煉瓦造の“塔”(?)…:<合同酒精株式会社 旭川工場>(2021.05.17)

旭川銀座商店街の「店頭に“虎”」の店辺りから、鉄道の高架が視える方角へ進むと「15丁目」、「16丁目」…となって、「18丁目」に至れば旭川四条駅だ。

旭川四条駅辺りの鉄道の高架下を潜って、更に進むと「20丁目」に至る。そこで辺りを見回してみた。

「4条20丁目に酒造会社の敷地に古い煉瓦造の大きな建物が在るのが道路から眺められる」とぼんやりと覚えていたのだ。しかし…らしいモノが見当たらない?

折良くおばちゃんが通り掛かった。

「すみません…」と声を掛け「<合同酒精>の古い建物の視える場所が“4条20丁目”と聞いていたのですが?」と尋ねてみた。

おばちゃんは「あぁ!アレ…それは“南4条”で、ここは“4条”…だからこの道を…随分行くと思うけど、行くと大きな歩道橋が在って、その辺が“南4条”ですよ」と教えてくれた。御礼を言って言われたとおりに進んでみた。

旭川銀座商店街を北上した際と逆順…「四条通」、「三条通」、「二条通」、「一条通」、「宮下通」と進むと…次に「南一条通」、「南二条通」…となっている。古い住所の決め方のようだ…因みに些か西へ行くと、鉄道用地の転用というような事情が在るらしく、「南一条」というようなことでもない別な通の呼称が冠せられていた。そこでこの「南〇条」をよく知らなかった。加えて「4条20丁目に酒造会社の…」とぼんやりしていて「南4条20丁目」というようには記憶していなかった訳だ…

↓道を尋ねた際に教えてくれたおばちゃんが言及したような歩道橋を潜ると、こういう具合に広い酒造会社の敷地が在って、向こうに“塔”のような建物が視えている…
17-05-2021 Asahikawa (23)

↓近付けば、本当に見上げるような建物だ…
17-05-2021 Asahikawa (28)

↓独特な風合いの煉瓦造の“塔”である…
17-05-2021 Asahikawa (27)

↓通の反対側に渡って眺めた。漸く全体の形が判るという大きさだ…
17-05-2021 Asahikawa (34)

この建物が在る<合同酒精株式会社>だが、1924(大正13)年に北海道内の焼酎製造会社4社(神谷酒造株式会社 旭川工場、東洋酒精醸造株式会社、北海道酒類株式会社、北海酒精株式会社)が合併して設立されたのだという。画の煉瓦造の建物は「前身会社」の<神谷酒造株式会社 旭川工場>が1914(大正3)年に建てたものであるという。

↓創建時には相当に目立つ建物であったことであろう…
17-05-2021 Asahikawa (36)

<合同酒精株式会社>は、焼酎や清酒等を製造する大きなグループとなって現在に至っているが、現在の旭川工場での代表的な製品は、北海道産酒米を使う<大雪の蔵>という銘の清酒である…

↓脇の大きなタンクや電柱と比べると、この煉瓦造の“塔”が如何に大きいかが判る…
17-05-2021 Asahikawa (38)

随分と廻り込んで歩いたのだが…旭川駅辺りからであれば、宮下通を東側へ進み、旭川銀座商店街の「14丁目」辺りを通り越し、<高砂酒造>という老舗会社の古風な建物と鉄道高架が視える辺りに出て、高架を潜って「20丁目」に至れば、南側に相当する右手に大きな歩道橋が視え、そちらの方向へ進むと着く…旭川駅辺りへ引揚げる際は、この経路(逆順だが…)を歩いた。

旭川には「酒造の街」という一面が在る。そういう経過を伝えてくれるのだが、「1914(大正3)年竣工の煉瓦造の大きな建物」というだけで一見の価値は在ると思う…

旭川四条駅(あさひかわよじょうえき)…(2021.05.17)

宮下通を背に旭川銀座商店街を北上し、店の前に“虎”を飾っている<三番館>の辺りである四条通(よじょうとおり)に至って右手を向くと鉄道の高架が視える…

↓高架に近寄ると駅が設えられていた…
17-05-2021 Asahikawa (17)

「四条」と書いて…京都では「しじょう」と読む。旭川では「よじょう」と読む。北海道内の街に見受けられる「四条」という地名は「よじょう」と言っていると思う。或いは「京都の四条通」で「よじょう」とでも声が聞こえたら、それは「北海道の人?」という可能性が高いのかもしれない…

↓余計なことを思い出したが、とりあえず駅員が居るべき場所は設えられている。しかし「無人化」されてしまっている…
17-05-2021 Asahikawa (18)
↑旭川四条駅は「旭川駅の北東側の隣」ということになる駅だ…

↓北見や網走の方角へ向かう石北線と名寄や稚内の方角へ向かう宗谷線の列車がこの駅で発着している。
17-05-2021 Asahikawa (19)
↑旭川四条駅を発着するのは、1輛や2輛の普通列車や快速が圧倒的多数で特急列車は通過しているが…それでも稚内駅よりも余程列車の発着は多い…

以前に旭川神社を訪ねようと東旭川駅へ向かった時にここを通ったことを思い出していたが…自身では「列車に乗っていて通り過ぎる」というばかりになっている駅だ。

↓こういう具合に運賃の掲出も在る…
17-05-2021 Asahikawa (20)

↓駅前(?)の歩道に、周辺案内板も据えられていた…
17-05-2021 Asahikawa (21)

時には「通り過ぎるばかり…」という駅の辺りを歩くのも面白い。「車窓で一寸視るばかり…」という風景の中を歩くのが好いのだ…

「めざせ日本一!がんばれ阪神タイガース!」:<三番館>前:旭川銀座商店街(2021.05.17)

↓「何や?コレ?」と思った…旭川銀座商店街を歩いていて、いきなり出くわしたのだ…
17-05-2021 Asahikawa (13)
↑尼崎や西宮のような阪神電車の沿線でもない、遠い北海道の旭川に在る古い感じの商店街でこんな幟を視て驚いた…<旭川愛虎会>?

↓序にこういうモノまで出て来て更に驚いた…
17-05-2021 Asahikawa (14)
↑親子の虎…虎縞のマスクまでしている…

これは<三番館>という店の前だった。衣料品や雑貨を商っている店と見受けられた…

↓店の入口に「招き猫」でもなく「招き虎(?)」が据えられていて笑った…
17-05-2021 Asahikawa (15)

多分…店主氏が熱心なタイガースファンなのであろう。自身も<甲子園歴史館>という資料館が在る甲子園球場を訪ねてみたことが在ったので、阪神タイガースには少し親しみを感じないでもないが…それにしてもこの「店の看板」のように「虎」を据えている様子は驚いた…

ところで…今季のここまでの様子では、阪神タイガースは絶好調であるようだから、この<三番館>の店主氏も御機嫌であろう…

七福神…:旭川銀座商店街(2021.05.17)

旭川駅の東改札口の側から外に出て、そのまま東側へ進んでみる…

駅の北側の真前に相当する通が「宮下通」だ。北上すると「一条通」、「二条通」…と“数字”が増える。そして東側へドンドン歩くと「10丁目」、「11丁目」…と数字が増える…

「14丁目」と「15丁目」との間に至ると…

↓南から北へ延びる通が「(恒久的)歩行者天国」の構造になっていて、何やら不思議なモノが現れる…
17-05-2021 Asahikawa (5)

↓七福神!?
17-05-2021 Asahikawa (6)

↓何時頃から在るのか?何か「北海道土産の木彫りの人形?」というアレンジになった七福神だ…
17-05-2021 Asahikawa (7)

↓「(恒久的)歩行者天国」の真中に傷んでしまった木が?
17-05-2021 Asahikawa (8)

↓弁財天が祀られている…
17-05-2021 Asahikawa (9)

弁財天?商売関係?ここは<買物公園>に次ぐ形で「(恒久的)歩行者天国」に設えた商店街で<旭川銀座商店街>という場所だ。

↓ほんの少し進んだ辺りにも木が在った…
17-05-2021 Asahikawa (12)

<旭川銀座商店街>?北上して「三条通」辺りに出ると、営業している店が目立った…「四条通」…これは「しじょう」ではなく「よじょう」と呼ぶが、その辺りまで歩いた。

↓こういう可愛らしい七福神も鎮座していた…
17-05-2021 Asahikawa (16)

何となく不思議な感じの場所だ…

チューリップ…:雨交じりの朝、庭の片隅にて…(2021 05.17)

恒例化している所用の関係で、“居候所”(“実家”とも言う…)で夜を明かした。

前夜まで、雨が断続する中でやや風も強かった。その風は落着いたが、辺りを湿らせる雨が交り続けている静かな朝だった。

↓庭の片隅にチューリップが咲いていた…
17-05-2021 Sapporo in a rainy morning.. (2)

丁寧に植えたというのでもなく、少し雑然とはしていた。何時、どういう想いで植えたのだったかが不明確になっているような、「球根の多年草をそのままに…」という状態だった…

↓一部、多少傾いて咲いていたが、雨の雫で湿っている風情が好かった…
17-05-2021 Sapporo in a rainy morning.. (5)

↓既に盛りを過ぎた花も見受けられた…
17-05-2021 Sapporo in a rainy morning.. (1)

↓チューリップが咲いている様子…偶々この場所では長く視ていなかった…何か艶やかで好いと思った。
17-05-2021 Sapporo in a rainy morning.. (4)

時にはこういう程度に辺りの花を愛でる…好いことかも知れない…

旧旭川偕行社=中原悌二郎記念 旭川市彫刻美術館…(2021.05.15)

旭川駅からバスに乗車してみる…

旭川の路線バスは市内や近郊の広い地域に張り巡らされている。様々な運行系統で、各々の頻度でバス便が運行されている。

旭川駅の北寄りな辺りは「X条X丁目」という住所なのだが、少し離れると「〇〇X条X丁目」、「〇〇X丁目」という住所になる。その住所がバス停の名になっているか、辺りのランドマークになっているようなモノの名を冠して「〇〇前」という具合になっている。

というのは別段に特殊でもないと思うのだが…バスが走り続ける中で「〇〇X条X丁目」が現れ、程無く「△△X条X丁目」、更に「□□X条X丁目」と切り替わって行く様子が見受けられる。「X条X丁目」となる「碁盤の目」的な道路を設えた地区が幾つも折り重なっているような按配に街が拡大したのだろうか?些か不慣れな状態で動いていれば、そのうちに方角や位置関係が判り悪くなってしまうかもしれない…

今般、街の北寄りの「春光」(しゅんこう)という地区をバスに乗って訪れてみた。

↓この建物を是非とも拝見したかったのだ!
15-05-2021 at Asahikawa (25)
↑収蔵する彫刻を展示する場…<中原悌二郎記念 旭川市彫刻美術館>ということだが、建物は<旭川偕行社>として1902(明治35)年に登場した。

<偕行社>というのは帝国陸軍の将校准士官の親睦・互助・学術研究組織として設けられたもので、各地に将校倶楽部、或いは迎賓館的な機能を持つ会館を建てていた。陸軍の師団司令部が設置されていた都市等で、その会館の建物が伝えられている例が見受けられる。(因みに現在でも<公益財団法人偕行社>という、旧軍関係者や陸上・航空自衛隊OBの親睦団体として活動が在る。)

旭川は師団司令部を擁していて「軍都旭川」とも呼ばれていたそうだ。そういう土地柄、将校の親睦ということで<偕行社>の会館が登場した訳だ。

↓美術館の入場券を求めて館内に入り、中を見学した…
15-05-2021 at Asahikawa (11)

「彫刻作品を写真に撮ってネット上で公開するようなことは御遠慮願う」ということだが、フラッシュを使わずに写真を撮ることは差し支えないということになっていた。

↓入ると真中なのだが、真中から脇を視ると、廊下が在って展示場等になっている部屋が設えられている。色々な用途に用いられた部屋なのだろう…
15-05-2021 at Asahikawa (9)

↓「明治時代の洋館」という趣深い設えの階段だ…
15-05-2021 at Asahikawa (12)

↓2階を見上げた。奥は広々とした場所だった。恐らく大きな各種集会に使ったような場所なのだと見受けられた…
15-05-2021 at Asahikawa (15)

↓上った階段を振り返った…
15-05-2021 at Asahikawa (16)

↓2階の広々とした部屋の奥の窓…外で建物を見上げる場合に、真中辺りに突き出しているように視える場所だ。
15-05-2021 at Asahikawa (17)

↓暫しこの雰囲気を愉しんだ…
15-05-2021 at Asahikawa (20)

↓この場所で?色々な出来事も在ったのか?色々と思いながら眺めていた…
15-05-2021 at Asahikawa (22)

戦後この施設は米軍が利用した経過も在ったようだが、長く空いていて荒廃してしまった。そして北海道と旭川市とで1968(昭和43)年に復元工事を行った。その後、郷土博物館として利用されていて、1994(平成6)年からは彫刻美術館として利用されている。

↓文化財にも指定されている建物を利用した美術館…或いは「建物そのもの」が重要な展示品であるようにも思う。
15-05-2021 at Asahikawa (4)

この<中原悌二郎記念 旭川市彫刻美術館>は<春光園>というバス停の直ぐ傍だ。近所の子ども達が遊んでいる様子も見受けられるような公園の傍で、バス停の周辺で建物の威容も視える。幾つかの運行系統が在るようで、旭川駅との往復に際して、往路と復路とで別な経路を走るバスに乗った。往路は220円で、復路は240円だった。こういうような、立寄っている街でバスに乗って何処かを訪ねるというのも「極々小さな旅」という気分で愉しい…

名寄神社…(2021.05.15)

稚内・旭川間の乗車券を手に早朝の普通列車に乗車する。

この列車は「名寄行」である。当然ながら名寄駅に至る。その先の名寄から旭川まで、普通列車に乗り継ぐとすれば?1時間少々の待ち時間が生じる。

この1時間少々の待ち時間の間に、稚内から旭川へ南下する特急列車が運行されている。旭川以遠へ普通列車を更に乗り継ぐのであれば、この特急列車を利用するのが好いかもしれないが…今般は「1時間少々の待ち時間」の間、名寄での散策を愉しむことにした。

<キマロキ>と呼ばれた、冬季に鉄路での排雪作業に従事した蒸気機関車を含む編成が静態保存されている場所が名寄駅近くに在る。名寄駅を背に左側へ進み、鉄道を跨ぐような具合、橋のようになった道路へ入る。橋を通り抜けた辺りが公園になっていて<北国博物館>という看板が在るので、そちらへ進めば<キマロキ>と会うことが出来る訳だ。(雪深い冬季は、傷まないように確りと覆いを掛ける。雪が降り始める前の10月後半に覆いを掛け、4月下旬に覆いを外す。概ね「5月から10月に眺めに行く…」という感じになると思う…)

「前置き」のようなモノが諄くなってしまったが…その<キマロキ>を眺めに行くべく歩き廻った時…

↓こんな様子に出遭って凄く惹かれた…
15-05-2021 at Nayoro (1)
↑緑を背景に花という按配…凄く美しいと思った。<キマロキ>を眺めてから名寄駅へ戻る前、ここに寄ってみることにした。

↓なかなかに雰囲気が好い…
15-05-2021 at Nayoro (2)

名寄辺りは山形県や富山県からの入植者が多かったようだが、明治30年代に神社が創祀と伝わるそうだ。大正6(1917)年、正式に<名寄神社>ということになったという。

↓無事に動き回っていることに感謝…という按配で参拝した。
15-05-2021 at Nayoro (3)

「桜の盛り」は既に過ぎていたそうだが、それでも<名寄神社>と刻まれた石柱の脇に視られた花が酷く好かった。これも「導き」というようなことであろうか?<名寄神社>も想い出の社ということになった。