↑嘗て、国鉄時代に運行されていた列車の客車脇に掲出されていたサイドボードをミニチュアにしたモノだ。
↓裏側も在る…何方が表なのかよく判らないが…
↑函館・稚内間を直通で運行する列車が嘗ては在った訳だ…
現在、稚内から函館へ列車で向かうとすれば、札幌以南は千歳線を通って苫小牧や東室蘭を経て長万部に至り、そこから函館へ向かうという経路、加えて「乗継必須」ということになる。が、このミニチュアの「現物」が使われていた頃は、札幌に到った列車が更に進んで小樽に至り、小樽以南は「山線」と呼び習わされている函館本線を進み、長万部に至ってから函館へ南下した訳だ。
↓そんな列車が実際に走っていたような頃の時刻表だ…
↑稚内駅を6時10分に発車する列車が函館駅に着くのは17時51分であったそうだ。12時間近い運行ということになる…多分?列車は平均すると時速60㎞程度で走っていたのではないだろうか…
↓『交通公社の国鉄監修時刻表 1964年10月号』という代物だ…
↑1964年10月?東海道新幹線が運行を始めたような頃だ…
↓こういうようなカバーが掛かって「復刻」という形で売られているのだという。友人が贈ってくれた。(有難う!!)
半世紀以上も前ということになるのだが…この時代の時刻表を眺めると「ドンドン乗り継ぎながら、色々な方面へ移動する数々の列車が動いている」というイメージだ。最近の「特定区間を往来する特急列車の隙間に普通列車が些か」という雰囲気とは違う。そして稚内の近くのような場所では、現在の「余りにも限定的な本数の列車」という程度でもなく、もう少し列車本数が在る…
↓この時代の北海道の鉄道網だ…現在のモノは「スカスカ…」という感じだが、随分と様子が違う…
この時代には、稚内駅と函館駅という「どころではない!?」という感じ、例えば「東京駅と九州の鹿児島駅とを結ぶ」というような次元の「長大な運行距離」の列車が色々と動いていたらしい。『交通公社の国鉄監修時刻表 1964年10月号』をパラパラと捲れば、そういうのが色々と出ている。
そういう長大な運行距離の列車は、実は少しばかり動かし悪いのかもしれない。が、そういうモノではなくても、東京・鹿児島という程に極端でもない長距離を「ドンドン乗り継いで進む」ということが顧慮されていた様子が伺える。こういうのを視ると「現在は半世紀以上も前より、或る意味で不便?」と少し思わないでもない…単に“鉄道”というのでもなく、寧ろ「鉄道網」と呼ぶべき感、“網”(ネットワーク)という性質に関して「嘗て…」の方が重視されていたのではないであろうか?
「稚内→(小樽経由)→函館」ということだが、以前に足掛け2日で普通列車を乗り継いで試してみたことが在った。古くは、その経路を12時間で走る列車も在って、他にも乗り継いで進む術が色々と在ったように見受けられるが、現状は「列車本数が限定的で乗継困難…」である。旭川・札幌、札幌・函館の特急列車は盛んに走っているが…稚内・旭川は列車が少ない。そして小樽方面を巡る経路では函館へ向かい悪い。
少しばかり古い資料に何気なく眼を通すと、色々なことに気付かされるかもしれない…時にはこういうのも面白い。