「極々短い散策ということだが…“涼む”ということになるであろうか?」というのと「涼みたいから極々短い散策とでも称して戸外へ少々…」という両者は、「やっていること」に何らの差異も無い。しかし「涼みたいから極々短い散策とでも称して戸外へ少々…」と「考えたという事柄自体」が当地での暮らしの中では「ニュース!?」のようなモノなのかもしれない。そんなことを想う、7月最終日にして休日という朝である。
「短い睡眠と覚醒、覚醒した際の暑さによる不快感」の“不快感”に「何やら酷く汗をかいてしまっている…」というのが加わってしまった。とりあえずタオルを出して汗を拭う。そんなことをしていた。そういう流れで、「涼みたいから極々短い散策とでも称して戸外へ少々…」と、半袖Tシャツにジーンズ穿きで、首に汗を拭うタオルを何となく巻いて、途中の自販機で水のペットボトルまで御丁寧に求めて海岸を歩いてみた。
↓「暗い…」とも思い悪い他方、何やら雲が多いようにも視えるという状況…早朝には多目な状況のような気もする…
↓何か「描き込んだ?」とでもいうような雲が拡がっているように視えた。こういう様子を眺めること自体は嫌いではない…
↓この沿岸の様子、稚内港北防波堤ドームに加えて沿岸部の建物の姿も視える感じが、「半ば街並みで、半ば自然景観」という具合の、この地点らしい感じで酷く気に入っている…
↓こういうような様子を眺め入って、漫然と過ごす早朝の一時…嫌いではない…
↓些か雲が多い状況で、日出時刻を過ぎたような辺りにも、朝陽が上る姿は視えなかった…
こんな静かな早朝の後…何から「“暑い…”が挨拶代わりになる様子の一日…」は淡々と展開する…とりあえず、「隊長の維持には留意…」という昨今だ…
<MATSUSHIMA>(マツシマ)…:稚内港中央埠頭(2021.07.29)
↓3月に稚内港にやって来た船が、暫く振りに稚内港にやって来た…
↑当地の感覚では「過ぎる程度に…」という「夏らしい!」陽射しに海面が輝く中、船は中央埠頭への接岸に向けてゆっくりと進んでいた。
早朝に待機中の船を偶々視ていたが、この船であったようだ。
↓船が接岸する場面は「何となく画になる…」と何度視ても思う…
↓前日の夕刻にサハリンのコルサコフ港を発ち、稚内沖で待機して入港した船は、稚内に積んで来たモノを下ろし、稚内からモノを積み込んで午後にはコルサコフ港へ向けて発つ…
↓予定どおりに荷役作業が進められた…
船に「安全第一」の文字が視える。これは日本国内で運用されていた船を改装し、サハリンへ廻航してサハリンの会社が運用している関係で、こういう文字が残っているということのようである…
↓時々現れるこういう船を視るのは興味深い…
「中央埠頭に貨物船が入る」という話しを聞けば、「何やら寒い時季」ということを連想してしまうのだが、今般は「視に行くなら、陽射しがキツいから注意…」という話しになった「やや珍しい?」という事例だった。
↑当地の感覚では「過ぎる程度に…」という「夏らしい!」陽射しに海面が輝く中、船は中央埠頭への接岸に向けてゆっくりと進んでいた。
早朝に待機中の船を偶々視ていたが、この船であったようだ。
↓船が接岸する場面は「何となく画になる…」と何度視ても思う…
↓前日の夕刻にサハリンのコルサコフ港を発ち、稚内沖で待機して入港した船は、稚内に積んで来たモノを下ろし、稚内からモノを積み込んで午後にはコルサコフ港へ向けて発つ…
↓予定どおりに荷役作業が進められた…
船に「安全第一」の文字が視える。これは日本国内で運用されていた船を改装し、サハリンへ廻航してサハリンの会社が運用している関係で、こういう文字が残っているということのようである…
↓時々現れるこういう船を視るのは興味深い…
「中央埠頭に貨物船が入る」という話しを聞けば、「何やら寒い時季」ということを連想してしまうのだが、今般は「視に行くなら、陽射しがキツいから注意…」という話しになった「やや珍しい?」という事例だった。
「旅って、 こういう場所に 行くことだと思う。」…(2021.07.29)
稚内港北防波堤ドーム:稚内港中央埠頭から望む…(2021.07.29)
海月…(2021.07.29)
メッシュキャップ…(2021.07.24)
昨年、神戸でキャップを求めたという経過が在った。
↓「稚内が妙に暑い…」という今季、神戸で求めたキャップの出番が些か増えている…
↑コインランドリーを利用した際、何となく写真に収めてしまった…
夏季に確りした帽子を被ると暑い…それも辛い…が、陽射しを除ける意味で、帽子が有効な場合も在る…
↓「強い陽射しから頭や顔を護る」という意味で有効なキャップだが、こうして視れば、なかなかに強めな陽射しを受けていることに驚く…
例年、この種の「夏用」の出番は然程多くないが、今季は随分と御世話になっている…
↓「稚内が妙に暑い…」という今季、神戸で求めたキャップの出番が些か増えている…
↑コインランドリーを利用した際、何となく写真に収めてしまった…
夏季に確りした帽子を被ると暑い…それも辛い…が、陽射しを除ける意味で、帽子が有効な場合も在る…
↓「強い陽射しから頭や顔を護る」という意味で有効なキャップだが、こうして視れば、なかなかに強めな陽射しを受けていることに驚く…
例年、この種の「夏用」の出番は然程多くないが、今季は随分と御世話になっている…
稚内港北防波堤ドーム…(2021.07.29)
何やら「暑い…」が“挨拶代わり”になる状態が続いている。そういう状況になる日は、時には在る。が、続くのはやや珍しい。更に、日中に30℃を伺う状況が連発するのも、稚内ではやや珍しい。
そういう日々の中、夜中に眼を開けて、温く少々湿った空気が居室内に籠ることで若干の不快感を禁じ得ずに窓を開け、また浅く休んで早朝に起き出すような状況も少々続いている。そして「極々短い散策」と戸外に出るが、最近は「少々涼みに…」という意識も交わる。
↓前日日中から大きく気温が下らないような感じで、微弱な風もやや温い。穏やかな早朝だ…
↓画の左端…宗谷丘陵を背後に、何やら船が停泊しているらしい。
↓今朝は「かなり明るい!」という按配だった…
↓霧や雲の影響が感じられないような天の感じ…少し暫くぶりであったかもしれない…
↓午前4時を過ぎた頃、画の左側で少し強めな光が滲む感であった…
↓船が停泊している辺りの向こうに、上がる朝陽の姿が視えた…
光が静かに解き放たれた…その後も陽射しは少し強烈だ。朝7時を前に早くも25℃を超えている様子が察せられる。稚内では「些かの違和感…」を禁じ得ない感でさえあるかもしれない。「暑い…」が“挨拶代わり”になる状態が続きそうだ。戸外で動く場合には、陽射しを除ける、夏用のキャップを被るのが賢明である気がする…
そういう日々の中、夜中に眼を開けて、温く少々湿った空気が居室内に籠ることで若干の不快感を禁じ得ずに窓を開け、また浅く休んで早朝に起き出すような状況も少々続いている。そして「極々短い散策」と戸外に出るが、最近は「少々涼みに…」という意識も交わる。
↓前日日中から大きく気温が下らないような感じで、微弱な風もやや温い。穏やかな早朝だ…
↓画の左端…宗谷丘陵を背後に、何やら船が停泊しているらしい。
↓今朝は「かなり明るい!」という按配だった…
↓霧や雲の影響が感じられないような天の感じ…少し暫くぶりであったかもしれない…
↓午前4時を過ぎた頃、画の左側で少し強めな光が滲む感であった…
↓船が停泊している辺りの向こうに、上がる朝陽の姿が視えた…
光が静かに解き放たれた…その後も陽射しは少し強烈だ。朝7時を前に早くも25℃を超えている様子が察せられる。稚内では「些かの違和感…」を禁じ得ない感でさえあるかもしれない。「暑い…」が“挨拶代わり”になる状態が続きそうだ。戸外で動く場合には、陽射しを除ける、夏用のキャップを被るのが賢明である気がする…
稚内港北防波堤ドーム…(2021.07.28)
前日朝の「俄かな濃い霧で薄暗く…」という状況には少し驚かされたが、午前中で霧が晴れ、少しずつ陽が高くなる中、このところ続く「“暑い”が挨拶代わりな一日」になっていた。
その「晴れた暑い一日」が暮れて、早朝に至るまで晴天傾向が続いたようだった…
↓前日朝の「俄かな濃い霧…」という様子は全く見受けられない早朝だ…
↓明るめな天に雲が些か散る感だった…
↓やがて雲が流れ込んだ…
タンブラーに注いで「連れ出す」ようにした珈琲を啜りながら、少々様子を視ていた。22℃、23℃で風は微弱な感で、そうしているのが少し心地好い程度の状況だった。
↓流れ込む雲は多目だった…
↓明確に光が解き放たれるのでもない…と言って暗くもない…そんな様子だった…
やがて画に在る雲が流れ去って朝陽が高くなると、「朝から強めな陽射し…」という様子だ。何やら「“暑い”が挨拶代わりな一日」が更に続きそうな感である…
その「晴れた暑い一日」が暮れて、早朝に至るまで晴天傾向が続いたようだった…
↓前日朝の「俄かな濃い霧…」という様子は全く見受けられない早朝だ…
↓明るめな天に雲が些か散る感だった…
↓やがて雲が流れ込んだ…
タンブラーに注いで「連れ出す」ようにした珈琲を啜りながら、少々様子を視ていた。22℃、23℃で風は微弱な感で、そうしているのが少し心地好い程度の状況だった。
↓流れ込む雲は多目だった…
↓明確に光が解き放たれるのでもない…と言って暗くもない…そんな様子だった…
やがて画に在る雲が流れ去って朝陽が高くなると、「朝から強めな陽射し…」という様子だ。何やら「“暑い”が挨拶代わりな一日」が更に続きそうな感である…
船上から望んだ稚内港北防波堤ドーム…(2021.07.22)
利尻富士を望むという時間帯も在った航海で、礼文島の香深港から稚内港を目指した。
いよいよ稚内港到着が近付けば、車輛を積載した乗客に対して車輛甲板で待機するように案内の放送が流れ、下船口の案内も為される。何時でも下船可能な態勢で、甲板に佇み、近付く稚内港を眺める。
↓気に入っている船上からの眺め…稚内港北防波堤ドームである。
↑70本の柱が据えられているというが、こうして眺めると壮観だ…
時には船に乗り、海から稚内港を眺めるのも悪くはない…
いよいよ稚内港到着が近付けば、車輛を積載した乗客に対して車輛甲板で待機するように案内の放送が流れ、下船口の案内も為される。何時でも下船可能な態勢で、甲板に佇み、近付く稚内港を眺める。
↓気に入っている船上からの眺め…稚内港北防波堤ドームである。
↑70本の柱が据えられているというが、こうして眺めると壮観だ…
時には船に乗り、海から稚内港を眺めるのも悪くはない…
稚内港北防波堤ドーム…(2021.07.27)
早目に眠って、早目に起き出すのは“常態化”してはいるが、最近は「寧ろ深夜」に眼が開き、軽く汗を拭って玄関前の戸外で「涼む」という場合も生じる。居室内に多少湿って温くなった空気が篭るという状況が発生している。
早目に起き出して「極々短い散策」と称して戸外を一寸歩くことも“常態化”してしまっているが、その際に「涼みに出る…」という意識がもたげるのは些か珍しいのかもしれない。
こういうことを話題にすると、何やら大袈裟に聞こえるかもしれないが…所詮、日中に「30℃!?」という程度で、早朝は20℃かそれを少し超える程度なのだが…
↓低空の雲が厚めで多いような気がしないでもないが、寧ろ明るいという早朝の様子だった…
↓タンブラーに注いで「連れ出す…」というように持ち出した珈琲を啜り、流れる雲や刻々と変わる光の様を眺めていた…
↓薄い霧が発生していた…
↓霧は俄かにドンドン濃くなって行った…
↓画の右側に視える筈の、12階建ての建物が姿を霧の中に隠してしまった…
↓濃い霧で、辺りは寧ろ「薄暗い…」という感じになってしまった…
非常に不思議な様子に出くわした。濃い霧が晴れるのは?少し時間を要するのであろうか?何かこの夏は、昨季とは少し勝手が異なるような気もしている…
早目に起き出して「極々短い散策」と称して戸外を一寸歩くことも“常態化”してしまっているが、その際に「涼みに出る…」という意識がもたげるのは些か珍しいのかもしれない。
こういうことを話題にすると、何やら大袈裟に聞こえるかもしれないが…所詮、日中に「30℃!?」という程度で、早朝は20℃かそれを少し超える程度なのだが…
↓低空の雲が厚めで多いような気がしないでもないが、寧ろ明るいという早朝の様子だった…
↓タンブラーに注いで「連れ出す…」というように持ち出した珈琲を啜り、流れる雲や刻々と変わる光の様を眺めていた…
↓薄い霧が発生していた…
↓霧は俄かにドンドン濃くなって行った…
↓画の右側に視える筈の、12階建ての建物が姿を霧の中に隠してしまった…
↓濃い霧で、辺りは寧ろ「薄暗い…」という感じになってしまった…
非常に不思議な様子に出くわした。濃い霧が晴れるのは?少し時間を要するのであろうか?何かこの夏は、昨季とは少し勝手が異なるような気もしている…
利尻富士を望む…:香深港からの航海(2021.07.22)
「礼文島から望む利尻富士」の観望地点として知られる<北のカナリアパーク>へ立寄ったが、残念ながら利尻富士は視えなかった。「微妙な天候」ということだった訳だ。
と言って、往路の船上で利尻富士を望むことは叶い、上陸した礼文島で「一寸した遠足」を愉しみ、運好くレブンウスユキソウに邂逅も叶ったのである。温泉を利用してサッパリして、昼食を摂って、弾むような気分で復路の船に乗り込んだ。
船内では「本当の“思い付き”で出てみて善かった!」という想いで長閑に過ごしていた。「それにしても…好い汗をかいた…」という程度にも考えていて、船室内を歩き廻るか座っているか、または甲板に出て海を眺めるという具合に過ごした。
↓少し霞んだ状況ながら、利尻富士の姿が視えた!
↓礼文沖の海上で眺める利尻富士…好い感じだ!
↓暫し甲板でこの利尻富士を眺めて愉しんだ…
礼文島では利尻富士は視えなかった。他方で往路の船上、加えて復路の船上で望むことが叶った。復路の船上で利尻富士を望んだ時には「きっとまた、何度でも観に来い!」と利尻富士に見送って頂いたような気分になった。
稚内に在って、距離が然程でもなくとも礼文島や利尻島は「余り行かない?」という場所かもしれない。が、何処か遠方に出て行くよりも「訪ね易い?」かもしれない。今般、「一寸した遠足」と称して礼文島に上陸してみたのは、少し前の利尻島と合わせて「好い出遭い」であったかもしれない。
と言って、往路の船上で利尻富士を望むことは叶い、上陸した礼文島で「一寸した遠足」を愉しみ、運好くレブンウスユキソウに邂逅も叶ったのである。温泉を利用してサッパリして、昼食を摂って、弾むような気分で復路の船に乗り込んだ。
船内では「本当の“思い付き”で出てみて善かった!」という想いで長閑に過ごしていた。「それにしても…好い汗をかいた…」という程度にも考えていて、船室内を歩き廻るか座っているか、または甲板に出て海を眺めるという具合に過ごした。
↓少し霞んだ状況ながら、利尻富士の姿が視えた!
↓礼文沖の海上で眺める利尻富士…好い感じだ!
↓暫し甲板でこの利尻富士を眺めて愉しんだ…
礼文島では利尻富士は視えなかった。他方で往路の船上、加えて復路の船上で望むことが叶った。復路の船上で利尻富士を望んだ時には「きっとまた、何度でも観に来い!」と利尻富士に見送って頂いたような気分になった。
稚内に在って、距離が然程でもなくとも礼文島や利尻島は「余り行かない?」という場所かもしれない。が、何処か遠方に出て行くよりも「訪ね易い?」かもしれない。今般、「一寸した遠足」と称して礼文島に上陸してみたのは、少し前の利尻島と合わせて「好い出遭い」であったかもしれない。
稚内港北防波堤ドーム…(2021.07.26)
早朝に起き出して「極々短い散策」と称して戸外に出るということ自体、特段に何か特別な事情が在るのでもない。が、そうして出る際に「涼む…」という意識が頭をもたげるのは少々珍しいかもしれない。
↓やや温く少し湿った空気が篭っている居室から戸外に出て、こういう様子を眺めに出てみるということをすれば、何やら「適温に巧く調整された室内」に入るようで、少し心地好かった…
↓正面に視える東寄りな側が霧に覆われているようだ。好天な夏の朝には比較的多い状況かもしれない…
↓光が程々に封じ込められてしまっているような感でありながら、遠くが霧に包まれているような天の様子は短い時間に色々な表情を見せるような気がする…
↓何か「静かでゆったりとした時間」が淡々と流れているというように感じる早朝だった…
こういう「光が解き放たれない…」という早朝を経て、朝陽が高くなる頃には「夏らしさが溢れる晴天」という様相になって行った…
↓やや温く少し湿った空気が篭っている居室から戸外に出て、こういう様子を眺めに出てみるということをすれば、何やら「適温に巧く調整された室内」に入るようで、少し心地好かった…
↓正面に視える東寄りな側が霧に覆われているようだ。好天な夏の朝には比較的多い状況かもしれない…
↓光が程々に封じ込められてしまっているような感でありながら、遠くが霧に包まれているような天の様子は短い時間に色々な表情を見せるような気がする…
↓何か「静かでゆったりとした時間」が淡々と流れているというように感じる早朝だった…
こういう「光が解き放たれない…」という早朝を経て、朝陽が高くなる頃には「夏らしさが溢れる晴天」という様相になって行った…
<ちゃんちゃん焼き(鮭)>…(2021.07.26)
<米軍エッグバーガー>…(2021.07.25)
休日の昼食時間帯…何か頂こうと近所に出てみる…
↓久し振りに立寄った店で、久し振りに頂いてみたメニューだ…
↓かなり大きなハンバーガーなので、フォークとナイフで切って頂くことにした…
↑レタス、トマト、目玉焼き、ハンバーグのボリュームたっぷりなハンバーガーだ!奇を衒うのでもない、シンプルで美味いのが好い!!
実は稚内には米軍施設が在った。ノシャップの辺りとなる。1945(昭和20)年から1972(昭和47)年のことで、実質的には1970(昭和45)年頃まで、米軍関係者が市内に見受けられたという。昭和30年代から昭和40年代に子ども時代を過ごしたような諸先輩によれば、当時は未だやや珍しかったコーラが在ったり、余り視ない米国のモノが在って興味深かったということも在ったようだ。
そういう経過で「米国流の料理等」も一部に伝わった。立寄った御近所の御店は長い経過を有していて、その米軍施設から伝えられた「米国流のハンバーガー」というモノを供して、店主が代替わりしても受継がれているのだという。
↓そういう故事に因んで<ノシャップ米軍バーガー>と命名されている。ベースになるハンバーガー、チーズバーガー、そしてエッグバーガーが在る。
この<ノシャップ米軍バーガー>を供している御店は「一寸知られた店」で、来訪者が多目な時季のランチタイムはなかなかに混み合う場合も見受けられる。今般、何となく入って久し振りにこれを頂くことが叶ったのは善かった…
↓久し振りに立寄った店で、久し振りに頂いてみたメニューだ…
↓かなり大きなハンバーガーなので、フォークとナイフで切って頂くことにした…
↑レタス、トマト、目玉焼き、ハンバーグのボリュームたっぷりなハンバーガーだ!奇を衒うのでもない、シンプルで美味いのが好い!!
実は稚内には米軍施設が在った。ノシャップの辺りとなる。1945(昭和20)年から1972(昭和47)年のことで、実質的には1970(昭和45)年頃まで、米軍関係者が市内に見受けられたという。昭和30年代から昭和40年代に子ども時代を過ごしたような諸先輩によれば、当時は未だやや珍しかったコーラが在ったり、余り視ない米国のモノが在って興味深かったということも在ったようだ。
そういう経過で「米国流の料理等」も一部に伝わった。立寄った御近所の御店は長い経過を有していて、その米軍施設から伝えられた「米国流のハンバーガー」というモノを供して、店主が代替わりしても受継がれているのだという。
↓そういう故事に因んで<ノシャップ米軍バーガー>と命名されている。ベースになるハンバーガー、チーズバーガー、そしてエッグバーガーが在る。
この<ノシャップ米軍バーガー>を供している御店は「一寸知られた店」で、来訪者が多目な時季のランチタイムはなかなかに混み合う場合も見受けられる。今般、何となく入って久し振りにこれを頂くことが叶ったのは善かった…
塩ラーメン…(2021.07.22)
<うすゆきの湯>を気持ち好く利用し、汗で酷く濡れていたTシャツも新なモノに替え、酷くサッパリしていたが…そうなると「空腹感」が頭をもたげる…
↓フェリーターミナルへ向かい、乗船までの間隙に食事を摂った…
↑本当に「オーソドックスな感じ…」の塩ラーメンである…
フェリーターミナルの2階には、寿司店を起源とする大きな食堂が在る。色々なメニューを愉しむことが出来る。そして乗船待ちの時間には酷く便利だ…
↓こういう結果になってしまう…
↑ラーメンの丼に「寿し」と在るのが少し興味深い…
時にはこういうランチ―この日は朝食も兼ねてしまっていたが…―も悪くはない…
↓フェリーターミナルへ向かい、乗船までの間隙に食事を摂った…
↑本当に「オーソドックスな感じ…」の塩ラーメンである…
フェリーターミナルの2階には、寿司店を起源とする大きな食堂が在る。色々なメニューを愉しむことが出来る。そして乗船待ちの時間には酷く便利だ…
↓こういう結果になってしまう…
↑ラーメンの丼に「寿し」と在るのが少し興味深い…
時にはこういうランチ―この日は朝食も兼ねてしまっていたが…―も悪くはない…
<礼文島温泉 うすゆきの湯>…(2021.07.22)
「一寸した遠足」と称して随分と礼文島内を歩いた。
「礼文島鎮守」という神社に立寄ってから歩き、桃岩を望み、レブンウスユキソウに出遭い、<北のカナリアパーク>に立寄り、路線バスを利用して香深港フェリーターミナルの辺りに至った。
↓香深港フェリーターミナルから歩いて数分、「直ぐ近く」にこういう施設が在って立寄った…
↓昼食の時間に差し掛かっているような午後12時半になる前の時間帯に着いたが、丁度開館したような頃合いだ…
↑<礼文島温泉 うすゆきの湯>という施設名…レブンウスユキソウに因むものであるようだ。
午後2時台に稚内へ向かうフェリーが出航する。昼食以上に、「一寸した遠足」で酷く汗をかいたので、サッパリとしたかった。
<礼文島温泉 うすゆきの湯>だが、各地で見受けられる「日帰り入浴施設」という感じで、気軽に利用出来る感じである。各種浴槽やサウナが設えられている。時にこういう施設を利用するのは好い…
↓実はこの施設に足を運ぶ直前、フェリーターミナル辺りの店でTシャツを求めていた。「一寸した遠足」と称して歩いた中、「着衣で海にでも飛び込んだのか?!」という程度に着ていたTシャツが汗で濡れたのだ…
↑入浴後にこれに替えてサッパリである…
↓出入口辺りに礼文島の観光ポスターが掲出されていた…
訪ねた先で、この種の施設を一寸利用するというのも意外に好きで、そして記憶に残る…
「礼文島鎮守」という神社に立寄ってから歩き、桃岩を望み、レブンウスユキソウに出遭い、<北のカナリアパーク>に立寄り、路線バスを利用して香深港フェリーターミナルの辺りに至った。
↓香深港フェリーターミナルから歩いて数分、「直ぐ近く」にこういう施設が在って立寄った…
↓昼食の時間に差し掛かっているような午後12時半になる前の時間帯に着いたが、丁度開館したような頃合いだ…
↑<礼文島温泉 うすゆきの湯>という施設名…レブンウスユキソウに因むものであるようだ。
午後2時台に稚内へ向かうフェリーが出航する。昼食以上に、「一寸した遠足」で酷く汗をかいたので、サッパリとしたかった。
<礼文島温泉 うすゆきの湯>だが、各地で見受けられる「日帰り入浴施設」という感じで、気軽に利用出来る感じである。各種浴槽やサウナが設えられている。時にこういう施設を利用するのは好い…
↓実はこの施設に足を運ぶ直前、フェリーターミナル辺りの店でTシャツを求めていた。「一寸した遠足」と称して歩いた中、「着衣で海にでも飛び込んだのか?!」という程度に着ていたTシャツが汗で濡れたのだ…
↑入浴後にこれに替えてサッパリである…
↓出入口辺りに礼文島の観光ポスターが掲出されていた…
訪ねた先で、この種の施設を一寸利用するというのも意外に好きで、そして記憶に残る…
カスベの竜田揚げ…
差閉(さしとじ)にて…(2021.07.22)
<北のカナリアパーク>に至り、「第2差閉」というバス停が近いと判って足を運び、何となく辺りの様子を眺めながら、香深港フェリーターミナルへ向かうバスを待っていた。バスを待ちながら辺りの様子を少々眺めながら歩いた…
↓昆布の天日干しという様子が見受けられた…
考えてみれば、北海道の北側、沿岸部の現在に至っても続く集落は、古く江戸時代辺りから昆布の採捕を生業にしていたような経過も在る訳で、「営々と何世紀も続く人々の営み」に想いが廻った。
↓土産のTシャツにまで、昆布を採捕する様子をイメージしたイラストが入っている…
このTシャツに関しては、鎮守に詣でた足で桃岩を望み、更にレブンウスユキソウに邂逅という得難い経験をしたという「一寸した遠足…」で余りにも酷く汗をかき、何やら「着衣でプールに飛び込んだ?!」という程度に来ていたモノが汗で濡れたことを受け、フェリーターミナル近隣の土産物の店で求めたのだった…稚内へ引揚げる際、さり気なくこの新しいTシャツに着替えた…
↓沿岸部にはこういう建物が見受けられた…何やら年季が入って、少し風情が在る外観だ…
↑漁業関係の資材を置く場所、そして関係者が一寸滞在する場所ということになる“番屋”の流れを汲む建物なのであろう…何か「北海道内の少し古い木造建築」という風情が溢れ、少々見入ってしまった…
今般「何となく行ってしまった…」という具合に礼文島に上陸したが、こういう「さり気ない眺め」もなかなかに好かったので、早くも「そのうちに再訪…」というようなアイディアが頭の中に渦巻いている…
↓昆布の天日干しという様子が見受けられた…
考えてみれば、北海道の北側、沿岸部の現在に至っても続く集落は、古く江戸時代辺りから昆布の採捕を生業にしていたような経過も在る訳で、「営々と何世紀も続く人々の営み」に想いが廻った。
↓土産のTシャツにまで、昆布を採捕する様子をイメージしたイラストが入っている…
このTシャツに関しては、鎮守に詣でた足で桃岩を望み、更にレブンウスユキソウに邂逅という得難い経験をしたという「一寸した遠足…」で余りにも酷く汗をかき、何やら「着衣でプールに飛び込んだ?!」という程度に来ていたモノが汗で濡れたことを受け、フェリーターミナル近隣の土産物の店で求めたのだった…稚内へ引揚げる際、さり気なくこの新しいTシャツに着替えた…
↓沿岸部にはこういう建物が見受けられた…何やら年季が入って、少し風情が在る外観だ…
↑漁業関係の資材を置く場所、そして関係者が一寸滞在する場所ということになる“番屋”の流れを汲む建物なのであろう…何か「北海道内の少し古い木造建築」という風情が溢れ、少々見入ってしまった…
今般「何となく行ってしまった…」という具合に礼文島に上陸したが、こういう「さり気ない眺め」もなかなかに好かったので、早くも「そのうちに再訪…」というようなアイディアが頭の中に渦巻いている…
鯨肉の刺身…(2021.07.24)
「第2差閉」停留所にて…:礼文の路線バス(2021.07.22)
<北のカナリアパーク>で路線バスの情報が掲出されていた。時計に眼を落とせば、30分経つか経たないかという頃合いに、香深港フェリーターミナル辺りへ向かうバスが動いているらしい。
↓少し小高くなっている<北のカナリアパーク>から、10分まで要しない程度の時間、坂道を下りるとこういう場所に…
↑稚内でも路線バスを運行している宗谷バスが礼文で路線バスを運行している。その停留所が在って、待合所も設けられていた。
↓脇にこういうような<北のカナリアパーク>関係の案内板も在った。
↓一瞥して判り悪い程度に色々なバスの便が出ているが?
↓この停留所を通るのは「香深~知床~香深」という運行系統である。結局、礼文島内の各路線が網羅された運行時刻表がそのまま掲示されていたという訳だ。
↑運行便数は非常に少ない…
停留所は「第2差閉」または「第二差閉」とも書くようだが、「差閉」は「さしとじ」と読む。何となく思うのは、“知床”、“差閉”、“香深港フェリーターミナル”とバスが行き交っていて、“知床”と“差閉”との間に<北のカナリアパーク>を訪ねる利便を考えて「第2差閉」または「第二差閉」を新設したのではないかということだ。<北のカナリアパーク>にも極一部の路線バスが乗り入れるようだが、やや変な回り道になるかもしれない。そこでこの停留所な訳だ…
そんなことを想いながら、辺りを少々眺めてみるなどして、香深港へ向かうバスが現れるのを待っていた…
↓現れた…“知床”へ向かって行ったバスを見送ったが、そのバスが引き返して来たのだ…
↓香深港フェリーターミナルで下車した際、乗ったバスを写真に収めた。因みに、「第2差閉」からフェリーターミナルまでの運賃は220円だった。とりあえず現金払だ。乗客の割合としては、来訪者の比率が高い感じがした。これは走った時間帯の故であろう。昼頃だったのだ…
↑稚内でも路線バスを運行している宗谷バスが運行しているというが、稚内では全く見掛けない車輛だ。専ら礼文で動いているのであろう。礼文町のキャラクターである<あつもん>が描かれ「彩北の花の島 礼文島へようこそ!」というフレーズも在る。「観光バス」の様相だが、普通な路線バスである。古くはよく見掛けたような気がするが、進行方向に向かって前から後ろに2人掛の座席が並んでいるような内装だった。
このバスだが、後部の扉は開閉させなかった。開閉したのは運転士横の前側だけだ。前から整理券を取って奥へ進むように乗車し、下車時は運転士横の運賃箱に運賃を入れて下車するようになっている。「凄く昔の方式?」という感じだ…この辺りでは「後側から整理券を取って乗車し、前側で運賃を払って下車」が多いような気がしている。(地域や路線によっては「前側から乗込んで運賃を払い、後側から下車」という例も在る…)
こんな礼文の路線バス…機会が在れば、更に親しんでみたいような気がする。
↓少し小高くなっている<北のカナリアパーク>から、10分まで要しない程度の時間、坂道を下りるとこういう場所に…
↑稚内でも路線バスを運行している宗谷バスが礼文で路線バスを運行している。その停留所が在って、待合所も設けられていた。
↓脇にこういうような<北のカナリアパーク>関係の案内板も在った。
↓一瞥して判り悪い程度に色々なバスの便が出ているが?
↓この停留所を通るのは「香深~知床~香深」という運行系統である。結局、礼文島内の各路線が網羅された運行時刻表がそのまま掲示されていたという訳だ。
↑運行便数は非常に少ない…
停留所は「第2差閉」または「第二差閉」とも書くようだが、「差閉」は「さしとじ」と読む。何となく思うのは、“知床”、“差閉”、“香深港フェリーターミナル”とバスが行き交っていて、“知床”と“差閉”との間に<北のカナリアパーク>を訪ねる利便を考えて「第2差閉」または「第二差閉」を新設したのではないかということだ。<北のカナリアパーク>にも極一部の路線バスが乗り入れるようだが、やや変な回り道になるかもしれない。そこでこの停留所な訳だ…
そんなことを想いながら、辺りを少々眺めてみるなどして、香深港へ向かうバスが現れるのを待っていた…
↓現れた…“知床”へ向かって行ったバスを見送ったが、そのバスが引き返して来たのだ…
↓香深港フェリーターミナルで下車した際、乗ったバスを写真に収めた。因みに、「第2差閉」からフェリーターミナルまでの運賃は220円だった。とりあえず現金払だ。乗客の割合としては、来訪者の比率が高い感じがした。これは走った時間帯の故であろう。昼頃だったのだ…
↑稚内でも路線バスを運行している宗谷バスが運行しているというが、稚内では全く見掛けない車輛だ。専ら礼文で動いているのであろう。礼文町のキャラクターである<あつもん>が描かれ「彩北の花の島 礼文島へようこそ!」というフレーズも在る。「観光バス」の様相だが、普通な路線バスである。古くはよく見掛けたような気がするが、進行方向に向かって前から後ろに2人掛の座席が並んでいるような内装だった。
このバスだが、後部の扉は開閉させなかった。開閉したのは運転士横の前側だけだ。前から整理券を取って奥へ進むように乗車し、下車時は運転士横の運賃箱に運賃を入れて下車するようになっている。「凄く昔の方式?」という感じだ…この辺りでは「後側から整理券を取って乗車し、前側で運賃を払って下車」が多いような気がしている。(地域や路線によっては「前側から乗込んで運賃を払い、後側から下車」という例も在る…)
こんな礼文の路線バス…機会が在れば、更に親しんでみたいような気がする。
<北のカナリアパーク>…(2021.07.22)
酷く汗をかきながら<桃岩展望台コース>を歩いてみて、桃岩の在る風景を愉しみ、少し知られたレブンウスユキソウを視ることも出来た。「思い付いてやって来て善かった!」と礼文島上陸を果たしたことへの感謝の念を伝えた“鎮守”の「御利益?」という程度にも思いながら歩を進めた。
↓その<桃岩展望台コース>の南側のゴールとされているのが知床という地区で、目印のバス停が道標に記されている。
↑この道標の距離だが…「実際に歩くと、起債の距離より長くないか??」と常々思いながら進んでいた。
「一寸した遠足」というのが存外に好かったと、道標に在るゴールらしい知床のバス停を目指したのだが…
↓こんな道標が現れた…
↓こういうような経路で<北のカナリアパーク>という場所に至るようになっているらしい。
↓進んでみると、何やらこういうような場所に至り…
↓こういう可愛らしい建物が在る広場に出た…
この<麗端小学校岬分校>というモノだが、実在する小学校、或いはその分校ではない。実際の、この礼文島の南側の知床という集落等の児童が学ぶ小学校は、上記の道標の脇の看板写真に写っている2階建ての建物であるようだ。
この<麗端小学校岬分校>は『北のカナリアたち』という映画の撮影で使用されたセットで、建物を保存して辺りを整備して公園化したという場所である。
映画『北のカナリアたち』である。主人公は女性だ。北国の島の小さな小学校で教員を務めていて、島を去った経過が在り、年月を経てから契機が在って、小学校が在った島や周辺の街を訪ねて教え子達に再会し…というようなことで展開する物語なのだそうだ。(自身では観ていないのだが…)その作中、主人公の女性が子ども達と向き合う教員時代の場面等が、この建物で撮影されていたようだ。「木造(またはそういうように視える)で平屋の、小さな分校に使われているような感じの建物」に該当するモノが見当たらず、「思い切ってセットを作ってしまうのは?」ということになって、この建物が登場したらしい。
↓画の左側で、条件が好ければ利尻富士が視えるのだという。この場所は少し小高い場所で、実際に眺望は好さそうだ。
↑結局、礼文島の地で利尻富士を望むことは叶わなかった。(船の上では利尻富士を望むことが叶ったが…)
↓上記の“小学校”のセットの手前辺りに、こんな看板を掲出した建物も在った。カフェになっている…
↓歩いて火照った身体を冷やし、仄かな甘味を愉しもうとソフトクリームをここで求めた…
辺りには少し広い駐車場や、色々な情報の掲示も見受けられる御手洗も在る。来訪者が寄り易い場所として整備が行き届いていた。
機会が在れば?ここに佇んで浮かぶ利尻富士を眺めてみたいものだ。
↓その<桃岩展望台コース>の南側のゴールとされているのが知床という地区で、目印のバス停が道標に記されている。
↑この道標の距離だが…「実際に歩くと、起債の距離より長くないか??」と常々思いながら進んでいた。
「一寸した遠足」というのが存外に好かったと、道標に在るゴールらしい知床のバス停を目指したのだが…
↓こんな道標が現れた…
↓こういうような経路で<北のカナリアパーク>という場所に至るようになっているらしい。
↓進んでみると、何やらこういうような場所に至り…
↓こういう可愛らしい建物が在る広場に出た…
この<麗端小学校岬分校>というモノだが、実在する小学校、或いはその分校ではない。実際の、この礼文島の南側の知床という集落等の児童が学ぶ小学校は、上記の道標の脇の看板写真に写っている2階建ての建物であるようだ。
この<麗端小学校岬分校>は『北のカナリアたち』という映画の撮影で使用されたセットで、建物を保存して辺りを整備して公園化したという場所である。
映画『北のカナリアたち』である。主人公は女性だ。北国の島の小さな小学校で教員を務めていて、島を去った経過が在り、年月を経てから契機が在って、小学校が在った島や周辺の街を訪ねて教え子達に再会し…というようなことで展開する物語なのだそうだ。(自身では観ていないのだが…)その作中、主人公の女性が子ども達と向き合う教員時代の場面等が、この建物で撮影されていたようだ。「木造(またはそういうように視える)で平屋の、小さな分校に使われているような感じの建物」に該当するモノが見当たらず、「思い切ってセットを作ってしまうのは?」ということになって、この建物が登場したらしい。
↓画の左側で、条件が好ければ利尻富士が視えるのだという。この場所は少し小高い場所で、実際に眺望は好さそうだ。
↑結局、礼文島の地で利尻富士を望むことは叶わなかった。(船の上では利尻富士を望むことが叶ったが…)
↓上記の“小学校”のセットの手前辺りに、こんな看板を掲出した建物も在った。カフェになっている…
↓歩いて火照った身体を冷やし、仄かな甘味を愉しもうとソフトクリームをここで求めた…
辺りには少し広い駐車場や、色々な情報の掲示も見受けられる御手洗も在る。来訪者が寄り易い場所として整備が行き届いていた。
機会が在れば?ここに佇んで浮かぶ利尻富士を眺めてみたいものだ。
稚内港北防波堤ドーム…(2021.07.24)
↓例によっての「極々短い散策」なのだが、何となく「涼みに出る…」というような気分が色濃かった…
湿っていて温い空気が居室内に滞る感だった。半袖Tシャツにジーンズ穿きで早朝の戸外を歩いて抵抗感は薄かった。微風が心地好い程度であった。
↓心地好い程度の微風は、滑らかな海面に何らの影響を及ぼすのでもない…
↓短い間に少しずつ明るくなる…
↓早朝時点で23℃や24℃というような、「前日日中の気温が下らない…」という感だった…
↓解き放たれない光が拡散しているというような、何か微妙な様相だった…
↓高めな天の雲が流れて少な目になった感だった…
↓上る朝陽の姿は視え悪かった…
こういう早朝の後、何か「酷く夏らしい…」という陽射しが眩しい様子が続き、或いは「当地では些か珍しい…」という30℃を伺うような、何やら暑い休日になっている…
湿っていて温い空気が居室内に滞る感だった。半袖Tシャツにジーンズ穿きで早朝の戸外を歩いて抵抗感は薄かった。微風が心地好い程度であった。
↓心地好い程度の微風は、滑らかな海面に何らの影響を及ぼすのでもない…
↓短い間に少しずつ明るくなる…
↓早朝時点で23℃や24℃というような、「前日日中の気温が下らない…」という感だった…
↓解き放たれない光が拡散しているというような、何か微妙な様相だった…
↓高めな天の雲が流れて少な目になった感だった…
↓上る朝陽の姿は視え悪かった…
こういう早朝の後、何か「酷く夏らしい…」という陽射しが眩しい様子が続き、或いは「当地では些か珍しい…」という30℃を伺うような、何やら暑い休日になっている…
<ダイヤモンドスペシャル>…(2021.07.23)
↓こういうモノを入手した…
↑袋に「Since 1923」と在る。
1923(大正12)年ということだが?関東大震災が発生した年だ。そして稚内では、鉄道が延伸されたことを受けて、北海道と樺太を結ぶ連絡船ということになる<稚泊航路>(稚内と樺太の大泊との間の貨客航路)の運航が始まったころだ。殆ど100年前である…
↓これはその1923(大正12)年に起こった店の流れを汲む大阪の会社による珈琲豆なのだ…
↑拙宅に残っている珈琲豆が少し少な目になった中で入手を図った。
明治期の後半から終わり頃、珈琲豆を仕入れて焙煎する、それを使って珈琲を淹れて提供するというような喫茶業界が成立、形成され始めたようで、大正期には各地の主な街で焙煎所等も姿を見せた。関東大震災で東京圏での新規事業等が起こし悪かった時期、大阪で起ったのが<ダイヤモンド珈琲店>であったそうだ。
1923(大正12)年に起こった店ということになると、大阪の業界でも草分け的な存在であって、存在感を示していたが戦時には色々と苦労をし、戦争末期の戦禍で焙煎所を失うような苦難も在ったという。戦後、珈琲豆の輸入がやり易くなった時期からまた小さな焙煎所を起し、そこから積み上げられた仕事が現在も続いているという訳だ。
↓「珈琲というモノの普及」ということ自体と共に歩んだブレンドという側面も在るようなモノで、好ましい意味で「“公約数”的な珈琲の味」というブレンドであると思った。苦さの周りに味の様々なモノが絡まるという感なのだ。
これはなかなかに好ましいモノに出くわした感だ…
↑袋に「Since 1923」と在る。
1923(大正12)年ということだが?関東大震災が発生した年だ。そして稚内では、鉄道が延伸されたことを受けて、北海道と樺太を結ぶ連絡船ということになる<稚泊航路>(稚内と樺太の大泊との間の貨客航路)の運航が始まったころだ。殆ど100年前である…
↓これはその1923(大正12)年に起こった店の流れを汲む大阪の会社による珈琲豆なのだ…
↑拙宅に残っている珈琲豆が少し少な目になった中で入手を図った。
明治期の後半から終わり頃、珈琲豆を仕入れて焙煎する、それを使って珈琲を淹れて提供するというような喫茶業界が成立、形成され始めたようで、大正期には各地の主な街で焙煎所等も姿を見せた。関東大震災で東京圏での新規事業等が起こし悪かった時期、大阪で起ったのが<ダイヤモンド珈琲店>であったそうだ。
1923(大正12)年に起こった店ということになると、大阪の業界でも草分け的な存在であって、存在感を示していたが戦時には色々と苦労をし、戦争末期の戦禍で焙煎所を失うような苦難も在ったという。戦後、珈琲豆の輸入がやり易くなった時期からまた小さな焙煎所を起し、そこから積み上げられた仕事が現在も続いているという訳だ。
↓「珈琲というモノの普及」ということ自体と共に歩んだブレンドという側面も在るようなモノで、好ましい意味で「“公約数”的な珈琲の味」というブレンドであると思った。苦さの周りに味の様々なモノが絡まるという感なのだ。
これはなかなかに好ましいモノに出くわした感だ…
レブンウスユキソウとの邂逅…:<桃岩展望台コース>(2021.07.22)
<桃岩展望台コース>…半袖Tシャツの上に、風除け的に長袖の余り厚くないシャツを引掛け、ジーンズ穿きでキャップ(夏用の半分メッシュのモノ)を着用、日頃からカメラ等を入れているバッグを提げた、何やら「その辺を散策」と大差が無い様子で歩いていた。
↓しかし、こういう場所は「その辺を散策」というよりは少々エネルギーは使った…
↓「何やら…凄い感じの眺め…」というのが連発する中を進み続けた。気温は23℃や24℃だったと思う。かなり汗をかいた…
↓こんな看板も在った…
この<桃岩展望台コース>のような場所だが、本当に「大自然に一寸だけ御邪魔させて頂く」という具合に小路が設えられ、その小路を歩んで愉しむようになっている場所だ。自身の場合、道を外れてよく判らない側には踏み込みたいとは思わない…足元が如何なっているのか判らず、進路を見失ってしまうような場合さえ在るだろうから…小路を行く分には、安全に愉しむことが叶う。
↓花が眼に留まった…「これは!?」と思い、立ち止まって眺めた…
↑レブンウスユキソウだ…
レブンウスユキソウ(礼文薄雪草)は「高山植物」ということになるようだ。アルプスやヒマラヤの高山で見受けられるエーデルワイスの仲間で多年草なのだという。冷涼な礼文島なので“高山”の範疇とは言い難い場所で咲いている訳だ…
手にしているカメラは35mm画角のレンズが着いている<X100F>だ。そういう機材で綺麗に雰囲気が捉えられる程度の距離に、このレブンウスユキソウを視ることが出来た!!正しく「鎮守か何かに感謝!!」という感だ。
この花を視たということも在り、礼文島訪問が忘れ難いものになった…
↓しかし、こういう場所は「その辺を散策」というよりは少々エネルギーは使った…
↓「何やら…凄い感じの眺め…」というのが連発する中を進み続けた。気温は23℃や24℃だったと思う。かなり汗をかいた…
↓こんな看板も在った…
この<桃岩展望台コース>のような場所だが、本当に「大自然に一寸だけ御邪魔させて頂く」という具合に小路が設えられ、その小路を歩んで愉しむようになっている場所だ。自身の場合、道を外れてよく判らない側には踏み込みたいとは思わない…足元が如何なっているのか判らず、進路を見失ってしまうような場合さえ在るだろうから…小路を行く分には、安全に愉しむことが叶う。
↓花が眼に留まった…「これは!?」と思い、立ち止まって眺めた…
↑レブンウスユキソウだ…
レブンウスユキソウ(礼文薄雪草)は「高山植物」ということになるようだ。アルプスやヒマラヤの高山で見受けられるエーデルワイスの仲間で多年草なのだという。冷涼な礼文島なので“高山”の範疇とは言い難い場所で咲いている訳だ…
手にしているカメラは35mm画角のレンズが着いている<X100F>だ。そういう機材で綺麗に雰囲気が捉えられる程度の距離に、このレブンウスユキソウを視ることが出来た!!正しく「鎮守か何かに感謝!!」という感だ。
この花を視たということも在り、礼文島訪問が忘れ難いものになった…
桃岩を望む…:<桃岩展望台コース>(2021.07.22)
↓時折、こういう道標が在る程度で、本当に「大自然の中に小路」というようになっているのが<桃岩展望台コース>だ。
↑この種の道標の距離をみて、「やや少な目に記載されていないか?」と何度も思った。意外に起伏も在って、斜面を廻り込むような具合に小路が敷設されていて、「既に先程の道標に在った程度の距離は歩いたような気がするが?」という場面が連発していた…
↓こういうような小路が続いているのが<桃岩展望台コース>だ。
↓多少開けた感じの場所、「桃岩展望台」に至った。何やら雲で遠景が視えなかったが、微風が抜けて雲が流れると桃岩の或る風景が眼前に拡がった。
↓「眼前に“桃岩”」と、確りと看板も据えられていた…
↓何か殊更に幻想的に視えるような光景だったと思う。
↓少し進んだ辺りでもこういうようい大きな桃岩が視えた。
この日は、本当に「遠足」という感じだったと思う…
↑この種の道標の距離をみて、「やや少な目に記載されていないか?」と何度も思った。意外に起伏も在って、斜面を廻り込むような具合に小路が敷設されていて、「既に先程の道標に在った程度の距離は歩いたような気がするが?」という場面が連発していた…
↓こういうような小路が続いているのが<桃岩展望台コース>だ。
↓多少開けた感じの場所、「桃岩展望台」に至った。何やら雲で遠景が視えなかったが、微風が抜けて雲が流れると桃岩の或る風景が眼前に拡がった。
↓「眼前に“桃岩”」と、確りと看板も据えられていた…
↓何か殊更に幻想的に視えるような光景だったと思う。
↓少し進んだ辺りでもこういうようい大きな桃岩が視えた。
この日は、本当に「遠足」という感じだったと思う…
礼文島の厳島神社…(2021.07.22)
沖に利尻富士を望みながら礼文島の香深港に上陸した。
香深港に上陸した段階で、雲の関係で遠景はやや視え悪くはなっていたが、それはそれとして「一寸した遠足」を試みることとした。
礼文島に在っては、自然保護の見地から「決められたコースを歩いて自然観察や景勝を愛でるようなことをしよう」ということで、幾つかの「トレッキングコース」が設定されている。そういうモノの一つに<桃岩展望台コース>なるモノが在った。
<桃岩展望台コース>なるモノ?香深港の辺りからであれば、傾斜地を上り、島の南西寄りな側の丘陵に入り込み、起伏に富んだ小路を歩んで島の南側の知床、または映画撮影のセットを使った公園を擁する差閉(さしとじ)に至る。7㎞強と公称されているコースである。
その<桃岩展望台コース>なるモノへ入る辺りを探して、香深の街から傾斜地を上り始めた。
↓程無くこういう場所に出くわした…
↓長い石段が設えられた神社だ…
↓ゆっくりと石段を上ってみた…
↓随分と石段を上った辺りに社殿が設けられていた。ここが厳島神社である。
1808年に「宗谷場所」と呼ばれていたこの近隣で仕事をしていた人達が、礼文島にも祠を設けて豊漁や安全を祈願するようにしたというのだが、それを起源とするのが厳島神社だ。「1808年」と言えば?かの間宮林蔵が樺太探検を始めた時期であり、ロシア船との悶着を受けて「北方警固」と称して宗谷に武士達が乗込んでいた時期でもある。1808年には、会津松平家が総力を挙げて武士達を派遣し、宗谷を起点に利尻島や樺太にも上陸したという出来事が在った。
そんな遠い時代に起こった厳島神社であるが、“礼文島鎮守”ということで、漁業や海運業が盛んになった近代以降も人々に大切にされていた。
↓明治期には立派な絵馬が色々と奉納された経過が在り、貴重な文化財として大切に保管されている。
↑こうしたモノは「履物を脱いで上がって下さい」というようになっている本殿に展示されているので、参拝した際に少し見学した。
石段の下側の辺りに社務所が在る。開いていたようだったので「おはようございます!」と訪ね、さり気なく持参していた御朱印帳に御朱印を頂いた。
↓稚内へ引揚げる際の船内で、頂いた御朱印を一寸眺めていた…
何か「好い形で礼文島と出会った」というような経験となった一日と振り返るのだが、この“礼文島鎮守”たる厳島神社の御蔭なのかもしれない。そういう多くの何かへの感謝という気持ちは持ち続けたいような気がしている。
ところで…起伏に富んだ小路へ踏み込む前に、この神社の石段を上って下りたのは、存外に好い準備運動だった…
香深港に上陸した段階で、雲の関係で遠景はやや視え悪くはなっていたが、それはそれとして「一寸した遠足」を試みることとした。
礼文島に在っては、自然保護の見地から「決められたコースを歩いて自然観察や景勝を愛でるようなことをしよう」ということで、幾つかの「トレッキングコース」が設定されている。そういうモノの一つに<桃岩展望台コース>なるモノが在った。
<桃岩展望台コース>なるモノ?香深港の辺りからであれば、傾斜地を上り、島の南西寄りな側の丘陵に入り込み、起伏に富んだ小路を歩んで島の南側の知床、または映画撮影のセットを使った公園を擁する差閉(さしとじ)に至る。7㎞強と公称されているコースである。
その<桃岩展望台コース>なるモノへ入る辺りを探して、香深の街から傾斜地を上り始めた。
↓程無くこういう場所に出くわした…
↓長い石段が設えられた神社だ…
↓ゆっくりと石段を上ってみた…
↓随分と石段を上った辺りに社殿が設けられていた。ここが厳島神社である。
1808年に「宗谷場所」と呼ばれていたこの近隣で仕事をしていた人達が、礼文島にも祠を設けて豊漁や安全を祈願するようにしたというのだが、それを起源とするのが厳島神社だ。「1808年」と言えば?かの間宮林蔵が樺太探検を始めた時期であり、ロシア船との悶着を受けて「北方警固」と称して宗谷に武士達が乗込んでいた時期でもある。1808年には、会津松平家が総力を挙げて武士達を派遣し、宗谷を起点に利尻島や樺太にも上陸したという出来事が在った。
そんな遠い時代に起こった厳島神社であるが、“礼文島鎮守”ということで、漁業や海運業が盛んになった近代以降も人々に大切にされていた。
↓明治期には立派な絵馬が色々と奉納された経過が在り、貴重な文化財として大切に保管されている。
↑こうしたモノは「履物を脱いで上がって下さい」というようになっている本殿に展示されているので、参拝した際に少し見学した。
石段の下側の辺りに社務所が在る。開いていたようだったので「おはようございます!」と訪ね、さり気なく持参していた御朱印帳に御朱印を頂いた。
↓稚内へ引揚げる際の船内で、頂いた御朱印を一寸眺めていた…
何か「好い形で礼文島と出会った」というような経験となった一日と振り返るのだが、この“礼文島鎮守”たる厳島神社の御蔭なのかもしれない。そういう多くの何かへの感謝という気持ちは持ち続けたいような気がしている。
ところで…起伏に富んだ小路へ踏み込む前に、この神社の石段を上って下りたのは、存外に好い準備運動だった…
礼文沖で望む利尻富士…(2021.07.22)
遠い記憶を辿れば、雲が多目な中で航海に出て、陸地が近くなる頃に「よくぞ着いた!歓迎申し上げる!」とばかりに雲が流れて、何か美しい光景に出くわすというようなことも何度か在った。
そういうようなことを「期待したい…」という感、言い換えれば「少々雲が多い感じ」が続く中で、稚内港を発った船は礼文島の香深港を目指していた。
時計に眼を落し、「順調に進んでいるのであれば…もう少しか…」と思っていた頃だった。
↓「あっ!?」と声が漏れた…雲が流れ、利尻富士が姿を現し始めた…
↓長くない時間で雲がドンドン流れ、利尻富士の見え方も少しずつ変わる…
↓山の一部が「雲に透けている…」というような感じにも視えた…
↓甲板上で暫し眺め入ってしまう光景だった…
↓やがて静かに緞帳が下りるかのように利尻富士が視え悪くなった…
礼文島へ向かう船の上から利尻富士を望む…実に好いと思った。この時点で、「思い付いて出てみて善かった!!」と思っていた…
そういうようなことを「期待したい…」という感、言い換えれば「少々雲が多い感じ」が続く中で、稚内港を発った船は礼文島の香深港を目指していた。
時計に眼を落し、「順調に進んでいるのであれば…もう少しか…」と思っていた頃だった。
↓「あっ!?」と声が漏れた…雲が流れ、利尻富士が姿を現し始めた…
↓長くない時間で雲がドンドン流れ、利尻富士の見え方も少しずつ変わる…
↓山の一部が「雲に透けている…」というような感じにも視えた…
↓甲板上で暫し眺め入ってしまう光景だった…
↓やがて静かに緞帳が下りるかのように利尻富士が視え悪くなった…
礼文島へ向かう船の上から利尻富士を望む…実に好いと思った。この時点で、「思い付いて出てみて善かった!!」と思っていた…
稚内港中央埠頭を望む…そして…(2021.07.22)
霧が見受けられ、雲が多目な早朝の様子ではあったが、それでもフェリーの乗船受付というような時間帯に至って、一寸出てみた。
↓滑らかな海面に雲間から漏れる光が注いでいる様が伺えた…
↓或いは「航海日和…」という感でもあった…
↓フェリーターミナルへ足を運び、切符を求めてしまった…
↓そして船上へ…
“連休”の初日だったが、礼文島との間の「一寸した船旅…」と、礼文島での「一寸した遠足…」ということとすることとした朝だった…
↓滑らかな海面に雲間から漏れる光が注いでいる様が伺えた…
↓或いは「航海日和…」という感でもあった…
↓フェリーターミナルへ足を運び、切符を求めてしまった…
↓そして船上へ…
“連休”の初日だったが、礼文島との間の「一寸した船旅…」と、礼文島での「一寸した遠足…」ということとすることとした朝だった…
トレッキング(?!)の顛末…(2021.07.22)
直ぐ近く、または行き易い範囲に有名な場所が在ったとして、そういう場所に関しては「存外に行かない…」という事が在るのかもしれない。
稚内で「直ぐ近く、または行き易い範囲に有名な場所で、存外に行かないかもしれない…」を挙げるとすれば、利尻島や礼文島が挙げられるであろうか?
例えば、数年間稚内に在勤する等した方が、他地域へ転出してしまって少し経った後に稚内へ現れるという話しが在る。それは、在勤時に訪ねる機会を設け損なった利尻島や礼文島に関して、そのままにしておくと更に年月を経て「何故行かなかったのか!?」と悔恨を残すとでも考えて、休暇に一寸旅をしている訳である。
自身の場合、他地域へ転出するような状況は余り無い。それはそれとして、利尻島や礼文島と縁が濃いというのでもない。去る7月10日に友人と誘い合って利尻島を訪ねた経過が在った。天候も好く「吉日!!」と張り切って出掛けて愉しかった。その利尻島は何度か訪ねている。が…利尻島の少し北の礼文島に関しては?2008年に「そう言えば、少々長く稚内に在りながら、両島に足を踏み入れていない?」というように思い付き、利尻島へ渡航の後に鴛泊・香深という両島間の航路で礼文島に少しの間だけ上陸し、直ぐに稚内へ引揚げたという事例が在ったのだが、それ以外に「礼文島上陸」の事例が全く思い当たらない…
去る7月10日の利尻島の経過を頻繁に思い出す昨今だった訳だが、そういう中で「そう言えば礼文…」と何となく想い起してしまっていた。実は利尻島に在って、「視えていた陸地が礼文島…」という場面も在って、何か意識の隅に礼文島が在ったのだ…
そうしていれば、何やら“連休”というような話しになっていた。自身、特段に予定らしい予定は立てていなかった。
“連休”の初日、とりあえず早目に起き出し、戸外の様子を眺めに出てみた。「霧交じりの曇天」というように見受けられた…が…「早朝がこういう様子でも、少し経てば天候が好転という例も少なくない」とも考えた。
そういう訳で、午前6時半の船で礼文島に渡れば午前8時半に着き、午後2時台に礼文島を出て午後4時台に稚内へ引揚げるということを「してみるのも悪くない?」という想いが早朝から溢れ出した…
結局、礼文島へ渡り、<桃岩展望台コース>(7.1km 3時間40分)と称されるコースでのトレッキングに挑み、<礼文島温泉 うすゆきの湯>で汗を流して稚内へ引揚げるということをやった…
何時の間にかかなり長く稚内に在るのだが…「礼文島へ渡って、礼文島の独特な雰囲気を愉しんだ」というのは、今般が「初めて…」ということになった。
結局、曇天と晴天とが適当に入れ替わるような感じの天候で終始し、25℃を伺うような少し蒸すような気温の一日になった。「7.1km 3時間40分」と称するコースを3時間弱で踏破し、前後にも少々歩き、加えて「礼文島の路線バス」というマイナーかもしれない乗物も利用した。
礼文島に関しては、「利尻島(=利尻富士)の眺望」というのが面白い訳だが、往復のフェリー船上でそれを眺める機会は在った他方、礼文島の中では利尻島の様子は視えなかった…
<桃岩展望台コース>(7.1km 3時間40分)と称されるトレッキングコース…これは細い歩道が設定され、歩道の足元が整えられる、または脇に歩行して構わないことになっている箇所を囲うように柵やロープが据えられている場所を歩く。小路で狭いので、他所の人と擦違う場合には「すみません…」、「どうぞ…」、「ありがとう…」と適当に譲り合うことになる。
礼文島は標高が酷く高い山でもない。適当な標高の丘陵なのだが、それでも何やら低めに雲、または深い霧という場面も在って、何となく「雲の中を歩む」というような不思議な気分も沸き起こった…
この礼文島の一件…とりあえず<X100F>、加えてXF35mmf2を装着の<X-Pro2>で写真も多々撮った…後から写真でこの礼文島の顛末を振り返りたい…
稚内で「直ぐ近く、または行き易い範囲に有名な場所で、存外に行かないかもしれない…」を挙げるとすれば、利尻島や礼文島が挙げられるであろうか?
例えば、数年間稚内に在勤する等した方が、他地域へ転出してしまって少し経った後に稚内へ現れるという話しが在る。それは、在勤時に訪ねる機会を設け損なった利尻島や礼文島に関して、そのままにしておくと更に年月を経て「何故行かなかったのか!?」と悔恨を残すとでも考えて、休暇に一寸旅をしている訳である。
自身の場合、他地域へ転出するような状況は余り無い。それはそれとして、利尻島や礼文島と縁が濃いというのでもない。去る7月10日に友人と誘い合って利尻島を訪ねた経過が在った。天候も好く「吉日!!」と張り切って出掛けて愉しかった。その利尻島は何度か訪ねている。が…利尻島の少し北の礼文島に関しては?2008年に「そう言えば、少々長く稚内に在りながら、両島に足を踏み入れていない?」というように思い付き、利尻島へ渡航の後に鴛泊・香深という両島間の航路で礼文島に少しの間だけ上陸し、直ぐに稚内へ引揚げたという事例が在ったのだが、それ以外に「礼文島上陸」の事例が全く思い当たらない…
去る7月10日の利尻島の経過を頻繁に思い出す昨今だった訳だが、そういう中で「そう言えば礼文…」と何となく想い起してしまっていた。実は利尻島に在って、「視えていた陸地が礼文島…」という場面も在って、何か意識の隅に礼文島が在ったのだ…
そうしていれば、何やら“連休”というような話しになっていた。自身、特段に予定らしい予定は立てていなかった。
“連休”の初日、とりあえず早目に起き出し、戸外の様子を眺めに出てみた。「霧交じりの曇天」というように見受けられた…が…「早朝がこういう様子でも、少し経てば天候が好転という例も少なくない」とも考えた。
そういう訳で、午前6時半の船で礼文島に渡れば午前8時半に着き、午後2時台に礼文島を出て午後4時台に稚内へ引揚げるということを「してみるのも悪くない?」という想いが早朝から溢れ出した…
結局、礼文島へ渡り、<桃岩展望台コース>(7.1km 3時間40分)と称されるコースでのトレッキングに挑み、<礼文島温泉 うすゆきの湯>で汗を流して稚内へ引揚げるということをやった…
何時の間にかかなり長く稚内に在るのだが…「礼文島へ渡って、礼文島の独特な雰囲気を愉しんだ」というのは、今般が「初めて…」ということになった。
結局、曇天と晴天とが適当に入れ替わるような感じの天候で終始し、25℃を伺うような少し蒸すような気温の一日になった。「7.1km 3時間40分」と称するコースを3時間弱で踏破し、前後にも少々歩き、加えて「礼文島の路線バス」というマイナーかもしれない乗物も利用した。
礼文島に関しては、「利尻島(=利尻富士)の眺望」というのが面白い訳だが、往復のフェリー船上でそれを眺める機会は在った他方、礼文島の中では利尻島の様子は視えなかった…
<桃岩展望台コース>(7.1km 3時間40分)と称されるトレッキングコース…これは細い歩道が設定され、歩道の足元が整えられる、または脇に歩行して構わないことになっている箇所を囲うように柵やロープが据えられている場所を歩く。小路で狭いので、他所の人と擦違う場合には「すみません…」、「どうぞ…」、「ありがとう…」と適当に譲り合うことになる。
礼文島は標高が酷く高い山でもない。適当な標高の丘陵なのだが、それでも何やら低めに雲、または深い霧という場面も在って、何となく「雲の中を歩む」というような不思議な気分も沸き起こった…
この礼文島の一件…とりあえず<X100F>、加えてXF35mmf2を装着の<X-Pro2>で写真も多々撮った…後から写真でこの礼文島の顛末を振り返りたい…