの列車は南下中だ。そして思ったのは、現在が復路なので「往路に乗っていた列車」がここに現れた行き違いの列車と同じように走っていたということだ…
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (35)

「単線区間」での「行き違い」は、こういう駅のような場所で行うのが定石だ。往路で乗っていた列車でも「美深で北上中の列車が…」と思っていたが…

少しだけ興味深い…

名寄駅にて…(2021.05.18)

早朝の旭川駅を発つ普通列車に乗車し、名寄駅に至ると「段落?」というように感じる…稚内駅を目指す長めな行程の「3分の1」程度ということになるとは思うのだが…

↓10分間弱ということになるか…名寄駅で列車は少し長目に停車するので、ホームに出て身体を伸ばしてみるなどする…
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (29)

「平日」に早朝の旭川駅を発つ普通列車に乗車する場合、旭川・名寄間では「通学の高校生」が非常に目立つ。本当に「地元の若者の日常に“旅のおっちゃん”が紛れ込む」という気分で乗車している感じになる。

「通学の高校生」の様子?仲の好い者や気の合う者や、何か用が在る同士で話しているか、参考書や文庫本や手製の勉強ノートを視ているか、さもなければ「スマホ」だ。他地域ではあるが、学生による投稿文芸で「スマホを忘れた日 初めて観た車窓」というのが在って酷く記憶に残っているのだが…最近は「通学の高校生」と見受けられる(制服または学校の名が入ったジャージ着用の場合が多い)若い人達の多数派は「スマホ」だ。これはそのくらいの若い人達に限ったことでもないようだが…

早朝の旭川駅を発った後、陽が高くなって行くに連れて天候が好くなって行った日だった。名寄駅にこうして停車しているキハ54…気に入っている眺めだ。
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (28)

↓名寄駅では、こういう具合に早朝の旭川駅では2輛で現れた列車の後ろ側を切り離す作業が行われる。このために名寄駅の停車は長目なのだ…
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (30)

途中の士別駅や、この名寄駅で「通学の高校生」の多くが下車するのだが、この名寄駅以北に関しては、乗客が少ない場合が多い…故に1輛運行としている訳だ…

↓「更に北へ!!」という感…陣取っていた座席で発車を待つ…
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (31)

こういうような具合に「地元の日常に何となく紛れ込む」という移動も好きだ…

日出:稚内港北防波堤ドーム…(2021.05.15)

出掛けるために早朝の稚内駅へ向かう更に以前だった…

↓「悪くない天候…」と少しだけ戸外に出た…
15-05-2021 early morning (2)

↓朝陽!?
15-05-2021 early morning (4)

↓<X100F>の「35㎜相当画角」では、稚内港北防波堤ドームと朝陽とが1枚の画に収まり悪い感じになって来ている…日が長い時季、朝陽は画で言えば左の側にかなり寄った辺りから姿を覗かせる…
15-05-2021 early morning (5)

こうして、朝陽を視た後に急いで引揚げ、早朝の稚内駅へ向かって列車に乗ったという土曜日だった…

稚内港北防波堤ドーム…(2021.05.19)

「月曜日の(恒例化している)所用」を軸に土曜日から火曜日の時間を費やした。

火曜日の早朝、旭川駅を出る普通列車で引揚げて昼に着いた。何やら安堵感も在る午後ではあったが、「動き回った消耗のようなモノ(?)」も感じられていた。それを受けて「早目な時間帯に何時の間にか…」という流儀で火曜日に幕を下ろしてしまったのだった。

そこから迎えた水曜日。窓の辺りが明るいという様子に誘われ、<X100F>を提げて戸外に出た。

↓静かな海面を風が渡っているというような様子が見受けられた。
19-05-2021 early morning (1)
↑気温は15℃前後になっているが、風がやや冷たく強い感も否定し悪かった。何となく「風除け…」という意図で上着を引掛けて戸外に出たのだった。

↓天の雲も、何やら勢い良く流れているように視えた。
19-05-2021 early morning (3)
↑天の様が刻々と変わり、変わって行く様が海面に撥ね返っているような感だ。

↓短い時間で随分と様子が移ろうようにも思った。
19-05-2021 early morning (5)

↓ほんの少し明るさが増したような気がした…
19-05-2021 early morning (9)

↓「鮮やかな朝…」という感だ。
19-05-2021 early morning (8)

↓湖畔と見紛うような静かな海岸ながら、背中からやや冷たく強い風が当たった。その風は海面を渡っている…
19-05-2021 early morning (10)

風が冷たくなったので直ぐに引揚げ、拙宅玄関前で時計に眼を落した。午前4時を少々過ぎたような辺りだった…それでもこんなに明るい?

現在、「日出時刻=03:58 日没時刻=19:00」であるそうだ。何時も佇む辺りで上る朝陽の姿が視えるのは、日出時刻の何分か後である。

旭川駅の早朝…(2021.05.18)

旭川駅周辺の宿を取ると…「早起きをして早朝の列車に乗る」という場合に便利だ。そういうことを好んでする…出発が宿の朝食提供の時間より以前となるので、大概は「素泊まり」で宿を取る。

↓何処の街でも「午前5時半過ぎ」という時間帯は「未だ早い…」という感じになるだろうか?旭川も静かだ…
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (1)
↑早朝から、少し長い時間の列車の移動となる場合…「駅の手前のコンビニ」というような場所には寄ってしまう。車内で飲むモノ等を求める訳だ…

↓早朝に悠然とこういう感じの場所に在ると…敷地も建物も「貸切!」というような不思議な気分になる…
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (3)

↓通行人が視えない状況であると、旭川駅の西側の空間は殊更に広く感じられる…
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (4)

↓「駅の一日」が始まったばかりという感だ…
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (5)

↓改札を潜った、各ホームへの通路に通じる辺りの雰囲気が好きだ…
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (7)

↓何度も利用している「早朝の稚内行の普通列車」を目指す…
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (8)

↓エスカレータを上って振り返れば、北上する列車が到着していた…
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (10)
↑こちらは列車の後尾側となる…

↓少し進んで、こちらが前方である…
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (12)
↑今日は前も後ろもキハ54だ。後ろがキハ40であるという場合も在った…

↓旭川駅から2輛連結で発車するが、名寄で後ろの車輛は切り離す。名寄より北を目指す場合、前側の車輛に乗る方が便利だ。
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (13)

↓車輛の扉が開き、乗車可能になって直ぐに前側の「527」に乗込んだ…
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (16)
↑宗谷線で運用されているキハ54だが、車輛毎に座席配置が多少違う。乗車する際、「何れが現れる?」と意外に愉しみにしている…

↓右側の座席に陣取ることにした…
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (17)

↓荷物を置いて、座席に確り腰を落ち着けると、後は「稚内までの長い乗車」というだけである…
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (21)

↓駅近くのコンビニでは、こういうモノを確り求めておく…旅の無事を期して、ゆっくりとこれを空ける…
18-05-2021 on a trip between Asahikawa and Wakkanai vol01 (19)

列車は朝6時に旭川を出ると、昼の12時に稚内だ…旭川駅で確り乗車してしまえば、以降は寝ていても、何をしていても稚内まで長い道程を連れて行ってくれるのがこの列車だ。気に入っていて時々利用するので、戯れに「専用列車」と言ってみる場合も在るが…今日は一部に「他の乗客?」という区間が見受けられ、本当に「専用?」だった場面も在った。

「他地域に出た後に稚内へ引揚げる」という状況の場合、前夜までに旭川に至り、早朝のこの列車に乗るのが気に入っている。「稚内を訪ねたい」という方におかれても、交通が便利な旭川に夜までに着き、翌早朝から北上というのは「悪くない?」と思う…

<国士無双>…(2021.05.17)

「早朝から行動…」という前夜は多少気が張る場合も在るであろうか?

客観的にはそういう類の“前夜”であったのかもしれないが、サウナも利用して、適当にエネルギーも使っていた期間であったことから、「早寝早起き」な傾向に何らの変わりもなく、悠然と過ごす早朝に前日を振り返っている。

↓時にはこういうモノが好い…
17-05-2021 Asahikawa (48)

↓前夕に旭川駅辺りの店で求めたのだった…
17-05-2021 Asahikawa (47)
↑容量180mlの小さな瓶…好い感じだ!!

前日…旭川の宮下通を東から西へ少しばかり歩いた…

↓こういう場所を通り過ぎた…
17-05-2021 Asahikawa (39)

<国士無双>の銘で知られる酒を醸している<高砂酒造>である…「酒造の街」という旭川の横顔に、気軽に触れることが叶う場所でもあるように思う。

↓宮下通の東側、鉄道の高架と道路が交差している箇所が視える場所に<高砂酒造>は在る…
17-05-2021 Asahikawa (40)

「地元の銘酒」を一寸愉しむというのも好い。極個人的には「醸造酒は少し控えて…」というようなことも思ったが、日頃は蒸留酒で、今般の<国士無双>は少し特別だ…

とりあえず…スッキリしている早朝に、前夜に口にした銘酒を思い出すという「妙な感じ?」となっている…

旧国鉄旭川車両センター第二木機職場・木機乾燥場=旭川市市民活動交流センターホール棟・市民活動支援棟…(2021.05.15)

旭川駅の南寄りな側は、鉄道用地であった場所を整備して色々な用途で利用するというようなことをしているように見受けられる場所だ…

↓公園風になっていて、色々な施設が見受けられる一隅にこういう様子が視える…
15-05-2021 at Asahikawa (29)
↑古い煉瓦造の建物である…

↓こちらが「旧国鉄旭川車両センター第二木機職場」で、現在は「旭川市市民活動交流センターホール棟」となっている。
15-05-2021 at Asahikawa (33)

↓こちらは「旧国鉄旭川車両センター木機乾燥場」で、現在は「旭川市市民活動交流センター市民活動支援棟」となっている。
15-05-2021 at Asahikawa (31)

「旭川市市民活動交流センター」というのは「“Co”ここが、“Co”交流と、“De”出会いの場になるように」ということで<CoCoDe>という愛称を冠した文化施設として利用されている。その<CoCoDe>として利用されている主要な2棟は旧国鉄の工場であった建物だ。

2棟の建物は、1898(明治31)年に当時の「北海道官設鉄道」(※1897年-1905年 開拓使による初めての鉄道が、開拓使の廃止後に延伸されて行く過程で登場した。1896年の「北海道鉄道敷設法」によって北海道庁が建設することになった鉄道である。1905年に各地の旧国鉄路線と同じ扱いになって行った。)の路線が旭川に敷設された頃のモノであるという。

↓「〇で囲った“北”」が「北海道官設鉄道」のマークであったようだ…建物の一部に入っている…
15-05-2021 at Asahikawa (32)

↓「明治時代の壁」ということになる…
15-05-2021 at Asahikawa (41)

「旧国鉄が用いた工場の建物」ということでは、ここの2棟は「最も古い例の一つ」ということになるようだ…

↓暫し眺め入ってしまった…
15-05-2021 at Asahikawa (34)

↓「明治時代の建築技術」を伝える貴重な存在ということになる…
15-05-2021 at Asahikawa (38)

この貴重な建物が「市民活動に関する情報の収集・提供や活動相談、講座・研修会等の開催による学習の機会の提供など市民活動を支援するとともに、市民の交流及び協働を促進し、もって活力ある地域社会の形成及び市民主体のまちづくりの実現に寄与することを目的とした施設」ということで利用されている訳だ…2010年から現在の形になったそうだ。

↓「また観に行こう…」と思わせてくれる感だった。
15-05-2021 at Asahikawa (28)

こういう「貴重な建物を有効に活用」という例は非常に好いと思う。

【参考】
>>旭川市によるウェブサイト:旭川市市民活動交流センター CoCoDe(ココデ)

煉瓦造の“塔”(?)…:<合同酒精株式会社 旭川工場>(2021.05.17)

旭川銀座商店街の「店頭に“虎”」の店辺りから、鉄道の高架が視える方角へ進むと「15丁目」、「16丁目」…となって、「18丁目」に至れば旭川四条駅だ。

旭川四条駅辺りの鉄道の高架下を潜って、更に進むと「20丁目」に至る。そこで辺りを見回してみた。

「4条20丁目に酒造会社の敷地に古い煉瓦造の大きな建物が在るのが道路から眺められる」とぼんやりと覚えていたのだ。しかし…らしいモノが見当たらない?

折良くおばちゃんが通り掛かった。

「すみません…」と声を掛け「<合同酒精>の古い建物の視える場所が“4条20丁目”と聞いていたのですが?」と尋ねてみた。

おばちゃんは「あぁ!アレ…それは“南4条”で、ここは“4条”…だからこの道を…随分行くと思うけど、行くと大きな歩道橋が在って、その辺が“南4条”ですよ」と教えてくれた。御礼を言って言われたとおりに進んでみた。

旭川銀座商店街を北上した際と逆順…「四条通」、「三条通」、「二条通」、「一条通」、「宮下通」と進むと…次に「南一条通」、「南二条通」…となっている。古い住所の決め方のようだ…因みに些か西へ行くと、鉄道用地の転用というような事情が在るらしく、「南一条」というようなことでもない別な通の呼称が冠せられていた。そこでこの「南〇条」をよく知らなかった。加えて「4条20丁目に酒造会社の…」とぼんやりしていて「南4条20丁目」というようには記憶していなかった訳だ…

↓道を尋ねた際に教えてくれたおばちゃんが言及したような歩道橋を潜ると、こういう具合に広い酒造会社の敷地が在って、向こうに“塔”のような建物が視えている…
17-05-2021 Asahikawa (23)

↓近付けば、本当に見上げるような建物だ…
17-05-2021 Asahikawa (28)

↓独特な風合いの煉瓦造の“塔”である…
17-05-2021 Asahikawa (27)

↓通の反対側に渡って眺めた。漸く全体の形が判るという大きさだ…
17-05-2021 Asahikawa (34)

この建物が在る<合同酒精株式会社>だが、1924(大正13)年に北海道内の焼酎製造会社4社(神谷酒造株式会社 旭川工場、東洋酒精醸造株式会社、北海道酒類株式会社、北海酒精株式会社)が合併して設立されたのだという。画の煉瓦造の建物は「前身会社」の<神谷酒造株式会社 旭川工場>が1914(大正3)年に建てたものであるという。

↓創建時には相当に目立つ建物であったことであろう…
17-05-2021 Asahikawa (36)

<合同酒精株式会社>は、焼酎や清酒等を製造する大きなグループとなって現在に至っているが、現在の旭川工場での代表的な製品は、北海道産酒米を使う<大雪の蔵>という銘の清酒である…

↓脇の大きなタンクや電柱と比べると、この煉瓦造の“塔”が如何に大きいかが判る…
17-05-2021 Asahikawa (38)

随分と廻り込んで歩いたのだが…旭川駅辺りからであれば、宮下通を東側へ進み、旭川銀座商店街の「14丁目」辺りを通り越し、<高砂酒造>という老舗会社の古風な建物と鉄道高架が視える辺りに出て、高架を潜って「20丁目」に至れば、南側に相当する右手に大きな歩道橋が視え、そちらの方向へ進むと着く…旭川駅辺りへ引揚げる際は、この経路(逆順だが…)を歩いた。

旭川には「酒造の街」という一面が在る。そういう経過を伝えてくれるのだが、「1914(大正3)年竣工の煉瓦造の大きな建物」というだけで一見の価値は在ると思う…

旭川四条駅(あさひかわよじょうえき)…(2021.05.17)

宮下通を背に旭川銀座商店街を北上し、店の前に“虎”を飾っている<三番館>の辺りである四条通(よじょうとおり)に至って右手を向くと鉄道の高架が視える…

↓高架に近寄ると駅が設えられていた…
17-05-2021 Asahikawa (17)

「四条」と書いて…京都では「しじょう」と読む。旭川では「よじょう」と読む。北海道内の街に見受けられる「四条」という地名は「よじょう」と言っていると思う。或いは「京都の四条通」で「よじょう」とでも声が聞こえたら、それは「北海道の人?」という可能性が高いのかもしれない…

↓余計なことを思い出したが、とりあえず駅員が居るべき場所は設えられている。しかし「無人化」されてしまっている…
17-05-2021 Asahikawa (18)
↑旭川四条駅は「旭川駅の北東側の隣」ということになる駅だ…

↓北見や網走の方角へ向かう石北線と名寄や稚内の方角へ向かう宗谷線の列車がこの駅で発着している。
17-05-2021 Asahikawa (19)
↑旭川四条駅を発着するのは、1輛や2輛の普通列車や快速が圧倒的多数で特急列車は通過しているが…それでも稚内駅よりも余程列車の発着は多い…

以前に旭川神社を訪ねようと東旭川駅へ向かった時にここを通ったことを思い出していたが…自身では「列車に乗っていて通り過ぎる」というばかりになっている駅だ。

↓こういう具合に運賃の掲出も在る…
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↓駅前(?)の歩道に、周辺案内板も据えられていた…
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時には「通り過ぎるばかり…」という駅の辺りを歩くのも面白い。「車窓で一寸視るばかり…」という風景の中を歩くのが好いのだ…

「めざせ日本一!がんばれ阪神タイガース!」:<三番館>前:旭川銀座商店街(2021.05.17)

↓「何や?コレ?」と思った…旭川銀座商店街を歩いていて、いきなり出くわしたのだ…
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↑尼崎や西宮のような阪神電車の沿線でもない、遠い北海道の旭川に在る古い感じの商店街でこんな幟を視て驚いた…<旭川愛虎会>?

↓序にこういうモノまで出て来て更に驚いた…
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↑親子の虎…虎縞のマスクまでしている…

これは<三番館>という店の前だった。衣料品や雑貨を商っている店と見受けられた…

↓店の入口に「招き猫」でもなく「招き虎(?)」が据えられていて笑った…
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多分…店主氏が熱心なタイガースファンなのであろう。自身も<甲子園歴史館>という資料館が在る甲子園球場を訪ねてみたことが在ったので、阪神タイガースには少し親しみを感じないでもないが…それにしてもこの「店の看板」のように「虎」を据えている様子は驚いた…

ところで…今季のここまでの様子では、阪神タイガースは絶好調であるようだから、この<三番館>の店主氏も御機嫌であろう…

七福神…:旭川銀座商店街(2021.05.17)

旭川駅の東改札口の側から外に出て、そのまま東側へ進んでみる…

駅の北側の真前に相当する通が「宮下通」だ。北上すると「一条通」、「二条通」…と“数字”が増える。そして東側へドンドン歩くと「10丁目」、「11丁目」…と数字が増える…

「14丁目」と「15丁目」との間に至ると…

↓南から北へ延びる通が「(恒久的)歩行者天国」の構造になっていて、何やら不思議なモノが現れる…
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↓七福神!?
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↓何時頃から在るのか?何か「北海道土産の木彫りの人形?」というアレンジになった七福神だ…
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↓「(恒久的)歩行者天国」の真中に傷んでしまった木が?
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↓弁財天が祀られている…
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弁財天?商売関係?ここは<買物公園>に次ぐ形で「(恒久的)歩行者天国」に設えた商店街で<旭川銀座商店街>という場所だ。

↓ほんの少し進んだ辺りにも木が在った…
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<旭川銀座商店街>?北上して「三条通」辺りに出ると、営業している店が目立った…「四条通」…これは「しじょう」ではなく「よじょう」と呼ぶが、その辺りまで歩いた。

↓こういう可愛らしい七福神も鎮座していた…
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何となく不思議な感じの場所だ…

チューリップ…:雨交じりの朝、庭の片隅にて…(2021 05.17)

恒例化している所用の関係で、“居候所”(“実家”とも言う…)で夜を明かした。

前夜まで、雨が断続する中でやや風も強かった。その風は落着いたが、辺りを湿らせる雨が交り続けている静かな朝だった。

↓庭の片隅にチューリップが咲いていた…
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丁寧に植えたというのでもなく、少し雑然とはしていた。何時、どういう想いで植えたのだったかが不明確になっているような、「球根の多年草をそのままに…」という状態だった…

↓一部、多少傾いて咲いていたが、雨の雫で湿っている風情が好かった…
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↓既に盛りを過ぎた花も見受けられた…
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↓チューリップが咲いている様子…偶々この場所では長く視ていなかった…何か艶やかで好いと思った。
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時にはこういう程度に辺りの花を愛でる…好いことかも知れない…

旧旭川偕行社=中原悌二郎記念 旭川市彫刻美術館…(2021.05.15)

旭川駅からバスに乗車してみる…

旭川の路線バスは市内や近郊の広い地域に張り巡らされている。様々な運行系統で、各々の頻度でバス便が運行されている。

旭川駅の北寄りな辺りは「X条X丁目」という住所なのだが、少し離れると「〇〇X条X丁目」、「〇〇X丁目」という住所になる。その住所がバス停の名になっているか、辺りのランドマークになっているようなモノの名を冠して「〇〇前」という具合になっている。

というのは別段に特殊でもないと思うのだが…バスが走り続ける中で「〇〇X条X丁目」が現れ、程無く「△△X条X丁目」、更に「□□X条X丁目」と切り替わって行く様子が見受けられる。「X条X丁目」となる「碁盤の目」的な道路を設えた地区が幾つも折り重なっているような按配に街が拡大したのだろうか?些か不慣れな状態で動いていれば、そのうちに方角や位置関係が判り悪くなってしまうかもしれない…

今般、街の北寄りの「春光」(しゅんこう)という地区をバスに乗って訪れてみた。

↓この建物を是非とも拝見したかったのだ!
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↑収蔵する彫刻を展示する場…<中原悌二郎記念 旭川市彫刻美術館>ということだが、建物は<旭川偕行社>として1902(明治35)年に登場した。

<偕行社>というのは帝国陸軍の将校准士官の親睦・互助・学術研究組織として設けられたもので、各地に将校倶楽部、或いは迎賓館的な機能を持つ会館を建てていた。陸軍の師団司令部が設置されていた都市等で、その会館の建物が伝えられている例が見受けられる。(因みに現在でも<公益財団法人偕行社>という、旧軍関係者や陸上・航空自衛隊OBの親睦団体として活動が在る。)

旭川は師団司令部を擁していて「軍都旭川」とも呼ばれていたそうだ。そういう土地柄、将校の親睦ということで<偕行社>の会館が登場した訳だ。

↓美術館の入場券を求めて館内に入り、中を見学した…
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「彫刻作品を写真に撮ってネット上で公開するようなことは御遠慮願う」ということだが、フラッシュを使わずに写真を撮ることは差し支えないということになっていた。

↓入ると真中なのだが、真中から脇を視ると、廊下が在って展示場等になっている部屋が設えられている。色々な用途に用いられた部屋なのだろう…
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↓「明治時代の洋館」という趣深い設えの階段だ…
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↓2階を見上げた。奥は広々とした場所だった。恐らく大きな各種集会に使ったような場所なのだと見受けられた…
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↓上った階段を振り返った…
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↓2階の広々とした部屋の奥の窓…外で建物を見上げる場合に、真中辺りに突き出しているように視える場所だ。
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↓暫しこの雰囲気を愉しんだ…
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↓この場所で?色々な出来事も在ったのか?色々と思いながら眺めていた…
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戦後この施設は米軍が利用した経過も在ったようだが、長く空いていて荒廃してしまった。そして北海道と旭川市とで1968(昭和43)年に復元工事を行った。その後、郷土博物館として利用されていて、1994(平成6)年からは彫刻美術館として利用されている。

↓文化財にも指定されている建物を利用した美術館…或いは「建物そのもの」が重要な展示品であるようにも思う。
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この<中原悌二郎記念 旭川市彫刻美術館>は<春光園>というバス停の直ぐ傍だ。近所の子ども達が遊んでいる様子も見受けられるような公園の傍で、バス停の周辺で建物の威容も視える。幾つかの運行系統が在るようで、旭川駅との往復に際して、往路と復路とで別な経路を走るバスに乗った。往路は220円で、復路は240円だった。こういうような、立寄っている街でバスに乗って何処かを訪ねるというのも「極々小さな旅」という気分で愉しい…

名寄神社…(2021.05.15)

稚内・旭川間の乗車券を手に早朝の普通列車に乗車する。

この列車は「名寄行」である。当然ながら名寄駅に至る。その先の名寄から旭川まで、普通列車に乗り継ぐとすれば?1時間少々の待ち時間が生じる。

この1時間少々の待ち時間の間に、稚内から旭川へ南下する特急列車が運行されている。旭川以遠へ普通列車を更に乗り継ぐのであれば、この特急列車を利用するのが好いかもしれないが…今般は「1時間少々の待ち時間」の間、名寄での散策を愉しむことにした。

<キマロキ>と呼ばれた、冬季に鉄路での排雪作業に従事した蒸気機関車を含む編成が静態保存されている場所が名寄駅近くに在る。名寄駅を背に左側へ進み、鉄道を跨ぐような具合、橋のようになった道路へ入る。橋を通り抜けた辺りが公園になっていて<北国博物館>という看板が在るので、そちらへ進めば<キマロキ>と会うことが出来る訳だ。(雪深い冬季は、傷まないように確りと覆いを掛ける。雪が降り始める前の10月後半に覆いを掛け、4月下旬に覆いを外す。概ね「5月から10月に眺めに行く…」という感じになると思う…)

「前置き」のようなモノが諄くなってしまったが…その<キマロキ>を眺めに行くべく歩き廻った時…

↓こんな様子に出遭って凄く惹かれた…
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↑緑を背景に花という按配…凄く美しいと思った。<キマロキ>を眺めてから名寄駅へ戻る前、ここに寄ってみることにした。

↓なかなかに雰囲気が好い…
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名寄辺りは山形県や富山県からの入植者が多かったようだが、明治30年代に神社が創祀と伝わるそうだ。大正6(1917)年、正式に<名寄神社>ということになったという。

↓無事に動き回っていることに感謝…という按配で参拝した。
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「桜の盛り」は既に過ぎていたそうだが、それでも<名寄神社>と刻まれた石柱の脇に視られた花が酷く好かった。これも「導き」というようなことであろうか?<名寄神社>も想い出の社ということになった。

<ライラック>…:旭川駅(2021.05.16)

静かな旭川駅の中に入った…

↓改札を潜って、エスカレーターを乗り継いでホームに上った…
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↑発車する列車の案内が掲出され、脇には各号車の停車位置、車輛の扉が在る乗車位置の目安を示した図も出る。この種のモノを眺めるのが好きだ…

↓789系電車の特急列車<ライラック>だ。各編成の先頭車脇には北海道各地をイメージしたイラストが貼り付いている…
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↑函館・新青森間で運用されていた経過の在る車輛が、札幌・旭川間に移って来た訳だが、何時の間にか見慣れたような気がする…

↓発車まで未だ間が在る待機状態で乗車した…未だ他の乗客は視えなかった…
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↓この789系電車の外観が気に入っている。
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↑<ライラック>の仕様となっている車輛は6輛編成になっている。

↓そしてこうやって789系電車の列車が待機中で、他の列車も視える旭川駅の様子も好い…
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↓3番・4番のホームには「自販機コーナー」が在って、こんな飲物を求めた…
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<ライラック>…札幌駅までは1時間半を切る…なかなかに快適だ…

朝…:旭川駅(2021.05.16)

「日曜日の朝」ということではあったが、辺りの商業施設等が営業を始めているのでもない早目な時間帯だった。

↓<買物公園>を抜けて、旭川駅を望む辺りの横断歩道で“信号待ち”となった…
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↑何となく眺めたが、意外に面白い感じだと思った。

↓横断歩道を渡り、駅舎への通路に…
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冬季の雪の日にも様子を視て写真を撮っていた経過が在ったが…植えられている樹々も「新緑」という感じで、何となく曇って小雨が交ってはいたものの心地好いと思った。

↓こうして眺めると、旭川駅も美しいような気がする…
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<上川神社頓宮>周辺…:常盤公園(2021.05.16)

↓可憐な花だ…
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↓こういう具合に咲いていた…実に好い!
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↓<上川神社頓宮>の辺りだ…
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以前、冬季に<上川神社>を訪ねてみたことが在った。その「頓宮」ということで、「より都心に近い辺りに…」と起こったようだ。<上川神社頓宮>の方も、冬季に辺りを歩いて写真を撮った経過は在るのだが、可憐な花が見受けられる時季に歩き廻って写真を撮ってみた経過は無かった。旭橋を眺めてみた足で、この神社も在る<常盤公園>に立寄ってみたのだった。

↓花の感じが酷く好いので見入ってしまっていた…
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↓<上川神社頓宮>は、<常盤公園>の池の辺りに鎮座している…
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早朝、神社に立寄って花を愛でる…こういうのが酷く好い!

旭橋…(2021.05.16)

何処に在っても「早寝早起き」な傾向は然程変わらない…

恒例化した用足しの関係で、「多少勝手知った(つもりになっている)他所」という感の旭川に在る。サウナの設えられた大浴場を利用し、駅辺りの店で求めた泡盛の<菊の露>を頂き、何時の間にか休んでしまった。そして日出前から起き出して、居室内に黙っていても面白くないので散策に出てみた。

↓旭橋は「何時もの感じ」だ…
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この道路は<国道40号>の一部らしい。ということは、この辺りから250㎞も北上すると稚内駅前だ…東京・長野間の新幹線が222.4km…東京・郡山間の新幹線が226.7km…旭川・稚内間はそれより遠い…

↓1932年に登場したという、石狩川に架かる旭橋…重厚なデザインが酷く気に入っている…
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↓暗いとも思わないが、何やら雲が多目な早朝で、光は解き放たれ悪い感だ…
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↓日出の時刻は「午前4時4分」であるそうだが…その以前の交通量は極めて少ない。
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↓川に沿った脇の道と交差する辺りにミラーが据えられている…時々覗いてみる…「だから?」という話しだが…
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↓光が解き放たれない様を視て…何となく立ち去った…
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前日の日中は20℃近くになっていたようだが、早朝も寒いという程ではない。未だ肌寒かった稚内から持参したジャケットが“荷物”になってしまっている…

随分早くから動いた…もう一寝入り出来そうな気配である…

早朝の稚内駅を発つ…(2021.05.15)

恒例の所用で南下することになったが…早朝、5時20分の名寄行の普通列車で出発し、名寄で列車を乗り継ぐという段取りにしてみた。

↓早朝5時に開いたばかりの稚内駅に入った。静かな早朝の稚内駅で時刻表を写真に…何か「密かに列車が発着」という感じの列車運行本数だ…
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↓早朝は“無人駅”な状態で、随意にホームに出て列車を待つことになる。少し先の踏切に在る警報機の音がよく聞こえる…
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↑稚内市は鉄道の縁で鹿児島県の枕崎市と交流が在るのだが…ここから枕崎まで、全国の鉄路が始まる場所でもあるかもしれない。そんな様子に関して、画の左側に看板も貼られている。

↓列車が近付いている…
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↓前照灯が眩しい…
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↓定位置に停車した…
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↓出発準備が整い、乗車可能となる…
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↓この辺りで「普通列車」と言えば、こんな感じのキハ54の1輛での運行が専らだ…
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↑キハ54は各車輌で内装(座席配置)が各々少しずつ違う。今日の「512号車」はこういう感じだった…

↓車輛の真中辺りに陣取った…
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↓荷物は適当に棚へ…
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「ここから始まる旅…」という風情が実に好い…

<キマロキ>…:殊に<59601>のこと…(2021.05.15)

恒例化している所用のため、一寸南下している…

南下の際に、名寄で道草をした。名寄では「排雪列車」として1930年代後半から1970年代初頭に運用されていた<キマロキ>と呼び習わされた編成が「そのままの姿」で屋外に展示されている。以前にこれを眺めて非常に好かったことから「何時か再訪…」と長く思っていたのだが、この程漸く実現出来た。

<キマロキ>?キ=機関車、マ=マックレー車、ロ=ロータリー車、キ=機関車という編成を指し示す…

↓こういう具合に編成そのものが静態保存されている…
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機関車でマックレー車というモノを牽引し、線路脇の積雪を崩しながら安全に列車を運行し得る幅を確保する。そして、蒸気機関車と同じ原理で“ロータリー”の機械を動かす関係で「自走は不可能…」というロータリー車を連結し、そのロータリー車で雪を吹き飛ばす。そしてその重量が嵩む編成を後ろから機関車で押す…これが<キマロキ>である。

↓これがマックレー車というモノだ…
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↓大きな羽根のようなモノを広げて、線路脇に堆くなった積雪を崩し、列車の安全運行が叶うように幅を拡げるのである。
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↓これがロータリー車だ…
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↓蒸気機関車と同じような要領で石炭をボイラーに投入し、蒸気機関でロータリーを動かす。故に蒸気機関車のように自力で走行出来る訳でもない車輛だ…
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↓回転する巨大な羽根で雪を巻き込んで吹き飛ばす仕組みになっている…
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↓左のマックレー車で崩した雪を、右のロータリー車で吹き飛ばすということになる。
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↓重たい編成を後ろから押すのはD51形だ…
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名寄は鉄道網の核となった場所で、厳しい冬季にも安全な輸送を確保すべく様々な努力を払う場面でも拠点となっていた。「名寄駅常備」となっていた除雪作業の車輛を、運行可能な機関車と組ませて動かすということをして、軌道の除雪や排雪に努力をしていた。そんな作業に用いた編成「そのもの!」が大切に保存されているのが名寄だ…内陸でもある名寄の周辺は「寒い…雪が多い…」という地域である…

<キマロキ>を出動させようという場面で、恐らくは名寄に在った様々な機関車が登場したであろうが…保存の編成の先頭に在るのは<59601>だ。これは大正時代に登場している9600形の1輛である。

↓何か「半世紀も地元で働いた車輛」として、殊更に大切にされているようにも感じる<59601>だ。
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<59601>には「大10・川船」というプレートも残っている。これは「大正10年に川崎兵庫造船所で製造」という意味だ。

↓こういう具合である…
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↑神戸の工場で製造されて北海道にやって来て、1922年から名寄に配備となり、以降は1971年に蒸気機関車の運用を止めてしまうまで名寄で動き続けていたのだ。

名寄で半世紀働き、引退後に半世紀を経た…<59601>は「100年!」の歴史を有している機関車だ!

↓残念ながら「動態保存」の例が無い9600形であるが、全国で貨物列車等を牽引して活躍した経過が在るという機関車で、こうして視るとなかなかに美しい…
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以前にこれを視て、何やら「力を分けてもらった…」というように感じたのだったが…“再会”が叶って凄く嬉しかった!

鉄道というモノは、苦心して敷設した後にも、多くの関係者が努力して列車の安全運行を確保して来たのだ。そういう「当然と言えば当然の歴史」に想いを至らせてくれるのがこの<キマロキ>だ…

北門神社:稚内のエゾヤマザクラ…(2021.05.14)

↓「桜色の空気」というようにも視える眺めだ…北門神社の境内に在る桜の木を見上げた。
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↓5月8日に「開花」と伝えられた稚内のエゾヤマザクラである。「開花」が伝えられた辺りから、方々の木で順次花が開いて好い状態になって行っているが、ここの木は現在が満開らしい…
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↓「神社の境内」という場所には、桜が酷く似合うかもしれない…
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↓北門神社の境内は「この時季!」が非常に映えると思う…
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↓石段の側へ…石段の下に在るエゾヤマザクラの木も、花が好い感じになっている…
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↓桜を愛でに?参拝に?エゾシカも居た…
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春日大社で「武甕槌命(タケミカヅチ)が神鹿に乗ってやって来た」としているそうだ。鹿は武甕槌命(タケミカヅチ)と関係が深いらしい。

北門神社の祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、武甕槌神(たけみかづちのかみ)、事代主神(ことしろぬしのかみ)ということだ。武甕槌命が祀られている北門神社も鹿に縁?それは聞いていないが…

それでもエゾシカ達は、頻繁に現れている様子だ。

「桜色の空気」を特別にカラーで…

稚内港北防波堤ドーム…(2021.05.14)

↓「明るさ」に誘われて早朝の戸外に出て、稚内港北防波堤ドームを望む辺りへ…
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↓海鳥の様子が長閑で好い…
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↓雲の動きや光の変化が見事に静かな海面に撥ね返っているような感…少し興味深かった。
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海が穏やかな日が多いかもしれない時季だ…