↓二条城の近くである…
↓かの弘法大師空海が勧請したと伝えられる、善如龍王を祀る社が据えられている…
↓神泉苑と言って、平安京の庭であった場所で桓武天皇が築かせたのだという。
↑歴代天皇が宴遊した場所でもある訳だ。雨の中であったが、そんな風雅に想いを巡らせた。
↓日照り続きの天長元(824)年、神泉苑の池畔で弘法大師空海は祈り、善女龍王を勧請して雨を降らせたと伝えられている…爾来、神泉苑は多くの名僧が祈雨修法を行う場ともなっていたそうだ…
雨に濡れながらの訪問となったが、何かこう「湧き上がる力」のようなモノを感じないでもない場所で興味深かった…
丸型ポスト…:高野郵便局(こうやゆうびんきょく)前(2021.11.21)
宿坊を発って、ケーブルカーの高野山駅へ向かおうとした時だった。
↓駅へ向かうバスの停留所辺りにポストが佇んでいた…
↑周辺を見回すと郵便局の前だった…
この高野山の周辺、高野町の暮らしの息吹が感じられる。写真は撮らなかったが、直ぐ目の前には消防署も在って、署員の皆さんが何やら活動をしている様子も視えた。
高野山…再訪する機会を設けたいと、早くも思っている…
↓駅へ向かうバスの停留所辺りにポストが佇んでいた…
↑周辺を見回すと郵便局の前だった…
この高野山の周辺、高野町の暮らしの息吹が感じられる。写真は撮らなかったが、直ぐ目の前には消防署も在って、署員の皆さんが何やら活動をしている様子も視えた。
高野山…再訪する機会を設けたいと、早くも思っている…
丸型ポスト…:平安神宮の周辺(2021.11.21)
京都市広報板:「京都市では市内全域で路上喫煙禁止です」(2021.11.22)
島原 大門と輪違屋と…加えて…:京都(2021.11.21)
大宮通を北上し、五条通と交差する辺りに在る宿を目指していたが、宿に入るにはやや早いと見受けられた時間帯であったので、少々道草を思い付いた。
南北に延びている大宮通は、東西に延びる様々な通と交差している。五条通のやや南に花屋町通という通が在る。その道を少し西寄りへ歩んでみる。
↓“島原”の大門が在るのだ…
↓<輪違屋>という古い店の建物が好い雰囲気だ…
この辺は…個人的には幕末の新選組関連の物語で色々と出て来る場所というイメージを強く持っている。
↓そんなイメージを汲んでなのだと思う。新選組の旗印に書かれたという「誠」の文字を冠した入浴等を愉しむことが出来る施設が辺りに在った…(この日、こちらを利用…なかなかに好かった!)
この島原というような辺りも、散策してみるとなかなかに好いように思う…
南北に延びている大宮通は、東西に延びる様々な通と交差している。五条通のやや南に花屋町通という通が在る。その道を少し西寄りへ歩んでみる。
↓“島原”の大門が在るのだ…
↓<輪違屋>という古い店の建物が好い雰囲気だ…
この辺は…個人的には幕末の新選組関連の物語で色々と出て来る場所というイメージを強く持っている。
↓そんなイメージを汲んでなのだと思う。新選組の旗印に書かれたという「誠」の文字を冠した入浴等を愉しむことが出来る施設が辺りに在った…(この日、こちらを利用…なかなかに好かった!)
この島原というような辺りも、散策してみるとなかなかに好いように思う…
(西)本願寺の銀杏…:京都(2021.11.21)
(西)本願寺 唐門:京都(2021.11.21)
東寺に立寄ってから大宮通を北上し、その日の宿を目指した。
やがて龍谷大学の建物が視える辺りに到り、「そうだ!この辺が西本願寺…」と以前に何度か通ったことを思い出した。
↓少し歩いて眼に留まった…
↑実に煌びやか!!これが唐門だ…
2018年6月から約3年4カ月に及んだという修復作業が竣工したばかりであったようである。少し前に何やらカバーに覆われていたというような様子も覚えている…
↓四脚門で、礎石から棟までの高さは約8・7m、柱の間は南北約4・4m、東西約5・4mという大きさであるという。
↑建築細部の彫刻を眺めていると日の暮れるのも忘れるとして「日暮門」という異称も在るそうだ。なるほど、見事だと思う…
一寸奥の側で何か別な工事が続いていて、これ以上寄ってみる、或いは角度を変えて眺めることは叶わなかった…そして、本願寺の境内の入口で続く路も歩けなかった…「廻り込んで本願寺に寄ってみよう…」と通って来た路を引き返したのだった…
やがて龍谷大学の建物が視える辺りに到り、「そうだ!この辺が西本願寺…」と以前に何度か通ったことを思い出した。
↓少し歩いて眼に留まった…
↑実に煌びやか!!これが唐門だ…
2018年6月から約3年4カ月に及んだという修復作業が竣工したばかりであったようである。少し前に何やらカバーに覆われていたというような様子も覚えている…
↓四脚門で、礎石から棟までの高さは約8・7m、柱の間は南北約4・4m、東西約5・4mという大きさであるという。
↑建築細部の彫刻を眺めていると日の暮れるのも忘れるとして「日暮門」という異称も在るそうだ。なるほど、見事だと思う…
一寸奥の側で何か別な工事が続いていて、これ以上寄ってみる、或いは角度を変えて眺めることは叶わなかった…そして、本願寺の境内の入口で続く路も歩けなかった…「廻り込んで本願寺に寄ってみよう…」と通って来た路を引き返したのだった…
京都駅…(2021.11.21)
↓大阪駅で乗車した列車が京都駅に着いた…
↓「好天の日曜日」というようなことで、列車の乗客も多く、駅も賑わっていた…
この京都駅も色々な路線が集まっている結節点で、何度も下り立ってはいるが、何か着く都度に少し新鮮な気もする場所だ…
↓「好天の日曜日」というようなことで、列車の乗客も多く、駅も賑わっていた…
この京都駅も色々な路線が集まっている結節点で、何度も下り立ってはいるが、何か着く都度に少し新鮮な気もする場所だ…
大阪駅…(2021.11.21)
南海から地下鉄に乗換えて大阪駅に到った…
↓「この駅へ来てしまった…」というような、何か感慨めいたモノが込上げる眺めだ。
高野山のケーブルカーに乗り、極楽橋駅で乗換、橋本駅で乗換というようにして、この大阪駅まで北上である…
↓暫し眺めた後、乗るべき列車を探す…
↓現れた列車に乗ることにする…
↓北東方向へ進む列車だ…
↓<新快速>は速い…大阪駅から京都駅で30分位だ…
関西でこの<新快速>を利用して移動するというのも一寸愉しい…
↓「この駅へ来てしまった…」というような、何か感慨めいたモノが込上げる眺めだ。
高野山のケーブルカーに乗り、極楽橋駅で乗換、橋本駅で乗換というようにして、この大阪駅まで北上である…
↓暫し眺めた後、乗るべき列車を探す…
↓現れた列車に乗ることにする…
↓北東方向へ進む列車だ…
↓<新快速>は速い…大阪駅から京都駅で30分位だ…
関西でこの<新快速>を利用して移動するというのも一寸愉しい…
なんば駅:大阪メトロ(2021.11.21)
難波は交通の結節点になっていて、色々な路線の駅が在って便利だ…
南海なんば駅到着の後、地下に下りた…
↓なんば駅に入れば、多分「大阪の地下鉄で最も忙しい…」と見受けられる御堂筋線の列車が直ぐに現れた…
↓梅田駅へ北上することにした…
こういう「他所の街の普通な交通手段」を普通に利用して動き回るというのが好きだ…
南海なんば駅到着の後、地下に下りた…
↓なんば駅に入れば、多分「大阪の地下鉄で最も忙しい…」と見受けられる御堂筋線の列車が直ぐに現れた…
↓梅田駅へ北上することにした…
こういう「他所の街の普通な交通手段」を普通に利用して動き回るというのが好きだ…
南海なんば駅へ…(2021.11.21)
橋本駅で乗り込んだ列車は順調に進んだ。南海なんば駅が近付くに連れて、乗客も増えて行ったような気がした。
↓正面の、運転台横の辺りから外が視える席に陣取っていた…南海なんば駅への入口が視えて来た…
↓屋根の下に入り込んだ…
↓停車する位置が近付いて減速しているのが、乗車していても判るような感じになって来た…
↓もう直ぐ停まる…忘れ物が無いように辺りを確かめて下車する…
↓振り返ってみれば、乗って来た車輛は橋本駅へ向かう列車ということになって折り返し走るようだ…
何か、今般は南海なんば駅を発着する列車というモノが酷く気に入ってしまったという感だ…
↓正面の、運転台横の辺りから外が視える席に陣取っていた…南海なんば駅への入口が視えて来た…
↓屋根の下に入り込んだ…
↓停車する位置が近付いて減速しているのが、乗車していても判るような感じになって来た…
↓もう直ぐ停まる…忘れ物が無いように辺りを確かめて下車する…
↓振り返ってみれば、乗って来た車輛は橋本駅へ向かう列車ということになって折り返し走るようだ…
何か、今般は南海なんば駅を発着する列車というモノが酷く気に入ってしまったという感だ…
晩秋の風情…:札幌(2021.11.19)
<ラムビリヤニ>…(2021.11.19)
嘗ては「ビール会社の工場」であったという場所を、商業施設、宿泊施設、その他に改装したという<サッポロファクトリー>も、何時の間にか年月を重ねた。
そういう<サッポロファクトリー>だが、幾つかのテナントに関しては、何度も立寄って愉しく過ごしていて、自身の中で「札幌の想い出の店」というようなことになっていて、記憶に留めて何度も立寄っている場合も在る。
↓「<ラムビリヤニ>のベリーベリーホット」ということになるが…<サッポロファクトリー>のテナントの店で供している、ラム肉(羊肉)を使ったスパイシーなカレーライスだ…これが時々思い出して「無性に食べたい!!」ということになる代物だ…
↓<サッポロファクトリー>の中で、こういうような店構え―時季なので、創業者のマネキンがサンタクロース衣装なのは御愛嬌だが…―も随分と長く変わっていない。視れば、「あの店!元気に営業中だ!!」と嬉しくなるが…
本当にこの「札幌で元気に営業しているインド料理のチェーン店」の主要な店舗というようなことになる<サッポロファクトリー>の店は「愛すべき店」と自身の中では思っている。また、札幌に寄って時間が在れば訪ねたいものだ。何時も忘れてはいない!!
そういう<サッポロファクトリー>だが、幾つかのテナントに関しては、何度も立寄って愉しく過ごしていて、自身の中で「札幌の想い出の店」というようなことになっていて、記憶に留めて何度も立寄っている場合も在る。
↓「<ラムビリヤニ>のベリーベリーホット」ということになるが…<サッポロファクトリー>のテナントの店で供している、ラム肉(羊肉)を使ったスパイシーなカレーライスだ…これが時々思い出して「無性に食べたい!!」ということになる代物だ…
↓<サッポロファクトリー>の中で、こういうような店構え―時季なので、創業者のマネキンがサンタクロース衣装なのは御愛嬌だが…―も随分と長く変わっていない。視れば、「あの店!元気に営業中だ!!」と嬉しくなるが…
本当にこの「札幌で元気に営業しているインド料理のチェーン店」の主要な店舗というようなことになる<サッポロファクトリー>の店は「愛すべき店」と自身の中では思っている。また、札幌に寄って時間が在れば訪ねたいものだ。何時も忘れてはいない!!
旭川駅にて…(2021.11.19)
稚内駅で列車に乗込み、車中で長閑に過ごしていれば、列車は旭川駅に到着する…
↓「旭川行=旭川駅が終着の列車」なので下車する…「ここまで運んで頂き、忝い…」と車輛を何となく眺めてみるというのも恒例だ…
↓直ぐ隣りに札幌行の特急列車が待機していて、旭川以遠へ向かう場合は、これに乗換えるというようにはなっている…
↓それはそれとして、改札を潜って一息入れてみたいというようなことも思ってしまう…
↓「気付くと、乗っていた列車が旭川駅に停車した…」という情況で到着だった。少し駅の南側の緑地に出て一息入れたのだ…
↓旭川以遠、札幌方向であれば、時間帯によって列車本数が少ない場合も在るが、大概は「30分毎…」というような感じで特急列車が走っている。稚内から着いた後の“指定”のようになっている列車を見送っても、30分も経てば別な札幌行の特急列車が現れるのだ…
↓「旭川と札幌とを往来」ということになると、何やらもの<カムイ>の愛称を冠せられた列車の使用の789系電車に乗ってみるのが、酷く心地好いような気がする…
この日は…札幌から新千歳空港を目指し、更に飛ぶという予定であった…気に入っている<カムイ>で札幌まで運んで頂くということにしたのだった…
↓「旭川行=旭川駅が終着の列車」なので下車する…「ここまで運んで頂き、忝い…」と車輛を何となく眺めてみるというのも恒例だ…
↓直ぐ隣りに札幌行の特急列車が待機していて、旭川以遠へ向かう場合は、これに乗換えるというようにはなっている…
↓それはそれとして、改札を潜って一息入れてみたいというようなことも思ってしまう…
↓「気付くと、乗っていた列車が旭川駅に停車した…」という情況で到着だった。少し駅の南側の緑地に出て一息入れたのだ…
↓旭川以遠、札幌方向であれば、時間帯によって列車本数が少ない場合も在るが、大概は「30分毎…」というような感じで特急列車が走っている。稚内から着いた後の“指定”のようになっている列車を見送っても、30分も経てば別な札幌行の特急列車が現れるのだ…
↓「旭川と札幌とを往来」ということになると、何やらもの<カムイ>の愛称を冠せられた列車の使用の789系電車に乗ってみるのが、酷く心地好いような気がする…
この日は…札幌から新千歳空港を目指し、更に飛ぶという予定であった…気に入っている<カムイ>で札幌まで運んで頂くということにしたのだった…
稚内駅にて…(2021.11.19)
「温かい」とは言い難いが、「酷く寒くキツい」という程でもないという中、稚内駅で列車が現れるのを待った…
↓現れたのはキハ261系ディーゼルカーの新しい車輛である<はまなす編成>だった。
↓右側の標柱に在る「259」という数字は旭川駅までの距離だ。列車の後尾側の様子を何気なく眺める。「今日は、途中の旭川まで宜しく!!」という感だ…
↓キハ261系ディーゼルカーの新しい車輛…シートが新しい仕様で、これは乗り心地が好いので、この車輛が登場すると少し嬉しい…
↓発車までにやや間が在るので、敢えて列車の先頭を眺めに…こうやって、出発に向けて待機している車輛は美しいと何時も思う…
↓このシート…非常に居心地が好い…
↓駅ビルのテナントになっているコンビニで、顔馴染みの店員さん達と挨拶を交わしながら、車内で摘まむモノ、飲むモノを仕入れ、それを取り出す。
そんなことをやっている間に「発車します。扉付近の御客様、御注意願います。扉閉まります」で列車は動き始める。
この「始発 稚内駅」の風情…素敵なのだ!「ここが始まり♪」という感慨をより多くの皆さんに味わって頂きたいと、少々真面目に思う場合が在る…
↓現れたのはキハ261系ディーゼルカーの新しい車輛である<はまなす編成>だった。
↓右側の標柱に在る「259」という数字は旭川駅までの距離だ。列車の後尾側の様子を何気なく眺める。「今日は、途中の旭川まで宜しく!!」という感だ…
↓キハ261系ディーゼルカーの新しい車輛…シートが新しい仕様で、これは乗り心地が好いので、この車輛が登場すると少し嬉しい…
↓発車までにやや間が在るので、敢えて列車の先頭を眺めに…こうやって、出発に向けて待機している車輛は美しいと何時も思う…
↓このシート…非常に居心地が好い…
↓駅ビルのテナントになっているコンビニで、顔馴染みの店員さん達と挨拶を交わしながら、車内で摘まむモノ、飲むモノを仕入れ、それを取り出す。
そんなことをやっている間に「発車します。扉付近の御客様、御注意願います。扉閉まります」で列車は動き始める。
この「始発 稚内駅」の風情…素敵なのだ!「ここが始まり♪」という感慨をより多くの皆さんに味わって頂きたいと、少々真面目に思う場合が在る…
御朱印帳巾着袋…:高野山金剛峰寺 寺紋入り…(2021.11.21)
↓こういう巾着袋を入手した…
高野山の奥之院で光と空気感に魅せられながら随分と歩いた後、街の側へ向かうバスが発着する停留所を目指したが、途中に売店を見付けて覗いた。そして「これ!!欲しい!!」ということになったのだった。
高野山金剛峰寺では、現在は「金剛峯寺」と呼び習わされる本坊の機能を果たす場所が、豊臣秀吉発願の青厳寺であって、豊臣家に所縁の「五三の桐」を拝領している関係でそれを使用している。それに、更に古くから「高野山の鎮守」ということになっている丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)の紋である「三頭右巴」も在る。高野山金剛峰寺では、この両者を同時に使っているというのだ…
↓巾着袋はこういう具合に使う…
↑御朱印帳を入れるのだ…
↓壇上伽藍の美しいイラストが入った御朱印帳を以前から準備していた。それを高野山で使用し始めることとなったが、その御朱印帳をこの高野山金剛峰寺の2つの寺紋が入った巾着に入れて持ち歩くこととした。
全く「だから?」と言われてしまいそうなことなのだが、こういうような美しいイラストの表紙の御朱印帳を、関連の深い紋が入った袋に入れて持ち歩くというような事が、何やら酷く心弾ませてくれるものなのである。何故?その辺はよく判らないが…
※ 写真は高野山を下りた後、京都の宿で撮っている。記事題名に入れる日付は撮影日とするが、モノは高野山での想い出に関係が深いので、記事は「和歌山県」のカテゴリに分類する。
高野山の奥之院で光と空気感に魅せられながら随分と歩いた後、街の側へ向かうバスが発着する停留所を目指したが、途中に売店を見付けて覗いた。そして「これ!!欲しい!!」ということになったのだった。
高野山金剛峰寺では、現在は「金剛峯寺」と呼び習わされる本坊の機能を果たす場所が、豊臣秀吉発願の青厳寺であって、豊臣家に所縁の「五三の桐」を拝領している関係でそれを使用している。それに、更に古くから「高野山の鎮守」ということになっている丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)の紋である「三頭右巴」も在る。高野山金剛峰寺では、この両者を同時に使っているというのだ…
↓巾着袋はこういう具合に使う…
↑御朱印帳を入れるのだ…
↓壇上伽藍の美しいイラストが入った御朱印帳を以前から準備していた。それを高野山で使用し始めることとなったが、その御朱印帳をこの高野山金剛峰寺の2つの寺紋が入った巾着に入れて持ち歩くこととした。
全く「だから?」と言われてしまいそうなことなのだが、こういうような美しいイラストの表紙の御朱印帳を、関連の深い紋が入った袋に入れて持ち歩くというような事が、何やら酷く心弾ませてくれるものなのである。何故?その辺はよく判らないが…
※ 写真は高野山を下りた後、京都の宿で撮っている。記事題名に入れる日付は撮影日とするが、モノは高野山での想い出に関係が深いので、記事は「和歌山県」のカテゴリに分類する。
五重塔を見上げる…:東寺:京都(2021.11.21)
高野山を下りて、南海なんば駅から地下鉄で梅田駅に出て、大阪駅に行って列車に乗り、到った京都駅で更に一駅を列車で動いて東寺駅に到った…
↓聳え立つ東寺の五重塔を路傍で何となく見上げた…
弘法大師空海に所縁が深い高野山から、同じく所縁が深い東寺へ至り、何か名状し悪い感慨のようなモノも沸き起こった…
↓「好天な日曜日」で「縁日」という情況で、とりあえず酷く混み合っていた中、五重塔をとりあえず仰ぎ、「弘法大師」の御朱印を頂いて、ゆっくりとこの日の宿を目指して歩いた…
↓何かで損なわれる都度に再建され続けて、現在に受継がれている五重塔…美しい!
何か、五重塔を仰ぎ見て「所縁の高野山を訪ねました…」と弘法大師空海に「報告申し上げた」という気分にもなった…
京都の便利な場所に在る東寺である。また、もう少し静かな時期にゆっくりと寄りたい感だ…
↓聳え立つ東寺の五重塔を路傍で何となく見上げた…
弘法大師空海に所縁が深い高野山から、同じく所縁が深い東寺へ至り、何か名状し悪い感慨のようなモノも沸き起こった…
↓「好天な日曜日」で「縁日」という情況で、とりあえず酷く混み合っていた中、五重塔をとりあえず仰ぎ、「弘法大師」の御朱印を頂いて、ゆっくりとこの日の宿を目指して歩いた…
↓何かで損なわれる都度に再建され続けて、現在に受継がれている五重塔…美しい!
何か、五重塔を仰ぎ見て「所縁の高野山を訪ねました…」と弘法大師空海に「報告申し上げた」という気分にもなった…
京都の便利な場所に在る東寺である。また、もう少し静かな時期にゆっくりと寄りたい感だ…
朝の旭川駅にて…(2021.11.30)
夕べを過ごした旭川で朝を迎え、暫しの時を過ごしていたのだったが、乗車予定の列車が現れる時間が近付くので駅へ足を運んだ。
↓旭川駅の辺りは中途半端に雪が残っていないので歩き易い。実は、歩道の中に装置が埋め込まれて「温度を上げて雪を融かす」という「ロードヒーティング」が施されている箇所でもある。
↓横断幕を視て、一寸思った。「10年経っても“新”の駅舎か?」とである。これ以前の駅舎も利用した記憶は在るが、自身では現在の様子が最も馴染んでいる。
↑それでも、とりあえず現行の駅舎が全供用ということになった2011年から10年ということに関しては「新駅舎10年」とでも表現する他に無いのかもしれない。
↓妙な事も思ったが、改札を潜ってからエスカレータでホームに出る。
↓H100だ…見掛ける頻度が少し増えたのだが、未だ乗車したことは無い…
↓眼に馴染んだキハ40が停車中だった…
↓更にキハ40による列車が到着していた…
↓やがてアナウンスが流れ、札幌から北上中の列車が姿を見せる…
↓キハ261系の見慣れたモノ…宗谷線に初めて登場した型のモノだ…
↓もう直ぐ停車だ…
↓そして無事に乗車である…
この旭川から稚内への列車だが、乗込んでしまえば「後は如何やって過ごしていようと、稚内へ連れ帰ってくれる訳で…」と安堵感が拡がる。そして「やや長めに居眠り?」という場合も多い昨今だ…
↓旭川駅の辺りは中途半端に雪が残っていないので歩き易い。実は、歩道の中に装置が埋め込まれて「温度を上げて雪を融かす」という「ロードヒーティング」が施されている箇所でもある。
↓横断幕を視て、一寸思った。「10年経っても“新”の駅舎か?」とである。これ以前の駅舎も利用した記憶は在るが、自身では現在の様子が最も馴染んでいる。
↑それでも、とりあえず現行の駅舎が全供用ということになった2011年から10年ということに関しては「新駅舎10年」とでも表現する他に無いのかもしれない。
↓妙な事も思ったが、改札を潜ってからエスカレータでホームに出る。
↓H100だ…見掛ける頻度が少し増えたのだが、未だ乗車したことは無い…
↓眼に馴染んだキハ40が停車中だった…
↓更にキハ40による列車が到着していた…
↓やがてアナウンスが流れ、札幌から北上中の列車が姿を見せる…
↓キハ261系の見慣れたモノ…宗谷線に初めて登場した型のモノだ…
↓もう直ぐ停車だ…
↓そして無事に乗車である…
この旭川から稚内への列車だが、乗込んでしまえば「後は如何やって過ごしていようと、稚内へ連れ帰ってくれる訳で…」と安堵感が拡がる。そして「やや長めに居眠り?」という場合も多い昨今だ…
稚内港北防波堤ドーム…(2021.12.02)
夕食を愉しんだ後に引揚げようとした際、微かに回り道を…
↓極薄い積雪が、少しばかりの気温上昇で融けて流れてしまったような…そういう様相だ。
↑それはそれとして、灯りが全て点って、独特な形状が浮かび上がるような様が面白い…
やがて「降水が在れば雪ではなく雨」という程度に気温が上がって行ったようすだ。それでも「温かい」とも言い悪い次元に変わりはないのだが…
↓極薄い積雪が、少しばかりの気温上昇で融けて流れてしまったような…そういう様相だ。
↑それはそれとして、灯りが全て点って、独特な形状が浮かび上がるような様が面白い…
やがて「降水が在れば雪ではなく雨」という程度に気温が上がって行ったようすだ。それでも「温かい」とも言い悪い次元に変わりはないのだが…
略して<磯ベー>…トンハツ…名付けて<ジェットホルモン>…モツ煮…ソーセージ…(2021.12.02)
カツサンドと珈琲と…:<丸福珈琲店>:大阪空港(伊丹)(2021.11.22)
大阪空港(伊丹)に到り、保安検査を潜って搭乗を待つという段になった時、「目的地への到着もやや遅いのだから、軽食を…」と考えた。
↓空港ビル内でこんな店を見付けた!
↑<丸福珈琲店>と言えば、大阪の老舗で昭和の初めの方からの伝統を誇り、濃い珈琲が美味い。あれは、創業の頃に独自に豆を焙煎して淹れ方を工夫していた中で登場したもので、「大阪ストロングコーヒー」というようにも呼ばれる「大阪の古くからの喫茶店の凄く来い感じの珈琲」の“元祖”とでも呼ぶべきものである。
↓こういうセットを御願いした。
↓「老舗だけが知り得るバランス」というようなモノがきっと在ると思う。カツ、ソース、野菜、パンのバランスが絶妙だった!“カツサンド”というのは実に贅沢なモノだと大満足した…
↓そしてこの伝統の滲む一杯の珈琲…
こういうモノを供する店が在る大阪…今般は「通り道」という感でもあったが、「また寄る!」という気分が高まった。
そして保安検査、搭乗待合を目指して席を立った…
↓空港ビル内でこんな店を見付けた!
↑<丸福珈琲店>と言えば、大阪の老舗で昭和の初めの方からの伝統を誇り、濃い珈琲が美味い。あれは、創業の頃に独自に豆を焙煎して淹れ方を工夫していた中で登場したもので、「大阪ストロングコーヒー」というようにも呼ばれる「大阪の古くからの喫茶店の凄く来い感じの珈琲」の“元祖”とでも呼ぶべきものである。
↓こういうセットを御願いした。
↓「老舗だけが知り得るバランス」というようなモノがきっと在ると思う。カツ、ソース、野菜、パンのバランスが絶妙だった!“カツサンド”というのは実に贅沢なモノだと大満足した…
↓そしてこの伝統の滲む一杯の珈琲…
こういうモノを供する店が在る大阪…今般は「通り道」という感でもあったが、「また寄る!」という気分が高まった。
そして保安検査、搭乗待合を目指して席を立った…
<6005>:橋本駅(2021.11.21)
ケーブルカーで高野山駅から極楽橋駅に下り、極楽橋駅で乗換て、橋本駅に到った…
極楽橋駅・橋本駅間は複雑なカーブで構成される山岳区間であるが、橋本駅・南海なんば駅間は他の路線と差が在るでもない区間である。そして、沿線の住宅開発等も年を追って進み、南海も順次輸送力を強化して来た経過が在り、橋本駅・極楽橋駅で運用する都合とは無関係な感じの車輛も現れる。
↓極楽橋駅からの列車が橋本駅に着き、「なんば行…」という案内が在って暫し待ち、現れた車輛に少し目を瞠ってしまった…
↑凄く…渋い!
↓米国のメーカーのライセンスを受けて「ステンレス車輛」が初めて日本の鉄道に登場したような、1960年代から走っている6000系という車輛が現れたのだ!
↑基本設計が同じ、少し後の時期に登場した車輛は多くが廃車になってしまっているらしいが、ステンレスはタフで、未だ頑張っているのだという…
↓列車の先頭であった<6005>に乗込み、他の乗客が視えなかった間に車内の様子も写真に収めた…
半世紀を超えるような期間に亘って、沿線の多くの人達の暮らしや想い出と共に在り続けたであろうというような、こういう車輛…何やら酷く愛おしい…
極楽橋駅・橋本駅間は複雑なカーブで構成される山岳区間であるが、橋本駅・南海なんば駅間は他の路線と差が在るでもない区間である。そして、沿線の住宅開発等も年を追って進み、南海も順次輸送力を強化して来た経過が在り、橋本駅・極楽橋駅で運用する都合とは無関係な感じの車輛も現れる。
↓極楽橋駅からの列車が橋本駅に着き、「なんば行…」という案内が在って暫し待ち、現れた車輛に少し目を瞠ってしまった…
↑凄く…渋い!
↓米国のメーカーのライセンスを受けて「ステンレス車輛」が初めて日本の鉄道に登場したような、1960年代から走っている6000系という車輛が現れたのだ!
↑基本設計が同じ、少し後の時期に登場した車輛は多くが廃車になってしまっているらしいが、ステンレスはタフで、未だ頑張っているのだという…
↓列車の先頭であった<6005>に乗込み、他の乗客が視えなかった間に車内の様子も写真に収めた…
半世紀を超えるような期間に亘って、沿線の多くの人達の暮らしや想い出と共に在り続けたであろうというような、こういう車輛…何やら酷く愛おしい…
<2303>:極楽橋駅(2021.11.21)
ケーブルカーで高野山駅から極楽橋駅に下る…
↓極楽橋駅ではこういう列車が待機していた…何か「妙に画になる…」と感じ入りながら停車中の車輛を眺めた…
↑「2300系」というシリーズは、極楽橋・橋本間を2輛編成でワンマン運行出来るようになっている車輛で2005年から動いているそうだ…当初は橋本から先の区間に乗入れることも在ったようだが、現在は専ら「山岳」の区間を行き交っている。
何か凄く「高野線の車輛」というイメージが強い車輛だ、沿線の九度山に所縁の真田幸村を意識して、「大坂の陣」で真田勢が赤い甲冑を身に着けて勇戦したという故事、「赤備」に肖った赤系の塗色も施された車輛だ。赤系は、高野山の根本大塔のような建築物を意識したという側面も在るのかもしれないが。
この車輛…また何度でも乗車したい!
↓極楽橋駅ではこういう列車が待機していた…何か「妙に画になる…」と感じ入りながら停車中の車輛を眺めた…
↑「2300系」というシリーズは、極楽橋・橋本間を2輛編成でワンマン運行出来るようになっている車輛で2005年から動いているそうだ…当初は橋本から先の区間に乗入れることも在ったようだが、現在は専ら「山岳」の区間を行き交っている。
何か凄く「高野線の車輛」というイメージが強い車輛だ、沿線の九度山に所縁の真田幸村を意識して、「大坂の陣」で真田勢が赤い甲冑を身に着けて勇戦したという故事、「赤備」に肖った赤系の塗色も施された車輛だ。赤系は、高野山の根本大塔のような建築物を意識したという側面も在るのかもしれないが。
この車輛…また何度でも乗車したい!
朝の<奥之院>を巡る…:高野山(2021.11.20)
午前8時台に高野山の<奥之院>に到り、そこを歩き廻った。
杉の木立に射し込む朝の光が、自身にとっては鮮烈だった。「1200年以上も受継がれた信心」の「名状し悪い底辺」というようなモノ、「御入定」とされる弘法大師空海の魂が在るとされる「聖域」で、「偉大な弘法大師空海を慕う無数の人達の魂が渦巻く」というようなことを感じた。
その感じたことは、既に旅の途次に綴っておいた。そしてそれを視ながら、「あの空間」、「あそこに在った時に考えたこと」を何度も振り返ってしまう。
↓「松前家墓所」というモノに出くわした。
松前家という大名家は、「知行地での米の生産量」を基礎とする「〇〇万石」ということで徴税などを行う権利を継承したということでもない。蝦夷地―現在の北海道と、周辺のサハリンや千島を漠然と含む場合も在った概念であるらしい…―での交易を行う権利を継承するという、少し変わった大名家であった。蝦夷地が幕府直轄ということになって、「〇万石相当」という代替の知行地を与えられた次期も在ったらしい。その少し変わった活動を生業とした松前家も、高野山の威光のようなモノに惹かれていたのかと思った。
↓「武田信玄 勝頼墓所」というモノに出くわした。
↓貫禄が在る石碑が眼に留まった…
武田信玄は仏門に帰依して“信玄”と号した。伝統的な仏教を高く評価したのだと思う。その魂がここに祀られている訳だ。
武田勝頼だが、武田信玄が制圧した信濃の旗頭に擁立されるべき立場から、実質的な後継者ということになった。長篠の戦で敗れ、やがて滅ぼされてしまったという経過を辿るが、なかなかに卓越した武将であったかもしれない。が、北条家や上杉家との関係で、打った手に色々とブレも在ったかもしれない。彼もまたここで祀られている。
これを視た時に直ぐ思った。恐らく、武田父子の遺骨や遺髪がここに埋められているということではないのであろうというようなことだ。神社に見受けられるように「魂を祀る」ということなのではないかと思った。
↓こちらは紀州徳川家の墓所だ…
高野山は寺院や教団を運営する財源として知行地のようなモノが与えられてはいた筈だが、それはそれとして辺りは紀伊国を知行地とした紀州徳川家の影響下だ。その歴代当主の魂もここに祀られている。
↓江戸時代には錦帯橋の在る岩国を本拠地にした吉川家の墓所だ。
↓こちらは薩摩の島津家だ。
↓大名家として長く続かなかった堀尾家だが、堀尾吉晴は松江城を築いて城下町を拓いた人物だ。
↓これは石田三成だ…
↓これは明智光秀だ…
この石田三成や明智光秀というような人物達に関しては、本当に「何方かが魂を祀った」としか思えない。
↓近代の人達の墓碑も多い。高野山を訪ねた際に利用した南海を創業したという方の墓碑だ。
↓幕末の物語に登場する二本松の丹羽家の墓碑だ。
↓安芸の浅野家の墓碑だ。
↓豊後の中川家の墓碑ということだが、一寸傷んでいる。こういうような感じのモノも多い。
↓こちらは島津家が奉納した、朝鮮の役での死者を弔うための墓碑ということのようだ。
↓近代の戦いの死者を弔う墓碑も在る。これはビルマ方面での戦いに関連するモノであるという。
↓ビルマ方面での戦いに関連するモノの傍には毛利家の墓碑だ。特段に関連性は無関係に、様々なモノが数え切れない程に在るのだ…
↓法然の墓碑も在った…
↓徳川家康の次男であった結城秀康は石廟に祀られていた。
↓この場所の環境を護ろうと努力を重ねている人達も大勢在るということも示唆されていた。
マダマダ様々なモノは在るであろう。ここは何か「離れ難い」というようなモノも感じたが、「何時か再訪!」とも強く思っている。
杉の木立に射し込む朝の光が、自身にとっては鮮烈だった。「1200年以上も受継がれた信心」の「名状し悪い底辺」というようなモノ、「御入定」とされる弘法大師空海の魂が在るとされる「聖域」で、「偉大な弘法大師空海を慕う無数の人達の魂が渦巻く」というようなことを感じた。
その感じたことは、既に旅の途次に綴っておいた。そしてそれを視ながら、「あの空間」、「あそこに在った時に考えたこと」を何度も振り返ってしまう。
↓「松前家墓所」というモノに出くわした。
松前家という大名家は、「知行地での米の生産量」を基礎とする「〇〇万石」ということで徴税などを行う権利を継承したということでもない。蝦夷地―現在の北海道と、周辺のサハリンや千島を漠然と含む場合も在った概念であるらしい…―での交易を行う権利を継承するという、少し変わった大名家であった。蝦夷地が幕府直轄ということになって、「〇万石相当」という代替の知行地を与えられた次期も在ったらしい。その少し変わった活動を生業とした松前家も、高野山の威光のようなモノに惹かれていたのかと思った。
↓「武田信玄 勝頼墓所」というモノに出くわした。
↓貫禄が在る石碑が眼に留まった…
武田信玄は仏門に帰依して“信玄”と号した。伝統的な仏教を高く評価したのだと思う。その魂がここに祀られている訳だ。
武田勝頼だが、武田信玄が制圧した信濃の旗頭に擁立されるべき立場から、実質的な後継者ということになった。長篠の戦で敗れ、やがて滅ぼされてしまったという経過を辿るが、なかなかに卓越した武将であったかもしれない。が、北条家や上杉家との関係で、打った手に色々とブレも在ったかもしれない。彼もまたここで祀られている。
これを視た時に直ぐ思った。恐らく、武田父子の遺骨や遺髪がここに埋められているということではないのであろうというようなことだ。神社に見受けられるように「魂を祀る」ということなのではないかと思った。
↓こちらは紀州徳川家の墓所だ…
高野山は寺院や教団を運営する財源として知行地のようなモノが与えられてはいた筈だが、それはそれとして辺りは紀伊国を知行地とした紀州徳川家の影響下だ。その歴代当主の魂もここに祀られている。
↓江戸時代には錦帯橋の在る岩国を本拠地にした吉川家の墓所だ。
↓こちらは薩摩の島津家だ。
↓大名家として長く続かなかった堀尾家だが、堀尾吉晴は松江城を築いて城下町を拓いた人物だ。
↓これは石田三成だ…
↓これは明智光秀だ…
この石田三成や明智光秀というような人物達に関しては、本当に「何方かが魂を祀った」としか思えない。
↓近代の人達の墓碑も多い。高野山を訪ねた際に利用した南海を創業したという方の墓碑だ。
↓幕末の物語に登場する二本松の丹羽家の墓碑だ。
↓安芸の浅野家の墓碑だ。
↓豊後の中川家の墓碑ということだが、一寸傷んでいる。こういうような感じのモノも多い。
↓こちらは島津家が奉納した、朝鮮の役での死者を弔うための墓碑ということのようだ。
↓近代の戦いの死者を弔う墓碑も在る。これはビルマ方面での戦いに関連するモノであるという。
↓ビルマ方面での戦いに関連するモノの傍には毛利家の墓碑だ。特段に関連性は無関係に、様々なモノが数え切れない程に在るのだ…
↓法然の墓碑も在った…
↓徳川家康の次男であった結城秀康は石廟に祀られていた。
↓この場所の環境を護ろうと努力を重ねている人達も大勢在るということも示唆されていた。
マダマダ様々なモノは在るであろう。ここは何か「離れ難い」というようなモノも感じたが、「何時か再訪!」とも強く思っている。
メロンパン…(2021.11.27)
<火の帆(HONOHO) 「KIBOU」>…(2021.11.27)
北海道内のクラフトジンに新千歳空港で出くわしたという経過が在った。
↓新千歳空港で出くわした数日後、札幌駅構内の店で大きな瓶に出くわしたので入手して持ち帰った…
↓美しいボトルだ…
↓「アカエゾマツの香り」を基礎としているそうだが、北海道内の材料を“ボタニカル”に採用している薫り高いジンである…
札幌駅構内の店で店の方と言葉を交わしたが、なかなかに好評で直ぐに売切れ、なかなか新しく入荷しないというような感じになっているらしい。運好く入手が叶った訳だ…
↓新千歳空港で出くわした数日後、札幌駅構内の店で大きな瓶に出くわしたので入手して持ち帰った…
↓美しいボトルだ…
↓「アカエゾマツの香り」を基礎としているそうだが、北海道内の材料を“ボタニカル”に採用している薫り高いジンである…
札幌駅構内の店で店の方と言葉を交わしたが、なかなかに好評で直ぐに売切れ、なかなか新しく入荷しないというような感じになっているらしい。運好く入手が叶った訳だ…