稚内港北防波堤ドーム…(2021.09.14)

日曜日から月曜日は、日曜日に少し定番を外れる時間帯に寝入って、やや長く眠った関係上、月曜日朝の始動が少々遅めであったかもしれない。

月曜日から火曜日については、「夕食を摂って早目に休んで…」という“通常”に回帰した感で、火曜日は「日出を期待する頃」には起き出していた…

↓例によって「極々短い散策」と称して戸外に出てみた…
14-09-2021 early morning (1)
↑明るい感じの朝だった…

↓少しばかり風浪は強い感だ…
14-09-2021 early morning (4)

↓自身が多少の海水を浴びることに躊躇は無いが、提げているカメラが海水を被るという事態は避けたい…何時もよりも遠慮がちに海岸に佇んだ…
14-09-2021 early morning (6)

↓風浪の音の他方で、低空の雲が少な目、同時に上空で様々な雲が蠢くという様子は少し面白かった…
14-09-2021 early morning (11)

↓光の様子が刻々と変わる中、種々の鳥の動きも活発であったように視えた…
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↓やがて朝陽が覗いた…
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半袖Tシャツにジーンズ穿きというような服装が既に肌寒いと思った。その辺に散らかっていたパーカーを屋内で着込んでいたが、早朝の戸外に出る際に裏地の無いデニムジャケットを引掛けた。そしてキャップ着用で出たが、その程度が程好いと思った。多分、15℃程度という気温以上に“体感”としては寒いというように思った…

↓「やや強い風浪…冷たそう…」という中に朝陽が上り、光が解き放たれて辺りを染めている…或いは?「非常に稚内らしい…」という様相なのかもしれない…
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今朝の風浪の感じ…これは「秋が少しばかり深まって…」という気さえする様相だ…日出時刻?「5時8分」ということになったらしい…季節も確り動いている…

こういうような様子を見詰めながら過ごす時間が好いのだ…

『入江泰吉の原風景 昭和の奈良大和路 昭和20~30年代』…(2021.09.10)

↓一冊の本…写真作品の本だ…
10-09-2021 my ones (14)
↑大変有難いことに「重複して求めてしまっていたモノで自身の分は在るから…」と或る方から贈って頂いた。恐縮しながら拝受して、大切にしている。そして時々紐解いている。

入江泰吉(いりえたいきち)(1905-1992)は奈良の風景の写真で大変に知られている。奈良市に寄贈した作品を基礎に<写真美術館>が設けられていて、なかなかに面白い場所となっている。

この入江泰吉が撮り貯めていた、作品として広く知られているのでもない風景写真を集めたというのが本書である。<写真美術館>が携わった出版であるようだ。

自身は奈良県へ何度か足を運んでいて、勝手ながら「関西の別邸」と呼ぶ場合さえ在る気に入った宿も市内に在って、益々足を運ぶ回を重ねてはいる。が、それも比較的近年のことで、少し古い様子を承知しているのでもない。

そういう背景で本書を拝見すると「〇〇通!?こんな様子だった…」、「この場所に何やら人が集まっている…この時代、人々の外出時の服装って?!」、「現在は人を入れていない筈だが…入ることが出来た時代だった!?」という感じ、「ここ?あの駅の近く?所謂“沿線ニュータウン開発”というのに着手されたような頃??」というような様子で、何回頁を繰っても新鮮だ。率直に、現在では余りにも様子が変わって、余程地元に明るい人でもなければ場所の特定が困難かもしれない。それでも本書では、そういう「現在は〇〇が在る」という説明的情報も多くの写真に付されている。大変な作業であったような気もするが、それを読んで「アレの辺り!?」と驚きを新たにする。

掲載写真が撮影されたのは昭和20年代、昭和30年代で、当然ながらカメラー<写真美術館>には入江泰吉が愛用したモノが展示されているが…ーにフィルムを入れて、撮影後に現像し、プリント―当時は「印画紙に焼付」と寧ろ言ったかもしれない…―をするモノクロ写真ばかりが載っている。「何となくモノクロ写真が好き」で愉しんでいる自身には、大変に勉強になる作品集ということにもなっている。

作品を視ながら、撮影者の入江泰吉は昭和20年代、昭和30年代の手近な様子を眺めて「失われて行くかもしれない何か」と「受継がれていくかもしれない何か」とが混在していることを想い、やがて「護り伝えたい何か」を写真に記録しようとしたのかもしれない、というようなことを考えた。

やや卑近な話しになるかもしれない。入江泰吉の略歴的な情報に触れて「1905年生まれ」ということに気付いた。これは確か、他界して久しい父方の祖母の生年と似たような頃であることに思い至った。ということは、この本に在るような写真の景色は「祖父母達が視ていたような様子」、「祖父母達が一線で活躍していたような時代の様子」ということになる。尤も、自身の縁者が当時の奈良県に在ったのでもないので、多少様子は異なるであろう。が、それでも自身が産まれる以前に他界している父方の祖父は鉄道関係の仕事に携わっていたと聞くので、奈良県でも動いていた蒸気機関車が写っている画を視ると、祖父母が視ていたような様子だと熱くなる面も在った。

この一冊は「写真の大きな魅力」を伝える<写真美術館>の労作で価値が高いと思う。そして「失われて行くかもしれない何か」と「受継がれていくかもしれない何か」とが在る中、御自身が考える「護り伝えたい何か」を撮り続けようとした入江泰吉の想いを感じる。

こういう好いモノとの出会いに関しては、こうして綴っておきたいものだ。そうしながら「奈良県か…」と想う…訪ねてみたい場所が多過ぎて、出掛けようと考え始めると、考えが収拾困難な感じになって苦笑いしてしまうということを繰り返す…

この本を贈って頂いた方に重ねて感謝申し上げたい。