↓広目天…
↓増長天…
↓持国天…
↓多聞天…
↓四天王に護られた美しい門が<中門>である…
灯りでも入れば、更に美しいであろうと想像し、夕刻に再度立寄った場所である…
実は以前に立寄った際には、この美しい門をあまり観ていなかったことに思い至った。そういう「小さな後悔」が寄せ集まって「何としても再訪!」というようなことになった高野山である…
そういうことで、訪ねて善かったと重ね重ね思い出している…
シマホッケ…ソーセージ…<ジェットホルモン>…(2021.12.13)
還って来た雪…(2021.12.13)
曇天傾向な土曜日、雨交じりの時間帯も目立った日曜日と週末が過ぎた。
雨交じりの日曜日、「やがて気温が下って降雨は降雪に?」という程度に思っていた。やがて休んでしまったのだったが…
↓暗い早朝に様子を伺えば、こんな様子だった…
↓何か「白い塗料を吹き付けた…」かに見えるような状態だ…
居室に在って少し時間も経つ中で、戸外から「風に由来する妙な音」が気になるようになった…
↓早朝から動き回っていたらしい車輛が遺した車輪痕が雪の上に見受けられるが…雪交じりな感じが続く。
当地の人がよく口にする「吹く…」という感じな降雪である。0℃を挟むような気温、雪交じり、強風…好くない感じの条件が組み合わさったような状況かもしれないのだが…「この時季」というのは「こんな感じ」が寧ろ普通かもしれない。
12月も10日過ぎまで「降雨」だったのは?少しだけ珍しかったのかもしれない。これからの雪と低温の時季、戸外では足下に注意したい…
雨交じりの日曜日、「やがて気温が下って降雨は降雪に?」という程度に思っていた。やがて休んでしまったのだったが…
↓暗い早朝に様子を伺えば、こんな様子だった…
↓何か「白い塗料を吹き付けた…」かに見えるような状態だ…
居室に在って少し時間も経つ中で、戸外から「風に由来する妙な音」が気になるようになった…
↓早朝から動き回っていたらしい車輛が遺した車輪痕が雪の上に見受けられるが…雪交じりな感じが続く。
当地の人がよく口にする「吹く…」という感じな降雪である。0℃を挟むような気温、雪交じり、強風…好くない感じの条件が組み合わさったような状況かもしれないのだが…「この時季」というのは「こんな感じ」が寧ろ普通かもしれない。
12月も10日過ぎまで「降雨」だったのは?少しだけ珍しかったのかもしれない。これからの雪と低温の時季、戸外では足下に注意したい…
「焼かない焼きそば」と呼んでいるモノ…(2021.12.11)
↓こういうようなモノを何となく買い込んだ…
↓随分と以前から在るような感じのモノ、少し味等を変えたモノと、存外に色々な種類が出ていることに多少驚く…
↓これらは多分初めて手にしたモノになると思う…
<焼きそば弁当>と称するこの製品は、北海道内では定番になっているモノで、北海道内で製造されているということだ。が、他の都府県では殆ど出回っていないらしい…聞けば<焼きそば弁当>と称するこの製品の初登場は1975年に遡るのだという。随分と古い話しだ…
土曜日の昼に入手し、日曜日と月曜日の早朝で4種を試食した。何れも悪くない…“ちょい辛”や“旨塩”が個人的な好みにはより合うかもしれない。この種のモノ…余り連発で摂り続けるのも好くないのかもしれないが、時には酷く欲しくなる。そして手軽で美味いとも思う…
↓随分と以前から在るような感じのモノ、少し味等を変えたモノと、存外に色々な種類が出ていることに多少驚く…
↓これらは多分初めて手にしたモノになると思う…
<焼きそば弁当>と称するこの製品は、北海道内では定番になっているモノで、北海道内で製造されているということだ。が、他の都府県では殆ど出回っていないらしい…聞けば<焼きそば弁当>と称するこの製品の初登場は1975年に遡るのだという。随分と古い話しだ…
土曜日の昼に入手し、日曜日と月曜日の早朝で4種を試食した。何れも悪くない…“ちょい辛”や“旨塩”が個人的な好みにはより合うかもしれない。この種のモノ…余り連発で摂り続けるのも好くないのかもしれないが、時には酷く欲しくなる。そして手軽で美味いとも思う…
夕べに…:<中門>:金剛峯寺 壇上伽藍(2021.11.20)
高野山を訪ね、1晩泊めて頂くということにしたのは、「日が落ちるような頃、落ちたような頃」の様子を眺めてみたいというように思ったからだ。宿坊に元々身軽だった荷物を置いて、更に軽快になって辺りを歩き、壇上伽藍の視える辺りに歩を進めた。
↓壇上伽藍では午後5時になると、照明が据えられている箇所の灯りが点いた…
↑中門(ちゅうもん)が美しいと思った…未だ暗くなり切っていない感だが、そういう中で灯りが点くと建物の美しさが際立つと思う。
中門は1843(天保14)年の火災で焼失してしまい、長く再建が叶わなかったという経過が在る。高野山開創1200年を記念して170年振りに再建が叶ったという楼門である…
この中門には4つの像が据えられている…
上記写真で視えている側には…
↓持国天(じこくてん)…
↓多聞天(たもんてん)…
裏側には…
↓広目天(こうもくてん)…
↓増長天(ぞうちょうてん)…
4体の像は「四天王」だ。所謂「四天王」というのは、持国天=東、増長天=南、広目天=西、多聞天=北というように4方位を掌って護る「護世四王」と呼ばれている仏法の、更に仏法に帰依する人々や国の守護者である。4人の中、「多聞天」に関しては単独で「毘沙門天」と呼ばれている場合も多く在る。
中門の4体の中、持国天と多聞天とは、天保年間に火災で焼失した門にも在ったと伝えられているようで、修理復元したモノであるという。1819(文政2)年の作だという…残る広目天と増長天は現代の仏師、松本明慶師が新たに制作したのだという。2015(平成27)年に完成したそうだ。
実際に視た時には「旧く傷みが目立った像を、腕利きの職人が丁寧に修理復元して見事に仕上げた?」というようなことだと思っていた…時代を超えて、仏師が協働したような感で、ここの四天王は完成したということになる。
所謂“文化財”は、何かで損なわれたなら再興を試み、そういう過程の中で結果的に「異なる時代の人達の協働」ということまで起こって、そうやって現在まで大切に伝えられている訳だ。高野山ではそういうことにも想いが巡った。
高野山を訪ねて過ごした時のことは、本当に後から後から沸き起こるように色々と想い出す。限られた時間で撮った点数としては、何やら夥しい数の写真も在る…少しずつ、何度も高野山のことを思い出し、何時の間にか、訪ねて戻ってから然程の時日も経ていないながら「何時か再訪…」というようなことを想い描いてしまっている…
↓壇上伽藍では午後5時になると、照明が据えられている箇所の灯りが点いた…
↑中門(ちゅうもん)が美しいと思った…未だ暗くなり切っていない感だが、そういう中で灯りが点くと建物の美しさが際立つと思う。
中門は1843(天保14)年の火災で焼失してしまい、長く再建が叶わなかったという経過が在る。高野山開創1200年を記念して170年振りに再建が叶ったという楼門である…
この中門には4つの像が据えられている…
上記写真で視えている側には…
↓持国天(じこくてん)…
↓多聞天(たもんてん)…
裏側には…
↓広目天(こうもくてん)…
↓増長天(ぞうちょうてん)…
4体の像は「四天王」だ。所謂「四天王」というのは、持国天=東、増長天=南、広目天=西、多聞天=北というように4方位を掌って護る「護世四王」と呼ばれている仏法の、更に仏法に帰依する人々や国の守護者である。4人の中、「多聞天」に関しては単独で「毘沙門天」と呼ばれている場合も多く在る。
中門の4体の中、持国天と多聞天とは、天保年間に火災で焼失した門にも在ったと伝えられているようで、修理復元したモノであるという。1819(文政2)年の作だという…残る広目天と増長天は現代の仏師、松本明慶師が新たに制作したのだという。2015(平成27)年に完成したそうだ。
実際に視た時には「旧く傷みが目立った像を、腕利きの職人が丁寧に修理復元して見事に仕上げた?」というようなことだと思っていた…時代を超えて、仏師が協働したような感で、ここの四天王は完成したということになる。
所謂“文化財”は、何かで損なわれたなら再興を試み、そういう過程の中で結果的に「異なる時代の人達の協働」ということまで起こって、そうやって現在まで大切に伝えられている訳だ。高野山ではそういうことにも想いが巡った。
高野山を訪ねて過ごした時のことは、本当に後から後から沸き起こるように色々と想い出す。限られた時間で撮った点数としては、何やら夥しい数の写真も在る…少しずつ、何度も高野山のことを思い出し、何時の間にか、訪ねて戻ってから然程の時日も経ていないながら「何時か再訪…」というようなことを想い描いてしまっている…
山王院と御社と…:高野山金剛峰寺(2021.11.20)
高野山金剛峰寺の壇上伽藍には色々な建物等が見受けられ、歩き廻ってみて一寸愉しい…
↓こういうモノが見受けられた…
↑鳥居の向こうに建物…手前に対を成している狛犬…「神社そのもの?」という感だ…
↓上に掲載の写真に在る建物の奥に相当する場所だ…これは神道の流儀で神を祀っているモノに相違ない…
↑これを「御社」と号している。上の画の場所は拝殿に相当し、「山王院」と号している。
高野山金剛峰寺が創建されようという頃、壇上伽藍になる場所の西端部に社が設けられた。丹生明神、高野明神、十二王子百二十伴神を各々祀った3つの社が連ねられている。これは空海が山麓の本社から勧請したという地元の神々であり、永く大切にされて来た御社ということになる。
高野山という場所は「永く大切に受継がれて…」というモノに溢れている場所だ…そんな中に入って過ごす一時というのは好いかもしれない…振り返る都度にそう思う…
↓こういうモノが見受けられた…
↑鳥居の向こうに建物…手前に対を成している狛犬…「神社そのもの?」という感だ…
↓上に掲載の写真に在る建物の奥に相当する場所だ…これは神道の流儀で神を祀っているモノに相違ない…
↑これを「御社」と号している。上の画の場所は拝殿に相当し、「山王院」と号している。
高野山金剛峰寺が創建されようという頃、壇上伽藍になる場所の西端部に社が設けられた。丹生明神、高野明神、十二王子百二十伴神を各々祀った3つの社が連ねられている。これは空海が山麓の本社から勧請したという地元の神々であり、永く大切にされて来た御社ということになる。
高野山という場所は「永く大切に受継がれて…」というモノに溢れている場所だ…そんな中に入って過ごす一時というのは好いかもしれない…振り返る都度にそう思う…
大宮通にて…:京都(2021.11.21)
五条堀川…五条駅…:京都(2021.11.21)
京都に到って宿を求めたのだったが、五条大宮の宿から街の東西を横切る五条通に出て少し歩いてみた…
↓酷く大きな歩道橋に出くわした…地上の横断歩道が直ぐ傍に見当たらない感じだったので、歩道橋に上って歩いてみた…
↑何やら凄い景色だと思って足を停めた…
画の右寄りに看板が在る。東西に延びている五条通が、南北に延びている堀川通と交差している辺りに大きな歩道橋が設けられている。よく見れば「(歩行者)横断禁止」の旨の標識も据えられていた。
この大きな歩道橋を下り、少し東へ進んでみる…
↓地下鉄駅の出入口…五条駅が在る。
ここも東西に延びている五条通が、南北に延びている烏丸通と交差する辺りだ。烏丸通の地下には、街の南北を結んでいる地下鉄烏丸線が通っている。烏丸線の南側は近鉄奈良線と繋がってもいる…
こういう具合に「ふらりと歩いて公共交通機関を利用…」という程度のことをするのが、多少不慣れな街を訪ねた時には何となく愉しい…
↓酷く大きな歩道橋に出くわした…地上の横断歩道が直ぐ傍に見当たらない感じだったので、歩道橋に上って歩いてみた…
↑何やら凄い景色だと思って足を停めた…
画の右寄りに看板が在る。東西に延びている五条通が、南北に延びている堀川通と交差している辺りに大きな歩道橋が設けられている。よく見れば「(歩行者)横断禁止」の旨の標識も据えられていた。
この大きな歩道橋を下り、少し東へ進んでみる…
↓地下鉄駅の出入口…五条駅が在る。
ここも東西に延びている五条通が、南北に延びている烏丸通と交差する辺りだ。烏丸通の地下には、街の南北を結んでいる地下鉄烏丸線が通っている。烏丸線の南側は近鉄奈良線と繋がってもいる…
こういう具合に「ふらりと歩いて公共交通機関を利用…」という程度のことをするのが、多少不慣れな街を訪ねた時には何となく愉しい…
焼きそば…<ジェットホルモン>…トンハツ…(2021.12.10)
旭川駅にて…(2021.11.23)
札幌駅で列車に乗込み、何処からだったか、何時の間にか居眠りに陥ってしまっていたようだった。
↓「気付けば…」という按配に旭川駅に着いた。
↓その辺を少し歩いて、ランチを愉しむというような時間は取って旭川に入った訳で…少し戸外に出て歩いた。
↓2011年に現行の駅舎となって10年ということで、この日は幾分の催しをやっていた様子であった。
↓過去に使った、列車に掲出されたマークやサイドボードの展示が在って、一寸視た…
↓ホームに乗車予定の列車が待機し始めていた。新しい<はまなす編成>!!これは乗り心地が非常に好い…
↓左側に“回送”で新しい<ラベンダー編成>が何故か現れた。この日の催しの一環だったのか?
↓やがて右側に札幌からの列車が着いた。この列車の、旭川以遠へ向かう乗客は左側の列車に乗換える。
こんな様子が視られると、稚内へ向かう列車の発車時刻も近付く感じだ…
↓「気付けば…」という按配に旭川駅に着いた。
↓その辺を少し歩いて、ランチを愉しむというような時間は取って旭川に入った訳で…少し戸外に出て歩いた。
↓2011年に現行の駅舎となって10年ということで、この日は幾分の催しをやっていた様子であった。
↓過去に使った、列車に掲出されたマークやサイドボードの展示が在って、一寸視た…
↓ホームに乗車予定の列車が待機し始めていた。新しい<はまなす編成>!!これは乗り心地が非常に好い…
↓左側に“回送”で新しい<ラベンダー編成>が何故か現れた。この日の催しの一環だったのか?
↓やがて右側に札幌からの列車が着いた。この列車の、旭川以遠へ向かう乗客は左側の列車に乗換える。
こんな様子が視られると、稚内へ向かう列車の発車時刻も近付く感じだ…
札幌駅にて…(2021.11.23)
↓「北上開始…」と札幌駅へ歩を進めた。駅の手前のビルから見た様子。何となく好いと思っている…
↑前日の夜に着き、とりあえず宿で休んでいて、何処かに出ていたのでもない。宿が在る札幌駅の北西から歩を進めると、この先の出入口が便利だ。
↓車中で飲むモノを求める等して改札を潜った。
↑旭川駅へ向かう特急列車は9番ホームに現れるようだ…
↓エスカレータでホームに上る…
↑確か…青函トンネルが開業したような頃、札幌駅も高架駅ということになったのだった。その後、1990年代に色々と工事が続いて、2000年代に入った頃から現在のような様子だ。最近、また札幌駅辺りは色々と工事が入っている様子ではある。
↓各地と札幌とを結ぶ列車が発着している様子を眺めるのは好きだ。ホームに上ってみれば、乗車予定の列車が接近して来た…
↓所定の位置に停車した…
↑この段階では「回送」と先頭に掲げられている場合が多い…
↓少し経つと、列車愛称の<カムイ>が掲げられる。こちらが好い!
札幌駅も随分と親しんでいる場所だ…ここで列車に乗り降りするのが好い訳だが、乗降の序でに何となく行き交う車輛を眺めて写真を撮ってみるのも悪くない…
↑前日の夜に着き、とりあえず宿で休んでいて、何処かに出ていたのでもない。宿が在る札幌駅の北西から歩を進めると、この先の出入口が便利だ。
↓車中で飲むモノを求める等して改札を潜った。
↑旭川駅へ向かう特急列車は9番ホームに現れるようだ…
↓エスカレータでホームに上る…
↑確か…青函トンネルが開業したような頃、札幌駅も高架駅ということになったのだった。その後、1990年代に色々と工事が続いて、2000年代に入った頃から現在のような様子だ。最近、また札幌駅辺りは色々と工事が入っている様子ではある。
↓各地と札幌とを結ぶ列車が発着している様子を眺めるのは好きだ。ホームに上ってみれば、乗車予定の列車が接近して来た…
↓所定の位置に停車した…
↑この段階では「回送」と先頭に掲げられている場合が多い…
↓少し経つと、列車愛称の<カムイ>が掲げられる。こちらが好い!
札幌駅も随分と親しんでいる場所だ…ここで列車に乗り降りするのが好い訳だが、乗降の序でに何となく行き交う車輛を眺めて写真を撮ってみるのも悪くない…
<十勝ブランデー 原酒>…(2021.11.23)
旭川へ北上し、更に稚内を目指すということで、札幌駅で列車に乗った…
↓乗車の何分か前に求めたモノを何となく出して眺めていた…
<十勝ワイン>というモノが在る。1963年からワインを製造しているというが、その翌年からブランデー製造を始め、1970年代に入って良質な製品が出来るようになって、爾来「長期貯蔵」もしながらブランデーの製品も送り出しているという。それが<十勝ブランデー>である。
↓180ml入りという小さ目な瓶で、価格も手頃だった…
↓59度…「ブランデーの原酒」というモノである…
↓キャップを開けて芳香を愉しみ…一口試飲してしまった…御誂え向きに、所謂“チェイサー”になるミネラルウォーターも車内で飲むために用意して在った…
↑北海道内でこんなにも素晴らしいブランデーが!?些かの驚きだ。恥ずかしながら、これまで頂いたことは無かったと思う…
このボトルの中身?如何なったかは御想像に御任せする…
↓乗車の何分か前に求めたモノを何となく出して眺めていた…
<十勝ワイン>というモノが在る。1963年からワインを製造しているというが、その翌年からブランデー製造を始め、1970年代に入って良質な製品が出来るようになって、爾来「長期貯蔵」もしながらブランデーの製品も送り出しているという。それが<十勝ブランデー>である。
↓180ml入りという小さ目な瓶で、価格も手頃だった…
↓59度…「ブランデーの原酒」というモノである…
↓キャップを開けて芳香を愉しみ…一口試飲してしまった…御誂え向きに、所謂“チェイサー”になるミネラルウォーターも車内で飲むために用意して在った…
↑北海道内でこんなにも素晴らしいブランデーが!?些かの驚きだ。恥ずかしながら、これまで頂いたことは無かったと思う…
このボトルの中身?如何なったかは御想像に御任せする…
高野山金剛峰寺の大伽藍のイラストが入った御朱印帳に関して…(2021.11.20-22)
高野山の奥之院で入手した袋に入れているのだが、“大伽藍”或いは“壇上伽藍”と呼び習わされる高野山金剛峰寺の建物のイラストが入った御朱印帳が在って、それが酷く気に入っている。
↓こういう具合の代物だ…
↑これを抱えて高野山を訪ねる等した訳だ…
↓奥之院を歩き廻って御朱印を頂いた…
↓右は金剛峯寺で、左は大伽藍だ。
↓右は大伽藍で、左は霊宝館だ。
↓右は宿坊の金剛三昧院で、左は京都の東寺だ。
↓各々が弘法大師が勧請したという“善女龍王”と「弘法大師」という墨書の神泉苑で頂いた御朱印である…
↓更に、これが智積院で頂いた御朱印だ…
結局、「十八本山納経帳」を手にしていた頃に「各寺を駆け抜けるかのように訪ねる…」ということを繰り返してしまい、「もう少々落ち着いて…」というような悔いが残る羽目に陥った。
それを踏まえて、真言宗系の有名寺院について、“本山”というようなことに必ずしも拘らず、「駆けるのでもなく、少しゆっくりを巡ってみる」ということで、現在使用中の御朱印帳を用意して、真言宗の名刹を少しばかり巡ってみようとしている訳だ…
この記事…和歌山県と京都府との記録が混じっているので、漠然と記憶を書き綴る「память」(パーミャチ)のカテゴリに容れて置く。
それは如何でも好いが、寺を訪ねて頂く御朱印は何れも美しいと思う。本当に、各々の場所を訪ねた想い出と共に手許に残る宝物だ…素敵だ!もっと早く、こういう素敵なモノが在ることに気付いていれば、より善かったのかもしれない。が、それでも気付いて「自身の慶び」に採り入れているのだから、それはそいそれで凄く善い筈だ…
この御朱印帳を手に何処かの寺を訪ねてみるという営みは未だ続きそうだ…
↓こういう具合の代物だ…
↑これを抱えて高野山を訪ねる等した訳だ…
↓奥之院を歩き廻って御朱印を頂いた…
↓右は金剛峯寺で、左は大伽藍だ。
↓右は大伽藍で、左は霊宝館だ。
↓右は宿坊の金剛三昧院で、左は京都の東寺だ。
↓各々が弘法大師が勧請したという“善女龍王”と「弘法大師」という墨書の神泉苑で頂いた御朱印である…
↓更に、これが智積院で頂いた御朱印だ…
結局、「十八本山納経帳」を手にしていた頃に「各寺を駆け抜けるかのように訪ねる…」ということを繰り返してしまい、「もう少々落ち着いて…」というような悔いが残る羽目に陥った。
それを踏まえて、真言宗系の有名寺院について、“本山”というようなことに必ずしも拘らず、「駆けるのでもなく、少しゆっくりを巡ってみる」ということで、現在使用中の御朱印帳を用意して、真言宗の名刹を少しばかり巡ってみようとしている訳だ…
御朱印帳 朱印帳 カバー付 大判 蛇腹 46ページ 宮城めぐみデザイン 伽藍 紺 送料込み (※メール便のみ 送料無料) |
この記事…和歌山県と京都府との記録が混じっているので、漠然と記憶を書き綴る「память」(パーミャチ)のカテゴリに容れて置く。
それは如何でも好いが、寺を訪ねて頂く御朱印は何れも美しいと思う。本当に、各々の場所を訪ねた想い出と共に手許に残る宝物だ…素敵だ!もっと早く、こういう素敵なモノが在ることに気付いていれば、より善かったのかもしれない。が、それでも気付いて「自身の慶び」に採り入れているのだから、それはそいそれで凄く善い筈だ…
この御朱印帳を手に何処かの寺を訪ねてみるという営みは未だ続きそうだ…
2022年のカレンダー…(2021.12.09)
最近は知人等に出会って言葉を交わし、別れ際に「ひょっとすると“よいお年を”という感じかな?」というような話しになる場合も在る。何週間か後にでもまた出会った場合、現在出会った機会が「“今年として”は最後?」ということで、多少早いかもしれないものの、年末に口にする“よいお年を”とでも言うべきなのかという訳なのだ。
「12月」は、強く意識するしないと無関係に「今年として最後」という話題が増え、何やら「翌年」というようなことが頭の中を過る機会が増える。
↓そういう最中にこんなモノが出来上がった…
↓「(現在時点では)翌年」ということになる2022年のカレンダーだ。
時々利用するサービスを暫く振りに利用してみた訳だ…
使用する写真をアップロードして「〇月はX番…△月はY番…」と適当に択んで調整し、購入手続ということをすれば、「部数超限定・非売品」のオリジナルなカレンダーが出来上がるという訳だ。
申込んで、1週間前後で「商品発送の御報せ」ということになる。11月の末近くに申込むと、12月第1旬には間違いなく出来上がるような感じである。
国内物流網の偉大な恩恵の御蔭で、関東地方から送り出されるモノは北海道の北側に在る拙宅まで、殆どの場合に「中1日」という程度で到着する。「X月X日」に発送の旨のメールを受信していると「X月(X+2)日」にはモノを受取可能な訳だ。今般は、宅配業者の顔馴染みな運転手さんがその「X月(X+2)日」に確り届けて下さった。有難いことだ。
↓「2022年1月」のカレンダーだ…
自身の場合、「気に入っている御近所等の風景」を撮った写真でカレンダーを作ってみる場合が多い。というより、過去にもそういうことしかしていないと思う。
例えば「1月」であれば前年1月撮影の写真から、「2月」であれば前年2月撮影の写真からというように使用写真を択ぶ場合が多い。11月末や12月初めに翌年のカレンダーを準備となれば「前年12月撮影の写真」は極めて少ないか無いということになってしまう。そこだけは「前々年12月」というようなことになる。
概ねそういうようなこととしてはいるが、何も厳密に決めるようなことでもないので、上述の原則を少し離れるような場合も全く無い訳でもない。
↓「2022年2月」のカレンダーだ…
今般は「前年の同じ月に撮影の画を当該月に使用。12月だけは前々年12月撮影の画を使用」という原則に、正直に則った。(こんな原則は、自身で勝手に決めて、勝手に行っているに過ぎないので、如何でも構わない事なのだが…)
↓「2022年3月」のカレンダーだ…
↓「2022年4月」のカレンダーだ…
この種のカレンダーは例年作っているが、「作って、使って、何時の間にか何処かへ…」というようになっている。そういうことで、とりあえず「出来上がって嬉しい!」というのと相俟って、「記録すべく写真を…」と何となく撮ると、「とりあえず一通り」という具合にカレンダーを撮ってしまった・
↓「2022年5月」のカレンダーだ…
↓「2022年6月」のカレンダーだ…
↓「2022年7月」のカレンダーだ…
↓「2022年8月」のカレンダーだ…
↓「2022年9月」のカレンダーだ…
↓「2022年10月」のカレンダーだ…
↓「2022年11月」のカレンダーだ…
↓「2022年12月」のカレンダーだ…
「2022年7月」は利尻島と礼文島をそれぞれ訪ね、フェリーに乗船した際に視た景色の中から気に入ったモノを択んだ。「2022年8月」は、稚内に現れた遠方の友人に御誘いを頂き、些か張り切って訪ねた利尻島で視た光景が「今年の非常に記憶に残る光景」に挙げたいモノだったので採用した。こういう“変化球”は交ぜたが、カレンダーに使用した画は全て「御近所の景色」である。「御近所の景色」でありながら、なかなかに多彩でもある。
何処へ行こうとも、「愛されるべき景観」とか「愛するに値する景観」というのは「その辺に溢れている」ということなのだと思う。地元に在って、そういうモノを愉しみ、何処かを訪ねてみるにしても、そういうモノに出遭いたい。「ただそれだけさ♪」という程度に何時も思っている。
それにしても「便利な世の中」だ…自身「と或る地方のその他大勢」に過ぎず、所謂“アーティスト”でもなんでもない「如何でも構わない窓際族」のような者に過ぎないかもしれないが、それでも「矢鱈に立派…」な「自作写真を使ったカレンダー」を作るというようなことが「出来てしまう」のだ…
こういう「自作写真を使用し…」というような各種のサービスは、「家族写真を手近に」というような辺りから起こって発達したような気もするのだが、そういう出自は出自として「趣味の写真の成果を手近に…」ということでもなかなかに優れているというように思う。本当に、何度も作っているカレンダーだが、真面目に記録していなかったので、今般は一寸記録してみることにした訳だ…
「12月」は、強く意識するしないと無関係に「今年として最後」という話題が増え、何やら「翌年」というようなことが頭の中を過る機会が増える。
↓そういう最中にこんなモノが出来上がった…
↓「(現在時点では)翌年」ということになる2022年のカレンダーだ。
時々利用するサービスを暫く振りに利用してみた訳だ…
使用する写真をアップロードして「〇月はX番…△月はY番…」と適当に択んで調整し、購入手続ということをすれば、「部数超限定・非売品」のオリジナルなカレンダーが出来上がるという訳だ。
申込んで、1週間前後で「商品発送の御報せ」ということになる。11月の末近くに申込むと、12月第1旬には間違いなく出来上がるような感じである。
国内物流網の偉大な恩恵の御蔭で、関東地方から送り出されるモノは北海道の北側に在る拙宅まで、殆どの場合に「中1日」という程度で到着する。「X月X日」に発送の旨のメールを受信していると「X月(X+2)日」にはモノを受取可能な訳だ。今般は、宅配業者の顔馴染みな運転手さんがその「X月(X+2)日」に確り届けて下さった。有難いことだ。
↓「2022年1月」のカレンダーだ…
自身の場合、「気に入っている御近所等の風景」を撮った写真でカレンダーを作ってみる場合が多い。というより、過去にもそういうことしかしていないと思う。
例えば「1月」であれば前年1月撮影の写真から、「2月」であれば前年2月撮影の写真からというように使用写真を択ぶ場合が多い。11月末や12月初めに翌年のカレンダーを準備となれば「前年12月撮影の写真」は極めて少ないか無いということになってしまう。そこだけは「前々年12月」というようなことになる。
概ねそういうようなこととしてはいるが、何も厳密に決めるようなことでもないので、上述の原則を少し離れるような場合も全く無い訳でもない。
↓「2022年2月」のカレンダーだ…
今般は「前年の同じ月に撮影の画を当該月に使用。12月だけは前々年12月撮影の画を使用」という原則に、正直に則った。(こんな原則は、自身で勝手に決めて、勝手に行っているに過ぎないので、如何でも構わない事なのだが…)
↓「2022年3月」のカレンダーだ…
↓「2022年4月」のカレンダーだ…
この種のカレンダーは例年作っているが、「作って、使って、何時の間にか何処かへ…」というようになっている。そういうことで、とりあえず「出来上がって嬉しい!」というのと相俟って、「記録すべく写真を…」と何となく撮ると、「とりあえず一通り」という具合にカレンダーを撮ってしまった・
↓「2022年5月」のカレンダーだ…
↓「2022年6月」のカレンダーだ…
↓「2022年7月」のカレンダーだ…
↓「2022年8月」のカレンダーだ…
↓「2022年9月」のカレンダーだ…
↓「2022年10月」のカレンダーだ…
↓「2022年11月」のカレンダーだ…
↓「2022年12月」のカレンダーだ…
「2022年7月」は利尻島と礼文島をそれぞれ訪ね、フェリーに乗船した際に視た景色の中から気に入ったモノを択んだ。「2022年8月」は、稚内に現れた遠方の友人に御誘いを頂き、些か張り切って訪ねた利尻島で視た光景が「今年の非常に記憶に残る光景」に挙げたいモノだったので採用した。こういう“変化球”は交ぜたが、カレンダーに使用した画は全て「御近所の景色」である。「御近所の景色」でありながら、なかなかに多彩でもある。
何処へ行こうとも、「愛されるべき景観」とか「愛するに値する景観」というのは「その辺に溢れている」ということなのだと思う。地元に在って、そういうモノを愉しみ、何処かを訪ねてみるにしても、そういうモノに出遭いたい。「ただそれだけさ♪」という程度に何時も思っている。
それにしても「便利な世の中」だ…自身「と或る地方のその他大勢」に過ぎず、所謂“アーティスト”でもなんでもない「如何でも構わない窓際族」のような者に過ぎないかもしれないが、それでも「矢鱈に立派…」な「自作写真を使ったカレンダー」を作るというようなことが「出来てしまう」のだ…
こういう「自作写真を使用し…」というような各種のサービスは、「家族写真を手近に」というような辺りから起こって発達したような気もするのだが、そういう出自は出自として「趣味の写真の成果を手近に…」ということでもなかなかに優れているというように思う。本当に、何度も作っているカレンダーだが、真面目に記録していなかったので、今般は一寸記録してみることにした訳だ…
稚内港北防波堤ドーム…(2021.12.10)
天候が好く、雲が少ない感じで「より明るい」というように感じる早朝だった。
↓少しばかり戸外を歩き廻ってみた…
↑御近所の「最も気に入っている風景」かもしれない。
地面に埋められた石板の地図で手前の「日本の南側」から北上して行くと、サハリンの手前に眼前の稚内港北防波堤ドーム在る。防波堤の脇の海は、向こう岸のサハリンや世界に通じている。ここに至り、ここから何処かへ旅立つというような…「行き止まりなんかじゃない♪ここが始まり♪」という感覚、「海に囲まれている」のではなく「海に開かれている」と言い張ってみる感覚というようなことを大切にしたいというようなことを思う場合も在る。
↓コレの写真を撮る場合、最も人気が高い感じの画角かもしれない。
↓屋蓋の下の感じが視えるような画角も好い…
↓多少風が冷たく、この時の7℃程度という気温よりも寒い気がするということを実感し易い、「風が当り易い場所」に佇んだ。
こんな景色を愛でる早朝というのも好い感じだ…
↓少しばかり戸外を歩き廻ってみた…
↑御近所の「最も気に入っている風景」かもしれない。
地面に埋められた石板の地図で手前の「日本の南側」から北上して行くと、サハリンの手前に眼前の稚内港北防波堤ドーム在る。防波堤の脇の海は、向こう岸のサハリンや世界に通じている。ここに至り、ここから何処かへ旅立つというような…「行き止まりなんかじゃない♪ここが始まり♪」という感覚、「海に囲まれている」のではなく「海に開かれている」と言い張ってみる感覚というようなことを大切にしたいというようなことを思う場合も在る。
↓コレの写真を撮る場合、最も人気が高い感じの画角かもしれない。
↓屋蓋の下の感じが視えるような画角も好い…
↓多少風が冷たく、この時の7℃程度という気温よりも寒い気がするということを実感し易い、「風が当り易い場所」に佇んだ。
こんな景色を愛でる早朝というのも好い感じだ…
三条京阪駅にて…:京都市地下鉄(2021.11.22)
↓「京都の地下鉄」については、“路線図”の上で南北に延びる烏丸線が緑色で描かれ、概ね東西に延びる東西線がオレンジ色で描かれている。それに関して、「札幌に縁深い者」の目線では「札幌の地下鉄の南北線や東西線と同じような色…」と強く意識してしまう。
京都には色々な鉄道が乗入れている。地下鉄の烏丸線と東西線は相互に交わっているが、烏丸線よりも東側で南北に延びている京阪線とも東西線は交わっている。その東西線と京阪線とが交わる場所に設けられている駅が<三条京阪駅>ということになる。
↓これがその三条京阪駅のホームである…
↑あの「列車が視えない、完全に壁と扉で覆われた…」という「京都の地下鉄の東西線」の様式そのものの駅だ…
↓京都の地下鉄の東西線に関しては「列車に乗る」というよりも「エレベータに乗る」というような感じがする…
本当に、何度利用してみても「何となく不思議…」という気がする…
京都には色々な鉄道が乗入れている。地下鉄の烏丸線と東西線は相互に交わっているが、烏丸線よりも東側で南北に延びている京阪線とも東西線は交わっている。その東西線と京阪線とが交わる場所に設けられている駅が<三条京阪駅>ということになる。
↓これがその三条京阪駅のホームである…
↑あの「列車が視えない、完全に壁と扉で覆われた…」という「京都の地下鉄の東西線」の様式そのものの駅だ…
↓京都の地下鉄の東西線に関しては「列車に乗る」というよりも「エレベータに乗る」というような感じがする…
本当に、何度利用してみても「何となく不思議…」という気がする…
<いくら丼>…(2021.12.08)
<MATSUSHIMA>(マツシマ)…:稚内港中央埠頭(2021.12.08)
↓中央埠頭に船が接近中だ…早朝時点で沖に待機していて、予定の8時の少し前を目掛けて進んで来た…
↓<MATSUSHIMA>(マツシマ)はサハリンのコルサコフ港からやって来た。稚内港で貨物を積んで、またサハリンのコルサコフ港を目指す…
↓前回(2021.10.13)入港とは逆の向きに停泊した…
↑が、想うとこの向きの方が出航する時に出易いかもしれない。既にこの船も何度か稚内港に寄港しているので、そういうことを考えてのことであったのであろう…
↓港と街を背後に、<MATSUSHIMA>(マツシマ)は暫し待機だ…
↓やがて荷役作業が始まった…
↓種々の貨物を慎重にクレーンで吊り、船のスタッフの誘導を受けながら船倉に収めて行く…
↓こうやってサハリンへの輸出が行われていた…
何か凄く「港らしい!」という様子を眺められた…
↓<MATSUSHIMA>(マツシマ)はサハリンのコルサコフ港からやって来た。稚内港で貨物を積んで、またサハリンのコルサコフ港を目指す…
↓前回(2021.10.13)入港とは逆の向きに停泊した…
↑が、想うとこの向きの方が出航する時に出易いかもしれない。既にこの船も何度か稚内港に寄港しているので、そういうことを考えてのことであったのであろう…
↓港と街を背後に、<MATSUSHIMA>(マツシマ)は暫し待機だ…
↓やがて荷役作業が始まった…
↓種々の貨物を慎重にクレーンで吊り、船のスタッフの誘導を受けながら船倉に収めて行く…
↓こうやってサハリンへの輸出が行われていた…
何か凄く「港らしい!」という様子を眺められた…
稚内港北防波堤ドームを望む…:稚内港中央埠頭(2021.12.08)
ニットキャップ…(2021.12.08)
稚内港北防波堤ドーム…(2021.12.08)
シーザーサラダ…湯豆腐…<タコさん 赤ウインナー>…たこ飯…(2021.12.07)
小さな御店は、少し混み合うと立寄り悪い訳で、寄ろうと思えば何となく混み合っているというのが何度か繰り返されると「何となく御無沙汰…」となってしまう。
そういうことで「何となく御無沙汰」ということになった御近所の御店に、少し暫く振りに立寄ることが叶った…
↓シーザーサラダから始める…
↓湯豆腐…
湯豆腐は、時季は問わずに何時でも供しているというのだが、夏季には殆ど顧みられないものであるらしい…
↓冬季にはこういう感じが素敵だ…
↓<タコさん 赤ウインナー>も摘まむ…
↓大変に気に入っているたこ飯も…
実を言えば、午後に「日が傾いて暗くなるのが早くなった…」というようになった頃、「そうだ!湯豆腐だ!」と不意に思い付いて「湯豆腐は…あそこで手軽に…」と思い出したということだったのだ。
時にはこういうような感じが凄く好い!
そういうことで「何となく御無沙汰」ということになった御近所の御店に、少し暫く振りに立寄ることが叶った…
↓シーザーサラダから始める…
↓湯豆腐…
湯豆腐は、時季は問わずに何時でも供しているというのだが、夏季には殆ど顧みられないものであるらしい…
↓冬季にはこういう感じが素敵だ…
↓<タコさん 赤ウインナー>も摘まむ…
↓大変に気に入っているたこ飯も…
実を言えば、午後に「日が傾いて暗くなるのが早くなった…」というようになった頃、「そうだ!湯豆腐だ!」と不意に思い付いて「湯豆腐は…あそこで手軽に…」と思い出したということだったのだ。
時にはこういうような感じが凄く好い!
水溜り…(2021.12.07)
大阪空港駅…そして大阪空港…(2021.11.22)
門真市駅でモノレールに乗車してみた。
この大阪モノレールには、多分「全く初めて」の乗車だったと思う。沿線は雨が降り続いているようで、敢えて道草をするのは断念したが、結果的に「端から端まで」という乗車になった。
モノレール…何やら不思議な乗心地だと思った。1本のレールを確り掴むように車輛が載っていて、車輛は滑るように1本のレールの上を進むのだ…以前は羽田空港・浜松町間で何度も乗車した。比較的近年は、羽田空港では京浜急行の電車を使うので、モノレールそのものに御無沙汰という感じではあった…
↓大阪空港駅に着いた…
↑直ぐにこのモノレールは門真市駅へ折り返すことになるようだった…
↓改札口を潜って程無く「おっ!着いた!!」という按配だ…
大阪モノレールの門真市駅から大阪空港駅の概ね東から西への路線には、南北に延びている幾つもの鉄道の乗換駅が設定されていた。これは何となく思う以上に便利なモノなのかもしれない…
機会が在れば、また利用したいものだ…
この大阪モノレールには、多分「全く初めて」の乗車だったと思う。沿線は雨が降り続いているようで、敢えて道草をするのは断念したが、結果的に「端から端まで」という乗車になった。
モノレール…何やら不思議な乗心地だと思った。1本のレールを確り掴むように車輛が載っていて、車輛は滑るように1本のレールの上を進むのだ…以前は羽田空港・浜松町間で何度も乗車した。比較的近年は、羽田空港では京浜急行の電車を使うので、モノレールそのものに御無沙汰という感じではあった…
↓大阪空港駅に着いた…
↑直ぐにこのモノレールは門真市駅へ折り返すことになるようだった…
↓改札口を潜って程無く「おっ!着いた!!」という按配だ…
大阪モノレールの門真市駅から大阪空港駅の概ね東から西への路線には、南北に延びている幾つもの鉄道の乗換駅が設定されていた。これは何となく思う以上に便利なモノなのかもしれない…
機会が在れば、また利用したいものだ…
門真市駅…(2021.11.21)
夜の駐車場にて…(2021.12.06)
しめ鯖…串焼き各種…焼きめし…(2021.12.06)
モーニングセット:たまごサンドウィッチ…(2021.11.22)
小雨交じりな中、小雨を物ともせずに歩き廻っていた。
2時間半近くも動き回った頃に「電池切れ…」と戯れに言う情況、「少し座って、飲物でも頂きながら一息…」ということをしたくなった…
六波羅蜜寺から六道珍皇寺に立寄り、六波羅蜜寺を目指した時に目印にした、京阪の清水五条駅へ向かおうとした。
↓途中で喫茶店に立寄った…
宿を出る前に朝食の提供は受けたが「食べ過ぎないように…」と軽めに済ませていたので、<たまごサンドウィッチ>のモーニングセットを御願いした。
御近所の常連が色々と出入りして寛いでいるというような、何か「かなり古くから営業していそうな店」だった。そういう雰囲気!嫌いじゃない。寧ろ好きだ!何か、訪ねた街の一隅に紛れ込ませて頂いているような不思議な気分になるのが面白い。
↓「たまごサンドウィッチ」とでも聞くと想い起すような、ゆで卵をマヨネーズで和えたモノを柔らかいパンに挟んだモノ、少し「懐かしい…」という味だった。
サンドウィッチを美味しく頂き、好い意味で「中庸」という感じの味わいだった珈琲をゆったりと頂いた。多分?古くから使っているブレンドなのだと想像した…
↓眼前にふと現れる“喫茶”という看板…京都の街中では意外に見掛ける。この種の場所は、本当に「地元の人達の集まる店」という風情の場所が多いと思う。
ここで一息入れた後、更に動き回った…
2時間半近くも動き回った頃に「電池切れ…」と戯れに言う情況、「少し座って、飲物でも頂きながら一息…」ということをしたくなった…
六波羅蜜寺から六道珍皇寺に立寄り、六波羅蜜寺を目指した時に目印にした、京阪の清水五条駅へ向かおうとした。
↓途中で喫茶店に立寄った…
宿を出る前に朝食の提供は受けたが「食べ過ぎないように…」と軽めに済ませていたので、<たまごサンドウィッチ>のモーニングセットを御願いした。
御近所の常連が色々と出入りして寛いでいるというような、何か「かなり古くから営業していそうな店」だった。そういう雰囲気!嫌いじゃない。寧ろ好きだ!何か、訪ねた街の一隅に紛れ込ませて頂いているような不思議な気分になるのが面白い。
↓「たまごサンドウィッチ」とでも聞くと想い起すような、ゆで卵をマヨネーズで和えたモノを柔らかいパンに挟んだモノ、少し「懐かしい…」という味だった。
サンドウィッチを美味しく頂き、好い意味で「中庸」という感じの味わいだった珈琲をゆったりと頂いた。多分?古くから使っているブレンドなのだと想像した…
↓眼前にふと現れる“喫茶”という看板…京都の街中では意外に見掛ける。この種の場所は、本当に「地元の人達の集まる店」という風情の場所が多いと思う。
ここで一息入れた後、更に動き回った…
六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)…(2021.11.22)
「六道の辻」という場所が在る。訪ねてみた六波羅蜜寺から然程遠くもない辺りである。
「六道」(ろくどう)?これは仏教の教義で謂う地獄道(じごく)・餓鬼道(がき)・畜生道(ちくしょう)・修羅(阿修羅)道(しゅら)・人道(人間)・天道の六種の冥界のことである。
人は因果応報(いんがおうほう)により、死後はこの六道を輪廻転生(りんねてんせい)する(生死を繰返しながら流転する)とされている。
この六道の分岐点で、いわゆるこの世とあの世の境界となる「辻」、「冥界への入口」が「六道珍皇寺の境内の辺り」とされて来た。
そこで「六道の辻」という場所が在るのだ。
↓六道珍皇寺の門前に、「六道の辻」と刻まれた石柱が確りと据えられていた…
↓上述の「六道の辻」の手前にもう一つ石柱が据えられている。「小野篁卿舊跡」と在る。「舊」は「旧」のことだ。
↑ここは小野篁(おののたかむら)という人物に所縁の旧跡であるということである。
小野篁(802-852)は嵯峨天皇の時代の官吏で、参議にまで上っている。故に指名に「卿」という文字が添えられている。傑出した人物であったというが、昼は朝廷に出仕し、夜は閻魔庁につとめていたという奇怪な伝説が在る。篁が冥土へ通うのに使ったという井戸が伝えられているのだそうだ。
↓不思議な言い伝えに彩られた、静かな寺を訪ねてみた。
↓冥界とこの世とが交わる辻…何か不思議な空気感が漂う…
この日は<寺宝展>と称し、薬師如来像、閻魔大王像、小野篁像が観易い状態で公開されていた。それを観ることが叶ったのは好かった。
↓庭をゆっくりと拝観した…「撮影は御遠慮を…」と規制が在るが、小野篁の伝説の井戸は極一部が覗いている…
↓しっとりと湿った感じ…こういうのも悪くはない…
「六道の辻」ということに関して、平安京の東に在ったという鳥辺野の墓所に近く、葬送の道筋なので「野辺の送り」が催されていて、辺りが「人の世の無常とはかなさを感じる場所」であったことや、小野篁の言い伝えが相俟って謂われるようになったものなのであろう…
何か「命」というようなことに関して、漫然と想うような場面が如何したものか増えているような気がしないでもない昨今、「冥界」に関する言い伝えに彩られた寺に立寄ってみたのは少し興味深かった。
「六道」(ろくどう)?これは仏教の教義で謂う地獄道(じごく)・餓鬼道(がき)・畜生道(ちくしょう)・修羅(阿修羅)道(しゅら)・人道(人間)・天道の六種の冥界のことである。
人は因果応報(いんがおうほう)により、死後はこの六道を輪廻転生(りんねてんせい)する(生死を繰返しながら流転する)とされている。
この六道の分岐点で、いわゆるこの世とあの世の境界となる「辻」、「冥界への入口」が「六道珍皇寺の境内の辺り」とされて来た。
そこで「六道の辻」という場所が在るのだ。
↓六道珍皇寺の門前に、「六道の辻」と刻まれた石柱が確りと据えられていた…
↓上述の「六道の辻」の手前にもう一つ石柱が据えられている。「小野篁卿舊跡」と在る。「舊」は「旧」のことだ。
↑ここは小野篁(おののたかむら)という人物に所縁の旧跡であるということである。
小野篁(802-852)は嵯峨天皇の時代の官吏で、参議にまで上っている。故に指名に「卿」という文字が添えられている。傑出した人物であったというが、昼は朝廷に出仕し、夜は閻魔庁につとめていたという奇怪な伝説が在る。篁が冥土へ通うのに使ったという井戸が伝えられているのだそうだ。
↓不思議な言い伝えに彩られた、静かな寺を訪ねてみた。
↓冥界とこの世とが交わる辻…何か不思議な空気感が漂う…
この日は<寺宝展>と称し、薬師如来像、閻魔大王像、小野篁像が観易い状態で公開されていた。それを観ることが叶ったのは好かった。
↓庭をゆっくりと拝観した…「撮影は御遠慮を…」と規制が在るが、小野篁の伝説の井戸は極一部が覗いている…
↓しっとりと湿った感じ…こういうのも悪くはない…
「六道の辻」ということに関して、平安京の東に在ったという鳥辺野の墓所に近く、葬送の道筋なので「野辺の送り」が催されていて、辺りが「人の世の無常とはかなさを感じる場所」であったことや、小野篁の言い伝えが相俟って謂われるようになったものなのであろう…
何か「命」というようなことに関して、漫然と想うような場面が如何したものか増えているような気がしないでもない昨今、「冥界」に関する言い伝えに彩られた寺に立寄ってみたのは少し興味深かった。
六波羅蜜寺…(2021.11.22)
五条大宮の宿に在った早朝、「五条通に出て、東へ進んで鴨川を渡り、京阪の清水五条駅の先を目指すような…」という「概ね30分歩く」というようなことを何となく想い描いた。
余り早くに出発しても「コンビニで珈琲でも求めることは可能であろうが…他に何が出来るのでもなく…加えて未だ暗い時季だ…」と宿の居室で少々寛ぎ、「さて出よう…」とチェックアウトを済ませて戸外に出てみれば雨が交っていた。と言って雨が強いのでもない。「しとしと…」という程度だった。
↓小雨を気にせず、特段に傘を使うのでもなく、想い描いたように街を歩けば、少し入組んだような辺りでこんな看板に出くわす…
↑興味は在ったが、これまでに寄ってみる機会も無かった六波羅蜜寺である。
「六波羅」と言えば、『平家物語』の平家が都での本拠地のようにしていた地区だ。鎌倉時代には幕府が「六波羅探題」という機関を設置していた筈だ。軍事的脅威に備える“司令本部”であり、治安維持的な役目を担う“憲兵”とか“警察”の本部で、都での様々な役目を果たすための幕府の“代表部”というような場所であった筈だ。そういうことを踏まえて「源平両氏の中心史跡」というように、六波羅蜜寺の看板には在る。
↓小雨の中、境内に入ってみれば少し大きな十一面観音が迎えてくれる…
↓写真をクリックして、ウェブギャラリーのページを開き、更に写真をクリックすると大きく表示される。それを視ると、この時は小雨で十一面観音が濡れている様子が判り易い。
↑濡れた境内に濡れた状態で佇み、小雨に濡れたままに訪ねた自身を迎えて頂いたということになる。感謝!
↓本堂、加えて弁財天に御参りをした…
↓記念にポストカードを求めてしまったが、六波羅蜜寺では<宝物殿>は拝観する価値が在ると思う。
↑「念仏を唱えると、唱えた一字一字が阿弥陀如来の姿になった」という、空也上人の伝承を彫刻にした像、歴史の教科書にも出ている平清盛の像、その他主に鎌倉時代の優れた彫像作品が多く展示されている。
この六波羅蜜寺の<宝物館>で視たような、永く受継がれた素晴らしいモノを間近に眺められたという経験…今般はここの他に高野山の<霊宝館>や、同じ京都の三十三間堂でもそんなことが在ったのだが、本当に好かった!
↓雨がなかなか止まない中での訪問だったが、その雨の風情と共に、六波羅蜜寺は強く記憶に残る感だ…
※ ポストカードの画は後から札幌の宿で撮っている。が、記事は京都での想い出なので「京都府」のカテゴリに分類する。
余り早くに出発しても「コンビニで珈琲でも求めることは可能であろうが…他に何が出来るのでもなく…加えて未だ暗い時季だ…」と宿の居室で少々寛ぎ、「さて出よう…」とチェックアウトを済ませて戸外に出てみれば雨が交っていた。と言って雨が強いのでもない。「しとしと…」という程度だった。
↓小雨を気にせず、特段に傘を使うのでもなく、想い描いたように街を歩けば、少し入組んだような辺りでこんな看板に出くわす…
↑興味は在ったが、これまでに寄ってみる機会も無かった六波羅蜜寺である。
「六波羅」と言えば、『平家物語』の平家が都での本拠地のようにしていた地区だ。鎌倉時代には幕府が「六波羅探題」という機関を設置していた筈だ。軍事的脅威に備える“司令本部”であり、治安維持的な役目を担う“憲兵”とか“警察”の本部で、都での様々な役目を果たすための幕府の“代表部”というような場所であった筈だ。そういうことを踏まえて「源平両氏の中心史跡」というように、六波羅蜜寺の看板には在る。
↓小雨の中、境内に入ってみれば少し大きな十一面観音が迎えてくれる…
↓写真をクリックして、ウェブギャラリーのページを開き、更に写真をクリックすると大きく表示される。それを視ると、この時は小雨で十一面観音が濡れている様子が判り易い。
↑濡れた境内に濡れた状態で佇み、小雨に濡れたままに訪ねた自身を迎えて頂いたということになる。感謝!
↓本堂、加えて弁財天に御参りをした…
↓記念にポストカードを求めてしまったが、六波羅蜜寺では<宝物殿>は拝観する価値が在ると思う。
↑「念仏を唱えると、唱えた一字一字が阿弥陀如来の姿になった」という、空也上人の伝承を彫刻にした像、歴史の教科書にも出ている平清盛の像、その他主に鎌倉時代の優れた彫像作品が多く展示されている。
この六波羅蜜寺の<宝物館>で視たような、永く受継がれた素晴らしいモノを間近に眺められたという経験…今般はここの他に高野山の<霊宝館>や、同じ京都の三十三間堂でもそんなことが在ったのだが、本当に好かった!
↓雨がなかなか止まない中での訪問だったが、その雨の風情と共に、六波羅蜜寺は強く記憶に残る感だ…
※ ポストカードの画は後から札幌の宿で撮っている。が、記事は京都での想い出なので「京都府」のカテゴリに分類する。