大仏殿:東大寺:奈良(2021.12.19)

南大門を潜り抜けると…

↓こういうようになっている…
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↑大仏殿の周辺が回廊の壁に覆われていて、大仏殿の正面に相当する箇所が門のようになっている。

拝観する場合、上の画の左側に進んで端に設けられた入口から入る。

「東大寺を真面目に拝観しよう!久し振りに大仏様に面会するのだ!」と思い付いてここに至った。入場券窓口に至ると、<東大寺ミュージアム>との“共通券”も売られている。<東大寺ミュージアム>は東大寺に伝わる名宝を展示している場所なのだが、考えてみると入ったことが無かった。その“共通券”を窓口の係に御願いした。

係の方は妙なことを言う。「大仏殿を御覧頂いた後、<東大寺ミュージアム>のオープンまで間隔が空きますが…」ということだった。窓口に在った時点で大仏殿は既に拝観者を迎えていたが、<東大寺ミュージアム>が開くのは45分か50分か後だった。なるほど、急いで他へ動くなら“共通券”は無用だ。が、私は応じた。「大仏殿の後、あちらの法華堂または三月堂や、二月堂や何かを拝観して、その辺を散策しようかと思います。それなら結構な時間を要しますから…」とである。すると窓口の係の方から笑みが零れた。「そうですね!色々と廻って頂けますね!」と嬉しそうで、そしてその“共通券”を売ってくれた。

↓そして入り込んだが…建物はとにかく大きい…
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↓「輝かしい威容!」という程度に思い、暫し眺め入ってしまった…
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↓近付けば近付く程、「大きさ」が迫って来るかのようだった…
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↓中には大仏が鎮座している…
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↓何か「小さな丘」でも見上げるような存在感だと思う…
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↓左に虚空蔵菩薩…
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↓右に如意輪観音…
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↓更に広目天や…
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↓多聞天…
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これらの周囲の像も「十分に大きい!」と思う…

↓その「十分に大きい!」という各々よりも更に大きな大仏だ…
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↓こんな模型も大仏殿の中には在った…
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↑整備が進められて完成した頃の様子だというが、大仏殿の脇には東西の巨大な塔も聳え立っていたのだという…

↓本当に見上げるような巨大な建物だ…
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↓退出して、鏡池の辺りで様子を暫し眺め入った…
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以前に大仏殿に入ったのは何時だったか?随分と御無沙汰だったと思う…今般は非常に善かった!
posted by Charlie at 03:23Comment(0)奈良県

南大門:東大寺:奈良(2021.12.19)

↓扁額に在る「大華厳寺」とは東大寺の異称なのであろう…
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この巨大な門を見上げると「東大寺に辿り着いた」とか「東大寺に迎えて頂いた」という程度に思う。

↓他方で門よりも手前にこういうような標柱も在る。何となく眼に留まった…
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↓写真を撮るタイミングを掴もうと、他の人達が通り過ぎるのを待っていた面も在るのだが、何かこの巨大な門を見入ってしまった…
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↓巨大な門は、巨大な金剛力士が護る…
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↓金剛力士は通常は阿形と吽形との対になっている。
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この巨大な門は「南大門」という。「南大門」というのは「寺の南側の主要な門」という程度の意味の「一般名詞」に過ぎないとは承知している。が、「南大門」と聞けば東大寺に据えられた巨大な門を直ぐに思い出すので「固有名詞」のような気さえする。この威容に迎えて頂けたことが善かった…
posted by Charlie at 02:15Comment(0)奈良県

「注意」…(2021.12.19)

↓「立派!」と些か驚いた後、何か苦笑いが漏れた…
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↑奈良県庁の傍だ…

奈良県庁の周辺は「街の公園」というよりも「公園の中の街」とか「公園の一部を“街”と呼んでいる」という風情で、「公園内の野生動物」ということになる鹿が随分と闊歩している。車輛を運転する人達に向けて、どんなに注意喚起をしても足りない程なのであろう。

それはそれとして「なかなかに佳いデザイン?」と感心もしてしまった…
posted by Charlie at 01:20Comment(0)奈良県

九条通と東寺と…(2021.12.19)

↓静かな九条通に出てみた…
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↓バス停が在ったが、バスが動き始めているか否かは敢えて確かめなかった…
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↓暗かった中、<X100F>を手持ちで無理に写真を撮っていた…
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↓九条通を跨ぐ歩道橋に上がってみた。多分、「1日の中で最も静かな時間帯?」という様相だった…
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↓提灯の灯りに引かれるように、門を潜って東寺の境内に入ってみた…暗くとも既に開門時間になっていた…
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↓五重塔の背後、東寄りな天が「ほんの微かに明るい??」という様相ではあった…
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↓有料拝観の際の入口となる側の辺りへ歩いた…
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↓境内に自販機も見受けられた…
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↓漸く東寄りな天が明るい感じに視えて来た…
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↓境内の社に参拝する人や写真愛好家や、人影も視えるようになって来た…
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↓概ね好天と伺える様子だった…
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振り返って…こんなに早くから、随分と元気に歩き廻っていたのだった…が、地元でも行動は然程変わらないということにも思い至り、苦笑いが漏れた。
posted by Charlie at 01:11Comment(0)京都府

早朝に歩いた大宮通=五条大宮から九条大宮へ南下…(2021.12.19)

京都の宿の居室に在った早朝、思い付いたのは「大宮通を南下して歩き、東寺駅から近鉄の列車に乗ってみる」ということだった。

約1カ月前に京都に至った際には、東寺辺りから大宮通を北上しながら歩いて五条大宮の宿に至ったという経過が在った。明るい日中だった。今般は暗い早朝に同じ経路を南下してみようとした訳だ。宿は違っても、概ね五条大宮辺りの宿だったことを思い出したのだ。

身軽な荷物で出た戸外は少し冷えていたが、多分3℃を挟むような気温帯で、風も微弱で歩き易いという程度に思った。

↓大宮通が五条通に交わる交差点の南東側だ。コンビニが在る。
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↓この種の看板は、不慣れな街であっても、歩き廻る際には好い目印になるというものだ。
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↓思うと「日曜日の未だ暗い早朝」で、交通量は少ない…京都では路面に「自転車」のマークを視掛けることが多いような気もする。
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↓広めな歩道には、「意外に少数派?」という感の公衆電話ボックスも在った。
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↓「歩いて南下」の場合、「右側」は「西」であろう…月が視えた…
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↓何やら「半地下」というようになっている箇所が見受けられる…
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↓道路が高架というような様子が見受けられ、それを支えている橋桁のようなモノの向こうに月が視えていた…
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↓トンネル状の箇所を潜った…
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↓東寺の北東側が視えた。門の脇に交番も在る…
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↓未だ暗い天に五重塔のシルエットが認められるようになって来た。月も視えていた…
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↓五重塔が近くに視える辺りへ…
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↓大宮通が九条通と交差した…
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多分20分間前後だったと思うが、非常に静かな大宮通を南下して至った東寺辺りを少し歩き廻って過ごしたのだった…こういう場合は、身軽な荷物で<X100F>を提げるという程度が好い感じだと思う…
posted by Charlie at 00:49Comment(0)京都府

旅の荷物…(2021.12.19)

東寺駅から列車に乗ろうとしたが、ホームに佇んでいて靴紐が解けていることに気付いた。

そこで荷物を置いて靴紐を整えた。

↓何気なく自身の荷物に眼を留めた…
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↑ノートパソコンや些かの着替えを入れたリュックサックに、カメラ等を入れたトートバック…これだけだ…遠路遥々と出掛ける風情でもない…

こういう具合に身軽に、動く時は動き、大きく動かない時には更に身軽にしてしまう。それが「自身の流儀」だ…

バッグは同じ型のモノが未だに出回っているようだが、リュックサックは同じ型がもう売られていないようだ。

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posted by Charlie at 20:41Comment(0)京都府

意外とも言えるかもしれない動き…=運行日誌(2021.12.19)

或る種の“科学”というような「客観的指標」のようなモノ等在る筈もないとは思うが、そして個人差が非常に大きいのだとも思うが「居心地が好い」と思う街の規模」という程のモノが各人各様に在るような気がする。自身の場合、その「居心地が好い」と思う範囲は色々な意味合いでかなり広いような気がしている。「広い」からこそ、方々へ出掛けるようなことを好む一面が在るのだとも思う。

訪ねて滞在したというようなことを話題にすれば「修学旅行で…」という程度の訪問経験しか無いという人が存外多い奈良であるが、何となく滞在してみて居心地が好かったことから、勝手に「関西の別邸」と呼んで、関西方面に出るようん機会を設ける都度、立寄りや滞在が視野に入るようになっている。その奈良に在る。

奈良では2軒程度の「複数回の利用経過の宿」が在る。その中の1軒に滞在することにした。少し馴染んだ感じの中で何となく寛いで居て、「後は何時でも休んで頂いて構いません」というような状態だ…

単純に「チェーンホテルのフロント担当従業員の“マニュアル”に在るフレーズに過ぎない?」ということかもしれない「お帰りなさいませ!」を大阪で聞いて気を好くしたというようなことを既に綴った。

実際、自身は何らかの形で大阪に縁深いのでも何でもない。偶々何度も訪れて、少しばかり気に入った訪問先になっているというだけのことだ。だから「お帰りなさいませ!」に気を好くする筋合いでもない。が、「各々な伝統を積み重ねた様々な地域が連なり、様々な文物に気軽に出会える場所」という大阪を含む関西は好いのだ。

そうは言っても、関西以外に訪ねたい場所は多い。何とか訪ねたい「(実質的)未踏箇所」も国内には多い。それでも今般関西に入ったのは「会いたい人達が在る西日本」で動こうとしたからに他ならない。その“第一弾”に備えるというのが今日の動きの基礎だ。会いたい方と会って共に過ごすという話しが在って、それに目掛けての奈良滞在ということでもある。

そういう要素に加え、最近思っていることが在る。「定番を避けず、真面に向き合ってみると酷く善い」という程度に、高野山での経験、その後に道草の京都で強く思ったので、それの「実践」を少し意識した。

問題意識は問題意識として、「出先」でも「習性」に然程の差異等無い。そして気持ちが昂っているためか、その「習性」はより強い傾向を帯びる。日中に動き回って多少エネルギーを消耗し、何か酷く早くに眠ってしまい、やや遅くに起き出して暫く起きている。そしてまた少し休んで、早朝にはまた動き出すという訳だ。加えて、眠りは「深く短く」という様相も呈してしまう。

京都の宿で早朝を迎えた後、少し前に「大宮通を歩いて北上」ということをしたことを不意に思い出し、「では今般は早朝の街で、その大宮通を南下しよう」と思い付いた…この種の思い付きは「即座に実行」である。

思い付きは「即座に実行」で、「早朝」というより「深夜…」という趣が濃い大宮通を南下してみて東寺の辺りに至った。当時の五重塔近くの空が少しずつ明るくなる様を眺め、近鉄の東寺駅が視えるような辺りの何度か利用した経過も記憶に在るコンビニで飲物を求める等して何となく「自身の習性」に即したような行動に出先の京都で至っていた…東寺駅から列車に乗るということであるなら、<近鉄電車各駅 3日間全線フリー>を遠慮無く使うことが叶う。

東寺駅に関しては、北上する列車は隣の京都駅停まりの列車ばかりになる。南下する列車は幾つか行先も在り、進んだ先で乗換える、乗り継ぐというような選択肢も豊富だ。

↓辿った経過だ…
東寺→大和西大寺(急行)
大和西大寺→近鉄奈良(普通)
近鉄奈良→大和西大寺(普通)
大和西大寺→西ノ京(普通)
西ノ京→大和西大寺(急行)
大和西大寺→近鉄奈良(普通)

こういう具合で、京都から奈良に至った後、色々と思い描くことは在ったのだが、奈良に留まって、そのまま予約していた宿に入ったという形になった…自身でもやや意外ではあった。

「定番を避けず、真面に向き合ってみると酷く善い」という程度に、高野山での経験、その後に道草の京都で強く思ったので、それの「実践」を少し意識していた。そういう中で思い浮かんだのは東大寺大仏殿だ。

近鉄が「沿線の観光宣伝」ということで“奈良”を取り上げている中で「私は奈良派」というシリーズを展開し、奈良県に関する情報発信を試みている。この「私は奈良派」という言い方が好いと思う。“派”というのが「支持する。応援したい。推す」ということであるなら、自身でも奈良を勝手に「関西の別邸」という程度に呼んで、何度も滞在して色々と廻っている。「修学旅行で…」という程度の訪問経験しか無いという人が存外多い奈良だが、「あそこは存外に居心地が好く、見所は果てしなく色々在る…」としているのだ。

東寺からの列車の車中、実は途中の京都府内で下車する意図も在ったが、そのまま通り過ぎて奈良に至った。そして奈良の街、または公園を街と呼んでしまっているような場所を少し歩き廻り「東大寺を真面目に拝観しよう!久し振りに大仏様に面会するのだ!」と思い付いた。

大仏殿の入場券窓口に至ると、<東大寺ミュージアム>との“共通券”も売られている。<東大寺ミュージアム>は東大寺に伝わる名宝を展示している場所なのだが、考えてみると入ったことが無かった。その“共通券”を窓口の係に御願いした。係の方は妙なことを言う。「大仏殿を御覧頂いた後、<東大寺ミュージアム>のオープンまで間隔が空きますが…」ということだった。窓口に在った時点で大仏殿は既に拝観者を迎えていたが、<東大寺ミュージアム>が開くのは45分か50分か後だった。なるほど、急いで他へ動くなら“共通券”は無用だ。が、私は応じた。「大仏殿の後、あちらの法華堂または三月堂や、二月堂や何かを拝観して、その辺を散策しようかと思います。それなら結構な時間を要しますから…」とである。すると窓口の係の方から笑みが零れた。「そうですね!色々と廻って頂けますね!」と嬉しそうで、そしてその“共通券”を売ってくれた。多分…大仏殿と<東大寺ミュージアム>とで、有名な仏像等の見学は事足りるとでも思われていて、「大仏殿を視た後、ミュージアムは開いていないやないか?!」と、係の方は苦情めいた話しを聞かされていて、御自身として“共通券”を求めようという人には質すことにしているか、彼らの中でそういうマニュアルになっているのだろう。

そんな話しになって、東大寺の各堂を巡って、最後に<東大寺ミュージアム>をゆっくりと見学した。何か「感じるモノ」も多かった。「善かった!」と近鉄奈良駅の方向に歩いたが、通り道には興福寺が在る。興福寺にも優れた仏像等が多く伝わっているのだが、それらを集めた<国宝館>という展示場が在るのだが、考えてみればそこも未踏だった。それを思い出して入場してみた。

興福寺の<国宝館>で、非常に大きな千手観音像を視たが…或る意味で「大仏よりも驚く」という感だ。

大仏の「大きさ」は驚くべきものではあるが、あれは「恰幅の好い高僧が静かに座っていて、何も畏れることは無いと、訪れる人達に悠然とした態度で臨んでいる」という風だ。しかしあの千手観音像はそうでもない…

千手観音は「無数の手を全ての人達に指し伸ばし、すべての人達を救い、導く」という概念を図像化、仏像として立体化したモノで、やや異形だ。その異形さが何やら酷く迫力が在るのだ。更に有名な阿修羅像を含む<八部衆>の像のような、他所には類例が少ない仏像も豊富だ。

そういうことをしていて昼食休憩を取るならそうした方が好さそうな時間帯に入った。休憩した後、今度は「そうだ!」と思い立ち、唐招提寺や薬師寺を訪ねてみたのだった。

何やら、酷く多くの事を学び、気付いたような感じだった他方、然程移動していないかもしれない中で随分と歩き廻った。東大寺、興福寺、唐招提寺、薬師寺は各々に広い。そして東大寺と興福寺との間、唐招提寺と薬師寺との間も意外に距離は在る。

こういうようなことを色々と仕出かしていて、感じたことや思ったことは、撮った写真を交えて、追って御紹介したい。

阿部野歩道橋の辺りで…(2021.12.17)

北海道内では鉄道施設の不具合による列車運行の乱れに翻弄されるような具合になり、神戸空港へのフライトは風に抗いながらの些かに時間を要するものとなり、大阪への移動は強風等の好天で列車運行が些か乱れているという中でのものだった。それでも少し馴染んだ通天閣に近い宿に至って安堵し、少しだけ出た。

↓正面に視える建物はJR天王寺駅だ。地下に在る近鉄の大阪阿部野橋駅の上の辺りから視ている。
17-12-2021 X-Pro2 (9)
↑交差点を囲うように据えられている「阿部野歩道橋」が視えている。

↓この歩道橋を歩いて見上げるとこういう感じだ…
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↑巨大な<あべのハルカス>を見上げられる。この時は上空に月が視えていた。風がやや冷たかったが、天候は少し落ち着いたようにも思えた…

↓反対側を振り返るとJR天王寺駅が視えた…
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この時は新今宮駅・天王寺駅間をJRで移動し、天王寺駅・動物園前駅間を地下鉄で移動した…

↓歩道橋を下りて、何気なく下を視た…
17-12-2021 X-Pro2 (15)
↑近鉄の大阪阿部野橋駅、地下鉄とJRの天王寺駅を利用する人達、<あべのハルカス>やその他の施設を訪ねる人達等が行き交う地下の空間が覗いていた…

実は…河内長野でバスに乗った時、大学生のグループと乗り合わせた。彼らの話し振りから「京都辺りの何処かの大学のグループ」と伺えた。河内長野へ至った経路等の話しをしていたのが聞こえてしまった。「天王寺と阿部野橋との乗換?ウェブサイトで調べてしまった…」と言っていた…詳しい経緯は知らないが、近鉄は「大阪阿部野橋駅」と号している駅、地下鉄とJRとが「天王寺駅」と号している駅とは地下通路で、加えて一部は地上の通路で結ばれていて、様々な路線が交差する「一大ターミナル」を形成している…
posted by Charlie at 00:33Comment(0)大阪府

冬牡丹と東西の塔と……:當麻寺奥之院(2021.12.18)

當麻寺は本寺と塔頭とで構成されて、訪ねてみれば多少驚く程度に視るべき箇所が多いと思う。辛いという程度でもない寒さで動き易く、好天な中で訪ねられたことが善かった。

↓こんな花を視た…「冬牡丹」と称していた。
18-12-2021 X-Pro2 (74)
↑塔頭の一つである奥之院の庭園で見受けられた。

「冬牡丹」?春または初夏に咲く牡丹を、温度管理などにより“春だよ”と思わせて冬に咲かせたという代物らしい…そういう事情なのか、何となく群生している感じでもない。大切に筵で囲われた中で静かに咲き誇っている感じだった。

牡丹という花そのものに、自身は余り馴染んでいないようにも思う。広角系のレンズで、目一杯に近寄れるでもない条件ながら撮った、この冬牡丹が忘れ難い印象を与えてくれた。「冬天の蒼」の下で、この花は余りにも鮮やかだった。

↓奥之院から本寺や他の塔頭が在る側を眺めた。
18-12-2021 X-Pro2 (80)
↑塔が視える。右手前が西塔、左奥が東塔である…

寺に東塔、西塔の2つを建てるという事例は多く在る。が、古い時代の創建時の双方の塔が現在に伝えられているというのは、この當麻寺の事例が見受けられるばかりなのだという。

双方の塔に少し近付いた…

↓こちらが西塔…
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↓こちらが東塔…
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何れも三重塔で、殆ど同一の形だった…

別段に混み合っているというのでもなく、何となく貸切風な感じの場合さえ在って、正しく「良い御参りでした」という感の當麻寺訪問だった。静かな町の古寺だが、思う以上に絢爛で、この寺自体が何やら「冬牡丹」のような存在感を放つとも思った…
posted by Charlie at 00:06Comment(0)奈良県

「誘う」べく…:當麻寺の看板(2021.12.18)

近鉄の駅名は「当麻寺」(たいまでら)と標記するが、その駅名の起源であると見受けられる伝統を誇る寺は「當麻寺」(読み方は同じ「たいまでら」)と旧字を好んで使うようだ。

↓「当麻寺駅から當麻寺へ歩く」という道筋の、歩道が少し広い辺りにこういう看板が据えられている…
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↑使用されている写真は、當麻寺に伝わる四天王像だ…左端が増長天…剣を手にしているのが持国天…右端は多聞天であろう…

増長天や持国天は「現存最古と見受けられる」という、麻布の張り子に漆と木粉を練った木屎(こくそ)で成形する脱活乾漆像(だっかつかんしつぞう)というモノであるそうだ。

これらの四天王像だが…後代のモノのような「憤怒の相」でもない。そして「顎鬚」を少し蓄えた顔で、他に例が無い…何か「インドの神話の要素が仏教に容れられていった中で成立」という四天王の“出自”を反映しているかのようでもある。

これらは當麻寺の金堂で弥勒仏を護るように佇んでいる。當麻寺に伝わる仏像で最も人気が高いそうだ。実際、なかなかに見栄えは好かった…これに出会える場所として、特に許可を受けて撮影された写真が看板に使用されている訳だ…
posted by Charlie at 20:18Comment(0)奈良県

BILIKEN(ビリケン)…(2021.12.18)

↓地下鉄の動物園前駅へ向かおうとした際に眼に留めた…
18-12-2021 X-Pro2 (2)
↑大阪で永く愛されているキャラクターも「マスク着用」だ…

そういう様子ではあるのだが「金曜日の夜」に<新世界>の様子を視る限り、関西に国外からの来訪者が溢れていたような状態の以前の、主に街の人や近郊の人、国内他地域から何らかの理由で関西に入った人達が何となく愉しんでいるような雰囲気は戻りつつあるように見える部分も在った。他方で、昨今の“事情”で休業する旨の貼り紙がそのままで、閉じた状態の飲食店も散見はしたが…

BILIKEN(ビリケン)はその「移ろう街の様子」を独特な表情で見詰めている筈だが…「マスク着用」で表情が判り悪いのが些か残念ではある…
posted by Charlie at 19:53Comment(0)大阪府

好い意味での“誤算”が重なる感…=運行日誌(2021.12.18)

大阪・京都間はJRの新快速で30分程度であると承知しているが、その両者の間を1日掛けて動いたというような感じになる。京都の宿に在る…

「お帰りなさいませ!」に迎えられた通天閣に近い宿で、昂り過ぎた気持ちの故か、逆に少し面倒かもしれない顛末を乗り越えて予定どおりに動いた安堵感が大き過ぎるのか、余り長く眠らないままに朝を迎えた。とりあえずは、やや多めなサラダと些かのソーセージに焼魚ではあるが、宿の朝食を頂いた。前夜は―日中にモノを食べていないような感じから唐突にだが…―確りと串カツを摘まんだ訳で、多めなサラダを朝食として摂るという位が好さそうだと思ったのである。

昨夜、宿にモノを置いた後、JRの快速にせよ、地下鉄にせよ「1駅間」である天王寺に一寸だけ出たのは、近鉄の大阪阿部野橋駅に寄りたかったからだ。<近鉄電車各駅 3日間全線フリー>を求めたかった。「御利用開始前日までに御求め願います」というルールなので、今日(12月18日)から使うモノを前日(12月17日)中に入手しておきたかった。3千円で、近鉄の「別途料金券」を求められない列車は全て乗車可能という代物だ。「別途料金券」を求められるなら、それを求めれば乗車可能である。これは利用経験も在って気に入っているので、今般は使うことにしたのだ。

<近鉄電車各駅 3日間全線フリー>を如何に使うか?(何れも宿から近いが)大阪難波駅か大阪阿部野橋駅に出て、そこを起点に何箇所か巡り、大阪、奈良、京都の近鉄沿線で宿を求めれば好い筈だ。余り寝ないで迎えたような早朝に宿の居室で少々考えていた…今宵の宿を求めようとした時、大阪、奈良、京都の近鉄沿線―多少逸れても構わないのだが…―であると、相対的に空室が多めで安価なように視えたのが京都だったのだ。

↓辿った経過だ…
動物園前→天王寺(大阪メトロ)
大阪阿部野橋→河内長野(近鉄)
河内長野駅前→天野山→河内長野駅前(南海バス)
河内長野→古市→当麻寺(近鉄)
当麻寺→橿原神宮前(近鉄)
橿原神宮前→京都(近鉄)(特急)

結果的に「バスの待ち時間」を要し、乗車時間もそこそこであったということが生じ、更に訪ねてみれば驚き呆れるばかりに見所が満載で、現地では事前に何となく思った時間の何倍かを過ごしたというのが生じた。朝8時前から動き始めたが、思い付いた特急列車で京都駅に着けば午後4時という状況であった。今日もまた、昼食と夕食とが兼用のようになってしまった…そこから宿まで少し歩いた。宿にに入って以降は、コンビニに飲物等を求めに出たが、基本的に居室で寛ぎ、「何時でも御休み頂いて結構です」という感じにしてしまった…

河内長野で訪ねたのは天野山金剛寺だ。南北朝時代の色々な経過や、「女人高野」と呼ばれていたような経過も在って、建築から仏像や著名人の書簡まで文化財が実に多い…ここが「バスの待ち時間」を要し、乗車時間もそこそこであったという場所だ。

当麻寺で訪ねたのは、正しく當麻寺である。真言宗系の本寺と塔頭、加えて浄土宗の流れをくむ塔頭も在って、建築、庭園、仏像等々の見所が非常に多い…ここが訪ねてみれば驚き呆れるばかりに見所が満載で、現地では事前に何となく思った時間の何倍かを過ごしたという場所だ。

大阪府の内陸部、奈良県と廻ったが、好天と呼び得る範囲だったと思う。10℃に多分届かないような気温にはなっていたようだが…風が時々強く冷たかったが、昨日のように列車運行が乱れてしまうというような調子でも無かった。

「近鉄の列車で奈良県内から京都」という移動は知らない訳ではない。が、特急列車は乗車経験が無かった。それで試したかったというだけのことなのだ。実に快適だった…

京都では京都駅の真ん前の<京都タワー>に惹かれたが、何やら天が中途半端な光加減の様子だったので敢えて展望台に上がらず、ビルの中を冷かせば地下に半ばフードコートの方式を採り入れた飲食店街が形成されていて、空腹が酷かったのでガッチリとハンバーガーを頂いてしまった…

求めた宿は随分と以前に一度利用した記憶も在る。何度も京都に立寄っているので、何時なのか特定し悪いのだが…

今日は「好い意味での“誤算”」が重なった感だ。些かマイナーな感も否定し悪い街で、ドタバタとバスの待ち時間が変に長くなるようなことが在ったが、それでも「価値は高い!」と思った。そして「驚き呆れるばかりに見所が満載で、現地では事前に何となく思った時間の何倍かを過ごしたという」ようなことは気儘に勝手に動き回る場合の醍醐味のような感さえ在る。こうした諸々に関しては、何れゆっくりとこちらのブログに綴ろうと思っている。

<高野山>…(2021.11.23)

ケーブルカーの高野山駅に在った店で眼に留めたTシャツを求めて在った…

↓こういう代物だ…
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↑“三鈷杵”(さんこしょ)という密教法具の画を使って<高野山>というロゴをデザインし、各種の仏像をイメージしたシルエットが在る。なかなかに好い感じだ…

806(大同元)年と伝えられているそうだが、唐に在った空海が帰国の途に就こうとしていた時だった。東の空に向かって、学んだ密教の研鑽の場、布教の場として相応しい場所へ導くようにと、法具の三鈷杵を放り投げたのだそうだ。三鈷杵は流星のように何処かへ飛び去ったという。

それから10年後の816(弘仁7)年、高野山の「三鈷の松」にこの時の三鈷杵が在ったというのだ。それを視た空海は高野山を密教の道場とすることになる。その三鈷杵とされるモノは現在でも伝わっているという。確か<霊宝館>に在る…

現在在る大阪にこのTシャツを持って来た。今日からこれをアンダーウェアに着る…既に面倒な顛末を乗り越えているが、三鈷杵が自身を好い方向へ導いてくれることであると思いたい…

※写真は札幌で撮っていて、この記事は大阪で綴っているが、ケーブルカーの高野山駅に在った店で求めたTシャツなので、記事は「和歌山県」のカテゴリに分類したい。

ボーディンブリッジからB737-800を望む…(2021.12.17)

「たった10分の札幌?!」という形になったが、札幌駅で無事に乗車した列車は<快速エアポート>だ。札幌・新千歳空港間を往来する列車だ。札幌以遠、小樽とを結ぶ列車も在るのだが、より多いのは札幌止まりの方のような気がする。札幌駅を発車すると新札幌駅まで停車せず、北広島駅、恵庭駅、千歳駅、南千歳駅、新千歳空港駅と停車駅も限られて速い。空港利用者のみならず、沿線各市の住民の間でもポピュラーな存在だと思う。

そんな列車で円滑に南千歳駅に至ったのだったが…「新千歳空港行に接続する筈の特急列車が少し遅れているので待つ」という話しになった。普段は「そうなの…」で聞き流す案内だが、今般は内心で「何だとぉ!!」と込み上げるモノが在った。

15時20分には利用するフライトの搭乗手続をしなければならない。15時13分に着けば?「何とか間に合う!!」と思っていたが、「俄かに暗雲が立ち込める…」という気分になった。結局、15時19分に列車は新千歳空港に着いた。

着いた列車の扉が開く時、強引に扉を手で押してしまいかねないような勢いでホームに飛び出し、他のどの乗客よりも早く地下ホームから改札口までを駆け上がり、改札口で手にした<青春18きっぷ>を提示して改札口を潜った。そして空港ビル出発ロビーへの階段を目指したが、エスカレータに他の人が居なかったので、少し慎重にエスカレータを早足で歩くように上がった。そして空港ビル内を「意識の中では全力疾走!!」で、実際には「小走り…」に進んで航空会社の手続端末に素早く駆け寄った。

手続は出来た。一気に力が抜けたような感じだったが、既に15時24分頃であるようだった。やや早足に保安検査を潜った。そして搭乗口では既に「全ての乗客の皆様を御案内中」となっていた。通例は「介助が必要な御客様」、「小さな御子様を御連れの御客様」、「優先搭乗」、「後方列窓側の御客様」、「後方列通路側の御客様」、「前方列窓側の御客様」、「前方列通路側の御客様」という程度に何段階にも分けて乗客を機内に迎えている。「全ての乗客の皆様を御案内中」は“最後”なのだ。「サッと指定の時刻に現れない?」という感じの人達を待つような感じかもしれない。「“駆け込み”組になってしまったか…」とボーディングブリッジに入った。

ボーディングブリッジに入ってみれば、自身よりも早い段階で入った人達が未だ飛行機の出入口扉の辺りで列になっていた。「ここに…着けた…」と不意に横を視れば窓が在った。

↓こういう様子が視えた…
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↑目の先に出入口扉が在る飛行機と同型で、同じ会社のB737-800を望んだ…

↓数歩進んだ別の窓からも様子を視た…
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何か…この飛行機の座席に辿り着くために奮戦する羽目に陥ったような感だった…「3列シートの真中の席」ではあったが、何か酷く寛いだ気分になった。或いは非常に大きな安堵感の故であろう…

↓離陸して暫く経つと、機内ではこういうサービスも在る。
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長時間に亘って奮戦し、「ギリギリ!」で飛行機に…自身としては少しだけ珍しい感じだった。

札幌駅にて…(2021.12.17)

深川駅で乗った特急列車は、旭川・札幌間を結ぶ「北海道内で最もポピュラー?」というように見受けられる列車だ。

↓その789系電車による列車は順調に札幌駅に到着した。
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↑跳ね上げた雪が微妙に付着している様が「時季らしい」という感だ…

↓乗換える列車が現れるのを待つホームへ移動すれば、別なホームにキハ281系ディーゼルカーが停車中だった…
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↑このキハ281系ディーゼルカーも入替が進んでいて、既に少数派のようになっているが、年明け後の3月には更に数が減るらしい…

↓そして733系電車が現れた…
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↓これで新千歳空港を目指す…
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今般は一連の“顛末”の故に「列車乗換の10分間程度の札幌滞在」に終始した…流石に?こういうのも珍しい…

通天閣の在る光景…(2021.12.17)

何か…何となく「思い描いた」という様子から逸脱して「ややタイトな感じ?」で早朝から夜まで移動し続けた…

↓そして眼前にこういう光景が拡がる辺りに至った…何か気持ちが昂る…
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時にはこういう「昂る…」という程度のことをするのが好いのかもしれない…何か「幾分、明るさを増した?」という感じが少し好ましいような気もした…

深川駅にて…(2021.12.17)

留萌駅で乗り込んだ列車は…

↓小さな町を結んで、こういう景色の中も走りながら深川を目指した…
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↓「間もなく…深川です…」の録音で案内が在ったので、支度をしてデッキに陣取って待機…
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↓「ここまで運んでくれて有難う!」という感…
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↓跨線橋でホームを移動…
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↓特急列車がやって来た…
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↓この列車で札幌へ向かう…
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どうやら…幌延まで乗っていた列車の後続である旭川へ向かう特急列車は、数時間も停まってしまって、旭川以遠を目指す乗客の多くがこの列車を利用したらしい…自身は?待つばかりではなく、一寸した冒険をしてしまったが…こういうのも「想い出」ということにしておきたい…

留萌駅にて…(2021.12.17)

幌延駅前で乗車した路線バスは、幾つもの町を結んで、何回も運転士さんが交代しながら走り続けた。午前7時50分に発った幌延駅前で乗車した路線バスは…

↓午前11時20分頃に留萌駅前停留所に着き、少し歩いて留萌駅には午前11時20分を少し過ぎた頃に到着した…
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↓列車の発着状況はこういう具合だ…
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↑こういうような様子の単線区間…北海道内では多い…

12時18分の深川行の普通列車に乗れば、深川駅で札幌駅へ向かう特急列車に接続し、札幌駅では新千歳空港駅へ直ぐに向かうことが出来る。15時13分に新千歳空港駅…「空港で…走るか…」ということで、この普通列車を待つこととした。

↓留萌駅構内には除雪関係の車輛も停車している様子が視えた…
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↓やがて現れた列車に乗って深川駅を目指した…
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↑留萌。深川間もキハ54が動いている…

この区間は、以前に増毛を訪ねてみた時に利用していたが、随分と御無沙汰だった…「妙な行き掛り…」だが、「見慣れぬ路」を往くのも好いかもしれない…

幌延駅にて=“不測の事態”と呼ばざるを得ないかもしれない状況…(2021.12.17)

↓幌延駅の停車が少し長い…何か妙だ…
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↓乗務員さんが駅の事務室との間を行き来して何やら連絡を受けている…
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少し先の踏切で不具合が生じてしまい、列車が動けない状況に陥ってしまっているのだという。後続の特急と、乗車していた普通列車との調整等、結論が未だ出ず、動ける目途が立たない…

↓1時間以上も動かず、スッカリ明るくなった…
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↓何とか新千歳空港へ向かおうと、駅から出た…
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↓7時50分のバスで留萌へ行くという「勝手に代替」で動いてみることにした…
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↓「路線バスの発着」が余り意識されない駅前の様子が伺える…
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↓定刻にバスは現れた…
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このバスに乗車して留萌駅を目指し、留萌・深川・札幌・新千歳空港の経路で動く可能性を探ることにした。「一寸した冒険」となった…初めて利用する経路だった。

早朝の稚内駅=“始発駅”と呼びたい!(2021.12.17)

この時季、5時20分に稚内駅を発つ列車に乗車しようとすれば、「夜の残滓」という感じを通り越して「夜中…」のような稚内駅を目指すような感じになる。

↓何か酷く「冬らしい」ような雰囲気だ…
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↓少しばかり降り積もった雪を除ける作業も行われていた…
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↓戸外の灰皿を視ると「こういう程度に積もった…」と降雪の塩梅が判る…
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↓稚内駅の駅ビルの中も「12月後半らしい…」という装いが見受けられる…
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↓列車が姿を見せた…
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↓定位置に停止した…
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↓<宗谷線>のサイドボードが掲出されているキハ54の501号車だ…
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↓身軽に出た…(後から、こういうように身軽で酷く善かったと思う場面も在ったが…)
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↓「さぁ♪出発だ♪」という感…ここから各地へ鉄路は続いているのだ…
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「お帰りなさいませ!」に迎えられるまでの長い1日…=運行日誌(2021.12.17)

早朝の5時になる前から、摂る10時半辺りまで活動しているような感じは、些か妙な感じなのかもしれない。

そういう状態で大阪に在る。思うと1カ月弱以前にも滞在した宿だった。この宿のチェーンではフロントで「お帰りなさいませ!」と言いながら利用客を迎えるような慣例が在るようだが、今般はそう言われて妙にしっくりと来た。何度も利用して少し馴染んでいるので、利用すると勝手に「ここへ帰って来た…」という程度には感じるのだが、今般は本当に然程の間隔を開けるのでもなく戻ったということになる。

<青春18きっぷ>を手に、早朝の列車で稚内駅を発って名寄駅に至り、名寄駅から敢えて特急列車に乗り込んで旭川駅に至ると、旭川以遠にも円滑に移動可能だ。何度もやっている。新千歳空港辺りは午後2時台に着くのが普通だ。しかし…今般は午後3時19分になってしまった…

「夜の残滓」が色濃いような早朝の稚内駅を発った普通列車は幌延駅まで順調に進んだのだが、幌延駅で酷く長く停まってしまった。少し先の踏切が壊れてしまったのだという。復旧に手間取って、時間がどの位掛かるか見込みが立ち悪いのだという。1時間以上発ち、後続の特急列車が幌延駅に現れるような時間帯に入ったが、後続の列車も幌延駅よりも少々北で足止めを食らってしまっているのだという。

そこで…7時50分に幌延駅前を出るというバスに敢えて乗車し、留萌駅を目指した。2720円…留萌駅に辿り着いたのは11時25分頃だった。そして12時18分に出る深川駅へ向かう列車に乗り、深川駅・札幌駅の特急列車に乗車―この分の乗車券・特急券を4250円で留萌駅で求めた…―し、札幌駅で新千歳空港駅へ向かう快速に乗車だ。

列車が南千歳駅で少々長く停車した。これに乗り継いで新千歳空港駅へ向かう可能性の在る乗客が乗った特急列車が遅れたので待った訳だ。到着が6分遅れた…そこで新千歳空港駅では到着して即座に列車を飛び出し、殆ど全力で走った。定刻が午後3時40分のフライトなのだが、搭乗手続を行う場所の辺りで午後3時21分位だったと思う。「定刻20分前までに搭乗手続」という案内なので慌てた。階段やエスカレータを強引に駆け上がるような感―列車の他の乗客が上がる前に全力で、凄い勢いで駆けた…それが出来る程度の身軽な感じで動いているのだが…―で息が切れた。が、搭乗手続が出来たのでとりあえず善かったと呼吸を整え、保安検査を潜った。保安検査は何回かに一回は「この野郎!」という話しも在るのだが、今般は円滑に直ぐに済んだ。

指定の搭乗ゲートに向かうと…既に「全ての御搭乗の皆様」と乗客が機内に導かれていて、粗方の乗客が乗ってしまっていたような感じで「駆け込み組」の1人のように乗り込んだ。何か酷く安堵した…

フライトは到着地周辺の強風等で些か到着が遅れた。風に抗って飛び続けた訳だ…飛行機で目指したのは神戸空港だった。

神戸空港へ着いてみれば、何やら酷く強い風だった。正直、外気に触れる場所では強風に圧倒された…そんな訳で三宮へのポートライナーは運行がやや乱れていた。更にJRの列車も運行が些か乱れていた。それでも三ノ宮駅・尼崎駅・大阪駅・新今宮駅と動いて宿に至った。宿にモノを置いた後、一寸天王寺駅に向かって、地下鉄で動物園前駅に引揚げた。

ここまでで午後9時40分頃になってしまっていたが…ここで「朝から…飲物を些か飲んだ程度で…」ということに思い至った。そして宿に戻る前に、串カツを確りと頂いたのだ…

何やら長かったが、とりあえず顛末は綴った…

前夜に…(2021.12.16)

振り返ると「始まり」が「何時頃か?」ということが曖昧になってしまっていることに思い至る。そういう程度に時日を経ている、自身の中の慣例が在る。

年末頃に「随意に過ごす時間」を設けてみる、少し俗な表現を用いるなら「好き勝手にフラフラとする」ということ、そして換言すると「休暇を取得する」ということが慣例化している。

実は…その“慣例”の時期に入ろうとしている。

「好き勝手にフラフラとする」と言って、それは“常態”というようなものかもしれない。気儘な「一人住まい」を延々と続けている訳なのだから。が、ここで「好き勝手にフラフラとする」と表現する状態は、「明日は何処って?知らない…明日は朝早くから動いて、足が向くままで、気が向くか草臥れるかした辺りで休む筈だ」ということをするという意味である。

こういう営為を巷では「気楽な旅行に出る」とでも表現すると思う。が、自身の感覚としては“旅行”とでも言えば「或る程度、丁寧に時間を掛けた準備手配をした上で動き回る」というようなことであるように思う。自身の営為は「さぁ!行こう!」というように「ふらりと出てしまう…」ということを仕出かして差し支えない時間を設定するというだけで、それ以外には「丁寧に時間を掛けた準備手配」という程のことはしない。または「出来ない」とか「やりたくない」というようにさえ考えてしまう。

「丁寧に時間を掛けた準備手配」について「しない」、「出来ない」、「やりたくない」というのも「著しく否定的」かもしれない。完全に排除しようとまでもしてはいないが、避けるかのように考えてしまう理由は在る。

「気楽な旅行に出る」とでも表現されそうな営為を「好き勝手にフラフラとする」と表現するというのは、「訪ねてみたい場所が余りにも多い」からなのだ。行先等を細かく設定し悪いということが在る。「旅行?何方へ?」とでも問われると、「まぁ、色々と…」と言葉を濁してしまう場合さえ在る程度に、方々を駆け巡ってしまう、またはそうしてみたくなる性分なのだ。

実際には相当に多くの場所を短い時間で駆け回ってしまったにしても、「詰め過ぎたスケジュールは狂い易いので抵抗感が強い」というように考えることも在る。例えば或る地域でA、B、C、Dという程度の数箇所を訪ねるように事前に計画したとする。そういう場合に往々にして在るのは、「Aが余りに凄く、酷く時間を要したのでB、C、Dは訪ねなかった」とか「事前に計画してみた所は然程興趣が深いのでもなかったが、偶々出くわした場所が凄く好かった」というようなことだ。だから、この例で言うA、B、C、Dに相当するような場所の名称や最寄駅等をメモしておく程度のことをする場合は在るが、それ以上の「スケジュールの組み立て」的なことは敢えてしない。

また、乗物で移動するような「単なる手間」というようなことも「それ自体を愉しもうとする」という傾向が酷く強い。「単なる手間」となる移動も、「見慣れぬ路の彼方の見知らぬ街へ…」というような、自身にとっての興趣が強く沸き起こる訳だ。

「自身の“休暇”」は飽くまでも自身が主演、監督、脚本で「好き勝手!!」が許容される筈、または「許容されなければならない」と思っている。だから、「好き勝手にフラフラとする」と表現するような「自身の流儀」を勝手に貫きたいのだ。

「丁寧に時間を掛けた準備手配」ということを「しない」、「出来ない」、「やりたくない」という程度に考え、結局は戯れに「出国/帰国」とも称するが、設定した「期間」の最初と最後の大きな移動に関することをとりあえず決める程度のことしかしない。が、それでも「訪ねてみたい場所が余りにも多い」ので何時までも定まらない。漸く固まって手配完了の頃には、出発が間近になり過ぎている。そして出発して以降も頭の中で何度も「東へ?西へ?南へ?南東や南西という案も在り得る…」と考えている。そしてそんな「過程そのもの」も「愉しみの一部」と考えている面も在る。

そういう「好き勝手!!」を「勝手な流儀」で展開しようとする中であっても「これは外さない!」と、飽くまでも随意に自身の意思で「この日のこの時間帯はここに身を置きたいから…」という程度に考える場合も在る。

最近の例では…過日訪ねた高野山の例が在る。あれは「行きたい!!」という思いが募り、それを実行する限られた期間を設定したのだったが、その中で「こういう感じで辿り着く…辿り着いてこうする…とすれば、辿り着く前段階、後段階が生じて…」という程度に考えていて、自身としてはやや珍しいのだが「動く期間の輪郭」が事前に殆ど決まってしまっていた。

今般は、その高野山の例とは違う。が「行きたい!!」が幾分は在るので、「X日に○○に在るように…」という程度のことは考えた。が、そういう部分以外は飽くまでも“流儀”に従っている。本当に「好き勝手にフラフラとする」という訳だ。気儘に「見慣れぬ路の彼方の見知らぬ街へ…」と方々へ動き、「傍目には酷く忙しそう?」という程度に動くか、または「○○の休日」という程度に過ごすかを重ねる訳だ。酷く心弾んでいる!!

「訪ねてみたい場所が余りにも多い」という中、少しでも多くそれらを訪ねたいという思いが在る。加えて、過去に訪ねて好かった場所に関しては「もっともっと親しみたい」という思いも在る。訪ねる場所に関して、言わば「新規」と「繰り返し」ということになる。客観的な基準等は全く無いが、それらの「新規」と「繰り返し」とを「その場の思い付き」というような程度に雑ぜ合わせる。そういうのが好い…

結局、或る時に自身の人生が不意に終焉でも迎えるようなことになった時「あそこに行っておきたかった…」という悔恨を少しでも少なくしたい…最近はそういうような余計なことまでも思うようになっていて、それ故に「“何処かへ行きたい”症候群」と戯れに呼ぶ“症状”が悪化してしまっているかもしれない。

思うことを色々と綴った。何れにしても、明早朝に色濃い「夜の残滓」の中に灯りを漏らしている「我が“始発駅”」から「見慣れぬ路の彼方…」を向けて、(当面は馴染んだ路を往くことになるが…)出発するのが待ち遠しい。

<チャーメン>…(2021.12.16)

多分…「今年としては」だが、当地で夕食を摂るのは「最後」となる。“次回”は年明けの予定だ…

↓頂いたのはこの<チャーメン>だ…
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所謂「餡かけ焼きそば」だが、当地では<チャーメン>と呼び習わしていて、存外にポピュラーなメニューだ…

何か「当地での、その年の最後の夕食」ということには、存外に好いメニューを択ぶ結果となったかもしれない…

稚内港北防波堤ドーム…(2021.12.15)

夕食をゆったりと愉しんだ後、ほんの少々回り道をして引揚げた…

↓降雪が断続していて、路面等は少々雪を被った感じになっている…
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↓何か「凍り付いた足下」が目立つよりも、この画のような感じである方が好い…
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こうやって「冬らしさ」は増して行くのだ…

「3件目」…(2021.12.15)

↓しめ鯖…
15-12-2021 evening (14)

↓トンハツ…
15-12-2021 evening (16)

↓名付けて<ジェットホルモン>…
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明日は都合で休むということだったこの御店…今年としては最後の立寄りが叶った感…「よいお年を!」ということで…

「2件目」…(2021.12.15)

↓ここでもシーザーサラダを…
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↓茶碗のたこ飯が美味い…
15-12-2021 evening (11)

↓タコさん赤ウインナーも摘まんだ…
15-12-2021 evening (12)

今年としては最後の立寄り?「よいお年を!」という感で…

<サッポロファクトリー>…(2021.11.19)

やや風雨が強めに感じられた中で札幌都心を歩いた…

↓何か「忽然と姿を現す不思議な建物」という感じだ…
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↑“普通”に感じる建物が連なる中、やや広い敷地に古くは工場であった煉瓦造の建物が視えるという様子は、場所も承知しているので意外な訳でもないにも拘らず、「忽然と…」という程度に感じる…

↓壁を覆う蔦は「晩秋の装い」という具合だった…
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↓ここは未だ葉が多く残っていた…
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8月にも立寄っていたことも思い出していた。8月とはかなり様子が異なる。

更に振り返ると前年11月にも立寄っていたのだが、今般よりも遅めな時季で、蔦の葉はかなり少なかった…

↓微妙な時季に立寄ったような気がした…
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こういう積雪が視えないような感じも、記事を綴っている現在時点では、多分“過去形”であろう。やがて葉は完全に落ちてしまう筈だ…

蔦に覆われた建物…(2021.11.19)

↓札幌都心のやや北東寄りということになる場所だ…
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↓壁を覆っている蔦の葉が紅葉し、そして散っているという感じ…
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8月にも辺りを歩いたことを思い出したが、8月の様子とはかなり違った…

↓この日は風雨が少し強い感じの時間帯も在った様子だが、蔦の葉もかなり散ってしまっていた…
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こういう「晩秋の風情」というような感じ…記事を綴っている時点で、完全に過去形だ…

客室乗務員の歴代制服…:新千歳空港(2021.11.19)

新千歳空港という場所に関しては、保安検査を潜ってから利用する航空便の搭乗案内を待つ待合室へ入る前に、多少ゆとりが在る程度で到着して、色々なモノを何となく眺めて過ごすというような感じにするのが個人的には気に入っている。

↓空港ビル内でこんな展示が見受けられる…
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↑一瞥する分には、何処かの街の洋品店に据えられたショーウィンドーのようでもあるが…これは空港の歴史に関する事項や、空港が運用された当初から活動する航空会社の関係の品物を展示しているコーナーの一隅だ。飛行機の客室乗務員の歴代制服ということである。

↓上の画と逆側から視た…手前がより古めで、奥がより新しめということになる…
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こういうような、制服を身に着けた女性の客室乗務員が乗務するという航空旅客輸送というモノ…何時の間にか随分と長い歴史を有するようになっている。

この展示…「にやり…」としながら視てしまうのは、随分古いテレビドラマ―多分、若い世代の人達は全く知らない古い作品だと思う…―で、客室乗務員を目指して航空会社に入社し、研修所で頑張る面々の様子というようなことで色々と展開する物語が在って、そのテレビドラマのヒロイン達が身に着けていた制服と思われるモノが在るという点だった…それを視て「これだ!?」とも思ったが、敢えてそれを正面に写真は撮らなかった…と言うより、硝子の販社の関係で、写真を撮り悪い面も在る…

飛行機の客室乗務員…傍目に少し華やかかもしれないが、存外に大変な仕事だとも思う。飛行機に乗せて頂く都度、「ありがとうございます!」という気分になるものだ…巷の様々なサービスは、それを支えようと一生懸命な多くの人達に支えられている…そういうことを忘れてはならないような気もする。そしてこの空港の歴史に関する事項や、空港が運用された当初から活動する航空会社の関係の品物を展示したコーナーは、今や「普段着にサンダル履き」で乗ってしまう場合も在るような航空旅客輸送を支えている人達の気概や矜持を想い起させてくれる。

※「普段着にサンダル履き」で乗ってしまう場合も在るような航空旅客輸送というのは、“親父殿”がその兄である自身の“伯父貴”の言として引いていた表現を思い出したので、ここで使った。古く、千歳空港から他地域で空路で向かうというのは、何やら酷く特別で、「背広を着てネクタイ着用で…」というような雰囲気が“親父殿”―最近80歳代に突入した…―よりも概ね一回り年長だった“伯父貴”には在ったのだと思われる。故に、或る時何処かへ出掛けようと新千歳空港に入った“伯父貴”は、「普段着にサンダル履き」で飛行機に搭乗しようとする人達を視て「この人達!?何なんだ!?」と率直に驚いたのだと思う。そして何かの席で舎弟たる“親父殿”にそれを語り、その“親父殿”の述懐として「イマドキ、飛行機による旅客輸送は“普段着でサンダル履き”」という話しのタネとして自身にも伝わっている…