「3種類出回っている」というモノに関して、その3種類が何となく手元に集まるというのは悪くないような気がする…
↓船の玩具…「3種類出回っている」というモノだが、3種類が揃ってしまった…
“くるっぴー”というのは、ゼンマイで走る仕掛けで、テーブルの上で走り廻らせると、テーブルの端から落ちないように「くるり!」と旋回する仕組みになっているのだそうだ…
そういう仕掛けは如何でも構わないが、何か「稚内・利尻・礼文で現在運用されている3隻のフェリー」の可愛らしいアレンジの小さな玩具というのが酷く愛おしいと思う。
7月10日に<ボレアース宗谷>に乗船する機会が在った。その際、船内売店でこの“くるっぴー”の<ボレアース宗谷>を眼に留めた。乗船したフェリーをイメージした小さな玩具…「愛い奴じゃ…」と手元に留めるには好適と思って入手した。
その後…7月22日に<アマポーラ宗谷>、8月1日に<サイプリア宗谷>と、本当に偶々ながら相次いで「稚内・利尻・礼文で現在運用されている3隻のフェリー」に順次乗船する機会が設けられた。そしてその都度に「在るじゃないか…」とこの“くるっぴー”という乗船したフェリーをイメージした小さな玩具が船内で売られているのを眼に留め、相次いで入手してしまった…
本当に「思い付き…」というのか「行掛り…」というのか、意外に訪ねる機会が少ない利尻島や礼文島を訪ねる機会が相次ぎ、「稚内・利尻・礼文で現在運用されている3隻のフェリー」の可愛らしいアレンジの記念品を入手出来た。
↓テーブルの上を走り回らせて遊ぶということはしないかもしれないが…とりあえず大事に持って居たい感だ…
余計なことを書き加えるが…稚内港のフェリーターミナルに設けられている売店―船が出発する前の時間帯というような、些か変則的な開店時間である…―では、この「稚内・利尻・礼文で現在運用されている3隻のフェリー」の“くるっぴー”、<ボレアース宗谷>、<アマポーラ宗谷>、<サイプリア宗谷>の3種類が全て販売されている。各々の船の売店では、当該船の1種類だけなのだが…「一気の3種類を揃えてしまう」というのも一興だが、自身では偶々「各々の船の売店で求めた」ということ自体が、既に「素敵な小さな想い出」というようになっている。
様々な状況の中、稚内と利尻・礼文とを結んで、人々の生活を支えながら、多くの来訪者の想い出を紡いでいるこの愛すべき船の愛らしい玩具は、何か酷く好い感じだ…
「トロピカル?!」…(2021.08.07)
キハ261系ディーゼルカー…:稚内駅(2021.08.07)
稚内港中央埠頭の辺りを少しばかり歩き廻り、街の側、拙宅の側へゆっくり引揚げようとしていた…
↓踏切で、待機中の列車を眼に留めた…
「そうだ…この“始発駅”から列車が出発する時間帯でもあった…」と想い起した…
↓駅の間近に至った時、一寸列車を眺めた…
↑最近の北海道で「特急列車用車輛の主流」という感じになっているキハ261系は、稚内に至る列車が「初登場!」だった。これはそういう時代から、20年間以上も頑張っているような編成だと思う…
所用で他地域へ向かうような場合…自身では「とりあえず列車…」と考え、“始発駅”と呼ぶ稚内駅から意気揚々と列車に乗込むのだが…何となく「御無沙汰…」と思いながら、この特急列車のキハ261系ディーゼルカーを眺めた…
↓踏切で、待機中の列車を眼に留めた…
「そうだ…この“始発駅”から列車が出発する時間帯でもあった…」と想い起した…
↓駅の間近に至った時、一寸列車を眺めた…
↑最近の北海道で「特急列車用車輛の主流」という感じになっているキハ261系は、稚内に至る列車が「初登場!」だった。これはそういう時代から、20年間以上も頑張っているような編成だと思う…
所用で他地域へ向かうような場合…自身では「とりあえず列車…」と考え、“始発駅”と呼ぶ稚内駅から意気揚々と列車に乗込むのだが…何となく「御無沙汰…」と思いながら、この特急列車のキハ261系ディーゼルカーを眺めた…
稚内港中央埠頭を望む…(2021.08.07)
稚内港中央埠頭にはターミナルが設えられ、礼文島の香深港や利尻島の鴛泊港との間を往来するフェリーが発着している。
↓朝はその2つの港との間を行き交う2隻のフェリーが待機していて、様子を眺めるのが好きだ…
↓現在の時季であれば、通常は奥側が先に出航する香深港行で、手前が鴛泊港行だ…
中央埠頭のターミナル側に少し歩を進めてみた…
↓<サイプリア宗谷>が停泊中だった。この船は未だ車輛等を積み込む作業を始める前だった…
↑個人的な感想だが、<サイプリア宗谷>は乗り易い船であるように思う…
↓更にグングン進めば、香深港へ向かう<ボレアース宗谷>の出航準備が進んでいて、乗客を迎え入れ始めていたようだ…
↓何か「酷く画になる…」と思いながらフェリーを眺めた…
連休…思い付いてここの船で島を往復してみるようなことも愉しいかもしれないと思いながら…何やら酷く暑い感じになりそうなので、とりあえず「長閑に過ごそう…」と考えて直ぐに引揚げた…
↓朝はその2つの港との間を行き交う2隻のフェリーが待機していて、様子を眺めるのが好きだ…
↓現在の時季であれば、通常は奥側が先に出航する香深港行で、手前が鴛泊港行だ…
中央埠頭のターミナル側に少し歩を進めてみた…
↓<サイプリア宗谷>が停泊中だった。この船は未だ車輛等を積み込む作業を始める前だった…
↑個人的な感想だが、<サイプリア宗谷>は乗り易い船であるように思う…
↓更にグングン進めば、香深港へ向かう<ボレアース宗谷>の出航準備が進んでいて、乗客を迎え入れ始めていたようだ…
↓何か「酷く画になる…」と思いながらフェリーを眺めた…
連休…思い付いてここの船で島を往復してみるようなことも愉しいかもしれないと思いながら…何やら酷く暑い感じになりそうなので、とりあえず「長閑に過ごそう…」と考えて直ぐに引揚げた…
稚内港北防波堤ドーム…(2021.08.07)
本当に「横になって眠っていた…」というだけで、何をしていたのでもないのだが、眼を開ければ「前身が汗塗れ…」ということに気付く、妙な早朝だった。
かなり明確に「涼む…」という意識で、<幟町ソフトブレンド>という珈琲を淹れてタンブラーに注ぎ、連れ出すかのようにして戸外へ出てみた…
↓月も視えている…低めな天で雲が厚いか、遠くで霧が深いのかもしれない…
↓ほんの少しずつ明るさが増して行くような感じだ…
↓「日出の頃」に至るが、光は解き放たれない感だ…
こういう感じでも、低空の雲を超える程度に朝陽が上った後は…強めな陽射しの、妙に夏らしい感じになっている…何か「上がってしまった気温が下らない…」という妙な按配か?長閑に過ごすことが叶う休日であったことが幸いだ…
かなり明確に「涼む…」という意識で、<幟町ソフトブレンド>という珈琲を淹れてタンブラーに注ぎ、連れ出すかのようにして戸外へ出てみた…
↓月も視えている…低めな天で雲が厚いか、遠くで霧が深いのかもしれない…
↓ほんの少しずつ明るさが増して行くような感じだ…
↓「日出の頃」に至るが、光は解き放たれない感だ…
こういう感じでも、低空の雲を超える程度に朝陽が上った後は…強めな陽射しの、妙に夏らしい感じになっている…何か「上がってしまった気温が下らない…」という妙な按配か?長閑に過ごすことが叶う休日であったことが幸いだ…
<651>(広島電鉄650形):Nゲージ…(2021.08.06)
↓この種のモノ…少し久し振りで、半ば衝動的に入手してしまった…
↑こういうモノは、製造数、流通数が限られる…何やら「残りが少ないらしい」と聞き、「欲しい!!」という想いが不意に強くなってしまったのだった…
これは広島の路面電車のNゲージスケールの模型だ。車輌は「650形」の1輌で<651>である。1942(昭和17)年に初登場の車輌だが、現在でも使用されているという。
↓こういう具合に梱包されて届いたのだ。
広島は1945(昭和20)年8月6日に原子爆弾による攻撃を受け、街が壊滅的な状況に陥ってしまった。そこから少しずつ街の復旧が目指された中、路面電車は可能な範囲で走り続けていて「電車が走っているなら街は何とかなる」と人々に希望を与える存在だったと聞く。
「1942年初登場」と言及したので、既に御気付きかもしれない。この<651>は、1945年8月6日の原子爆弾による攻撃の被害を潜り抜けた車輌の中の1輌ということになる。
「650形」は5輌製造―<651>から<655>の番号が与えられた―され、広島の街で走り回った。そして原子爆弾で、その後の終戦である…
5輌の中の4輌は、終戦の翌年3月頃までに、殆ど元通りの姿で走り回り始めた。損傷が大きかった1輌は大きく容を変えたという。
大きく容を変えた<655>は1967(昭和42)年にトラックと衝突する事故で損なわれてしまった。他の4輌は活躍を続け、1975(昭和50)年にワンマン化改造が施された後、方向幕の電動大型化や冷房設置と幾分の改造が入って、長く動き続けることとなった。
やがて2006年に至り、<653>と<654>とは「引退」となった。<654>は広島市交通科学館という場所で屋外保存・展示されているという。<653>は貸切運行専用となっている。
<651>と<652>は、近年の新しい車輌と比べて相対的に乗客の収容力が劣り、時速35km程度という最高速度であるということで「予備車輌」というような様相を呈しているものの、平日朝の運行便が多めな時間帯に現在でも普通に走っているのだという。
この<651>と<652>、貸切専用の<653>は「被爆電車」とも呼ばれ、少し注目される存在であるという。色々な年式の車輌が行き交う広島の路面電車は、広島を訪ねると必ず眺めて乗車もする訳だが、<651>に乗車したことは無かったと思う。
偶々だが…半ば衝動的に入手しようと通販で申し込み、モノを受け取ったのが「8月6日」ということになった。一寸、この小さな<651>を大事にしたい…
↑こういうモノは、製造数、流通数が限られる…何やら「残りが少ないらしい」と聞き、「欲しい!!」という想いが不意に強くなってしまったのだった…
これは広島の路面電車のNゲージスケールの模型だ。車輌は「650形」の1輌で<651>である。1942(昭和17)年に初登場の車輌だが、現在でも使用されているという。
↓こういう具合に梱包されて届いたのだ。
広島は1945(昭和20)年8月6日に原子爆弾による攻撃を受け、街が壊滅的な状況に陥ってしまった。そこから少しずつ街の復旧が目指された中、路面電車は可能な範囲で走り続けていて「電車が走っているなら街は何とかなる」と人々に希望を与える存在だったと聞く。
「1942年初登場」と言及したので、既に御気付きかもしれない。この<651>は、1945年8月6日の原子爆弾による攻撃の被害を潜り抜けた車輌の中の1輌ということになる。
「650形」は5輌製造―<651>から<655>の番号が与えられた―され、広島の街で走り回った。そして原子爆弾で、その後の終戦である…
5輌の中の4輌は、終戦の翌年3月頃までに、殆ど元通りの姿で走り回り始めた。損傷が大きかった1輌は大きく容を変えたという。
大きく容を変えた<655>は1967(昭和42)年にトラックと衝突する事故で損なわれてしまった。他の4輌は活躍を続け、1975(昭和50)年にワンマン化改造が施された後、方向幕の電動大型化や冷房設置と幾分の改造が入って、長く動き続けることとなった。
やがて2006年に至り、<653>と<654>とは「引退」となった。<654>は広島市交通科学館という場所で屋外保存・展示されているという。<653>は貸切運行専用となっている。
<651>と<652>は、近年の新しい車輌と比べて相対的に乗客の収容力が劣り、時速35km程度という最高速度であるということで「予備車輌」というような様相を呈しているものの、平日朝の運行便が多めな時間帯に現在でも普通に走っているのだという。
この<651>と<652>、貸切専用の<653>は「被爆電車」とも呼ばれ、少し注目される存在であるという。色々な年式の車輌が行き交う広島の路面電車は、広島を訪ねると必ず眺めて乗車もする訳だが、<651>に乗車したことは無かったと思う。
偶々だが…半ば衝動的に入手しようと通販で申し込み、モノを受け取ったのが「8月6日」ということになった。一寸、この小さな<651>を大事にしたい…
稚内港北防波堤ドーム…(2021.08.06)
稚内港北防波堤ドーム…(2021.08.05)
サガリ…ホタテ…ホルモン…焼きめし…枝豆…(2021.08.03)
<サイプリア宗谷>…:鴛泊港(2021.08.01)
稚内から往路で乗船した船と同じ船に、復路も乗船することになった。
↓これは到着直後の様子だが、鴛泊港に停泊する<サイプリア宗谷>である…
沓形港を擁する西側の利尻町域内に入り、また利尻富士町域内へ戻り、待機していた<サイプリア宗谷>に乗船した。
↓甲板に佇んで、出航準備の様子を眺めていた。
↓船は動き始めた…
↓鴛泊港のターミナルが少しずつ遠ざかる…
↓<サイプリア宗谷>が運用されている航路を示したモノが船内にさり気なく掲示されていた…
↓甲板に佇む分には些か揺れた…
船は些かの風浪に負けずにドンドン巡航速度で進み、利尻島から遠ざかって稚内港へ向けて進んだ。<サイプリア宗谷>の船室は椅子席が主体で、椅子に陣取って「何時の間にか居眠り…」という場面も交えて、何やら「何時の間にか進んでいる…」という様子になった。乗心地が好い船だと個人的には思う…
↓一部、舷側の甲板にやや派手な飛沫も上がっていたが、力強く<サイプリア宗谷>は進んだ…
「朝に出て昼に引揚げる」という形であったが、なかなかに想い出深い利尻島訪問となった…
↓これは到着直後の様子だが、鴛泊港に停泊する<サイプリア宗谷>である…
沓形港を擁する西側の利尻町域内に入り、また利尻富士町域内へ戻り、待機していた<サイプリア宗谷>に乗船した。
↓甲板に佇んで、出航準備の様子を眺めていた。
↓船は動き始めた…
↓鴛泊港のターミナルが少しずつ遠ざかる…
↓<サイプリア宗谷>が運用されている航路を示したモノが船内にさり気なく掲示されていた…
↓甲板に佇む分には些か揺れた…
船は些かの風浪に負けずにドンドン巡航速度で進み、利尻島から遠ざかって稚内港へ向けて進んだ。<サイプリア宗谷>の船室は椅子席が主体で、椅子に陣取って「何時の間にか居眠り…」という場面も交えて、何やら「何時の間にか進んでいる…」という様子になった。乗心地が好い船だと個人的には思う…
↓一部、舷側の甲板にやや派手な飛沫も上がっていたが、力強く<サイプリア宗谷>は進んだ…
「朝に出て昼に引揚げる」という形であったが、なかなかに想い出深い利尻島訪問となった…
<仙法志御崎公園>(せんぽうしみさきこうえん)…(2021.08.01)
7月10日にも立寄った場所を、短めな間隔で再訪することとなった。「行かない…」となれば、何年間も機会が設けられないものだが、こういう具合に「何となく機会が生じて…」という場合も在るものなのかもしれない…
利尻富士町側の鴛泊に上陸後に動き始め、利尻町側で利尻富士が視えて、<ミルピス>を試飲してから沓形に至って利尻富士を仰ぎ見たのだった。その沓形から南下して、<仙法志御崎公園>(せんぽうしみさきこうえん)に至った訳である。
↓「海の上に1721mもの山が突き出している…」という、利尻島の独特な地形が判り易く視られる場所である。
↓「溶岩が冷え固まった?」と見受けられるような、独特な感じの岩が拡がる海岸から利尻富士を仰ぎ見るような感じになる。
↓この辺りの景観…好い!
↓やがて雲が流れ込み…利尻富士の姿は視えなくなって行った…
この仙法志から島の東岸を鴛泊へ向かったのだったが、その間は、更に鴛泊を出てからの船上でも利尻富士は視えなかった…が、それはそれとして「遠望していたあの山を、麓で視てみたい…」という、今般“上陸”に誘ってくれた友人達の想いは通じたのであった。
この時に仰ぎ見た利尻富士の様子…早くも「少しばかり懐かしい」という感じがする。
利尻富士町側の鴛泊に上陸後に動き始め、利尻町側で利尻富士が視えて、<ミルピス>を試飲してから沓形に至って利尻富士を仰ぎ見たのだった。その沓形から南下して、<仙法志御崎公園>(せんぽうしみさきこうえん)に至った訳である。
↓「海の上に1721mもの山が突き出している…」という、利尻島の独特な地形が判り易く視られる場所である。
↓「溶岩が冷え固まった?」と見受けられるような、独特な感じの岩が拡がる海岸から利尻富士を仰ぎ見るような感じになる。
↓この辺りの景観…好い!
↓やがて雲が流れ込み…利尻富士の姿は視えなくなって行った…
この仙法志から島の東岸を鴛泊へ向かったのだったが、その間は、更に鴛泊を出てからの船上でも利尻富士は視えなかった…が、それはそれとして「遠望していたあの山を、麓で視てみたい…」という、今般“上陸”に誘ってくれた友人達の想いは通じたのであった。
この時に仰ぎ見た利尻富士の様子…早くも「少しばかり懐かしい」という感じがする。
雨交じりな早朝…(2021.08.03)
野菜サラダ…糠鰊…唐揚げ(ダブル)…(2021.08.02)
夕刻…「昼の部+夜の部」で営業が基本で、このところは人出も少な目な感じである中、「夜の部」は休業することが多かった御近所の御店に「灯りが点いている!」ことに気付いた…
灯りに寄せられるかのように、馴染んだ御近所の御店に立寄った…
↓最初はサラダ…
↑何人かで摘まむことを想定したような、大き目な皿のサラダをガツガツと頂く…何時の間にかこういうのが酷く愉しいと感じるようになり、方々でサラダを頂くことを愉しんでいる。が、この馴染んだ御近所の御店で頂くサラダは格別である。
↓糠鰊だ…
↑保存のために糠漬けとする魚…糠を丁寧に落として焼き上げる。これが何物にも替え難い程度に美味い!この辺では、本当に「美味いと思って普段に頂く…」という感じのモノだと思う。
↓唐揚げである…鶏肉に味と衣を着けて揚げるという代物だ。北海道内では「ザンギ」とも呼び習わしているが、この御店では「唐揚げ」となっている。
↑これも「ダブル!」としょうして2人前を盛り合わせて頂いた…
こんな「愉しい夕食」が本当に好い…
灯りに寄せられるかのように、馴染んだ御近所の御店に立寄った…
↓最初はサラダ…
↑何人かで摘まむことを想定したような、大き目な皿のサラダをガツガツと頂く…何時の間にかこういうのが酷く愉しいと感じるようになり、方々でサラダを頂くことを愉しんでいる。が、この馴染んだ御近所の御店で頂くサラダは格別である。
↓糠鰊だ…
↑保存のために糠漬けとする魚…糠を丁寧に落として焼き上げる。これが何物にも替え難い程度に美味い!この辺では、本当に「美味いと思って普段に頂く…」という感じのモノだと思う。
↓唐揚げである…鶏肉に味と衣を着けて揚げるという代物だ。北海道内では「ザンギ」とも呼び習わしているが、この御店では「唐揚げ」となっている。
↑これも「ダブル!」としょうして2人前を盛り合わせて頂いた…
こんな「愉しい夕食」が本当に好い…
利尻富士を望む…:利尻町・沓形にて(2021.08.01)
雲がやや多い中の航海で、そのまま雲が多目な鴛泊に上陸したのだったが、島の西寄りである利尻町の域に入ると雲が流れ去って利尻富士の姿が視えたのだった。友人達に同行で利尻島に上陸したが、上陸を目指した景気は「日本海岸を北上する際に遠望した利尻富士に近付いて、麓でその姿を視たい」という想いであった。それが「通じた…」ということにもなる。
↓沓形の街に至り、漁港の辺りに立寄った。
↑停泊中の漁船の向こうに大きな利尻富士が視えた。天、山、海が在って、海の幸を採捕する人々の営みが在る…そんなことに想いが廻る光景だ。
↓漁船や漁港と周辺の様々な構造物が見受けられる中、港の水面に利尻富士の姿が映り込むような感じである。
この漁港の箇所から更に海寄りへ進むと、夏季に礼文島の香深港との間を往来するフェリーが発着する場所が設えられている。
↓そのフェリーが発着する辺りの眺めだ…
↑本当に言葉を失って見入ってしまった感だ…
↓天、山、海…海の幸を採捕する人々の営み…本当にそういうことに想いが廻る光景だ。
本当に前日午後まで全く考えていなかった「急遽の上陸」となったのだが、非常に善かった!
↓沓形の街に至り、漁港の辺りに立寄った。
↑停泊中の漁船の向こうに大きな利尻富士が視えた。天、山、海が在って、海の幸を採捕する人々の営みが在る…そんなことに想いが廻る光景だ。
↓漁船や漁港と周辺の様々な構造物が見受けられる中、港の水面に利尻富士の姿が映り込むような感じである。
この漁港の箇所から更に海寄りへ進むと、夏季に礼文島の香深港との間を往来するフェリーが発着する場所が設えられている。
↓そのフェリーが発着する辺りの眺めだ…
↑本当に言葉を失って見入ってしまった感だ…
↓天、山、海…海の幸を採捕する人々の営み…本当にそういうことに想いが廻る光景だ。
本当に前日午後まで全く考えていなかった「急遽の上陸」となったのだが、非常に善かった!
<ミルピス>…(2021.08.01)
利尻町の道路をゆっくりと移動して沓形の方向へ進んでいた…
↓こんな場所を発見して立寄った。
「あっ!?」とこの場所に気付き、通り過ぎてしまったが「引き返して、一寸寄ってみよう…」ということになり、「何処か?Uターン可能と見受けられる地点?」と少し先に進んで引き返してここに至った。
↓こんなモノが売られている。
1本350円の代金を入れる箱が据えられ、そこで支払いし、冷蔵庫から出して頂くようになっている。古い小さな食堂のような設えの店になっていて、テーブルが使える。
↓冷蔵庫から出し、軽く振り、備えられている「牛乳瓶の紙詮を抜くモノ」で蓋を開けて頂く訳だ…
利尻町で手作りされていて、他所に出しているのでもない乳酸飲料であるという。店内には、テレビ番組の撮影に訪れた出演者達のサイン色紙も幾分飾られていた。
飲んでみたが、何処となく「アッサリとした“飲むヨーグルト”?」という味わいだったと思う。或る意味「密かに知られた利尻町の名物」という感じだ…
↓こんな場所を発見して立寄った。
「あっ!?」とこの場所に気付き、通り過ぎてしまったが「引き返して、一寸寄ってみよう…」ということになり、「何処か?Uターン可能と見受けられる地点?」と少し先に進んで引き返してここに至った。
↓こんなモノが売られている。
1本350円の代金を入れる箱が据えられ、そこで支払いし、冷蔵庫から出して頂くようになっている。古い小さな食堂のような設えの店になっていて、テーブルが使える。
↓冷蔵庫から出し、軽く振り、備えられている「牛乳瓶の紙詮を抜くモノ」で蓋を開けて頂く訳だ…
利尻町で手作りされていて、他所に出しているのでもない乳酸飲料であるという。店内には、テレビ番組の撮影に訪れた出演者達のサイン色紙も幾分飾られていた。
飲んでみたが、何処となく「アッサリとした“飲むヨーグルト”?」という味わいだったと思う。或る意味「密かに知られた利尻町の名物」という感じだ…
利尻富士を仰ぎ見る…そして礼文島を望む…:利尻町にて(2021.08.01)
もしかすると「存外に知られていない?」ということかもしれない。利尻島には4つの村が在って、それが2つずつ合わさって、現在も2つの町(自治体)が在る。稚内港との間を往来するフェリーが発着する鴛泊港を擁する、島の東側を占める利尻富士町が在り、反対の西側を占める利尻町が在るのだ。
その利尻富士町の範囲ということになる鴛泊港に着き、「車輛調達!」(レンタカーを利用…)ということにして動き始めようとした際、「反時計回りで動こう…」ということにした。と言うのも、やや雲が多い鴛泊で眼を凝らすと「向こうの天?“明るい”感じな色ではないか?」と思えたのである。
鴛泊から北上してから西へ進みながら南下という進路…これが「反時計回り」である。そういうコースで進むと、天が少し明るくなって来て、雲が上空の強風に押し流されているような様子が見受けられた。
「視えたじゃないか!利尻富士が!!」と一同驚嘆であった…
↓停車可能と見受けられる場所で、このような利尻富士の様子を眺めた…
同行した友人達は、稚内へ北上する道すがらに利尻富士を遠望し、「近くへ行くことが叶うなら?麓であの山の姿を眺めてみたい…」と想い、急遽渡航と決した。そして御誘いも頂いたのだったが…
↓想い、願いが天に通じたのか、見事な利尻富士の姿が視えた。火山活動などで形成された平坦でありながら複雑な感じでもある島の地形を見下ろしながら、巨大な山が悠然と佇んでいる…
↓道路を渡った辺りでは、礼文島の陸地も視えた!
↑礼文島は小高い辺りに佇むと「雲の中?」とでも感じるであろう程度に雲が被っていたが、緑に覆われた陸地が、飛沫を上げる浪も視える海の碧の上で輝いていた。
↓本当に素晴らしい光景だと思う…
利尻島に関しては、東西で少々天候の差異が大きめな場合も見受けられる。そして強風で雲が流れるというような事も手伝って、天候変化の時間的周期も少し短めであるようだ。或いは典型的な“島”の様子ということにもなるのかもしれないが。
前日午後まで全く意図していなかった「急遽…」という感じで利尻島を訪ねたが、船上からの、加えて到着した頃の眺望が好かったとも言い悪い中で、こんな風景に出くわしたというのは大変に幸いである。
その利尻富士町の範囲ということになる鴛泊港に着き、「車輛調達!」(レンタカーを利用…)ということにして動き始めようとした際、「反時計回りで動こう…」ということにした。と言うのも、やや雲が多い鴛泊で眼を凝らすと「向こうの天?“明るい”感じな色ではないか?」と思えたのである。
鴛泊から北上してから西へ進みながら南下という進路…これが「反時計回り」である。そういうコースで進むと、天が少し明るくなって来て、雲が上空の強風に押し流されているような様子が見受けられた。
「視えたじゃないか!利尻富士が!!」と一同驚嘆であった…
↓停車可能と見受けられる場所で、このような利尻富士の様子を眺めた…
同行した友人達は、稚内へ北上する道すがらに利尻富士を遠望し、「近くへ行くことが叶うなら?麓であの山の姿を眺めてみたい…」と想い、急遽渡航と決した。そして御誘いも頂いたのだったが…
↓想い、願いが天に通じたのか、見事な利尻富士の姿が視えた。火山活動などで形成された平坦でありながら複雑な感じでもある島の地形を見下ろしながら、巨大な山が悠然と佇んでいる…
↓道路を渡った辺りでは、礼文島の陸地も視えた!
↑礼文島は小高い辺りに佇むと「雲の中?」とでも感じるであろう程度に雲が被っていたが、緑に覆われた陸地が、飛沫を上げる浪も視える海の碧の上で輝いていた。
↓本当に素晴らしい光景だと思う…
利尻島に関しては、東西で少々天候の差異が大きめな場合も見受けられる。そして強風で雲が流れるというような事も手伝って、天候変化の時間的周期も少し短めであるようだ。或いは典型的な“島”の様子ということにもなるのかもしれないが。
前日午後まで全く意図していなかった「急遽…」という感じで利尻島を訪ねたが、船上からの、加えて到着した頃の眺望が好かったとも言い悪い中で、こんな風景に出くわしたというのは大変に幸いである。
利尻昆布!?(2021.08.01)
燃料タンク…(2021.08.01)
<サイプリア宗谷>…:稚内港(2021.08.01)
↓稚内港フェリーターミナルからの眺めだ。
↑<サイプリア宗谷>が出航に向けて待機中だ。
「サイプリア」?やや不思議な名だ…初めて聞いた時、個人的には「『ガンダム』に登場する物々しい機動兵器の名前?」という程度に思ってしまったが…フェリー会社のウェブサイトによれば「礼文島にのみ生息するレブンアツモリソウにちなんで、アツモリソウの学名“CYPRIPEDIUM(サイプリペディウム)”に、国・地域名“IA”を合わせた造語」とのことである。それで「サイプリア」である。
↓この船に乗ることに…
↑前日午後までは全く計画していなかったが…「急遽の利尻島上陸」という友人からの御誘いを容れて、利尻島の鴛泊港との間を往復してみることにしたのだ。
↓「多少、風浪が?」というような感じで、些か雲が多い中、<サイプリア宗谷>の出航が近付く…
↓全長95.7m、幅15m、深さ5.4m、総トン数3555トン…<サイプリア宗谷>が沖の利尻島を目指して航行を始めた…
↓<サイプリア宗谷>の「2等自由席」ではこういう具合に座席が設えられている。稚内と利尻・礼文との航路であれば2時間弱の乗船時間である。こういうような設えは、居心地が好いと思う。
↓こうして稚内港を発った。「酷く揺れる?」と視えるような海面の感じではあるが、所謂“スタビライザー”なる機構が効いているらしく、乗心地は「普通に船らしい」という程度であった。
時には、こうしてフェリーに乗るのも好い…
↑<サイプリア宗谷>が出航に向けて待機中だ。
「サイプリア」?やや不思議な名だ…初めて聞いた時、個人的には「『ガンダム』に登場する物々しい機動兵器の名前?」という程度に思ってしまったが…フェリー会社のウェブサイトによれば「礼文島にのみ生息するレブンアツモリソウにちなんで、アツモリソウの学名“CYPRIPEDIUM(サイプリペディウム)”に、国・地域名“IA”を合わせた造語」とのことである。それで「サイプリア」である。
↓この船に乗ることに…
↑前日午後までは全く計画していなかったが…「急遽の利尻島上陸」という友人からの御誘いを容れて、利尻島の鴛泊港との間を往復してみることにしたのだ。
↓「多少、風浪が?」というような感じで、些か雲が多い中、<サイプリア宗谷>の出航が近付く…
↓全長95.7m、幅15m、深さ5.4m、総トン数3555トン…<サイプリア宗谷>が沖の利尻島を目指して航行を始めた…
↓<サイプリア宗谷>の「2等自由席」ではこういう具合に座席が設えられている。稚内と利尻・礼文との航路であれば2時間弱の乗船時間である。こういうような設えは、居心地が好いと思う。
↓こうして稚内港を発った。「酷く揺れる?」と視えるような海面の感じではあるが、所謂“スタビライザー”なる機構が効いているらしく、乗心地は「普通に船らしい」という程度であった。
時には、こうしてフェリーに乗るのも好い…
稚内港北防波堤ドーム…(2021.08.01)
利尻富士を遠望する…:ノシャップにて(2021.07.31)
<氷雪の門>…(2021.07.31)
“影”と眺望と…:<稚内開基百年記念塔>にて(2021.07.31)
遠方の友人が北海道に上陸し、当地に立寄るという段取りとなり、御会いするということとなっていた。
ハッキリ申し上げれば、「私如き…」と会って歓談というような時間を設ける旨の申し出を御伝え頂くというだけで、「途轍もなく高価な土産を頂く」というような感である。少し愉しみにしながら、「(当地としては)少々暑い…」という好天の休日に寛いでいた。
友人は車輛を駆って移動していた。到着しそうだとの報が入り、友人が滞在するという、拙宅の極近隣である宿を訪ねて再会を寿いだ。「列車の運航時刻か何かのように、“〇時〇分にXX”ということでもないので…この日は互いに気に入っているあの店で夕食、歓談としよう…」という話しになっていたのだった。その「あの店」の開店にはやや間が在るので、近隣を少し眺めて愉しむということにしてみた。
↓ここを訪ねてみた…<稚内開基百年記念塔>の展望室だ…塔が午後の陽射しを受けて、丘陵の地面に影を落としている…
↑「“あの店”の開店にはやや間が在るのでその辺を…」という話しになった時、塔が丘の上に姿を見せていたので「あそこへ上ろう…」ということにしたのだ。
↓稚内港の様子が眼下に視える…
<稚内開基百年記念塔>はこの展望室を擁し、下の階は郷土資料館になっている。ここを訪ねて、天候が好い場合には「とりあえず展望室」が好い。先に資料館を見学していれば、俄かに霧が拡がって「眺望が!??」となってしまうという、「お笑い…」な場合が実際に在る。そこでとりあえず眺望を愉しんだのである。
↓遠景に利尻富士も霞んでいた…
↑この日、日本海側を移動していたという友人は、随所でこの利尻富士を遠望していたということだった…
時にはこういう眺望を愉しむのも好い…
ハッキリ申し上げれば、「私如き…」と会って歓談というような時間を設ける旨の申し出を御伝え頂くというだけで、「途轍もなく高価な土産を頂く」というような感である。少し愉しみにしながら、「(当地としては)少々暑い…」という好天の休日に寛いでいた。
友人は車輛を駆って移動していた。到着しそうだとの報が入り、友人が滞在するという、拙宅の極近隣である宿を訪ねて再会を寿いだ。「列車の運航時刻か何かのように、“〇時〇分にXX”ということでもないので…この日は互いに気に入っているあの店で夕食、歓談としよう…」という話しになっていたのだった。その「あの店」の開店にはやや間が在るので、近隣を少し眺めて愉しむということにしてみた。
↓ここを訪ねてみた…<稚内開基百年記念塔>の展望室だ…塔が午後の陽射しを受けて、丘陵の地面に影を落としている…
↑「“あの店”の開店にはやや間が在るのでその辺を…」という話しになった時、塔が丘の上に姿を見せていたので「あそこへ上ろう…」ということにしたのだ。
↓稚内港の様子が眼下に視える…
<稚内開基百年記念塔>はこの展望室を擁し、下の階は郷土資料館になっている。ここを訪ねて、天候が好い場合には「とりあえず展望室」が好い。先に資料館を見学していれば、俄かに霧が拡がって「眺望が!??」となってしまうという、「お笑い…」な場合が実際に在る。そこでとりあえず眺望を愉しんだのである。
↓遠景に利尻富士も霞んでいた…
↑この日、日本海側を移動していたという友人は、随所でこの利尻富士を遠望していたということだった…
時にはこういう眺望を愉しむのも好い…
「急遽の上陸」という顛末…(2021.08.01)
「酷く暑かった2021年7月」と記憶することになるであろうか?文字どおりの末日まで、何やら温い空気で、日中は25℃を超えるに留まらず、30℃を伺い、時には「何十年振り?」とか「観測史上最高…」という31℃、32℃という気温も見受けられた。
その7月が終わって8月に改まった最初の日…気温は20℃程度で、少しクールな風が吹き抜ける感じになった。そういう日の顛末…「記憶に留めたい」ということになった。
遠方の友人が北海道に上陸し、当地に立寄るという段取りとなり、御会いするということとなった。
ハッキリ申し上げれば、「私如き…」と会って歓談というような時間を設ける旨の申し出を御伝え頂くというだけで、「途轍もなく高価な土産を頂く」というような感である。友人は、偶々御住いの御近所に在る見覚えの在る店を営む会社が出している珈琲豆を使っているという話しを面白がり、「店舗限定販売…」と称する珈琲豆を土産に持参してくれた。酷く有難い…到着時に連絡を頂いたので御会いし、夕刻は際限なく拡がって尽き悪い四方山話の一時を愉しく過ごすことも叶った。
そういう中であったが…「利尻島へ一寸行ってみないか?」と不意に御誘いを頂いた。偶々、7月10日に訪ねた経過が在ったが、稚内に在って「酷く遠いでもない他方、なかなか行かない??」という感の利尻島について、機会が生じる際には頻繁に生じるものである。
聴けば…稚内を目指して車で日本海側を北上中、「北海道としては妙に暑くないか??」という好天な中、何箇所もの場所で「海に浮かぶ画のような山」の眺望を愉しんだそうだ。友人は同行者と2人で移動していたのだが、同行者が「稚内に着いて…そこから船に乗ると、あの海の向こうの大きな山の麓に辿り着くことが?一寸…行ってみたいね…」と思い付いて言っていたのだという。
友人達にしてみれば、利尻島へ渡ることを試みるのは「不意な予定変更」ということにはなる。稚内に至り、泊まった翌日は稚内から車で南下し、旭川に宿を求めているのだという。午前中から稚内を発って、ゆっくりと南下という計画だが、「朝に利尻島へ。利尻島で少し過ごし、昼のフェリーで稚内へ。稚内からは午後2時頃以降に他所へ移動…」ということにしてしまうのであれば、それは「可能と見受けられる」という案でもある。旭川の宿に入って「無事に着いた!」と、美味いモノを頂くことに差支え無い次元の時間帯に辿り着けることであろう…
北海道内で使っている車輛を利尻島へ航送するのであれば「少し高価に過ぎてしまう?」という感でもあり、急に対応し悪いということも在ろうが、利尻島内でレンタカーを利用することは「空き」さえ在れば可能だ。利尻島の鴛泊のレンタカー店に電話で問い合わせると「空き」は在ったようだ。そしてフェリーに乗船するだけならターミナルで乗船券を求めるというだけの話しである。「利尻島へ一寸行ってみないか?」との御誘いを容れ、同行させて頂くことに決した。「明日の朝…午前6時半頃にターミナル集合…利尻島に渡り、昼の船で稚内に引揚げる…」という相談になった。
その「明日の朝…」と約した朝に至った…
事前に予定していたという程でも無かったが、朝から少し出るとなって、何となく早目には起き出した。特段に何かが在るでもなくとも、早目に起きる場合は多いが…朝に関しては「涼む…」という意識は起こり悪い感だった。20℃程度で、風は普通に吹き抜けている。そして曇天だった…
予定どおり友人達とフェリーターミナルで落ち合い、利尻島の鴛泊港と稚内港との間を往復する乗船券を求めた。そして<サイプリア宗谷>に乗船である…
<サイプリア宗谷>の航海は「適度に船らしい…」というような按配、些かの風浪をものともせずに「新鋭船のスタビライザーの威力?」という感じで悪くない乗心地ではあった。が…雲が厚く、洋上の巨大な利尻富士は殆ど姿が視えなかった…
後刻、友人が吐露していて、自身でも思わないでもなかったが「これは?利尻島に上陸し、些かの土産を求めて、適当に珈琲でも啜って、場合によって何かを頂いて…“終了”か??」というような、如何にも雲が多い感じであった。しかし!鴛泊港に着いた頃「或いは“西”の天が明るい感じなので、“西”の利尻町側に向かうと景色は好いかもしれない?!」という様子だった。
そうして…利尻町側に至れば、利尻富士を覆った雲が海を渡る風に流され、利尻富士がその姿を我々一行の前に現したのだった。
本当に、「あの海の向こうの大きな山の麓に辿り着くことが?一寸…行ってみたいね…」という友人達の“想い”が天に通じたというような気がする。結局、利尻町側入っていた間に利尻富士の姿を眺めることが叶ったのだが、復路の船上からも利尻富士の姿が視え悪かったということを想うと、本当に「絶妙なタイミングで眺めることが叶った!」ということになる。
事実として「私の側が友人たちに誘われて同行」ということにはなるが、私の側でも活き活きと、嬉々として景色を愉しんでいたので、逆に「写真を撮りに出るために、私の側が友人に協力要請を…」というようにさえ見受けられたかもしれない。
「急遽の上陸」ということで、偶々「短い間隔…」となった利尻島であるが、忘れ難い出来事となった。
因みに、利尻島から引揚げてから分かれた友人達は、計画の移動コースに戻って直ぐに移動し、順調に動き続けているようである。
その7月が終わって8月に改まった最初の日…気温は20℃程度で、少しクールな風が吹き抜ける感じになった。そういう日の顛末…「記憶に留めたい」ということになった。
遠方の友人が北海道に上陸し、当地に立寄るという段取りとなり、御会いするということとなった。
ハッキリ申し上げれば、「私如き…」と会って歓談というような時間を設ける旨の申し出を御伝え頂くというだけで、「途轍もなく高価な土産を頂く」というような感である。友人は、偶々御住いの御近所に在る見覚えの在る店を営む会社が出している珈琲豆を使っているという話しを面白がり、「店舗限定販売…」と称する珈琲豆を土産に持参してくれた。酷く有難い…到着時に連絡を頂いたので御会いし、夕刻は際限なく拡がって尽き悪い四方山話の一時を愉しく過ごすことも叶った。
そういう中であったが…「利尻島へ一寸行ってみないか?」と不意に御誘いを頂いた。偶々、7月10日に訪ねた経過が在ったが、稚内に在って「酷く遠いでもない他方、なかなか行かない??」という感の利尻島について、機会が生じる際には頻繁に生じるものである。
聴けば…稚内を目指して車で日本海側を北上中、「北海道としては妙に暑くないか??」という好天な中、何箇所もの場所で「海に浮かぶ画のような山」の眺望を愉しんだそうだ。友人は同行者と2人で移動していたのだが、同行者が「稚内に着いて…そこから船に乗ると、あの海の向こうの大きな山の麓に辿り着くことが?一寸…行ってみたいね…」と思い付いて言っていたのだという。
友人達にしてみれば、利尻島へ渡ることを試みるのは「不意な予定変更」ということにはなる。稚内に至り、泊まった翌日は稚内から車で南下し、旭川に宿を求めているのだという。午前中から稚内を発って、ゆっくりと南下という計画だが、「朝に利尻島へ。利尻島で少し過ごし、昼のフェリーで稚内へ。稚内からは午後2時頃以降に他所へ移動…」ということにしてしまうのであれば、それは「可能と見受けられる」という案でもある。旭川の宿に入って「無事に着いた!」と、美味いモノを頂くことに差支え無い次元の時間帯に辿り着けることであろう…
北海道内で使っている車輛を利尻島へ航送するのであれば「少し高価に過ぎてしまう?」という感でもあり、急に対応し悪いということも在ろうが、利尻島内でレンタカーを利用することは「空き」さえ在れば可能だ。利尻島の鴛泊のレンタカー店に電話で問い合わせると「空き」は在ったようだ。そしてフェリーに乗船するだけならターミナルで乗船券を求めるというだけの話しである。「利尻島へ一寸行ってみないか?」との御誘いを容れ、同行させて頂くことに決した。「明日の朝…午前6時半頃にターミナル集合…利尻島に渡り、昼の船で稚内に引揚げる…」という相談になった。
その「明日の朝…」と約した朝に至った…
事前に予定していたという程でも無かったが、朝から少し出るとなって、何となく早目には起き出した。特段に何かが在るでもなくとも、早目に起きる場合は多いが…朝に関しては「涼む…」という意識は起こり悪い感だった。20℃程度で、風は普通に吹き抜けている。そして曇天だった…
予定どおり友人達とフェリーターミナルで落ち合い、利尻島の鴛泊港と稚内港との間を往復する乗船券を求めた。そして<サイプリア宗谷>に乗船である…
<サイプリア宗谷>の航海は「適度に船らしい…」というような按配、些かの風浪をものともせずに「新鋭船のスタビライザーの威力?」という感じで悪くない乗心地ではあった。が…雲が厚く、洋上の巨大な利尻富士は殆ど姿が視えなかった…
後刻、友人が吐露していて、自身でも思わないでもなかったが「これは?利尻島に上陸し、些かの土産を求めて、適当に珈琲でも啜って、場合によって何かを頂いて…“終了”か??」というような、如何にも雲が多い感じであった。しかし!鴛泊港に着いた頃「或いは“西”の天が明るい感じなので、“西”の利尻町側に向かうと景色は好いかもしれない?!」という様子だった。
そうして…利尻町側に至れば、利尻富士を覆った雲が海を渡る風に流され、利尻富士がその姿を我々一行の前に現したのだった。
本当に、「あの海の向こうの大きな山の麓に辿り着くことが?一寸…行ってみたいね…」という友人達の“想い”が天に通じたというような気がする。結局、利尻町側入っていた間に利尻富士の姿を眺めることが叶ったのだが、復路の船上からも利尻富士の姿が視え悪かったということを想うと、本当に「絶妙なタイミングで眺めることが叶った!」ということになる。
事実として「私の側が友人たちに誘われて同行」ということにはなるが、私の側でも活き活きと、嬉々として景色を愉しんでいたので、逆に「写真を撮りに出るために、私の側が友人に協力要請を…」というようにさえ見受けられたかもしれない。
「急遽の上陸」ということで、偶々「短い間隔…」となった利尻島であるが、忘れ難い出来事となった。
因みに、利尻島から引揚げてから分かれた友人達は、計画の移動コースに戻って直ぐに移動し、順調に動き続けているようである。
<幟町ソフトブレンド>…(2021.08.01)
↓「老舗のモノ」という雰囲気が溢れる缶だ…
↓「COFFEE」と大書された缶に、袋に詰まった珈琲豆だ…
↓広島からやって来たブレンドである。<幟町ソフトブレンド>と称する。
広島の街中に在る地名の「幟町」は、「のぼりちょう」が公式な読み方ということになっているというが、街では「のぼりまち」と言う方が通りが好いらしい。この珈琲豆は、その広島の街中、幟町から遥々と当地までやって来てくれた訳だ。
各地―本当に全国の様々な街―の店が送り出すブレンド珈琲の豆を取寄せ、居室でそれを挽いて淹れるというようなことを頻繁に愉しんでいる。そして「珈琲豆の写真」というようなモノを撮ってみて、こちらのブログでも御紹介している。
少し前から<コトブキヤブレンド>、<寿屋クラシックブレンド>という、広島で昭和20年代から続いているという老舗によるブレンド豆も愉しんでいる。<寿屋クラシックブレンド>は先に使い切っているが、<コトブキヤブレンド>は未だ在る。
そんな旨をこのブログで取上げていたところ、広島在住の友人が当該記事を眼に留めたという。「“広島の寿屋”?近所で珈琲豆を売っていたり、テイクアウトの珈琲やその他を売っている店が在って…あの店が“寿屋”という看板ではなかったか?!」ということになったのだそうだ。
会社は正式には「株式会社 寿屋珈琲飲料社」と号するそうだ。喫茶店等に珈琲等を卸す他、珈琲豆販売を主とする店、喫茶店を計4店直営しているという。広島在住の友人が「あの店がその“寿屋”?」と眼に留めたのは<幟町店>であった。
友人はこの<幟町店>に立寄ってみて「珈琲好きな北海道の友人への土産を見繕う…」と御店の方と話したそうだ。そういう中、「幟町の店舗限定販売のブレンドが…」ということで<幟町ソフトブレンド>を御紹介頂いたそうだ。
↓折角頂いた。そして「幟町の店舗限定」に興味を覚えた。そこで早速に使い易いように袋の豆を缶に開けて、早速試飲である。
「ソフトブレンド」を謳っている。中庸というような感じで、苦味が強いのでもなく、広く受け容れられるようなバランスだと思った。柔らかい苦味の周辺に、珈琲の味の諸要素が仄かに滲むかのようだ。
↓友人に土産としてこの<幟町ソフトブレンド>を頂いたが、こういう“付録”も在った…
<幟町店>に立寄った友人は、「珈琲好きな北海道の友人は“広島の店から珈琲豆を”とブログに書いている」と話題にして、スマートホンでそれを御店の方に御覧頂いたのだそうだ。そうしたところ酷く喜んで頂き「この方に御土産?それでは是非…」と、この“粗品”を添えて下さったのだそうだ。
「昔風な、会社名でも入ったタオルか?」と思ったが…
↓「会社名でも入ったタオル」の類であることに間違いはないが、キッチンで色々な用途に使うようなモノだった。
こういうモノに出くわすと…これを売っている「広島の幟町」という場所を訪れてみたくなる。それはそれとして、この店舗限定という豆もなかなかに好かった
↓「COFFEE」と大書された缶に、袋に詰まった珈琲豆だ…
↓広島からやって来たブレンドである。<幟町ソフトブレンド>と称する。
広島の街中に在る地名の「幟町」は、「のぼりちょう」が公式な読み方ということになっているというが、街では「のぼりまち」と言う方が通りが好いらしい。この珈琲豆は、その広島の街中、幟町から遥々と当地までやって来てくれた訳だ。
各地―本当に全国の様々な街―の店が送り出すブレンド珈琲の豆を取寄せ、居室でそれを挽いて淹れるというようなことを頻繁に愉しんでいる。そして「珈琲豆の写真」というようなモノを撮ってみて、こちらのブログでも御紹介している。
少し前から<コトブキヤブレンド>、<寿屋クラシックブレンド>という、広島で昭和20年代から続いているという老舗によるブレンド豆も愉しんでいる。<寿屋クラシックブレンド>は先に使い切っているが、<コトブキヤブレンド>は未だ在る。
そんな旨をこのブログで取上げていたところ、広島在住の友人が当該記事を眼に留めたという。「“広島の寿屋”?近所で珈琲豆を売っていたり、テイクアウトの珈琲やその他を売っている店が在って…あの店が“寿屋”という看板ではなかったか?!」ということになったのだそうだ。
会社は正式には「株式会社 寿屋珈琲飲料社」と号するそうだ。喫茶店等に珈琲等を卸す他、珈琲豆販売を主とする店、喫茶店を計4店直営しているという。広島在住の友人が「あの店がその“寿屋”?」と眼に留めたのは<幟町店>であった。
友人はこの<幟町店>に立寄ってみて「珈琲好きな北海道の友人への土産を見繕う…」と御店の方と話したそうだ。そういう中、「幟町の店舗限定販売のブレンドが…」ということで<幟町ソフトブレンド>を御紹介頂いたそうだ。
↓折角頂いた。そして「幟町の店舗限定」に興味を覚えた。そこで早速に使い易いように袋の豆を缶に開けて、早速試飲である。
「ソフトブレンド」を謳っている。中庸というような感じで、苦味が強いのでもなく、広く受け容れられるようなバランスだと思った。柔らかい苦味の周辺に、珈琲の味の諸要素が仄かに滲むかのようだ。
↓友人に土産としてこの<幟町ソフトブレンド>を頂いたが、こういう“付録”も在った…
<幟町店>に立寄った友人は、「珈琲好きな北海道の友人は“広島の店から珈琲豆を”とブログに書いている」と話題にして、スマートホンでそれを御店の方に御覧頂いたのだそうだ。そうしたところ酷く喜んで頂き「この方に御土産?それでは是非…」と、この“粗品”を添えて下さったのだそうだ。
「昔風な、会社名でも入ったタオルか?」と思ったが…
↓「会社名でも入ったタオル」の類であることに間違いはないが、キッチンで色々な用途に使うようなモノだった。
こういうモノに出くわすと…これを売っている「広島の幟町」という場所を訪れてみたくなる。それはそれとして、この店舗限定という豆もなかなかに好かった