レブンウスユキソウとの邂逅…:<桃岩展望台コース>(2021.07.22)

<桃岩展望台コース>…半袖Tシャツの上に、風除け的に長袖の余り厚くないシャツを引掛け、ジーンズ穿きでキャップ(夏用の半分メッシュのモノ)を着用、日頃からカメラ等を入れているバッグを提げた、何やら「その辺を散策」と大差が無い様子で歩いていた。

↓しかし、こういう場所は「その辺を散策」というよりは少々エネルギーは使った…
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↓「何やら…凄い感じの眺め…」というのが連発する中を進み続けた。気温は23℃や24℃だったと思う。かなり汗をかいた…
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↓こんな看板も在った…
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この<桃岩展望台コース>のような場所だが、本当に「大自然に一寸だけ御邪魔させて頂く」という具合に小路が設えられ、その小路を歩んで愉しむようになっている場所だ。自身の場合、道を外れてよく判らない側には踏み込みたいとは思わない…足元が如何なっているのか判らず、進路を見失ってしまうような場合さえ在るだろうから…小路を行く分には、安全に愉しむことが叶う。

↓花が眼に留まった…「これは!?」と思い、立ち止まって眺めた…
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↑レブンウスユキソウだ…

レブンウスユキソウ(礼文薄雪草)は「高山植物」ということになるようだ。アルプスやヒマラヤの高山で見受けられるエーデルワイスの仲間で多年草なのだという。冷涼な礼文島なので“高山”の範疇とは言い難い場所で咲いている訳だ…

手にしているカメラは35mm画角のレンズが着いている<X100F>だ。そういう機材で綺麗に雰囲気が捉えられる程度の距離に、このレブンウスユキソウを視ることが出来た!!正しく「鎮守か何かに感謝!!」という感だ。

この花を視たということも在り、礼文島訪問が忘れ難いものになった…

桃岩を望む…:<桃岩展望台コース>(2021.07.22)

↓時折、こういう道標が在る程度で、本当に「大自然の中に小路」というようになっているのが<桃岩展望台コース>だ。
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↑この種の道標の距離をみて、「やや少な目に記載されていないか?」と何度も思った。意外に起伏も在って、斜面を廻り込むような具合に小路が敷設されていて、「既に先程の道標に在った程度の距離は歩いたような気がするが?」という場面が連発していた…

↓こういうような小路が続いているのが<桃岩展望台コース>だ。
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↓多少開けた感じの場所、「桃岩展望台」に至った。何やら雲で遠景が視えなかったが、微風が抜けて雲が流れると桃岩の或る風景が眼前に拡がった。
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↓「眼前に“桃岩”」と、確りと看板も据えられていた…
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↓何か殊更に幻想的に視えるような光景だったと思う。
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↓少し進んだ辺りでもこういうようい大きな桃岩が視えた。
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この日は、本当に「遠足」という感じだったと思う…

礼文島の厳島神社…(2021.07.22)

沖に利尻富士を望みながら礼文島の香深港に上陸した。

香深港に上陸した段階で、雲の関係で遠景はやや視え悪くはなっていたが、それはそれとして「一寸した遠足」を試みることとした。

礼文島に在っては、自然保護の見地から「決められたコースを歩いて自然観察や景勝を愛でるようなことをしよう」ということで、幾つかの「トレッキングコース」が設定されている。そういうモノの一つに<桃岩展望台コース>なるモノが在った。

<桃岩展望台コース>なるモノ?香深港の辺りからであれば、傾斜地を上り、島の南西寄りな側の丘陵に入り込み、起伏に富んだ小路を歩んで島の南側の知床、または映画撮影のセットを使った公園を擁する差閉(さしとじ)に至る。7㎞強と公称されているコースである。

その<桃岩展望台コース>なるモノへ入る辺りを探して、香深の街から傾斜地を上り始めた。

↓程無くこういう場所に出くわした…
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↓長い石段が設えられた神社だ…
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↓ゆっくりと石段を上ってみた…
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↓随分と石段を上った辺りに社殿が設けられていた。ここが厳島神社である。
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1808年に「宗谷場所」と呼ばれていたこの近隣で仕事をしていた人達が、礼文島にも祠を設けて豊漁や安全を祈願するようにしたというのだが、それを起源とするのが厳島神社だ。「1808年」と言えば?かの間宮林蔵が樺太探検を始めた時期であり、ロシア船との悶着を受けて「北方警固」と称して宗谷に武士達が乗込んでいた時期でもある。1808年には、会津松平家が総力を挙げて武士達を派遣し、宗谷を起点に利尻島や樺太にも上陸したという出来事が在った。

そんな遠い時代に起こった厳島神社であるが、“礼文島鎮守”ということで、漁業や海運業が盛んになった近代以降も人々に大切にされていた。

↓明治期には立派な絵馬が色々と奉納された経過が在り、貴重な文化財として大切に保管されている。
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↑こうしたモノは「履物を脱いで上がって下さい」というようになっている本殿に展示されているので、参拝した際に少し見学した。

石段の下側の辺りに社務所が在る。開いていたようだったので「おはようございます!」と訪ね、さり気なく持参していた御朱印帳に御朱印を頂いた。

↓稚内へ引揚げる際の船内で、頂いた御朱印を一寸眺めていた…
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何か「好い形で礼文島と出会った」というような経験となった一日と振り返るのだが、この“礼文島鎮守”たる厳島神社の御蔭なのかもしれない。そういう多くの何かへの感謝という気持ちは持ち続けたいような気がしている。

ところで…起伏に富んだ小路へ踏み込む前に、この神社の石段を上って下りたのは、存外に好い準備運動だった…

礼文沖で望む利尻富士…(2021.07.22)

遠い記憶を辿れば、雲が多目な中で航海に出て、陸地が近くなる頃に「よくぞ着いた!歓迎申し上げる!」とばかりに雲が流れて、何か美しい光景に出くわすというようなことも何度か在った。

そういうようなことを「期待したい…」という感、言い換えれば「少々雲が多い感じ」が続く中で、稚内港を発った船は礼文島の香深港を目指していた。

時計に眼を落し、「順調に進んでいるのであれば…もう少しか…」と思っていた頃だった。

↓「あっ!?」と声が漏れた…雲が流れ、利尻富士が姿を現し始めた…
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↓長くない時間で雲がドンドン流れ、利尻富士の見え方も少しずつ変わる…
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↓山の一部が「雲に透けている…」というような感じにも視えた…
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↓甲板上で暫し眺め入ってしまう光景だった…
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↓やがて静かに緞帳が下りるかのように利尻富士が視え悪くなった…
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礼文島へ向かう船の上から利尻富士を望む…実に好いと思った。この時点で、「思い付いて出てみて善かった!!」と思っていた…

稚内港中央埠頭を望む…そして…(2021.07.22)

霧が見受けられ、雲が多目な早朝の様子ではあったが、それでもフェリーの乗船受付というような時間帯に至って、一寸出てみた。

↓滑らかな海面に雲間から漏れる光が注いでいる様が伺えた…
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↓或いは「航海日和…」という感でもあった…
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↓フェリーターミナルへ足を運び、切符を求めてしまった…
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↓そして船上へ…
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“連休”の初日だったが、礼文島との間の「一寸した船旅…」と、礼文島での「一寸した遠足…」ということとすることとした朝だった…