<利尻・礼文観光ガイドマップ>…「稚内→鴛泊(利尻島)」の乗船券…(2021.07.10)

↓フェリーターミナルの入口辺りに据えられていた…
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↑足を停めて眺めているとか、写真を撮っている人というのは見掛けなかったが…何か「これから向かう島が…」という感じで、少し愉しい気分になれる看板だ…

↓ターミナルに入って、早速に切符を求めた…
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↑余り気にせずに求めたが「発売当日限り有効」となっていた…

フェリーが停泊している様子、稚内港に出入りする様子は頻繁に視るが、乗船機会が然程多いのでもない。時には一寸愉しいものだ…

利礼三町のキャラクター…(2021.07.10)

稚内港中央埠頭にフェリーターミナルが設けられている。

利尻島や礼文島との間を往来するフェリーの、旅客の乗下船は2階からボーディングブリッジを通じて行う。乗船しようとすると「1階で乗船券を求めて2階に上る」という感じになる。2階は広い待合室になっている。

↓その待合室の一隅でこういう看板を見掛けた…
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利尻島に2つの町、礼文島に1つの町で合わせて「利礼三町」というように言う場合も在る。その3つの町の各々で用意されたキャラクターの看板だ。

リスの“りっぷくん&りっぷちゃん”が利尻富士町で、昆布の“りしりん”が利尻町なのだが…実は、何となく「逆…」に記憶していた。今般、確り覚えた…

礼文町の“あつもん”である。同行した友人は「アレ?一体、何?野菜??」という程度に思っていたというが、これは礼文島を代表する花の一つであるレブンアツモリソウをイメージしたそうだ…

利礼三町と稚内とを往来するフェリーが発着する場所で、3種類のキャラクターが見送り、出迎えをしてくれる訳だ…こんな看板も愛嬌が在って悪くない…

姫沼…(2021.07.10)

鴛泊港上陸、車輛調達の後に動き始めたが「とりあえず…」と姫沼に向かってみた。

↓こういう様子だった…
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鴛泊港に入るフェリーの船上から眺めた限り、利尻富士の眺望は雲に遮られていた。それでも、とりあえずこの姫沼の眺望に触れてみたかった…

直ぐに動き始めた。「ランチは少し早めで沓形…」という思惑も在ったので、鴛泊へ引き返し「北上して西側へ入って南下」という“反時計回り”で動いてみることにした。

西寄りの利尻町の域に入れば利尻富士を仰ぎ見ることが叶うようになり、山の五合目に相当する<見返台園地>南側の<仙法志御崎公園>を経て東側の利尻富士町の域に南寄りから戻った。そしてオタトマリ沼<白い恋人の丘>こと沼浦展望台鬼脇を経て<ラナルド・マクドナルド上陸記念碑>を経て再び姫沼に至った…

↓2回目はこういう様子だった…
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こんな感じも「利尻島訪問らしい…」という感じなのかもしれない…

<ラナルド・マクドナルド上陸記念碑>…(2021.07.10)

忘れる程度に以前…『海の祭礼』という時代モノの小説を興味深く読んだということが在った。

利尻島は、実はその『海の祭礼』という小説の主要な舞台の一つになっている…

稚内から利尻島へ上陸する際の“玄関”となる、島の北東部に在る鴛泊港フェリーターミナルから少しだけ南下した辺りに記念碑が在る。

↓こういう記念碑だ…
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鴛泊港フェリーターミナルの前を発車して、概ね時計回りに利尻島を一周する定期観光バスに乗車した経験が在る。その際、この記念碑に関してはバスガイドさんが話題にする。が、停車して見学するというのでもない…

↓脇にこういうように英語のモノまで在った…
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ラナルド・マクドナルド…米国捕鯨船に乗り組んでいて、日本に憧れを抱いていた彼は小舟で海に出て上陸を試みた。焼尻島に至って「無人島?」と思い、更に進んで利尻島に至って人の姿を認め、そして上陸した訳である。1848年の出来事だ…

このラナルド・マクドナルドは利尻島上陸後、遥々と長崎へ護送された。長崎では幽閉されていたが、語学を学んでいた人達―幕府の通詞達―に英語の指導を行った。「日本で初めての、ネイティブスピーカーの英語教師」ということになった人物だ。

幕府の通詞の中には英語の知識を有した者も在ったというが、長崎の出島に在ったオランダ人から聴いているので、正しい発音を解していない面も在った。そういうことに関して、ラナルド・マクドナルドは彼らと英文を音読、発音を指導したという訳である。

ラナルド・マクドナルドはやって来た船で国外へ出されたが、彼と接した通詞達の中には1853年の所謂“黒船”の一件で米国人達と交渉する場面で活躍した人も在るようだ。

↓碑が古くなっていて文字が読み悪い場合も在るので、脇に内容を転記した案内板も設置されていた…
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ラナルド・マクドナルドは1894年に他界したそうだが、日本で接した人達から習い覚えた「ソイナラ」(=さよなら)という語を最後に呟いたそうだ。

歴史に大きな波紋が拡がる小さな一石が投じられた…そんな出来事が伝わる利尻島である。知名度が高いような、然程でもないような記念碑だが、少し興味深い。